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はてなキーワード: テレホーダイとは

2021-07-25

anond:20210725084810

テレホーダイ前ワイ

「なんかサイト読み込み遅いなあ・・・

「ゲ!500KBもあるやん!MIDI埋め込んでるなこのサイト!」

「このページみるだけでパケット料金で50円かかるんか・・・

2021-06-01

ネットがなかったら、日本人は今でも勤勉って言われてたんだろうか

ネットというか、常時接続ネットか。

テレホーダイ時間帯までは、パソコン資料をまとめていたりしていたが、他の人はどうだっただろうか。

2021-05-15

テレホーダイタイムって今でもあるの?

なんでもいいんだけど例えばAmazonKindleコミックのページとか

大量の書籍の表紙画像が表示されるわけなんだけど令和の世では

一瞬で表示されるのが当たり前なわけじゃない?

それがさ夜のネットの混雑時とかになると、えっ!?テレホーダイ?って

感じの遅さになるんだよ。

これって皆そうなってる?

実は接続プロバイダーが強制的に変更になってからネット速度遅くなったとは

思ってたんだけどコロナ禍が始まってからいよいよおかしくなってんだよな。

といいつつ今までまあいいか、と流してきたんだけどいよいよプロバイダーを変えようと思ってる。

たださ、コロナ禍では混むの当たり前になってるからプロバイダを変えても意味ないよ、

という意見があったら教えて欲しい。

2021-04-25

自宅のネット回線が驚くほど遅い、夜になるとひどいことになる。

テレホーダイタイム?と疑いたくなるほどの回顧的回線状況となっている。

テレワークの普及以来ネット回線の遅延は囁かれているが、夜に壊滅的状況となるのは別問題だろう。

ベストエフォートとかなんとかそういう理屈はわかるのだが、それにしてもおかしなことになっている。

この状況はプロバイダを変えれば改善されるのだろうか?

そういった疑問をネット上の検索だけで、なんとなくでも当たりのついた答えを得ることが非常に難しい。

広告であふれかえっているからだ。

こういった素朴な疑問、プロバイダを変えると状況は改善されるのかな?てきな簡単なことが「わからなく」なっている、調べても。

別に正しいかどうかではなくて、「わからない」のがずっと昔のネット状況とは違うところなのだ

なんだか時代というのは進めば進むほど、物事が明快なるものであるというのは間違った認識で、とき混沌へと進むものなのだ

こういった混沌を整理する技術を開発したものが、次代のグーグルなのだろう。

あの、黎明期の役に立たない混沌検索解決したのがグーグルなのだから

2021-02-12

森 喜朗に寄り添ってみる

以下はWikipediaコピペが大半である

森の年表

1937年生まれる。

小学1年生の1944年に、母が亡くなる。

小学2年生の1945年に、第二次世界大戦終結する。

中学1年生の1950年に、北朝鮮韓国朝鮮戦争を起こす。

高校1年生の1953年に、冷蔵庫洗濯機トースターなどがようやく登場する。

高校2年生の1954年に、ゴジラ映画一作目が上映される。

21歳の1958年に、東京タワーが完成する。

27歳の1964年に、東京オリンピックが開催される。

32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙立候補する。

以下はWikipediaから引用である

選挙直前一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。

らしい。時代である

40歳1977年に、内閣官房副長官就任する。

46歳の1983年に、文部大臣となる。

51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。

57歳の1994年に、日本標準的な定年が60歳となる。

58歳の1995年に、テレホーダイが始まる。

61歳の1998年に、Windows98誕生する。

63歳の2000年に、当時の小渕首相脳梗塞で倒れる。その3日後に第一森内閣発足。日本国の長となる。

以下は、Wikipediaから引用である

前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという

64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。

2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。

69歳の2006年に、Twitter誕生する。

73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。

75歳の2012年に、議員引退する。

76歳の2013年に、アルゼンチンブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。

77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長就任する。

82歳の2019年に、#KuTooが誕生する。

84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。

寄り添ってみる

森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である

森が小学2年生のとき第二次世界大戦終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。

そのような教育を通して、森は育ったのだ。

日本インターネット誕生し、私達がWindows98テレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。

森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来性格とみるか?育った時代教育環境も影響しているはずだろう。

私達の感覚では、「時代に合わせて感覚アップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。

特別に森がというより、一般論としての森の世代であるTwitter誕生たころには70手前の世代である

自分母親父親職場上司に「感覚アップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代人間である学生時代戦後経験した世代である

PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代人間は、感覚アップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚アップデートすればいいのかわからないのではないのか。

この世代人達は恐れているのではないか自分の古くさった感覚アップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか

哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である

森内閣時代、私は中学生であった。胡散臭い爺という印象であった。私と同世代で森が好きなやつは少ないのではないか

しかしこうして年表を並べてみたら、お疲れ様でしたとしか言いようがない。

2020-08-25

5Gに期待できない

まだ通信制限してる時代なんだよ?

