はてなキーワード: 不憫とは
5年前くらいに500円で買って未だに使っているホチキスの有能さに今更気づいたのでちょっと自慢させてほしい。
ちなみに増田の利き手の握力は19kgです、もちろんフルパワーでお相手しますのでご心配なく…
パワフルなのに手のひらサイズ。なんかストッパーみたいなのがあるのでしまうときに口?がバカっと開いて場所を取る、ということがない。
背中の部分に芯が2セット収納できるスペースがある。急に芯が切れても安心。
芯の入れるところを閉じるのに無駄に1回ホチキスしなければいけないやつが多いが、これは普通に閉じれる。
今日はじめて気づいて感動しているところ。
いい買い物したなあ
当然ながら令和5年だよ
引用うまく出来ない
https://wis.max-ltd.co.jp/op/product_minor_category.html?middle_key=01&minor_key=03
ちょっと値上がりしてる気がする
ベビーシューズでとりあえず一足持つのに個人的にオススメなのはアシック○なんだけど、それは最もたくさん運動する時に履いて欲しい靴という意味で。
たくさん歩いたり走ったりすると、それだけ足に負担をかけることになるから、それを軽減できる靴を履いた方がいい。
足の形に合えばどんな靴だって履いていい
ただ子どもの場合はどんなシーンで履くのか、履き分けて欲しいのよ。
公園とかで、めいっぱい身体を動かす時はそのための靴を選んで履いて欲しい
職業病ですれ違う子どもたちの足元を見てしまい、ガタガタな足を見つけた時は本当に声をかけそうになって危ない人になるところだった。
可哀想で不憫な足の子たちが多くて、みんなの靴を探したくなってしまう
あ、変態だ、私…
小保方氏の不正が発覚してメディアで取り上げられたのは大学生の頃で、小保方氏が記者会見をしたあとの研究室の人間は2種類の人間に別れたものだと印象に残っている。
・「ありまぁすw」「教務のあの人小保方に似てね?w」など積極的に言う人
俺は前者の人間とは絶対に仲良くなりたくないとわかったので、ある意味有用なフィルターを作ってくれた小保方氏には感謝すらあるのだが、研究と学業がうまくいってたのは、どちらかというと前者の人間だったとも記憶している。というのも、前者のような人間は、うまく人に頼ることができる人間だった。
4回生で研究室に配属されているにも関わらず、未だ単位が足りていない2人がいた。単位を落とすとまずい科目を2人で分担して取り掛かろうと話し合い、レポートを協力してすることになった。一人は前者、一人は後者の人間だった。後者の人間は、協力者にもわかるように1つのレポートを作成したが、前者の人間は、「わからんかったw」という理由で、担当分のレポートを結局2人で協力してやっていた。つまり、前者の人間は実質0.5で、後者の人間は1.5の作業量であった。
卒論に関して言えば、前者の人間は指導教員に積極的に話しかける人間だった。指導教員と仲良くなるし、わからないことがあればすぐに周りに聞く人間だった。指導教員のサポートもあり、卒論レベルでは十分な成果を出せていたと思う。当然卒業した。
後者の人間は、コミュ障を自虐し自称するも、この人なりに努力して色んな人にわからないことを聞いていた。だがこういうタイプに多いのは、できるだけ自分ひとりの力でやろうとするという特徴がある。この人もそうだった。たいてい、心配になった指導教員がみかねて話しかけると、「実は環境構築でエラーが出てて…」みたいな感じのやりとりがあった。その調子で研究が進んでいっていた。この人は1月になっても実験を繰り返しており、M1の協力もありつつ、徹夜に次ぐ徹夜で提出締め切りギリギリで卒論を提出した。無事卒業した。
