はてなキーワード: リア充とは
どこで道を誤ったかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で「さくらたんのエロ画像キボンヌ」していた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて美少女というものを見た。しかもあとで聞くとそれは美少女中で一番美しい少女であったそうだ。
何故こんな運命になったか判らぬと先刻は言ったが、しかし、考えように依れば思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己をキモヲタだ、根暗だといった。実は、それが殆ど逃避に近いものであることを人々は知らなかった。
己は彼女が欲しいと思いながら、進んでDQNに就いたり、求めてリア充と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己のフツメンに非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のフツメンなるべきを半ば信ずるが故に、風俗経験だけで女を語る素人童貞に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。
今思えば全く、己は己の有っていた僅かばかりの可能性を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は顔面偏差値の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
己よりも遥かに醜い容姿でありながら、それを専一に磨いたがために堂々たる妻帯者となった者が幾らでもいるのだ。30代真性童貞と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。
それを思うと己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ今、己が頭の中で、どんな優れたイチャラブ童貞喪失デートプランを作ったところで、どういう手段で実践できよう。
まして、己は日毎に40代真性童貞に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。
そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰もらえないかと。しかし、ブックマーカーどもは己の声を聞いて、唯、嗤い、見下すばかり。
山も樹も月も露も、一匹の童貞が怒り狂って、哮っているとしか考えない。
天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。
ちょうど人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。
己の亀頭の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
いろんな男子高校生、女子高校生、女教師の恋愛模様を描く短編集
陰キャだけどやさしくしてもらった男子にほれてしまって自分と彼以外滅びないかなとか中二病考える
でも泣いちゃう
どこまでもイケメンな男子と、陰キャな女子のギャップがすごくつらい話
卒業式後、ようやく女教師がOKして自室に招待してお酒のむと、お堅いおんな教師がすごく弱気にふにゃふにゃになる
もう三十路前だし自分に自信がなかった女教師を見て男子はますますかわいいと思う
そんで同棲することになる
メガネ女子はそこまでしなくていいという
そのかわりに「他の女子と話した後は私が満足するまで好きといって」と言う
しかし会話の後、男子はほかのクラスメートの面前でメガネ女子に「好きだ」と言ってしまう
女子は男子に「みんなのまえでいうな」というが実はうれしかった
裏編として、実はよく男子に話しかけてた女子は男子が好きで、好きだ事件のあと、
どうでもいいと考えつつ未練たらたらでちょっとかわいそう
でも実の目的は、メガネ女子が図書館にいる男子をのことが好きだから、ギャルが付き合わされてる
ギャルは女子に、自分から行動しなきゃだめだと伝えて、告白させる
でもギャルは見返してやればいいといって女子力を教えるようになる
ギャルと女子、男子と彼女が街角で出会ったとき、ギャルは女子に、「男子に対して好き勝手いってやれ!」とけしかける
ギャルは男子にいろいろモーションかけるが、男子はヘタレなせいでろくに何もしてこない
最後卒業式の日、最後だからギャルから告白して男子もそれに返すが、ギャルは男子に、男子から告白してほしかったといってさよならを告げる
再読
★5だなあ
めっちゃ好きだわ
短編のクオリティがそれぞれで漫画1冊分くらいあってもいいくらい
百合的なのもあるし、もどかしさ、安心、失恋などおっさんが読んでも傷つかない程度にほほえましい話で、
すごく好み
あっちは読んだことないけど読んでみようかなあ
絵柄が少しこんちきににてる
1冊の満足感がすごく大きい
最後後日談が書き下ろされてるのもすごくサービスあってうれしかった
心の本棚入りだわ
初めに言っておく。
私はネットワークビジネスをしたくない。やたら勧誘されるので詳しくなってしまっただけだ。
MLMってなんぞや?
