SNSの素敵な進化によってたくさんの人が思いを吐き出せる世界になった。それが一般化しつつある(もう完全にしたかもしれないが)からこそ私は今こうやって日記を晒すことができる。このことは素晴らしいことだと思う。
また私たちは顔も知らない人達と簡単にコミュニケーションが取れるようになった。これまた素晴らしい恩恵ではないか。顔を合わせないとできないはずだった議論が簡単に行える。ここまではいいのだ。ここまでは。
絶対に私だけが感じていることではないのであろうが、Twitterやブログなどを見ていると、主語の大きさが目につくことが多くなっていることがある。主語の大きさとはなんぞやというと、1人の意見であるにもかかわらず「女性は…………」や「男性は………」など、性別でひとくくりにすることで意見をさも当然であるかのように語ることや「オタクは皆気持ち悪い」「エロいゲームをするやつは犯罪を犯す」など、全員が悪いかのように批判するものなど、大小様々なものがある。
私は女であるが(これをこの場で証明することはできないが)自分が全く思ってもいない意見を「女」という主語で語られると心底嫌になるし、ここに例外がいるぞ、と大声をあげたくなる。きっと他にもこのような方がたくさんいらっしゃるはずだし、苦しんでいるのかもしれない。しかし私たちにはその人たちをどうすることも出来ないのだ。あの人たちはそうすることで得られる快感を覚えてしまったのだろう。諦めるしかないのだろう。
これからますます文明が発展し、人々が様々な議論を行っていく中で、いったいこの主語はどこまで大きくなるのだろうか。人間?もうありそうだ。地球内生命体だろうか?そこまで来ると逆に面白くなる。私はそれを楽しみにしながらSNSを利用していきたい。
最後に、嫌なら見るなと、わざわざ視界に入れてまで怒りを覚える必要はないのではないか。そう思われる方々もいるかもしれない。ごもっともである。そんなあなた方はぜひこんなゴミのような日記を見たことを忘れて幸せに生きていただきたい。匿名ブログありがとう。私のような人間にこうやって意見を吐き出す機会を与えてくれたことに感謝している。ここまで見てくれた方はあまりいらっしゃらないかと思われるが、このような文を読んでいただきありがとうございました。
別にSNSの意見が実名であるという定義があるわけではないと思うが。 個人を特定出来るか、が問題なのであれば増田もある意味「実名」でやるリスクを背負わされる場でもある。