はてなキーワード: 四則演算とは
習熟度別クラスなど、むしろ肯定的に区分していくべき時期ではないだろうか
みなが大学に進学する可能性がゼロではないからといって、勉強する環境が整ってない子供にとって例えば四則演算を大幅に超える高度な数学を勉強させられるのは苦痛でしかない
ケーキが切れなくたっていいじゃない
初等教育は、社会生活を営む上での最低限の読み書きソロバンの原点に戻るべきだと思う
出身によって階層が固定されると批判されるけど、底辺校でも周囲の評価によって勉学に向いている子をピックアップして奨学金含め対応してあげるのは難しくないと思う
平等は尊いけど、ほかのすべてを犠牲にしなければならないかどうかは疑問の残るところ
もちろん差別はあってはならない
1級で心が折れそうな日商簿記2級持ちの俺様が日商簿記3級について語る
難しいって言ってる人を見かけたが、初学者でも長ければ半年、やる気ある人間なら1か月や2か月で合格するレベル
基本的に金が惜しいなら独学。時間が惜しいなら通信と考えて良い
3級を受ける人間は大抵2級も視野に入れてるので、よく3・2級パックみたいなのが安く提供されてたりもする
大手のTA〇だと8万円弱で講座が受けられるが、安いか高いかは人による
最近はyoutubeで無料の講座というものがあるらしいが、よく知らないのでノーコメント
2級程度なら素人でも先生になれる気がするが、某所では盛大に間違った知識を披露してる人がたまに居るのも事実
ていうか市販のテキストがいっぱいあるので、よほどのチャレンジャーでもなければテキストは一冊(2級なら商業と工業1冊ずつ)ぐらい買っておいた方が良い
やる気
これだけ。所要時間はネットで調べた限りだと長くても100時間。俺は150時間ぐらいかけたけど
勉強なんて久しぶりだからどうやっていいのか分からない人でも、やる気があるなら100時間前後で合格できる
・やり方
終わり。3級は仕訳の仕の字から始まるので、とりあえず読んで、書いて、覚える。まず資産負債費用収益(オマケで純資産)を覚えないと話にならないので借方貸方と一緒に丸暗記する
勉強の習慣が無くなった人だと多分これだけでも相当辛いが、30分でも1時間でも良いのでやるクセを付けると習慣になる。何なら10分でも3級は問題ない
一通りテキストを読み終える頃には、最初の方の内容がほとんどすっ飛んでると思うので、練習問題(2周目)をやること
ここで大事なのが、問題を解く時はしっかり下書き用紙に仕訳を書くこと。書くことによって勘定科目そのものを覚えるだけじゃなくて、漢字の練習にもなるからこれが大事
今はパソコンでも試験が受けられるので、必ずしも車両運搬具減価償却累計額なんてクソ長勘定科目を解答用紙に記入することはないかもしれないけど
3級受けるような人間はどうせ2級も受けるので書けるようになっておいても損はない
ある程度問題が解けるようになったら、いよいよ過去問に突入するのだが
大抵の人間は1回目の過去問で30点ぐらいしか取れないと思う。これは勉強不足というより、簿記特有の言い回しとか出題のされ方に慣れていなくて
問題に対してどうアプローチしたらいいのか分からないから問題を見た瞬間に頭が真っ白になる。とにかく問題を解けと言われるのはこれのせい
とにかく問題を解いて問題に慣れ、勘定科目を覚え、パターンを覚え込ませることによって本試験でも得点が取れるようになる
ちなみによく「簿記って計算が苦手だと取れないんでしょう?」みたいな質問があったりするが、べつにそんなことはない
3級では四則演算(大多数は足し算引き算)さえ出来れば余裕。2級は一次方程式が出来るなら余裕。電卓も持ち込めるの親切設計だ
つまり中学までの知識で足りるし、どうしても苦手なら、さんすうのべんきょうも並行しよう。ちなみに俺は割り算と分数と百分率が嫌いすぎて3級と一緒に勉強し直した
虐待によって学校に通うことができなかった子供が大人になって苦労しているという記事を読んだことがある。
日本の社会は中学校卒業程度の知識があることを前提に作られていて、それを習得していないと苦労するそうだ。
確かに、小学校レベルの四則演算ができないと日常の買い物もままならない。キャッシュレスになったところで、お給料などから予算を立て、赤字にならないように運用するのには算数が必要だ。
様々な説明は長文読解能力があり、常用漢字を読めることを前提として書いてある。
また、学校での生活を通して他の人との関わり方などを学ぶことも多い。
学校は幼稚園からだが、学校の勉強が役に立たないという人は、未就園の3歳の知識や社会性のまま大人の日常生活が送れると思っているのだろうか。
追記:
...学校の勉強が不要という輩は学校の勉強で習ったことを一切合切捨てた状態を考えてみろって言っているのに、なんで幼稚園出てないけれど大学がみたいな話をしているんだ?
