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2022-12-06

音楽チャートアナライザー()観測している

https://anond.hatelabo.jp/20221205215401

これでディスられている自称音楽チャートアナライザー()観測しているが、最近結構方向性おかしいことになっている。

ベストアーティストジャニーズ司会者が他の事務所ボーイズグループ話題を振るかどうかをチェックするのが歌番組大事なんだ!

Ado映像ワイプキンプリがずっと映っていることはAdoに対する侮辱だ!

キンプリ側に忖度している、おかしい!

ボーイズグループパフォーマンスしているときジャニーズワイプに出ない、忖度だ!

コアファンはサブスク解禁にもっと声をあげるべき!!

CDの大量買いでランキング1位になるのは社会を反映していない!オリコンはクソ!ビルボードこそ全て!(要約)

ビルボード中の人と会話して提案したい!

紅白ブッキング担当者と会話したい!なんなら自分ブッキングしたい!

(ちなみに紅白に関しては言及先の記事で上がっている人のほうがずっと追ってる分詳しいしフラット

ビルボードサーバー落ちをしても予算の都合上サーバー増強しないのはおかしい、読み手配慮しろ

ビルボードの発表(無料)が数分遅れたのに謝罪がないのはおかしい、読み手配慮しろ

音楽サイト記事タイトルおかしい、アクセス稼ぎのために派手なタイトルにするのはだめだ!

藤井風の楽曲が人気あるのに触れないのはおかしい(「死ぬ」って言葉を使ってるからだと思うけど)、報道しろ

レコード大賞に安住さんをつかうのは局に忖度する可能性が出る、やめろ!

イーロンマスク辞めろ!

青森ではフジテレビが映らないかワールドカップが見れない!


追記

ビルボードジャパンへの運営に対して苦情に近い指摘(更新時間ちょうどに更新しない、サーバーが落ちるなど)をするわりにビルボードチャートを崇拝している。

かに社会へのヒット」はオリコンより反映しているのだけれど、結局再生キャンペーンファン対策()ランキング操作されるので、それは絶対ではないと思っている。

ビルボードを優先するかオリコンを優先するかなどは運営によって決めればいいと思うし、ビルボードを選ばなかったからといって責められるものではないと思う。

しかしこれらのチャートアナライザー()目標ビルボードではなくオリコンを選んだ場合はここぞとばかりにそのアーティスト批判する。

めいちゃんという歌い手再生キャンペーンを用いて再生回数を増やした時の目標オリコンだった時は本当にひどかった。

また、今度はこんなことを言っている。

今回のチャートポリシー変更がデジタルの充実に向かわせるのではなく、コアファンも含めビルボードジャパン意識しないようになるのではと邪推してしま自分がいます。その危惧現実味を帯びさせないよう、音楽チャート認知拡大やエンタテインメント業界全体での環境改善、また音楽ファン監視の目を持つことは急務と考えます

チャートアナライザー()はそんなに偉いのだろうか。

この人が行っていることは監視でも提案でもない、「自分が思い通りになること」と「思い通りになったとき承認欲求」でしかない。

こんなことを願うのは好きではないが、いつかどこかの界隈が大きく燃やしてくれることを願っている。むしろ今まで炎上していないことのほうが不思議だ。

2022-12-02

anond:20221201235506

全部の話題に同じ人を出そうって発想がそもそもおかしいんやけどな

司会者とか出演者でそういう人が混じるのは別にいいと思うけど、それなら専門家論破しようとかするべきじゃないっていう

そもそも論破とかする必要がないんで、もうちょい生産的な議論をやってほしいなって思うことは多い

ただまぁ一時期の反ワクみたいな、とにかく謎根拠を大量に上げて場を混乱させる集団とかと対峙する時は相手の揚げ足を取れるひろゆきみたいな人がいると場が沈静化することもあるっぽかったので、そういうときのための劇薬としてはすごくいい仕事してたな

2022-11-07

例のコンサートにいってきた

anond:20221104003835

ホットエントリに入っていたので。

せっかく愛知にすんでるし、最近なにかと話題だし、空いてるなら散歩がてらに行ってみようかと。

と、なんとなしに行ったんだが・・・

 