俺が小保方の名前を見て思い出すのは、彼女の不正とか、誰かが死んだのは誰のせいとか、そういうのよりも、「性格」というのが人生を決定づける大きな要因だということだ。自分でやらなければ自分の力にならないと信じる人間は存在して、その努力はなんの成果にもならず、ただ時間を無為に過ごすことを繰り返すことを努力と履き違えることに気づいていようも、それでも何かの力は身についていると信じているか、あるいはそれが自分というものだからと言い訳し、専門家から見るとお遊びのような自己研鑽を積み続ける。たとえ実験の間違いに気づいていても、反論するだけの知識もなく、とにかく口が回らないので、指導教員のアドバイスどおりにやった結果、怪しいがそれでも成果とも言える何かが生み出され、その何かに軟膏を塗るように後付けで理由を貼り付けて、からまった因果関係をひねり出し、論理を組み立て、それで最終発表をやり過ごし、それでもこの苦しい経験は自分の生涯の力になったと信じている。その錯覚は「自分は研究には向かなかったが、企業人としてこの経験を活かして生きよう」という呆れた人生の指針を生み、呪われた性格を背負ったまま次の修羅場へと自ら進んでいく。不憫で無能で仕方がない。
親から条件付きの愛情を受けて育つと、自分自身のことも条件付きでしか認められなくなる。素の自分に価値はない、うまく取り繕って初めて価値が生まれる、なにかマイナスの面が一つでも露呈すると全て終わり。そんな綱渡りの様な気持ちで日々を過ごすようになる。人の視線に過剰にアンテナを張って、その人におもねらないとならなくて、うまい返事が見つからないと何も喋れなくなる。
自分の場合は同じく20代の終わりになってようやく親から条件付きでしか愛されなかったのでは、と気付いた。きっかけは2chの生活版まとめサイトで、幼子を持つ親たちが惜しみない慈しみを我が子に向けるコメントを何度も何度も何度も読むにつけ、あれ?うちの親ちがくね?と。
そのうち、条件付きでしか愛されなかったこと、無条件に愛して欲しかった・話を聞いて欲しかったという気持ちと、失敗してはならない日々のフラストレーションが爆発して、あるとき半ばやけくそ気味に、もう!これはできない自分を認めてやらないと自分が不憫で惨めで哀れでしょうがない!と思い立ち、それからは不憫だな〜哀れだな〜でもそんなんでも頑張ってるのは知ってる世界中の誰も知らなくても自分だけは知ってる、と一人の時に口に出して言うようになり、言い聞かせてるうちに板についてきて、いつしか他人の視線は気にならなくなった(2〜3年くらいかかった)。できない自分を自責するのではなく、頑張ったねどんまいヨッシャまた次頑張ろ!と思えるようになった。
恋愛に関しては、いい人でいるときの自分は親から受けるような無償の愛を相手に求め続けてうまくいかなかった。今でも完全に解消されたとは言い難いが加齢もあり落ち着いた関係を過ごせている。自分は同性愛者なので結婚は無いが、パートナーと同棲し数年平穏に過ごしている。
親とはそのプッツンの時に着拒し一度も連絡していない。対決すべしとか気持ちを話すべしという本も多くあったけど関わらなければ平穏に過ごせるのでそれを優先している。死に目にあえずとも良いかな。産み育ててもらったが、心は通じ合ってない相性の悪い遠い親戚の様な感覚で、とにかく触れないことが(今は)良いことだと思っている。親からは時折手紙が来たが、この頃は音沙汰は無い。これが私と親の良い距離感なのかなと思う。今思えば両親とも外面は良いが人と深い仲になることが下手な人種だったなと思う。昔は激しく憎んだが、今はようやく無風になってきた。ただ今でも実家や親の顔を想像すると鼓動が早くなるし緊張する。実家は常に緊張の場だった。
他人の視線が気にならなくなってからの人生はとても快適だ。人の気持ちより自分の気持ちを優先できるようになり、行きたくない予定に渋々参加することがなくなり、愛想笑いで表情筋つらなくなり、素直な心持ちでいたら人間関係が豊かになった。
長くなったが、人から愛されるには自分を無条件に愛する(認める)しかない。これは無条件の愛情で育てなかった人にはとても難しくて、大人になってから身につけるには自分自身の一番認められないところを受け入れる必要がある。増田の文章を読む限り、そこまで内面を見つめられたのなら必ず辿り着いてより良い人生が過ごせると思う。あと少し頑張って!
