はてなキーワード: 嫌なら見るなとは
SNSの素敵な進化によってたくさんの人が思いを吐き出せる世界になった。それが一般化しつつある(もう完全にしたかもしれないが)からこそ私は今こうやって日記を晒すことができる。このことは素晴らしいことだと思う。
また私たちは顔も知らない人達と簡単にコミュニケーションが取れるようになった。これまた素晴らしい恩恵ではないか。顔を合わせないとできないはずだった議論が簡単に行える。ここまではいいのだ。ここまでは。
絶対に私だけが感じていることではないのであろうが、Twitterやブログなどを見ていると、主語の大きさが目につくことが多くなっていることがある。主語の大きさとはなんぞやというと、1人の意見であるにもかかわらず「女性は…………」や「男性は………」など、性別でひとくくりにすることで意見をさも当然であるかのように語ることや「オタクは皆気持ち悪い」「エロいゲームをするやつは犯罪を犯す」など、全員が悪いかのように批判するものなど、大小様々なものがある。
私は女であるが(これをこの場で証明することはできないが)自分が全く思ってもいない意見を「女」という主語で語られると心底嫌になるし、ここに例外がいるぞ、と大声をあげたくなる。きっと他にもこのような方がたくさんいらっしゃるはずだし、苦しんでいるのかもしれない。しかし私たちにはその人たちをどうすることも出来ないのだ。あの人たちはそうすることで得られる快感を覚えてしまったのだろう。諦めるしかないのだろう。
これからますます文明が発展し、人々が様々な議論を行っていく中で、いったいこの主語はどこまで大きくなるのだろうか。人間?もうありそうだ。地球内生命体だろうか?そこまで来ると逆に面白くなる。私はそれを楽しみにしながらSNSを利用していきたい。
最後に、嫌なら見るなと、わざわざ視界に入れてまで怒りを覚える必要はないのではないか。そう思われる方々もいるかもしれない。ごもっともである。そんなあなた方はぜひこんなゴミのような日記を見たことを忘れて幸せに生きていただきたい。匿名ブログありがとう。私のような人間にこうやって意見を吐き出す機会を与えてくれたことに感謝している。ここまで見てくれた方はあまりいらっしゃらないかと思われるが、このような文を読んでいただきありがとうございました。
ポエムともお気持ち表明とも言えない吐き捨て。ツイッターで呟くとTLの空気を悪くするし、掲示板に書くには長すぎるので、ここに吐き出す。本当に無駄に長い。
私がアイドルマスターシンデレラガールズを知ったのは、ちょうど第二回総選挙の発表直後くらいだ。今確認したら2013年5月とか出てきた。時の流れの速さを感じる、こわい。約6年半前に些細なきっかけで担当アイドルに出会ってから、私はシンデレラガールズが大好きだった。アイドルたちのきらびやかなイラスト、読んでいてストレスを感じないテキスト、可愛らしい楽曲たち。1stライブのライビュに参加してからは、年一のライブが人生の楽しみの一つになった。今も担当アイドルたちのことは大好きだし、デレマスというコンテンツのアンチになったわけでもない。ではなぜPを辞めるのかと言えば、理由は大まかに3つある。
まず最初のきっかけは、シンデレラガールズのメインがモバゲー版からスターライトステージになってしまったことだった。
デレステは正直すごいゲームだと思うし、私も最初の数ヶ月は楽しくプレイしていた。だが、イベントをプレイしたりアイドルのコミュを読むたびに、テキストに対して違和感やひっかかりを覚えることが多くなっていった。私幸い担当に致命的な解釈違いを感じることはなかったが、どこかテンプレに寄せられたような違和感を常に感じた。
あとこのゲーム、モバマスに比べて単純に疲れる。これはあくまで私の場合であって、時代遅れのポチポチゲーであるモバマスの方が辛いという人が大多数であるのは分かっている。でも私はモバマスの方が好きだった。だからこそシンデレラといえばデレステ!という空気はつらかった。
それでも、しばらくはモバマスメイン時々ステという形で楽しんでいた。恐らく決定打だったのは、私以外にも多くの引退者を出したであろう声付き新アイドルの追加だった。
一応断っておくと、私の担当アイドルたちは全員声が付いている。それでも、あの四人の追加はショックだった。
それでも最初は知れば好きになれるかもしれないとは思っていた。しかし、自分でもびっくりするほど彼女たちを知ろうという気が起きなかった。
別に嫌いなわけではない。実際、モバマスでライバルユニットとして彼女たちが登場した時も何も思わなかった。本当に興味がわかないのだ。好きの反対は無関心とはよく言ったものである。
あかりとあきらとりあむの三人は、変な言い方だが普通に好きだった。しかし、ちとちよはーなーの四人は知ろうとする気が起きなかった。運営の寵愛というマイナスイメージを自分の中で払拭しようとする気が起きないまま、無関心を貫いてしまった。