空いてるって聞いてたのに普通にひといっぱいいるやん。

子連れファミリーカップル老年夫婦オタクグループソロプレイヤーなどなど多種多様な人が、そこにはいた。

会場の前の広場にはキッチンカーがずらずら並んでいたり、アウトドアワゴンゴロゴロと引いてる人がいたり。

フェス会場か、ここは。

増田心配はなんだったのか。

集客、ばっちりやないか

 

ま、それはともかく。

せっかくなのでキッチンカー軽食を買って中で食べることにする。

買ったのはジブリとは何の縁もなさそうなホットドックフライドポテト

俺はここに何をしに来たんだっけ?と若干思いつつ、美味そうだったので。(実際旨かったし正解だった)

ポテトつまみながら待っていると、イベントが始まった。

最初司会者がでてくる。

その次に現れたのが、なんと愛知県の大村知事。会場が少しどよめく。

このおっさん、中々の入れ込みよう。どれだけジブリパークに賭けてるんだ?逆に不安になる。

知事挨拶もそこそこに、ようやく真打登場、本名陽子が現れる。

最初に歌ったのはトトロのさんぽ。

え?それいいの?昨日井上あずみが歌ってたんじゃないの?と変な笑いがでたが手拍子しながらのんびり聴く

さんぽが終わると自己紹介プリキュアやったりガンダムでてたりました、とのこと。へーと思いながら、この会場に本名陽子の経歴知りたい人どのくらいいるんだろうと邪念がよぎる。

次に歌ったのがおもひでぽろぽろの曲と猫の恩返しの曲。ここで本名さんの歌が上手いことに気づく。補正なしのカラオケでこれだけ安定して歌えるのすごいなと感心する。

2曲終わると小休止。本名さんが27年前の生台本を持ち出してきてセリフ読み大会が始まる。

「今から3つ、セリフを読みたいと思います。どことどことどこのシーンでしょう?」と会場にクイズを投げかける。

挙手した観客から3人が選ばれ、登壇。わちゃわちゃとしたやりとりのあと、本名さんがセリフを実演して答え合わせ。

参加者にはおみやげサイン色紙プレゼントしていた。ちょっとうらやましい。

そしてここからクライマックス

バイオリン弾きのおばさんが登場する。この人は天沢聖司バイオリン担当していた人らしい。

この人曰く、天沢聖司演奏シーンはこの人の演奏を録画して、それをアニメーターが一枚一枚描き起こしたらしい。

指の運びなんかはもちろん、なんとなしに動かした肩の動きなどまで完璧再現されていたとか。実質天沢聖司やんけ。

そんな紹介があり、いよいよカントリーロード演奏が始まる。

バイオリンイントロが始まる。あーこれこれ!と眠っていた思い出がよみがえってくる。

本名さんの歌が加わる。少し音痴。そして直立不動。その歌と姿を見て、映画のあのシーンを忠実に実演してることに気づく。

ちくしょう、にくいねえ!と思いながら、いつのまにか自然と涙が流れていた。

2人が演奏する後ろにはジブリパークで再現された地球屋が見える。このロケーションシチュエーションが感動させたのか。それとも単純にバイオリンの響きと本名さんの歌声が良すぎたのか。それはわからないがとにかく涙が止まらなかった。

こんなに感動するつもりではなかったのだが。

空いてそうだし散歩がてらに来ただけだったのだが。

ジブリパークにはまだ一歩も足を踏み入れられてないし、チケットも当分取れそうにないけれど、もう十分元は取れたと思うくらい満足してしまった。(無料コンサートで元を取るとはいったいなんなのか自分でもよくわからない)

 

そうして曲が終わり、おおきな拍手がおこり、コンサートは終了。

引き続いて、映画が始まる。

映画感想など今更書くまでもないので省略するが、一言だけ。

久々にみると絵が古いし、設定から話の展開まで何から何まで平成だった。(当たり前だが)

なので良い作品ではあるものの、これを今の令和キッズたちが見て面白いと思うかは微妙なところなのかなと正直思った。

から増田懸念も少しは妥当なのかもしれない。今日は人がいっぱいだったけれども、3年後5年後どうなってるかはわからない。

ジブリパーク、うまくいくことを願います

最後ひとつ

くsssssssssssssssssssssssssssssっそ寒かった!!!!!

