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2024-05-02

もしかして俺のせいか

ニトリで買い物をし、歩道自転車ゆっくり転がして帰路についた今日夕方、前方で、自転車専用レーンを走行してこちらに向かってくる中学生ぐらいの子供が歩道に乗り上げようとしてバランスを崩しそうになっていた

駐車場の前の歩道って車道との段差が低いから、車が多かったり違法駐車があったりで車道が走りにくいと思ったらそういう所から歩道に乗り上げるんだけど、横着して自転車に乗ったままそういうことをすると前輪が歩道に乗らなくてコケそうになるんだよな

見事なもので、ちょっとした曲芸になったがその子供は転倒しなかった

そしてその場で自転車を止めて待機し、事故を予見して数メートル離れた所で自転車を止めていた俺の方を見ていた

もしかして俺のせいか?と思えてきたので取り敢えず手のひらを顔の前に立てて謝り、走り去った

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。東プレという会社だ。今は、産業用のキーボードとか作る仕事をしている。

オフィス工場は、東京神奈川にある。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

https://d.kuku.lu/fnam52xya

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

https://d.kuku.lu/3ezx4ceec

https://d.kuku.lu/ftnf34ssm

https://d.kuku.lu/fx5ay2mbm

大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分は、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」

って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、現時点の感覚で、「学生時代は楽しかたか?」と自問すると、「楽しかったよ」が答えになる。

当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識ではわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 3/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

大学3回生の頃~

この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。

就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイト巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。

リクナビとかあるじゃん。あれで友達かにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。

当時は、LINEとかTwitter一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。

5.学内TOEIC受験の思い出

 本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃からTOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。

 受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプ学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。

 人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。

 その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。

 これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動通用しないはずがない。祇園木屋町などの飲み屋街、東本願寺渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!

※そんなふうに考えた時期が俺にもありました

そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。

あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。

6.佛大就職の話

 いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌大学職員給料ランキングでは、慶應関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記趣旨ではない)。

 大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。

 あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。

 考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。

 まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOBOGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。

けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。

就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。

二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。

その組は、男子女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。

その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。

最後レポート仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっとかにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。

と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。

当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかい次元ではない。消失している。全然からない。

なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である

余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。

根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉教育に強い大学はそうなのだろうか?



大学4回生の頃~

就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。

うちの大学卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。

7.偉大な先輩方の話

 当時は社会学部政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。

 ほかのゼミ交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだからレベルが高い人は一定存在しているのだ。

 社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分入学する数年前に総合商社内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売仕事に明け暮れていたらしい。

 単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。

 学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴現在地位相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。

 アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分同意である。どんな中学高校大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。

 どんな瞬間だって自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているかそれが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。

就職活動の話に戻るけど……就職活動面接で問われる内容(志望動機自己分析自己アピール就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。

就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材会社方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。

若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。

自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」

就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。

経済社会バリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなた大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。

将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい

結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。

大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。

当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。

両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダール小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。

両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。

この年度の終わり頃、卒業間近だったか大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。

「うちの学校から、こんな会社内定が取れるんや」

「ん。どこどこ?」

「ほら、ここや。この会社

「ああ、それマンコやろ」

「……」

「女の一般事務職だって総合職ちゃうし。こんな掲載詐欺に近い」

俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。

こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193041

anond:20240502171405

小娘取り合ってるか?カリオストロは財宝目当てだしルパンは救出だろ

もしかして恋愛関係なくても取り合いなのか

anond:20240502142743

どこに問題があるのか全然からないんだが……

え、もしかして人と距離を置くことは良くないことだと盲信している系?

最近よく見かける非モテをこじらせている人に対して思うこと

異常な劣等感や、逆に付き合うことさえできればすべてが上手くいくかのような異常な期待は、基本的に「誰かに選ばれたことがない」というのがネックなんだろうなと思う。

経験したことがないことってやたらと期待してしまものな。

自分が持ってなくて他の人が持っている者を目にすると、「もしかして自分はこれを持っていないかダメなのでは?って発想になりそうなのはわかる。

でも、選ばれることって十分条件であって必要条件ではないんだよな。

「選ばれたことがあるから大丈夫」なのであって、「大丈夫になるために選ばれる」わけではない。

自分は、特別モテるわけでもないが、たまたま自分幸運にも選んでくれた相手がいて、その人と最近死別し、別の幸せを探すのもいいかなという気持ちと、めんどくさいからもういいかなという気持ちの間で毎日行ったり来たりしている。

