はてなキーワード: 特権的とは
twitterの認証バッジが金さえ出せば誰でも手に入るようになって、この感じはなんか既視感があるなあ、と思って考えたら、『HUNTER×HUNTER』でパリストンが念能力持ちの蟻の繭を5,000個確保しているというジンの話を読んだときだった。
念能力について、ヨークシン以降は実質的に標準装備という感じではあったけども、一方で、選ばれた人たちの特権的な能力という雰囲気もなんとなく残っていたので、そこに5,000個も念能力持ちが流入したら、全然ゲームが変わるよなあ、と読んだときに思ったんだった。ちなみに、作中のプロハンター(≒念能力持ち)のいまの人数が600人強らしい。それがいきなり5,000人増だ(ハンターの他にも念能力の保持者はいるので、600⇒5,600ということではない)。
念能力を持たないのは「極寒の地で全裸で凍えながらなぜつらいのか分かっていないようなもの」というぐらい致命的なものであるのに対して、認証バッジがなくても死にはしないが、バッジがあると有利というか、一目おかれる感じだったし、ある種の発言はバッジがなければ意味さえ持てなかった、そういう世界だった気はする(行政系のやつとか)。
え? 認証バッジそんなすごいもんだったかなあ?と思う人はいると思う。もしかしたら、俺がそう感じるのは、10年以上twitterやってるからかも。まあ、最近はぽっと出のソシャゲとかでもバッジついてたりするけども。
すべての特権的なものは、経済的に、もしくは物語の力学的に、最後は拡散して、みんなのものとして標準化していく運命にあるのかもしれない。いまは、海上の船内という密室でクラピカが似たようなことをやってる。
ちなみに、『HUNTER×HUNTER』の作者である冨樫義博自身はアカウントに認証をつけていないのがちょっと面白い。俺はこの人のこういところがけっこう好き(この時代、認証を受けていないことが逆に個性的、という演出があったとしても)。
表現の自由戦士じゃんw!
誹謗中傷できないとどうなるか?
「悪が無限に栄えて滅びる」
また差別主義者は道理を無視できるので、誹謗中傷できない世界でも誹謗中傷します。
こうなると、真面目に生きている人ほどバカを見る、弱い立場の人ほど辛い目に合う、
必然的に真面目な人の数は減り、弱い立場の人は消えるか、自暴自棄になります。
アメリカ社会は1%の人間が99%の資本を独占する、という最早人間社会として成立していないので、
古代から中世でも、1%が99%の権益を独占するという時代はありませんでした。
「今」が初めての時代なのです。
その証拠に今期でも何本かこうした作品がアニメ化しており、そして今後もアニメ化されるだろう。
だが個人的にこのような作品は、あまりよろしくないように思われる。
基本的に「俺TUEEE」系の作品とは、言葉通り主人公が強さで他を圧倒し、主人公の思い通りに進む物語のことだ。
こうした作品のどこにイデオロギー性があるかと言えば、それは力の獲得にある。
転生し、そこで特殊なスキルを得ることで無双する。つまり生まれ持った力の差がものを言うのだ。
この構図に見覚えがないだろうか?
そう、これってつまり現実で言うところの『親ガチャ』を指し示しているのだ。
生まれた環境や地位があれば、大して努力せずとも大成できるよね。
こうした思念のもとに成り立つ作品だからそこ、「俺TUEEE」の主人公は努力しない。大した努力をせずとも成功する。
だから他とは違う。俺は特別なんだと、つまり生まれた環境を要因し、努力を軽視する。
現代ではこのような考えが蔓延っているために努力型の主人公は脚光を浴びにくく、生まれ持っての才能ばかりに目を向ける。
すると自分が成功しないのはあくまで生まれが悪いからで、努力をしないからではない。
果たしてそれが正しい形だろうか?
