はてなキーワード: レジャーとは
アウトドア趣味なら車がないと話にならないわな。インドアで外出も都内だけとかならいらんのだろうが…。
その割に都内の連中はこぞって外車を買い漁って、随分車に投資してるな。
最近よく建つマッチ箱みたいな3階建ての戸建ては必ず1Fが車庫になってるし。
たいてい休日以外は車庫で肥やしになってるが。
日常生活では必要なくても休日のレジャーには相変わらず車が必要なんだな。
ブクマ見てると見栄乙!とか他にカネ使ってますけど?(ドヤァみたいな反応が多いけど、意外なほど旅行趣味とかアウトドア趣味って少ないんだな。
なんか、長期休暇とかにとりあえずどこかに行く、っていうのがまるで当然かのように語る人っているじゃないですか。
そういう、旅行というものは絶対的なレジャーだっていう感覚が全然理解できないんです。
その旨を伝えると、すごいかわいそうな目で見られたり、行ってみれば楽しさがわかるよ!、みたいなことを言われたりするんです。
いやいや、リョコウメンドクサイじゃないですか。
インターネット上にはいろんな刺激があるし、ほんの一駅移動すれば見知らぬ土地があるわけで、何で遠出する必要があるんでしょうか。
きっと商業的なアレでマスコミとかにそそのかされてるだけですよね。
というか、僕はもはやリョコウメンドクサイという意識があまりに強いので、おそらくどんな旅行でも楽しめないだろうなぁと。
共感してくれる人がいてくれると嬉しいです。
しかし、内容的に増田にしか書くことができないのだということをわかってほしい。
立場を明かして書くこともできなければ、書いたところで誰かが得をするものでもない。
とうとう死体蹴りプロ山本一郎氏にまで言及されたパチンコ業界。
それを認めんとしないがために起こってしまったのが今回の不正釘問題といっても過言ではない。
つまりもう、そうでもしなければこの業界は成り立つことができない状態にまで陥っているのだ。
滅びの始まりはミリオンゴッドが社会問題として取り沙汰された頃だ。
ミリオンゴッド自体が巻き起こした社会問題もさることながら、過度なギャンブル性を抑えるために適正な検査が行われているという前提に疑いの目が向けられてしまう最初の大きな事件だっといえよう。
それ以前から業界の中では検査体制がザルだということは周知の事実だった。
そこを最低限の損失で切り抜けることができたのは、あの時まだ多くの既得権者によって業界が守られていたからだ。
それから時間をかけて少しずつ是正が行われたものの、その当時、ミリオンゴッドを始めとした一部の機種を回収したのみで他の問題へと言及が進まなかったのは、様々な方向からの配慮があったからにほかならない。
パチンコ業界が存続することによって守られる既得権のための配慮だ。
多少乱暴な物言いにはなるが、それは即ち既得権の崩壊でもあった。
単純に、パワーバランスが崩れたことによりパチンコ業界を守ることによって得られるものより失うものが上回ってしまう状況に変わってしまったということである。
この時、事実上パチンコ業界を各方面からの圧力から守っていた後光は失われたのだ。
そこに止めを刺しにかかっているのが、新勢力であるカジノ部隊だ。
単純に言えば、彼らは新しい利権をつくり上げるために過去の既得権を崩壊させようとしているのだ。
しかし、そのためには事実上既存のギャンブルと言えるパチンコによる依存症問題などの社会問題を解決する必要がある。
既得権を奪うよりも新たな利権を作りあげることで既得権を崩壊させる。
つまりはこれを盾に業界縮小を迫るということは一石二鳥な戦略といえるわけなのだ。
しかし結局はどちらに転ぼうとも消費者を無視した利権争いでしかない。
消費者を守るためなどと言いながらも、消費者や民間企業とその労働者達がどうなろうとも彼らには関係のないことなのだ。
この動きをいち早く察知した業界の一部メーカー、ホール企業は、もうすでにカジノ運営やマシンの開発に乗り出している。
