はてなキーワード: 小学校とは
アイドル、キャラクター、声優、俳優、スポーツ選手、最近であればVtuber。なんでもいいです。推し。推しのいる生活って豊かですよね。しかし今の私の生活は全く豊かではありません。完全に自分で招いた最悪の結果ですが、人生のどん底にいます。
ヲタクの頂点に君臨する人間のことです。私は本人公認のTOでした。たしかにそりゃもう全力で推していました。まだまだ駆け出しで無名だったこともあり、とにかく推しのためにできることはなんでもしていました。自分で言うのもなんですが当時は超優良ヲタクだったと思います。当時は。
結果どうなってしまったか。そう、繋がりです。私はこれを断れませんでした。「そういうのはよくない」と一蹴するのが本当の「優良なヲタク」です。全ての間違いはここに起因していたな、と冷静になった今思います。繋がってしまった結果、自分の中での軸が完全にぶれ、ヲタクをしている本来の目的が入れ替わってしまいました。
本来手が届かないはずの「推し」だったからこそ純粋な、ピュアな気持ちでヲタクをできていたのに、手が届いてしまったが最後。自分だけのモノにしたくなってしまいました。
それからの私は推しを「推している」のではなく、推しに「依存している」だけでした。推しの放つ言葉が好き、表現が好き、考えが好き、そんなものどこかへ行ってしまっていました。残ったのは「この人に嫌われたくないからついていく」「この人を私だけのモノにしたい」、そんな歪みに歪みまくった考えだけでした。
文字通りです。モンペになりました。私の推しは駆け出しのひよっこでした。まだまだいろいろな活動を模索している段階で、無限の可能性を秘めていました。しかし、その推しをいつの間にか自分だけのおもちゃにしようと行動していました。完全なる毒ですね。時には厳しい意見も出す、それも愛だと思っていました。この考えは今も変わりません。全肯定するだけが愛ではありません。それは現実の人間関係においてもそうで、間違っていることには間違っていると臆せず指摘できることが本当の愛だと私は考えています。
しかし批判とコントロールは全く違います。人間なので意見が合わないことはあります。それはどうしようもありませんし、どちらが正解でどちらが間違いだということもありません。でもそれをどうにかこうにか自分の考えに丸め込もうとするのはおかしいですよね。「死んでも魚しか食べたくない!」と言っている人に「食事はバランスが大事だよ。肉も野菜もバランスよく食べようね。」とアドバイスするのは愛でしょうが、私の場合単に「肉より魚が好き!」と言っている人に対して「私は肉の方が好きだから魚なんか食うな!!」って叫んでるようなもんです。バケモン。
感情、方向性、やりたいこと、どれも時が経てば次第に変わっていくものです。生まれてから死ぬまで同じ考えを貫く人なんてそうそう存在しないと思います。だったらどうすればいいか。離れてしまえばいいんですよ。自分のポリシーやスタンスと合わなくなったのなら、離れたらいい。執着する必要はありません。私の推しはそれができる強い人間でした。
その当時は精神的に不安定になっており、結果繋がりを求めてしまったのかもしれません。しかし今は立ち直り、どう考えてもご法度である繋がり行為を続ける必要がなくなった。だから次第に私から離れていった。しかし一方の私は、いつまで経ってもそれを受け入れられず、現実から目を背け、自分自身に嘘をつき続け、延々としがみついていた。なぜならそこにドス黒い恋愛感情が生まれてしまっていたから。
数十人しかいないコミュニティからそれまでとてつもない熱量を持っていた人間がいきなり消えたら、さすがにどんな人でも「おや?」と異変を察知します。例えば大学の大きな講義であれば、たった1人学生が消えたところで誰も気づきませんが、小学校のクラスで一番目立っていた人間が突然不登校になったら、さすがに誰でも気づきますよね。だったら徐々にフェードアウトしていくしかないのですが、その徐々にというのが難しい。