と思った方、私も聞けばわかるけど自分では思い出せないので今調べた次第です。
(確かMLNだったかな〜と思ったら違った)
MLMって言えばかっこよく聞こえる、マルチの悪いイメージを隠せると思って言っているんじゃないかと私は思ってしまう。
知人と2人であってたのに途中から上の人が合流してタブレットで説明してくるよくあるパターンですよ。
いや私ね、A社T社N社M社…など勧誘受けてきたから、はいはいまたそれかってスライドなのですよ。
時間がもったいないからそれ知ってますって伝えているのに、彼らは愛するビジネスを語りたくて仕方がないのだよ。マニュアル通りにしか伝えられないとかじゃないわけですよ。
私は別に今まで勧誘してきた人たちと縁を切ったりはしていないんです。
そんなにしつこくなかったからでしょうか。私が始めたいと言うのを待っている感はとても伝わってきますが。
それか海外へタダでいけちゃう特典をもらえるレベルの上の方の人達だからでしょうか。
いや、本当わたし人を紹介できるわ。
やりたいの?どこの会社?って。
で、ようやくタイトルの内容に入るわけですが、彼らのコミュニティはすごいね。
で友達ほしい人にはオススメだと私個人的には思う。ぼっちからリア充気分を味わえると思う。
何かしらイベント多いし、ちゃんとした人に紹介されたのなら一緒にがんばろうって面倒みてくれるし。
友達0人だと製品を紹介して絶縁になるリスクないし、恐れるものは何もない。
じゃ、誰に売っていくんだよって話だけど今はノルマのないマルチもあるし、とりあえず自分が使う分だけ購入して紹介者に利益が入るっていう貢献活動にはなる。だから必要とされる感も味わえる。
別の知り合いは女子会や飲み会を企画して勧誘のきっかけを作っている。かくいう私も、転勤してきてこっちにまだ友人がいない方、っていう言葉に惹かれて春に参加して勧誘されている。
私には商品を紹介したい友達はいないと伝えたら、元からの友達には伝えずにこれから作る友達に勧誘したら良いと言われた。
ボーリングだったり飲み会だったり、すでにネットワークビジネスをしている人が何も知らない友人を連れてくるイベントの場はたくさん。
裏で今日はこの子を連れて行きます、お願いします、と上の人に伝えておいてさりげなく知り合いになるとかね。ちなみにこのイベント時間内には一切マルチのこと出てこないんですよ。
何回か誘ってもらって多くの人と顔見知りになって、頃合いをみてお店に連れていかれたりね。
ホームパーティーとか料理教室とか少人数のやつでやっと気づく人が多いですね。
盲目になれば楽しめるんじゃないでしょうか。どんなにネズミ講とか批判されても同じチームのビジネス仲間は失わないので1人にはならないし。
あ、でもいろんな派閥が有りますらね。同じ会社のビジネスでも付く人が違うと全くやり方が違っていたりしますからね。ノルマとかも会社の規定じゃなくて自分達で勝手に決めて追い込んでいたりするんじゃないでしょうか。
私はですね、
最近本業手取り16万が相変わらずしんどくて、もう1つバイトをしようかなぁと思っているところなんです。(本業は副業不可なんですけどね)
そんな私をきっと彼らは権利収入だの、仕組みを変えなきゃだの、Eクワは〜、だの可哀想な目で見てくるんだろうなぁーと、ふとこんな記事を書いてみたわけです。
それが嫌なら縁を切ればいいんですけど、普通にごはん行ってますからね。さりげなくしかネットワークのこと言ってこないし。
ただ私は全力でそこは無視する!!
絶対私はネットワークビジネスなんかしない!!!
