はてなキーワード: 司会者とは
確かに公式発表のように暴力は何が理由であっても「よくないものだ」という解釈をするのが成熟した社会というものだと思うけども、
それと同時に他者を侮辱するジョークを言った司会者を「反撃しなかった」という称賛だけして、発言内容について少しも問題視しない主張ってどうなん……??と思ってしまう
誰かの心が傷ついたということに関して、「大したことじゃない ジョークじゃないか」という反応って
他者の感じ方を勝手に却下しているという点で、それこそ暴力的ではないか??
その人が感じたことはその人の感性によって生まれるものなんだから、誰にも否定できないし
ウィル・スミスの行動は衝動的なもので、反省を公表している点から考えると、
もしかすると彼の中で、もっと別の、彼自身の立場を悪くしない主張のあり方も有ったのかもって思うけど
「目の前で殴ったりされると自分が不快だから、自分じゃない誰かが延々と不快を我慢し続けるほうがいい」と言っているのと一緒だと思うんだけど
主張の仕方は過激だったけど、
声をあげるからこそ「ああ、そこにこういう事が”嫌だ”と感じる人が存在するんだな」と、今まで無関心だった人が気が付ける訳で
全ての人に配慮するなんてことは到底不可能だってことはわかりきっているとしても
少なくともあの場で面と向かっていた人間に対しては、俺もよくなかった、お前もよくなかった、どっちも悪かったの両成敗の認識があってもいいのでは?
と
そう思っちゃうな……
…という意味ではなく、実運用ではお気持ちで運用されまくってるのでクソ、というお気持ち表明
今回のアカデミー賞でウィル・スミスがクリス・ロックを殴った件
と、ポリコレがインストールされてない自分から見れば点数は違っても全員赤点なのでダメ、という感想を持ったが
ポリコレをインストールした人達は上記のような感想でびっくりした
別に、これがスタンダップコメディショーならウィル・スミスは空気読めないやつ、と思うけど、アカデミー賞の会場だぞ?!
と、本番当日でもポリコレ感MAXのアカデミー賞だぞ??!!!
がウィル・スミスより問題視されないってことは、ポリコレの「偏見・差別を無くそう」という問題提起は、暴力以外なら「ジョークでした」で解決する、ってコト…?!
こんだけポリコレ感を出しまくってるアカデミー賞でさえこのザマなんだから、ポリコレの「偏見・差別を無くそう」という思想をお気持ちに左右されず運用できる団体は存在しないはず
5年くらい前にアジア系俳優への差別発言して炎上したときに干されたのかと思ったら、また採用されてるんだよねこの司会者
汚い情報戦にうんざりして来た。わかったのは一番戦争が好きなのは軍隊を除くと中道のリベラルって事だ(知ってたけど、再確認した)。異なる意見を渉猟して白い羽根を付けて回っている。楽しくてしょうがないみたい。— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) March 11, 2022
うっわー(頭を抱えてうずくまったのち、お布団に入ってシクシク泣くレベル)。
カマラ・ハリス、果てしなく無能だと思ってたけど、もしこれが本当なら、はっきりと害悪だ。 https://t.co/0hUAKIxnRO— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) March 12, 2022
欧米リベラル憎しであっさりとプーチンの言い分を鵜呑みにして、アメリカのオルタナ右翼のバイデン政権批判を鵜呑みにするイギリス極左支持者。
見事に『情報戦』に引っかかってると思うのだけれど、気づく気もないどころか自ら能動的に引っかかってるようであまりにも残念すぎる。
(2つ目のツイートで引用リツイートされてるツイートの発信者は『ジョン・マイケル・ポソビエクIIIは、アメリカのオルタナ右翼およびオルタナ右翼の政治活動家、テレビ特派員および司会者、陰謀論者、そして挑発者です。(https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Jack_Posobiec の冒頭和訳)』)