映画の序盤くらいから寒さとの戦いに意識が半分以上持っていかれてた。

かに座タイプの野外イベント11月の夜にやらないでください。

以上です。

2022-11-04

anond:20221104121643

数学における問題の定式化(前提条件を明らかにすること、単語定義を正確にすること)が訓練されていない人にとってこんなに難しいんだってことだよな

司会者はどんな戦略でドアを開けるのか?

「片方の子が男」は予め指定した方が男の子という意味なのか、2人のうち少なくとも一方が男の子という意味なのか

こういう所でまず合意がとれてないとその後の議論に何の意味も無いんだが

そこをすっ飛ばして見当違いの事言ってる奴ばっかりなんだよな

2022-11-03

anond:20221031114620

その通り。

Bの扉は「司会が選ばなかった」ということによって情報エントロピーが下がっている。Aが正解だった場合無関係だが(1/3)、2回目に選択を変えるときB、Cが正解だった場合回答者は選ぶ必要がない(選べない)ので2/3(1/3以外の全ての確率)の正答率になる。強いて言うなら司会が「開示しなかった扉」を残した条件付確率だ。

で、山形記事のことはちゃんwikiにも書いてある。サヴァントの引用

人間の出場者が最初に選んだ扉を宇宙人は知らずに司会者がまだ開けられていない2つの扉のどちらかを選択するよう宇宙人に勧めると、この時の確率五分五分になる

山形はパワーバギーとか言ってまぜっかえしているが、宇宙人に関するサヴァントの説明と全く同じで、つまり何も理解していないし、それどころか自分リンクを張ったwiki記述すら読んでいない。

anond:20221031193429

司会者は「答えを知っている」うえに「参加者に得をさせないようにプロデューサーから命令されている」ので、はぎーわぎーなんぞは最初から参加させないよ。

回答者がA、はぎーわぎーがBを選ぶと司会者はCをあけるしかない。そこに優勝商品はいっていたらテレビ的にはもうね、台っ無しなんだ。

から回答者とはぎーわぎーが参加するならDの扉もつくらないといけない。

ちなみに「テレビを盛り上げるルール」を加味してドアを50個くらい用意してヒントあげながら48回くらい移動していいっていったらもっと簡単だろ。

テレビ最後の1vs1を目指して動く。だからヒントとしてなにもない扉を48回連続あけてくれるんだよ。

anond:20221031123337

数学的なことはよくわからん

HWが選んだ扉だろうと外れだったら司会者問答無用で開ける可能性があるよということか

バラエティ的には二人が選んでないかつ外れの扉を開けるはずという思い込みがあるわけだが数学的な設問ではHWが選んでようが何だろうが開ける可能性があると

二人が外れの扉選んで残り一つの扉が当たりだったら司会者どうしようもないもんね

そういう場合問題が変わるわけだ、という理解だがあってるのかどうかは知らん

anond:20221103025030

そう。

司会者が正解を知ったうえで行動していないと、モンティホール問題は成立しない。

anond:20221031123337

ちゃんと前提を共有していないと一つの答えにはならないはず。

山形さんのプログには以下のように書いてある。

ハギーワギーくんは最初、Bのドアを選んでいた。もちろん、場合によっては司会者がBのドアを「ハズレでした」と開けてしま場合もある。

ここから解釈が分かれて、

場合で答えが違ってくるはず。

前者の場合元増田の通りだが、後者場合を考えてみる。

このとき正解がA、B、Cそれぞれである確率回答者選択とは独立なので1/3。

次に「司会者がCを開けた」という事実から導かれるのは「正解はAかB」ということなのでA、Bともに1/2にしかならない(前者の場合との違いは、Aも司会者によってランダムに選ばれる対象にあるかどうかということ)ので選択を変えても変えなくとも同じ。

個人的

あなたは当然、ハギーワギーくんにも選択を変えろと助言する。つまり、BのドアよりもAのドアのほうが確率が高いぞ、と言うわけだ

の部分が引っかかっていて、おそらく山形さんにとってはこの例を出して表現したいのは、「偶然」Cはハズレで司会者も選んだとき司会者がドアを開ける前に何も知らない状態でBを選んだHW君だけ確率が2倍になるのはおかしいという考えなのだと思う。しかしその結果となる前提として「司会者がAを選ぶことはない」なら確かに2倍になるが、「HW君と山形さんのドアもハズレの場合司会者が開けうる」なら確率は上がらないという直感は正しい。これがはっきり明文化されてないので山形さんがどちらを意図しているのかわからないというのが自分感想

