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はてなキーワード: 呼び方とは

2019-06-17

そうか、政権になった先の動きが見えないんか……せや!(ピコーン)

政権になった時の、今時点で想定されうる各大臣提示すれば良えんちゃうか?

そやなぁ、次を想定した内閣のことだから呼び方は『ネクスト内閣』や! ……あれ?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blogos.com/article/384858/

Twitterに多い病気障害その他不幸の実話(漫画)って大体

理解のある旦那恋人が出てくるんだけどなんでだろうね

やっぱその程度の支える人がいないと漫画とか文章昇華できないのかね

「よし、漫画にしよう…!」という域に達しなかった屍の山みたいなのがあるんじゃないかって思っちゃうんだよね

先月会社の同期にグループLINEで「あい躁鬱病からおかしいwwwww」って書かれて

うーわキッツ…なんかもうイライラして咄嗟に出てくる言葉がそれって怖、呼び方も古いし診断降りてないし双極性にも幅があるのに精神疾患全部一括りに入れてるんだろうなあ…しんど…って。

ちょうど座間とか息子殺しとか某議員診断書提出とかあったから頭おかしいとか絶対精神病だろとか不良品だなんだ色んな言葉が散らかっていて、一緒にしちゃいけないと頭でわかっていても1つにまとまって殴りかかってくるわけで。

「ああ私は現場がしんどくて半日ばかし部分的身体が動かなくなって数ヶ月休んだだけで精神病ってカテゴリで一生間接殴打されていくのか」と憂鬱になった。テレビはとっくの前に切ってる。それでも記事となって目に入ってしまったけど。

それに伴い現状を知ってほしい〜〜と漫画が流れてきたけどやっぱりいるんだよなあ、理解者。

家族もそんなに心配かけたくないし重たい話のためにわざわざ周りに声をかけるのは気が遅れるし、乗ってくる奴がいてもただの面白サンプルとしか思ってなさそうだし、どんな拍子で傷つくかわからないし先生は2週に1回だし

全部話してたら相手が潰れるから使い分けてると思うけど、それでも自分をほぼ確実に肯定してくれるひとがいますって超でかいじゃん、十分じゃんとか思っちゃう。8ページ目ぐらいに出てくるのほほんデフォルメあいつくれよ。いつも離れず後ろに書き込まれてるあいつ。途中から「この病気はこう大変なんです」じゃなくて「こんなに支えてくれるひとたちがいるんです〜」とアピールしてるような気になってくる。んなわけないんだけど。やっぱそういう存在がいないと救いがなさ過ぎとかシビアすぎて商業化できないのかな。そんなの売れないもんね。

バカバカと割り切れと言われたし当然自分にも言い聞かせつつ、未だに2日に1回以上は思い出す。1人で処理してる。薬も適度に飲みつつ。

相手は覚えてないだろうね。そういや身体が動かなくなる前の週かな

現場厳しいから異動したい、人間的な生活の遅れるおすすめの非現場教えてくれ」と尋ねた時も「知らん。非現場しんどいからそんな異動をするなら辞めた方がマシ」って1時間ぐらい叱咤されたな。あのとき私が飄々としてたから後から躁だと思ったのかな。数ヶ月して非現場普通に働いてるのが気に入らないのかな。病んだ人のイメージにそぐわなかったのかなあ。「切り替え早すぎ」みたいな。

そりゃ話すころには頭の中でまとまってるしオチもつけるし聞ける程度にはユーモアも挟みますよ。にしても休んでる間も誰とも連絡してないのに内示すぐ広まって気持ち悪かったなあ。死んでおけば良かったのかしら。死なないけど。

しかし私学の雄、院卒、海外留学マスコミ勤務

一般的には結構フィルターがかけたつもりなんだけどこれでダメだったから、どこまでのひとが同じようなことを言えちゃうのか全く見分けがつかん。それを探るのもしんどいし、そういうことがあるかもと前提にして態度や発言に細心の注意を払うのも無意味な気がする。

