2019-10-05

10年くらい前までは公衆面前子供に対してヒステリックな声を上げる母親を見かけることがよくあって、戦慄することがあった。一目もはばからず、バシバシと叩く親もいた。夜中にどこかから、止まない子供の泣き声が聞こえてくることもあった。けれども、虐待死のニュース流れるようになったからか、痛ましい親子の光景や音を見聞きすることは無くなっていった。

久しぶりに、最寄駅で子供を異常に叱りつける母親を見た。何と表現すれば良いのか分からないのだけれども、怒鳴る・叱りつけるというより、わけの分からないことをギャーっと叫んでいる感じだった。子供はもはや慣れているのか、あるいは涙も枯れたのか、沈鬱な面持ちで俯いていた。色々と事情もあるのかもしれないのだが、幼少期の頃の体験はその人の根本形成する原体験だと思っている。「この子が大きくなった時に自分の幼少期を受け入れられるのか」とか「子供が欲しいと思えるのか」とか、そういうことを考えると、子供不憫でならない。同時に、養育する親としての適性に欠ける人は一定数に存在していて、そういう人は無理に子供を育てるべきではないとすら思う。立場が人を作るとは言うが、子供を授かってもいつまでも親になれず、子供が親代わりをしていくような歪な家庭もある。

育てられないなら他の人に育ててもらった方がいい。親としての強権を振りかざし、恐怖を植え付けるようなやり方を何十年と続けるより、自分に親になる素質が無いのだと、自覚するべきだ。不幸な子供をこれ以上増やして欲しくない。

  • 今は盗撮されるからね ヒステリックとか虐待とかタイトルつけられて拡散されるかと思ったら

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