デレステのSSR枚数や曲数の格差、Pとアイドルではなくアイドル同士の関係がメインという方向性、モバマスのデレステSSR逆輸入といった些細な不満が積み重なり、少しずつ熱を冷ましていたのだと思う。
今までは周年ライブはLVではあるが、可能な限りは行っていた。しかし、7thは行く気がまったく起きなかった。正直最近はCDも買っていないので曲もほとんどわからない。新アイドルに至っては声すら曖昧。そんな状態で行ったところで、盛り上がれるかどうかもわからないから行かなかった。おそらく私は、もうシンデレラガールズの担当以外の要素が好きではないのだと思う。
まず、ここ数年の某まとめサイトにコメント欄のひどさにドン引きした。元々民度が良いサイトではなかったが、第六回総選挙くらい(ひょっとしたらもっと前からかもしれないが)くらいから、目に見えて酷くなっていった。声なしの子のSSRが来たら「不人気」「売上ガー」とわめく。選挙の時期は圏外になったアイドルを煽る。ついでに上位も煽る。新しいCVが発表されたらまた荒れる。あと最近のSSR衣装のデザインへの文句に対しての「フェミさん」「まんさん」とか言うあの煽り(蔑称?)、自分が女だからというのもあるが、純粋に気持ち悪い。嫌なら見るなということで最近は見ていないが、はっきり言って異常だと思った。
次に、デレマスや中の人への批判を絶対に許さない空気に引いた。元々そういう空気はあったとは思うが、決定打だったのはこずえちゃんに声が付いた時のことだった。思い出エピソード前半の彼女の演技は、はっきり言ってひどかったと思う。合う合わない以前にプロの声優として許される演技ではない、というのが個人的な意見だった。しかしその日ツイッターで一番多く流れてきたのは、「ほかのアイドルも初期とは演技が変わっているから見守ろう」という意見だった。それはまだいい。むしろ過度に荒れないのはよいことだと思う。だが、不満をもらした人に対して「嫌ならやめろ」というのはどうなのか。掲示板などで愚痴を吐いた人に対してそれを咎めるようなレスを送る人がいた。ツイッターで直リプではないにせよ、そういった愚痴に対して苦言を呈するような人もいた。もちろん声優さん本人を攻撃するのはよくないことだが、長い期間待って頑張って総選挙を勝ち抜いて、その末にようやく付いた声がはっきり言って下手だったのなら、愚痴の一つや二つ吐きたくなるのも仕方が無いだろう。それなのに、それすら許されない空気なのは正直担当Pがかわいそうだった。最近も7thライブについて賛否両論があったようだが、「嫌ならやめろ」という言葉を振りかざして批判を押しつぶす様にはうんざりした。
最後に、夢見りあむに対する界隈の空気に心底腹が立った。夢見りあむを面白がって持ち上げて神輿にしておきながら、選挙が終わった途端に次回は圏外かなwwなどと草を生やすオタクどもに腹が立った。りあむのソロが決まったことに対し、もっと先にソロをもらうべきアイドルがいるなどと言って炎上させようとするPに腹が立った。私は最初りあむに大してはすごいキャラが来たな、くらいにしか思っていなかったが、りあむという1人の女の子を完全におもちゃとしてしか見ていない空気に怒りを覚え、りあむのファンになった。アイドルdisや中の人disは許さないなどと綺麗事を吐きながら、りあむをおもちゃにして指を指して笑っているプロデューサーたちに吐き気がした。
これは100%自分の都合だから書くべきかは迷ったが、なんだかんだで一番大きい理由だと思うので一応書いておく。私は6年半前、まだ20代前半のフリーターだった。体力も時間もあったので、ソシャゲを4~6個ほど兼任したりもしていた。しかし、今の私はもうアラサーの正社員だ。昔に比べてお金は増えたが、体力と時間は大幅に減った。ソシャゲももう一個か二個やるのが限界だ。そういった理由で、デレマスにかける時間はどんどん無くなっていき、最近ではゲームにログインすらしなくなってしまった。なんだかんだで、SideMが登場してからはそっちがメインになっていたのも大きいと思う。所詮私も、イケメンが好きな女だったのだ。
担当のことは今でも大好きだし、運営も嫌いな部分はたくさんあるが攻撃したいわけではない。ただ前のように愛せなくなっただけだ。おそらく今後もゲームのアカウントを消すことはないし、担当の出番があればカード絵と劇場を見に行ったりする。サイコミの漫画も引き続き読み続けるし、もし担当に新曲が来て気に入ったら、曲を買ったりもするかもしれない。だが、以前のように担当の為に課金したり、LVに行ったり、担当の布教をすることはないだろう。
界隈にはいたくないがアイドルたちは好きだ。こんな私はもう彼女たちのPではなく、ただのファンなのだろう。なので、ファンらしくこれからは少し離れたところで彼女たちを応援しようと思う。