このまま次を探さずにずっと一人でいたとしても、「誰かに選ばれたことがある」という実績があるから、それほど絶望せずに行きていける気はしている。

なんなら、今後の人生もっと絶望したい瞬間があっても、「まあでも、選ばれたことあるしな…」と思って多少は持ち直せそうな気がする。

まあ、切ったわけでも切られたわけでもない死別という別れ方なのはまあまあイレギュラーから一般化はできないと思うけど。

選ばれるという経験のものは、実際にしてみると、その瞬間は嬉しいが、後で振り返ってみると、そこまで激烈なものでもなく「こんなもんか」と思うだろう。

これは初めての性行為をした後と類似した感想ではないかと思われる。

それは、経験のもの重要でなく、「「経験したことあるかないか」がその後の人生で重大な影響を及ぼすからではないだろうか。

かに選ばれるってぜんぜん大したことではないし、激烈に人生が変わることでもない。

から、一度味わってみたら「こんなもんか」って思うだろう。それでも、選ばれた経験が1度でもがあるかないかは重大な意味を帯びるのだ。

(めちゃくちゃ下世話な例えで言うと、性行為をさせてくれた相手いるから、まあこのまま一生性行為せずに死んでもさほど悔いはないかな、という感じがあるが、童貞のまま死ぬ人はさぞ無念だろうとな。という感じ。でも初めての性行為自体は多くの人にとってそこまでいいもんでもない。あくまで例えであって、実際にそのような経験はしていないし性行為をしていない人を見下した発言でもありません。)

2024-05-01

アンチフェミさんって草津のやつ、謝罪ツイートした人のこと言わないよね。

ここでアカウント名を出すとまた女を叩くしかできない人がピザ送りつけたりグロ画像とかちんぽ画像送りつけたり殺害予告しだすから出せないけど。


(一回増田ちゃんとこの人たち草津の件について謝罪しとるよってアカウント名を晒したらブロックされてたとかで腹立てて複垢つくってまでちんこ画像送りつけたり迷惑メール一斉配信とかしてしまたか申し訳ない……アンチフェミがそこまで馬鹿な生き物だと思わなかった)

もしかしてそれ目的で言わせないようにしてる?

チョコバッキー

近所のセイコーマートシャトレーゼチョコバッキー6本入り袋を売っているのを去年の夏発見して、そのとき初めて買ってみてバリバリチョコの食感!おいしい!と感動してその夏の間しばらくリピートしていた

今日久々に買ってみて食べたんだけど、なんかあのときほどおいしく感じない

なんか変わった?それとも自分の味覚の方が変わっただけだろうか

もしかして以前はアイスミルクだったんじゃないか?と思って調べたけど普通に当時からラクアイスだった

やっぱりこっちの感じ方なのかな

夏になればまたおいしく感じるかもしれない

貧乏実家の奇妙な支出

俺の実家貧乏だった。

子供時代は一日三食ない日がたびたびだった。いつも貧血で体育の授業や朝礼で倒れたものだ。

親が公立高校学費を払えないので銀行の学資ローンを借り、就職してから自分で返済した。

平均未満の暮らしだと子供ながら分かっていた。


しかし18で実家を出て30半ばになった今、当時の暮らしを回顧すると奇妙な支出がたくさんあった。


もしかして経済的余裕はあったが、俺が食わせてもらえなかった・・・・・?

今でもうっすらと避けられている気がする。孫の顔を見せても興味がなさそうだし。


そういえば姉は大学学費を出してもらったようだが、俺は入学金、学費生活費に至るまで全て自分で賄った。

今の俺は普通に働いて普通収入だが、シャウエッセンを買ったことなんて一度もないのだが・・・・?

もしかして内燃機構ってもの凄く効率悪い?

電気自動車ってモーターが1回転すればタイヤが1回転して走れるんでしょ?

エンジンの車ってエンジンが何百回転ってして、やっとタイヤが1回転するから

よくよく考えてみたらエンジンって効率めちゃ悪いってこと?

今気付いた!

もしかして今ってマガジンよりサンデーの方が面白いのでは?

コナンフリーレンがあるし、

龍と苺が話題になってるし、

MAJORMAOがあるし、

新連載も期待が高いのが多い

でもマガジンより部数が低いんだよなぁ

不思議

ジャンプには見劣るけど、マガジンには勝ってるのでは?

