はてなキーワード: 前障とは
今はしがないフリマアプリの事務スタッフ(カスタマーサポート)だが、昔は関東にある地方自治体で役人をしていた。年末ということで、その頃の思い出を振り返ってみたい。
ちょっと気になる同僚がいたのだ。その人をメインにしてエピソードを書いていく。できるだけ穏便に書かせてもらうが、かなり前のことだしぶっちゃけるかもしれない。
関東地方の比較的田舎にある自治体だった。当時の自分は、26才になる年だった。福祉の部署……『福祉課』としようか(もう少し洒落た名前)。俺はそこにいた。
4月の年度初めだった。同い年の新入職員が配属になった。民間企業に3年勤めて、地元に帰ってきたらしい。
その職員を観たことがあった。何を隠そう、彼と俺は同郷であり、大きい山の上にある公立中学校に通っていた。どちらも地元育ちだ。ただ、当時の彼のことはあまり思い出せなかった。見た目がもっさりしているのは変わらずで、ちょっと日に焼けたかなって感じだった。肥満ではないが、ガリガリというわけでもない。中ほどの体型だ。
自分はというと、専門学校を出て新卒採用後、福祉課に配属されて6年目だった。そろそろ中堅として難しい仕事を~というところにきてた。課のメンバー、という意味ではベテランだ(地方公務員は3,4年で異動が一般的。国家公務員は場合による)。社会福祉法人を指導する仕事の(先輩や上司の)お手伝いをしてたんだが、いよいよ自分が主担当になった。
前年度は、40代の主査級の職員がその仕事を担っていた。20代の自分に務まるか不安だったが、何とかしてやろうって気概に満ちていた。
ところが……上で話した同郷の職員というやつが、いわゆる問題職員だった。福祉課だから、F君としておく。彼は年度当初から、とにかく先輩や上司に怒られていた。同じ課でも違う業務グループだったから(※課の中に係ではなく業務グループがある制度。係制との違いはよくわからん)、そこまで状況は把握してないが、こんな行動傾向だった。
なお、これを書いている時は、はてな匿名ダイアリーで「Bさん」なる概念が流行っていた。Bさんというのは、葬送のフリーレンでいうところの『魔族』である。F君は、その仲間かもしれない。ただ、後で述べるがBさんとは違うような気がする。
・ほうれんそうしない
・判断がつかないことでも押し進める
・注意してきた先輩や上司を睨む
・ミスをしても謝らない
・会議や打ち合わせでしゃべらない。二言三言はしゃべる
・尊大というほどではないが、堂々としている
・飲み会に出たがらない
具体的なエピは、すまないが出せない――まあ、部分的にならいいか。F君が電話を受けて、必要な事項を先輩の人に共有しておらず、叱責を受けていたのを覚えてる。
「おいF。なんで共有しなかった?」
「別にフツーです」
「普通って何なん?」
「わかりません」
「あ!? もっぺん言ってみろや」
ここで先輩が立ち上がった。F君の椅子の前に行って、「きちんとしゃべれや、おい。もしかして、お前障害とかある? 俺のガイジーカウンターが反応してんだよ。正直に言われても、身障みたいには扱えんけどな」みたいなことを言った。そしたらF君は、「怒っても何も解決しないのではないですか?」と確かに言ってた。で、また先輩が「お前、このままやったら駆除すんぞ!! ゴキブリが……」と怒りの声を発した。
惜しむらくも、この当時は職場でのこういう記録をメモしてなかった。上のやり取りはうろ覚えだ。これ以降は、自分の身を守るためにも一応メモするようになった。
で、厳しいやり取りが続いていたが、誰も止めに入らなかった。単純に面倒くさかったのかもしれないし、関わり合いになりたくなかったのだと思う。ある1人の女性職員が、気持ち悪そうな顔をして席を立って、どこかに行った。おそらくストレスなのだろう。
よくキレることで知られた先輩だった。実をいうと……F君がいる施設グループというのは、問題職員が6人中4人(F君含む)を占めていた。人事課からマークされた職員が配属されやすい。