去ることができないので今でもヲタクを続けています。そこに純粋な気持ちはもう残っていないのに。誰ひとり得しない地獄ですね。繋がりというある種のアドももう存在しません。ちなみに推しは私以外のヲタクと交際していました(過去形)し、こうして私的な繋がりを持っていたのも私1人とだけではありませんでした。自分だけが特別扱いされていると勘違いして完全に舞い上がっていた私が本当に馬鹿でガキで情けない人間だったな、と痛感しました。
とはいえ、ちゃんと(?)恋人を切り捨てた時点で「ヲタクはヲタク、それ以上でもそれ以下でもない」と決意していたんだと思います。私から離れていっている予兆もありました。それなのにそれを無視して勝手に勘違いし続けていたのは私の方。いつまでもしがみついていた気持ち悪いバケモノが1匹。あー気持ち悪い。無理無理。
・推しと繋がってもいいことはお互いに何もない
・異性とのいざこざはガキのうちに済ませておけ
街中で小さな子供連れの家族をみるたびに、「かわいいな」と思う反面、「自分には縁がなかったな」と言い聞かせている。
*
私は45歳で、彼女はもうすぐ40になる。
数年前、そろそろリミットだと思って、「子供をつくるかどうか」で話し合った。
*
私は幼少のころから病弱で、その原因のひとつは、両親からの適切な愛情不足だったと自己分析している。
親に叱られたり兄弟にいじめられたりすると、「自分がいなくなったらみんな悲しんでくれるかな」と布団のなかで泣いて、自分がいなくなることを想像した。
体育はしょっちゅう見学していたし、毎年、いろんな原因で入院した。
中学に入り、部活動をするようになってからは身体も丈夫になったけれど、反面、殻にこもるようになった。
学校では明るくふるまっているけれど、家ではほとんど話をしなかった。
兄弟もいたが、上は反抗期を迎えていたし、下は年が離れていた。
そして異性に逃げるようになった。
*
異性と話をするのは楽しかった。
同性みたいに下品だったりマウントの取り合いにならないので、幼少のころから女の子とは波長があった。
多数の子と関係をもって、30代の中盤で、今の彼女と同棲した。
知らないだれかと一から恋愛することに疲れていたし、結局のところ、セックスのパターンはそれほど多くはないのだ。
同棲してから浮気は一度もしたことがない。風俗も。(別にここで嘘をつく必要はない)
それまでは職も転々としていたけれど、彼女に出会ってからは定職についている。
*
自分のようなつらい幼少期を送らせたくないし、そんなのは私ひとりでたくさんだと思っていた。
*
ある程度の幸せな幼少期を送って、結婚して子供をつくっている、もう一人の自分。
おそらくは、こういうのは誰にでもあるんだろう。
「あの大学に入っていたら」「あの会社に入っていたら」「あのプロジェクトに参加できていたら」、
それに縛られて身動きがとれないわけじゃない。
ただ、街中で子連れのカップルを見たときに、ふと、男性のほうに自分を重ねて、女性のほうに彼女を重ねてしまうのだ。
もう45だし分かっている。人生は、死ぬまでの時間は、案外短いのだ。
*
彼女は、思春期にいじめにあっており、それがトラウマで、今でも他人とのコミュニケーションが(特に同世代の女性とは)あまりうまくない。友達もほとんどいない。
だから子供を産んでも、その後の付き合い(保育園でのママ同士とかの、そういう大人の付き合い)が心配だし自信がない、だから子供はいなくてもいい、と言った。
「子供は授かるものなんだよ。神様が与えてくれる。だから子供の出生に対して責任をもつとか、そんな大それたことは思わなくていい」と友達に言われたけれど、
子供ができて、その子が我々のように苦労したりつらい目にあうかもしれないと想像すると、どうしても簡単に進めない。