2022-11-02

モンティホール問題

「扉を変えない」という選択は、「最初選択が正解だったことに賭ける」ことと同義

「扉を変える」という選択は、「最初選択が外れだったことに賭ける」ことと同義

まり司会者言動はこう言い換えられる。

あなたが今3択から選んだ扉が正解か外れか、どちらかに賭けるとしたら、どうしますか?」

当然、3択から選ぶのは分の悪い賭けだから自分選択は外れていると考える方が合理的

でもやっぱ人間から自分選択合理的以上の自信を持っちゃうんじゃない?それがモンティホール問題につまづく人の本質かも。

2022-11-01

anond:20221101164547

最初に選んだドアが不正解だったとき司会者が開けるのは必ず外れのドアの方、という例外処理コーディングが間違ってるんだろうな。

司会者が残り2つから選ぶとき

の2パターンがある

後者判断司会者がしてる可能性の重みの分、変えたほうが当たりそうな気がする

anond:20221031193429

Wikipedia を見ると以下のような記述があって、これが「ご破算にすると五分五分」の由来?ではないかと思う。

司会者が外れドアを開けた直後に

ステージUFO宇宙人が飛来して

≫残った2つのドアから選択させたら五分五分

ただこれは、持っている情報多寡によって状況判断の正確さが変わる、というだけの話だよね。

宇宙人から見たら 50:50

元の参加者から見たら 33:66

極端な話、正解を知っている司会者から見たら 0:100 で確率も何もない。

宇宙人が現れたからって元参加者から見た確かさが33:66から変わる事はない。そこを混乱してるだけでは?

anond:20221031123337

司会者から最初のAが除外されるのに大層な選択じゃないって元の趣旨よくわからんな。一人二役の想定のほうがわかりやすいだろうか

anond:20221031193429

最初自分が選んだカードの当たり確率は1/3

司会者の選んだ2枚に当たりがある確率は2/3、そこから外れカードを1枚開けて1/2に

自分が選んだカードは1/3の時の1枚、司会者の手元に残ったカードは1/2で当たるカード

で合ってる?

anond:20221031193429

記事を読んで思うに

場合によっては司会者がBのドアを「ハズレでした」と開けてしま場合もある

この「場合」がハギーワギー君にだけ発生して山形氏には発生しない

まり、正解を知っている人間山形氏のドアを選択的に開けない判断をしているから、山形氏とハギーワギー君の確率が変わる

2022-10-31

"ぼくは「モンティホール問題」がよくわからない。" へのアンサー

こんにちは確率論が大好きなJKです。

モンティホール問題」についての山形先生ブログ記事

https://cruel.hatenablog.com/entry/2022/10/30/214634

面白かったので、アンサー増田を書きたいと思います

ブコメでは、上記記事中における確率議論不正確なことを揶揄するコメントも多数見られますが、個人的には、こういう一見逆説的な問題設定を作り、それを上手に言語化されているのがとっても素晴らしいなと思いました。一般に、良い問題を作るには優れたセンス必要で、それと比べれば、(私を含め) 単に問題が解ける人なんてのは大したことないのです。


以下では、該当箇所を引用しながら回答を書いていくので、先に上記記事を読んでいただければ幸いです。

また、表記の都合上、以下ではプレイヤーの「ぼく」を「Y先生」、「ハギーワギーくん」を「HW君」と書きます

★ HW君は選択を変えるべきか

(引用)

理屈はまったく同じだ。あなたは当然、ハギーワギーくんにも選択を変えろと助言する。つまり、BのドアよりもAのドアのほうが確率が高いぞ、と言うわけだ。それは……ぼくが最初に選んでいたやつだ。