それらの先輩方は、仕事能力は問題なかったが、勤務中にキレたり怒鳴ったり、仕事道具を机の上に叩きつけたり、所得が少ない市民とか、病気や障害がある市民を侮辱する発言を繰り返していた。
いいかげん、上の2人がうるさくてしょうがなかった。先輩はやいのやいの騒いでいるし、F君は不気味なほど冷静にボールを撃ち返している。その内容は覚えてないけど、アドラー心理学の本(岸見一郎が書いた『嫌われる勇気』)みたいだった。「それはあなたの課題でしょ。私の課題じゃないでしょ」みたいな。
『嫌われる勇気』って、すでに嫌われてる人が自分を肯定するために読んでる印象がある。本の表題は『嫌われ続ける勇気』が妥当だろう。
あと、『エッセンシャル思考とか』とか『限りある時間の使い方』みたいな本ってさ、基本は自己中な人が書いて、同じく自己中な人が愛読してる印象がある。合理的なのがそんなに大事なんだろうか。人生には無駄が必要なんじゃないか。自分らしく生きるのが一番いいって、おかしくね? 自分らしくなくても、社会のために生きることって大事なんじゃないかな。こういう本が流行っていると、古来からの伝統的な価値観が解体されてるみたいで気分が悪い。
さて――この『先輩』というのはマジでキレやすい。役所内でも札付きだった。思ったことを何でも口に出す。例えば、福祉課の小さい事業で「特定の高齢者向け福祉用品を買うと2/3を市が負担~」みたいな制度があった。
そんな制度があるのはいいのだが、たまに悪質な業者がいて……社会人経験が豊富な増田読者なら想像がつくと思うが、例えば小売価格10万円の品を「自治体の補助金があるからお得!!」ということで、市民の人(高齢者が多い)に10万円……ではなく、なんと15万円で売るのだ。業者は補助金なしの場合と比べて5万円儲かっている。ひどい業者だと20万を超える。要するに、市のお金が業者にもっていかれている。
その『先輩』は、ある時そんな事案を見つけて、業者に電話してケンカになった。渡り廊下の向こう側まで聞こえるほどの声で、電話口で業者と争っていた。
これを三回くらい叫んでいた。凄まじい勢いだった。相手方の声は聞こえないが、ベイブレード同士がぶつける以上に激しい戦いなのはわかった。
戦いの最後になると、「お前。武蔵野市の会社だったな。都庁と武蔵野市に情報共有しとくからな。覚悟しとけよ、ボー―――――ケッ!!」と叫んだ。そして、ひと呼吸おいた後で、「……お前はもう申請しちゃだめ。申請があっても、受付せずに却下するから。市民の○○さんにはこっちから連絡しとくね」と告げて電話は終わった。
その後、先輩は本当に、同じ県内と都内の地方自治体で、うちと同じ制度をやってるところに注意喚起の電話をしていた。
※数年後にわかったのだが、その先輩は後天的な精神病だった。若手職員の頃に、反社対応の仕事で無理をしすぎて、頭がおかしくなったという話を年配職員から聞いた。現在は退職している。
それはさておき、F君と先輩職員のバトルに戻ろう。俺は、あまりにうるさかったので止めに行こうと思った。先輩職員はヒートアップしていて、口汚い言葉すら発していた。増田では書けないほどの。「お前みたいなゴミはゴミ処理場で引き取ってもらえや」くらいのことは言ってた。
「うるさいぞ、黙れ!」
ようやく止めに入ったのは、F君がいる部署のグループリーダー、係制でいうところの係長だった。民間企業でいうと課長くらいか。普段はマジメで寡黙な人だが、怒るとコワい。例えば、福祉課にいる若い女の子目当てで、弱者男性の職員とか、チャラい見た目の職員とか、おじさん職員とかが話しかけにくることがあるんだが、そのグループリーダーが「お前、職場になにしに来とるんだ。キモイんじゃ帰れ!」と一喝すると、みな一目散に逃げていく。
「ハラスメントですよ」とそんな人達の一部が言い返すと、「じゃあ、人事に行けや人事に。なあ、お前がキモイことしてたの、お前の上司に共有するからな。それでいいな?」と睨み返すのだ。
