はてなキーワード: 不憫とは
10年くらい前までは公衆の面前で子供に対してヒステリックな声を上げる母親を見かけることがよくあって、戦慄することがあった。一目もはばからず、バシバシと叩く親もいた。夜中にどこかから、止まない子供の泣き声が聞こえてくることもあった。けれども、虐待死のニュースが流れるようになったからか、痛ましい親子の光景や音を見聞きすることは無くなっていった。
久しぶりに、最寄駅で子供を異常に叱りつける母親を見た。何と表現すれば良いのか分からないのだけれども、怒鳴る・叱りつけるというより、わけの分からないことをギャーっと叫んでいる感じだった。子供はもはや慣れているのか、あるいは涙も枯れたのか、沈鬱な面持ちで俯いていた。色々と事情もあるのかもしれないのだが、幼少期の頃の体験はその人の根本を形成する原体験だと思っている。「この子が大きくなった時に自分の幼少期を受け入れられるのか」とか「子供が欲しいと思えるのか」とか、そういうことを考えると、子供が不憫でならない。同時に、養育する親としての適性に欠ける人は一定数に存在していて、そういう人は無理に子供を育てるべきではないとすら思う。立場が人を作るとは言うが、子供を授かってもいつまでも親になれず、子供が親代わりをしていくような歪な家庭もある。
育てられないなら他の人に育ててもらった方がいい。親としての強権を振りかざし、恐怖を植え付けるようなやり方を何十年と続けるより、自分に親になる素質が無いのだと、自覚するべきだ。不幸な子供をこれ以上増やして欲しくない。
母親が買ってくれたものだからとずっととってあったピンクの掛布団カバーとタオルケットを捨てた。
子供の頃から自分の見た目がかわいいものではないと理解していたのでかわいいものを身に着けるのも身の回りに置くのも単純に居心地が悪かった。
持ってて違和感がない程度のかわいいをそばに置ければ満足できたし、それは別に辛くはなかった。ピンクも別に好きじゃなかったと思う。緑や白が好きだったしそれは今もだ。
しかし母は乙女趣味というか少女漫画を読みハーレクインロマンスを読み父に気に入られるためなのか娘が父にいじめられたり目の前で理不尽を言われていても庇う事もとりなすこともしない女性だったので(母が父に食い下がって怒ったのを見たのは自分の少女漫画コレクションを勝手に捨てられた時だけだったように記憶している)ピンクやかわいいものを好きじゃない女の子なんていないと思っていたのかもしれない。自分の娘はかわいいへの欲求を抑圧しているのだろうと不憫に思ったのかもしれない。もしくはただ単純に自分が使いたかったけど歳的になぁ~というものをちょうどそこにいた娘に持たせることで自分の心を満たしていたのかもしれない。
しれないばかりだ。母が他界してずいぶんたつしもう永遠にわからない。
そんなわけでそれらがよくわからなくて捨てられなかった。
自分に与えられたものだけど自分のものなのかなんなのかわからず捨てる権利がないような気がしてずっとそれらはわたしとともにあった。
とにかくわたしは母にも父にも愛されたかったので迎合し喜び持ち続けていた。
そんな感じで「おかあさんがくれたから」の一点で持ち続けていたタオルケットと布団カバーだったが捨てた。
もっといいものを自分にあうものをそばに置きたくなったのでスペースが足らなくなったので捨てた。
捨てられた。
ホッとした。
すごく眠い。
私は教師というものが嫌いだ。偉そうに上から目線で色々言ってきやがる。だから今日は私が教師に色々言ってやる。
ということで、とある英語教師の文章を添削した。英語教師なので、当然文法は完璧であろう。なので文法よりも、英語としての読みやすさ、伝わりやすさ、自然さを重視した。
In politics, there are many issues, some (of which are) boring.
解説:
② sometimesの使い方が唐突で不自然。前の流れを受けてつなぐ文章のほうが読みやすく聞きやすい。話し言葉ならカッコの中は省略可。
In tackling such a big-scale issue such as climate change, what we can do is to tackle the issues properly.
In tackling big-scale issues such as climate change, what we should do is to take these issues seriously.