結論から言うと、このときHW君は選択を変えるべきではありません

Y先生最初にAのドアを選んでいて、司会者BとCのドアのうちCはハズレだと明かしました。

ここで重要なのはY先生が事前にAのドアを選んでいたという事実ではなく司会者必ずBとCのどちらかのドアしか開かない (Aを開くことはない) ということです。

    であり、これらは同時に起こらない (排反事象である) ので、

      • B または C が当たりの確率 = 2/3

      となります。したがって、

        • 司会者が B と C のうちハズレのドアをあけてくれるので、それらのうち残った方のドアを選ぶ」という戦略をとれば、「もともと B または C が当たりのときに当たりとなります 。よって、これは当たる確率が 2/3 ですね。

        • 一方で、「司会者が B と C のうちハズレのドアをあけてくれたが、断固としてAのドアを選び続ける」という戦略をとれば、「もともと A が当たりのときに当たりとなります。よって、当たる確率が 1/3 です。

        ということで、司会者は必ずBとCのどちらかしか開けない」という制約のおかげで、Aを選び続けるよりも、選択を変えたほうがお得になるという寸法です。


        司会者はHW君がどのドアを選んだかとは関係なく「BかCのどちらかのドア」を開けます。一方、なぜBかCのドアしか開けないのかというと、これはY先生最初に選んだドアがAだからということです。ここに、Y先生とHW君の非対称性があるわけですね。

        ただし、Y先生とHW君との違いはこの点だけであって、仮にCのドアがハズレだと明かされたとすると、Y先生もHW君もBのドアを選んだほうがお得であることに違いはありません。

        ★ なぜY先生が選ばなかったカードにだけ影響が出るのか

        (引用)

        でも……この説明だとハズレドアを一枚あけるという行為、あるいはそれがもたらす情報は、ぼくの選ばなかったカードにだけ影響するようだ。なぜ?

        上記説明で納得いただけた方には、この点は簡単かと思います。上の繰り返しになりますが、「司会者は、(Y先生が選ばなかった) BとCのドアしか開けない」ということが本質であるためです。

        問題の言い方を変えただけで話が変わるの?

        (引用)

        「選んだカードを変えますか?」という問題ではなく「最初選択をご破算にして、どっちか選びなおしてください」という問題設定にしよう。そうなったら、どっちかのドアの後ろに賞品があって、それは等確率から、どっちを選んでも確率は1/2だ。それが、最初にぼくが選んだドアか、そうでないか、というのはまったく問題にならない。そうだよね? (上にあげたWikipediaページにもそう書いてある)。

        残念ながらこの主張は誤りで、問題の言い方を変えただけでは話は変わりません。これも上記の HW 君と一緒ですよね。最初に何を選択していたとかは関係なく、「司会者がBかCのドアのうちハズレのものを開ける」という事実 (Aのドアは開けないという事実) さえ確かであれば、 BとCのうち残ったほうを選べばお得なのは変わりません。

        Wikipedia英語記事ざっと一通り見ましたが、該当箇所は見つからず……

        ★ 選ぶという「想い」で世界は変わるの?

        (引用)

        どうもこの一連の話では、ぼくが最初に「Aの扉を選んだ」というのがずいぶんご大層な意味合いを持ってしまうようだ。でも、「選ぶ」と言ったって何かを変えたわけじゃない。「こっちかなー」と思っただけだ。

        Y先生がAのドアを選んだことを「司会者に伝えた」というのが何より重要ポイントです。この行動によって、司会者は (Aを除外して) 必ずBかCのどちらかしか開けないという状況に立たされるわけです。