しかしこのような言い訳には社会的な問題が随分絡んでいるように思われる。
国内での貧富の差の拡大、そして何より政治の腐敗によるものが大きい。
国民の声は聴かれず届かず、結局国を牛耳るのは世襲議員であり、我々の意思ではどうにもならない。彼らがどうしてそのような特権的立場に居るのか?それこそ環境と生まれが全てであり、ここに俺TUEEE系の物語と現実がリンクする。
現代人が「俺TUEEE」系の物語を好むのは、もはや努力では世界が変わらないことを知っているからであり、それは政治に対する絶望である。だからこそ虚構のうちにおいては、自らを特権階級に置く。
逆を言えば、こうした物語の氾濫は現政権の絶対性を示すイデオロギー的性質を我々に垣間見せ、虚構のなかでのみ国民を満足させる国家へとますます邁進していくだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20220924084155
https://anond.hatelabo.jp/20220925050147
続いてる女装夫の話、バニーとか俺の考える最高の女とか下着でセックスとか、性欲ベースで捉えた女性を装う性の問題として増田達は捉えてるんじゃないの、それって女装をどう扱うべきかとはちょっと違うんじゃないの、と思った。
性欲ベースの行動は子供に見せたくないし日常生活で見たくないと言っていいと思う。教育方針の不一致(もちろん見せるという教育方針もあるよ)だし、生活で性欲モードでいることに関する性の不一致だよ。
自分の交友範囲の中で機会があれば着ぐるみ女装して出て来る人がいて、普段はそういう人って扱いなんだけど、一度水に入るわけでもない時にスクール水着を着て行きたいって発言があって、普段着てることを気にしないメンバーの間でもそれはダメだろって感じになったのね。結局着なかったんだけど。
単にオタク遊びするために集まった成人の集団において、着ぐるみさんがいるのはいいけど脈絡なくスク水着てる人がいるのは性の文脈が強すぎるのでTPOとして駄目ということなんだろうなあと線引きの理由を考えたことがあった。
私達の場合は友人として出会ってるからそりゃ性的でNGじゃね?が言えるけど、2人の増田の場合は夫婦という性に近すぎる場からスタートしてるから難易度が上がってるなと思う。
でも基本的に性欲見えちゃってる行動にはTPOを求めていいし、性関係の合意は不可欠だし(することの合意だけじゃなくて、半分以上は脳でするものだから性的ファンタジーの共有が必要でしょ)、子供の教育の問題ならなおさらだと思うんだよ。
もっと言うと、性的に強調された女性像をイコール女性とすることを父親を通じて学習するのは問題があると思うから、女性の捉え方が歪まないようにどう伝えるべきかはきちんと話し合わないと駄目じゃないかとは個人的に思う。
あと、最初の増田の家事とか子育てとか夫だけ個室があることとかの性役割規範について、規範だから性別そのものとは関係ないと言っても、夫はそのままで増田だけが規範を手放して個室にこもったりすると生活や子育てが成り立たない面もあるわけで、そこであんたが勝手に性役割規範に従順なだけと言うのは違う。役割規範は集団全体の問題だから、集団全体が規範を解除しないと役割の再配分が起こらないし、その際に特権的に持っているものも配分しなおす必要がある。
夫にそれをする気がなく性役割規範を維持するなら女のいいとこ取りをやってると見えても当然だし、その「いいとこ」が男性から見た性的な女性像であれば、よけいに男の性欲ベースの行動に見えるので女装どうすべきの問題から離れてしまうように思う。
「社内持株制度ではなく、普通にインデックス型の投資信託にすればよかった」
通常の株は売買するための最低限の単位が100株とか1000株とか決められてる。
だから1株の価格が10,000円でも、単位が100株の場合、最低でも一度の売買に100万円がかかる。
社内持株制度はこの単位を無視して、給料から天引きで自分の指定した金額分の自社株を買うことができ、
さらには会社から奨励金として購入金額の何%かを補助してもらえる。
自分の場合、社外の人は利用できない特権的な位置づけと奨励金10%に惹かれて、
社内持株制度で毎月3.3万円(給料から3万円+会社からの補助3千円)でコツコツ投資していた。