ここに吐き捨ててもう俺のPNは終わりださよなら
なんでこんなことになったかというと、俺の会社のとある行事に、テレビ局が入ることになった
俺はテレビなんかには絶対出たくないし、名前も知られたくないし、その時は隠れているつもりで会社の人にも言っていた
だが会社の奴らは、せっかくテレビに出られるのに、なんで、とか言ってた
みんなミーハーなのか、男どもは前の日に髪を切りに行き、女性たちは化粧に気合が入っていたが、俺は絶対映りたくなかったので、逃げていた
とにかくテレビには絶対出たくない、困る。と会社の人には口を酸っぱくして言っていた
奴らはわかったわかった、と言っていたのに、撮影の途中で、俺をだまして、テレビカメラの前に差し出した
生放送。逃げられない。社員の〇×です、と紹介され、映ったのは十秒かそこらだった
同僚はにやにや笑っていた。お前シャイなんだから、せっかくだから映っておけよ!みたいなことを言っていたように思う。
放送終了後。
「本名はXXで〇〇に勤めているんですね」
終わった、と思った。
コミケに十年以上参加し、そこそこ売り上げ、毎回手渡しで本を売っている
知り合いも増え、友人もいる
常連の読者もたくさんいる
だからテレビになんか絶対映りたくなかった。どこで読者が見ているかわからない
本名と会社がばれてしまったら、もう続けられるわけがない。書いてる内容は成年向けなんだから。
リア充の会社の同僚たちは、余計な善意で一人の人間の大好きな趣味をつぶしてしまったとは思いもしないんだろう
テレビに出たいやつばかりじゃないんだよ
くそう
原作小説は数十万部売れ、アニメはDアニメストアで新しいのが配信されるたびにデイリー1位だとか。
イセスマで検索したら11話を絶賛する信者のツイートがどかどか出てくるとかで、異世界スマホを腐してるオタクが信者を馬鹿にしている。
以前携帯小説とか恋空をフルボッコにしていたノリを思い出すが、若年リア充女子が好むものをオタクがバカにするいつもの構図と違い、若年オタクが好むハーレムアニメを老オタクがバカにしていてなんか珍しい。
https://twitter.com/tamako_han/status/912213814342434818
https://twitter.com/tamako_han/status/912217808842264576
人間だから、というよりは「動物だから」と言ったほうが納得感がある。常に発情期だからね。
ただ、頭ではわかるけど、残念ながら非モテには「感覚として」良くわからないと思う。いや、男女双方に対して普通に「セックスしたい衝動」をガマンできないのかよ?サルかよ。って感想は浮かんでしまうんですよね、どうしても。その感覚を共感できるだけの人生経験を持ち合わせていないからね、残念ながら。常に自己完結で処理してきた衝動だからね。
「二次性徴以降、恋人が居なかったことがない」みたいな人とは分かり合えなさそう。
でも頭ではわかるよ。
食べちゃダメなのに食べるとか、寝ちゃダメなのに寝ちゃうとか、お酒で薬を飲むのは良くないんだけど飲んじゃうとか、今日は休肝日だけど飲みたいからやっぱ飲むとか、疲れてるし風ひいて熱があるけど仕事しなくちゃならないみたいな、やっちゃいけないけど立ちションしちゃうとか、たぶんそういう感覚や事情なのでしょう。だから主張は肯定する。
モテ側の人も、非モテ側の人も、この辺の「感覚的な分かり合えなさ」を理由に「これだからキモオタは」「非モテは黙ってろ」「リア充はサルかよ」といったような「モテ・非モテ差別戦争」に持ち込んでしまうのも悪手だと思うんですよね。恋愛が市場化した以上は売れない人が必ずいるわけで。
それにこの方、日本のフェミニズムがレイシズムを隠しもしないことに絶望してフェミニストを名乗るのを辞めた人らしいので、オタクや非モテをも丁寧に扱わないと整合が取れないと思うんですよね。もし仮にそれをやり始めたら、オタク・非モテに対するレイシズムである日本のフェミニストらと同じ穴のムジナですからね。
追記:
https://anond.hatelabo.jp/20170925181848
自分はガチャ的な遊びをしないわけではないけど、おこづかい(お給料)の範囲でしかやらないし、そもそも貯金ゼロ状態とか不安すぎて無理。ありえない。貯金してない人が信じられない。
私に石は当たらないな。
