はてなキーワード: ライトノベルとは
http://anond.hatelabo.jp/20160112123847
元増田を要約すると、
(A)ライトノベルは現在、かつてないほどに多様なジャンルの作品が大量に生み出され、市場規模は拡大し続けている。
(B)しかしアニメファンは「ライトノベル(原作のアニメ)はテンプレートのような設定、展開のものが多い」と言い、ライトノベルをバカにする。
(C)だがこれは、アニメ業界がテンプレートのような企画を求めており、そのようなライトノベルばかりをアニメ化するという状況があるからだ。
(D)つまり問題があるのは、ライトノベル(業界)ではなく、アニメ(業界)である。
……こういう話のようで、(A)に関しては認識が割れる点だろうからひとまず元増田の主張を呑むとする。(B)の内容も一旦受け入れよう。
そして(C)だが、
『メカクシティアクターズ』(ボカロ小説)
『ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜』(ボカロ小説)
……と、元増田のいう「テンプレート」ではない「ライトノベル」が、大量にアニメ化されている。つまり、アニメ業界は「テンプレート」ではない企画を求め、実際にそれをアニメ化しているということだ。よって(C)(D)は間違っている。
元増田が主張すべきは、「ライトノベル(原作アニメ)=テンプレート展開でありくだらない」という主張が端的に間違っており、そのような主張をして恥じることのない輩が見る目のないカスである、ということだけなのでは。
【追記】
http://anond.hatelabo.jp/20160113124613
内容はそうだが、元増田は「web発の作品」「ライトノベルの既存レーベル外で出されている作品」などがアニメ化されていない、といっているので例に入れた。
web小説なんかはoriconとかだとライトノベルとしてカウントされる。
文庫ではなく単行本としてカウントされるのでニュースによってライトノベルの「文庫市場」が減ったとして報道されたりする。
ところが別のところでは(単行本・新書含む)ライトノベル市場は右肩上がりと言われたりする。
ややこしいね。
かかるコストがアニメ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>漫画>ラノベだからな
そりゃテンプレートをある程度守って置きに行かないと怖すぎる。
みんながみんなスペースダンディを作れるわけじゃない。
だが、ラノベはアニメとかかるコストも作品数も天地の差なのにアニメよりもジャンルの幅が狭いのであーだこーだ言われる。
言ってしまえばアニメはテンプレートの種類が多いので様々な流行に対応して生き残ってきたが、
ラノベはテンプレートが数種類しかないので、いずれフォーマットごと消失しかねない危うさがある。
ライトノベルとかライト文芸とか広く大衆小説の凄さっていうのは、個人で作れて制作予算が低いことに集約されるんだよ。
作るのにあたって初期投資が非常に少なくて済む。商業印刷するにしたって数百万程度で済むし、なろうに連載するなら(作者の人件費以外)ほぼノーコストだ。
商業出版にしたってその作者の人件費は印税という形で出版後の割合報酬ということになってる。
なんだそんなの常識だろ? という人がいるかもしれないけれど、アニメだってゲームだって映画だってそんなことはないわけだよね。「放映中止になったんでギャラ払いません」なんてないわけだ。
この初期コストの低さというのが、メディアミックスの原作生成にむいているんだよ。
テンプレという言葉は今現在否定的な意味で用いられることが多いけれど、それって「創作者たるものは独自性を追求すべきだ」であるとか「読者である我々により大きなメリット(新鮮な読書体験)を与えるべきだ」みたいな、突き詰めると根拠があいまいで言いがかりに近い否定要素なんだよね。
でもそれじゃなんでテンプレがこんなにあるかっていうと、創作者レベルでいえばある程度創作の指針を借用できるからってのももちろんあるんだけど、業界レベルでいうと「初期条件をわずかに変えた実験を大量並列でやることに価値があるから」なんだよ。この実験可能ていう価値観ってのは研究者になら判りやすいと思う。
その実験が商業的に、つまり、メディアミックス原作を探査するうえで有用があるからこの状況があるんだ。
もし小説を作るのにかかるお金が現在の十倍もあれば、こんな実験は原価割れするので絶対に行われなかった。
実験コストが高いのならば、実験の施行回数を絞らざるを得ない。そこでは「作品Aと0.1%違う作品Bを作って反応差異を計測する」なんてのよりも、もっと距離のあるBの実験の方が優先される。マンガは、この状況にある。