「一人産んだ。もう一人ほしい」と笑顔で言っている人たちが眩しい。
でも、その眩しさも、私たちが年をとればとるほど、薄れていくのだ。
でも、もう一人の自分は、きっと笑って子供を抱っこしているのだ。
*
他人が子供をつくることに異論はない。生命の誕生を肯定できるだけの歴史をもっているのだろう。
そのことに対して「うらやましい」と純粋に思う。
紆余曲折もあっただろうけれど、でも、最終的に子供をつくるという選択肢を選べたことに対するあこがれは、やっぱりある。
*
暗い気持ちでこれを書いていない。
なんだかんだ言って、悪くない人生を歩ませてもらっている。
小学校の頃に、4の書き方で変態かどうか見分けて騒ぐ輩が現れた。
一画めと二画目が離れていると変態らしい。
自分は離して書く派だったから変態認定されないように必死に矯正してた。
小学校の頃、夏休みに自由研究じゃなくて家族に取材して壁新聞みたいなのを作る宿題があった
家族構成や家族の好きな物、夏休みの思い出とかを下書きのプリントでまとめて、夏休み明けの授業で模造紙に書き写して出来上がり、って感じで。
両親共にあんまり子供の宿題に興味を持ってなかった(自分が言われなくてもちゃんとやるタイプだったのもある)から、そんな宿題が出てることも知らず、夏休み明けの参観日で優秀賞として職員室の前に貼り出された壁新聞をみた母から帰宅後にめちゃくちゃ怒られた
日常会話の中で聞いた話をそのまま「お母さんの好きな物:旅行、昼寝、ドラマ、ビールよりワインが好き」と書いたのが主な原因だったと思う。
ちなみに「お父さんの好きな物:料理、お菓子作り、ドライブ、スキー」とか、「好きな食べ物:お父さんのプリンとカレー」とか、書いていたのも更なる怒りポイントだったらしい(平日の帰りが早い父が毎日夕飯を作ってくれていたから忖度のない事実なんだけど)
田舎の小学校だったから、先生の中には両親の同級生とかもいて「お子さんの新聞みたよ〜!よく取材してるわ!」と言われて案内してもらったから余計に恥ずかしかった!!!!とそれはそれは怒られた…
小学生になった自分の子供の夏休みの宿題を見ながら、「多少ほっといた方が自分でやるようになるのでは…」という気がしたけど、この件を思い出してやっぱりしっかり見よう…と思った
色んな方面でそう言われることが多いから、そうなのか?って思うようになった。
確かに、あまり何も考えずにすぐに声かけられるまあまあ年齢の近い友だち(年齢差前後10ぐらい)は数えなくても両手で足りないことはわかる。
あと年に何回かは必ず連絡取りたい子とか、近くに来る度に声かけてくれる子とか、グループで定期的に会う子とかもいるな。
最近は、友だちの子どもで「あなたはワタチのトモダチ!」みたいな態度で接してくれる子も増えたので(笑)
そういう子も含めていいなら(年齢差30以上)さらに数本指が必要になってくる。
まあ私は子どももいないし独身だし、時間はあるし、自由だしそんなもんでしょ。って思ってたけど、
まあまあ高頻度で「友だち多いですね」と言われるので、もう「友だちが多い人」を心の中だけで自称している。
思春期の頃は、「ほんとうに仲良くしてくれる友だちがいない!」なんて悩んだころもあったのにね。
実際に小学校の頃で付き合いが続いている人というのは今は一人もいないけど、
中学校の同級生の1人、高校の同級生の2人、短大で仲良くなった別に同じ学校でもないんでもない3人は、なんだかんだ10年以上、20年近い付き合いだ。
成人してから仲良くなった子もももちろんだけど、この子達は間違いなく、人生を通じてほんとうに仲良くしてくれる友だちだよ。
プリクラで「ズッ友」とか「心友」とかのスタンプおしたこと多分ないのにね。(全員そういうタイプじゃない)
昔の私よ、悩んでいた私よ、安心しな。20代、30代は友だちいっぱい。友だちに対する不安はゼロパーセントだ。
嫌われてもあんまり気にならなくなるし、気のあわないやつはすっぱり切る勇気もついてくるから人生が楽しいぜ。
