どこで道を誤ったかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で「さくらたんのエロ画像キボンヌ」していた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて美少女というものを見た。しかもあとで聞くとそれは美少女中で一番美しい少女であったそうだ。
何故こんな運命になったか判らぬと先刻は言ったが、しかし、考えように依れば思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己をキモヲタだ、根暗だといった。実は、それが殆ど逃避に近いものであることを人々は知らなかった。
己は彼女が欲しいと思いながら、進んでDQNに就いたり、求めてリア充と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己のフツメンに非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のフツメンなるべきを半ば信ずるが故に、風俗経験だけで女を語る素人童貞に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。
今思えば全く、己は己の有っていた僅かばかりの可能性を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は顔面偏差値の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
己よりも遥かに醜い容姿でありながら、それを専一に磨いたがために堂々たる妻帯者となった者が幾らでもいるのだ。30代真性童貞と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。
それを思うと己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ今、己が頭の中で、どんな優れたイチャラブ童貞喪失デートプランを作ったところで、どういう手段で実践できよう。
まして、己は日毎に40代真性童貞に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。
そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰もらえないかと。しかし、ブックマーカーどもは己の声を聞いて、唯、嗤い、見下すばかり。
山も樹も月も露も、一匹の童貞が怒り狂って、哮っているとしか考えない。
天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。
ちょうど人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。
己の亀頭の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
その便臭は、我がフレンズ、増田ではないか?