解説:
文法的には正しいが、とにかく不自然な英語の典型。くどい感じ。
① suchがくどい。不自然なので片方を省く。
② 文脈を踏まえると、canよりshouldが適切。
③ tackleがくどい。英語では同じ語を同じ文章で2度使うことはあまりしない。
However, to solve the environment issues together is sometimes fun, cool and appealing or so-called "sexy" , so we should solve our issues together.
However, solving environmental issues together can be fun, cool, and "sexy"- so we should go ahead solving our issues together.
解説:
① to solveよりin solvingのほうが自然。基本的にネイティブは一文一文を短くする。
② the environment issuesなんて言い回し絶対しない。言い換えるべき。
③ 別にsexyはそのままでも大丈夫。もちろん先生の指摘も理解できるが、書き言葉ではなく会話の場なので、砕けた表現も許される(そもそも海外メディアもこの語句自体は問題視していない)
そもそもこのso-called 「先生」は、「gonna」を「しなければなりません」、と訳してますが、それは「gotta」やろ。
ちなみにこれね。
飲んでいたピルをやめて数ヶ月、生理予定日に生理が来なかった。そう言えば妊娠の可能性が高い日にセックスしたなと思い出す。
妊娠することは本来なら難しく、不妊治療もしている人が多くて、望んでも授からない人がいるのは知っている。自分もそうだと思っていた。今回は妊娠したか?と思った月に生理が来た経験も多い。
そう言えば、毎月、中出しされた精子と私の中の卵子が出会うチャンスは確実にあるはずなのだ。卵巣の病気で婦人科にかかったこともあるので、毎年12回確実にあるかと言われるとそうではないかもしれないけど、でも精子と卵子が出会える可能性はベビーブームの時から変わってない。出会えないのは、私を取り巻く社会の問題だった。父親のいない子は不憫でかわいそう、母子家庭では子供は愛情深く育てられない、出産育児で仕事を放棄するから女を雇うのは御免だ、等々。
私は既婚だけれど、夫婦の問題が大きく、今回妊娠した胎児を産めるかどうかはわからない。妊娠したところで、彼の気性の荒さは変わらないだろう。
この子は私と私を取り巻くいろんな事情を理由に、私によって殺されるかもしれない。私がこの子を産むためには、誰にも文句を言われないで子育てできる状況が必要だ。1人親でも父親がいなくても子育てに文句を言われず、妊娠した後に離婚を決めるような母親がいても非難を浴びないような。そんなことは酷だろう。
現代って親がいないほうがアドバンテージなのでは?若いころに親を亡くすとか。
婚活市場に於いて親の存在や年齢は不良債権パラメータなので、それが無いというのはかなりの市場価値にプラスとなる。
結婚しないにしろ、支えられもしない無理な負担であることには変わりがないのだし。
親世代と現役世代は、時代が変わりすぎて価値観が違いすぎて話が通じず不仲がデフォなのだし。
凡人には到底超えられないような試練を課せられたら、そら、ほとんどの人が越えられないのも仕方がない。
親が悪いわけでもないし、現役世代が悪いわけでもない。誰も悪くはない。
「婚活市場の状況がどうなっているか」の学習は社会勉強の一環として
役立ちそうな気がしてきた。ゲーム理論だよね、これ。
↓を読んでて思った。
https://anond.hatelabo.jp/20181110151336
30代前半女だけど嫌だと思った部分を書く
https://anond.hatelabo.jp/20181111172157
完全童貞の32歳が彼女を作ろうと婚活・恋活アプリを使ってみた結果