ちなみに、成人してから知り合い一人もいない状態で上京するけど、なんかそこでも(コロナでさえなければ)しょっちゅう遊べる友だちがたくさんできるぞ。
イチゴ狩りしたいとか、セーラームーン展に行きたいとか、ホテルのスイーツが食べたいとか、水族館に行きたいとか、ディズニー行こうとか、
そういう飲み会以外の遊びに誘えるし、実際にきてくる友だちもたくさんいるぞ。
パリピみたいな大規模な飲み会はひらけないけど、毎日退屈しないぞ。
なんかでも、もしかすると友だちの定義が人とずいぶん違うだけかもしれないけどな。
もしかしたら、この先、40代、50代となったらまた状況は変わるかもしれないけど、
そのときはまた、また新しい友だちもできてるだろうしね。
友だちが少ないって悩んでた自分が記憶にすごく鮮明にのこっているので、
こんな未来もあるんだなって、今考えると、あのとき悩みすぎて死ななくてよかったなって。
今日仕事いそがしいのに、ふと「みんなありがとう」って気持ちがわいてきて思わず書いちゃったよ。
私と仲良くしてくれる人、みんなありがとうね。
愛のあるセックスがしたい。
素人のはずな人2人とはセックスしたことあるけど、別にあんまり愛してたわけじゃないしな。
懐かしきSkype掲示板で出会った女と一応しばらく付き合って、
あとは自治体の婚活パーティーでマッチングした女と3ヶ月ぐらい付き合った程度。
まあ嫌々付き合ってたわけじゃないけど、別に好きではなかったわな。
俺が人を好きになったと言い切れるのは、
小学校で出会った玲奈ちゃんと、大学で出会った由里ちゃんだけだよ。(中高は男子校だった)
どっちも片思いのまま一切進展なく終わったよ。
ソープにはもう20回ぐらいは行ってるだろうが、俺は愛のあるセックスがしたいんだ。
なぜ俺は愛あるセックスができないんだろうか。
学校で生理の話をするときに、お母さんや姉妹も月に1週間くらいしんどい思いをしてるからそういうときはいつもより優しくしましょうねみたいな話をする教師がいなかったのが不思議なんだが、自分達に妻や母や娘や同僚にそう接する発想がそもそもなかったんだろうな。
小学校位のうちに「女子は月に一度股から血が出る、気分の浮き沈みも激しくなるし人によってはぶっ倒れることもある、お前の母親もそうだ、いじってはいけません、以上」程度に言葉を選びつつ教えればそれでいいんじゃないかとも思うんだよなあ、なんでしなかったんだろうか。
イギリスの方では、赤ちゃんの頃に贈られた相棒(ぬいぐるみ)と共に育つっぽくて、修学旅行などにも相棒を同伴させられるらしい。
いい文化だな、と長らく思っている。
我が家はぬいぐるみが夫婦共に好きで、息子にも、幼少の頃から生活を共にしてきた相棒がいる。
相棒でぬいぐるみごっこというか、コントをしてやるととても喜ぶ。
いつかはそういうのを卒業するんだろう、と付き合ってやっているが、小学校高学年になっても喜んでいる。
息子と、息子の相棒と、愉快な仲間たちは、とんでもない寝相で今日も寝ている。
たまに、このままぬいぐるみを卒業しないで、相棒たちを引き連れて独立するのかも、と考えてしまう。
大丈夫だろうか、卒業を促していくべきなのだろうか、と思うが、息子くらいの子どもたちは、我々の世代とは異なる価値観というか、世界観で生きているようなので、大きな問題ではないのかもしれない。
そう考えたら、今、彼にしてやれるのは、卒業を促すことではなく、天気が良く、気温もそれなりに高い日に、相棒と愉快な仲間たちをもみ洗いして脱水し、しっかり乾かすこと、寒い季節にも消臭スプレーをして、天日干しをしてやること、などの『ぬいぐるみの管理について、しっかり教え込んでおくこと』なのかもしれない。
なお、自分の相棒が、彼の相棒のいちばんのお友達という設定なので、彼が独立するときには、自分の相棒も送り出さねばならないかもしれない、と今から考えては、途方に暮れている。