例えるならテレホーダイ時代だよ

何がどうなるってんだよ

2020-02-27

テレワーク」って最近流行りのワードだけど

めちゃくちゃ古臭い語感ない?テレホーダイなんかの時代連想するんだけど。

2020-02-02

scanz、スキャンコレクション

anond:20200201113849

グラビアスキャン画像蒐集する趣味を楽しんでいた時期がある。

グラビアと言っても日本週刊誌アイドル雑誌グラビアではなく、主に海外ソフトコア雑誌セレブ誌のグラビアである

飽きてやめてしまうまでの数年間、日本人の同好の士とは出会えなかったので、たぶん日本人でそれをしていた人はごく少数だったんじゃないかと思う。

自分はただのエンジョイ勢だったのでそれほど深い知識があるわけじゃないけど、日本語の文献も見つからないようだし、思い出としてちょっと書き留めておこうと思う。

だいたい20年くらい前の昔話。

この趣味名称

よくわからないが、Online Scan Collection とか scanzwarezのノリ?)と呼ばれていたと思う。

概要

スキャナと呼ばれる職人が配布する画像ファイル(主にグラビア)をコレクターが集めたり、コレクター同士でトレードしたりする遊び。スキャナーはコレクターを兼ねていたりもするし、コレクタースキャナーとなって配布を始めたりもする。

スキャン

配布される画像スキャンと呼ばれる。紙媒体で売られている雑誌グラビアを高解像度フラットベッドスキャナで読み取り、もとが印刷物であったことなどわからいくら美麗にレタッチされたJPEG画像である。600dpiクラススキャナと高機能レタッチソフト(ほぼPhotoShop一択)がたぶん必須

題材は大半がセクシー女性グラビアで、ヌードでもPLAYBOYPENTHOUSEに載る程度のおだやかなもの水着下着姿のものも多い。が、たまに美しい風景シリーズがあったりもする。

画像の片隅にはそれを作ったスキャナーのシグネチャ(かっこいいアイコンなど)がウォーターマークとして付される。

あ、上で「日本人はごく少数」と書いたが、おそらく日本人だろうというスキャナはいた。中でも印象に残っているのは Kuni Scan という2万枚ほどのシリーズで、題材が日本グラビアだったし名前からして日本人だろう。Kuni Scan画像検索すると今でも彼の作品の一部を見ることができる。

一次配布

今でもそうだが印刷物スキャンして配布するのは明白にコピーライト違反であるし、ことに題材が肖像権にがっつり抵触していることもあって、一次配布はきわめて目立たないかたちで行われていた。

スキャナーたちが「新しいのできたよー」と最初の配布を行うのはおそらくIRCチャンネルだったと思う。自分外人たちと英語リアルタイムチャットをする自信がまったくなかったのでIRCにはほとんど近寄らなかった。なので一次配布の現場のことはよく知らない。

当時はimgurのような匿名画像アップロードサイトなどもなかったのでこのような個人間のやりとりで配布が行われていたのだろうと思う。

この時、スキャナーは画像とともにスキャンリストも一緒に配布するのであるが、それについては次で述べる。

シリーズスキャンリスト

スキャンは数十枚~100枚程度のテーマを持ったシリーズとしてリリースされる。テーマモデルであったり、雑誌であったり様々。

最新リリースには必ずそのシリーズに含まれファイルの一覧を記したCSVが添えられる。

このリストこそがコレクションキモになる。

リストに記されているのは [ ファイル名, ファイルサイズ, CRC32 ] の3項目(CRC32はファイル指紋のようなもので、データ同一性確認するのに用いられる通信技術)。

この3項目が一致していないとオリジナルデータと認められず、集めたことにならない。

たとえばWebで目当てのファイル名の画像を見つけたとしても、それが何者かの手によってリサイズされていたり再圧縮されていたりするとCSVと数値が一致せず、コレクションに加えることができない。

シリーズには継続中のシリーズとすでに完結したシリーズがあり、CSVファイルに[finished]といった名前がついているのが完結したシリーズである。これに載っているスキャンを全部集めたらコンプリート

CSVはこんな感じで今でも配っているのを見つけた。

http://www.scancollections.com/CSV/list_csv.php

(私がかつてひとつだけスキャナーとして配布したシリーズも含まれていた。なんだかうれしい)

蒐集

一次配布時にIRCを通じてスキャナから直接手に入れることのできなかったスキャンは別の手段で探すことになる。

Webにアップされているものを探したり、同好の士トレードしたり、alt.binaries(ニュースグループ)でも交換が行われていたように思う。

私は主にWebサイト経由で集めていたのだけれど、当時個人ホームページの割り当てボリュームは数MB程度がふつうだったので、スキャンをアップしてくれるサイトも古いものはどんどん消されてしまった。しかも1枚1枚がやたらでかい。今でこそ一辺が1000ピクセル以上あるような大きな画像でも表示は一瞬だけれど、DSLすらなかった時代の混み合うテレホーダイISDN回線では300KB程度のJPEGでも上からじわじわ表示されてくるのを待つ感じだった。

海外同好の士からトレードを持ちかけられることもあった。トレカの要領。ロシア台湾コレクターと、お互い非母国語英語でたどたどしく「おまえこれ持ってるか」「おれのこれやる」トレードのやり取りをするのである。基本は1:1で持ってないもの同士を交換というタテマエだけど、自分は持っているものは気前よく差し上げていた。ドイツコレクターとはたまたま音楽趣味が合ったのでしばらく文通してたな。

そうやって新しく手に入ったスキャンがあると、コレクションマネージャーみたいなソフトを使ってCSVと照合する。CSVと一致しないデータを取り除いてくれたり、リネームフォルダ分けを自動でやってくれたりするスキャンコレクションに特化した管理ソフトがあったのである

やめてしまった理由

自宅のネット回線FTTH常時接続に変えたとたんにコレクションがつまらなくなった。

どんなサイト画像もピュンピュン一瞬で表示されるし、コレクションがウン千枚詰まったZIPファイルですらたちまちダウンロードされて、「苦労して一生懸命集める」という手応えがなくなって、やりがい」がなくなってしまったである

DSL常時接続の普及にともなってネット上には高解像度データがあふれるようになり、スキャンしか見ることのできなかった美麗画像の希少性がどんどん下がっていったこともあると思う。

同好の士

「それ俺もやってた!」って人いますか?