そのことも、業界の未来が明るくないことを示唆するに十分な証拠と言えよう。
そうした利権争いに挟まれている間に、パチンコ業界は大きな見込み違いをすることになる。
それがスマートフォンの普及からなるソーシャルゲーム業界の台頭だ。
パチンコの魅力=「刺激による中毒性」と考えていたパチンコ業界は、ソーシャルゲームから得られる自己承認欲求という中毒性を軽視しすぎていた。
父親世代がパチンコで騒音と煙草の煙にまみれながら散財していく姿を見ていた若者たちはその存在を忌み嫌い、しかし抗えない中毒性を求めソーシャルゲームへとはまっていった。
そこにパチンコの既存客の奪い合いが激化したことによる高単価が進んでいくことで、若者たちの獲得はより困難になっていったのだ。
パチンコの来店動機で常に最上位にある動機を知っているだろうか。
それは「立地」だ。単純に家から近い店を選んでいるにすぎないのだ。
当然それだけではない。設備や快適さ、信用度などが加わって最終的に利用する店が決まる。
しかし、アンケートをとってみれば常に最上位にあるのは単純に「通いやすい」という理由だけなのだ。
このことはパチンコを経営する人間であれば、企業努力の全てを無駄と思わせかねない認めざるをえない周知の事実だ。
いわばパチンコとはそれだけ気軽で身近なレジャーと言える存在なのだ。
それなのに皆が総じて見落としたのだ。もっと気軽で、もっと身近なレジャーと言える存在を。
インターネットさえつながることができればどこにいてもいつにおいても刺激と自己承認欲求を満たすことのできる存在を。
いや、言い換えればはじめから打つ手がなかったのかもしれない。
パチンコで自己承認欲求が満たされることに対して違和感をお持ちだろうか。
ならば問うが、パチンコで最も得たいものは果たして大金といいきって良いのだろうか。
当然、参加者全員が儲かってしまえば業界そのものが存在できない。
一部プロと言える人間をのぞいて、大半は単なる1ファンが支えているのがこの業界だ。
つまり、負け続けても通い続けるファンによって支えられているのだ。
単純にお金を失いたくないのなら、貯金箱に入れて定期的に引き出せば良い。それで満足できる金額を得られるはずだ。
しかし彼らはそうはしない。
なぜなら、そこに自らの運の強さという自己顕示欲を求めるからだ。
つまり、10万というの金額を得たいのではなく、10万というの金額を得ることのできる自らの運の強さを実感したいと言えるのだ。
普段生活をしていて、半日程度の労働で10万円という対価を得られることがあるだろうか。
当然、普通はない。
ギャンブルに参加するという行動が伴うことによって、それだけの価値を得ることができるという自らの能力としての実感を引き連れてくるのだ。
このことと、ゲームを圧倒的に優位にしてくれる1/1000のレアを引き当てた瞬間の運の強さを実感することとどこに違いがあるというのか。
これこそがパチンコ業界の多くの経営者が見落としている、ファンが求める自己承認欲求の部分である。
当然誰もがそのことに気づかなかったわけではない。
一部のメーカーがそうした要素を取り込もうと努力をしたのも事実である。
しかし、残念なことにすぐに規制によって廃止せざるを得なくなってしまった。
その道を進むことができなかったことは、つまり業界がすでに後光を失ってしまったことを再確認したにすぎないことだったのだ。
大半の業界人が予想している通り、今回の不正改造問題についてこの業界が少ないダメージで切り抜ける方法はもう残されていない。
今の今まで、とっくに失われていたはずのギャンブル性だけで業界はこの規模を維持し続けてきたのだ。
しかし、それを失った今、残された道は縮小だ。
射幸性を失ったことにより去っていくファンをつなぎとめることはもうできない。
そうして業界全体がこれから払うべきツケは新規客の獲得を疎かにし続けたことだ。