つまり、なろうという環境でなんであんなにテンプレが謳歌されているかといえば、もちろんそれが作者に負担を書けないっていうのもあるんだけど、なろう連載はラノベ出版よりもさらにお金がかからないので、実験環境として優秀だっていうのがあるんだよ。実験コストが(それこそ素人の思い付き労力以外消費しないほど)低いから、ほとんど差異がないような作品が並行して連載される。
なにをもってメディアが豊饒なのか否かというかにはいろんな見地があるとおもうけれど、個人がわずかなコストで実験可能だ、という意味で、小説ジャンルは「豊穣」なんだよ。
なんてのはたいていどこ言っても見かけるもんだ。
ところが、このテンプレラノベの一見した多さというのはライトノベルではなくて、アニメ業界の危なさを象徴するものだということに気づいていない。
今現在、ライトノベル業界はかつてないほど盛り上がっているといってもいい。
ライトノベルを過去に書いていた人たちはライト文芸や少しターゲットを大人向けに絞ったレーベルに新作を書き下ろすパターンが増えている。
また、なろうに代表されるWeb小説が増加し、かつてない盛り上がりを見せている。
既存のライトノベルレーベルだけを注力しているとその豊穣さに気づかないことが多い。
年間2~3千冊が刊行され、かつないほどに多様なジャンルが生み出され、市場規模もハードカバーなどを含めるとどんどん拡大して言っているのが現状だ。
ところが、アニメファンからライトノベルはテンプレ作品が多すぎるという発言をよく耳にする。
「最弱無敗の神装機龍」がテンプレート的であるという批判も耳にした。
しかし、冷静になってアニメーションの作品と、ライトノベルの作品を見比べれてみると強烈なまでにアニメの作品がテンプレート塗れなのに気づく。
テンプレラノベアニメといわれる作品がまさにそうなのだが似たようなラノベばかりアニメ化するのだ。
また、日常系、ロボットアニメなどの作品も毎回のように作られておりその画一的な作風にあまりにもおどろかされる。
そして気づく。
と。
はっきり言ってしまえば、アニメを通してみるといろんなメディア原作の作品(漫画・大衆小説・ラノベ)が画一的に見えてしまうのだ。
春の日差しには程遠い、寒さに震える増田の民は、暖を取ろうと灼炎鳥(ホッテントリ)の確保に勤しんだ。
しかし灼炎鳥を手に入れることのできるのは、ごく少数の選ばれし増田のみ。ここ最近では増田11人衆を名乗る一部のエリート集団が灼炎鳥を独占しており、多数の貧しい増田民は身の凍る思いで湖に釣り糸を垂らしていた。灼炎鳥は湖のなかを泳ぐ鳥であり、釣るものだからだ。
「はぁ……やはり釣れんか……」
老人は深い溜息をつく。幾数年を生きながらえた経験と勘こそが老人の武器であったが、如何せん彼の紡ぐ文体は堅苦しすぎて、ブクマカ鳥たちは喰いつかないのだった。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
今年で五歳になる孫娘が、老人の外套を引っ張った。
「エサの主語が小さすぎるんじゃないかな。主語を大きくすれば、ぜったい釣れるよ」
老人は目を細めて微笑んだ。嗚呼なんとこの子は聡明なことだろう。
さっそく釣り針に特大の主語を括りつけて、湖面へと釣り竿を降ろした。
《人類はどうして分かり合えないのだろう》
老人の取り付けたエサにはそう書かれていたが、あまりの辛気臭さにブクマカ鳥たちは皆逃げ出してしまった。主語が大きい警察バードさえも逃げ出す始末だった。
繰り返すが、増田の世界では鳥が水のなかを泳ぎ、魚が空を飛び回るのである。
「やはりワシにはもう駄目なようじゃ」
老人はまたひとつ溜息をついた。
「おじいちゃん、こんなエサはどうかな?」
孫娘が小さな手で差し出したソレは、淡いピンク色でハートの形をしていた。
老人はかぶりを振る。
「いやこれはワシには扱えぬ。それは《ジェンダー論》の釣り餌じゃよ。ワシは30歳を過ぎた童貞じゃから、その手の話はさっぱりなんじゃ」
孫娘は首を傾げて、それじゃあ私はいったい誰から生まれたのだろうと疑問に思った。
「じゃあこのエサは?」
孫娘が次に持ってきたエサは、本の形をしていた。けれど老人はやはり首を横に振った。
「これは《ライトノベル論》の釣り餌じゃな。ワシが最近に読んだライトノベルは、スレイヤーズ・ブギーポップは笑わない・涼宮ハルヒの憂鬱・とらドラ!・灼眼のシャナ・キノの旅・扉の外・断章のグリム・人類は衰退しました・ミミズクと夜の王・とある魔術の禁書目録・僕の妹は漢字が読める・僕は友達が少ない・俺の妹がこんなに可愛いわけがない、くらいじゃ」
「良かった! じゃあおじいちゃんでもライトノベルは語れるんだね!」
「いやいや、昔はライトノベルを語るにはこのくらい読んでおけば十分だったんじゃが、今ではそれでも駄目なんじゃ。ラノベ警察に捕まるか、ラノベ天狗に仕留められるのが相場じゃのう……」