でも、基本は頼りになる上司だった。普段の事務仕事でも、打合せや会議でも、公式行事やイベントでもマジで頼りになるグループリーダーだった。
先輩職員は、そのグループリーダーから一喝されると押し黙った。F君に向かって「ボケ!!」と叫んでトイレに向かった。F君の顔を見ると、いつものぶっちょう面だった。よく言えばクールで、悪く言うと人間味がない。この時になって、F君の中学校時代を思い出したんだっけ。
当時もこんな感じだった。スポーツは◎で、勉強も○で、家柄も○なのだが、いかんせん、こいつ本当に人間か? というくらい協調性がない。言いたいことをストレートに言い過ぎるのだ……。それでいてわがまま。
先生もよく怒らせていた。もちろん生徒だってそうだ。彼はクラス中に嫌われていた。キャライメージで言うと、ひろゆきがもうちょっと謙虚になった感じのキャラクターだった。プチひろゆきだった。
しかし、本人自体は何かに本気で取り組んでいる。実際、F君は剣道が強かった。関東大会まで勝ち抜いていた。市役所内で後に聞いたところだと、大学の剣道部ではインカレに出場したらしい。
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官公庁が税金で追い出し部屋を作るのは実務上難しい。よって、いろんな部署にある程度の人数の問題職員を押し込めてバランスを取っている。現場に行くタイプの部署や、窓口対応をする部署に多い。優秀な職員は、企画政策室とか財政課とか人事課とか監査室とか議会事務局に行く。一般向けの窓口部署に配属されるのは稀だ。え……心当たりがある?
当時の福祉課は、『陸の孤島』に準ずる部署だった。陸の孤島というのは公務員業界の俗称で、いわゆる水道局とか教育委員会とか支所機関とか、こぢんまりとした事務所がポツンとあるタイプの職場だ。福祉課は、内部に福祉事務所を抱えてるから、本庁舎の中にあるが長い廊下で隔てられている。怒号もあまり市民には聞こえない。いや、福祉課に来客中の人には当然聞こえてしまうが、そこは愛嬌だ。
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F君は……今思えば、そこまで悪くなかった。あの当時は悪い奴だと思っていたが。実際、勤務態度は悪かったよ。ほうれんそうしないし、自分の判断とか解釈を押し通すスタイルだし、上司を上司とも思ってないし、仲間を仲間とも思ってない節すらあった。でも、彼なりに仕事にマジメに取り組んでるのはわかったし、広告代理店で働いてただけあって、公務員側の人間と感性が違うのはしょうがなかった。
ただ、やっぱり協調性はなかったな。人間味もなかった。あれは、なんというんだろう。発達障害とは違う気がする。というのも、職場がヤバい(※業務グループがピンチの意)となった時だと、ほかの職員以上にリーダーシップを発揮したり、イベント参加者を取りまとめたり、困難な事態を打破するような企画を考えたりしていた。その意味では、ちょっと前に増田で流行ったBさんとは違う存在だと思う。仕事ができるBさんだ。人格や人柄は悪いけど。
シロクマ先生のブログを読んでる限りだと、人格性パーソナリティ障害みたいな扱いになるのだろうか。
(当時のF君の印象)
・オフィスソフトの腕に覚えアリ。VBAやAccessもちょっとはイケる。
・窓口のお客さんと難しい局面になっても諦めない。
・彼をよく思わない職員はいたが、市民や取引業者とはトラブルを起こさない。
この時点のF君は、1年目でまだ実力がなかった。別の問題職員からロジハラみたいなのを受けることもあった。とある女性職員(30代半ば。未婚。以下♀とする)がいたのだが、これがまた辛辣だった。
公務員というのは、『様式の中に生きる動物』といっていい。F君の発した伺文書(民間でいう稟議書)を事細かに見て、ミスがあった時はF君を詰っていた。あとは、やっぱり意思決定か。F君の担当業務は、新人らしい、基本的かつ奥深い仕事だった。ジャンルでいうと設備管理とか財産管理だった。その関係で、F君の行動や意見に甘いものがあると、その♀職員が詰ったり、怒ったりするわけだ。
