はてなキーワード: 健全とは
むしろ文面みてて、未成年の浴室を映すシーンNGだの、知らない人と会う企画NGだのなんだの、何故今までOKだったのかがわからない、嘆いてる人がたくさんいるのがこれまたわからない
ASMR自体がエロコンテンツじゃないのは百も承知だけど、実際YouTubeでエロの巣窟になってる以上当たり前の処置では?
嘆いてるのは未成年の投稿者以外考えられないんだけど、トレンドに上がるほどということは、もしかして、いや、そんなことは考えたくないが、未成年者のASMRを聴きたくてしょうがない人たちが嘆いているとか、まさか、まさかそんな恐ろしい事が起きてるわけじゃないだろうし…
自分の顔や容姿が嫌いだから、今感じてる顔や姿ってきっと醜いんだろうなって、何気持ち良くなってんだよ自分の容姿の酷さ考えろよって、不意に冷静になってしまうようになった
おまけに自分はどちらかと言うと過敏なほうで、どうやら気持ちよくなってる時の声や反応も大きめらしいから、余計に今どんなに無様なんだろう、きっと気持ち悪いんだろうなって頭によぎったりとか
確かに気持ち良いし幸せだけど、醜い姿を晒すのが怖いから感じたくないし、いきたくない
相手を気持ちよくさせる方法を覚えようと思って参考になりそうなアダルト動画作品買って観てた時期があるけど、美人の女優さんが感じてる時みんな凄い顔歪めてたのが何よりも印象に残ってる
あんなに美しい顔の人たちですらああなんだから私なんかって思ったらもう無理だ
今は喉奥使って顔極力見えないようにしながら顔伏せて口でしたり後ろから手でしてあげるとかが好きで、とにかく相手の視界に醜いものがうつっていない状態で気持ちよくしてあげたい
挿入中も自分の顔隠してやりたい、抱きついてしまえば相手に自分の醜い顔や姿を一番見せないで済むから正常位が好きだし、なんならもう袋でも被せてくれればいいのにって思う
相手を気持ちよくさせるためだけのセックスって、じゃあもう自分はただの玩具じゃんって話になるけど、それでいい気すらしてる
自分の顔や容姿の悪さを鑑みるなら、むしろそう扱われるべきとすら思う
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
【 Permalink | 記事への反応(18) | 17:22
タイトルでもう終わっているんですが、そういうことがありました。
マッチングアプリでチャットしていた人がウォーキングが趣味ということで、ウォーキングイベントに参加してみようとなって行ったんですが、そこで一緒になったグループの人達が「投資用ワンルームマンションやってみてるけどなかなか良い」を連発する人しかいなくて
そのうちの一人が投資会社の人紹介できますよ話してみますか、となって、まだやってなくて興味ある人が「いきます!あなたもどうですか?」と誘ってきて流れで個別セミナーに参加しました。
騙すなら気持ちよく騙してくれるといいなと思って多少の事前知識をつけて臨んだところ、
・有名youtuberとコラボしてお金の授業をやっている→嫌いなyoutuberだった
・日本はいま借金地獄だから、個人で資産を持っておくべき→プライマリーバランス健全化の話はあまり好きじゃない
・独自のルートで仕入れた商品なので成績がすごくよくて空室率が2%→23区は大体15~20%くらいで推移していると聞いていたので、あんまり上手に騙す気ないのかなと思った
・今回は概要説明で、次回は源泉徴収票を持ってきてください→これがとどめ
ということで、こういう感じで乗せようとしてくるんだなあを味わえる貴重な体験でした。
こんな感じで書いてますが、個別セミナーは営業2人+イベントで知り合った人たち3人がいて全員「最高だよ」としか言わなかったので現場の空気はすごくて
「ライブ感で押し切ってくるだろうから返事は必ず非同期なテキストコミュニケーションでやる」と心に決めてなかったら割と危ないところだった。
化石みたいなキャリアメールの引き継ぎとか推進してるんじゃなくて。
電子書籍が普及し出してウン年たち、
元々本好きだけど置く場所に困ってた自分は紙の本を自炊していたが、
面倒臭さと裁断後の本(だった紙束)があまりに物悲しく、電子書籍ユーザーとなった。
平たく言えばkindleで本を買いだした。
しかも発売日の午前0時には手元にある。
が、使いだしてわかったが、kindleはリーダーアプリがクソ。
続刊出たらグループ外の扱い(別で表示される)とかなんやねん。
硬派な文学本の隣には、パンツ見えそうなキャラ絵が表紙のラノベが並んでる。
紙の本の時は、ジャンル、シリーズで几帳面に並べていた自分としては許し難い状態。滅べ。
と、文句を言っておきながらなんだが、
kindleから別サービスに移る気はない。滅んだら困る。ごめん。
いっときネットを賑わせたDMMブックスの大幅割引キャンペーンでも購入を泣く泣く見送り、いつも通りkindleで本買った。