大阪の海遊館で目があって、「キミ、一緒に来るかい?少し遠い場所だけど。。。」と聞いたら、快く、行く!と即答してくれた(ような気がするので購入して連れ帰った)ぬいぐるみなのだけど。
息子が一緒に来ない?と聞いたら、きっと「しょうがないなぁ〜、お守り係としてついてってあげるよ」って言うんだろうな。いいヤツなので。
は〜つれぇ〜。
子供を1人育てるのに2000万円かかる、と巷では言われています。
でも、個人的には、何となく信じられないというか…。なので、実際にどの程度かかるのか計算してみることにしました。
前提条件として
・できるだけ節約する。小学校~高校は公立で、大学は「家から通える国公立」とする。教育費はできるだけかけない方針。
①養育費
0歳から大学卒業の22歳まで、22年間、家で面倒を見ることとする。食費や被服費等で、ザックリ1日1000円とすれば、
1年で365000円。22年間で8030000円。高校生以上だと1日1000円を超える費用がかかるかもしれないが、そこは
②レジャー費
家族で旅行に行ったり、遊園地に行ったりする費用。あとは、ゲーム機本体を買う費用なんかも含まれる。これは、小1から小6まで年間5万円、
中1から高3まで年間10万円とする。小学生の間は旅行では子供料金が適用されるので、安くしている。これだと、合計で50000×6+100000×6=900000円。
5歳から12歳まで、1~2個の習い事に通わせることとする。月1万円で年間12万。8年間で960000円。
④学費
幼稚園は3歳以上は無償。小学校と中学校の学費(給食費、修学旅行代等も含む)は、児童手当の範囲でまかなえるし、高校の授業料も、実質無償化のためゼロ。
ただ、中学と高校の部活では、合宿や用具等の費用がかかることもある。これが年間10万として、6年間で600000円。
あと、大学受験の模擬試験や受験料等で200000円、国立大学の入学金が300000円、授業料が年間550000円で4年間で2200000円。全部合わせて3000000円。
大学の学費が飛びぬけて多いが、ここがキツければ、奨学金や教育ローンを借りることを検討しよう。
⑤教育費
ここが一番お金がかかると思われがちだが、最大限ケチることを考える。
まず、基本的に塾には行かせない。単に進学するだけであれば、通信教育と学校の勉強で十分。
・小学校
学校の勉強だけでも十分かもしれないが、小3から進研ゼミを取る。教材自体、よく出来ているし、
日常の勉強はこれだけで十分。なお、中学受験はさせない。国公立でも、旧帝大以上を目指さなければ
公立コースで十分なので。費用は年間6~7万円程度。小3~小6の4年間で300000円。
・中学校
引き続き、学校の授業+進研ゼミ中心で。学校の授業+進研ゼミで、地元の公立2~3番手くらいは狙える。
進研ゼミの費用は年間7~8万円程度で、中1~中3の3年間で250000円。
・高校
地元の公立の2~3番手以上に入れば、進学校ということになるし、きちんと大学受験対策をやってくれるので学校の授業だけで十分。
ただし、学校の先生がハズレの場合もあるかもしれないのでスタディサプリは取っておいた方が良いかも。スタディサプリの費用は月2000円弱で、年間2万円くらい。3年間で60000円。
①~⑤の合計が、13500000円。1年あたりの平均で見ると、613,636円。これを高いとみるか安いとみるか…。
でも、節約プランを取れば、子供1人に対して2000万円かかることは無いし、そこまで家計を圧迫するものでは
ないような…。子供を育てる費用の大半は、養育費と大学の学費になりますが、子供が高校生以上になればバイトさせれば良いし、
大学も奨学金を借りれば良いので、そんなに心配しなくても…という気もします。
まあ、子育てって、それなりにお金はかかりますけど、お金がかかるからって、子供を作るのを諦める必要はないのでは?と