2019-10-31

50代はゲートボールとかやってろっていうけど

高校卒業後くらいでテレホーダイウルティマオンラインラグナロクオンラインを始めたネトゲ黎明期を知る世代なんかはそろそろ50代では

現実を考えるとこれからの50代60代は普通にゲームしてたりする

2019-06-08

anond:20190608210608

増田っつかはてなユーザの平均年齢考えろよ

未だにテレホーダイの話しちゃうような連中の吹き溜まりだぞ

2019-04-20

伝説ネットエロ小説家

PC9821とかWindows98とかテレホーダイとかそんな時代の話

当時純朴だった少年だった俺はまぁエロを見るわけ

エロっつっても当時はネット速度の問題

パツキン外人ヌードだの、アイコラだの、エロ小説とかそういうのね

そんな中俺が最初にたどり着いたエロ小説投稿サイト

エロ小説つってもアニメゲームキャラヒロインたちを題材にした二次創作エロ小説

そのサイトの一番上に、ある投稿作家さんの作品が載ってたの

藤○詩織とか、サ○ラ大戦、ス○ーオーシャンの二次創作エロ小説だった

それが凄かった。

当時のエロゲ界でスタンダードだった、所謂美少女陵辱モノの流れ、文法で書かれてるんだけど

読むと脳が溶解してシナプスがブチブチ切れてるんじゃねえかってぐらい異常に興奮すんの

若かったのもあって毎日その小説見て抜いて抜いて抜き倒してた

文章もの凄くシンプルで量は多くない。簡単な状況説明と会話と擬音だけ

それでいて官能小説用語辞典に載ってるような技巧を駆使した性表現なんかに全く頼ってないの

その後商業同人ネット投稿と幅広くエロ小説を見てきたつもりだけど

未だに及ぶものが見つからないぐらいの強烈な完成度、興奮度の打点の高さ

結局、最初に見たエロ小説が、実は人生で最高のものだったのね

その後そのサイト消滅し、その作家さんもネットの海に消えてしまった

たまにInternetArchiveで見返すけど未だに興奮するし、未だに文章の完成度に驚いてる

あれほどの才能が埋もれるはずもないと思うが、消息が全くわからない

InternetArchiveで当時の感想掲示板の残骸を見るに、

執筆当時大学生で、腰痛に苦しみ、それが元で退学し、大病して療養中というところまではわかった

今もお元気であられるのだろうか?どこかで活躍されてたりするのだろうか?

その伝説作家の名を「むーむー」氏という

2019-02-12

エロ画像思ひ出

エロ動画ではない。エロ画像である。なにせこれは20年以上前の話だからだ。

当時、Windows ユーザの間でもモデムテレホーダイの併用でネット接続が普及しつつあった頃だった。俺は貧乏学生だったけど、常時接続された環境でのうのうとネットワークを使っていて(誤解を避けるために最初に書いておくが、俺は工学系だが情報系の専攻ではない)、Linux独立したサーバを組んで研究室に設置し、テレホーダイタイムに家の PC98 で hterm を走らせてターミナル接続し、emacsメールの読み書き、kermit で小さいファイルのやりとりをしているような、そんな感じの日々だった。テキストターミナルだけ、って、今の人には信じられないかもしれないけれど、メールネットニュースの読み書き、あとはサーバ管理を行う上では、これで何の不自由もなかった。まあそういう時代だったのだと思っていただきたい。

おそらくここを読んでいる方の多くは ネットニュースという言葉を聞いてもピンとこないと思う。誤解を恐れず簡単に言うと、オープンかつ分散的なネットワークで構成された5ちゃんねる、みたいなもの……かな。5ちゃんねるはオープンでも(ネットニュース程に)分散的でもない(いや内部では分散されているんだろうけどね)し、投稿匿名で行われるわけだけど、ネットニュースは個々のサーバ独立して運営されていて、上流のサーバとの間で NNTP によるバケツリレー方式ニュース記事ファイル転送される。ネット上を流れているニュースグループとその記事の数は膨大なもので、そこではほとんどの場合所属名前オープンにしたやりとりが行われていた。日本では fj.* ってのがあって…… void 氏とか lala 氏とか、何かまあ色々有名人物がいたわけだ。何か投稿する際にびくびくしながらやっていたのを今でも思い出す。

いや、まあ fj の話はよろしい。あくまでここではエロ画像の話だった。先のネットニュースニュースグループには comp.*, news.*, sci.* 等があったわけだけど、これらの枠組みに入らない、もしくは入れたくないような話題に関して収納する目的alt.* というのが作られていた。この alt.* はある意味無法状態に近くて、alt(言うまでもなくこれは alternative の略である)は実は "Anarchists, Lunatics and Terrorists" の略である、などと言われた位だった。そしてこの alt.* 内には alt.binaries.* というサブグループ形成され、そこに様々なバイナリデータが流されていた。ただし、ネットニューステキストしか流すことはできないので、バイナリデータuuencode(この頃まだ Base64 なんてなかったので)でテキスト文字列に変換され、分割されて投稿されていたわけだ。