        残念ながら、「想う」だけでは世界は変えられず、ちゃん言葉にして伝えなきゃいけないんですね。

        モンティホール問題

        https://cruel.hatenablog.com/entry/2022/10/30/214634

        多分この記事で引っかけたいのは

        ABCつの扉がある

        ① ボクがAを選んで、司会者がCを開ければ、Bの「確率」が2/3になる

        ② ハギーワギーがBを選んで、司会者がCを開ければ、Aの「確率」が2/3になる

        AとBがそれぞれ2/3になっちゃった

        あれれー、おーかしーぞー

        という誘導だろう

        これは「確率」の話であるから

        ①が成立する世界は、ボク視点司会者との閉じた世界

        ②が成立する世界は、ハギーワギー視点司会者との閉じた世界

        独立していてそれらは矛盾しない

        ①と②は別の話だから

        全くもって正しい

        ABCつの扉がある

        ① ボクがAを選んで、司会者がCを開ければ、Bの「確率」が2/3になる

        ② ①の後に、ハギーワギーが選ぶ場合、Bの「確率」は1/2になる

        Bの確率分布が変わっちゃったー

        あれれー、おーかしーぞー

        なんて言わないよな

        物理世界の扉Bには変化がないのに「確率分布」が変わってる、すわ大事件だ、とか思わない

        だって、ハギーワギーは二つのから選択してるのだから

        確率計算する条件が異なれば、確率は変わる

        当たり前の事を「選ぶという「想い」で世界は変わるの?」とか言って認識をずらしてる

        これに「そうだそうだ」と首肯する人は、本当にヤバいから気を付けた方が良い

        2022-10-15

        議論を促すプラットフォーム」作るわ

        anond:20221011190030

        anond:20221012181429

        を書いた増田です

        返信

        リアクション感謝

        トラバはだいたい返信したはずなのでブコメに返信

        sds-page 一意性が担保されてればリアルと結び付ける本人証明不要かな。匿名性も実現できるし。ガス代も登録時に100回くらい発言できるだけ配布すればあとは自身発言NFTを売って稼ぐとかでもいい

        少し考えてみた感じ、そのプラットフォーム自体に本人証明が無くても、発言した本人が任意で他のプラットフォームと紐づけて「誰がそれを言ったか議論においては当面重要な要素だと俺は思ってる)」が分かるようになれば俺としてはオッケーな気もするので、ちょっと検討してみるよ

        いや、「誰が」を未来に残すって意味ではオッケーでもないか

        まあとにかく検討はする

        発言NFTで稼ぐっていうのも最初は「ん?」ってなったんだけど、やりようによっては書籍とかでクローズドに主張を展開して稼がれるよりよっぽど健全かもしれないし、人も集まるかもな

        正直個人的にはNFTまわりと元記事要件絡めると(本人証明無いとしても)実現可能性が全く見えなくてすげえハードル上がるんだけど、要件絶対じゃないし、面白そうだしやるよ

        cinefuk 議論と言いつつチーム戦でワーワーやって、荒らし行為恫喝脅迫も出て「皆が立ち去ったあと最後まで立っていたもの勝利者」みたいなBBSが大多数。議論には公平な調停者・司会者必要で、そのモデル裁判所では

        個人的にはプラットフォームの作り方・在り方次第かなと思うので、細っちょろい腕の見せどころ

        法曹とかの専門家じゃないので間違ってたら本当に申し訳ないしボロクソに指摘して欲しいんだけど、裁判所議論の場として参考になるところとならないところがあって、一概にモデルにはできない

        • 公平であろうとするところ
        • 判例裁判例)を残して後に活かすところ

        なんかは参考になる

        • 法を超えた議論ができないところ
        • 構造的に真に公平になりえないところ

        なんかは参考にならない

        一応補足しとくと、裁判所を悪く言ってるわけじゃないし、参考にならないところも「じゃあどうしよう」って考える材料にする

        公平な調停者・司会者を獲得するには、まず「公平な調停者・司会者とは?」の議論ちゃんとするところから始めなきゃいけないと思う

        それは議論の場を作った次のフェーズの話になるので、現状のフェーズでは個人的には不要

        もちろん現状で実現可能なできる限りの公平を意識はするけどね

        そもそもモデルって言葉自体がすげえ多義的から、俺の解釈違いで「参考にできるところだけ参考にすればいいんだよ」っていう話なら承知した

        俺頑張る、けどみんなにも作って欲しい

        俺みたいな色んな方面素人な奴が一人で作るより、色んな人がそれぞれの立場で各々の考える「みんなに議論を促す場」を作って欲しいと思ってずっと増田に書いてる

        なんでそんな議論させたいの?みたいな話は↑の元記事の方に書いてるので読んで欲しい

        そんでツッコミどころあったら教えて欲しい

        ちなみに俺の場合実現可能性の調査からなので、年単位時間かると思う

        よろしく

        2022-10-11

        オモコロヨッピーひろゆき信者だった

        さっきYoutubeでabemaの沖縄基地問題を討論する番組をみてた。

        ひろゆきVS基地反対派の論客3人で基地問題議論する、みたいな番組

        上記4人にプラス司会者第三者的ポジコメンテーターとしてヨッピー若い女性とサヨクっぽい若者がいる、そんな構成

        番組の中身はひろゆきがひたすら詭弁を弄するだけ、一方の反対派論客3人はそんな中二論客ひろゆきすらまともに制せない話下手、グダグダと話が堂々巡りして時間切れ、っていうくだらないものだったのでどうでもいいんだけど。