感じます。
ケーキの切れない非行少年って優れた表現だし、深いドキュメンタリーだよね。
https://diamond.jp/articles/-/224307?page=2
要約本文
◇「厄介な子」が行き着く先は少年院
著者はこれまで多くの非行少年たちと面接してきた。そこで気づいたのは、凶悪犯罪を行った少年にその理由を尋ねても、難しすぎて彼らには答えられないことが多いということだ。更生のためには自分の行いと向き合い、被害者のことを考えて内省し、自己を洞察することが必要となる。ところが、そもそもその力がない。つまり「反省以前の問題」を抱えた子どもが大勢いるのだ。
彼らは簡単な足し算や引き算ができず、漢字も読めないだけでなく、見る力や聞く力、そして見えないものを想像する力がとても弱い。そのため話を聞き間違えたり、周りの状況が読めなくて人間関係で失敗したり、イジメに遭ったりしやすい。それが非行の原因になっているのだ。
こうした子どもは、小学校2年生くらいから勉強についていけなくなる。やがて学校に行かなくなり、暴力や万引きなど問題行動を起こすようになる。軽度知的障害や「境界知能(明らかな知的障害ではないが状況によっては支援が必要)」があったとしても、気づかれることはほとんどない。学校では「厄介な子」として扱われるだけだ。
非行は突然降ってくるわけではない。必要な支援がうまく届かず、手に負えなくなった子どもたちが、最終的に行き着くところが少年院なのだ。
児童精神科医として公立精神科病院に勤務した後、著者は、医療少年院に赴任した。そこで驚いたことがいくつもある。その一つが、凶悪犯罪に手を染めていた非行少年たちが「ケーキを切れない」ことだった。著者は、紙に描いた丸い円をケーキに見立て、「3人で食べるために平等に切ってください」と促した。すると、ある粗暴な言動が目立つ少年は、悩んで固まってしまった。少年といっても中高生だ。その年頃で「ケーキを切れない」ようでは、非行の反省や被害者の気持ちを考えさせる従来の矯正教育を行っても、効果は見込めない。こうした少年たちは非常に生きにくいはずだ。だが、学校がそこに気づくことはなく、非行化して少年院に来ても理解されず、ひたすら反省を強いられてきた。これこそが問題なのだ。
著者が幼稚園や小中学校で学校コンサルテーションや教育・発達相談を行う中で、よく挙がってくる問題がある。例えば、感情コントロールが苦手ですぐにカッとなる子ども。嘘をつく子ども。そして、じっと座っていられない子どもの存在だ。彼らの特徴は、実は少年院にいる非行少年の小学校時代のそれとほぼ同じである。
幼女への強制猥褻罪で逮捕された16歳の少年は、次のように語った。「勉強についていけずにイライラして悪いことをした。特別な支援を受けられていたら、ストレスが溜まらなかったと思う」。もし小学校で特別支援教育につながっていたら、彼が少年院に来ることもなく、被害者を生まずに済んだかもしれない。
一般的に、IQが70未満で、社会的にも障害があれば知的障害と診断される。この基準は1970年代以降のものだ。1950年代の一時期は、IQ85未満が知的障害とされていたことがある。だが、この定義では全体の約16%の人が知的障害となり、あまりに人数が多過ぎる。支援現場の実態にそぐわないなどという理由で、基準がIQ70未満に下げられた経緯がある。
時代によって知的障害の定義が変わっても、事実が変わるわけではない。現在、IQ70~84は「境界知能」にあたるが、ここに相当する子どもたちは、知的障害者と同じしんどさを感じており、支援を必要としているかもしれない。こうした子どもたちの割合は約14%と算定される。つまり、標準的な1クラス35名のうち、下から数えて5人程度は、かつての定義であれば知的障害に相当していた可能性があるのだ。
2022-07-27
■向上心も応用力もない人