で……長いな前置きが。要するに、alt.binaries.erotica.* というサブグループがあって、ここにエロ画像が大量に流れていたわけだ。勿論、大学企業ニュースサーバはこんなグループを購読したりはしないわけなのだが、あるときに噂が流れたのだ。**大学のこのサーバで、どうやら購読しているらしいぞ、と。アクセスのあからさまな制限がされておらず、見てみると……うわー、あらかた購読してるじゃん。まさに宝の山であった。ちょっと考えて、俺は自分サーバ上でスクリプトを書き始めた。

alt.binaries.erotica.* には、様々な性的嗜好に合わせた画像のサブグループがある。ガチムチホモの絡みなんてのはお呼びじゃないので、見目麗しそうな女性画像がありそうなグループをまず選び、そこの記事一定時間間隔(traffic を徒に増やすのはさすがに気がひけたので)で自動的採取、結合し、uudecode でバイナリに変換して HDD にストアする……そういうスクリプトを書いてみた。たまたまある目的で、データストア専用の HDDサーバに付けたところだったので、そこにバイナリを溜めるようにして、ちょっとわくわくしながら眠りについた。

翌日、早めに研究室に行き、他の学生がいないのを確認して HDD の中身を見ると……おー、溜まっとる溜まっとる。中には外れもあってスカトロやら妊婦やらエラいものも混じっているわけだが、さすがにこれは人力で弾くしかない(今ならそこも自動化するかもしれないが)。数日で HDD 一杯にファイルが蓄積されたのだった。さあ、めくるめくエロライフの始まりまり……と思ったのだが、そうはならなかった。結論から言うと、俺は1、2週間でそれをやめてしまったのだ。

まず俺は洋ピンマニアではなかった。そして、エロ画像ってのは飽きる。最初は、今風に言うと「これは俺の嫁」みたいなのを選んで、精選版画像アーカイブみたいなのを作ろうかとも思ったのだが、そういうところにそういう食指をそそられる画像ってまぁ流れてこないんだな。圧倒的に多いのは「ノイズ」。人力ノイズリダクションに嫌気がさしてしまったのだった。おまけに HDD は逼迫してくるし、結局あるところで意を決して、HDD を unmount してファイルシステムの再構築。すかーっと容量が空いたそのときが、実は一番快楽を感じた瞬間だったかもしれない。

まあ、あれだな。足るを知る、ってやつですよ。たくさんありゃいいってものでもない。それをちょっと学習したのだった。

2018-10-26

anond:20181026081750

ざんねん!男でしたー

2018年にもなってネカマに引っかかるとかさー、テレホーダイ時代じゃないんだぞ爺

2018-09-12

2018-08-02

18歳から進歩してない気がする

大学入学祝いパソコン買ってもらった18歳の私。

最初は好きな歌手サイトなんかを見たりタイピング練習したりしてたのに、気付けば56kのアナログ回線テレホーダイで22:00〜8:00まで余すことなく使い2ちゃんねるに毎晩書き込みしてたあの時代から早●●年。

結婚して子供までいるのに、やってることは大差ないことに驚いている。

職場ではガジェット好きのババァ扱いだけど、これって50歳になっても60歳になっても変わらないのかな。

2018-07-27

「私の好きなインターネット」がもうどこにもなくなりそうで悲しい

私はパソコン通信まれ2ちゃんねる育ち、いや正確にはワープロが搭載したパソコン通信モードにドキドキするも繋がらない…とかに始まって、インターネットカフェっていう本当にインターネットするためだけに800円とかのコーヒー頼む所に通ってたり、自習室PCネット繋がるからって理由で塾決めたり親がテレホーダイ入ってくれないからH゛(エッヂと読む)でダイヤルアップして時間と戦いながら必死BBSやらチャットやらに明け暮れたあげく料金請求で大爆死したりしてた世代なんだけど(身バレ危機)

私はもっとカオスで危なくて怪しくて、入るたびに形のかわるダンジョンみたいな、武器のかわりに知識で殴られるあの空間が好きだったんだ

ほんと嫌ってほど釣られたしグロ画像とかも踏んだけど半年ROMれggrksも今思うと優しさだったよ

Twitterでバズってても半分以上は本気の警鐘とか社会的にきちんとしたためになる話か、実在の誰かを血祭りにあげようとする私刑執行シーンで、何が面白い説明しきれなかったあの頃の空気はどこかへ行ってしまった

…いや

本当はちょっと分かってんだ

私がただ歳取って、疲れて、悟って

楽しめなくなっただけなんだって

あんなに忌み嫌ってた老害になり下がるくらいなら

ただ大人しくどこかの廃墟で私の知識必要とする若者を待つよ

表札にぬるぽって書いてさ

ぬるぽさんですか」とか言われたら人違いだって言い張るから

そのくらいの懐古は許してくれよな

2018-05-08

30代で年収千万達成して10年経った

結婚して子供は二人。妻は専業主婦都内の持ち家に住んでます

旅行は年に平均3回。国内2回、海外1回。

いかにしてそこに至ったかの話に興味はありますか?

よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。

3人兄弟末っ子

少し年の離れた兄が2人。

父親高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたし物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。

兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。

すぐ上の兄から5つ離れた自分はその頃はまだ中学生

学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日

日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻常習犯。授業中も居眠りが基本。

ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥

それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。

エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退

ところが世はまさにバブル崩壊直後。

手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。

兄たちの飲食店も当然のように廃業兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。

自分は親戚の工務店職人として就職

修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。

朝5時に迎えが来て、夜20時に帰宅する毎日

免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。

ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散

退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。

財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。

その時、退職金で当時まだ高価だったパソコンを一式購入。

ダイヤルアップテレホーダイインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。

引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったとき貯金が底をついてしまったために日中就職を考える。

まだ個人パソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社入社

アルバイトとは言えはじめてのまともな就職だった。

プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。

しかし務めていくうちに社長キャッチセールスソフトウェア抱合せ販売就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産

22歳にて再び露頭に迷う。

その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいとき眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。