「ふぅん、つまんないの」
少女は岸に転がっていたバケツを蹴っ飛ばした。今日も一匹たりとも釣れはしなかった。
少女は湖の底へ向かって大声で叫ぶ。
「雑なラノベ語りだと他者のブログを批判する暇があるんだったら、自分の好きなライトノベルの一冊でも全力でおすすめしやがれ! バーカバーカ! あっかんべーだ!」
「ああ!! いかん!!」
老人は咄嗟に立ち上がった。だがすべては手遅れだった。
燃えさかる一匹の鳥が、孫娘の足を掴み、湖の底へと引きずり込む。
本物川や鈴木ザ煉獄丸といったザコだけでなく有村悠も、そして岡本基まで。
青二才の何がそこまで彼らを引き付けるのか。
やっぱりすごいやつだぜ!
ライトノベルについては、この人はトンチンカンな内容が多いな。10;>ネットスラングを公の場で口に出してしまうことがどうして問題なのか? - かくいう私も青二才でね https://t.co/COB1cHCA3a— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
ラノベも、ネットスラングやオタネタのような時事ネタを取り入れすぎた作品もあれば、一般文芸に近いものもあり、実に様々。10;10;近年はライト文芸などのように、別のイメージで売り出されつつもあるけどね。— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
あと、いい加減、10;この手のいかにも読んでないし、読書にコンプレックスでも抱えてるかのような批判において、10;10;『はがない』を例として持ち出すのは、ちょっと古い気がしないでもない。旬な作品ではない。10;10;ちゃんと調べてないし、ほとんど読んでないのが丸わかりだよね。苦笑しかない。— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
例示で挙げる作品で、大体バレる。— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
そういえば『中古でも恋がしたい!』はまさに「問題のあるネットスラングをタイトルにして批判された作品」なんだから「はがないは『ググる』や『Amazon』といったスラングを使っていてけしからん!」とか言ってないでこっちを例に挙げたらよかったのに。— mizunotori (@mizunotori) 2016, 1月 8
まあ、無知だよね(苦笑— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
あの記事、10;こんな5年も前の記事を引っ張り出してきて、どうするんだ?と思わなくも無い。10;10;>東大生が最も読んでいる文庫、第1位はライトノベル『僕は友達が少ない』 https://t.co/eiEvgiTQuj @digimagaさんから— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
あの記事を批判してる記事があって、今は消されちゃってるけど、「東大生だって普通に大学生なんだから、学生に人気のある作品は読むだろ」って指摘はその通りでしょう。10;10;そんなん、20年前、私がいた頃から変わらないよ。10;ちょっとカッコつけて、高尚げな本も買っちゃう傾向もあるけどさw— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
これね。消されちゃってるけど。10;>“お前がラノベを嫌いなんじゃねえの? - 過去などいらぬ” https://t.co/p8Mz5ZsFI4 #ライトノベル— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
ハルヒを引き合いに出してるので、ラノベについて言うと、10;10;・Web小説の書籍化の大幅な増加10;・なろう系転生物などのブーム10;10;で、流行ってるものが全然変わってる。— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
自分が高齢化して、新しいものを自然体で摂取しなくなってきてるだけなのを、環境や市場、コミュニティ全体が変化してる(変化してない)、と認識するのはどうなんだ・・・?— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
あの(全然、旬な作品ではない)『はがない』を引き合いに出してネットスラング云々について雑なことを書いてた別の人も、5年前の記事を例示してたけど、10;10;「それ、あなたの認識が5年前から変わってないだけなのでは・・・?」— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