中途採用した50代の人だが、採用して2年経つのに積極性が皆無だし報連相しないし小さいミス多いし、それを指摘すれば不貞腐れたような態度取るし、
とんでもないゴミ拾っちゃったなぁと思ってた。
だがちょっと待ってほしい。
ゴミと判断して風景の一部になってもらうことは難しくはないが、まだ可能性はあるんじゃないだろうか。
ここで正しい方向へ導ければ本人の為にも私の為にもなる。
もう少し頑張ってみよう、と。そう思った。
あっちの数字とこっちの数字とそっちの数字をそれぞれ確認して、合計金額と内訳をメモ書きにして担当者に渡す仕事だ。
ただ、この組み合わせで足し算してって普段は言わない数字なだけだ。
その業務の背景を説明し、「そういう理由でこれらの数字を拾ってほしい。できますか?」と聞いてみると、
即答で「わかんないです。」
考えもせずに返ってくる返事にひきつる私の笑顔😅
一瞬迷った。
「なんでわからないの?どういうシミュレーションしてどこで躓いたか教えてくれるかな?😄😄😄」ってネチネチその場で問いただしてあげようかと。
でもめんどくさかったんで、私がPCいじってソフト立ち上げてあとは相手に操作させて
「ほら、まずはあっちの数字はいつも出してるでしょ?これであっちの数字出せるよね?
次にこっちの数字もいつも出してるよね?これでこっちの数字出せるよね?
あとはそっちの数字もこうやっていつも出してるから、大丈夫だよね?」
ケーキの切れない非行少年の家庭環境が良かった場合、こういう大人になるのかなぁと少し思いました。
ちょうどその漫画読んでたので。
近所の子供たちから、気持ち悪いと言われたり、草や泥で作ったものをご飯だと言って口の中に押し込まれたりしたこともある。
お金を持ってきたら一緒に遊んでやると言われて、親に理由を言ってお金が欲しいと言ったら、親が相手の子供に抗議してくれたが、親も気持ち悪いとか、チンパンジーの親子だとか言われて馬鹿にされた。
小学校に入った時から、自分は有名人で、「近づくと〇〇菌がうつる」と言われて、友達もできなかった。友達がいないので、一人で遊ぶしかないのだが、一人で遊んでいるとますます気持ち悪がられた。
近所のスーパーの駄菓子コーナーでお菓子を物色していると、同級生が親子で買い物に来たことがあった。その同級生が「あ、〇〇菌がいる」というと、その親に「汚いから〇〇が触ったお菓子とっちゃだめよ」と言われたこともある。
学校では、上履きを隠されたり、机の中のものを全部出されてトイレに捨てられたりしたこともあった。体操服の入った袋をとられて、校庭でサッカーボールのように蹴られて遊ばれたこともある。こともある、というかよくあった。
当然、両親も自分がいじめにあっていることは知っていて、学校に相談したりしてくれたが、全く解決できなかった。逆に、〇〇君は勉強をしっかりしていないので、家でしっかり勉強の面倒を見てあげてほしいとか親が責められたこともある。だって、いじめられてて学校が嫌なのに、勉強なんてするわけないよ。
そんな時、母親が2つ離れた市にある学習塾に通ってみるかと提案してくれた。小学校5年生になった時だ。離れた市なら知り合いもいないし、塾の先生に事情を話したら、市外の子でも大丈夫と言ってくれたそうだった。
小学校の授業は、今でも記憶にないくらい何を教えてもらっていたのか覚えていない。当時も学校に行きたくなかったので、授業も全く聞いていなかったと思う。自分は馬鹿だと思っていたので、塾なんて無理だと思っていたけど、子どもだし親に言われるがままにその塾に行ってみた。
最初に受けた算数の授業の内容、今でもよく覚えている。今でも衝撃的なその瞬間を覚えている。
勉強が分かる。楽しい。多分、自分の人生が変わった瞬間だったと思う。
それから、塾の勉強に一生懸命取り組むようになった。塾のテストで成績が上がると、先生はいっぱい褒めてくれた。うれしかった。