その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からちんこ事務を頼まれる。

急遽事務員が長期間入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。

当時、ぱちんこのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。

一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもり自分正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。

入社して早々にわかたことは、会社全体としてかなり管理杜撰ということ。

オーナーものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。

一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。

効率化されると働いてないのがばれるからだ。

人は人、自分は自分精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。

当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。

入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。

それと同時に働いているふりをしていただけの人間勝手に居場所を失いいなくなった。

その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。

20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店リニューアルがあるということだった。

いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。

ちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。

はいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。

リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。

オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。

リニューアルはなんとかうまく行ったものオープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。

そんな時、突然古参数名が一度に退職を申し出る。

当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。

ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。

当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。

ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。

毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールシフトに組み込まれしまうため、事務作業は公休日に行った。

(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホール義務といえるからだ。)

広告の手配から店舗販促、部備品発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。

休み無し、一日の労働17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。

その頃には店舗ナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。

その後は一ヶ月間自宅療養になった。

絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務ほとんどは滞りなく行われていた。

それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。

そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。

準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。

営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のとき本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメント担当することになった。

そこで私生活を見直す時間が出来、その2年後33歳で結婚

家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。

ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。

自分上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位本部長を務めている。

ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。





ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたし人生から学べることなんてものはない。

学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。

成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。

今の生活なんて、結局は運の結果でしかないということだ。

あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分絶対存在していないだろう。

こんな人生でも羨ましいと思うなら、それはもう個人勝手だ。

ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。

それが自分生き方他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。

言いたいことは一つ。

どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。

なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。

どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。

そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてもの簡単に変わってしまものなのだ

努力はその運をすこしだけ左右してくれるものしかない。

努力無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。

ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。

その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。

自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟台無しにされたことが今でもくやしくてならない。

あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。

なぜあの時にもっと兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。

他人関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。

2018-02-18

『「IT黎明期あるあるランキング』と言うけれどIT黎明期っていつだ

今では考えられない「IT黎明期あるあるランキング https://ranking.goo.ne.jp/column/4939/ranking/50996/ ここを見ての疑問

個人的には森元総理ITとか言い始めた2000年IT黎明期イメージだろうか

元のアンケート事象うろ覚え年代を書いてみる。人によって黎明期イメージする年代バラけてそう。

1993-94 → 1位 「フロッピーディスクの数が膨大」! 80票

1994-99 → 2位 画像の読み込みがおそすぎてイライラする 78票

1992-1998 → 3位 パソコン雑誌付録CD-ROM 71票

1993(東芝もっと前)-2000 → 4位 フロッピーの容量は2HDで1.44MB 67票

1988-2000 → 5位 マウスのそこをあけてボールを取り出して掃除 66票

1999 → 6位 ADSLが出てきた当初は革命だと思った 62票

1987-1996 → 7位 プー ピポパポパピ ピポピポピー ピービーヒョロロロピーブピプーピーガーーーー 60票

1995-2003 → 8位 Officeソフトを開くと画面右下にでてくるイルカがウザい 46票

1993-1998 → 9位 スクリーンセーバーは謎のパイプ迷路 42票

1987-2002 → 9位 無線接続が無いので部屋に長いモジュラーケーブルを這わせていた 42票

1993-2005 → 11工事中のページが多い 41票

1994-1998 → 12インターネット中は電話ができないため家族に嫌がられる 40票

? → 13位 バナー直リンク禁止 37票

? → 14位 キリ番を踏んだら管理人に報告する 36票

1995-1999 → 14位 テレホーダイの加入は必須 36票

1997-2003 → 14位 ホームページにはダサいアクセスカウンターを設置 36票

? → 14位 パスワード付きページがやたらと多い 36票

1995-1999 → 18位 テレホタイムパソコンにはりつく 34票

ここ10年くらい? → 19位 右クリックすると「右クリック禁止です!」とアラートが出てイラッとする 33

1998-2007 → 20位 今よりもパソコンの熱放出が激しかったので夏場の作業がしんどかった 32票

2017-12-27

人生物語は要らない

 先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。


 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。

 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。

 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス成功者になる」みたいなステレオタイプな物語を押し付けられたことは何度もあったけど、いつも心の中で蹴り飛ばしてきた。なぜ今回に限って勘違いしてしまったのか。


 福島では相馬市松川浦という観光地にある旅館に住んでいた。国からの補助があるので宿泊費はかからなかった。旅館だけあって飯がめちゃくちゃうまかった。直前までわりと本気で食うや食わずの生活をしていて、就業前の健康診断で「就労可能です」のハンコの横に「貧血症――経過観察お願いします」とか書かれるレベルだったけど、1か月で元の体重に戻れた。

 そしてこういう現場に集まる人間というのは基本的ろくでなしばかりである。入ったばかりの給料を数日で飲み代やパチスロに使ってしまい、すぐに前払い制度を利用するはめになるような、そんな人間ばかりだ。同じろくでなしとして、とても居心地がよかった。やはり自分はこちら側の人間だと思った。

 そんなわけでしばらくここに居着こうと思ったけど、東北の夏は意外と暑かった。僕はそれまで日本の東側に来たことがなく、東北の夏なんて京都盆地の夏に比べたら余裕だろとか思ってたけど、ぜんぜん余裕ではなかった。しかも仕事中は半袖作業服禁止で、手袋は三重、さらに安全長靴にヘルメット、高性能防塵マスクというフル装備で、炎天下の中、延々と作業するのだ。このままでは干物になってしまうと思い、涼を求めて北海道へ行くことにした。