https://anond.hatelabo.jp/20170925093959
テロや不法行為を行う難民って、日本人でさえマトモな職にありつけるのが難しい今の日本社会に
学もコネもねえが、徴兵制で覚えた戦闘技術があるのなら、食うためにそういう風にせざるを得ないだけなんじゃねえの
お前らの頭の中ではテロリストって言えばガンダムWとかガンダム00みたいに、金持ちのドラ息子や超エリートリア充が道楽で勝手にやってるってイメージ多いんだろうが
今のテロリストは大概が貧困層の出身だぞ(というか冷戦時代の共産ゲリラやテロリストの大半が貧困層出身なんだけどね、日本で有名なゲバラやカストロみたいな方が珍しい)
リア充はメイド喫茶に行く時、必ずリア充仲間数人の集団でもって行くわけだが、「あそこだとヒエラルキーのトップになれる」みたいなことを意識している。絶対に意識している。
オタクの方がメイドさんとお話ししている様子を半ば小馬鹿にしたような態度をとりつつメイド喫茶を楽しむわけです。
オタクの人にとっては清潔感のある服装、整った顔立ちの集団がその空間にいるってだけでプレッシャーなわけですよ。
リア充側は「オタクの中にいる俺らイケてる奴ら」になりたいわけですよ。
周囲に萎縮させるような雰囲気が出ることを理解していながら、さらに萎縮させることを楽しむような態度でメイド喫茶に向かうわけですよ。
僕が大学生の時、文化祭があるということで呼んでもいないスケート仲間数人が勝手に遊びにやってきました。
僕の仲間はどちらかといえばワルのスケーターでした。
そこそこの大学に通っていたので(嫌味な言い方でごめんなさい)大学の仲間には真面目そうな子が多かったわけですよ。そんな中でスケート仲間は大声で話したり、ナンパしたり気持ち悪くて仕方なかった。
彼らの目的もリア充メイド喫茶と同じで「真面目な学生の中にいる俺らスケーター」が気持ち良くて仕方がないんですよ。
それ以降別に彼等と仲が悪くなったわけではないですが「人間って自分の見下してる相手に混ざることでマウンティングしたい生き物なんだな」と実感。自分は絶対にこういうことしないようにしようと思いました。
でも、僕のこういったオタクや大学の仲間への配慮って自分の差別的な意識から来てるんじゃないかなとか思っちゃって悩みます。
だって別に彼等はスケーターやリア充より下の存在ではないですし、とんだお節介かもしれません。
色々その辺の考え方なんかも自分の頭の中で議論してるんですが、さらに長くなるのでこの辺でやめときます。
オタク婚活サービスの話題で「オタクがいかに嫌悪されてるかわかる」などとほざいてるバカにあきれてものも言えない
オタク趣味なんかよりオタクをアイデンティティとする謎のプライドやコンプレックスこそが嫌悪されてんだよ。
アニメ見まくってようがフィギュア集めてようが生活に支障が出てるレベルでもなければどうでもいいわ
「俺はオタクだからメソメソメソメソ、偏見がグチグチグチ、リア充がエライのかグチグチグチ」とか言ってる卑屈なカスだから
「うわっきもっ二度と関わりたくねえ」と思われるんだぞ
蔑視された過去がウンヌンだかなんだか知らないけど目の前の人間にいちいち被害妄想抱いてお前の過去を押し付けるな。ニュートラルに会話しろボケ。
アケメネス朝ペルシャの王のなかで、キュロスとダレイオスは大王と呼ばれ他の王と区別されている。
彼らは、アケメネス朝ペルシャだけじゃなくて、人類史上別格の王だった。
キュロス大王はバビロン捕囚の解放者として有名だけど、ただユダヤ人を開放しただけではない。
あらゆる民に、服従と引き換えに身の安全と財産の保全と信教の自由を保障すると宣言した人だ。
ほとんど気まぐれに開放することもある程度だった。
大っぴらに、王の宣言として、そんなことをした人はそれまでいない。
許すことを覚えた最初の王だった。
服従という新しい選択を与えられたからこそ、近隣国は戦争ではなく服従を選ぶようになり、空前絶後の大帝国をつくることになった。
戦争にあけくれたキュロス大王では、ぼんやりとしたただのポリシーの宣言だったけれど、ダレイオス大王の時代に制度として固定された。
ダレイオス大王はたぶん人類史上もっとも有能な王で、また別の機会に書くかもしれないが、ここでは省略する。
とかく、信教の自由というのは、日本においてはあんまりピンとこないけど、徹底してる。