https://anond.hatelabo.jp/20181111063412
あと市場以外の結婚パターンも並行して見ていったほうが良いと思う。
「婚活市場だけが結婚の唯一の手段」などでは決して無いからね。
国勢調査で「結婚のきっかけ」とかあるのかな。婚活サービス業者にとってそれは不都合な真実だろうけど。
欲しがる側は「いかに上澄みを得るか」「もっといい条件の物件があるんじゃないか」。
つまり婚活市場にもどんだけ酷い裏の仕組みがあるのか、と恐ろしくなるんですよね。
国民皆婚の時代は、ほとんどの人間が人生のキラーコンテンツが結婚と子育てになっていた。
だから、それ以外のことをやる時間や労力があまり無かったのだと思う。
人生をゲームハードに喩えるなら、それちゃんとやっていこうとするためのコンテンツ必要となり、
いい会社入っていい結婚して美味しい思いして、という、いわゆる「人生のレール」。
それは否定的に捉えられるようになって久しいけど
「それなりに幸せになれるし、そのテンプレ攻略法で前向きに人生をやっていくぞ」というモチベーションたりえた。
(もちろん、肩に力を入れすぎてしまって、死に際になって「もっとやりたいことやっていればよかった」という話もよくあるけど・・)
コンテンツが手に入らない、あるいは魅力がなければ、ゲームハードにも魅力がなくなる。
つまり
「人生ってなんだろう」
「みんなどうやって生きてるの?」
そんな空気が漂ってる。
卵が先か鶏が先かわからないが、国民皆婚が解体されるにつれて、趣味の世界が拡大していった。(と思う。たぶん)
そりゃあ、今まで時間や労力やカネを占めて満たしていたコンテンツがなくなったのだから。
毎日たくさん水を飲んでいれば、余計なジュースや酒を飲むのが減るぶん健康になる。みたいな理論と同じで、
「別のもので満たしてやれば、もともと満たしていたものが要らなくなる」という、わりと単純な法則。
逆を言えば「もともと満たしていたものが無くなると、別の何らかの満たすものを渇望するようになる」わけで。
それが承認欲求の暴走だったり、SNSで狂ってしまう人だったり、「無敵の人」を育てる遠因だったりするのだろう。
テロが活発だったころ、「テロリストに萌えアニメでも見せて満たしてやればテロしようとか思わなくなるんじゃね?」って
割とまじめに考えていたけど、これもあながち間違いではなかったのか。
ひどいものよりは、いくぶんかマシなもので満たしてやったほうがベターだと思うんですが。パターナリズム思考なのでしょうけども。
なんかのマンガかアニメで見たな、幼いころに親を亡くして絶望してしまった子供を不憫に思った人が、
自身に憎しみを向けさせるようなことをして、「たとえ憎しみでもいい、生きる意志を持ってほしい」みたいなことを仕向けるの。
まるで春先の水田のように、視野一面にちっちゃいのがチョロチョロ動いていた。
もちろん知識や映像では知っていたし、特に驚くことではないはずなのだが、どんなことでも実体験というのは衝撃的だ。
現時点ではまだ生命でも何でもなく、運動能力があるだけのただの細胞らしいのだが、ネズミ花火みたいな勢いでのたうち回っているやつもいれば、優雅に泳いでいるやつもいたりして、なかなかに個性的だ。
この一滴に何匹いるのか分からないけども、全員間違いなく目的を果たせずに死んでいく(不活化?)ことを思うと不憫でならない。何とか飼えたりしないのかとバカなことを一瞬考えたりもした。
しばらくはもう、出せないかもしれない。
私は子供の頃から記憶力が良かった。初めての記憶は一歳の頃で新しい家を見て期待に胸を膨らませていたものだった。
新しい家は何もかもが新しくとても興奮したのを覚えている。
ところが、この記憶力がのちに私を悩ませることになるのだった。
私が8歳の頃、兄が私のベットに入ってくるようになった。そして私の体を舐め回すのだ。私はこれはおかしいと感じてはいたが、なにしろ私は母親に愛された記憶がないのだ。とても親に言えることはできなかった。父親は母親に逆らうことはできないようだった。そんな父は何の助けにもならないのは明らかであった。