他の生徒も、自分のことを知らないのもあったのかもしれないけど、知らない子がいる程度の感じで、気持ち悪がったりすることはなかった。ただ、友達はできなかったけど。
小学校では相変わらずいじめを受けていたけど、塾に通うようになってから、前よりも辛く感じなくなっていた。
ただ、中学に入ってから、いじめがよりひどくなった。中学1年の時に、クラスの女子が、〇〇に痴漢をされたと触れ回ったことだ。当然、痴漢はしていないし、話したことも触ったこともない。
その後3年間、机や教科書には痴漢魔と落書きされ、上級生がわざわざやってきて、痴漢魔への制裁といって、毎日頭をはたかれたり、後ろからいきなり蹴り倒されたりした。
今でも忘れられないのは、中学2年の時に、休み時間が終わると(その時はいじめられない図書館に逃げていた)自分の机の上に、何か液体が入った小瓶がおかれていて、その中身がどうやら精子だったことだ。
誰かがそういういじめをしようと計画したのだろう。いじめをしていた男子が女子の方にその瓶近づけると、女子たちは悲鳴を上げて逃げていた。最後には、その瓶の中身を机の上に出された。
拭くものがなかったので、落書きされた教科書やプリントで拭うと、周囲からまた悲鳴が上がって、本当につらかった。
それでも、塾には通い続けた。その時は親と相談して高校は県外の高校を受けることに決めていた。
またその時は、塾以外に打ち込むものもできていた。10歳年上のいとこがバドミントンをやっていて、社会人のバドミントンサークルに誘ってくれたのだ。
ただ、サークルで使っている体育館は、家から車で1時間半くらい離れたところにあった。毎週土曜日の夜に、父親が送り迎えしてくれた。
塾も市外で遠いところにあって、ほぼ毎日母親が車で送ってくれていた。
塾は高校の部もあったけど、県外に進学したので通えなくなって辞めたとき、両親と塾に挨拶に行った。
塾の先生はよかったな、と泣いてくれた。先生を見て両親も泣いた。
バドミントン部に入って、友達もできた。その友達とは、大人になった今でも付き合いがある。
高校3年間は、とても楽しかった。男子校だったが、クラスでちょっと悪そうで遊んでるような、中学だったらいじめをやってそうなタイプの奴でも、ものすごくいいやつで、そいつとそいつの彼女との色々な話を聞くのが楽しかった。
誰も外見とか性格とかで差別しなかったし、勉強も部活も文化祭や体育祭も全力で楽しめた。
大学に入ってからもバドミントンは続けたし、部活の関係でバイトを紹介してもらった。
大学でもバイト先でも、自分のことをいじめたり、気持ち悪がったりする人はいなかった。
ただ、女性に対しては、中学の時の痴漢騒ぎを引きずっていて、苦手だった。結局、高校・大学と恋愛とは無縁な学生生活だったけど、とても楽しく、充実したものだった。
大学は大学院まで行き化学系の研究室で研究を頑張った。大学院での研究大変だったけど、それでも乗り越えられたのは勉強の楽しみを教えてくれた塾のおかげだと今でも思っている。
その後、希望していた化学系のメーカーに就職することができた。
就職してからも、仕事のために勉強しなければいけないことが無限で、終わりがない。
でも、勉強はかならず答えを与えてくれる。やればやるだけ成果が出る。結果が出る。自分にとって勉強は最強の武器だと思っている。
そして、こんな自分にも出会いがあり、結婚することもできた。バドミントンは今でも続けていて、社会人のバドミントンサークルで出会ったのが奥さんだ。
奥さんには申し訳ないが、自分のような女性と縁のない人間が女性と出会えたのは、やはりしっかりした仕事についていることが信頼されたことが理由だと思っている。
勉強ばかりしてないで、たくさん遊べとという考え方の方が普通だし、その方が楽しくて幸せな人生を送れるのかもしれない。
それでも、勉強という、自分の中で揺るぎない武器があることが自信につながったし、今の幸せも勉強が与えてくれたものだと思っている。