さて、寝るか。

2019-06-14

推しを改変するな

推し推しだと言っておきながら改変する奴なんなの。

特定人物に対する呼び方とか、口調とか、性格とか、お前それ変えたら別人じゃんって事平気でやる奴ほんと嫌い。

しかもその界隈では神扱いされてたりして。リアクションに困るわあんなん。誰…以外の感想無いわ。

性的趣向を改変するだけじゃ飽き足らず性格まで変えるとかどうかしてる。

オリキャラでやれ。人の推しを使うな。

2019-06-13

anond:20190613163851

フラワーデモ男性がきて、男女関係なく~とか発言する

司法に男女関係あったら差別だろ。

フェミニズム弱者男性も救う 協力しあえばいい とか男性が言い出す

これを言いながら毎度弱者男性をぶんなぐってるのってフェミ自身じゃん。


君らの「ダブルスタンダード」だよ。適切な呼び方

anond:20190613122352

正論おじさんって呼び方いかにもおじさんが正論しか言ってないみたいだけど、実際は器物損壊とか営業妨害とかしてるから

他人に偉そうに正論吐けるほどまっとうな人間じゃないクズ野郎なのにね

2019-06-12

anond:20190612172655

宗教とかそういうんじゃないから。宗教では呼び方が変わってるだけ

そういうふうにできているってだけ

2019-06-10

anond:20190610010206

薬の飲み過ぎってオーバードーズってカッコいい呼び方あるけど

アルコールの飲み過ぎも症状一緒だからね。

1年前にウォッカ飲んで倒れたけど久々にウォッカ飲んだわ。程度の話。

2019-06-09

今日も女は夫叩き

多分上下関係のくだりが嘘松

2019-06-08

anond:20190607140049

与作→与作どん兵衛どん兵衛 (浅田美代子の飼い犬の呼び方がこうなっていったってちょうどさっき言ってたョ)

2019-06-07

スタディア」のソースが見つからない

Google Stadiaの件です。

Google公式発表を見てる分には「ステイディア」と呼んでいるようだが、ネットを見てると「スタディア」という呼び方をしている人が多い。というかほとんど?

この呼び方ってオフィシャルなのか?どこかにソースありますか?

探し方が悪いのか、どうにも見つけられなくて。

2019-06-06

anond:20190606231939

そう、それはあんまり取り入れたくないの

同じことやってもおなじようなもん(クオリティはそれ以下)しかできないってわかってるから

しろ原作をどこまで自分なりにまげても通用するかを確認したいの

さすがに相互呼び方原作と違うとかはひどすぎ・・・って自分でもげんなり

アップ後最初に目にした人に土下座してまわりたい

 