私はそれから毎日、兄の虐待を耐えるしかなかった。それは私が中学になるまで続く事になる。私は小学六年生の頃に生理が始まり、性教育も受け、どうしたら子供ができるかもわかるようになった。
その頃兄の虐待はエスカレートし、もはや子供ができても何らおかしくないものとなっていた。
私はいざとなれば都会に出て子供をおろしてもらうしかないだろうと思い悩んでいた。この時の孤独感は今でも忘れることができない。
私のできる抵抗と言えば、ジャージを履いてその紐をきつく締める事ぐらいであった。
やがてその事は突然父親に知られる事となった。私はやっと解放されたのだ。
この時の気持ちは何ともぼんやりしたものだった。ただただ、あぁ終わったのだなと言う思いしかなかった。
散々夜中に目が覚めて知らないふりをするだとか、私の毛布に精液が付着しているのをもう我慢する必要はなくなったのだと思ったのだった。
誰からも謝罪される事はなかった。それはやはり私の勘が正しかったのだ。私は誰にも顧みられる事のない子供であったのだった。
それからは何もなかったかのような日常が続いた。私は普通を装い普通に高校へと進学した。
私が高校3年の頃に制服を盗まれると言う事が起きた。私は困って母親に制服を盗まれた旨を伝えたのだが、母親は「へぇ」と言っただけで何もする事はなかった。
仕方なく皆が冬服で登校する中一人夏服で登校する羽目になった。その時の羞恥は今でも忘れられない。私は制服を盗まれた上に親に放置されていると言う事を宣伝して歩いている気分だった。普通なら怒られる様な事態なのに先生も何も言わない。どこかから聞いたのかもしれない、関わるのが面倒くさかったのだろう。誰も何も言わない。私はまたしても顧みられる事のない子供となった。
もう5年も前の話だけど、フェイクも混ぜながら書く
長くなってしまった。
端的に言うと、同僚の婚約者が同僚のエロ写真をネットに載せて遊んでるのを知ってしまった話です。
Twitterを眺めていたある日、とある男性アカウントのバズったツイートがRTで流れてきた
バズったツイート元のプロフィールに飛ぶのが癖になっていた自分は、いつも通りその人のプロフィールに飛んだ
フォロワー3000人くらいの、いわゆるネタ系?アカウントらしい。
絵を描かないやしろあずき的な感じだった。
いくつか写真がツイートされていたのを見ても、完全に同僚のあの子だった。
こんな偶然あるんだな〜この人があの子の婚約者なんだ〜と思って眺めていると
婚約者が同僚の下着を被った自撮りや、生々しいセックス内容、ラブホテルでの2ショット写真のツイートが出てきた。
シルエットではあるが彼女の下着姿、ガラス越しシャワー動画までツイートしている。
これ同僚本人の同意の元なのか気になったが、確認できるほど同僚と仲がいいわけではなく困った。
部署の違う同僚同士の話題は、仕事から私生活、恋愛に変わるまで早かった。
どうやら彼女はマリッジブルーで、婚約者が低収入であるにも関わらずソシャゲ課金をやめてくれないとか、
婚約者は話がつまらないのに自分を面白いと思っていることが嫌なんだとか。
なんとなしに同僚本人のネットリテラシーやSNS利用について聞くと、どうも疎い。
Facebookはやってるけど放置、Twitterもやっていない、インスタもたまに見る程度レベル。
これ絶対、婚約者がTwitterであんなことしてるって知らないなと思った。
かなり罪悪感があったがその場ではなにも言わなかった。
知らない方がいいこともある、でも彼女の婚約者がやってることって軽く犯罪じゃないのか
下着姿や、下着、セックス内容を匿名アカウントで載せてるならまだしも、
無自覚のうちに婚約者からデジタルタトゥーゴリゴリ彫られるのは不憫すぎる
そう思ってランチをした日の勤務後に話があると、近くのカフェに呼び出した
全てを話しした。
バズったツイートを辿ったらあなたの写真があったこと、アウトなツイートが大量にあったこと。
もちろん彼女は大号泣。マリッジブルーにとどめを刺してしまったようなものだった。
泣きすぎてふらふらだったので近くの駅まで送った。