この手の、ある種、5年前の認識をひきずったままのような、雑な認識の人ってのは、10;10;例えばラノベでいえば、表紙のイラストぐらいしか見てないんじゃないか、という疑念がわくよね。10;10;絵柄の流行が大きく変わることしか認識できてないような雑さ。— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
スレイヤーズやセイバーマリオネットのような絵柄は、00年代には流行らなくなった。10;⇒大きな断絶を感じる10;10;ハルヒの絵柄は、10年代でも通用する。10;⇒進化してない10;10;みたいな。10;10;それぐらいの認識に思えるんだよなぁ・・・。— 岡本 基 (@obakemogura) 2016, 1月 8
ルパンの時に會川昇やゆうきまさみにツッコまれたのに俺のほうが正しい、あの人達も年をとったなぁと言い張った青二才。
そのメンタルの強さがあればいまさら岡本基程度にツッコまれた程度でびくともするまい。返り討ちにして天上天下唯我独尊を貫け青二才!
@denerosity はじめて大規模に燃えた時はゆうきまさみさん来ましたよ。ホリエモンよりも遥かに厄介でした— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 1月 7
いでおろーぐや僕と彼女のゲーム戦争はちょっと違うだろうしなんだろ?
今読んでるラノベの話をするが…なんだろう。オタクじゃなくて、ネット脳。ネットのコンテクストを形だけ演じてるのをオタクと呼び、定義された主人公。それをラノベ的な強引な展開で押し付けて、女の子があまりにも当たり前すぎる正論を言うスタイル。…これは小説じゃない。ブログだよ
作者はおそらく、大学生ぐらいからオタクにのめり込んだエロゲオタだと思うんだけど…高校生のエロゲオタ・美少女ゲームオタクってこんなに描かれるといびつなのか。なんというか想像がつかない。主人公像を文章で説明されればされるほど、「ラノベのイラストが機能してない」と感じられて仕方ない
「ラノベはイラストだ、表紙だ」と言ってるけど、今読んでるラノベは完全に表紙の力が足りてないラノベ。なれる!SEみたいに「画力が足りてないだけで状況やキャラ設定は的確」というタイプのラノベじゃなくて、キャラデザがダメ。かき分けもダメ。読んで描いてこうなってるなら、バカだと思う
例えばだけど、ブサイクにしなくても、ラノベの登場人物としてのひねくれ感を出してる「キョン」のキャラデザって偉大だよね。いとうのいぢといえば、女の子描いてるようなアレがあるけど、むしろ、キョンの冷めたセリフと合う主人公が作れたことの方が実は功績だと思う。俺ガイルの比企谷にも言えるが
学校でトップ3にダサい男子の主人公なのに、ラノベの挿絵を見ても一切合切ダサさもひねくれ感もないのよね…。ギャルがどうとかネイルがどうとかってヒロインの描写もあるんだけど、ギャル感もなければ、そもそもイラストに爪にこだわった絵も一枚もない。イラストというよりハンコ絵
いや、ラノベとして面白いかと言われると「ラノベではなく、ネット脳な人がまともな女の子に論破されて悔しがるさまを【女の子が圧倒的に正しい】とはてなブックマークしたくなるようなブログを読んでる」感覚がする作品。なんというか、ノベルというほどの創造性もラノベというほどの記号性もない
ライトノベルというジャンルや、挿絵のキャラデザがミスマッチしていることによるイメージの劣化や裏切りが、そこそこ面白いラノベという体裁を装ったブログ(もっと細かく言えば「はてな匿名ダイアリー」文学っぽい作品)をそこそこ面白いことすら認めたくならないようなところまで好感度を落としてる
なんというか苦労が見えない、葛藤が見えない、ことだと思う。
【祝!2期】響け!ユーフォニアムの空気、デカリボンちゃんが泣いた日 http://anond.hatelabo.jp/20151113193721
↑これ見て思った
弱い人とか負けた人っていうのは努力して、葛藤して、それでも勝てなくて、周りとドラマがあって、とドラマが満載なんだよね。
俺tuee系はドラマがないから、薄っぺらく見えるんだよね。SAOとか。
結局は俺tuee系じゃねえか!と言われるNarutoだのドラゴンボールだのも、天才が努力している描写だから負けることもあるし、努力はあるし、修行がある。それこそ命をかけてる。
強い理由がちゃんとあることに加えて、描写されるので納得できる。
俺tuee系は、ただ強いだけ、だから納得できないし、勝ってもカタルシスがない。プロ野球チームが甲子園優勝したチームに勝ってもなんのドラマもないだろ?