これらはメモに取っている。全部♀の発言にしてるけど、F君は相手にしてなかった。ポツリとは発言してたが、聞き取れなかった。方言は一応そのままにしている。
♀「どうして○○ができひんの?」
♀「それはなぜ?」※何度も繰り返し「なぜ」と訊く
♀「お前、今なにしてた?」
※F君が相手にしないとこう言うことが多い
♀「お前に指導して、金がもらえるんか! おい、私に金払え」
♀「お前の私に対するハラスメント、女性部で問題にしよか? いい?」
※労働組合の女性部。よからぬことをする職員がいると、組合内新聞でさらし者にする。ひどい時だと本人の写真付きで紙面を配布する。
♀「おい、今お前の仲間が来はったで。一緒に帰らんでええの?」
話を聞いてる途中、俺はずっとイライラしてた。繰り返すが、この人は女性だ。増田読者の溜飲を下げるために言わせてもらうと、この人には約二年後に罰が下った。後述。
繰り返すが、この福祉課は陸の孤島に準ずる存在だった。やりたい放題する職員が昔から一定数いたらしい。例えば、市内の製造メーカーが市役所に対して、専門機器や専門器具を卸売価格で売ってくれる制度があった。それを悪用して、自分が購入した後にヤフオクやメルカリで転売する人がいたり……あとは、行事・イベントで大量に余った弁当やお茶やコーラやアクエリアスを、箱単位で家に持って帰る人もいた。
自分が知ってる年配の男性職員にも、そういうことをしてる人がいた。でも、やっぱり天は見てるんだろうな。その人は、飲み会の帰りに酔っぱらって、どっかの店で万引きして捕まってた。で、その年度末に当市から消えることになった。
ところで、変な職員のことばかり書いてきたけど、もちろん大多数は普通の職員だ。人柄がキチンとしてる。あなたが過去に、市役所とかで接客を受けたことがあるような。そんな普通の人たちだ。これだけははっきり言わせてほしい。
序章の締めになるが、増田読者の皆様も、どうか悪いことはしないでほしい。世の中はうまくできている。天は見ている。ぜんぶ自分に跳ね返ってくるのだ。
ここから先は、F君と俺を中心に、記憶に残っているエピソードを述べていく。すまないが、全部で二万字以上はある。まさかこんな文章量になるとは思ってもみなかった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00010000-yomidr-sctch
地獄への道を善意で敷き詰めるナチが集っており、酷く嫌悪感を覚えたため当事者として筆を取りました。
先に結論だけ書くとダウン症を理由に中絶しなければならない世間を産んでいるのは
「一生支援できない人は、他人のこの種の決断に口出ししないでほしい。」
などとのたまう人達、君らだよ
おわり
さて、この問題の当事者として言わせてもらうが「障害者は殺せ!」と声高に叫ぶ人の方がまだマシです。
今の時代はこの手の手合いはなぐり返しやすい、そりゃ理想を言えば0人になってほしいけどさ、そういう人いなくならないでしょ。
無視するなり、黙らせるなり、距離を置くなり、説得するなりできる。
むしろね、最高に悪辣なのって、私は理解者ですよ、といった顔で障害者の淘汰に加担してる偽善者
あのなあ、一生支援できる人なんていねえよバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ
もう本当にバカすぎる、バカ選手権があったら、優勝候補だよ、それは寿命のある個人でやることではなく、寿命のない国や行政、法人しかできない事だよ。
そして国や自治体、法人でやるためには、数が必要なんだよ、障害者の数が。
それなのに、障害を抱えているから〜、そんな理由で堕してりゃそりゃ障害児減るわ、あったりまえじゃん、理解者の顔で親を追い詰めてるのは、そこのスターつけてるお前らだよ
国の支援を先細らせ、