これで別れるのかな〜なんて思っていたが、なぜか二人は別れていないようだ。
あれから大喧嘩をしたらしいが婚約者の方にうまく丸め込まれたらしい。
もともと共依存的な関係で、婚約も両親への挨拶もしたから今更別れても、という感じで。
なぜか同僚から避けられるようになった自分は、以降関わらないようにしている。
自分は転職をし、同僚と会わないでしばらく経つが彼女たちは今も幸せそうにやっている。
慎ましいが温かい結婚式を挙げ、おそろいの食器を揃え、1DKの狭い部屋にある1つのベッドで一緒に寝ている。
東京オリンピックの試験交通規制があったけど、上馬の混雑は酷かった。第二、三車線は全部埋まってるし、左折レーンも30台くらい並んでた。
いつも思ってるんだけど、信号が点滅してるのに無理やり渡ろうとする人とか、絶対時間内に渡りきれないであろう速度で横断しようとする老人とか、赤信号に突っ込んでいくママチャリとかが多すぎる。
そういう人が一人いるだけでも左折車は待たなきゃいけないのが本当不憫。
上馬では青信号の間隔が短くなるとかいう謎規制がかかってたけど、ただでさえ少なくなった青信号の時間を歩行者が追い打ちをかけるように削っていくから全然左折レーンがさばけない。
交通規制するなら歩行者(と自転車)に信号を守らせなきゃ筋が通らない。
あと路駐も規制したほうがいいと思う。そもそも路駐が許されてる今が異常。自転車レーンは路駐帯じゃねえんだぞ。
バス停の近くに路駐する車がいるけど、こういうことされると、通勤ラッシュでバスが2台以上連なったときに、後ろのバスが斜めになって隣のレーンまではみ出すからとても迷惑。そうじゃなくてもレーン1つ潰してるから超迷惑。
https://anond.hatelabo.jp/20190723004058
n番煎じ。
正直自分でも家族が投票に行けと言ってくれる環境は恵まれていると思う。れいわの話はあまりしない。
1.消費増税反対
これだけは言えるのはせめて就活が終わるまで増税は待ってほしい。個人的な利益だけど人生に関わる。
2.年金はどうでもよくない
年金廃止急進派。社会保障の一本化の議論に誰か踏み込んでくれよ。
同じく年金を受け取る番は回ってこないと聞いて育ってきた。負担してからやっぱあなたに回す分はありませんじゃ困るからいっそ負担する前に崩壊させてくれとさえ思う。一人当たり年金負担は増え続けるし財政支出のほとんどは社会保障だって中学生でも知ってるのに誰もこの議論しないの。野党もこの話題で与党批判してもどうにもできないってわかってるんだろうな。
年金やばいよの報告書は真正面から受け止めて議論しなきゃいけなかったのに握りつぶした自民党には票はあげない。
3.まとめブログの影響
中学生のころは首相が購読してることでおなじみの保守速報とか、あとは大艦巨砲主義とか好きだった。
ミリタリー好きだし日本すごいも読んだし韓国やばいの話でスカッとしたこともあった。中学生って染まりやすい。
ただ思考が侵される(政治的な意味ではない)ってのは感じていたので高校生のころにまとめサイト全部読まなくなった。
これはまとめブログの影響。よくよく考えたら人から聞いたレベル(それもまとめサイト)の根拠しか持ってなかったからこれはおかしいなと思ってこれは言わなくなった。それまでそもそも想像上の野党しか知らなかったかも。
野党のことも知らねばと枝野さんの演説とか聞いたらこの人には政治任せてもいいかもなと思った。
ただうちの選挙区の元民主党は北朝鮮との友好がアピールポイントみたいだったからどうでもいいなと思って衆院選では自民候補に投げた。
5.共産党
大学の目の前で年金の拡充を主張してたけど絶望的にセンスないなと思った。少なくとも今回と次くらいまでは投票しないと思う。シルバー民主主義反対。
9条とか平和とか基地とか叫ぶのやめて労働者の為の党に純化すればいいと思うのだけど支持者層は圧倒的高齢者らしい。どんまい。
共産党の看板を他のに変えることもできないし敬遠されるしで一種の呪いだと思う。
6.維新もない
橋下さんならまだしもまともな議員いるの?って知識しか持ってなかった。ごめん。