現実にも優秀な奴が嫌われる場合もこういうケースあるよね。努力してるとことか、弱点を見せると途端に優しく接してくる人多いし。
化物語ってライトノベルの続編に「よかったな、たまたまかわいくて、たまたまかわいい顔をしていて」みたいなセリフが出てくるんだが、そのセリフを発した登場人物のいらだちと似ている。俺tuee系へのいらだちは。
現実にはトップでいることの葛藤とか苦労とかあるんだよな。それが作者の力量の無さで描写できていない。わざと描写していないってことはないよな。
漫画とかだと孤独感とか多いかな。トップをキープすることの苦労とか、追いかけられることの不安とかさ。
あるグループを飛び出して、トップ集団での苦労じゃなくて、、文字通りトップになってからの苦労な。
市場規模もどんどん拡大してて、年間3000冊近く発刊されてる。
けど、肝心のライトノベル自体は滅茶苦茶なネガティブイメージがつきまとってて皆なぜかそこから逃げようとする。
みたいなことを読者が言ったり、出版社側も
とか言ったり。
その割にはどんどんライトノベルの定義が拡大してあらゆる書籍がライトノベルみたいとか言われるようになってる。
気づかない間にどんどんライトノベルという概念に蟻地獄のように吸い込まれて自分の読んでいた本がライトノベルって言われるようになる日が来ると思う。
なんか怖くね?
「小説が書ける」ことと「小説家になれる」ことは別問題だからな。
「ライトノベルが書ける」こと、イコール「ライトノベル作家になれる」わけではないし。
1:書店(できればアニメイトみたいなそういう系統の専門店がいい)に行って今月発売の”ライトノベル”とカテゴライズされてるものの新刊を全部買ってくる
2:買ってきたものを全部読む
3:その中で「これが一番ひどい」と思ったものを選ぶ。ひどいと思った理由はなんでもいいが、「話が酷い」「文章がひどい」「キャラクター造形がひどい」といったように分けられるのならそれぞれに分けておくとよし。
3.5:選んだものがシリーズ物の最新刊だった場合、既刊も全部買うといいが、とりあえずはその最新刊だけでもいい
4:上で選んだ「これが一番ひどい」と思ったものを一冊まるごと手打ちでテキストファイルに書き写す(入力する)。一行あたりの文字数、1ページあたりの行数も完璧に写すこと。
4.5:ルビの扱いについては、とりあえずは「前の行とは1行開けて「ルビ用の行」を作ってそこに書く」でOK。ルビが振れる形式で書けるのならそうするべし。
5:丸写しした「一番ひどい作品」を自分の望むように修正する。「このルビは何なんだ」と思ったら削ればいい。「このキャラの名前ダサい」「この武器の名前ダサい」と思ったらダサくない名前に変えればいい。「ここの部分の表現はおかしい」「ここの部分の形容詞は使い方が間違ってる」と思ったら直せばいい。「この時代設定でトマトとジャガイモ食べてるってありえない」と思ったらありえると思う食材・料理に直せばいい。
1位 昔の嫌な思い出や黒歴史がフラッシュバックして「うわあああ!」って
502ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20150224174630
2位 あ、この漫画の作者男だな。女だなって思うシーン。
316ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20150304140743
3位「大人になったら食べれるようになるよ」にずっとムカついていた。
283ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151025235220
4位 フェミニストvsオタクっていう構図っていつ頃からできたんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20150324141732
5位 はてブのアニメ・ゲームカテゴリの住人はゲームの知識がない
http://anond.hatelabo.jp/20150825120551
6位 アメリカでは黒(black)を闇(dark)にしばしば置き換えるらしいが
http://anond.hatelabo.jp/20151104101707
7位 ライトノベルを叩いているのは誰か
http://anond.hatelabo.jp/20150914194904
8位 平成生まれのオタクです。オタク論がすごい盛り上がってるけど・・・
85ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20141226112200
9位 砂上の楼閣
55ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151108153716
10位 皆頭が良すぎる
43ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151123040508
36ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151023213307
12位 「アニメとゲーム」のカテゴリでははてなスターが少ない
31ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151022235544
13位 この間知り合いと2chの話になったんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20151030203015
14位 はてなブックマークのカテゴリに対する個人的不満点について
15ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151028123453
15ブクマ
http://anond.hatelabo.jp/20151012153653
やっぱりプリントアウト案件やジェンダー関連がブクマ数多いですね。
「貴様らに告ぐ」http://anond.hatelabo.jp/20151023213307
くらいしか入りませんでした。
追記
全202件です。
個人的な話ですがネタ記事の才能がないようで適当な記事とかより適度な文量にまとめた記事の方が受ける気がしますね。
どんだけ増田見てるんですかw
やめろ。
質問の件に触れる前に前回の補足と今回の質問に関係する部分をお話ししたいと思います。話が長くなって申し訳ないです。くどかったら飛ばして下さい。
ものには何でも「値ごろ感」とでも言うべきものがあり、それはその値段の歴史でおおざっぱに決まっているようです。原価や需給のバランスというのは経済学的には価格決定の要素として解説されるのですが、マクロにはともかくミクロや日常レベルではそこまでビビッドは要因にはなりません(人間の目は店頭で需給バランスが可視化して見えるというわけではないですからね)。書籍で言えば文庫本って500円から1000円弱くらいだよなあ。ハードカバーって2000円から3000円くらい? そういう肌感覚です。もちろんこれは永遠不変のものではなく、値上げしたり値下げしたりがおこなわれ、受け入れられ日常化する繰り返しです。いまから10年ほど前、おそらく文庫本の平均価格は50円ほど安かったと思いますし、僕たちが子どもの頃(というとばらつきがありますが)週刊少年ジャンプは200円を切っていました。
前回はなした「ハードカバー3000円ほどで売り出して、後に廉価版で700円ほどの文庫で出し直す」というのも、この値ごろ感が関係した結果です。最初から3000円の文庫でだし、部数が伸びるに従って値段を下げることは(少なくとも法制上や原理上)不可能ではありませんが、みなさんの「値ごろ感」が邪魔をして、3000円の文庫は購入してもらえないのです。なかには「いいや俺は本棚圧縮のために喜んで金を払うね」という方もいらっしゃいますが、それは少数派です。
さて、値ごろ感の話ですが「ハードカバーって2000円から3000円くらい」の本は売れます。多くは売れません。しかし少なくとも、その規格の本が現在でも毎月出る程度には、世間に受容されているわけです。「この大きさの商品に2000円から3000円くらいは払うよ」というのが一定読者層からは理解を得られていると考えられます。それは文庫も同じです。文庫サイズで500円から1000円弱(じりじり値上がりしています)は世間に「まあ、そんな値段のアイテムだろう」と思われているわけです。パッケージと値段のセットはセットであって、たとえば「ハードカバーと文庫の間の大きさで、値段も真ん中くらい」とか自由に決めてもなかなか浸透しません。書棚のサイズの問題や整理の問題もありますし、なにしろ値ごろ感は皆さんの内部の常識ですからそれを固定化するのに時間やコストがかかります。