ネットがつまんないのは自分の感性が鈍ったからというのは間違いない。
今もネットは面白い。面白い体験談や知識がバンバン入ってくる。
でもなんか違う。好奇心と探求心がわかない。
Twitterで滅茶苦茶上手いイラストが流れてきてもいいねして流すだけ。ベルトコンベアみたいに。
作家の個性が見えた同人サイトがpixivに移行した時も同じ型におさまったと感じたが今よりはマシ。
アイコンとヘッダーとツイート。完全に現実の日常と一体化した。
嫌なら見るなよってのはわかってるしもう見てない。絵描きは日常ツイートするななんてアホな事言うつもりはない。
最初は憧れの作家も自分と同じ空の下に居て生活を送ってるんだな、と感じるのは楽しかった。
ただ今はそれがすごく狭い。暴かれすぎている。
「絶望の世界」のICQやらポストペットの下りを読んでるとたまらん。
あの異次元に繋がってる感じ。
[追記]
もっと正確に表現すると「厨二病で非リアにとって今のネットは退屈」だと思った。
「リアルワールドとは別の、怪しいワールドが広がっていて欲しい」という異世界願望が満たされなくなった。
「選ばれた者だけの秘密基地」「こんな時間にアクセスしてるおまいらw」みたいな厨二病ごっこの相手が居なくなった。
近頃のSNSを中心としたインターネットは馬鹿で溢れすぎている。
俺は馬鹿だが馬鹿じゃないし、それに20年くらいネットにどっぷりだったから馬鹿故に最近のゴミっぷりがよくわかっちまうから、言わせてもらう。
「真剣に自分の意見を表明する」なんて下らねえことしてんじゃねえよカス共。
「別に真剣じゃない」なんて言わせねえぞ。この書きこみ見ればわかるだろ。ゴミ共の文章力だと必死にしか見えねえんだよ。
要するに何が言いたいかっていうと、「自分が取るに足らないゴミである」って自覚が最近のネットユーザーには足りないんだよ。
ゴミの分際で面白くもねえ世の中への怒りだとか政治への不満だとか、社会への愚痴だとか一切漏らすんじゃねえよ。
そういうのを垂れ流したいならユーモア交えて笑い話にするくらいの工夫はしろ。
てかリアルで言えリアルで。ゴミみてえな意見を拡散して共感集めて、頭数だけ増やしてゴミを真実にしようとするな。
もっと猫が可愛かったとか、この俳優がかっこよかったとか、あの店の食べもの美味かったとか、ピカチュウが好きだとか。
そういうことだけ書きこんで生きろよゴミどもが。そしたらみんな幸せだろうが。
でも網の目から漏れるみたいに下らない意見()を見ちまうのが実情で、本当不愉快なんだわ。
そんなの気にするくらいだったらPC窓から投げ捨てて可及的速やかに死ねってのも正論だな。よくわかる。
でもまだネットに俺好みの情報が転がってるから抜け出せねえんだ。
だから少しでも、昔みたいなネットに戻って欲しいっていう俺の足掻きだよこれは。
この投稿は「てめえの考えを押しつけるなって押しつけ」で、「インターネットで意見を表明するなって意見の表明」であり、
「ジョーク性のない書きこみをするなっていうジョーク性のない書きこみ」だけどな。
とにかく、俺は俺の過ごしやすいインターネットに復活して欲しいからこんなこと書くわけだけど、
頭の悪い奴らが頭の悪いことを無自覚にしているのが怖いからユーモア欠乏症のやつはスマホとPC捨ててリアルに生きてくれ。
俺を見ろ。こんな無様なブーメランを投げるやつがのうのうと存在してる場所でマジな意見表明してるのってアホみてえじゃねえか?
ネット上で意見を表明しても人生は変わらないし、世の中にそんなことで変わって欲しくない。
こんな駄文に共感してくれるやつがいたら、一緒にみんなヘラヘラ笑いながら使えるネットを取り戻していこうぜ。
頭の悪い奴の書く文章は必ず長い。
献血、ポスター、漫画、オタク、フェミ、赤十字、クリアファイル、コラボ、企画、広告、ターゲット、Win-Win、萌え、エロ、セリフ、煽り、健全、ラブコメ、巨乳、SUGOI DEKAI、タブー、チキンレース、炎上商法、表紙流用、表現の自由、規制、合法、お気持ち、本能、老害、嫌なら見るな、ゲイポスター、献血ボイコット、空想と現実、非実在青少年、実在巨乳女性、差別、マイノリティ、被害妄想、性嫌悪、ミソジニー、公共の場、不快感、普通、麻痺、環境型セクハラ、記号化、まなざす、性的消費、性役割、性規範、党派性、曲解、結論ありき、オールドメディア、ネットリンチ、フィルターバブル、エコーチャンバー、セレクティブエネミー、勝利宣言、議論が深まっ太郎、ブーメラン、どっちもどっち……。
2年ぐらい前から去年まで熱狂的なVtuberオタやっていた。
この子達をなんとか2Dではなく3Dにしてあげてシロちゃんと同じ
ステージに上げてあげたいと思っていたし、実際に一人目が5万人達成した時は
今でも昨日の事のように思い出せる。