アレキサンドロスが敵であるダレイオス3世(大王と呼ばれたダレイオス1世とは別人)とその遺族に礼を尽くした。
ローマ皇帝ウァレリアヌスがシャープール1世に敗北し捕虜となった後も、捕虜にも関わらず宮殿が与えられたという。(近年まですぐ処刑されたとされていたが、実際は厚遇されていたらしい)
サダムフセインから民衆を開放した一方で、サダムフセインに対しての敬意が不足しているように思う。
私はリア充が嫌いだ。
爆発しろとはいわないが、半額弁当を漁る寂しい老後を一人で暮らせばいいのにと思う。
ゴミみたいな記事をまき散らすゴミは、AmazonとGoogleからハブられてしまえばいいのにと思う。
爆発すら生ぬるい。
しかし、私は彼らを受け入れられるようになりたい。
幼児ポルノを見たことがある人間は、金属バットでフルスイングされても文句は言えないのはわかってる。
しかし、殴られることで罪を償った人間を、さらに叩くのは正義ではない。
追記
リア充の仲間入りかもしれない。
そのせいで少し、リア充のことも許せるようになった。
別れたい…
私はリア充が嫌いだ。
女にモテないを通り越して、モテる女、というか世の中の女性全般を軽蔑しつつある。
特に、夢を追ってる女たちが嫌いだ。
人生は金じゃない、食えなくったっていい、と言いながら、どうせ適当なところで結婚に逃げるんだろう?と心の中で軽蔑してる。
自分でもなぜかよくわからないが、リア充以上に、パリピ以上に、一人暮らしでソファを持つ人間が嫌いだ。
口もききたくないし、同じ空気を吸いたくない。
あれが素晴らしい道具であることは認める。
家具屋でソファに座るたび、気持ちよさで憎しみを忘れそうになる。
デスクワークがはかどるなら、世の中のオフィスチェアは全部ソファになってる。
あんな深く座ったら、飯も食えない。
父は基本的には理性的で、まともではあるのだけど、教育に対して偏屈なところがあり、
「テレビや新聞などというものを楽しむのは、二十歳を過ぎてからでいい。
などと、変なことを言っていた。
新聞を読むなんてむしろ上等なほうだと思っていたけれど、時の洗礼を受けた本を読むように言い聞かせられたせいで、テレビ新聞を毛嫌いする性格は引き継いでしまった。
話を戻そう。
ソファを置くということは、自室で勉強しないと宣言しているようなものだ。
座るだけで時間を浪費するし、ダイニングテーブルとダイニングチェア、デスクとワーキングチェア、ソファとセンターテーブル、この3セットを置けるような一人暮らしの部屋などないので、ソファを選択した時点でデスクを置くことをあきらめる場合が殆どであろう。
< というブクマを見て、自分も昔はそうだったことを思い出した。
< これを言ってくれた人は、お前は今のままで~
ちょっと前の漫画で「男に性欲が無くなったら女性に親切にしない」とあってが、
それを改変して見るなら「男は彼女になることを最終目的にしないなら女友達は作らない」だ。
男は彼女にすることを最終目的としないと、女友達を作ろうとせんのですよ。
いや主語デケーと思われるだろうが、補足はある。
「女友達が彼氏持ちか既婚」の場合に関して異性の友達が成立しやすい、というのはあると思う。
「彼氏いるってことにしとけば恋愛関係にハッテンせず友達でいられる」と言うのは
だがここで大欠陥が発生するのだ。
いや、これは言い過ぎだが、
少なくとも男が誘う比率:女が誘う比率=5:5くらいでなくてはならない。
じゃあ一方で「(男のほうが)最終目的は彼女にすること目的とした友達関係」はどうだ?
「男が積極的になっている」のだ。
これは女性にとってはとても楽に思える。エスコートしてくれるからだ。
だが、そこが結局「友達関係のままで固定して状態とはならない」のだ。残念ながら。
では「異性の友達を作るにはどうすればいい?」という解に関しては
「女性が積極的に遊びに誘う」しかない、と私は思うわけである。
ただ、これも問題があって「そもそもそこまで積極的になりたい男がいるのであろうか?」ということである。
いやリア充界隈ならともかく、陰キャの多いオタクやら理系界隈とかだとさあ。
もうここまで書けば何となく分かるだろうが、以上に書いてあることは
じゃあ、リアルで話できるかというと、なんか違う。
女性に対する、恥ずかしさや相手の感覚の違いを恐れるのは無くなったけど。