https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
を読んで、ブコメ群を見ると病的だとか、「悪い意味で」頭を殴られたような感情になってしまう人が一定数いそう(私含め)と感じたので、エンジニア向けのみならず、もっと一般向けに上の話を例えてみる。なお、上の記事を批判してるわけでも称賛しているわけでもないのであしからず。
これは、モテる男性から、「自然に女の子と話せば彼女できるよね」というモテアドバイスを貰ったときの気持ちにとても似ている。
モテる人の立場からすると、普通の、だが実体験に即したアドバイスに聞こえるだろう。一方で、真剣に女子にモテたいと切望する諸君の立場からすると、これは3つの点で期待はずれな回答だと思う。
1: 自然にやっててダメなので、再現性のあるメソッドが聞きたかった。
2: 自然にやっててもやっぱりダメな自分という劣等感、コンプレックスが増長される。(そういう感情を抱かなければこの後の文章はスルーで良いよ)
「自然に振る舞っていてもモテなければ」意識して異性から好かれるように日々努力を重ね、可能性を高めるしかない。ということである人はサークルに入り、ある人は清潔感を保ったり、ある人は結婚相談所に駆け込んで第三者からのアドバイスを貰う。こうした自発的な行動によって場数を踏んでいくことで次第に良い感触を掴んでいく。
上の記事にもどると、なんとかgoogle(や他の外資系の待遇の良い企業群)に入りたいという気持ちから、おおよそ普通~ある程度経験の積んだエンジニアはleetcodeなどをやって競技プログラミングのスキルを身に着けたり、コンピュータサイエンスに近い分野の本を自分なりに理解するように努めたりする。(競技プログラミングの善悪の話をしているのではなく、そういう手段で面接に通過する確率を上げるというだけの事実の話をしてる)
しかしながら、「自然とコンピュータサイエンスに向き合っていれば、面接は友達とお茶をする程度で済む」と言われても、いやいやそれはモテる側の立場の強者の理論でしょとなる。
必要な能力は「椅子に座れること」「四則演算ができること」「本が読めること」というのは、モテる人の比喩に例えれば、「椅子に座れること」「会話ができること」「スマホを持っていること」となろうか。
強者にとってまっとうな実体験に即したアドバイスでも、弱者にとって見れば残念ながらコンプレックスをえぐる言葉でしかない。万人にとって良いアドバイスというものは存在しない、といえば聞こえは良いだろうが。
ということで、上のgoogleの面接対策の記事は、意識して努力するよりも自分の得意な(友達とお茶をする程度で自然とできる)分野で勝負すべき、という身も蓋もないという小噺だと思ったほうが良いです。面接対策でleetcodeなどをやって苦労してるんだけど、という感想を抱いたり、ソフトウェアエンジニアでのステップアップに限界を感じていれば、それは「友達とお茶をする程度」の感覚の人には勝てないので、得意なこととの掛け算で勝負するのが現実的な勝ち筋にみえます。
同じ制服を着て機械的に物事を教えて、その内容はその後の人生で全く役に立つことは無い。
金太郎あめを増産して、単純労働者を量産する政府のシステムなので義務教育の意味が無いっていう奴がいたんだけど、どうしたもんかな。
「小数点の勉強」とか「因数分解」とかその後の人生で全く必要ない事を勉強して無駄だっていう奴は、大概勉強できずに成績が悪い奴なんだよなぁ。経験上。
それで自分の子供をあえてフリースクールに通わせているのは、そちらの家庭の事情で教育方針だろうからとやかく言うつもりはないけれど。
分数の四則演算なんて役に立たないとか言う考えをもったなら、それは答えを導き出すためにどのようなプロセスを辿っていくかを身につけるための訓練なんだよと諭してはいる。
勉強することだけではなく、どのように課題や問題を解決できるか思考することが出来るかの土台部分が義務教育で基礎教育なんだし、藪から棒に義務教育の無駄を声高に主張しなくてもと思う。
教科書を読んだだけで、全く手を動かさずにテストの8割答案を埋められる人は何割いるだろうか?