7.れいわ
山本太郎のカリスマとあなたを幸せにするんだのスローガンに惹かれた。
自己肯定感低いから人間の価値がどうとかいう社会になってほしくない。
つっこまれても淀みなく返答できるところとか重度障害者とかいうセンシティブすぎる話題を扱ってるのに失敗しないところとかは芯がしっかりしているんだろうなという判断材料になった。過去の悪評とかは聞いた話しか知らなかったので考慮しないことにした。
たしかに彼はポピュリストだろうけどポピュリズムは彼の価値をx0にするわけではないと思う。もし彼が危険な政治家になりそうだったらその時に私が自分で判断するだろう。
この人は私を代表してくれるんだって感じたから投票した。多分有権者のひとりとしてこういう政治家を待っていたんだっていう意見表明に一票を使えたのはどうせ変わらないの精神を考え直させてくれた。
多分れいわの未来はさほど明るくない。常に勝ち続けなければならないが勝ってもゴールは遠い一方で一回の失敗が命取りになる。山本太郎1人のカリスマで回しているというのはそういうことだ。
多分次の選挙では立憲の票を食いまくって結果与党の勝利ってなるだろうけどそれでも構わないとすら思う。それほどに政治を動かしにきた彼を評価してる。
7.1 N国
ギャグじゃん。選挙戦略は非常に上手いしおもしろいから話題性もあって政治の中で役割は果たした方だと思う。ここは叩いても正直どうしようもない無敵の政党。むしろ学ぶことは多いと思う。
8と9 社民
前回の衆院選、だーーーーーれも子育て少子化問題若者支援の話題出してなかったから比較的マシだった社民に比例票いれた。どうせ政権取れないでしょっていう安心感がある。
その割には支持者の8割が高齢者らしい。不憫。というかそれはそれでなにかを間違ってるような気がする。出口調査で社民共産に入れましたは言いづらいのかな。
公明なしには自民与党ではいられないだろうに立ち場弱すぎないかとは思う。
東京選挙区でガチンコ対決はいいろんな意味でおもしろい試み(票読み、話題性、創価との関係を周知させる)だと思ったけど学会の話題には興味なかったから適当な立憲に入れた。
野原さんに票が流れた気配もないし意味わからん強さだなって思う。
11.結びに
今回れいわを選んだのはきっと私の年齢ゆえだろうなと分析した。けどちゃんと考えて選んだので
池田信夫が言ってた、「愉快犯」に私は当てはまる。トランプが勝ったらおもしろいなって思ってたら大統領になっちゃったしEU離脱することになったらおもしろいなと思ってたら今イギリスでは大変なことになってるらしい。投票権ないけど。
自分で言うのもなんだけどゆるやかな現状絶望からくるこういう動きをナチスと対比して馬鹿にしてないで真面目に受け止めるべきなんじゃないかな。(っていう意味もちょっと一票に込めた)
昭和50年代に結婚した人としてはかなり珍しいんじゃないかな。
結婚に当たっては相当揉めたようだ。
親というどでかいサンプルと周りのお友達の情報で想像していたのは
男性側の姓になる夫婦と女性側の姓になる夫婦は50:50くらいかな…というイメージ。
なので、いつまで経っても「名字を変えなきゃいけないなんて女は損」という感覚がない。
だってそれぞれの事情に合わせてどっちにするか考えればいいんじゃない?くらいの気持ちだからだ。
大人になって、大半の女性が「結婚=嫁に行く」感じだと知った。
夫と結婚する段となって、夫の実家にそれを報告しに行ったとき、
わりと嫁にもらう前提で話が進んで「あ、こーゆーもんか」とふと思った。嫌に感じる人はたしかにいるかも知れない。
自分の実家はクソ苦手で出て行きたかったし、(すでに生活の実態としては出て行っていたが)
自分の姓が嫌だった私は迷いなく嫁に行く方をもとから選んでいたのだけど。
名字を変えるのは悔しい、という人が結構いることが最近ネットを眺めていてわかった。
でも気持ちはよくわからない。そういう人がいることは否定しないけど。
(もちろん名字を変えることで過去の実績が引っかからなくなるみたいなやつは不憫だと思う)
私が女は損だと思ってないからか。