障害児の親の数を減らし
情報を先細らせ
そうして障害児を授かった親が将来に悲観して、堕胎を選びやすくなる、障害児への淘汰圧を産んでいるのは、偽善者の皮を被ったおまえらだよ。
一応確認だけど「誰もが安心して子供を産み育てられる環境があるべき」
とおもっていないってこと?それなら仕方ない、きちんと悪意で地獄への道を舗装していたなら、
けど、もし違うなら「誰もが安心して子供を産み育てられる環境があるべき」
と思っているなら、一応言っといてやる、健常児を安心して産み育てられる環境ってのは
いわんや障害児をや で考えなきゃ本当に一握りの特殊な人しか子供産めなくなるだけだぞ
そんな世界へ加速させる言説はお控えなすってお控えなすって、私はおまえらの善意で地獄に行きたくない
さて、ついでなのでダウン症児を持つ先達として、役に立つ情報もついでに書いておきますね
ダウン症に限らず障害のある子を産んだら速攻でコープ共済の告知不要コースに入りましょう、入院予定が無ければ入れます。
ほけんの窓口的なところを数件回って調べてみましたが、コープ共済以外で障害児が0歳から入れる医療保険はありません。
うちの子は年に3、4回入院するので現時点でも100万円くらい帰ってきてます。
子供の医療費は無料ですが、子供は付き添い入院が必要になるため、どちらかが仕事を休む事になり、大抵の場合収入が減ります
あと無料と言いつつ、なんだかんだで数万とかとられます(期間によりますが)子供の付き添い入院は親の収入保障保険なんて使えないので入院指示がでるまえに、なる早で入りましょう。
すでに入院指示が出ている人も、退院後一定期間たてば入れますので検討にはずっといれておいてください、障害児は5歳までコープ以外の保険無いです。
ちないに付き添いといってもやることはありません
しょせん点滴のチューブが首に絡まって死なないように見てるだけのお仕事なのでたんぽぽ置くより簡単です
次に訪問介護をしてもらえないか主治医に相談しましょううちの子は0歳からきてもらってますが週に数時間でも時間が開くのは助かりますし緊急時はお金積めば日中みてもらえます、身内の葬式とかあると非常に助かりますね
ちなみにうちがお世話になっているところは赤ちゃんの介護は我が家だけなので誰が行くか取り合いだそうです。赤ちゃん可愛いからね、そりゃそうだ。
次に療育手帳を早めに取る計画を立てましょう港区で話題の児童相談所で取ります。
おまえらー、ここメモしとけー、療育手帳とかとるとこなんだぞー
度合いによって療育手帳は、将来二十歳前の福祉年金になります。二十歳前障害年金は、子供自身は年金保険を「一度も納めたことない」のに降りる給付なので普通の老齢年金より要件が厳しくなっており海外に居住すると出なくなったりします、まあそこは20歳以降なのでおいおい調べよう
まずは市役所にいって療育手帳はどこで申請すればよいですかー?と聞きましょう、多分最寄りの児相に電話してねとか言われます。
児相がごにょごにょ言ってきたら嘘でもいいので保育園に早く入れたくてーなどと言えば、何歳くらいから来ていいか教えてくれます(手帳あると保育園も点数アップするよ)
他の障害は知りませんがダウン症だったうちの子を診てもらっている病院では、3歳まで取らないスケジュールで当初は説明されました
が、別に病院は市役所と連携しているわけでは無いので、さっさと市役所いきましょう。うちは満一歳で速攻予約して取りました
療育手帳を取ると、特別児童扶養手当がでます、なお、手帳なしでも特児は申請可能ですが、あった方が出やすいので取れるならさっさと取るべきです。
なんと月に3万〜5万。子供手当てとは別に出ます。おっと収入が800万超えると出なくなるので、自営業の人はちゃんと調整しましょう
振込先は、親名義の口座なので、メイン口座とは別の口座に振込ませて貯めておきましょう、振込手数料は自治体もちです。毎年一月になったらお年玉という事で、たまってる分を子供の口座へ移動してから子供NISAへ入れましょう。特児は20歳までずっと出るので全部投資に回せばうちらが欲しかった不労所得を子供に以下略