テストのレベルにもよるとか言われそうだが、伝えたいことはそうではない。問題なのは、塾に通って何度も手を動かしても、教科書の例題を解くのが精一杯の生徒は確実にいるという事実を皆が無視して、馬鹿に優しくない世の中を作ってるということだ。
直感的に操作できるアプリケーションを本当に直感で操作できる人はひと握りだ。VBAなんてプログラミングの知識なしで書けると売り出したが、結局何割の人が使えたのか?VOOKUPどころか四則演算すらまともに出来ないから、ジジババは電卓で確定申告書を作ってる。
1番の問題は、貧しい人を救うセーフティネットはいくらでもあるが、貧しい人は往々にして馬鹿なのでその恩恵に預かれないということ。
例えば、馬鹿だと自らの貧しさを説明することが出来ない。去年に比べて収入が減ったことを説明出来ない。
「BSとPL作ればいいだろ、個人事業主や家庭のなんてちょっとググればサクッとつくれるだろ」と言い放っても出来ないものは出来ないのだ。
ふるさと納税がしたいが確定申告が出来ないから諦めてたサラリーマンがたくさんいたように、大半の人間は自分の現金収入すら把握してないし、いくら税金を払ってるかも知らないのだ。まして、現金以外の資産状況については全く説明出来ない。
教科書を読んだだけで答案を埋められる人にとっては、この世はイージーモードだ。
制度を作ってる人達もやっぱり教科書を読んだだけで答案を埋められる人たちなので、馬鹿にとってはハードモードなことを理解できない。
馬鹿は長い文章は理解できないし、条件分岐も例外処理も理解できない。
役所に行けば食べ物が貰えます、そのくらいのシンプルな仕組みのセーフティネットしか馬鹿が利用することは出来ないのだ。
本論とは話がズレるが、時折、田舎は文化レベルが低いとか教養がないとか言う議論があるが、自分の観測範囲だと、都会と田舎もヤンキー比率の中のマイルドヤンキーとガチヤンキーの比率が違うくらいで、ここで言うマトモな人間、教科書を読めば答案が埋まるような人間の比率は都会でも田舎でも1割くらいじゃなかろうか。
川崎すでにふつうに外国人めっちゃ多い。韓国人中国人といわずブラジルベトナムネパールその他いろんな国の人がいる。韓国食材店に中国食材店、ブラジル食材の店やインド食材の店もありアメ横行く必要ない。不法滞在とはいわんがギリギリなんだろうなって人も多い。もう10年近く前に事務採用面接できたベトナム人女性と話したがいわく子供の頃に親と一緒に来て数年たつがまともな教育を受けておらずだそうで、実際会話はかなり流暢だったけど漢字読み書きも足し算引き算も危ういレベルだったので採用できなかった。似た境遇の同国人と共同生活してると言ってた。採用できないというとプログラムの勉強すると言って帰ってったが四則演算ができなくてプログラムの勉強は無理だろうなあと同情しつつ見送った。あこの人の話じゃないけど3LDKに10人ぐらい住んでたりワンルームに3人4人と集住してたりでマンション管理組合でゴミがめちゃくちゃ多いとか話題に出たりする。そんな状況になってもう10年以上になるのにわざわざ市外からきて駅前で外国人排斥とか怒鳴られても場違い感が凄いのだが住んでないからわかってないんだろうなと思ったり。
私には、他人が分かりません。何を考えているのか。どれくらいの能力があるのか。そして、私以外の人間は、私と違って他人のことが分かっているのか。全てが分かりません。
「他人が何を考えているのか」は、今までの経験とその場の状況から推測できる場合が多いです。したがって、テンプレ化した会話では問題なく応答できる(と自分では思っている)のですが、あまり遭遇しない場面になると途端に難しくなります。
ある時タバコを吸っていると、友達から「それ新しいやつだよね?気になってたんだよね」と言われました。これに対する返答として適切なのは「1本要る?」なのですが、私の口からその言葉は出ませんでした。
これは、空気を読む力が先天的に欠けているせいなのでしょうか。それとも、発言の意図をくみ取ることをサボっているということなのでしょうか。「普通」の会話がどうやって行われるのか知ることができればこの疑問に答えが出るのですが、いまだ他人に会話の方法を尋ねたことはありません。