会社の業績が伸びて株価も上がっているときはプラス数十万円くらい行っていたのだが、
ここ最近はどちらもやや下り気味で、結局プラスマイナスゼロ近くまで下がってしまった。
社内持株制度は所詮一社決め打ちであり、投資の基本である分散投資とは逆方向に位置するもの。
まったくその通りだなと。
今後モバイル機器やフレームレートが重要なゲームが進展いく状況で無駄にリソースを消費するなんてことが許されるか大いに疑問で、あの高木氏ですらこの点には否定的であるし、最高裁はとんでもない事例を作ってしまったと私は思う。
たしかに、モロ氏には悪意というほど悪意はなかったとは思うが、ここは公益のため有罪でよかったように思う。だから、罰金に無しに実質無罪に近い有罪でもよかったように思う。
私は仮想通貨にやブロックチェーン技術には好意的であるが、無断マイニングには真向反対する。近年Cookieなどは同意がいるし、広告だって明確に見えているから見ない選択肢を我々はとれるだけで広告だってウザいことには変わりない。仮想通貨愛好者はBraveなどで広告ブロックをしているにも関わらず無断マイニングは良いことだとどういう立場でものを語っているのが腹正しい気分になる。
ある程度情報技術に聡い方々ならば、怪しいプロセスが背後で動作しているかいくらでも調べられるが、一般的には不可能な分野だ。情報技術に疎い家族や親せき、知人が被害にあっていると腹が立つ。黙ってやるという行為がどこまで許されるのか?なんかどう考えてもどこまで行ってNGなわけで、Webだけが特権的に許されるなんてことは絶対に無い。もし、許されるならば漫画村だって違法エロ動画だって合法になってしまう。
自分が言ってるのは、すべての弱者救済は大衆にとって無自覚な特権を与えられていない人への是正活動になるわけだから「先進国に生まれてなんとか生きられてる特権性を自覚せよ」「五体満足の特権性を自覚せよ」「警察が機能してる特権性を自覚せよ」みたいなメッセージを含むことになるのは不可避のこと
特に女性差別や奴隷制度のような、社会が属性を搾取してその恩恵を受けてしまってる場合は問題の認識を促すために特権性の自覚を促すメッセージを入れざるを得ない
発展途上国の子供を救えと訴えても、先進国に住んでるより不幸で貧しい人は絶対にいる
難病を救えと訴えても、健常者でより不幸で貧しい人は絶対にいる
特権的な立場でより貧しい地位の人は当然どの集団にも存在するのだから、誰か弱者を救済しようとしたら絶対避けては通れないことだから無理でしょ
そんなのみんなわかった上でやってる
その不満の持ち方は間違っていると言う話
全候補は長くなるので一人ずつ書き起こしていきます。記者の質疑応答に関しては各自確認を。
https://cdp-japan.jp/leadership-election/2021/
https://anond.hatelabo.jp/20211120003323
今の政治いかがですか?この10年、極めて国家主義的で権威主義的な政策が押し通されてきました。これになす術がなかった。私は国家に従ってこその国民ではなく、国民の自由や人権、そして公平公正な社会、いわゆるリベラルな立ち位置を日本の政治の中で打ち立て直したいと思っています。
同時にこの10年、嘘や偽りや誤魔化しが平気で語られる国会。それに貢献した人たちが出世をし、正しいことをし、しようとした人たちが虐げられ、場合によっては自ら命を落とす。こんな政府を国民がどう思っているか?これは国会や政治の話に留まらず、日本社会の隅々まで末端までモラルを崩壊させ、倫理観や正義感を失わしめている。こうした状況に徹底して闘っていきたいと思っています。
極めつけはこの一年半、コロナで例外なく皆さんが大変な苦しみと悩み、困難な状況に置かれてきた。しかし、この国の政治はこれに十分寄り添う言葉と政策を持ち得なかった。これは一体どこからきているのか?いわゆる