 割のいい仕事をしたおかげで金はそこそこあったので、JRの青春18きっぷを使って道内をしばらく旅した。

 旅の途中、いろんな人に出会った。日本一周中のライダーチャリダー、本州でこういう人に出会う機会は少ないけど、北海道ではさほど珍しくない。彼らには独自の文化があるようだった。こういった旅人向けに格安で宿を提供するライダーハウスの存在も教えてもらった。ライダー専用のところもあれば、旅人なら誰でもウェルカムみたいなところもあるようだ。

 美瑛にある「蜂の宿」というライダーハウスはめちゃくちゃ居心地がよくて、しばらく沈没してしまった。同じように沈没中の旅人が多く、宿を出るときは少しバツが悪くて、朝早い時間、夜逃げのように出発した。稚内の飲み屋では一人旅の女性客に「函館に住んでるから着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。でもいざ函館に着いて連絡しようとしたらだんだん死にたくなってきたので忘れてたことにして函館を後にした。小樽のライダーハウスではなぜかオーナーに気に入られて「上の階の空き部屋に住んでいいよ」と言われたけど、結局置き手紙だけ残して去ってしまった。

 そんないつも通りのあれこれがありつつ、最終的に札幌でクソボロいマンスリーマンションを借りて住み始めた。


 札幌では2年ほど暮らした。つまり冬を2回越した。

 石狩平野ドカ雪が多い地域で、昨日まで普通だった街の景色が、朝起きたら突然、一面の銀世界になっていることも珍しくない。人の背丈より高く積み上げられた道路脇の雪。凍った路面をすいすいと歩いていく人たち。数センチの積雪で大騒ぎになるような地域に住んでいた僕には、すべてが新鮮だった。海外を旅したときも自分がいかに世間知らずかを思い知らされたけど、同じ日本でも住む土地が違えばこんなに空気も文化も違うのかと思う。

 そうだ、僕はあまりにも世界を知らなさすぎる。ホームレス経験があるからなんだというのだ。「なんでも知ってるゲンさん」みたいなステレオタイプキャラクターはどこにも存在しないということがわかっただけじゃないか。インド東南アジアを旅したからなんだというのだ。日本の近所をちょろっと見てまわっただけじゃないか。アメリカにもアフリカにもヨーロッパにも行ったことがない。政治も経済も科学も宗教も、本当に何も知らない。

 もっと世界を知りたいと思う。いままで自分ひとりで知識や経験を積み重ねてきたけど、もう限界だと思った。独学には「体系的に学べない」という決定的な限界がある。だから大学へ行こうと思った。もっと世界を知るために、僕には高等教育が必要なのだ


 しかし僕は中卒なので大学へ行こうにも受験資格がない。まずは高認(旧大検)を受ける必要があった。とりあえず過去問ざっと目を通してみると、文系科目は特に対策しなくても合格点を取れそうだったけど、理系科目は壊滅的だった。数学なんて問題文の意味さえわからない。やべえよ。

 コールセンターWindowsテクニカルサポートの仕事をしつつ、参考書と格闘する日々が始まった。途中で何度も心が折れそうになったけど、数学が扱うのは実体のある数(かず)ではなく、数(すう)という概念なのだということがわかってから、唐突に理解できるようになった。数を感覚的に扱えるようになり、数式の手ざわりがわかるようになった。

 勉強時間の半分くらいを数学に費やしたおかげもあってか、本番の試験では90点を取れた。分数の足し算すらあやしかった状態からここまで持ってこれたのだから、まずまずの結果だろう。国語は無勉強で満点取れたので、読解力は普通にあるようだ。他人の評価は主観が混じるので話半分に聞くけど、こういう機械的な評価は信用できる。英語も無勉強で満点取れるかと思ったけど、2問ほど間違えた。どちらも穴埋め問題だ。自分でも文法力が足りてないことは自覚していたけど、やはりその通りだったようだ。他の教科もなんとか70点以上をマークし、無事、高認に一発合格した。

 これで大学受験の資格は得た。学力はまだぜんぜん足りてないけど、土台部分は構築できたはずだ。これからさらに何年かかけてこの上に知識を積み重ねていくとして、次に考えるべきは資金の問題だろう。無給で4年間大学に通うなら最低でも800万、できれば1000万は貯金しておきたいところだ。しかしこの額はさすがに札幌の労働単価では厳しい。やはり稼げるところに行くべきだと思い、住んでいた部屋を引き払ってまたホームレスになり(2年ぶり4回目)今度は東京へ向かった。

 ちなみに僕には家族も友達もいないので、こういうときバックパックに入りきらない荷物はウェブ管理可能なトランクルームに預けるようにしている。ダンボール1個分の荷物を月数百円で預かってくれて、いつでもウェブから出庫できるので、こういう生活スタイルにはとても便利な存在だ。


 いままであちこちを転々としてきたけど、東京に来るのは初めてだった。西成で暮らしていたときに山谷の話は聞いたことがあったので、まずはドヤで当面の寝床を確保する。西成みたいに1泊1000円前後で泊まれればしばらくそこで暮らそうかと思ってたけど、2000円前後が相場のようだったのでドヤ街からは早々に引き上げ、少し北上して南千住駅近くにあるシェアハウスの一室を借りて住み始めた。

 次は仕事だ。自分の持つスキルの中で最も金になるのは、やはりプログラミングだろう。上京する前にリハビリとして最新技術はひととおりさらっておいたし、その経緯を文章にまとめてQiitaに投稿しておいた。なぜかその記事は「文学作品」という評価を受けたけど。技術記事なのに……なんでや……。しかし職探しのときにその記事をポートフォリオとして使ったらめちゃくちゃウケがよかった。東京エンジニアが不足しているとは聞いていたけど、これほどとは。仕事も多ければ単価も高い。いままで自分が住んだことのある都市と比べると、京都・札幌の倍以上、大阪の1.5倍以上の単価だと思う。