「こんなブスに、まともに相手するの面倒くさ」
「美人相手に、やたら盛り上げてヘこへこするようなリア充みたいな会話するの面倒くさい」
「セックスもできないのに、なんで相手するんだよ、面倒くさい」
「ここで変に絡んで、後でセクハラだの言われる恐れがあるんだったら、風俗で話しよ」
みたいになってしまった。
一応そこそこの金持ちだから、風俗代くらいは、別に響かないけど。
でも、
よくないよねえ。一応、響かないとは言っても、貯金できる額は減ってるんだし、その分。
ずっと夏が嫌いだった。皆楽しそうだけど全然そういうのに縁遠いし暑いし蚊に食われるし。中学高校と夏休みの部活が相当キツかったせいで更に嫌いになった。
6月に始めて現在マスレベが120を超えているくらい熱中している。星5全然来ないけどとにかく楽しい。
FGOの夏イベをやり終わって今はネロ祭やってるわけだけど、コイン集めてるとと花びら集まんないなとか考えてると本当に楽しい。
まだ夏休みが続いてる。去年までは夏休みなんて早く終われと思ってた。大学に入ったら入ったで、同級生は皆SNSでキラキラしてるし花火大会で彼女作ってるらしいし自分以外の面子でラーメン食いに行ってるらしいしそもそも誘われてない。
けど、まあそれはそれで良いかなと思える。お前等はリア充活動頑張れ。自分はFGO頑張るから。そういう風に思える。どころか、夏も良いと思いなおせる。水着イベ楽しかった。
今日、貸してもらった本を返す。
だけで返せたらいいなと思う。
年下の友人が先週貸してくれた。それはもう、ありきたりなぐらいにありきたりな軽い小説で、映画化されて流行っているからという、おそらくただそれだけの理由で彼女はそれを読んでいた。本をあまり読まない人が持っているのを見たこともあるぐらいだから、乱読気味の彼女が読んでいて、それで、「面白いから読んでみ」と貸してくれたのは、まったく不自然じゃない。
けれど、本を貸すのはむずかしい。彼女はまだそれを知らない。知らないままにしておいてあげるほうがいいのかなと思う。まだそれでいい。
なぜなら、読書は人の心をかき乱す。たとえそれが安っぽいお涙頂戴式の小説であっても、思いもかけないところで心の平安に波風をたてる。
「貸して欲しい」と言われて貸す本ならかまわない。本屋で手に取っていくのと同じで、いくら取り乱そうが、それは借りていった者の責任だ。そこで完結する。しかし、「ぜひ読んで」と貸した場合、ダメージを受けた側はやはり相手に責任を求めたくなる。それを求めることをまた、求められているのではないかと思う。つまりは、なにか気の利いた感想でも言わねばならないような気になる。
だが、いかにも仕組まれたクライマックスでボロボロ涙を流した者にとって、気の利いた感想などいえるはずがない。こんなご都合主義で泣くなんて、恥以外の何物でもない。その恥を否定するために、あえてその物語をくさすのか。不治難病モノは定期的に流行するキッシュだと、知ったかぶりの韜晦に逃げこむのか。それとも、涙もろい自分を素直に認めてしまうのか。だが、それはとてつもなくややこしい。
なぜなら、年下のきみが感動した理由と、もう長いこと生きてきたぼくがやられてしまった理由は、たぶんちがうからだ。ぼくにとっては、舞台設定そのものが痛かった。その感覚は、きみにはわかるまい。
きみは信じないだろうが、こんなぼくにだって高校生だったときはあった。きみはよく「青春」なんて言葉を口にしてぼくを笑わせるけれど(たぶん意識してカギカッコ付きで使っているんだというのはわかるけど)、どんな意味においてさえ、ぼくにとって高校時代は青春なんかじゃなかった。ひたすらしんどい時代だった。そして、この小説の舞台設定は、まさにその果てしなくしんどい時代を思い出させる。
美化してしまえば、ぼくにだって「青春の思い出」みたいなものがないわけじゃない。だけど、時間のレタッチと自己正当化を取っ払ってしまったら、そこに残るのはただただめんどくさくておもしろみのない屈辱の日々だ。