ポケットの中にいつでも気軽に得られる自己承認欲求を持った人間の足を、騒音と煙であふれる実店舗に向かわせるという余りにも困難な命題を抱えているのだ。
このことを詭弁というのは構わない。
しかし、業界が緩やかに縮小していくであろうと言う予測も、最早欺瞞だ。
経営者はそのことを少しでも早く認め、今の人材たちに未来を準備する責任がある。
これこそが今回最も言いたいことの一つでもある。
なぜなら、これは何もこの業界に限った問題では無くなっていくからだ。
ある程度の年齢、ある程度の家族を持つ、他の業界では流用の効かない知識・技術をもった人間が世の中に溢れ出るのだ。
これは、労働に携わった人間だけに責任を求めるべき問題ではない。
例えばソーシャルゲーム業界が突如規制によって崩壊したらどうなるか。それとなんら変わらない問題なのだ。
このツケだけは、業界だけでは払いきれないということだけは皆に理解していて欲しい。
一人の日本国民として切に祈っている。
どうして皆、すでに公開が終了したブレンディのHPに掲載されていた動画で騒ぐのか謎だ。
とても可愛い女の子が動物園へ、可愛くておっぱいが大きい女の子が乳牛へ。
まぁ、努力しても無駄だということを自分に教えてくれる動画ではあっただろう。
例えば、僕の大学は偏差値が低くて、関西で大学受験をする人ならバカにする大学だ。
こんな大学のバカな文系キャンパスで一番早く就職先が決まるのは容姿の良い人間だ。
まぁ、可愛くておっぱいが大きい女の子から就職が決まっていくのだ。
僕が阪大に編入を志望しているモテない、1年前には風俗でクラミジアと淋病を両方同時にもらった男と大学の近くのファミレスで食事をしていた時のことである。
隣のテーブルには、美男美女が座っていた。男1人、女が2人だ。
いや、そんなふうでもなかったか。とりあえず3人とも内定が決まっていた感じだ。
女1人の内定先はわからなかったが、男はN○○デー○の子会社だそうだ。下請けを使うだのなんとか言っている。女は京○銀○だ。
僕が話を聞ける範囲で聞いて内定先がわかった2人はバカな北海道の付属校からの内部推薦組だそうだ。
北海道からわざわざ京都の私立大学に行くほどだから頭が悪くないわけがない。
バカで、セックスを楽しんで勉強はあまりやっていないであろう人間が妙に名前が通っているところに就職できるのは容姿が良かったからだろう。
特に京○○○に就職が決まった女はとてもとても容姿がよくてクラミジア阪大編入志願男は足が良いと褒めていた。
努力。。。
そんなの関係がないのだ。努力で容姿がよくなることなんてないのだ。努力で一生懸命、容姿の良い女に頭下げてキモがられて、なんだかんだ金を払ってセックスをしても惨めさしか残らないのだ。
牛はどっちにしろ食肉コースだ。
遅かれ早かれ食肉コースだ。
でも、僕たちは食肉にはならない。
牛よりも差が激しすぎるのかもしれない。それは良いことなのかもしれない。
でも、同じ運命ではないのだ。
同じ学部にいるとんでもないくらいの醜女は就職できないかもしれない。
食肉にすらなれないあの女は。。。牛なら未経産牛として褒められたかもしれない。
あぁ、こんな話をしていたら牛たちに怒られてしまうかもしれない。
今の職場の雰囲気が合わず、仕事内容に慣れはしたものの仕事ができるわけでもなく未だに周囲に迷惑をかけてばかりいる。
人間関係が上手くいっていたらまた感じ方が違うのだが、正直居場所がなくてつらい。
事情を事細かに説明することが難しいが、メンタルクリニックで鬱病と診察された。
自分でも食らいついていきたいという気持ちはあるけれど、なかなか難しくドロップアウトのような感じで職場を去ることになりそうだ。
いま悩んでいるのは仕事を辞めるかどうかではない。
今現在の職場というのがよく言えばアットホーム、悪く言えば閉鎖的な環境にあり、人数が少なくかつ人の入れ替わりが極めて少ない。
先日もあったのだが、うちの会社はBBQなどのレジャーが年に数回行われる。