なお2人め増田だよ

元増田は違う意見かもね

anond:20190606231309

二次創作原作準拠してないのは苗るだろうから

他人二次創作しらべてまわらなくても

「だいたいこういう感じでやればあってる」ってわかる

キャラ設定ガイドラインみたいのどこかにおいてほしい

とはいえ多岐にわたるだろうけど

相互呼び方さえよく間違えてあとでこっそり直す

2019-05-30

[] #74-3「ガクドー」

≪ 前

学童小学生を預かる場所だが、色んな点で学校とは異なる。

なにせ下は1年、上は6年生までが小さな家屋に収まっている。

通っている学校や、性別だってバラバラだ。

そんな狭くて深い空間は、独特な文化社会を作り出す。

例えば、相手を名指しで呼ぶ時。

「マスダ、お前の番やで」

「あ、カンくん。サイコロ振って」

基本は呼び捨てであるが、学年が上の相手へは少しだけ気をつかって「くん」付け。

ちゃうやろ、マスダ弟ぉ」

「え?」

「ワイのことは“カン先輩”と呼べ。“カンくん”とか、むず痒くてかなわん」

または希望愛称で呼ぶよう決まっていた。

「先輩呼びだったら痒くないの?」

「あ~?……なんや、不服なんか? そこまでして“カンくん”って呼びたいんか?」

「う~ん……確かにカンくん”はちょっとキモいね」

「“カンくん”呼びやめろとは言うたけど、ディスってええわけちゃうぞ」

別にルールブックがあるわけじゃない。

ただなんとなく、各々の裁量雰囲気でそうなっていた。

から俺たちみたいに兄弟がいると、少々ややこしかった。

「ねえ、マスダ」

「ん? どっち」

「弟の方。マスダの兄さんじゃない」

俺だったら「マスダ(くん)」または「マスダの兄さん(ちゃん)」。

弟は「マスダ(くん)」または「マスダの弟(くん)」。

面倒くさがりな奴からは「マス兄」、「マス弟」とゾンザイに呼ばれていたこともある。

呼び方がまるで安定しないため、俺たちはしばらく混乱していた。


この独自呼称ルールは、学童所に唯一存在する大人である指導員にもあった。

「なあ、マスダ」

「どっちのこと言ってんの、ハリセン

学童所の指導員は、学校でいう先生みたいな立ち位置に近い。

だが先生はいわず、皆あだ名で呼んでいた。

名前にハリが含まれていたからハリ先生、略して「ハリセン」だ。

本名は知らない。

「ええと、長男の方ね……あ、もしかして次男だったり?」

見た目から来る印象も朧げだ。

よく不精髭をたくわえていたので中年だと思うが、剃った時の顔は20代のようにも見えた。

声は妙に甲高かった気がする。

「ほら、こういうことになるから、肩を叩くなりして呼べばいいって言ったじゃんか」

「ああ、すまん、すまん。どうも忘れっぽくてな」

学童はみんなタメ口で喋ったが、ハリセン咎めることもなくフランクに接した。

しばらく後になって知ったことだが、学童保育に就く人間は、学校教員とは色々と勝手が異なるらしい。

俺たちのあんな態度を気にも留めなかったのは、むしろそっちのほうが自然だったかなのだろう。

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現役校正者が書く校正フローとかの話(追記しました)

現役の校正者です。出版社校閲所属ではありませんので、多くの出版社とお付き合いさせていただいてます

幻冬舎見城徹社長インタビューhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12205_1.php)と、そのブコメ拝読していて、いろいろと解説できることもあるかもしれないな、と思いましたので、一般的校正フローがどういうものか、ということについて、増田で書いてみようかなと思います

注意書き


校正フロー全体の流れ(一般文芸小説などの場合

初校ゲラを作る
  1. 原稿が書き上がる
  2. 書きあがった原稿デザイナー(あるいはDTPオペレーター)に渡される
  3. デザイナーによって組版が行われる(よく「流し込み」と言います
  4. 初校ゲラの完成
初校チェック
  1. 流し込みされた原稿ゲラが、関係各所に渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの初校戻しを編集者が受け取る
再校ゲラを作る
  1. 編集者が、それらの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
    • この段階で、一部の校正指摘は却下されます。一例としては、「誤解による指摘」「著者が過度に傷つきそうな指摘の表現をやんわりしたものに書き換える」などがありえます。誤解なんてないに越したことはないのですが、「意図的な仕込みだとは思うが、ミスだとまずいので念のため伝えておく」というような、杞憂に近い指摘も出てきうるので。
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=初校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正作業をする
  6. 修正されたゲラ=再校ゲラの完成
再校チェック
  1. 再校ゲラが、関係各所にまた渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの再校戻しを編集者が受け取る
完成原稿
  1. 編集者が、校正者・ステークホルダの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=再校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正完了する

この段階で、完成原稿扱い(を目指す)というのが一般的です。なお、上記説明では「完成」の判定を誰が責任を持つのか、デザイナーDTPオペレーターの職分の厳密さ、あたりがすっぽ抜けているんですが、そこの解説は省略させてください。パターンがいろいろありますし、枝葉の話かと思いますので。

とても高い正確性が求められる書籍(例えば辞書)の場合や、再校での修正量が想定以上に多かった場合は、さらに「修正指示が反映されているか」「もう一回読み直し」とサイクルを予定している/追加していく場合もありますが、だいたい多くの書籍では「初校・再校」の合計2回まででまとめていると思います

日本国紀』はあのあり方、ページ数などからみて、三校、四校まで実施しているかもしれません。遠くから眺める限り、いろいろと大物な予感がしますので、ちょっと再校まででは済まない印象がします。単なる勘ですけど。そういう意味では、インタビュー内の「通常の3倍以上」というのは、六校、七校まで実施した、という意味かもしれないな、と思っていたりします8-)