療育では子供の成長度合いもちゃんと定量化して教えてくれます。この定量化がすごく良い。この成長率をベースに保育園では、現在3歳なのに1歳児クラスで見てもらってます。
ダウン症児の話をしますがダウン症は成長が遅いです。生まれる前は知能発達だけが遅くて、体は成長していくから
力はあるのに心の成長が遅くて他害とかこまるんだろなーなんて思っていましたが、全然違いました、なんと体の発達も遅いです。といってもうちの子はダウン症用の成長曲線すら割り込むくらいなのでダウン症の中でも悪い方だけどね、三歳の現在で一歳半程度の成長率。
身体的には少し歩く程度、身長体重も一歳半程度、言葉はママ、パパ、マンマ、バイバイあとはダーダーとかぱっぱっぱっぱぱーみたいな破裂音やほぼ喃語みたいなものしか言えず、やっぱり一歳半程度。
ちなみに、歯が生えるのも遅くて一歳なっても生えませんでした。一歳半年でやっと1本という状態、歯くらいふつうに生えてくるんだろうと思っていたので、以外でしたね。
お金に関しては正直かからないどころか増える一方で、むしろ悩みは教育に関して
上の子は両方とも大学附属の私立に入れたのでしばらく悩まないで済むのが救い(地方都市は受験倍率も低く、習い事も都内より安いから教育的に楽です)
ダウン症の末っ子は成長段階が遅いだけで順次進んでいるから成長段階にあわせた学年で学べれば何も悩むことはないし
本来的には健常児であれ障害児であれ発達障害児であれ子供の成長にあわせて学年は選んであげるべきなんですけどそんな柔軟性は行政にありません
単純化した二元論でしか見れていないもんね物事には濃淡があるのにさ
こんな文章を最後まで読んでくれたはてな村のみんなには、くっだらない二元論の世間に加担していないか、今一度自己を振り返って見てもらえれば幸いですよ
そして、腐敗臭漂う二元論は、今年度に置き去りにして新しい元号をお迎えしてもらえればなーと思うわけです。
質問は歓迎しますが、特定に繋がる内容は無視しますのがご容赦を
前述の記事のような状況なので、県×年齢だけでも一桁に絞られ、市内x年齢だけで一人に絞れてしまうので、あしからず
Q タイトル何?
A タイトルはコピーメカさんで作成しました (http://www.copymecha.com)
Q 出生前診断したの?
A しました、何かしらの障害があった場合、情報を集めて準備するためです
という言及をもらったのですが、消されてしまったのでこちらに、追記
生存者バイアスっていうなら、子供がいること自体がもう生存者バイアスだよね
でも、なぜ健常児なら、まだなんとか育てられると思える人がいるか?
みたいなこと書いてあったよね
健常児にはね、情報があるから判断することができる、コントロールすることができると思えるからじゃないかな?と私は思っている
足りない足りないとは思ってるけど、どんな支援があり、どんな保険があり、どんな教育を選べるか
なぜ健常児には情報が取捨選択できるほどあり、障害児にはないか?
結局数だよ、国の支援も、法人からの支援も、NPOからの支援もすべて、支援されるべき人の数がポイント
例えばね、うちではダウン症などの知的な子への早期教育としての歴史を持つモンテッソーリを受けさせたかったから、近所調べたけど健常児でうまってるわけだ。
そこで、親である私達がモンテッソーリの教師になればいいんでね?と思い、先生になるためのスクール通うことも検討したんだよね
でも嫁さんから、親が教師だとどうしても子供にとっても難しいとの懸念が示され、それならば先生になりたい人を集めて、団体作れば?まで検討はしたんだ
から断念した。多少のサイズがあれば、助成金もだせるって市役所と話し合いまでしたんだけどね。
人は集団で生活する社会性の生き物でさ、社会を形成できる数がいないと、支援すらろくに行き渡せることができないんだよね
そう思わない?