昨年末に放送されたNHK紅白歌合戦の世帯視聴率が34.3%で、過去最低となったことを各スポーツ紙がセンセーショナルに報じている。
記事の内容や、記事に対するコメントを読んでみると、演歌歌手が同じ曲ばかり歌うから駄目だとか、紅組司会、白組司会を廃止したのが駄目だとか、
ほとんどは紅白歌合戦の出演者、司会者、番組の質に目を向けたもので、
録画環境の普及、動画配信の普及など、メディア環境の急速な変化に目を向けているものは少ないように思われる。
昨年NHK放送文化研究所が発表したデータによると、10代20代が「1日に15分以上テレビを見る」と答えた割合はおよそ半分で、
5年前と比較しても急激に「テレビ離れ」(地上波テレビ放送離れ)が起こっていることが示唆されている。
もはや「視聴率」という指標は、サブスク、ストリーミング時代におけるCDの売上と同じくらい意味のない指標になりつつある。
正確に言うと、意味はあるが、それを昭和時代と単純に比較したり、番組の質と紐付けることは誤りである。
バブル崩壊後も「良いものを作れば売れる」という神話で高機能化に邁進し、衰退した日本の家電業界のようだ。
日本のインターネットニュースサイトでは、デイリースポーツ、スポニチ、東スポなど、スポーツ新聞が大きな影響力を持っているが、
これらのメディアが新聞やテレビと同じオールドメディアであることを意識している人は少ないように思う。
昨今、日本のデジタル化の遅れが叫ばれているが、日本人に本当に足りないものはデジタル化ではなく
って思ってググったけど、ないじゃん
https://kokkai.ndl.go.jp/#/←このサイト
見たけどわけわかんない
先週のやつしかない
過去の議事録見たけど、最初にばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって名簿とかあって、開会宣言?とかあいさつとかあって、めっちゃ下まで行ったら質疑応答のシーンあったけど
喋り言葉がだらだら書いてあってすっごい長い
なんなの、これ読まなきゃなの?
読めるわけない
法案ごとにプルダウンとかしたいんだけど
なんなのこれ?そういうのできないの?
欲言えば、発言者でソートしたり、そいで司会者の発言非表示にしたり、異議がない答弁?非表示にしたり、したいけど無理じゃん
自分でエクセルに取り込んでソートしろって?めんどくさすぎるよ。せめてそれなら一括ダウンロードさせてよ
ホームにあるカレンダーで適当な日付選択したら、その日の議事録ないし議事録ないなら日付の色変えるとかしてよ。ホットペッパービューティーみたいに出来ないの?
ってか、その日の議事録はないなら、検索結果の画面に「この日は国会がなかったよ」って書いてくれてもよくない?
あと、令和何年第何回何何審議第1号、第2号、第3号って分かれてるけどなんなの?なんでわかれてるの?どういう基準で分けられてるの?知らないんだけど。意味わかんない
第2号はあるのに第1号見つけられなかったりするんだけど、それもわかんない。1号のページから2号に飛べないし。ジャンプラだとそういう機能あるんだけど、国会議員はジャンプラ知らないの?
あとこれは純粋な疑問なんだけど官報のPDFなんで縦書きなの?
それで他も探してて
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/menu_m.htm←このサイトも見つけた
けどこのサイトもわかんない。なんでさっきのサイトとわかれてるん?スマホ用のサイトないし
日付とか書いてないし
HTMLのとこ押したら
って!じゃあなんでリンク踏ませたの!?ギガ減るじゃんバカ!!!!PDFとかギガおっきいから開きたくないのに
しかも開いたらまた!!縦書き!だし!縦書きの字は読めないって言ってるじゃん!!!古文か!!!