剽窃チェックについて

校正作業を行うにあたっては、「リスク認識した場合、そのリスククリアするためのチェックフローを追加する」というスタイルがよく採用されます。実務に沿って言い換えると、まずは「編集者からの依頼としてチェック項目のリストが渡され、それを元に読み進める。そして、実際に校正作業を進めてみて新たに発見されたリスクについては、適宜、リスクに応じたチェックを追加する」という形です。言葉にすると当たり前なように聞こえるかと思います8-)

これを剽窃チェックにあてはめると、「この原稿にはWikipediaコピペが含まれていそうだ」と判断した場合に、「Wikipediaコピペを検知するための確認作業を追加する」ということになります

Twitterで、小池みきさんが「社内校正ときに「ウィキコピペをしてないかチェックする」って作業があった」とお話されていました(https://twitter.com/monokirk/status/1133240351123099648)が、これは、続きの「ネットに詳しくないおじいちゃん郷土史家とかはけっこうやってしまうので」というのが重要ポイントで、リスクが高い状態がすでに認識されていたからこそ、コピペチェックが定型フローに含まれていた、ということだと思います

なので、「『日本国紀』はWikipediaコピペのチェックもしていないのか?」という問いに関しては、「百田尚樹先生文章について、なんらかの剽窃リスクが高く見積もられていなかったならば編集者から提示された最初校正依頼の項目に『コピペチェック』が含まれていなかったとしても、特別おかしいとまでは言えないと思う」という回答です。

そもそもとして、剽窃絶対にしてはいけない・出版倫理にもとる、というのが大前提なので、「著述家として実績を積み重ねた方であれば、剽窃不適切引用はしていないはず」という認識を基本とするのはわりとベーシックです。例えば飲食店において「お客様は全員きっと食い逃げするに違いない」という強いリスク感を持つのがさほどノーマルではない、みたいなことで、「剽窃あるかもしれない」とは考えますが、「剽窃あるはずだ」と強く疑ってチェックを重ねるのはコストが嵩みすぎる、という判断します。「存在する可能性が高いものを探すコストをかける」のと、「存在しない可能性が高い(と考えられる)ものを探すコストをかける」のは現実的には違うのです。校正作業にも締め切りや予算がありますから

ですから、多くの校正作業においては、「この原稿コピペが入ってるのでは? 剽窃かも?」というリスクをどこかではっきり認識したら、その時点からコピペチェックを追加します。「おそらくあるはずだ」に頭を切り替えるからです。「私の場合は」という但し書きはつきますが、おそらく多くの校正者がそうしているでしょう。

では、「最初偶発的に発見するしかないの?」という問いに関しては、「はい。ある程度は偶然に頼ります」というアンサーです。ですが、ベーシックファクトチェック実施していれば、どのみち辞書インターネット・専門書等を駆使して大半の単語記述を見比べながら読むこととなり、「剽窃不適切引用が多数存在した場合、そのうちのどれかひとつ発見する」という可能性はそこまで低くないと思います特にWikipediaからコピペ発見は多少は期待できます。実際、私自身も何度もそのような経緯でコピペ事例を発見したことがあります検索さまさまです8-)

一方で、参考文献のリストそもそも共有されていなかったり、それが不完全だったりすれば、「どこから引っ張ってきたのか」の見当をつけることさえできないので、かなり発見が難しくなります

日本国紀』で校正フロー機能してない問題全体の話

校正作業チェックリストの項目)は追加すれば追加するほど期間と金コストがかかるし、無限時間をかければ当然ペイしなくなってしまます。なので、特に校正フロー最初においては、クリティカルな点や、質への貢献が高い項目を重点的に校正する、というのが多くの場合の実情です。

作品固有の事情として、『日本国紀』がどういう売り方で、どれくらいの期間、どれくらいの利益企画していたか、ということは外側からではわからないので、「通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります」というコメントから、「じゃあ5年かけろよ」とだけ言って終わらせてしまうのは、理想的ではあるものの、現実的可能かどうかはわかりません。

2019/05/31追記:「通史で」というところもポイントなんですよね。そもそも日本国紀』を通史相当とみなすのか否かから検討されなくてはならない。一般文芸書と学術書では求められるレベル感が違いますもの