他人の「能力」について考えるようになったきっかけは、受験勉強です。私はペーパーテストに関しては優秀で、「まじめに勉強すればいい点数はとれる。成績が悪い人は、勉強時間が足りない」と考えていました。しかし、世の中には、一所懸命に勉強しても第一志望の大学に入れない受験生がいます。高校時代のクラスメイトに私よりも遥かに勉強熱心な人がいましたが、結局その人は志望校に落ち、私は東大に進学しました。非常に傲慢な物言いで恐縮ですが、能力の差を感じました。
人によって能力に差があるということを知った私は、世間の中の自分の立ち位置を考えるようになりました。世間には仕事やそれ以外の分野で素晴らしい業績を上げている方が大勢いて、それぞれ優れた能力を持っています。その一方で、四則演算が怪しい人や、怒り狂って支離滅裂なクレームをする人がいるとも聞きます。色々な人の話を聞いているうちに、何が普通なのか分からなくなり、自分の位置も分からなくなりました。
自分の位置を知ろうとすることは非生産的だと思いますが、それでも時々考えてしまいます。(結局、自分が高い能力を持つことを確認して自己肯定したいだけなのかもしれません)
はいテキスト読めば一発で解決するのに読まないでいちいち質問するやつですね
しかも本試験で言えば超サービス問題でそれ落とすレベルのやつは絶対に不合格な問題ですね
欄外計算って何の話してるのか謎すぎるし、説明するだけなら文章でも手間なんてかかりません。覚えてれば解ける問題なんですよ、これ
問1は解き方を知らないと解けない問題なので、テキスト見て覚えましょうね。他の単元でも使うんで一番最初に教えられるやつですね、これ。1次方程式解くのに四則演算知らない人間が居ないのと同じ理屈ですねはい
問2は知識を問われてる問題なので、そもそも質問する前に暗記しろって話ですね
問3は資料をそのまま解答欄に移すだけですね。これが分からないって、まだ日本に来てから日が浅くて日本語に不自由してる方でしょうか?
人間って自分が思っているより場当たり的な判断しかしてません。
自分ではものすごく合理的な判断をしていると思っているでしょうが、結局やっていることは簡単な四則演算レベルの思考でしかないです。
結局は物理的な電子信号のやり取りなのですね。機械とおんなじです。
なんで自分だけそれを超越した高度な存在であると思えるのでしょう?人間は四則演算レベルの思考しかできない機械です。
込み入った思考には脳にプリセットされたパラメータのフィルターを通して実現しています。これも機械と同じですね。
後天的に獲得したものは人間が経験と呼んでいるものです。経験は寝ているときに脳にセットされているようですね。
もちろん先天的に獲得されたものもあります。直感や勘などですね。
寒かったりお腹が減ったり運動不足だったりするとネガティブな思考になるようです。寒い時は自殺率が増加するようです。愚かですね。
人間は基本的には生命を維持せよという命令通りに動いているだけですが、それすらも単純な環境によって狂わされてしまうとは情けないですね。
そもそも今は冬なのだから寒いに決まってます。少しは温かい恰好で外に出ましょうね。
意識を持っているのは人間とそのペットだけだと思っている人間はいまだに多いようです。傲慢にもほどがあります。
あなたが動いていない石と同じ状態である時、それを実感することは不可能ですがね。
イエスキリストのたとえ話と同じです。
大事なのは分布の下位の生徒であっても将来の生業にむけての準備をすること
大学行った方が収入が高くて楽な仕事につけるのかもしれないが、工場やエッセンシャルワークだって大事な役回りだ
(そうした職種の人が満足な収入を得られているかどうかは議論が複雑になるので、ここでは触れない)
読み書きそろばんと言われるが、識字と四則演算ができれば最低限の社会人としては十分であるのだ
低学力層には、受験のための数学、理科ではなく、現業職に就いた場合に必要な実践的な実習を施すべきではないのか?