そのときに記念にと皆がべらぼうに写真を撮るわけだが、僕を含めた職員が満面の笑みを浮かべて写った写真が各社員のスマホに保存され、さらには楽しそうな写真としてFacebookに投稿されてしまっている。
もちろんタグ付けされて僕が写り込んでいるのが何枚もある。
その写真を見返すたびに職員たちは俺のことを思い出して「あいつすぐ辞めていったよね~いまどうしてるのかな~生きてるのかな~」などと噂されると思うと憂鬱だ。
僕が去った後でも連中の話のネタにされるのが耐え切れない。
今唯一にして最大の気がかりがこれなのだ。
そこで歳の近いメンバー男女4人と仲良くなった。全員、20代半ばだ。最近ちょくちょく遊びに行っているが、私以外、みんな育ちが良くてアタマが良い。
会社もすごい。有名乗り物メーカー、大手の通信会社、インフラ、製薬……私でも聞いたことのある会社で働いている。
実家は都市部の住宅街に、一戸建てが当たり前。仕事とレジャー用で、最低2台車がある。冷蔵庫にはビールやウイスキーがある。
家族で海外旅行に行ったことがあるし、歌舞伎や文楽、オーケストラ、宝塚に連れて行って貰っている。塾代も大学費もみんな出して貰ったようだ。
絵を見たり音楽を聞くと、自分の言葉で感想が言える。知識もスラスラ出てくる。(この時代はこういう絵が流行った、とか)古い本や映画もよく知っている。ご飯もお酒も詳しい。特産品とか知らなかったし、磨きとか、シングルモルトといった言葉も、彼らから教えて貰った。
買い物に行くと、お洒落で質の良い物を選んでいるようだ。私は分からないけど、周りが言うには良い物らしい。
それに、誰も「クソめんどい」とか「はぁ?」とか、言わない。悪口を言わない。
私は、名前を書けば誰でも入れる短大を出て、従業員数10名にも満たない運送屋で事務員をしている。手取りは13万弱。これでも昇給した方だが、奨学金の返還がある。
郊外の古い公団住宅に、ビッグダディみたいな見た目の父(土木作業員・パチンカス)、ヨレヨレに老けたギャルみたいな母と同居している。
親戚も地元の友達も皆3K仕事をしてて、はっきり言ってDQN臭がすごい。短大卒業して事務やってるだけでスゲーと言われるレベル。
親戚と歩いていると恥ずかしい気持ちになる。私もDQNに見えてるのかもしれない。
うちに車はない。会社の白ワゴンか、ユニックしか乗ったことがない。お酒は発泡酒かチューハイ。たまの旅行は海水浴かディズニー。日本から出たこともない。絵も音楽もよく知らない。文学小説も読んだことない。文楽なんて話題にすらなったことがない。
集合写真を見ると、私だけ異様に子どもっぽい。若いんじゃなくて、幼い。
殆ど歳は違わないのに、どうしてこんなに差があるんだろう。
生まれ育った家庭のせいにしたい。でもどんな家に生まれ育っても、頑張る人は良い大学へ行くし、良い会社に入る。教養だって自分で身につけられる。
私が遊んでる間に彼らは頑張っていただけの話。
そう思い知る度に、自分の程度の低さが沁みてきて暗澹とした気持ちになる。
誰も私を馬鹿にしない。私だけが知らなかったり追いつけない話題になると、さりげなくどういう話をしてるか教えてくれる。
私のことを「面白い人」と言ってくれる。
みんな優しい。それが余計に、辛い。
http://anond.hatelabo.jp/20150507030334
たぶん書いている人は戦略系じゃないと思う(年収の話から推定)。
かくいう私も非戦略系に新卒で入って5年以上10年未満在籍している。
戦略系に比べたらたぶん半分くらいしかもらっていないが、世間一般に比べると十分に高い。
後、経費の自由度があったり印税とか日当とか給与外の収入が結構ある。
高級な外食、飲み会、休日のゴルフなどは人によってバラツキが大きいという印象。
私は出張先で少し高めのお店で食事するくらいでゴルフもやらないし、都内に居るときは家で食べる。