この本はkindleで、たしかあっちのシリーズはBOOK☆WALKERに…とか覚えとくだけで発狂するわ。
なので過去の自炊分(これ以上増えない)はPDFリーダーに置き、それ以降はkindleに置くという運用で定着している。
さすがにkindleがサ終するとは思ってないけど、
もしAmazonがゲスい顔して"本棚の管理もタダってワケにはいきやせんねえ…。つきましては、本棚管理料、月300円で手を打ちやしょう"とか言ってきたとしても、
かといって、今後もずっと囲い込まれてるのはなんか違う気がするんよなー。
いつサ終になるか心配してるって話も聞いたし、
正直自分も、今後魅力的な新サービスが出てきても、過去の資産が足枷になって身動き取れないと思う。
で、ようやくタイトルに戻るんだけど、サービス間で本の引き継ぎ権が欲しい。
たとえば、購入履歴の引き継ぎみたいな事ができて、
この人はAmazonでこれ買ってたよ、って情報があれば、新サービスでも購入済み扱いできるような。
ただ、こんなのサービス側では損しかない(囲い込めない)ので調整なんか進む訳ないから、国に法律で引き継ぎ権を義務付けて欲しい。
結局それが公平な競争を生むと思うんだけどなー。
身内には甘いが、他人はバンバンレイオフしたり首切り脅しをかけるだろ。それが非正規労働者や中期採用者
うまくいかなかったチームなんざ上司の采配次第だし、それこそポンポン思いつきで仕事を増やしたり、優先順位変えてもついてこれなかったら無能判定したらいいし、むしろ新規事業でバンバン上司に意見言うやつなんざ「うまくいかないチーム」なんだろうし。
アメリカみたいに、上手く行かなかったチームや会社はどんどん潰れるようにするのが健全なんだろうな。
日本は古い会社がゾンビみたいに生き残りすぎている。それは、カスみたいな環境や仕事でも従業員は辞めずに耐えてしまうせいというのが大きい。
うまくいかなかったって指標は?短期的に結果を出したかどうかだろ?運にもだいぶ左右されるのに。
そんな近視眼的に成果を出したか?だけで判断するようになったから、窓際親父メンタリティが一番安全に生きていけると窓際親父みたいになったんだ。
想定してる状況がまったく一致してないように見えるが、俺はアメリカ的な仕組みの方が健全だろうという話をしてるだけで、そういう仕組みの下では仕事しないソリティアおじさんは即日クビになるよ。
アメリカみたいに、上手く行かなかったチームや会社はどんどん潰れるようにするのが健全なんだろうな。
日本は古い会社がゾンビみたいに生き残りすぎている。それは、カスみたいな環境や仕事でも従業員は辞めずに耐えてしまうせいというのが大きい。
金のためだけに出来る仕事じゃないぞ。だからこそお金の問題が付きまとうんだ
教育もSNSで大暴れしてる大学のバカ教授どもを除いてそうだぞ
利他の精神や奉仕の精神がある人はお金の受け取りを拒否しがちだそうだ
これは海外でも同じ傾向で Financial Psychology と書くが、投資心理ではなく、
自身の不合理なお金の信念に気付き/手放し、お金との付き合い方を健全化しましょうという主旨のセラピーで
対象になってたりする
「金ですべて解決できる」なら億万長者に悩みはないはず?|大富豪ばかり相手にする心理学者の洞察|クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/87220/?ate_cookie=1569731540
・お金の回避
(教育レベルが高い人/福祉系に人にありがち。十分な報酬を受け取らない。むしろ無意識的に拒否する)
・お金の崇拝
(そのまま。稼げば稼ぐほど幸せになると信じており、それと同時に自分は充分な額を稼げないと信じている。高額商品を購入したり買い物依存症だったりする傾向が強い)
・マネーステータス
(自己資本や年収と自己価値をイコールで結び付ける)
・ドケチまたは病的な貯蓄屋
(お金に対し異常な警戒心を持っている。いくら貯蓄しても永久に安心出来ない)
酔ったので少し書きます。
目に入ってくるすごい人が多すぎ。
本当にすごいと思う人だらけでそれ自体は良いと思うんだけど。
金がなくても素晴らしい人物はいるし体形や顔がどうでも魅力的な人間はいくらでもいると思うのよな。
そうじゃなく、人として生まれたからには笑うため幸せになることに優先順位置く方がよいなって。
たしか伝説の教師かなんかでそんなセリフがあったと思うけど、人間に与えられた唯一の特権は笑うこと。
なんのために生まれて何のために生きてるのかって。
そう言われるために生まれてきたんじゃないんだよね。
それより物差しを自分の中に置いて、昨日よりいくらか成長したかなとか、
今あるもの自体が満ち足りてるなって思える方がよっぽど幸せで。
情報がこれだけ溢れると自分より優れてる人なんかいくらでもいるから。
なので他人がFIREしてようが営業成績がよかろうが金があろうが高級車に乗ってようが、