WEB広告で1クリックの単価を安くして露出の回数と期間を多く長くするのか、単価を上げて一発コンバージョンに繋げる(そんなので繋がるのか!?)ホームラン狙いで博打みたいな費用のかけ方だと、
前者の方が私はいいと思うのですが、上司に相談したら後者の一発逆転ホームラン狙いのコースで今週は行けとのことです。
これだと1日の序盤で広告費使っちゃったらあと出てこないので、やっぱり前者の方がいいのでは?と数字を出して説得するしかないのですが。
うーん、またしばらく不憫な日が続きます。外部流入は特に限られた広告費を上手く使いたいのですが。
おっさんずラブは元々2016年末に放送された単発ドラマが元になっていて、その当時は「ついに民放ドラマで同性愛をメインテーマに扱えるようになったか!」と感動しました。それからの2年で世間のLGBTへの認識が大きく変わったのはおそらくご存知のとおり。ただ無印版は2016年版のリメイクでもあったので、当時の同性愛表現から大きく離れることはありませんでした。セクハラまがいの表現を含んでいたのも、2016年版の延長線上だと思われます。
そして春田と牧の純愛が大ブレイクし映画化、そして別世界のin the skyが始まります。
他の方が書かれてるので公式炎上の詳細は割愛します。ただほんの一部のファンが「春田と牧」見たさに暴走してるのは事実です。そういったツイートが増田の目に止まったのでしょう。おそらくitsを受け入れられないがゆえの難癖です。
多くの良識ある無印ファンは、複雑な心境ながらもTwitterに鍵をかけたり、itsから距離を置いたりして、前作含めたおっさんずラブのシリーズ名を汚すことのないよう努めています。そこだけはどうしてもわかって欲しかった。ただただ春田と牧の幸せを望んでいただけなのに、それを公式に裏切られて、その上「同性愛者が苦しむことを望んでる」と誤解されるのはさすがに不憫だ。
今後作られる続編がどんなに内容的に素晴らしく、LGBTへの理解が進んだ良作になったとしても、田中圭演じる春田が牧以外の男と結ばれる限り、応援できない無印ファンは多いでしょう。そこは責めないで欲しい。アンチにならないために新シリーズから距離を置くのはまっとうな判断だと思います。
無印ファンの多くは「春田と牧が(←ここが一番重要)、何の差別もない世界で幸せに生活する姿」を望み、夢想しています。その光景は、増田が理想とする世界とそんなに遠くないはずなんだよ。
めでたし。とはならないな。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191118/k10012181531000.html
ご遺族にしてみたら、二度とは帰ってこない娘(兄弟姉妹かも)に諦めなんてつくもんじゃないだろうし。
誰にも理解してもらえない、やり場のない怒り、深い悲しみがあるだけなんだろうな。
宇崎ちゃんポスターに対しての批判の中に、実在巨乳への批判を避けたいが為か「乳袋」に絞って問題視する声は度々見られたが、
この点にとても違和感があったので少し考えてみた。
「乳袋」的な誇張表現は90年代には確立、いや発祥を遡ると恐らく70年代頃にはあったと思うが、その体系的な解説は識者に任せるとして、
そもそも「乳袋」という言葉自体がネットミーム化したのは比較的最近のことであり、朧げな記憶だが恐らく2010年前後。
ニコニコ大百科の記事が10年6月に作成されていることから、大きくはズレていないだろう。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B9%B3%E8%A2%8B
その記事内にも言及があるが、元々は巨乳イラストが現実に即していないという批判的な文脈から生まれており、
裏を返せば「乳袋」という言葉が出て来るまでは、オタク達は無意識無批判的にその表現を受け入れていたこととなる。
そう言うと批判側の「オタク達は(乳袋がエロではないと)麻痺している」との言説に一定の説得力があるように思えるが、自分としては実情が異なる印象だ。
乳袋の表現は、言ってしまえば、実在の巨乳に対する無理解から生まれるイラストの巧拙や、デフォルメ表現としての流行や表現の確立としての側面が強く、
類似例として、巨大すぎるリボンや、カラフル過ぎる髪の色も、(判子絵的な)キャラを区別する為に生まれた創作者側の都合によるものと考えられる。
つまり「乳袋」はオタク的には直接的なフェチ表現ではなく、イラスト表現の変遷で発生したものであり、副次的に受け入れてきたものだろうということ。
その証拠としてあげられるのが、pixivのタグ検索。「#乳袋」のタグがついたイラストは現時点で2578作品。フェチ的表現としてオタクに人気な気がする「#黒タイツ」の44025件に比べると寂しい数字だ。
タグがついていないだけで乳袋とされるイラストは膨大にあるから、フェチ表現ではなく、表現技法として根付いているように見える。
「根付いているのでは麻痺と一緒では?」と思った方もいるかもしれないが、ここで主張したいのは「乳袋」は巨乳を表現する技法の一種でしかないこと。エロに対して直情的だから蔓延した表現というのは誤認である。