典型的な場面を思い出す。それは、昼休み、グラウンドに面した廊下、ぼくはグラウンドを見て退屈している。なぜ退屈する場所にそこを選ぶのかというと、グラウンドの木陰はリア充たちが(「リア充」なんて言葉はその時代にはもちろんなかったのだけれど)占拠しているし、教室内にはまだ弁当を食っている人や早速にお勉強をしている優秀な生徒たちがいる。そういう人たちの邪魔はしたくないし、だいたい教室内の席なんて飽きるほど座っている。友だちの少ない、話題の乏しいぼくにとって、いられる場所は限られていた。そして、人の邪魔にならないわずかな隙間のようないくつかの場所の中でも、グラウンドの見える廊下は特等席だった。なぜなら、そこからはクラスでいちばんのお気に入りの女の子と、クラスでいちばんの美人と評判の女の子が眺められたからだ。親友である二人は、たいていつもグラウンドの向こうの特別教室の日陰でおしゃべりをしている。もちろんぼくは、ただ鑑賞するだけ。それだけ遠いと見ていることもあんまりわからないだろうから、まあ人畜無害な楽しみだ。
そうやってしばらくすると、ぼくと同じぐらい冴えない女子が弁当を食い終わって廊下に出てくる。いつも凄まじい寝癖のついた髪をしている。彼女もまた、昼休みにどこに行くアテもないのだろう。ぼくと彼女は少し言葉をかわす。話題のないぼくと同じくらい、彼女も話題がない。だから食い物のことばかりしゃべっている。カレーの玉ねぎは具であるべきなのか、ペーストの一部であるべきなのかみたいなことを、特に目的もなくしゃべっている。
そうこうするうちに、学級委員長が廊下に出てくる。いや、彼は正確には学級委員長ではない。彼がその役にいたのは一年生のときだから、「元」をつけるべきなんだろう。彼はぼくの数少ない友だちの一人で、というよりもぼくにとってはその高校で唯一の友だちで、だからぼくは少しホッとする。ただ、彼が加わってからの話はちょっとぎこちなくなる。彼にとっては食い物のことは重要ではない。いや、ぼくにとってもそうだよ。だけど、他に話すこともない。彼はちがう。なにか、他に話すべきことがある。けれど、ぼくにはそれが見えない。そのうちにチャイムが鳴って、ぼくらは教室に戻る。
そういうことを思い出してしまう。だから、ぼくは泣いてしまう。
なぜなら、シチューをご飯にかけるのは有りか無しか、ナポリタンスパゲッティの麺は柔らかいほうがいいのかどうかなんてどうでもいい話をする過程で、ぼくはとんでもなく人を傷つけていたからだ。
後になって、ぼくはその寝癖の女の子から聞いた。学級委員長と彼女はそのとき付き合っていた。だというのに、彼女はぼくとばかり話しているものだから、最後に学級委員長は傷ついて、そして、結局別れ話につながった。そういう展開が愉快な人はいないだろう。親友の失恋を喜ぶような奴はいないし、自分がその原因だったら焼きそばノドにつめて死んでしまったほうがマシだと思っても仕方ないんじゃないだろうか。
だから、ぼくはもう、そこから先の筋書きがどうであれ、泣く準備はできていた。そして、ヒロインが死ぬところでやっぱり泣いてしまった。
それでもあのとき、おにぎりノドにつめて死ななくてよかったなあと、いま、そんなふうに思う。
なぜなら、いま、こうやって気軽に本を貸してくれる友人がここにいる。それを感じることができる。そして、ぼくはいま、ちくわに詰めるのはキュウリがいいのかチーズがいいのか、ナスは田楽と揚げびたしのどちらを奨めるのか、寿司屋で卵焼きを食べるべきなのか否か、そんなことを熱くもなく語ることができることの嬉しさを知っている。
だからぼくは、うっかりと誰かを傷つけてしまうようなことをしたくない。気づかないうちに自分の力を超えることをしてしまいたくない。
そんなわけで、ぼくは何も感想とかいわずに、この本を返そうと思う。こんなことを喋らないために、ちょっとだけ皮肉っぽい表情も見せるかもしれない。
リア充アピールのためのともだち代行、馬鹿馬鹿しいけど正直気持ちはわからなくもない。みんな他人に自分がキラキラしてる所を見せつけないと生きていけないんだな。
リア垢で男(どうせセフレ)とお泊まりの写真上げてるヤツ、留学先で楽しそうにしてるともだち、美味しそうな食べ物、SNS映えするスポット、恋人との共同垢、サークルで海、キラキラキラキラキラキラキラキラ……
インスタもリア垢もキラキラリア充投稿ばかり、みんなそんなに充実した毎日送ってるんだ?私も普通に人並みの学生生活送ってると思ってたけど、ネットのキラキラ濃度は濃くて、最近は嫉妬してばかりいるような気がする。楽しいこととか嬉しいこと、わざわざSNSに上げなくても当事者だけで共有すれば良い話じゃないの?特に性事情ツイートする女、お前がさっき何発セックスしたかなんて知らねえよ