特権的な支配階級と言われる人たちの政治が続いてきた。私はこの対極の庶民から根を生やすように生まれてきた政治をもう一回この国に作り直したいと思っています。従って私が目指す立憲民主党の姿は国家主義的な価値観と対峙をし、まさに国民主権、リベラルな気風を根本とした政党として再び立ち昇らせたい。誠実で実直な気風を旨とした政党にしたい。さらに国民生活の悩みや不安を共有し、これに寄り添う言葉と政策をもった政党に進化、昇華をさせていきたい。4年前、枝野さんがあの大混乱の中で打ち立てた立ち位置。これをしっかり受け継ぎつつも更に支持のウイングを広げ、野党第一党を政権の受け皿として認知して頂く政党に昇華させていきたいと思っております。
同時に今まで日本政治が放置をしてきた巨大な構造問題が相互に連関をしながら、いくつも同時多発的に国民の前に立ち憚っています。人口減・高齢化・社会保障の綻び、財政悪化、気候変動、どれ一つとっても本来私たちの世代で取り組みをなし、次世代に恥じぬ国と社会を受け継ぐ責任がある。しかし、長らく日本政治は真っ直ぐ視線を向けることを避け、国民に不都合や不便を正面から説明することを回避し、問題を先送り、ツケを大きく膨らましてきた。こういう政治とも徹底的に闘いたい。どれ一つとっても簡単ではない。しかし、国民の声を聞き、国民とともに悩み、考え、国民とともに解決策を見出し、国民とともに歩む。そういう対話型の政治こそがこれから先、求められて来ると思います。前例のない、どの時代どの国も経験したことがない巨大な構造問題が立ち憚っている。これは従来型の政治では乗り越えられない。
今の日本に相応しい対話型の新しい政治、それが先程申し上げた諸課題、あらゆる問題に本格的に取り組んでいく姿を、国民に見てほしいし、その先頭に立ちたいと思っています。最終的にそれが成し遂げられた暁には、この日本社会は持続可能性を取り戻すことになるでしょう。この社会はこのままでは続かない、続いていきようがない。それはみんな心の奥底でどこか分かっているが、それに正面に向き合おうとせず、先送りしてきました。しかし、それに本格的に取り組んだとき、やがてこの社会は持続可能性を回復することになる。私たち大人社会が胸を張って、やるべきことをやった、少なくともやろうとした、出来ないこともあるかもしれないが一生懸命取り組もうとした。そういう背中を姿を次の世代に見せることに繋がる。
誇り高い、温かい、温もりのある、しかし明確な理念と哲学・ビジョンをもった政治を立憲民主党を再建することによって作りたい。そう思っております。
LIVE HAUS店長のスガナミユウ氏が「誰が踏みつけられているか」と題するnoteを公開した。
https://note.com/yusuganami/n/n78c9b96cb4be
https://medium.com/@sos.yu.lh?p=8926b83122e
私は彼の所属するインディミュージシャンコミュニティとでもいうべき界隈に属しているが、周囲の反応は絶賛の嵐といって良い状況だ。noteのリンクを張ったツイートには大量のいいねとリツイートがあり、批判らしき反応はほとんど見受けられない。これはかなりマズイよなーと感じてこの文章を書いている。
まず、前置きとして、このnoteに対する私のスタンスを書く。ちょっと長いので興味がない方は適宜とばしていただけるとありがたい。なお、文中の”リベラル”とか”アンチリベラル”といった記載は一般的にリベラルっぽい仕草・アンチリベラルっぽい仕草と受け取られがちなものとでも思ってほしい。
「誰が踏みつけられているか」はスガナミユウ氏が選挙中の市民運動を通して感じたことを書いている。その内容の主題は、日本にはまだまだ差別や不平等(特に男女差別に着目している)が残置していること、そして特権的な立場にいるスガナミユウ氏をはじめとした「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」への自省を求める内容である。スガナミユウ氏はこのnoteを「知り合いのすべての男性に読んで頂きたい」という文章を添えて公開した。もっと言えば、(男女間等において)日本に差別や不平等がないと主張する男性、あるいは女性やLGBTなどの差別のみがピックアップされることに不満を感じている男性を説得しようとする文章であるだろう。 何がマズいと感じたかって、このnoteはスガナミユウ氏の周囲に多い所謂”リベラル”思想に親和的な層には受けても、本来のターゲットであろう”アンチリベラル”な層からは反発しか生まないような内容になっていたからだ。スガナミさんとは親しくこそないものの何度か会話したことはあり、政治思想の差異こそあれど、頭が良く一定のバランス感覚がある人物だと思っている。彼は社会を良くしようと考え、実際に行動に移してきた尊敬すべき人物だ。そんな彼がこんな内側にしか向かないバランス感覚に欠けたnoteを書き、それが大絶賛されている状況は本当に良くない。近年勢力を増した過激なラディカルフェミニズムは強烈なバックラッシュを生み、ミソジニストを増やす原因となったと考えているが、このnoteはそんな流れの延長線上にあると感じる。