金銭時間が膨大にかかる理想をすべての書籍に一律に求めることはできない実情は既にあるので、「『日本国紀』という作品については、どれくらい理想を突き詰められたのか、突き詰めるべきだったか」という評価判断と合わせての評価のほうが、現場にとっては建設的であろうと考えます。これは単に「校正現場にとっては」という話であって、思想云々、歴史云々の話は学術芸術的観点を含むため、また別枠だと思います。今回の増田でそのあたりを取り扱うつもりはありません。校正作業の話だけをします。

最初お断りしたとおり、私は『日本国紀』をまだ手にとっていないので、どれぐらいの校正コストが支払われるべき作品だったのかについて、特に言えることがないです。もしもこの増田に反応が多ければ、その時は目を通してみようと思っています。その場合見積もりのために数日ください;)

現に剽窃事実誤認誤記と見られる(らしい)記述存在したそうですから、「『日本国紀』において校正フロー全体は正しく機能していなかった」は正しいと言えるとして、ではその原因は何か?については妥当な推測ができません。例えば期間や予算がなかった、あるいは校正者の実力自体の不足で、(作品としての理想、読者の皆様からの期待の両面から)求められる成果にそもそも達していなかった可能性はもちろんあります。また、あるいは部分的に達せられていたとしても、編集の方、著者の方にご確認いただく過程で、指摘が却下されている可能性もゼロではありません。

校正者」という個人さらにその校正力にだけ、校正フロー機能不全の責が向かうとすれば、必ずしもそうとは限らないですよ、ということぐらいは言わせてください。

修正一覧を公開すべき論について

私は見たいです。勉強にもなりますし。

……という感想はさておき、インタビュー内の「版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにある」は事実です。また、特段の事情がない場合サイレント修正するのもよくあります

ただ、ごく短い期間で版が何度も更新され、さらに刷りを重ねているとなれば、最新の版以外を「古いもの≒正確でないもの」と認識した上で取り扱ってもらえるのが望ましいでしょうし、その必要性の度合は文芸小説等よりは高いと思います広辞苑記者ハンドブックなどを使用する際に「第◯版を使った」というのが重要視されるように、『日本国紀』第◯版読んだよ、みたいな感じで。

長くなってごめんなさい

増田でこんなに長くていいのかって思いながら書きました。すいません。

2019-05-29

anond:20190529133604

勝手無敵の人呼ばわりされた挙げ句

「お前なんか無敵じゃない」とか「無敵の人とかかっこいい呼び方するな」とか

理不尽なキレ方されてるの見ると確かにサンドバッグだなぁと思う

2019-05-25

ウニって公衆便所の匂いがする塩味スポンジだよね

何が美味しいのか俺には理解できなかった。

磯の香り

生物の死骸とそれに群がるプランクトン匂いじゃないか

馬糞雲丹って呼び方の、馬糞って部分はまさに匂いが馬糞だからだろうな。

いや、馬糞よりも酷いな。

まさに便所臭いだ。

公衆便所の便座の裏に溜まった抹茶色のカス便所スポンジで擦って、それをしゃぶったらこんな味なんだろうなあ。

俺なんてこうやってウニの味を想像するだけで吐き気がしてくるが、ウニが好きな連中はそれを美味い美味いいい匂いだと言って高い金を払うから理解できん。

バカバカしい。

そんなに味わいたきゃ、公衆便所にでもいって便器の縁裏でも舐めてろよ。

きっと同じ味だぜ。

実際やったら感想聞かせてくれよ。

きっと、同じだろうけど、一応気になるからさあ。

2019-05-23

[]

久々にこっちで雑感。

ツイッターとかの明示されたアカウントで語るには取り扱いに困る、そんな話をしたかったのが理由。「お前は敵がつくりてぇの?」って聞かれたら、作りたくもないし、作る意義もないからね。とはいえ、やっぱり語りたくなる。今回の『青のフラッグ』の44話には、そういったパワーがある。

