はてなキーワード: もしかしてとは
読み合わせ会が半年にわたって行われた
難解な用語も詰まらずスラスラ読めたのはその先輩と私だけだった
私はそんな先輩を冷めた目で見ていた
私が一人、ワインを飲んでいると、先輩が近寄ってきた
先程までと違い真面目な顔で、嫌な予感がして正直逃げたかった
少し身構えていると、先輩は声をひそめて
「読書は好き?」先輩は言い直した
「ああ、はい…」私が答えると
「やっぱりそうか」
「はい…」
「いつもどういうの読んでるの?」
「えっと…」
「えっと…」
「いい、いい、無理に言わなくて。ところで、〇〇の小説は読んだことある?」
「いえ…」
「そうか、一度読んでみて欲しいな」
「はい…」
「よかったら一冊貸そうか?今度お試しに一冊持ってくるから」
「はい…」
「よし、わかった」
先輩はいつもの調子に戻り、にっと笑って親指を立てて立ち去った
あれは一体何だったんだと私は思った
翌日、私が自席で一人お弁当を食べていると、また先輩が真面目な顔をしてやって来た
私の嫌いな分野が題材で、手に取ろうとさえ思ったことがない作品だった
「もし合わなかったら無理して読まなくていいから」
それだけ言うと先輩は立ち去った
家に帰って早速ページを開いた
「ありがとうございました」私は本を返した
「うん。どうだった?」先輩は恐る恐る尋ねた
「凄く良かったです」私が答えると
「ほんとに?他の作品もあるけど、貸そうか?」やっぱり恐る恐る尋ねた
「え、そんなに気に入ってくれたの?」
「はい」
「うん。そういうタイプじゃないよね」先輩は照れながら言った
「よかったら君のお勧めも教えて」
:
かつてこれ
https://anond.hatelabo.jp/20231107155841
”感情では熊絶滅してくれたらいいのにと思う派だけど、集落襲撃と違って、人の娯楽(山菜採り渓流釣)のために熊駆除するのは違うと考える。私はソロ登山やるから切実だけど、運が無かったと思う事にする。”
このブコメが傲岸すぎて泣いちゃった。
”投稿者がいみじくも書いた、山菜採りと釣り。その延長線上で、熊の親子は駆除される。釣り合いますかね? まぁ、山菜と魚を絶滅させれば問題解決だが。”
は単にマジでなんもわかっとらんのやな思うだけやからええけど山登りしとる人が自然と人間との関わりとしての正解のように書いてまってるように思えてまったのがごめんやけどなんやひっかかってまった。
いや違うな、ワイは娯楽で死ぬ覚悟はできとるけどこのまとめの人らは娯楽でやっといてそれができてへんのやね、いう文意やろか思てムッときてまったんやな。
”田舎生まれの人は分かると思うけど、こういうとこ通らないと生活できない地域も普通にあるし、山菜取って食うのも文化だし、そう簡単に「人間の領域」と「熊の領域」の切り分けはできないよね。”
もしかしてワイが非表示にしてるコメの中にヒグマなど皆殺しにすべし、いうような過激なことを書いとる人がいて、その人に向けて書いとるブコメならごめんやで。
でもそうやないとしての話やが、このブクマカさんがどこに住んどってどんな暮らしをしとるかはわからんけどこの書き方からしてきっと山からそれなりに離れた都市部の人やと思う。違たらほんますまんやで。
そうでなければ襲撃されることが稀である「集落」と人間が分け入ってはいけないクマの領域「山間部」が離れていて「生活」と「娯楽」が切り離されている前提で話さないやろうと感じるからな。
きっとブクマカさんがソロ登山をするときには何かしらの交通機関もしかしたら自転車やらかもしれんけどそれらを使って山へ行って、そこからさあ登るぞってことを月に数回とかするのやろか、と想像するのやけど(違ったらごめんやで。)、そういう感じやと普段の生活に山やクマの息遣いというのは入ってこないんやろから仕方ないんやけどヒグマに遭遇するような暮らしをしとる北海道民の多くは「家のすぐ裏・ちょっと歩いたとろにヒグマがいる山や森がある」って感じの人が多いと思うねんな、いうかワイがそうなんやけど。