        ショックだったのはヨッピーがずっとひろゆき擁護してたんだよね。

        序盤で、最初ひろゆきが言い分をかたる、次に反対派論客が言い分をかたる、その次に第三者ポジコメンテーター感想をいうって流れで、

        若い女性はひろゆき理屈と反対派の感情、どっちも汲み取るわりと中立的コメントをしてたんだけど、

        その次に語り出したヨッピーがひたすらにひろゆき擁護し始めるの。

        ひろゆきさんは本当はこういう風に考えててああいうことをしたんだと思うんですよ」

        とか、ひろゆき本人を目の前にイマジナリーひろゆきを語りながら擁護してて、さすがにひいた。

        イマジナリーひろゆきの大便ができるほど、ひろゆきのこと理解してるってどれだけ好きなのよ。

        まさかこんなところで幻滅するとは思わなかった。

        オモシロ記事だけ読んでいたかったよ。

        2022-09-30

        (その3)PCメーカー9社集結!企画会議!「こんなPC作ってくださ https://anond.hatelabo.jp/20220929235802

        (その3)こういう企画について

        そういうえば平日19:00から始まったんですよね、残業おつであります

        メーカー同士がバトったり険悪ムードになったら面白いのにとか期待しましたが、司会者全権の無難な進行だったのですごく平和だったです。

        淡々としすぎて会議みたいだったので次回はもっとヒートアップしてほしいです。

        ちょっと改善があったらなと感じたことは2点。

        ・音声

        マイクや収録環境の違いが如実に出ているので、できればリハーサルもして下限をさだめてほしい。数ヶ月前とかだとエアコンの音も入っていたであろうし、そんな音拾うと地獄

        動画

        もし予め動画での紹介があることが判明してるのなら、司会者側が動画流してあげればと

        2022-09-02

        お客様は神様です」について

        三波春夫オフィシャルサイト

        お客様は神様です」について

        https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html

        三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます

         ですが、このフレーズ真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます

         

         三波本人が生前インタビューなどでこのフレーズ意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。

         『歌う時に私は、あたか神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですからお客様神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様絶対者、神様なのです』

         歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。

         また、三波春夫舞台お客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。

         そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述最後にご紹介いたしますが、“お客様神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。

         その後、漫才トリオレツゴー三匹さんが「三波春夫でございますお客様は神様です」という表現流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。

         三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。

         しかし、このフレーズ真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店飲食店乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります

         例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています

         また、クレーマーカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります

         このようなフレーズへの誤解は三波春夫生前から有りましたが、言葉文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫ライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。

         “雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。

         16歳で初舞台を踏んだ浪曲世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。

         20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリア捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。

         抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身希望を持って生きるためにも時間を見つけては一所懸命浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。

         戦後浪曲世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服歌手であり、歌手座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。

         永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞エッセイ歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。

         笑顔トレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。

         これらは、若い時に先輩から普段暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。

         

         三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。

         最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます

                               

        株式会社三波クリエイツ 代表取締役 三波美夕紀

         

        三波春夫著『歌藝の天地』

        1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より

           

        お客様は神様です」の発端

         お客様は神様です」という言葉流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。

         皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。

        そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。

         しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉流行ったのではないだろうか?

         私が舞台に立つとき敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物世界を経てきたからではないだろうか。

         つまり浪花節台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである

         われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様いかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。

         お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。

         あれはたしか昭和三十六年の春ころ、ある地方都市学校体育館だった。

        司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。

         「どうですか、三波座長お客様のこの熱気、嬉しいですね」

         「まったくです。僕はさっきから悔やんでいます

         「!?