従って、それなりに貯金できたり家族とのレジャーに使えたりする。
同年代でも明らかに高い方なんで文句言うのはおかしいと思うし、もっと給料がほしいなら外資系や他のファームに移ると思う。
出世競争は確かにあるし、ネガティブな噂が立つといろいろやっかいなのは弊社でもある。
自分が得意とするテーマや業界なんかで出世のスピードが変わるが、
そういうのに左右されず「自分はこのテーマでNo1になるんだ」って思いがあるから大して気にならない。
焦土作戦みたいなプロジェクトもあるが、入らないように自分で社内にプロモーションするなりして活動すればなんとかなった。
クライアントの問題解決って、確かにレベルが低かったり出世競争上の不毛な話も多い。
一方で、提案時点でキチンと問題の定義とか進め方とかアウトプットを明らかにしておけば防げる物も多い。
要は曖昧な提案して、何でも屋として扱われないようにすることが重要。
クライアントが神様ではないので、スコープ外の事は断ったりすることも必要。
しょうも無いレベルの案件が無いとは言わないがキチンとした提案からのプロジェクトは問題解決につながっていると思っている。
ファームの違いか、領域の違いか、プロパーの人とのプロジェクトが大半。
従って、プロジェクトの形は人事異動以外でネガティブな変更は少ないから助かっている。
人員整理や再成に関する案件は、確かにリストラの名簿作りとか良い思いをしない仕事もあるが、
経営者の悩みは会社を存続させることであって100人リストラして、1000人の雇用が守られるならそれも有りと考えている。
※このあたりは人に依って考え方が異なるのは理解しているつもり。
一方で、プロジェクトを機にクライアントのプロジェクトメンバーが表彰されたり、昇進したりするのはほんとに嬉しい。
私はそういう意味で満足しているし、まだがんばろうと思っている。
「本に書いてあるほど良い仕事でもないし、会社によっては大企業の方が高給だよ」と言ってる。
はっきり言って、私は独身者を見下している。
理由は、「自分がとっくにやり終わったことをまだやってるから」である。
オールで飲んだり、小さなカフェを貸し切ってDJごっこしたり、彼氏がいないときは合コンも行ったり。
金はないので、飲むときは家飲みかさくら水産か公園だったけど、それはそれで楽しかった。
海外旅行も行ったし、三ツ星フレンチにも行ったし、ホテルのスイートでシャンパンパーティーなんかもした。
勢いでベリーダンスを習ったり、なぜかスカイダイビングしたりもした(あれはもう二度とやりたくない)。
給料日前はやっぱり金がなかったので、せんべろ立ち飲み屋で安酒ひっかけるのも楽しかった。
でも、そんな生活も続けると飽きてくる。
飽きる理油は、単純な消費だからだと思う。
次の生産に繋げられるなら良いと思う。飲み仲間の縁で仕事をもらうとか、グルメ好きが高じて店を出しちゃうとか。
でも、私にはそういう才能なかった。
そろそろ次のステージに行きたい、と思っていたときに、当時の彼氏にプロポースされて、三十路前にめでたく駆け込み結婚。
その後長男と長女を授かり、復職し、今ではごく普通の節約ワーキングマザーである。
海外は新婚旅行以来行ってないし、フレンチは年に1回だけ(結婚式を挙げたホテルに結婚記念日に行くと半額になる)
レジャーは子供のためだけ。外で友人と飲むのは、月に1回あるかないかである。
とにかく今は子育てがすごく楽しいし、子供のためを思うと仕事も頑張れる。
で、ふと周りを見渡すと、三十路をすぎた独身の友人が、未だに「ワインを持ちよって女子会ー」とか言ってるのである。
えっ君たちまだそんなことしてるの?と驚いてしまった。
そんなの、私は27歳くらいで飽きたのに。
いや、さっきも言ったとおり、次の生産に繋げられるならいいのよ。でも、彼女たちは消費しているだけなのだ。
よく飽きないな。いや、実は飽きてるんじゃないの? 飽きてることに気づかないふりしてるだけなんじゃないの?