そんなもんどうでも良くて自分自身で優先順位つけてそれを追いかける方が健全よな。
知らんけどof知らんけど。
寝ます。
ちょっと振り返るだけで、いくつも反省点が出てくる。あの時こうしていれば。あの時こうしていなければ。振り返りすぎても嫌な気持ちになるから、健全なレベルで振り返りをしておきたい。
自分は弱い人間だ。理想的な道筋が見えていたとしても、「面倒くさい」「苦手意識がある」「誰かがなんとかしてくれる」というような逃げの気持ちが優って、適切な行動を取らない、取れない時がある。
元増田は、引きこもる前からなのかもしれないけれど、引きこもっている14年間の間にたくさんインプットして、感受性も磨いて、その結果こんな文章を書いたんだね。アウトプットの技術も上手だ。
これからも何を感じたのか、何をしたのか、或いは何をしなかったのか、些細なことから大きなことまで発信して欲しいな。Twitterでも良いし、ブログでもいい。
呪詛の言葉や呪いや恨みの言葉を並べ立てるのでなくて(勿論それをしていけないわけではない)こういう気持ちのいい言葉だからまた読みたい。
無理して欲しいわけじゃないけど、前向きに検討して欲しい。
ちなみに自分は37歳、中学1年2学期から不登校になり中卒、学歴職歴なし、逮捕歴ありの引きこもり、現在社会復帰訓練中の人間だ。
他人と比較して優越感や安心感を得るのは良くない。だけど、それでも一時的な励ましになるかもしれない等と言い訳をさせて欲しい。元増田はまだまだ全く健全だ。だから胸を張ってのんびりリラックスしてお散歩日記を綴って、できれば読ませてほしい
あんまり関係無いしガセかもしれないけどちょっとガンダムシードデスティニー思い浮かべたな 議長の計画潰したせいでその後何十年も戦争し続けたってやつ
聞いたときにでもディストピアになるよりそっちの方がまだ健全で人間らしいよねって思った
フェミニストに関してはそもそもの理念自体は間違ってるなんて思わないけど漫画とかに文句付けてるのはどう考えてもやべー奴でしかないわ
ウクライナの歴史を調べてみると、ウクライナとロシアとの政治的紛争は1991年のソ連崩壊から始まっているのが分かる。
ソ連崩壊と同時にウクライナは独立して、ウクライナは欧米側(EU)に付くのかロシアに付くのか30年間揉めてきた。
2014年には、当時のロシア寄りの大統領を失脚させてEU側の大統領を擁立する騒動が起きている。
クリミア半島がロシアに併合され、東部2州で独立戦争が始まったのも2014年である。
そして2022年2月に、お互いに一歩も譲歩しないロシアとウクライナは「開戦」という最悪の展開となってしまった。
しかし2014年から現在までの両者の冷戦状態を眺めてきた私としては「どちらも互いに納得するまで、思う存分やり合った方が健全なのかもしれない」と考えているのも事実である。
ここからが本題なのであるが、日本にも「対話で解決不可能な問題」というのは色々潜在化している。
はてな界隈で言えば、フェミと反フェミの論戦がいい例ではないか。
近い将来において、フェミと反フェミは何らかの形で武力闘争が発生するのではないかと考えている。
弱者男性論などというのは2005年あたりからずっと議論し続けているが両者の歩み寄りは全く見られない。
ウマ娘の健全なエッに釣られてやってたんだけど、思ったよりキャラに入れ込みすぎすぎた
今までコミケでエロ同人を欲しがる意味が理解できなかったんだけど、初めてこいつらでシコりたいと思った
だけどシコらせてくれないので辞めた
思ったよりゲーム性があるし、頑張ればシコれるエッなシーンがもらえるので、
「マナーを守らせるつもりがあるかどうか」「きちんとした親かどうか」はどうやって判断するんだろうな。
元記事の言い分だと、
・注意しているか
が判断基準になるようだ。
こういう判断基準は、親は周囲の人間に「私はこんなに頑張って子供を静かにさせようとしていますよ」「決して放置しているわけじゃないですよ」というアピールをせよ、周囲の人間を納得させよ、という規範として機能することになる。
そうやってあやしたり、注意したり、その他様々な方法で子供を静かにお行儀よくさせることが、その子にとっていいことなのかどうかは全く判断基準に入っていないし、実際に効果があるのかどうかも判断基準に入っていない。子供の持つ特性も眼中にない。
こういう判断基準をもってくると、親の方は「こんなことしても無駄で、泣き止まないのに、周囲へアピールしないと常識のない親と思われて白い目で見られてしまうから仕方ないか」と思うだろう。
周囲の人間は「親があんなに頑張っているなら仕方ないか」と思って溜飲を下げるかもしれないが、完全に子供は蚊帳の外に置かれている。この親のアピールによって今後子供がお行儀良くなってもならなくてもそんなことは関係ない。
こんな無意味(かもしれないこと)を親に強いて、それを実行できない親は「きちんとしていない」と判断されてしまう世の中で本当にいいのか?