※から、はてな記法よくわかんないんだけど、Markdownでいう > ってどーやんの?
障害児が減ったら障害児へのケアが先細るって、増えてる高齢者のケアは先細ってるんだけど。。。
ただこれも実はわかりきってる問題があって
最盛期がわかっていて、その後減ることが明確にわかってるからだよ
今の数に合わせて箱作っても維持できない
モンテッソーリ教育ってめっちゃ金かかるって聞いてるんだけど、検討できるぐらい増田のとこ稼いでるのか気になる。
モンテッソーリ取り入れてる保育園が市内にあってそこ入れたかったんだよね、次の10月から消費税増税で無料化される予定なので、私のお金はあまり関係がないよん
その時に思うことが、若い子って店員に全然文句いわねーんだな、と。
明らかに向こうの不手際だとしても、別にいいですよの一言で、しかも怒りや不満を我慢してる様子でもない。
ある時、ふと思い出した。
店員の不手際を見つけるたびに店員に説教かます親父が恥ずかしかったし怖かったし、とにかく嫌だった。
間違えたくらいでギャーギャー言いすぎだし、こんなのを大人しく聞かなきゃいけないのが大人だとしたら
あれ、もしかしてこれっていつのまにか俺が親父に近づいていたのか。
今の若い子って俺と飯行くとき昔の俺みたいに今の俺を見ているのかもしれない。
若い子と飯行って店員に何度か文句を言った時に真っ先に身内であるはずの若い子たちに必死に止められたのを覚えている。
だから俺は昔の俺の気持ちにさせないように若い子と外食行くときはたとえ向こうがかなりの不手際だったとしても
で、本題はここから。
ガイジ、つまりは障がい者の事で、意味はお前障がい者みたいに頭悪いな。(みたいなニュアンス)
大人からしたら到底口にすることすらできない言葉です。若い子は平気で使ってるんですよ。
何度か若い子に注意したことがあって、そしたらなんて言葉が返ってきたと思います?
別に障がい者に向けて使ってる訳じゃないし、障がい者差別とは何ら関係ない。言葉狩りだと非難されました。
これどっちに正義があるとかっていう話じゃなくて、
若い子は若い子同士の狭い世界があって、その世界では若い子しかいないんですよ。
つまり先ほどの言い分が若い子達の中で正義になってるんですよね。
紳士とかでもなんでもなくて、店員の不手際が彼らにとって別に失礼でもなんでもないってだけだったんです。
これはとあるゲーム会社で働いていて、社長に会議中に言われた言葉だ。その時私は二三歳だった。
芸術大学に通い、受験勉強などのプレッシャーこそあれ、温室でぬくぬく育ってきたわたしは、ただなんとなく作品を作り続けて楽しく生きていければよかったと思っていたので、ろくに就職活動もしなかった。だが流石に路頭に迷うのは怖くて、保険としてその会社に学生時代からアルバイトとして働いてデバック作業などをしていた。
卒業後いちど都内の書籍製作所会社に勤務したが、其の社長が詐欺師で、会社自体が登記されていなかった。給料も払われず、それは違法ですと訴えたが、ろくに仕事もできないヤツだという評価をされて社長直々に懲戒免職(?本人はそう言っていた)になった。
大学時代、世話になっていた会社に行き、事情を話すと、そんなミスをするお前が悪いと言われなながらも、ゲーム会社の社長は私をバイトとしてまた登用してくれることになった。
その社長は酒の席でたびたび言った。「お前のような奴はすぐにクビにできるからいい」私は恐ろしくなって、なんとか期待にこたえられるように頑張った。親から常に社会は厳しいところだから、ちょっと嫌なことを言われても耐えなくちゃいけない。それに当時放送されていたドラマなんかでも、主人公の女の子が上司から怒鳴られて泣きながらがんばっていた。ああいうふうにならなければと思って頑張った。自分は一度失敗している。それを拾ってくれたのだから、感謝しなくてはいけないと。思って、やりたくない仕事だったけれども自分なりに頑張ってみた。