各々に考えがあり、理由がある。そこに普遍的な是非を求めることの危うさ。

いやあ、ほんと。本作は漫画という媒体で、どこまで多元的な考え、人格描写するつもりなんだっていう。面白いかっていわれると、愉快ではないんだけれども。安楽椅子状態での会話がメインって絵的には面白みが薄い。どうしてもセリフばっかりになるし、読者側にエネルギーを要する。しかも本作はスッキリしない。わかりやすく間違っている人間に対して、正しいことを言って溜飲を下げるだとか、そういった明瞭な快活さを与えてくれないのでストレスたまる。それでも評価せざるを得ない話ってこと。

本作は各々が自分なりの考えを持っていて、そこに明確な是非を要求すべきじゃないってのを逐一訴える。今回の女子高生二人の言い分も間違ってはないんだよね。むしろ現代社会の通念上は、正しい寄りの考えと言ってもいい。じゃああの丸刈り君は偏狭性差別者で、“普通じゃない、間違っている人間”なのかっていうと「ちょっと待った」ってなるわけ。私も同性に痴漢されたことはあるからからなくもない。そういった経験から来る嫌悪感普遍的な通念では拭い去れない。読者の中には今回の話を読んでなお、あの丸刈り君をただのクソ野朗で終わらせる人もいるだろうけれども、作中ではそれこそ狭量ではないかと指摘しているようだった。

安易善悪二元論の懐疑。ああいった問題で、正しいだとか間違っているだとかの線引きで考えたり、分かりやす悪者を作り出すことの危うさを作者は知っているんだと思う。作劇として見た場合言語化しすぎてて読み味も良くないんだけれども、本作はそういうのを妥協したくないんだろうなあ。『鈴木先生』を思い出す。大衆が受け入れがたい、スッと入ってこないであろう考え方を大げさに、だけど真っ向から長々と語る。

「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」は名言でも正論でもない。

「好きって感情はいいけど、嫌いって感情ダメ」みたいなセリフが劇中に出てきて、私は「うげえ、また“ツギハギ論”かよ」って思った。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」。『ツギハギ漂流作家』という漫画打ち切り間際に描いたあのセリフ。あの漫画顛末を踏まえた場合逆ギレじみた言い分に近い。けれども、なんだかセリフだけ一人歩きしてしまって名言になった。なってしまった。だから私は“ツギハギ論”って呼んでいる。実際このセリフ安易引用する人間の主張にはツギハギ感があるので、その点でも“ツギハギ論”って呼び方は適格だと個人的に思ってる。

で、ちょっとウンザリしたところで、「好きって感情は良い感情、嫌いって感情は悪い感情って考えは雑すぎる」といった指摘が入る。ああ、そこも言語化ちゃうだっていう。もう完全に私はこの作品に踊らされている。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」の歪さを分かってる。あのセリフが憚って10年以上も経っているのに、まだあれを正論だと思っている人がたくさんいる。あれが大した理屈じゃないことは、好き嫌いについて向き合っているのなら自ずと分かるはず。けれども、好きなもの他人に嫌いだって言って欲しくないという自己保身のために、あのセリフを都合よく使う人は後を絶たない。

好きという感情肯定する以上、嫌いという感情肯定しなきゃ辻褄が合わない。まあ、肯定否定個人感情によるところも大きいので、各々がどういうスタンスをとるかまでは是非を問えないけれども。そのせいで、意見の不一致による衝突は出てくるし、それを避けたいのも人間本能だしね。だからだって、こういう話は後腐れのないところで書く。とはいえ感想書きは、結局この“好き嫌い”を様々な言葉で紡ぐ表現手法の一つなわけで。好き嫌いのものを、片方だけ是としたり、有耶無耶にしたりすると評論としてはむしろ信頼できない。

とはいえ、これを完全に理解するには面倒くさすぎる。

そんなわけで評価はしているけれども、本作はかったるい。言語化しすぎというか、野暮ったいセリフ選びも多い。セリフの少ない場面とかはすごくエモいだけに尚更そう感じる。エンタメという枠組みで見たとき、あれは愉快な描き方ではないし、上手い描き方でもない。「悪役が何かエグいことをやっている」だとか、そういう“エンタメ的には良い不愉快さ”みたいな意味ですらなく。飲み物なしでビスケット食っているみたいな感覚