今日の国会でどんな質問があって、だいたいどんな感じに答えて何が決まったか知りたいだけなのに…。Yahooニュース見たら重要そうな?内容だけ追えるけど、国会の中身は全然わかんないし
NHKニュースのネット版とかで、「今日の国会まとめ」みたいなやつあるって思ったけどないし
https://www3.nhk.or.jp/news/cat04.html←これ
3分おきとかにニュースがいっぱい書いてあって怖すぎるし全部読むの無理じゃん…
平日の昼間とか普通に仕事あるし、何時間も国会中継に張り付けないからネットで探したのに、なっっっっがい議事録の頭から尻まで読まないとわかんないの?
しかも「今日の国会なにがあったのかな〜」って思っても今日の議事録ないから、一週間待たなきゃじゃん。もうその頃には忘れてるに決まってんじゃん
国民の知る権利?とかのために国会中継あるんだと思うけど、中継はカットとかなくてダラダラ流しっぱなし、議事録も全部書き起こして勝手に読んでねって酷くない?ダラダラ配信するだけの生主じゃん…
自分の目で見て自分で判断するとか、めちゃくちゃ暇じゃないと無理じゃん…
みんなこんなのどうやって民主してんの…
正直国会の仕組みとかよくわかんないし、官報とか急に言われても何!?って感じある
名前は聞いたことあったけど、結局読んでも何の紙なのかわかんなかったわ…
立憲民主党の代表選の開票日を明日に控えているっての言うのに、これが全くと言っていい程盛り上がってない。
とは言え、野党第一党の代表が誰になるのか?という結果は無視できないので、俺個人は立憲民主党の公式チャンネルを始め、動画で見れるものはおおよそ半分程度は観た。
その中で、単純に総理大臣を決める総裁選ではないからという言い逃れはあり得る一方で、単純に盛り上げようがないという理由も強く感じている。
立憲民主党の代表選から垣間見える、立憲民主党の問題とは何だろうか?
大前提となる問題は、おそらく候補者のうちの複数名は勝つ気がない。あるいは勝てない事を前提とした口調、論調が目立つということ。
自民党の総裁選の候補の序列に置き換えた場合、岸田=泉、河野=小川、高市=逢坂、野田=西村 くらいの序列であると思う。
だが、立憲民主党の候補のうちで、逢坂、小川は勝つ気がないというよりも、勝ちたい(または勝ち目がある)と思ってないのでは?と感じる。
自分が政策を強く主張できるタイミングで、西村のアシストをしたり、自分には分からないと無知であることを告げたりするのだ。
立憲民主党の党員の考えは分からんが、勝利を望まない様な言動をする議員を、熱烈なファンであったとしても政党の代表に選べるとは思えない。
あの中に「俺が勝たなければ日本(立憲民主党)は終わる」それくらいの言葉を言える議員は居ない。
この譲り合いの精神からは、「この代表選は、貧乏くじの押し付け合いなのだ」としか見えないから、見てるだけで何とも萎えてくる。
立憲民主党の討論会は多くの場合、議員から議員への質問に答える、という形式で行われる(自民党は、党員や司会者からの質問に答える形が多かった)。NNNの番組で50分取り上げられた時ですら、その形式だった。
議員の複数名が勝ちたくないという前提で出ているのだから、当然と言えば当然かもしれないが、この質問と言うのが予定調和的なのだ。
質問の内容が、現在最も重要な経済・外交・安保・エネルギー政策・コロナ対策といった質問ではない、なんとも答えやすいイデオロギーに沿った質問に終始しているということ。
まだコロナが終息したわけでもないのに、テレビ局に取り上げられてアピールできるタイミングで、コロナ対策については議員から主張の機会を作らず、外国人実習生問題に焦点を当てるのは「温い」と言うしかない。
彼らの間では、これは外国人の人権問題という、誰も反対しないし結論が共通している幸せなテーマについて質問したって、討論会をやる意味がない。予定調和的だ。