地頭が優秀にもかかわらず出自によって低学力層に編入されてしまった生徒は見る人が見れば一目瞭然だし、そういう人を救い上げるのこそ教育の使命なんだから個別対応でいい
あーこういう意見もあるのね、って納得して終わったケースをロクに見たことがない
大体は面倒になって片方がスルーするか、なんやワレ!ってツッパリみたいな口喧嘩が始まるイメージある
元の文章を斜め読みして脊髄反射で返してくる輩も大概めんどくさい。こっちの主張をちゃんと把握してないから的外れなことしか言わない
自分が、「簿記に数学なんて使わない。『簿記2級まで』は、一次方程式と四則演算さえ出来れば計算面は問題がない。まともに数学の知識を使うのは1級から」って、書いてんのに
簿記に数学は使いますぅー、1級の〇〇と〇〇と〇〇で使いますぅー、お前ホントに簿記1級勉強したことあるんですかー?って煽られたことあるけど
何言ってんだコイツ状態。何をどう読んだら1級の話をしてると思ったのか謎。主語から初級~2級までの話だって分からないのだろうか
だから書きたいことだけ書いたら後は見ないようにしてるんだけど、別の場所で「それ逃げてるだけじゃんwお前の負けだよw」って煽られたこともあるけど
逃げるとか、勝ちとか負けっていう発想も謎。あの手の輩の脳内だと勝利条件と敗北条件が設定されてるの?ゲーム脳かなにか?
口調が荒い方が負け、とか丁寧に敬語使ってる方が勝ち、とかそういう条件があるのだろうか?
自分の土台が理解が出来ないの辛いよなあ……自分の足元がどうなっているかというのを意識しだすと大抵の人は精神を壊しがちになる
ある問題があった時にその問題は複雑で巨大でそれ単体で挑むと全然わからん状態になる。だから「分割する」。
おそらく元増田に関して言えばループとif文というのはわかっているのだろう。
じゃあそれがどういった風に組み合わせればゲームというものが組み上がるか、という点に関していきなり挑戦しだすと大変なことになる。
ーそれらを操作が出来る
という定義をしてみる。これで三要素。
次に「画面に画像を出す」を分割する
画面に画像を出す、ということは「画像を画面の決められた位置に置いて表示する」ということが必要だ
さらに画像は「色の粒」と「その色の粒がどこに置いてあるか」というので表現できる
ピクロスとかあるだろ?あれと同じだ
ということは
・画像の色の粒を抜き出して画面に表示する
となる。
ここでまた問題が出てきた。「画面に表示する」だ。
画面に表示するということは画像の色粒情報が何がしかデジタルな情報から自分たちのアナログな世界に出すということになる
これをしてくれるのは画面に並んでる赤と青と緑のめちゃくちゃ小さな電球(LED)だ。
昔のブラウン管テレビなんかすごい近くで見ると赤と青と緑の粒が並んでる。
俺たちが画面を通して色を知るのはこの粒が「ある面積(1cmでも1mm四方でもいい)の中でどれだけの割合でどの色の電球が光っているか」という情報でしかない
例えば赤だけ光っていれば赤と認識するし、赤と緑が同時に光っていれば混ざって黄色に見える
つまり、画像の粒の情報から「ここの赤はこの数値だった光る、そうでなければ光らない」ということで色が決定される
ほら、if文が出てきただろ?