そんなのよっぽど田舎か山間の方の話でしょ?wて思うかもしれんが、田舎どころか政令指定都市である札幌市においては南区・西区・中央区・清田区は本当に山がちな地域が多くそのすぐ裾野までびっしりの住宅街が連続しとるいう感じやって都会においてすら北海道ではほんまにヒグマの問題は身近でありかつそこに代々暮らしとる人間にとっては「山菜取り」は文化以前に普通に生活なんよね。
これらの区を繋ぐ道は件の林道よりはそれは都会的ではあるけどや、鹿も通れば狐も通りヒグマも横切る山の中の道でこれを遊びで通る以外の人の方が多いことは市内、どころか北海道民ならだいたい当たり前にわかっていることやと思んやね、生活ですよほんまに。それ以外のなにもんでもなく。釣りはようしらんからごめんやで。やらんからな。
ワイはヒグマ怖いから絶対山に入らんけどワイの前の世代、その前の世代はあたりまえに春になれば山菜取りが生活の一部である人が大勢おり、それを知らん人が自分の知っている自分と山との距離感を当てはめて娯楽といってのけるのはなんとも…やし、そういう地域の住人がのべつまくなし被害に先んじて山林にいるヒグマらの駆除を望んでいるかといえば全然違うんよね、やからヒグマにおびえながら被害に遭わないよう気を付けて暮らしているわけですわ。
例に出しとる行為と同列のものとしてご本人さんが出しとるから「娯楽」と書いてええと思うけど、そうやって度々のソロ登山をたしなむ人が「生まれたときから毎日家の真裏にヒグマのいる山がある」立場の人のなにを判断できるのだろう、後者の人は前者の人より命を落とすかもしれないことへの覚悟がキマってない、いうふうにとれる物言いはほんまにになんやちょっと…傲慢やない?と居住民としては感じてしまったわ。
去年はエサ不足(竹の花が咲く周期とも関係あるとも言われてるけどどうなんやろな?)でヒグマは例年以上に札幌市内のあちこちに出没しとって、もちろんそれ以前も普通に出没しとって周辺に住んでいる人間はみなそれを警戒して暮らしとるよ。
山の近くの小学校に通う子はたまにランドセルに鈴つけとる子もおる位や。
https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/
この地図
https://www.google.com/maps/@43.1620553,141.1140322,9z/data=!4m2!6m1!1s1IdKI30huZBf56kXAdzwugZ-JcN5Y35QH?authuser=0&entry=ttu
をずいっと拡大してもらうと、いかに市街地と山が隣接していてその境目が曖昧であるかということがわかってもらえる思う。
一歩下ればすぐ車通りのある車線の多い大通りいう民家の前の道に親子のクマが出没して防犯カメラの映像に捉えられニュースになり、「遊びで山に入」らなくても本当にヒグマとの遭遇は日常的なものだという恐れやら覚悟を新たにしたとこなんよ。
山間部やない東区の住宅街にも出没し住民がケガを負ったこともあるしあれも決してその年だけの特殊な状況ともこれからは言えんと感じるわ。
本州の方も良く知っとるやろう藻岩山や朝日山大倉山、定山渓の周辺なんぞまさにクマのメッカのようなとこやしおなじみ白い恋人パークからほんのちょい南に上った山裾の住宅街にもヒグマはたくさん出よるねん。
ほんでそれは多くの住民のすぐ「家の裏」なのであり、生活の場の中いうか一部に内包されとんねん。
札幌市では来年度から山の際の市街地に箱わなを設置するとのことやが
https://www.fnn.jp/articles/-/686749
山から出てしまったヒグマに対する措置やろないうとこやし実際どれだけのヒグマが箱罠にかかるものかというところで、前述のような住環境において住民の命を守るためには決して積極的ではない対応やとワイは思うわ。
札幌は田舎やんかw言われてしまえばそれも間違いないんやけど田舎に限らずヒグマの脅威というものは常に隣にあるもんで、命を失う覚悟もなく甘々の環境で暮らして遊びほうけとるもんでもなく「運が無かったことにする」では済まない毎日があるいうこと少しだけもしここへ住んどったらどうやろワイ・・・て想像して考えてみてほしいんやで。
その上で誰も積極的にはヒグマなどみな死んで滅んでしまえばええねんとも思ってないいうことは特に書いておきたいのや。