 そんな感じで生まれて初めて金に困らなくなった(!)ので、まずは渋谷に引っ越した。JR渋谷駅ホームまで徒歩5分のマンションなので、主なオフィス街は自宅から30分以内で行けるし、渋谷にある会社ならもちろん徒歩圏内だ。ジュンク堂(東急)まで徒歩10分くらいで行けるのもすばらしい。近くに庶民派スーパーがないことだけが難点だけど、西友のネットスーパーに助けられている。いつも配送ありがとうございます

 次にPCを買い換える。生活スタイルの問題もあってここ数年はずっとノートPCを使ってきたけど、東京には腰を据えて何年か住む予定なので、ハイエンドデスクトップPCを買うことにした。WindowsLinuxどちらも使いたかったので、これまで通りデュアルブートにしようかと思ったけど、切り替えが面倒なのでWindows上の仮想マシンとしてLinuxを動かすことにした。開発は基本的にその中ですべて完結させるので、仮想マシンの中でさらに仮想マシンを動かす場面も出てくる。こういう使い方だとそれなりにスペックが必要だろうと思い、CPUはi7-7700K、メモリは64G積んだ。どうせハイスペックにするならいっそVR Readyにしようと思い、グラボは1080Tiにした。そんな感じでいろいろぶっこんでいったら最終的にPC本体だけで40万かかった。さらにDELLの34インチ曲面モニタ東プレの変荷重キーボード、HTC Viveとデラックスオーディオストラップ、等々、もろもろ合わせて最終的に総額60万以上かかった。半年かけて海外を貧乏旅行したときの旅費を軽く超えててさすがに草生えた。


 2017年末になってもVR市場は未だ揺籃期の様相を呈している。キラーコンテンツとなりそうなゲームはちらほら出始めているものの、起動直後の「おお! VRすごい!」からその後が続かないものが多い。

 そんな中で僕がハマったのはQuiVrという弓ゲーだった。ゲーム中で何度も繰り返す矢を放つ感触がとにかく素晴らしく、現時点で250時間プレイしている。まだアーリーアクセスだけど、毎週コンスタントアップデートが続けられていて、次々と新しい要素が追加されていくのも飽きない理由だと思う。でもその分バグが多く、プレイしていてだんだん腹が立ってきたので、Discordに乗り込んでバグ報告しまくっていたら、いつまにかベータテストに参加するようになっていて、いまではランキング上位プレイヤーのひとりになっている。

 Rec Roomもおすすめしておきたい。ユーザーコミュニティがとても活発なソーシャル系VRゲームで、RedditDiscordを覗くと、運営とユーザーが一丸となって、いいゲームにしていこう、いい場にしていこうと努力している様子がうかがえる。そのおかげか、マナーの悪いプレイヤーが非常に少ない。ハラスメント行為等はほぼ皆無と言ってよく、Fワードを使っている人さえあまり見かけないほどだ。ゲーム自体も、チーム戦のペインボールレーザータグ、協力プレイアクションRPGゲーム等、無料とは思えないほどのクオリティの高さなので、VR機器を持っている人はぜひやってみて欲しい。

 そしてそのRec Roomよりさらにコミュニティが活発なのがVRChatだ。もはや活発という次元を超えてカオスと言っていい。半年前に初めてログインしたときは10~20人くらいのユーザーがHub(ログイン直後のワールド)で適当にダベっていて、他のワールドにはまったく人がいない、みたいな閑散とした状況だったのだけど、今月初旬に同時ログイン数が1000人を超え、Discordオンラインメンバー数は2000人を超えた。現在は同時ログイン数3000人を超し、Discordオンラインメンバー数は4000人を超すような状況だ。どうも有名なYoutuberや、Twitchの有名生主といったインフルエンサーが最近こぞってVRChatを取り上げているようで、この爆発的なコミュニティ拡大はまだ収まる気配がない。デスクトップモードがあるので参加するだけならVR機器が不要だというのも大きいか。

 Rec Roomとは違いVRChatはコミュニケーション主体のソーシャル系VRゲームだ。ミニゲームは前者に比べて見劣りするものの、ユーザーカスタムアバターワールドが自作・公開可能で、これが海外のオタクたちの創作意欲を刺激したのか、黎明期ニコ動を彷彿させる盛り上がりを見せている。こういった事情によるためか、もしくは別の何かが彼らをひきつけたのか、実際のところはわからないが、VRChatのユーザーはほとんどが日本のアニメフリーク・漫画フリークだ。ユーザーカスタムアバターはそれらに影響を受けたものが多く、美少女キャラロボットモンスターが目の前を行き交う様は、まるで攻殻機動隊電脳空間のようだ。とはいえ現状では4chan的な文脈そのままの著作権ガン無視状態なので、前述の爆発的なコミュニティ拡大にともなって近いうちに問題になることが予想される。なんとかソフトランディングして欲しい。