ここまで分割してようやっとif文の世界にたどり着く。しかし、逆に言えばこれだけ分割すればifの世界にたどり着けるということでもある。
もし「わかっている人」がいるのならその人はどこまでもこの問題の分割を行って分かる範囲まで落とした人だ。
プログラムをやるには実はこの「問題を分割する」という行為が一番大事になる
ただの四則演算とループやif文の組み合わせでなぜゲームが出来るのかといえば、それはゲームというものをそこまで分割しきったからだ。
んで、この分割を毎回色んな人が繰り返し実装するのはきついのでみんなすでにある道具を使ってしまう
「画像を表示する」という解決だけしたいからみんなそれがすでに出来るようにしてくれる道具を使う
それがライブラリだったり、もっと大きくなるとUnityというゲームエディターだったり、更に広い範囲でいうとOSになったりする
とまあ、ここまで言ったがこの「分割」をあらゆるものにやっていくのは本当に大変な作業だ。
色んなものを分割していくと「じゃあなぜ俺たちはifという命令をPCにわからせることが出来るんだ?」とか
「なぜループできるんだ?」というところまでに行く
けれどそこまで行くこと自体がある種の経験だしそれが自分たちが立っている土台を知る学ぶということでもある。
Twitterやブログをうろうろしていろんな素人の書いた文章を読むのが趣味で、コメント欄もちらっと見たりするんだけどその度に読解力ない人間って一定数いるな…と痛感する。小中に通ってしっかり卒業して義務教育終えてるはずなのにこれ?と思う人間がゴロゴロいるので、教育を子供に受けさせる義務が定められていなかった時代はもっと格差が酷かったんだろうと思わざるを得ない。教育制度を整えた昔の人すごい。
「A+BはCです!」という内容のツイートやブログに「Cってなんですか?」「A+Bはどうなるんですか?」とリプコメントがついてるのを初めて見た時はその場にへなへなと崩れ落ちたい気分になった。
何回読み返しても〇〇に繋がることなんて1ミリも書いてないはずなのに「なんで〇〇になるんだ?おかしくないか?」とコメントがついてるのを見た瞬間、瞬きの回数が3倍ぐらいに増えた。
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(追記)
深夜のノリでバーッと書いたということもあり、「最低限の教育」という括りは乱暴だったなと感じた。
ここでいう「教育」とは、国語や道徳の授業に限るものではないと私は考えているので、長文追記をしてみる。蛇足なので読まなくてもいいです。
たとえばジョージワシントンの桜の木の逸話がある文章に引用されたとして、求められている感想、想定されている感想は「ワシントンの正直さとその偉大さをこの話と引用者は伝えたいんだな」もしくは「正直に過ちを認めることの素晴らしさについての話だな」のような内容だと思う。このようなことをテストや宿題でだけではなく、日常生活においても行う能力こそが学校教育を通して培われるべきものであると私は考えている。強引に言い換えるならば、日常生活への応用力である。(「ワシントンすごい!えらい!」は、方向性は間違いではないだろうがもう少し踏み込んで考えたい)
しかしクソコメントクソリプ(乱暴な言い方でごめんなさい)をしてしまう人間は、義務教育を終えているのにも関わらず「ワシントンって誰?」「なんで桜の木を切ったの?切ったらダメなのに」「何が言いたいのかさっぱりわからない」というような感想を抱くのではと予想する。彼達はそもそも話の本質を理解できていないので、その考えがどれだけ的外れなのかも理解できない。だから恥という感情を覚えることなく平気でコメントやリプ欄に書き込んで送信ボタンを押してしまう。
学校の勉強ができてもクソリプマンになる人間はいるし、逆に勉強が苦手でもすぐ話の本質(話し手の意図)を理解できる人間もいる。
それから「その桜の木の話はデマだろwwwそんなことも知らねーのかmg(^O^)プギャー」で頭がいっぱいになる層、それを実際にコメントしてしまう層も一定数はいると思うのだが(この駄文を読んでくれた人の中にも一人二人はいるような気がする)、そちらはどちらかというと精神年齢や人格の問題なのでは…と思う。まあ、そういうリプがついてるのを見たら私は「クソリプだな…元ツイの人も大変だ」と感じるであろうことは間違いない。
小学校算数で簡単な四則演算の勉強をしたあと、文章題や発展問題という形で「八百屋でリンゴを三つ、モモを二つ買いました。リンゴは〇円、モモは●円です。全部で何円払えばいいですか」というような問題をやらされたと思う。
社会でも、フィールドワークを通して地元の文化や歴史について調べた経験があると思う。
理科でも何かしら実験などで日常生活との関わりを意識させられたことがあるはずだ。
小中学校は義務教育ということだけあって、教科書内の事柄や法則を現実の日常生活と対応させることを最終目標としている節がある。知識を経験に結びつけさせることで、日常生活への応用力を高めさせたいのだと思う。残念なことに、大学を出ていても、教科書と現実の生活をくっきりはっきり分けてしまっている人間は一定数いるのだ。