仕事は、デザインに関わるものではなかった。電話取りやお茶くみ。備品の管理など。
「六時になったら絶対にタイムカードを押せよ。それをやらないやつはクビだ」と言われた。
タイムカードを押して、それ以降の時間を、なにかできることはありませんか、と上司に訊いて回って、なんどかデザインの仕事を回してもらっていた。帰ると夜の11時。給料は手取りで16万円ほどだった。体調を崩してもぎりぎりまで病院に行けない。歯医者に行くことも躊躇われた。
そのうちに、直属の上司が株価の上がり下がりの気分で私を叱責されたり、でもおっぱいの大きい女性先輩にたいしてはまったくそれがなかったり、別の男性のエンジニアが皆の聞こえるように叱責されたり、同僚の先輩が「お前障害者みたいな顔してるな」なんてからかわれているのを見るうちに、なんだかこれはおかしいんじゃないかと思い始めるようになった。
業界ではそれなりに名の知れた方だったし、とても技術の高い人達だったので、おかしいのは自分だと思ってごまかし続けた。自分の経験が未熟だから。こういうことを言われるのは当然なんだって。
結局スポンジの洗い方がなっていない、泡が残ったままおいておくなんてお前はなにもできないやつだ、と怒鳴られて辞めることを決意した。二年は同じ会社に居ないと次の就職の時に言い訳ができないと思っていた。それは丁度二年目のできごとだった。引き際だと思った。
今私はカウンセリングに通っている。
自殺未遂をしたからだ。30歳の誕生日の前日、29歳最後の日に、ビルの14階から飛び降りようとしたのだ。でも飛び降りることが出来なかった。
いまでもあの時「30歳を過ぎた女なんて生きていても価値が無い」といつも言われていたことが棘のように刺さって抜けないのだ。
寒空の屋上の下、地上を見下げるとそのビルでは結婚式が行われていたようで、スーツをきたキラキラした人たちが車を回していた。たくさんのぴかぴかした車が出たり入ったりしていて、綺麗な花嫁さんの姿がちらっと見れた。ここで私が飛び降りたらあの人達にひどいことをしてしまうかもな、と思っていた。睡眠導入剤を60錠ビールで流し込んで、でも9時間の間、夜が明けるまで飛び降りることは出来なかった。以前遊園地でやったバンジージャンプではあっという間に飛べたのに。
30歳を超えて2年がたった。
頭の何処かでいつも、「女は20代のうちに結婚して、子供を産んで、若くて綺麗なうちに死ぬの一番いいんだ」という考え方が抜けない。
もちろん頭では分かっているんだ。そんな考えおかしいってこと。
世の中には素敵な女性がたくさんいる。みんな自分の目標や考え方に向かって真摯に生きている。彼らも悩みながら、でもたくましく生きている。分かっている。
でも、どうしても、どうしても、30を超えて子供がいないこと、結婚していないこと、BBAとインターネット上で言われる度に、やっぱり「生きていても価値が無い」と言われたあの社長の台詞が思い起こされる。
長く投薬とカウンセリングを続けてみたけれども、この考え方を拭うことは結局出来なかった。
私は価値の無い女として、このまま生き続けるかもしれない。でも早くまた飛び降りてしまいたいと、思っているのも本当なのだ。
どうしても、この考え方を変えることが出来ないのだ。
変えたいと思っているんだ。でもどうすればいいのかわからない。色々試した。
本当はそんなことないって理性ではわかっているのに、心の根っこの所だれかが「でも意味ないよねBBA」って罵ってくる。
来週でカウンセリングを終わりにしようと思っている。薬で誤魔化して、それでもだめなら落ちるために、また屋上に行こうと準備をしている。