例えば、同サイトで読めるのだと、『さよならミニスカート』は分かりやすい。あれは良くも悪くも複雑じゃない。いや、人によってはあれでも余剰過ぎるくらい複雑かもしれないけれども、訴えていること自体はすごくシンプルなんだよ、あれは。基礎的なジェンダー規範を取り扱って、それをテーマにしている作品。様々なマンガで、以前から脈々と語られてきたジェンダー論をメインに、現代の人たちに刺さるようドラマティックにリブートしている。だから陳腐とまではいわないけれども、やや表層的ではあると思う。ああいったテーマを多側面的に考えたことのない、一般大衆向け。それ故に刺さりやすいし、読み味も良い。『青のフラッグ』もウケてはいるけれども、作者が想定しているであろう理解力の読者はそこまで多くないと思う。

その点で『さよならミニスカート』は多くの読者に色んな意味で優しい。まあ、テーマ的に何かすごいことをやってる~みたいに持てはやしだしたら危ないと思うけれども。『サウスパーク』とかで登場する、ソーシャルアジェンダに踊らされた大人たちみたいになってしまう。「私たちはそういうのに理解があるよ」といったスタンスゴリ押すことに一切疑問を持たない、実際のところ無理解人間。「社会正義から」、「一般の善良な考えだから」といった、誰かがあらかじめ作っておいた前提で理屈を紡ぎ出す。だから一見すると尤もらしいんだけれども、ちょっと小突かれただけで論理破綻してしまう。

とはいえ、そういった指摘をフィクション世界でわざわざ言語化しても、ほとんどの人はそこまで様々な視点から物事を考えないので伝わりにくい。一般社会の善良そうな考えで生きれば支障はまずないから、考える必要がない。むしろ考えすぎて自我袋小路に入ってしまうこともあるからちょっと無思慮なくらいが丁度良いまである。色々考えていたとしても、個々人の規範一般社会規範をすり合わせる他ないから。『青のフラッグ』のセリフからとるなら「お前は敵がつくりてぇの?」となる。私は御免こうむるし、多くの人も「そんなつもりはない」と言うはず。自覚しているか、実際の行動と矛盾しているってパターンは多いけれども。敵味方っていう構図の作り方が、そもそも履き違えているのを大体の人は分かっている。前提を共有をしていなければ主張の押し付け合いにしかならないし、かといって論理ゲーム本質から遠ざかっている。

そんな感じで、私の中でもまとまっていないので、ここで雑感は終了。ここまで語っておいてなんだけど、こういう特定作品を基に社会論をアレコレ語るのは、どこぞのサブカルくそ野朗みたいで我ながらアレだと思ってる。自分ツイッターじゃあ、絶対こんなこと呟けない。あれこれ考えてしまうから吐き出して解消したいだけで、漫画もっと気楽に楽しみたい派。ぶっちゃけ私は『むとうさとう』レベルの軽いノリでジェンダー取り扱ってる漫画の方が好きだ。

2019-05-18

anond:20190518201156

まあ、スパゲッティパスタであることは間違いないし、好きな呼び方をすればいいさ。( パスタスパゲッティ なんだし。 )

犯罪を犯したけど逮捕されない人の呼び方は、元院長とかメンバーかいろいろあるけど、ガチ無職がそうなったらどうするんだろう。

円居挽伊福部崇



「惑う鳴鳳荘の考察」と探偵映画が似ているという、我孫子武丸氏のこの指摘を読んで、私は訝しみました。

探偵映画は確かに名作です。

ですが、京大ミス出身で、講談社からデビューして、麻耶雄嵩受肉させられたような人間が、こんなベタ作品ネタを被らせるでしょうか?

そこで私は、思い出してしまったのです。

数年前、同じように探偵映画盗作をして話題になった「ホタエナッ!!」という演劇のことを……

これは、伊福部崇さんが「ホタエナッ!!」を盗作として断罪されてしまたことのリベンジとして「惑う鳴鳳荘の考察」を書いた。

そう考えれば、すべてのパズルピースが綺麗にハマるのです!!!