そこから3Dのお披露目でシロちゃんと同じ空間ではしゃいでいるのを見た時は
涙すら流して感動した。
それから全員3D化して、MMD公開された後は、ひたすらニコ動でアイドル部関係の
そんなどっぷりアイドル部に浸かっていた自分だが、2月~3月くらいで配信を
ほとんど見なくなった。アーカイブを1.5倍くらいで別作業しながら見るくらいになり、
気が付いたら数人のアーカイブを見るぐらいになった。
このままフェードアウトすると思っていたら、学力テストというあまりに素晴らしい動画が公開された。
夢にまで見た光景に感涙したし、5,6回見たと思う。
で、1周年のライブイベントが来た。
正直、1万というとんでもない値段見てあほくさと思った記憶と音楽活動してないメンツでライブって企画した人間
頭おかしいなと思った。
と、いう事で無視したが、結果は大成功。あの値段にも関わらず見てない奴は
もう飽きていたのと、その空気に付き合え切れないと感じたので、全員のチャンネルとtwitterを解除して、
しばらく経ったのち、二人だけ戻した。アイドル部という枠組みから外して一人のVtuberとして
それからも毎週見てるガリベンガーV、日常動画などで緩いアイドル部のファンとして現在に至る。
現在では、Vtuber関係の動画を一日15分から30分、多くて1時間見る程度のほとんど
Vオタですらない一般視聴者Aぐらいである。ちなみに8分超えるなら1.25倍、10分超えるなら
個人的には正直これぐらいの距離感でいるのがあの界隈に対しては快適だとすら感じている。
熱狂的であると疲れるし、お金が無限に飛ぶ、おまけに頭のおかしい声だけがでかいファンが目に入って不快。
と、いう事で熱狂的なオタから一般視聴者Aになった自分だが、最近早くに距離を取れて
良かったと感じている。
緩くとはいえアイドル部のファンやっているので、最近のアイドル部関係は全部知ってる。
もちろん、いきなりアーカイブ消した事も一か月経ちましたので、アーカイブを
公開しますなんて意味の分からない事を言っていた事も知ってるし、2Dで頑張っている残りの
アイドル部を差し置いてシロちゃんの相方を出そうとして連絡不十分で相手方に告発された事も
知っている。
当然モンペとか嫌なら見るなってつい言っちゃった事も知っている。
それらも「いい加減にしてくれよ」って軽く流していた自分が流石に切れそうになった事が最近あった。
たまちゃんが爆発してしまった事はほぼ一般視聴者Aの自分ですら流石に一線超えた。
更にその後のぐだぐだ。そしてリレーと言いながらほとんど固定メンバーによる配信。
正直あまりにもひどいと思うし、アップランドと仕事する立場でなくて良かったと安堵すらする。
これ以上は口をつぐむ。
例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。
そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。
そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、
「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。
最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター」論点を明確にしよう。
DCコミックスのワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。
しかし、イスラム圏のポスターにワンダーウーマンを描けば非難の対象になるだろう。
だから、「あのイラストがエロいかどうか」は、時と場合による。
つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である。
公共のポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。
つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。
外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。
待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。
半裸の男性のカレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。
つまり、公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。
つぎはDだ。表現の自由は、公共のポスターにも適用されうるか。