わたしは男女平等の実現を望む一人として、このnoteの内容を批判したいと思う。私たちは完璧でないがゆえに、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまうが、個別のそれに対して苛烈な批判を浴びせるのは適切でない。なにより問題なのは、その問題がある発言を周囲が容認してしまうことだ。スガナミユウ氏個人を非難することにあまり意味はないが、このnoteを無批判に受容してしまうコミュニティは大変問題があると感じたのがこの文章を書くにあたった経緯である。
まず、なにより批判したいポイントは、氏の主語の広さである。冒頭で過去のツイートで『おじさん』や『女性』と太字でまとめたことを指して、配慮に欠けたと反省しながら、結局のところこのnoteは「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」を特権的な存在として雑にくくってしまっている。
大前提として現代の日本社会は男性が有利な傾向にあることは私も同意する(特に経済的な側面において)。しかしそれはあくまで傾向の話である。割合は適当だが、例えば7割の大人のシスジェンダー男性は平均的なその他のジェンダーよりも恵まれているかもしれない。しかし残りの3割はより不遇な立場にあるだろう。傾向の話だけでも、シスジェンダー男性の平均が不利な傾向にある場面も多々存在する。死亡率の高い労働は男性比率が圧倒的に高いし、自殺率もホームレスの数も男性が上だ。職業的な話でも、例えば保育士になるハードルは男性のほうが圧倒的に高いだろう。当たり前ではあるが、切り口はジェンダーだけだはない。年齢・健康・容姿・性格・能力・人種、なんでも良いが差別や不平等を生む原因は無数にある。これらの意見は典型的な”アンチリベラル”の物言いだと感じるかもしれない。しかし彼らを説得したいのであれば当然このような主張に対する応答は必要なはずだ。なにより”アンチリベラル”が怒っているのは、”リベラル”が特定の差別や不平等だけに着目し、それ以外を矮小化・無効化しようとする態度だろう。ここを無視して「おじさん」は特権的な立場にあるとだけ言っても当然反発を生む。典型的に”リベラル”には受けるが”アンチリベラル”には説得的でない主張となってしまっている。ある側面における男性優遇を批判するにしても、それは慎重に対象を選ぶ必要があるはずだ。
次に批判したいポイントはバズワードになりがちな「平等」という語句をどのような意味で使っているかが何ら書かれていない点である。性差別に関する論争でよくあるのが、”リベラル”は(結果平等を指して)「日本社会において男女は不平等である」と言っているのに対し”アンチリベラル”が(機会平等を指して)「日本社会において男女は既に平等である」と言い合い、すり合わせもないまま不毛な罵倒合戦をやるパターンだ。氏は文中において、差別・不平等が残置されている例として選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法が実現されていないことを挙げているあたり、結果平等を念頭に置いてこの文章を書いているのだろうが、”アンチリベラル”の多くの反応は「法律的にはどれも男女間で差異が無いのに何を言っているんだ?」というものになるだろう。細かいことをあげつらっているように感じるかもしれないが、やはり対抗論者の考えを想定していない内向きの文章になってしまっている。そもそも例として挙げられている選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法をジャンダー感の不平等という文脈で扱うことに個人的にかなり違和感があるが・・・・・(ジェンダー間の問題もあるだろうが、それ以外のイデオロギーの違いによるものがよほど大きいのではないか)。