いやジャンプ呪術廻戦やワンピースが終わったらワンチャンあるのでは?

みんなはどう思う?

2024-04-30

anond:20240429201524

もしかして本当は良く知ってるけどまだ知らない良韓国ロックバンドを集めようとする増田か?

文化的な背景の面から言いたいことはなんかわかる気もするけど、

今はロックに”反骨心とか反発とか反政府とか親不孝とか弱肉強食とか反抗期とか”って必ずしもあるべきってわけじゃない気がする

(むしろヒップホップとか女性ソロアーティストの多くにこれらを感じることが多いような?韓国に限らないかもしれないけど

どっちにもいいアーティストがいっぱいいてすごいなと思う 自分https://www.youtube.com/@sunwoojungaが好き…)

自分全然詳しくはないけど少なくとも韓国にはすでに

・チャン・ギハと顔たち

・HYUKOH

SE SO NEON

ていう最高の三バンド(チャンギハは解散してるけど)がいるじゃん

それぞれ韓国らしさも含んだ独自性を獲得していると思う

あと好みじゃないけど

・The Black Skirts

とかがいるじゃん

あと厳密にロック定義はされないししてないだろうけど

・LEENALCHI

・Ssing Ssing

という最高バンド?いやプロジェクトかな?がいる(ある)よね

書きぶりからして知っているとは思うけどさ

まあ確かに少ないのはそうかもしれない

こっちまで名前が通ってこないインディーシーンの人たちのほうが活発にやってるかも

でも増田が書いてるようにアイドルバンド結構いるしアーティスト自体はすばらしい人たちがたくさんいるよね

フロントマンセンスが強いバンドが多いなってイメージ

このへんを知るとき長谷川洋平さんの存在は欠かせないと思う

この人の記事から辿っていくと韓国のいろんなバンドアーティストを知ることができて助かる

香害ってマジであるの?

実家柔軟剤を使うのを辞めたらしい。理由は、猫がいるから。

猫は嗅覚もいいし、香料は体によくないというのも知っていて、保護猫界隈では柔軟剤や合成界面活性剤入りの洗剤の使用を辞めようという活動が盛んなのも知っていた。それについては異論もない。

ただ、合成界面活性剤は時間経過と共に人体に影響を及ぼす経皮毒だとか、マイクロカプセル状になってる香料は吸い込むと毒だとか、人体にも使うべきじゃないとも言ってて、それは初めて知った。(香害自体は知ってた。匂い以外の面でも言われてるのは初知り)

これがもし本当ならアレルギー気管支喘息アレルギー性皮膚炎があるので柔軟剤と合成界面活性剤の洗剤を辞めて、天然物のやつにしようかなーとか思ってXとかでもいろいろ調べたんだけどさ。

柔軟剤の普及について「全ては繋がってる」だとか、「真実」に「気づく」だとか、柔軟剤香りがキツい人は入店NGとしてる店に「賢い人/店舗」だとか、陰謀論からよく聞くフレーズオンパレード

化学物質アレルゲンになっていて、香りを嗅ぐとアレルギー症状が出る人がいる、というのは分かる。単純に匂いが嫌いで頭痛がしたり体調を崩す、というのも分かる。

だけどそんな町中で柔軟剤匂いって感じるか?と思いはじめてきた。

(慢性鼻炎のせいで匂いに鈍感なのもあるが)

汗臭さや香水臭さは感じるので匂いを全く感じないわけではないと思うが、人から柔軟剤匂いを感じたことは一回もない。本当に化学物質アレルギーの人は除くとして、そんな柔軟剤匂いだけに敏感な人なんているのか?

と、こんな感じで、柔軟剤や洗剤がよくないというのが本当ならうちでも使うのを辞めようと思いながら調べてった結果、香害についてあーだこーだ言ってるのってもしかして陰謀論者が騒いでるだけなのか…?と「気づき」はじめてしまった。

支離滅裂になってしまったが、要は「洗剤や柔軟剤に含まれている成分でアレルギー症状が引き起こされてしまう人」は本当に存在すると思うが、「柔軟剤匂いだけに対して香害だなんだ」と騒いでる人は陰謀論者なのでは、と疑問に思う。

だって、この世に存在する匂いって柔軟剤だけじゃないし。生乾き臭とか、汗臭さとか、アロマとか、それこそ香水とか、色々な匂いが充満するこの世の中で柔軟剤だけ目の敵にされまくってるのおかしくないか


まあ、化学物質アレルギーの方もいるし自分アレルギー体質だし、一旦一ヶ月くらい洗剤と柔軟剤自然由来のものだけにしてみようかな、とは思った。将来は猫飼いたいし。

ネタバレあり『仮面アメリカ』ってそういう話?