角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、
さてやっとこの話が出来るのですが、「B6程度のソフトカバーで1000円~1500円程度の小説を売る」というのは、最近「発明」されて「根付いた」新しい値ごろ感なのです。
いやいや昔からあったよ、という指摘もあるとは思いますが、いまほど安定できたのはごく最近のことだと思います。(さらに以前はカッパノベルスなどのノベルス判型があった地位なのですが、仮想戦記没落のあたりで徐々に廃れて行ってしまいましたね)
この新しい値ごろ感は、Web小説などをきっかけに広まったように思います(ここは私見です。きちんと統計などを蒐集すれば別の経緯かもしれません)。
新しい値ごろ感の発見というのは、そのまま、新しい読者層の発見でもあります。いってみれば「文庫しか買ってくれないと思っていたライトノベルユーザーが、少し大きめの判型であれば1200円だしてくれるのだ!」というエウレカでした。はっきりとした統計データなどはもっていませんが、現場の肌触り的な感覚で言えば、a)初期ラノベを読んでいた読者の皆さんが年齢を重ね可処分所得が増えた結果、1200円程度のレーベルでも購入してくれるようになった。b)すべての国内大衆小説が多かれ少なかれラノベの影響を受ける中で、文庫判型ではないライトノベル(の隣接したなにか)が要請された――などの実感を持っています。
日常的に書店に行く皆さんであれば判ると思うのですが、ここ数年の間に書店ではB6判型ソフトカバーのライトノベル的な書籍がふえていませんか? Web小説が主流ですがそれ以外の参入や、ボカロ小説と呼ばれるものや、自動文学的なもの、推理小説とライトノベルのハイブリットのようなものも見られると思います。それはこの「新しい値ごろ感」=「新しい判型と価格のバランスポイント」が皆さんに受け入れられ、希望があると出版社が判断したからです。もちろんそれが全面的に善だとはいいません。まだ固まっていない規格でぼったくってやれ、というような出版社やレーベルがあるかもしれませんし、読者的には「文庫で良かったのに」と思われるかもしれません。
とはいえ、新しいチャレンジなど10して1つか2つ成功すれば万歳ですから、この「B6ソフトカバーで1000円~1500円」というチャレンジは、最近の出版業界では(かなり)成功した部類だと言えます。
http://anond.hatelabo.jp/20151118225408
まず、本当にどうしようもない(不可抗力ではなくしょうもないという意味)理由として、その作者さんと編集者さんのアクセスできるラインに制約があります。文庫しかアクセス出来なければ文庫で出しますし、文芸書的な編集部ならその判型で出すというのはあります。作家や編集者は、どんな装幀の本でも自由に出せるかと言えばそんな事もなく、編集部の主戦場にしてる判型や書店の本棚というものがあるのです。営業が影響力を発揮できる範囲は書店全域ではありません。まあ、これは後付けのところのしょうもない理由ですね。
より本質的な理由としては、「想定読者数(≒初版部数)」の問題があります。もし、新書、四六判、文庫など自由な判型が選びうる編集部で企画が進んだ場合、問題になるのは、この本を何人くらいの読者が求めてくれるか? という点です。本を作る編集やデザインの作業というのは、どんな装幀でも実はさして大きくコストが変わるわけではありません(紙代や印刷費は変わります。部数が増えれば安くなるので、文庫本で部数が多いものは負担少ないです)。つまり、書籍の値段の本質は「(作者が著述に要したコスト+編集やデザインにかかったコスト+必要な利益)を初期読者がシェアして負担する。」ということなのです。
たとえば「5000人しかかってくれそうにない」「だったら3000円にしないとまずいな」「じゃあ判型は文芸で表紙もハードカバーにするか」というような展開で判型は決まります。この段階で幾つか疑問が発生すると思います。
Q.3000円の文庫本じゃだめなの?
A.読者の皆さんは3000円の文庫は買ってくれないです。読書体験は文庫でも四六判でも(内容という意味で)大差はありませんが、物質商品としては購入してもらえなくなります。出版人として自分が関わった3000円の本がソーシャルゲームのガチャ6回に劣るとは思っていませんが、やはり売れない物は売れません。
Q.値段を下げて、つまり判型を最初から文庫にして薄利多売を狙う企業努力はしないの?