表現の不自由展は、「芸術作品の表現が、制限される」という点で問題視されていた。
宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。
クリムトがウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。
ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。
職場にヌードポスターを貼るのは、環境型セクハラに該当する、とされる。
Aの論点において「性的なポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境型セクハラに該当するだろう。
つまり、性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。
性的なポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。
最後にFだ。環境が女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いか、である。
これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。
強化しない、強化する、いずれも明確に証拠を提示するのは、とても困難な作業になる。
女性が男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。
よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。
その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。
さて、こうすると、例えば自分の立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。
B「ゾーニングはできていない」
C「医療は許容度が高い」
これは端的に言えば「環境型セクハラで女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現の自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。
自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールのポスター」であればNGとする立場だ。
環境型セクハラに該当する図案の場合、表現の自由よりも子供の教育環境は優先されるべきと考える。
つまり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。
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さて、長い前フリを読んでくれてありがとう。
JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分の悲劇が喜劇的であることに自覚的になる、悲しい物語だ。
JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。
そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。
アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。
アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分の意志と無関係に笑ってしまうのだ。
劇中には小人症の人物も出てくる。その特性(障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。
現代では、小人症の人物を揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。
同様に、アーサーの症例が精神病として一般に認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。
社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。
たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。
もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。
アーサーがJOKERになったゴッサムシティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスターが掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。