批判するのであれば、「乳袋」ではなく、漫画アニメイラスト業界に蔓延する過度な巨乳女性を安易に描く風潮そのものでなければ、抜本的には解決しない。
(その風潮が生まれたのは、男性の性欲からという点は否定しない。男はだいたい女体が好きであり、それを空想として描くときに現実離れするのは不自然なことではない。安易であるが)
しかし巨乳女性イラストへの批判は直接的な表現規制になり得るし、実在巨乳女性へ飛び火する危険性や、国民的作品へのバッシングにも繋がる。それを分かってるから批判側もそこまでは言及せず分かりやすい記号である「乳袋」にターゲットを定めた心理があるのだろう。
だがそれはオタク文化への直接的な加害であり、オタクからすると「カラフルな髪の毛は現実に即していない!」と同レベルの文化侵略であるように感じられるし、また単なるオタクヘイトと区別がつかないのである。
余談的となるが、宇崎ちゃんの巨乳設定は、漫画を読む限り読者を扇情させる為の魅力というより、ウザい後輩キャラ的な属性をその大きなおっぱいが文字通りクッションとなって印象を和らげる為に機能としてあるようにも見える。漫画としてはエロよりずっとラブコメの色が強い。
あと、2巻3巻の表紙は確かに「乳袋」だが、1巻の表紙や漫画内ではいわゆる乳テントで描かれてる部分も多いので、「乳袋」は宇崎ちゃんにとって重要な構成要素ではないこともわかる。
(漫画の印象に関しては読む人によって意見が別れるだろう。ただ巨乳設定=扇情と限らないのはアニメ漫画を嗜む者には理解して貰えると思う)
作品表現とポスターとしての問題を直結する必要はないが、特にエロの権化でもない宇崎ちゃんが「乳袋」の絵だからといって性的搾取のシンボルとして掲げられるのは不憫としか言いようがない。
そんな感じで、一介のオタクとしては、「巨乳ではなく乳袋批判だ」という詭弁的な批判ではなく、男性の欲望と直結してしまってる創作界隈の巨乳文化をターゲットにして貰いたい。
その声が大きければ、自主規制による創作界隈のアップデートは十分起きうるだろう。巨乳がいなくなれば当然「乳袋」もなくなる。無論個人的には望まないが。
やばいやつNo.1
酒を飲むと誰彼構わず絡み始める。誰彼構わず。たとえ相手が部長だろうと、なんだろうと。もちろん、当人は記憶が無い。
翌日、俺はその後輩を連れて部長のところに謝りに行った。
だが、次の飲み会でも同じ事をした。そのときは課長だったから許された。
やばいやつNo.2
酒を飲むと誰彼構わずその人の秘密をべらべらしゃべりだす。それでいじりだす。当然、当人は記憶が無い。
その秘密をしゃべられた側……というより、そいつと同じ大学から来た子がよくターゲットになるんだが、そいつはいつも
曖昧に笑いながら、もしくは頑張ってごまかそうとしている。正直、不憫で仕方が無い。
そいつは、酒が好きらしい、と最初の頃、聞いていたのだが、何度かそんなことがあってから、飲み会に来なくなってしまった。
No.1と違って、対処が面倒すぎる。
やばいやつNo.3~いっぱい
このNo.1とNo.2に乗っかるその他大勢。
先輩達や、さっきの被害に遭ってる後輩、その他まともな後輩以外は、こいつらの悪事に乗っかってわいわいする。
多分、我々がちゃんと「そうじゃないぞ、大学の飲み会とはちがうんだぞ」と教えてやらなきゃ行けないんだが、過去に例を見ない
俺も、酒が好きだし、酒を飲みながらいろんな奴といろんな話をするのが好きだったが、最近、飲み会って聞いてもあんまり
行く気が無くなってしまった。
件の後輩だけ連れて、今度静かに飲みに行ってみようか。
無国籍主義で、かつ、サッカーのようにお金を積んで引っこ抜いたりする事もないので
日本に思い入れがあったり、好き好んで帰化してる。逆もある。日本のトップリーグに居てもカナダ代表、南ア代表に出ているとか。
また、帰化していなくても、日本チームで戦いたいと思ってる韓国籍の具選手とかもいる。
問題は何もない。
逸話だが
ニュージーランドの実家が火災でなくなってしまい不憫に思った父兄から70万寄付がなされた。
また足のサイズが30センチと大きく札幌にスパイクが置いておらず買えず、
ネットで探し回って買ってくれたりと、
日本が好きというか日本で留学してこういった体験を経て、帰化をしている。
日本万歳主義ではないから、こんな事もあるのかと当初ビックリした。
https://anond.hatelabo.jp/20191012161120
の続き
本誌連載一話目からずっとアンケ出して単行本買って毎週感想や考察を楽しんでいたのにアニメ化してから本誌感想を検索するとアニメ新規原作未読勢の原作既読者への「死ね」とか「殺す」とか「クソ」とか罵詈雑言がすごくて気が滅入る ネタバレ踏んだまでは百歩譲るとしていや原作を買えやと許す気にもなれんが付随するのが死ね殺すだよ そこで読者への殺意が湧いちゃうんだ、原作の購入意欲じゃなくて…すごいな、僕にはとてもできない
「ネタバレ配慮しない人が多すぎ民度が低くて引く」「鬼滅で検索したら/二次創作漁ったらネタバレくらった」
被害者のような言動をしてるが単行本も本誌のバックナンバーも電子で買える今の時代に原作未読のまま原作読者のせいでネタバレ踏んだ!って騒ぐの、よくよく考えると分からない、謎だ、これってトリビアになりませんか?