そう強く感じとる人間がようけおったとして内心はブクマカさんも書いてるような気持ちと同じやとしても、結果として出力されとらんとこはワイらも同じやねん、たとえブクマカさんより遥かに遭遇する確率が高い日常を送ってたとしてもや。
前述の増田の通りワイはヒグマが怖すぎて泣きそうやからまだ引っ越し資金をためとるで。
そして今これを書いてから泣きながら家に帰るところや。
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。
維新やら参政党やら百田と河村たかしのところやら(もしかしたら国民民主も)、「保守っぽい何か」が増殖したことで、これまで自民党に入れてた層があちこちに分散するようになりつつあるのは良い兆候なのでは。
これまでは左派の票が立憲共産れいわに分散して自滅しがちだったし、無理に共闘しても共産党への拒否感のためにうまくいかないことも多かったけど、右側も勝手に分裂してくれてるのでその恩恵を受けられているというか。
好きな作品のポスターとかだと、フェミニストの方々への怒りや困惑する気持ちを今まで持っていたんですが、もしかして、萌えポスター騒動って、セクハラ問題なんじゃないか? と気付いたら、怒ることにも理解出来、
むしろ今まで気がつかなかった自分の愚鈍さにショックを受けてしまった。
アニメとはいえ、胸元を露わにしたり、ストライクウィッチーズのキャラ(ウィッチ)がスクミズ来たポスターを街中で見た時の、女性の気持ちというものに、今まで思いもせずに、好きなコンテンツにイチャモンつけている人という
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E9%BA%BA%E5%87%A6%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%81%AA あらためて経緯を読んだうえで、すきさん完全な被害者じゃんとしか思えないんだけれど、2月9日のツイートを見てなんとなく叩き始めた人としては、嫌でもすきさんが悪いってことにしないと都合悪いんでしょうね。自分が悪者になっちゃうから
「2月4日のポストで依頼内容については信用問題に関わるため明かせないと発言したにも関わらず、結果的にはminiの説明以上の内容を本ポストにて暴露してしまっている。」に絞って批判するなら良いけど、上のコメントの人とか明らかにそれを越えてるわけで、結局「雰囲気ですきを叩いてしまったけどごめんなさいが出来ない人」が未だに粘着してるって認識にしかなりませんでした。
「山栗鼠さんのお気持ち」みたいなのを盾にしてる人については「お前は山栗鼠さんのなんなんだよ」でしかないし、どう考えてもいますきさんを叩いてる人に正当性を感じる要素がない。
もしかして「すきに描かせた絵は意図的に山栗鼠の絵柄に寄せたものであること」「もともと別の企画のために描かせたもので、買い切り契約であったため流用したこと」の部分を把握してないで怒ってる可能性が微レ存? これで責任とれって言われても無理でしょ。マジで全面的にminiが悪いやつじゃんとしか言えない・・・ スケブで依頼受けて描いたものを無断転用されたみたいな話じゃん。
今ほろ酔い気分で昔聞いていた曲を聴いてた時に思った
みんなって昔聞いていた曲を定期的に聴いているのかなって?
なんか僕の周りの人は最近の曲しか聞いてないっぽい気がしたから
The平成ですごくいい
今後日本で徴兵制が再導入されることになったら、当然女性も徴兵することになるだろうから。
よく考えてみると、太平洋戦争の時代までは男だけが戦わされていたんだよな。
当時はそれが常識だったのかもしれないが、今となってはすごく異常だと思う。
男にとっての男女平等を突き詰めて考えると、「男の負担をもっと減らせ」という話になってくる。
女性管理職が増えれば男性の負担は減るし、男も女に経済力・甲斐性を求めるのが当たり前の価値観にもなる。
女性の経済力・発言力が増えれば男にとっても不利なこともあるかもしれないが、トータルで見れば昔の男性優位社会よりもずっといいのではないか。