 しかしこの未来感すさまじい仮想現実の世界にいると、なぜか昔のインターネットを思い出す。特にテレホーダイ時代の2ちゃんねるのことを。夜の11時を過ぎると一気に人が集まり、どこの誰とも知らない人たちと一晩中バカ騒ぎをして、朝になるとネット全体が静まり返っていた、あの懐かしきオールインターネット。VRChatをやっているとあの頃の記憶が蘇ってくる。ドイツ人ドイツ語を教えてもらったり、サウジアラビア人にアラビア語を教えてもらったり、台湾人に3Dマーカーペンで中国語を書いてもらって「おおー、漢字の意味なんとなくわかるー!」とか感動したり。そんな多種多様国籍・人種の人たちとアニメについて語り合ったり、アニソンをみんなで大合唱したり。MMDナイトクラブというワールドでMMDモデルダンスが見られるのだけど、ステージ上で踊る初音ミクを囲んで、みんなで一晩中踊り明かしたりもした。マジでなんなんだこのカオスな空間は。しかしこれだ。これがインターネットなのだ夜明け前の静けさと、どこか熱に浮かされたような興奮。それらが齟齬なく同居する、この奇妙な感覚。久しく忘れていたこの感覚を、強烈に思い出す。

 でもいちばん印象深かったのはラノベ朗読会だ。ある日、いつものように適当に外国人たちとダベっていると「いまからショーが始まるから来ない?」と誘われた。開かれた転送ゲートをくぐってみると、その先は100人以上収容できる劇場のワールドで、さまざまなアバターの人たちが観客席に座っていた。舞台上の主催者とおぼしき人は「みなさんお好きな席にご着席ください。いまから『転生したらスライムだった件』の朗読を行います」とか言っている。え、どういうこと? と思う間もなくショーが始まる。やたら渋い声で、VRならではの身振り手振りも混じえて、感情表現豊かに読み上げられていく、まだアニメ化すらされていない日本のラノベ(正確にはウェブ連載版の英訳版)。ああ本当に世界は広いんだと思った。自分の知らないことなんて星の数ほどあって、そのすべてを知ることは絶対にできないんだと、少し胸が苦しくなった。


 と、最近はVRの世界にどっぷりだったのだけど、遊んでばかりいたわけではなく勉強もしていた。特に英語だ。いままでリーディングリスニングについてはそれなりにできていたのだけど、文法力がないのでライティングスピーキングに関しては壊滅的だった。しかしVRを始めてから英語圏コミュニティ英文を書いたり、VRゲーム内で英語を話したりする場面が増えてきたので、文法を基礎からじっくりとやり直した。二十代の頃に文法をみっちりやったときは死にそうになるくらいしんどかったけど、今回はそうでもなかった。やはり目的があると吸収力が段違いだ。そのおかげか、ライティングに関しては文法間違いがかなり減ったように思われる。スピーキングはいまでもだいぶあやしいけど。客観的かつ機械的な判断が欲しいので、来月久しぶりにTOEICを受ける予定だ。10年前に受けたときのスコアは680だったけど、今回の目標は800に設定している。2年後くらいには900を目指したい。ここまで英語力を上げておけば、大学受験の際にかなりのアドバンテージになるはずである

 あとはやはり数学だ。英語の勉強が一段落したら、数Iの復習から始めて、数IIへ進む。僕が受験しようとしているのは文系(経済学部)なので必要ないかもしれないけど、余裕があれば数IIIに関してもどんなものかくらいは頭に入れておきたい。前回の勉強のときに、数学は小さな理解と小さな納得を積み重ねていくしかないということが身にしみてわかったので、この科目に関してはじっくり腰を据え、時間をかけて少しずつ勉強していくつもりだ。

 国語に関しては受験前に赤本で少し対策すればいけそうなので、あまり心配はしていない。その他の科目は最悪捨ててもいいけど、時間があれば知識を少しずつ補填していこうと思う。

 こんなやり方で本当に大学に行けるのかはわからない。すべてが手探りだ。たとえ行けたとしてもその先のことはわからない。この歳で「大学を目指している」なんて言うと、先のキャリアを見据えてのことなんだろうと勘違いされることが多いけど、僕の場合、本当に何も考えていない。大学で政治や経済を学んで自分が何をしたいのかなんてまったくわからないし、それが金になるとも思えない。卒業したあと食い扶持が稼げなくて野垂れ死ぬかもしれない。その可能性は決して低くない。以前と比べれば多少はマシになったように思えても、やっぱり基本的に僕はバカなんだと思う。

 でも同時に、それでいいとも思う。行動に理由なんていらないのだ、と。行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい。そう思う。


 先日、久しぶりにKindleのストアページを見てみたら、あの24万字の本へのレビューが1件増えていた。

 やっぱり僕はこれでいい。こうして増田で誰に宛てるでもなく近況報告をしたり、Steamに長文レビューを投稿したり。誰が読んでいるかもわからなくて、でもたまに反応があったりして、それが少しくすぐったくて。

 特別なことなんて何も起きなくていい。夢も希望もなくていい。

 人生に物語は要らない。

2017-10-15

ぜんぜん違うと思うが

https://twitter.com/1835110fukuzawa/status/917768160530411521

コレ見て思い出したけど、以前韓国メーカーが折りたためる画面のスマホニュースが流れたときに「日本メーカーのほうが早くやってた」とか言う人がいた。

https://cdn.vox-cdn.com/assets/979170/sony-tablet-p.jpg

でも、折りたためるタブレットに画面が2つついてるのと、画面が折りたためるのとではぜんぜん違うよな。

あと、格安SIMで、一日の内5時間だけ使い放題になるというプランが発表されたときも「それなんてテレホーダイ」とか言ってる人が何人もいたけど、深夜だけ使えるテレホーダイとは使い勝手がぜんぜん違うと思ったわ。

それと、PCが内蔵されたキーボードが発表されたときも「MSXと同じ」という人がいっぱいいたけど、MSX本体キーボードの一体型って感じで、キーボードに内蔵してるって感じじゃないよな。

こういう、ぜんぜん違うものを、一つ共通点があったら同じって思うって、想像力がないせいかな。

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