医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、
VRchatで男同士でマスを掻きあうのが羨ましいという趣旨のエントリに触発されて、駄文を書く気分になった。
これは僕のVRChatについての話で、匿名で胸に溜まったもやを吐き出したいという目的のためだけに書かれている。
僕がVRChatに毎日ログインしなくなって久しいが、その引き金となったのは間違いなくJapan Shrineというワールドの死だ。
もちろん、他にもたくさん理由はある。
VRChatをプレイし始めたときに出来たフレンドが少しずついなくなってしまったこともその理由の一つだし、
Twitterのタイムラインに流れてくる知らないプレイヤーのNSFWギリギリのスクリーンショットや、リアルの女装写真もそうだ。
フレンドがいなくなったなら新しく作ればいいとか、Twitterなんて嫌なら見るなと思う方もおられると思うが、僕はVRChatで初めにできる友達はとても大事なものだと思いこんでいるフシがある。VRに対して熱狂し、何もかもが輝いて見える時期に、それを共有できる友人がいることはかけがいのないものなのだと、そう考えている。
だからこそ、友人が人間関係に問題を抱えいなくなってしまったら胸が苦しくなるし、その友人が別のアカウントで知らない人たちとよろしくやっていると知ったら、ゲロを吐くのだ。
Twitterに関しては、全くもってそのとおりだと今では思えるが、日本のオタクコミュニティでTwitterアカウントを持っていないのは当たり前みたいなところに感化されていたと言い訳しておきたい。
Japan Shrineについての話にそろそろ戻りたい。Japan Shrineはその名の通り日本の神社をモチーフにしたワールドだった。
VRChatを知らずにこれを読んでいる人はそう多くないと思うが、一応軽く説明すると、VRChatはユーザーが作った3Dモデルをアップロードして、自分の見た目として使ったり、マップとしてその空間に入ることができる。Japan Shrineは3D空間としてユーザーにアップロードされたワールドの一つだった。
そこには僕が見たこともないような本当の夏があった。目が眩む様な陽射しが照りつけ、セミの声が空から降り注ぐ。そこには単体で完成した夏があった。あとMirror(名前そのまま鏡のオブジェクトのこと。VRChatプレイヤーは可愛い3Dモデルをアバターにする人が多く、自分の可愛い姿を確認したいプレイヤーは誘蛾灯のようにそこに集まるのだ)がなかった。
どこまでも日本的な神社の中で僕は、どうしようもなくうるさいプレイヤーをブロックしながら(当時はまだTrustシステムはなく、一般人も荒らしもみな等しく平等だった。)、どうしようもなくうるさくないプレイヤーと必死にコミュニケーションを試みていた。
当時のJapan Shrineは、Weeaboo寄りの外国人とSNSでバズった韓国人YouTuberの動画を見てやってきた韓国人とPrivateにこもる前の日本人で溢れていた。
自分の好みのアバターをアップロードし、ろくに使ったことのなかった英語で拙い会話を楽しんだ。アニメは見るけど日本語を使うのは初めての外国人と互いの言語のくだらない言葉を教え合い、Unityの使い方を勉強して遊びを仕込んだアバターを見せて笑いあった。
そこには、僕から失われていた人間的なコミュニケーションのかけらがあり、僕たちは帰省先の公園で出会った互いの名前も知らない少年たちのように夏を堪能した。
だが、もうその夏はどこにもない。
VRChatからJapan Shrineは失われてしまった。おそらく永遠に。
Japan Shrineが失われた過程については、ここで語る気にもならないが、最後に幕を引いたのはJapan Shrineの著作者自身なのだから、僕にはその決断を否定することはできない。
僕自身と僕の周りで起きたいくつかの問題によって支えを失いつつあった僕ののVRChatは、Japan Shrineの消失によって最後の土台を失ったように瓦解し、僕は少しずつVRChatにログインしなくなっていった。
とにかく、僕は夏に当てられて、VRChatというツールとともに1年を駆け抜けた。
これはその供養である。
この文を書いている最中に、Japan Shrineの様子が伺えるリンクを見つけたので参考までに、
だが、HMDから見るJapan Shrineは決してこんなものではなかったことだけは主張しておきたい。
https://www.vrcw.net/world/detail/wrld_b2d24c29-1ded-4990-a90d-dd6dcc440300