なので、円居挽伊福部崇が同一人物であることを証明します。


性別男性男性

同じなのだから、同一人物であることは疑いようのない、事実

なお、この理論により、辻村深月かかずゆみが同一人物になりますが、どちらもドラえもん関係しているのだから、同一人物に決まっています

職業作家放送作家

放送作家が何をする仕事かわからないけど、どちらも作家とついているのだから、違うはずがない。

なお、この理論により、森見登美彦ふかわげんきが同一人物になりますが、この二人はどちらも「よく可愛い女の子に囲まれてて羨ましい」という、逃れようのない事実としての共通項があるため、同一人物です。

年齢:35歳と43歳

下二桁目と下一桁目が同じ「3」である

これは偽名を名乗るとき自分名前から取ってしまうのと同じ現象

なお、この理論で、似鳥鶏(38歳)と田村ゆかり(43歳)が同一人物になりますが、この場合どちらも「世界一可愛い」という共通点があるため、証明不要です、世界一は一人だけです。

出身大学京都大学大阪芸大

どちらも関西にある変人があつまる大学なので、大阪芸大に入れる人間京大にも入れるに決まっている。

なお、この理論により、梶井基次郎庵野秀明が同一人物になりますが、偏食の庵野秀明檸檬大好き梶井基次郎が同一人物のはずがありません。

出身地:奈良県北海道

奈良には鹿がいて、北海道には熊がいる、どちらも音が二文字漢字が一文字と非常に似ている、おそらく同一の生き物の別の呼び方にちがいない。

同じ生き物が住んでいるのだから、これらは同じ場所に決まっている。

なお、この理論により、森見登美彦奈良県出身)と田中理恵北海道出身)が同一人物になりますが、二人とも配偶者可愛いという疑いようのない真実合致しているため、この理論適応しなくてもよいです。

作品逆転裁判 時間旅行者の逆転とブルコンのテーマ

逆転裁判 時間旅行者の逆転は巧舟モノマネで、ブルコンのテーマには神谷明小野坂昌也などのモノマネをするパートがある、モノマネなんて聞いたことも見たいこともない芸を披露できるのは同一人物から

なお、この理論により、北村薫女子大生モノマネをしていた)と青木佑磨鷲崎健モノマネをしている)が同一人物になりますが、どちらも学生時代への強い憧れがあるという気持ちを抱えているので、同一人物なのは一目瞭然。

好きなもの谷川ニコ天使もえ

谷川ニコ作画原作の二人組で人間は二人いると必ずセックスをするし、天使もえセックスをするのが仕事なので、同一人物

なお、この理論により、岡嶋二人みくちゃんが同一人物になりますが、クラインの壺素人図鑑File-07も同じ胡蝶の夢テーマにした作品なので、この理論によらずとも、同一人物です。

相方青崎有吾と天津向

青崎有吾は「青がつくミステリ作家のじゃないほう」で、天津向は「天津のじゃないほう」で、どちらもじゃないほうなので同一人物

なお、青がつくミステリ作家こと青柳碧人と、天津こと木村卓寛は、多作売れっ子作家一発屋芸人なので同一人物ではありません。

師匠麻耶雄嵩あかほりさとる

「うゆーさん」だの「うゆうさん」だのなんて表現は、ライトノベル以外の何物でもない。

すべてのライトノベル作家あかほりさとるなので、麻耶雄嵩も同様にあかほりさとるである

好きな食べ物松屋と辛いもの

松屋にも辛いものは置いてあるが、伊福部崇が満足するほど辛いものは置いていない。

辛いものが好きなのに、松屋が好きなわけがない。

なので、円居晩と伊福部崇は同一人物ではない!!!

好きな食べ物がまったく違うのに、二人を同一人物として扱うなんて狂っています

二人は固有の人間で、同一人物ではありません。

なお、そもそも別に「惑う鳴鳳荘の考察」は探偵映画のパクりではありません。

また、我孫子武丸関智一は怪盗不思議紳士という作品などで交流があり、あの件は終わっています

なので、もう良い加減に「探偵映画」という言葉を見かけるたびに「伊福部さんがパクったやつだ!!!」とテンションを上げて、このような駄文をしたためるのはやめたほうがいいのです。

以上です。

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