些末な問題とは言わないが、優先順位を考えれば、まず語るべきことがあるだろう?と言いたくなる議論をしているのでは、視聴者の関心と支持を得られないだろう。
例えば、志位が毎日のように「共闘は間違いじゃない」「これしかない」「共闘は公約」と援護射撃を続けるので代表選の焦点が共闘になっていく中で、
当然だが視聴者が強く関心を持っている「共産党との野党共闘は失敗だったと結論される事も多いが、やめるのか?」という問いが司会者からは出てくる。
それに対して、「失敗と言われるのは野党に対して厳しい(小選挙制度の事も理解してよ・・・)」と答えてしまうのが彼ら候補者だ。
「候補の一本化は戦術的に重要であるが共産党との政策合意は破棄する、その上で戦術的に候補の一本化で相互の利害が一致するのであれば検討する」くらいの事が言えればいいのだけれど
「共闘しないと戦えないことを理解して欲しい」という泣き言を言ってる様では、共産党との限定的な閣外協力とやらも、実質的には主従関係化するのでは?って不安は消えない。
他にも「原発再稼働するのか?」と言う司会からの問いに対して、「エネルギーの安定供給を考えれば、原発は予備電源として必要だが、でも再稼働とは言わない」という主張を苦し紛れにしている。
再生可能エネルギーで十分だなんてお花畑な事を言う西村候補のような人もいるんだろうが、現時点では再生可能エネルギーが計算できるものではないし、原発・火力発電の発電量は賄えない事は否定しようがない。
故に、「再生可能エネルギーの開発推進は行うが、現時点では十分な供給が計算できるエネルギーではない、だが2050年のカーボンニュートラルと言う目標は重要だ、故に原発再稼働という選択肢は維持する」
と主張していた自民党の各候補の主張は妥当だし、立民も苦し紛れであっても否定しなかったのは立派だと思う。というか、立憲民主党の委員会で原発は選択肢として必要と結論していることが意外だった。
だが、従来の原発即時ゼロを強硬に求めて来た党の主張があるからだろう、小川などはかなり苦しそうに答えていた訳だ。
こんな風に彼らにとって聞かれると苦しくなってしまう質問は相互には行わず、温い質問をして和気あいあいと対話しているから、予定調和的であると感じるわけだ。
選挙に惨敗した後で変化を印象付けたいはずの代表選という絶好のアピールチャンスに、貧乏くじの押し付け合いを和やかに行っている事が、その象徴であると思う。
追求が大好きな立憲民主党ではあるけれど、厳しい問いを投げかけられれば「それは野党には厳しい」と言ってみたりする。
原発ゼロのような如何にも綺麗な主張をしながらも、実際に問題に対処するに当たっては「原発を廃止する事は出来ない」と言う事実を認めたりもする。
この代表選においても、街頭演説となると自民党への批判を威勢よく繰り返してきているのだが、彼らの強気の言葉は、実際に責任を負う立場になれば原発ゼロの様に儚くも消えるものであることを随所に感じさせるのですよ。
なんというか、子供部屋おばさんの様な、甘えた大人の集団なんだなって、そう感じられる事が与党になれない理由なのではないかと思う。
俺個人としては、立憲民主党ってのを改めてよく理解する機会になったので、代表選の討論会を見て良かったとは思うが、敢えて時間を割いて見るようなものではないよ。
あの中では一番マシな大人だし、おそらくは泉が勝つのだろうけど、彼も結局は大したことないなということが良く分かった2週間ではあった。まぁ立憲民主党はこれからも地獄だね。
ashigaru 俺はTBS Sessionの論戦で荻上氏がわざわざ参考にしている経済学者を訊いているのに小川氏以外はほとんど名前を挙げられていないのが気になった。数日後の玉木代表インタビューはすぐイエレンの高圧経済の話が出来た。
まさに、こういう能力不足の実例はキリがないくらいあるのは問題だ。玉木の株だけが近頃は上がり続けているように思う。