最後の批判として、氏が「おじさん」に対する差別に無批判な点である。私が気になったのは『みんなの未来を選ぶためのチェックリスト』の記者会見において町田彩夏氏が受けたマンスプレイニングに関して言及している箇所だ。記者のマンスプレイニングに対して町田彩夏氏が返した「あらためてこの場において、特定の、所謂、ある年代以上のおじさんたちが司っている”国会”というのは日本社会に重なるものなんだなということを実感いたしました。ありがとうございました」という発言はマンスプレイニングを行った記者個人の言動を広げて「ある年代以上のおじさんたち」一般に拡大した差別的な発言である。大前提として、私は町田彩夏氏を非難する気は毛頭ない。記者のマンスプレイニングは本当に酷いものであるし、その反論が皮肉交じりになって問題のある表現が含まれてしまうのは理解できる。氏の毅然とした対応にむしろ好感を持っている。前置きでも書いたが、私たちは完璧でなく、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまう。個別のそれを非難しても建設的ではないし、重要なのは周囲でありコミュニティがそれを容認しないことだと私は考えている。このnoteがジェンダーの不平等を訴える内容である以上、この町田彩夏氏の発言に対しスガナミユウ氏が言及しないのは不誠実ではないだろうか。少なくともその非対称な振る舞いは”アンチリベラル”が反発する最もたるものだと感じる。
ここまで読んでいただけるとわかると思うが、「誰が踏みつけられているか」はとにかく説得対象である”アンチリベラル”的な考えを持った対抗論者の思考をトレースできていないと感じる。そして自分と同じ”リベラル”的な思想だけを考慮したこのnoteは”リベラル”内でだけ盛り上がり、”アンチリベラル”には反発され、結局のところ分断だけを生むものとなってしまっているのではないか。誰かを説得したい時には、賛否はともあれまず相手の主張を理解するところから始めるべきだろう。この「対抗論者の考えをトレースするのが絶望的にできていない」点は近年のリベラル勢力に多い典型的な欠点だ。上記の私の批判にも多々問題はあるだろうが、少なくともこのnote「誰が踏みつけられているか」が無邪気に賛同一色となるコミュニティは絶対に健全でないと思うのだ。なんだかんだと書いたが、私自身はどちらかと言えば”リベラル”に親和的な考えを持っている。スガナミさんの主張に賛同するところは非常に多いし、全体的に見て日本社会は男性優遇の傾向にあると考えている。しかし社会は多面的で、一概に男性、女性、LGBTとくくってしまえるような問題はほとんど無いはずだ。いまいちど”リベラル”は自分自身の思想を俯瞰して考えられるようにならないと、本当にマズイ。
「インボイス制度」というのは正しくは「適格請求書等保存方式」で、結果として「適格請求書がないと控除できませんよ」となる仕組み
免税対象者はこれまで通り免税対象なんだけど、批判する側に結構「弱者の免税枠がなくなる極悪制度」みたいに言う人がいる不思議
直接的には
となる制度で、リベサ万歳の「大手から搾り取る」制度なはずなんだけど、政権批判に繋げる人多数
間接的には
等が懸念されている
リベサ的には「強者は弱者の負担をしろ、圧力には厳罰を」という運動になるのが普通じゃないのか?
どうにもこの騒ぎ、腑に落ちない
控除枠をなくすなと「肩代わり納税側」が騒ぐならわかる
でも実際には、我々の控除枠ともなる特権的免除制度をなくすなと、「免税業者側」が騒いでる
誰が絵を描いたのだろう?
昔だったら、実態とかけ離れたこの印象論でマスコミ扇動すれば政権交代もありえた
「お前らの免税枠は消えねぇ」「そもそも消費者が払った消費税は納税しろ」となってしまう
所得税減税などではないのだ
どうにもこの騒ぎ、腑に落ちない
この「適格請求書等保存方式」の経過措置の期間が終わると、漫画家や伝統工芸や音楽家やいろんな人が廃業してしまうんだと主張してる人が居る
でも「なぜ」廃業にいたるのかを子細に書く人はみない
一回、「どうして廃業することになるのか」を誰か書いてくれんかな
まともに議論も出来ない
本当、誰か書いてくれんかな・・・