         「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」

        ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。

        すると、宮尾君はたたみかけて、

         

         「三波さんは、お客様をどう思いますか?」

         「うーむ、お客様神様だと思いますね」

        ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、

         

         「カミサマですか」

         「そうです」

         「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃるナスキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・

         客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから司会者としても一流。漫談うまい

         こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹舞台を見て、おおいに流行らせたのである

        追記

        “翌日から毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいねお客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。

        2022-08-06

        中学生の頃だったか、母にカルトセミナーに連れていかれた。

        少し前から母は「手をかざせば病気が治る。病院人間を薬漬けにして金を貪っている」と度々息巻いていた。その日は日曜日だったので家でゴロゴロしていると、突然「今からセミナーに連れていってあげる!」と外出を促された。


        「興味がないどころか普通に気色悪い、キモい宗教ぽいし。」と言うと、母は「宗教じゃない!!」などと烈火のごとく怒り出した。こちらも反抗期真っ盛りだったのでバチバチに言い争った。雌雄を決したのは母の「来ないなら今月お小遣い無しだから!!」発言だった。当然反論したが、バイトも出来ない中学生にとってお小遣い無しは非常に堪えるものだった。

        セミナー会場は民家と少し離れた山の麓にあった。中へ入ると広いホールがあり、他の参加者は50人ほどで老若男女様々だったが私が最年少だったように思う。まず分かったことは、この集まりは「新規信者獲得キャンペーン」ということだった。既存信者1名につき最低でも1人は知人を連れてこいというノルマだ。母は社交的な性格だったので友人は多いはずだが…。

        司会者挨拶が終わると、突如「では皆様、宇宙創造主天主様への祈りを捧げましょう」と言い出した。その後「我々の事をカルト宗教と呼ぶ人がいるが、それは全くの誤りです」と言っていた。次に壇上に男女5人ほどが上がり、「生まれつきのひどいアトピーハンドパワーで治った」「それまで何年も病院に通っていたのがバカみたいだった」「病気が治って運気も上がり良い会社就職できた」「家族の癌が治って家族仲も深まった」とそれぞれが笑顔で語ると会場全体が拍手に包まれた。

        セミナー開始前は「本当にパワーなんてあるの?」と不安げな様子の人たちも数人いたのだが、そんな空気は完全に消えていた。周りを見渡すと皆一様に笑顔で話に聞き入っていた。「何でも治るんだ!」「すごい!」と顔を見合わせて笑う人たちもいた。ああ皆洗脳されたんだ、とすぐに悟った。すぐにでも会場を飛び出したかったが、山の麓でバスもなく母の車でしか帰れない状態だった。そもそも会場を飛び出たら、信者たちに囲まれ、取って食われるのではないかという思いもあった。当時14、15の子供だった私にはこのセミナー会場が異世界や魔境のように思えた。私もしっかり心酔したように取り繕って、セミナーの終わりを待つより他には無かった。母がカルトにはまった理由が今なら分かる。兄が病弱で1年ほど入院していたことがある。それがちょうどこの頃だった。ちなみに70万円の受講料でハンドパワーを得られるそうだ。

        セミナーから約1年後、叔父が亡くなった。末弟で歳が10ほど離れており、世話焼きな母はそんな弟をとても可愛がっていたらしい。叔父はまだ若かったが、癌が見つかったときには相当進行していた。母は叔父の病室で手かざしを行い「癌はこれで治るのよ」と病室にいた叔父奥さんにも言ったようだ。当然そんなもの甲斐もなく叔父は亡くなった。奥さんは年も離れた義姉の奇行に何も言えなかったのだろう。葬式後、奥さん私たち(=叔父家系)とほぼ絶縁状態になった。それでも母は甥っ子(叔父の子)を不憫に思い、クリスマスには甥っ子宛にお菓子を送ったりしていたが一度も電話すらかかってこないと言う。

         

        今も母の洗脳は解けていないどころか、今度はコロナはただの風邪やら人類削減のための人工ウイルスやら支離滅裂な事を言っているが、もう私も疲れ果ててしまったので放置するより他には無い。最近は母が死んだら葬式には一体誰が来るのだろうかとふと考えてしまう。

        2022-08-03

        anond:20220803144307

        2代目スーパーサッカー司会者 徳永英明降板した時点でみんな知っておる

        この20年遅れ!

        anond:20220803144307

        2代目スーパーサッカー司会者 徳永英明降板した時点でみんな知っておる

        この20年遅れ!

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