消費者からすれば訳が分からないよな、なんできちんとお金を払って楽しんでいる側が責められなきゃならないんだ…? 理不尽な殺意地雷です
後半どんどん雑になっていくのはネタバレルートが自業自得むしろなんで被害を受けたと訴えようと思った?レベルに救いようがなくなっていくからです
地方だから入荷遅い? 電子あるだろ インターネット見てネタバレ配慮しろとぎゃーぎゃー喚いてるのに電子版にアクセスできないわけもないだろうし…分からない…
何のサービスでも検索したらその情報が出てくるのは当たり前だろ お前は分からないこと知りたいこと気になったことを検索したらそれについて詳しい情報が出てきたことがないのか
二次創作って基本原作を知ってる人間がやってるからそこに原作のネタバレがあるのは当たり前だろ 二次創作の二次って何の二次だと思う? 原作の二次なんだよな 一次情報である原作のネタバレが含まれているのは自明の理だと思いませんかあなた?
自業自得で勝手に苦しむのはいいが一人で孤独に苦しんでくれ あなたのせいでネタバレ踏みました!って逆恨み呪詛をばら撒くな 本誌ネタ感想考察二次創作のせいでネタバレ踏んだ死ねとか言ってるお前のことだぞ
そういう輩を見るたびにこいつは原作に金を落とす気のないキッズと判別できるのはいいがアニメ化を機にこんな精神低年齢者に目をつけられてしまった原作が不憫でならないんだよな 原作未読勢のせいで肝心の原作ファンが当初のように楽しめなくなってしまって本末転倒なんだよな 最初こんな言動取るのは中学生か高校生だろまあ仕方ないかと思ってしまったけど中学生高校生ごめんな、普通に18歳以上とか成人済みの発言だったわ、世も末 ネタバレを死のように恐れるならそもそもインターネットをやるな いやその前に原作を買え 宗教上の理由でできないのか? 購入厨に先越されると悔しくて泣けてくるのか?
最初は配慮してたけど4月から半年経っても原作漫画の一巻も買わない人間、ネタバレのせいで漫画見る気萎えた!とか言うけどこれどのみちなんだかんだ言い訳して公式に金を落とすタイプの人間じゃねえんだわ、もっと早く気づけばよかった
インターネットのせいでネタバレ踏みました配慮してください人間、原作を買ってないんだよな
原作を買う気のない人間のせいで原作買ってる人間が遠慮を強いられるのおかしな話なので無課金厨は配慮しろ
アニメ派に人権はあるけど自衛もしないできない無課金厨に人権はないよ
更に言うならきちんと購入して原作を支えているファンを加害者扱いしてキッズ呼ばわりする側の方が読者の人権を侵害しているよ
本誌も追わず単行本も読まずそのくせ自分からネタバレに繋がる検索をして死ねだの殺すだの不平を言って読者の足しか引っ張れないような奴は目を瞑ってどっか隅っこに挟まって口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きててほしい
https://anond.hatelabo.jp/20191012162403
というか円盤グッズ買ってくれるかもしれないしと配慮してきたよ
でも「お金ないから原作買えない、アニメのみで楽しみたい」って言ってる人間を見ていくらネタバレ配慮したところで原作漫画の一巻も買えない人間が漫画全巻より高い円盤を買ってくれるわけがないから無意味だと目が覚めた