例えば、酷い質問ではあるのだが、ある女性党員が「女性議員比率が低い、女性議員を増やすために比例1位を女性にする考えはあるか?」と問うた時の逢坂の解答はこんな感じ
「私はかつて素晴らしい女性議員に出会ったから女性議員の能力はしってるつもりだ。女性議員は増えて欲しいが、立候補を促してもしてくれない事が多い。比例1位は、これまで努力してきた男性議員はどうなるのかという問題もある。」
これでは、答えになってない。曖昧な発言もこうして要約するとある程度理路整然とはしてしまうのだが、実際の逢坂の発言は思い出話8割といったところで酷さがが際立つ印象が残るはずだ。同じ質問に対して泉の場合は
「まず執行部の男女比率を半々にする。これは私が代表になれば実行する。能力のある女性が活躍する事で議員になりたい女性を増やすことが大事だ。比例位については問題があると思う。」
これであれば、出来ないが、他のアプローチでジェンダー問題に対応したいという意思表示にはなっているだろう。
このまともな回答をした泉であっても他の問題では、逢坂の様な回答をしている。立憲の候補者が能力がないのか勝ちたくないから韜晦してるのか良く分からないが、表に見えてる姿は決して見栄えのいい物ではないし、有権者が呆れるだけだろうと思う。
女性チームと男性チームで対戦する形式。各ゲーム毎に司会者が、まず正解を両チームのリーダーのみに教える。両チームからリーダー以外のチームメイトが、1名ずつ解答者としてゲームの場に出る。リーダーが自軍側の解答者役のチームメイトにヒントを出して、チームメイトは連想を頼りに正解を言い当てる。もしも当たらなければ回答権が相手チームに移り、正解が出るまで交互にヒントと回答を続けるというルールだった。例えば、こんな感じである。男「黄色」「ヒヨコ?」ポーン(ハズレの効果音)→女「ケチャップ」「オムレツ?」ポーン→男「お米」「オムライス!」ピンポーン(正解の効果音)
その日は、男性チームのゲストとして、ガッツ石松が出演していた。
各ゲームを始める時は、司会者のアナウンサーが対戦者の名前を先攻・後攻の順に「○○さん・✕✕さん」と軽妙に読み上げた後、先攻者を「○○さん!」と告げてからゲームを開始する。
ゲームが始まった。男性チームのリーダー・加藤芳郎がヒントを出した。
「くるくる」
ガッツ石松は答えた。
「……るんるん?」
ポーン。
会議において、席順で報告をしていくという場面。私は席順が最後だったのだが、私の前の人の報告が済んだらそのまま雑談モードになってしまった。
ひとしきり雑談が終わったところで、司会(上司)は「では次の項目に参ります」と発言、議題が変わりかけた。
ああ、いらないのね私。まあ報告内容はダメダメだし、ちょうどいいや。でも飛ばされたのは故意なんだろうか。わざとやられたのならショックだなー
と思いながら、機嫌が悪いというかなんというか複雑な気分になっていた。司会者(上司)とは折り合いが悪いし。
そんなときに誰かが『あの、増田さんがまだです』と言って司会を止めて、司会は顔をしかめながらも「はい、では増田さん」と私に発言を促した。
私は機嫌が悪く複雑な気分だったから、そこへ突然注目されて、とても気持ち悪かった。緊張して声が出なくて、報告が小声になった。
態度も報告内容もスルーしてほしかったが、内容はやっぱり引っかかって今度は会議室が説教モードへ突入、司会に切り倒されてつらかった(司会者は上司ですし)。
ダメダメな内容報告の原因を問われたので、私はこの失敗の原因は自分の能力が不足していたことによるもので、周囲の人は悪くないとの趣旨を発言したつもりが、
司会者には能力不足を言い訳にして職務を放棄したと誤認されてしまった。司会者は私を咎めに咎め、とても反論できなかった。
周囲の人間は顔を見合わせながら、そんなやる気のないやつに手を貸す必要はないからこれからは無視放置処分で確定なという合意を形成していた。