A.もちろんそういう戦略判断をする場合もあります。ベストセラー著者が最初から文庫に殴り込みなどと言うのはそう言ったパターンです。しかし大多数の著者において「値段を下げる」というのは部数増加には結びつきません。たとえば作家Aさんの本が欲しい人というのは値段に関係なく買ってくれる傾向があり、逆にこのAさんに興味がない人や知らない人は、値段を下げても買ってくれません。
以上のような条件から、出版ビジネスの値付けは「初期読者(=おおよそ初版部数に相関)で製作費用と最低限の売り上げを確保する」という方向性になっています。増刷や文庫化というのは収益のボーナスステージであって、その段階になると利益がどんどん出て黒字になるわけです。しかし、おそらく読者の皆さんが思っているほど、このステージに行ける本は多くはありません。多くの本は、最初の売り上げ確保のステージに失敗して赤字になるか、もしくはなんとかトントン程度の収益になります。文芸畑ではより顕著ですが、ライトノベルなどの文庫でも、一部の売れっ子作家さんの書籍とそうでない多数の作家さんの書籍の二極化が深刻です。
こういう状況に問題を感じないのか? といえば個人的には感じています。本をもっと安くすべきだという問題意識ではありません(日本の本は世界的に見ても安価だと思います)。どちらかというと、初期読者の人に十分報いていないと思うからです。ある作家を(ひいては編集部や出版社を)支えているのは初期読者(=初版で買ってくれるような読者)です。彼らの数が予想部数を通して本の値段や判型を決める基礎材料になっているのです。しかし、実際には彼らは文庫化ではなくその前の段階の大きな判型で購入するなど、経済的な負担を大きく受け持つ構造になっています。映像作品などには「初回限定特典」のような概念がありますが、出版では一般的ではありません。その点は不公平で歪だと考えています。元増田氏の言及したコメントは、この不公平感にたいして「初期読者はいち早く読める」という点を解説したかったのだと思いますが、それに対してどこまで価値を感じるかという点は読者次第だとも思っています。このへんは個人的な感想なので、出版業界の中にもいろんな意見があると考えて下さい。
読書にたいしてお金を使う習慣のある方、書店を日常行動の経路に含んでいる方、読書家という人種はある意味非常に高尚で「紙の書籍を手にとる楽しみ」「装幀を愛でる楽しみ」という点に価値を感じて下さっています。それはすごく嬉しいしありがたいことです。そういう文化があるおかげで命脈を保てる出版社が存在することも事実です。しかし一方でそれに甘えてこなかったか? といわれればたぶんそういう部分もあると思います。こういった読者の方は、読者であると同時にパトロン的な性格さえ持っているのです。
今後十年から二十年かけて、その文化も徐々に変わっていくと思います。どうなるかはまだ判らないのですが、そういうアーリー読者&パトロン的な文化を完全否定する方向ではなくて、リスペクトやコミュニティに対する利益還元出来る方向の出版方式や企画などが(もちろん試行錯誤の残骸の中からの芽生えとして)産まれてくることを願っています。
フランスの同時テロは民間人が犠牲になることが問題視されているのに、
しかしこれを頭ごなしに否定するのはカミカゼをやってきた日本がするのはおかしい、
・攻撃対象
自爆テロは不特定多数の民間人を標的にしているがカミカゼは米軍のみを標的とした。
ここで民間人が狙えたら狙っていただろう、という「だろう」推定は歴史において全くの無価値であり議論の余地なし。
「信長が本能寺で暗殺されなかったら」というライトノベルでも書いてガガガ文庫にでも送ってください。
・動機
戦力差のある中で米軍に対する対抗処置として腐った旧日本軍が青年兵たちに強要した作戦がカミカゼであるのに対し、
自爆テロは洗脳こそされていたが法的な強制力はなく、ISへの参加は実質的には自主的な参加が大半を占める。
また、カミカゼはそうしなければ本土の家族が米兵に殺されると脅されてきたので防衛するという決死の意志がある。
まだ差異点はあるが、類似点といえば「自爆」の2文字しかないのに、
ドヤ顔でカミカゼと同じというブログ・ブコメを繰り返す人たちは一体どこをどうみて同じだと言っているのだろうか。
自爆行為が同じであるならば自爆でいっしょだね♪で終わる話だろう。
それ以上話を広げようと躍起になるから話が破たんする。