海神区は発展を遂げた。もちろん、住民は増えない。こんな場所に住んでも幼稚園も小学校もないし病院もないし、その辺は東京都にくっついているわけで、隣接する江戸川区におんぶにだっこである。江戸川区には屋内型温水プールもあるのだ。高校生以上は210円で入れるよ。しかしそうではなく、複合ビルに住所を移す企業が増えたのである。一流企業こそ動かなかったが、中堅規模の企業や、新興ベンチャーのいくつかがN氏の交渉力もあって地所を移してくれたのだ。
第二の転機は、そうして移転した企業のひとつに、総合メディア商社トラメイトが含まれていたことからはじまった。
このころ海神区は寄付の半額をお米券などでお返事していたのだが、当然ながらこんな埋立地でお米などとれるわけではないのである。お米券は全国共用のお米が買えるチケットだが、これは海神区が区の予算で購入していたのだ。
しかし、移転してきた企業からは様々な提案があった。おかえしは海神区の特産であるところの私の企業の製品で送り返しませんか? というものである。
あたりまえだ。彼らはそういう接触を求めて本社の位置を変更したのだから。
N氏もこれに答えて「お返しが選べる海神区のふるさと納税」システムを構築。Amazonの欲しいものリストのように選べるお土産は海神区の新しい顔になっていた。
いわく
「大規模なものです」
効果は一瞬で現れた。
ふるさと納税は、納税ではなくなった。いやまあ、言葉は納税だが最初から寄付だったのだ。しかし寄付ではなく節税として使われてきた歴史があった。それが地元グルメの通販に姿を変え、再び節税となり、おもしろお土産自慢になり、いま、まさに欲望の宝くじとなった。
ふるさと納税をすると海神コインがもらえるのだ! 500海神コインで一回の抽選が茶ができます。SSRがでるとコンサートに行けるよ!
しかもN氏の狡いところは、税収の大部分をチャリティーとか何とか言って国連へ寄付してしまっているのだ。そんなところで金をがめつく絞らないでも、イベントの実行委員会の本部は複合ビルの中にある事務所なのである。使用料や企業からの税収で、海神区の財政は健全なのである。ああ、いや、こんなに利益が出るのは自治体としては不健全かな?
このシステムの素晴らしさは、ありとあらゆるジャンルに応用が利くということだった。チャリティーという武器を振りかざし、海神区は芸能ジャンルへも踏み込んでいった。
海神区には小学校も中学校も高校もないのだが、深夜アニメの舞台となった海神区には小学校も中学校も高校もあるのだった(ただし名前は全部「学園」になっていて学校ではない謎の教育施設っぽかった)。
いつの間にか複合ビルにはFM局「うみがみラヂオ」まで開設され、しかもこれは江戸川区や葛飾区だけではなくインターネット経由で全国に視聴者がいるのだった。
海神区発信のイベントは一年間4クール12か月52週の週末を埋め尽くした。若者やオタクばかりではない。
30000海神コインでは千葉県とコラボした梨狩りに参加できたりして50歳以上の有閑なみなさまに健康とレジャーと出会いの機会を提供していたのだ。
海神区はクールジャパンの代名詞として世界にとどろき、納税という行政参加はついに娯楽と、そして何よりライフスタイルと一体化した。人々は自らが自らの収入の一部を預けるという行為がダイレクトに地方自治体の挙動に影響を与えているという実感をかみしめた。
それは、アイドルのコンサートに参加して空気を共有する、自分たちがこのアイドルを育てている、その実感にお金を払っているファンが得ていた高揚とまさしく同じものだった。