みなさん そろそろこんばんは

今日マンガ仮面アメリカ』1~4巻をKindleUnlimitedで読んでたんだけど、分からなすぎて戸惑ってる…

一部なの。全体のほんの一部なんだけど、

途中(劇中?)、敵モンスターライム修正主義者  ガンスタラッパー』を主人公カーリーと一緒に

白人が銃持ってバンバン撃ってたり(ライムラップの韻を指すかと解釈、見ためとってもラッパー)、

トークショーコマ。背景のモニター画面で、トランプに似てる感じのガッチリビーフスーツ男と主人公握手してたり

コマ1個の上背景なだけなんだけど、序盤にサラッとだけ出てきて、「え、いまの何?どういう事?」ってこっちは困惑してるが、話はドンドン進み

ちょいちょい出てくる ものすごい「なにものなの?」っていう女さん先生

女性芸術家なんてたくさんいますカミンスキーさん(保護者名前ね)  芸術における女性というのは実質的にはステレオタイプなんです」

から美術なんてやめて理数系進めや 私みたいに、って女子児童の前で言い切ってるんだけど…米版・女さんキャラクターの実質ステレオタイプなのかな、あの先生

あの…『仮面アメリカ』ってそういう話?

本当に肌の色が日本マンガでいう白抜き1色なんたけど(でもオールカラー)、そういう事なんだろうか。

いやいや、そこジョークで笑い飛ばす所だろ、とか(サウスパークみたいなさ)

戸惑ってて、話が頭に入って来ない。

文化背景が分からないんだけど、もしかして 日本マンガアニメって向こうでいう“Yahoo!コメント欄的な人”が好むコンテンツ…だった?

何を今更だったのか

何を描くのもどう読むのかもその人のものあなたあなた感想っては答えは出てるんだけど。

詳しい人、いる?

平安時代貴族家系図書いたらかなり血が濃い。ダビスタだと危険な配合ですって言われるレベルインブリードがあったりする。

でも、近親婚で有名なスペインハプスブルク家みたいに顕著な奇形とか知能障害とかは出てなかったように見える。 疫病か出産がらみで早死にしなければわりと長生きだし。

これ、もしかして、通い婚だからかに別の男と通じてて外の血が入ってたりするんじゃないかと思った。そう考えると昔の人は頭いいな。建前としてはやんごとない血で固めましたってことにできるし。

追記

源氏物語の後半で、朱雀帝の娘である女三宮光源氏に降嫁するけど、朱雀帝と源氏は異母兄弟からおじ姪関係になるわけじゃん。当時はそれがさほど問題とされてなかった。

これで子ができるとなるとかなり心配になるけど、実際には別の男が密通して子ができた。これで遺伝上の問題は軽減されてる。こういうのがわりとあったのかなと思う。

もしかして岸田総理ってネットで人気ないんか?

「きしだ」の予測変換で出てきた候補

騎士団氣志團岸田教団氣志團万博、岸田様、岸田さん、騎士団長、キシダ、キシダ化学岸田文雄

の順番だったんだが

年に2回くらい、たまに顔を出す奴

そいつが顔を出すと女が悲鳴を上げ、男はオロオロする

女:男なんだからなとかしなさいよ!

男:今は男女平等の世の中だ、君がなんとかしろ

女:そういう時だけ男女平等論持ち出すのヤメロ

男:え?

女:何よぉ!

男は仕方なく最終兵器を持ち出す

女:それだけは絶対駄目。奴が逃げ回って大変なことになる

男は仕方なくワナを仕掛ける


翌日

女:もうワナにかかってるんじゃないかと思うから確認して

男:嫌だよ。自分確認しろ

女:私だって嫌よ

男:君が先に言い出したんだろ

女:だからそれは男の仕事だって言ってるでしょ

男:気持ち悪いよ

女:私だって気持ち悪いよ

男は仕方なく、恐る恐るワナを確かめ

あれから3日たつが奴は捕まらない


ここ2年くらい、ホイホイで全然まらなくなったけど、もしかして進化した?

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