はてなキーワード: 考察とは
はてな匿名ダイアリーは、匿名で誰でも投稿できるブログサービスであり、多くの傑作が存在しています。私の知識の範囲では、以下の3つの投稿が印象的です。
この投稿では、投稿者が人生を変えるきっかけとなった一言について語ります。その言葉を聞いたことで、投稿者は自分の人生に対する価値観や目標を再評価し、新たな道を歩む決意を固めたと書かれています。
「猫との日常」
投稿者が飼っている猫との日常生活を綴ったエッセイです。猫の可愛らしい仕草や癖、そしてその猫との絆を感じさせるエピソードがたくさん綴られており、猫好きにはたまらない内容です。
地道に活動している無名の音楽家たちを称える投稿です。投稿者は、彼らが持つ情熱と才能に敬意を表し、彼らが音楽シーンに与える影響を考察しています。この投稿は、音楽業界やアーティストに対する敬愛を感じさせるものです。
ただし、はてな匿名ダイアリーは匿名で投稿できるため、これらの投稿が実際に傑作であるかどうかは私には確認できません。しかし、それぞれの投稿が読者に感銘を与える内容であることは間違いありません。
『話題の「Colabo問題」本がヤバい 』を書いた増田です。思いのほか言及されて少しビビる。
https://anond.hatelabo.jp/20230314103432
反応は様々で、ごもっともだなと思うものが多かったんだけど...「お前の目は節穴だ」というやつにはちょっとイラッときた。
ただあれから色々と考え直すと、その指摘も的確だったんだろうと思う(だからこそイラッときたのだ)
馬の眼さんは京大卒のインテリで、今は物書きを始め自営業で色々とやられている方だ。
Twitterやnoteを読んだり、キャスなんかも聞く専で作業しながら流したりしていた。
頭の良さ、考察の鋭さと共に、ウマ娘などのサブカルネタもほどほどに入り込んできてリベラルだけれどフェミ批判もするし、リベラルの中でも批判する人は批判するし、論理的に考えられる人だとは思っていました。
馬の眼氏は以前から日本財団についても言及しており、菅野完の日本会議追求のような形で、氏が世の中で認められるのではないかと思っていました。
そうしてる中で、暇空氏がColaboを追求。元々仁藤氏などのラディカルフェミニストを批判していた馬の眼氏は当然のようにColabo批判を追求。
一方で、私の方は暇空氏の風呂敷の広げ方、戦線の広げ方には疑問を感じており、まさに先日の東野先生への凸は「やっぱりか」と予想していた通りの結果ではあった。
そんな暇空氏を、ある種もう少し穏便な方面へ馬の眼氏が誘うことを期待していた自分もいた。
しかし蓋を開ければ、先ほどのエントリで言及した様に「馬の眼氏が暇空に引っ張られて陰謀論めいたことを言っている」という最悪の結末を迎えた。
馬の眼氏は昨日もキャスを行っていた。その中では「読まずに批判しているやつは訴えるから覚悟しろ」「Colabo側も訴えるなら訴えろ」と支持者向けにかなりオラついたことをおっしゃられていた。少し前の自分であれば素直に同調できたと思うが、理論にかなり問題がある本に対する批判であそこまで強気でいく姿勢に、なんだかもう戻ってこれない所にまで渡った感があって、お別れのつもりでこのエントリを書いている。(本人がこれを見たら、増田も日本財団人脈とか言ってきそうだけど)
目が覚めてというか、今回の件と絡む話でもあるが、以前さえぼうさんと呉座氏が揉めた際、馬の眼氏は別のできごとを交えながらさえぼう先生批判をずっと続けていた。
その批判に扇動されたアカウントNが、馬の眼氏の話を信じたり拡大解釈したりで、Twitter上でさえぼう先生への誹謗中傷を書く。
結果的にN氏は開示請求をくらい、Twitter上でさえぼう先生に謝罪文を公表した。持病のある、無職中年男性アカウント(本人が開示していた)だから、裁判しても慰謝料が取れないから示談になったのだと思う。N氏は、「馬の眼氏が色々と情報をくれた!信じていたのに開示請求がきたら切られた」と断末魔を投稿していた。
あの時、馬の眼氏(も私も)色々と気づいて、引き返せていたらまだどうにかなったかもしれない。
おそらく、馬の眼氏の書いた本やキャスがColabo側にバレると、本当にリーガルバトルが始まるかもしれない。
キャスを聞く限り、馬の眼氏は慎ましい暮らしをしているようなので、裁判になると持たないと思う。
そうすると暇空氏の様にカンパを集め、裁判を戦うことになると思う。
しかしこれは馬の眼氏自身が本でもキャスでも繰り返し語っている「資金源には逆らえない」というように、支持者向けにどんどん加速して本当に破滅するまで負のループが止まらないと思う。
『話題の「Colabo問題」本がヤバい 』を書いた増田です。思いのほか言及されて少しビビる。
https://anond.hatelabo.jp/20230314103432
反応は様々で、ごもっともだなと思うものが多かったんだけど...「お前の目は節穴だ」というやつにはちょっとイラッときた。
ただあれから色々と考え直すと、その指摘も的確だったんだろうと思う(だからこそイラッときたのだ)
馬の眼さんは京大卒のインテリで、今は物書きを始め自営業で色々とやられている方だ。
Twitterやnoteを読んだり、キャスなんかも聞く専で作業しながら流したりしていた。
頭の良さ、考察の鋭さと共に、ウマ娘などのサブカルネタもほどほどに入り込んできてリベラルだけれどフェミ批判もするし、リベラルの中でも批判する人は批判するし、論理的に考えられる人だとは思っていました。
馬の眼氏は以前から日本財団についても言及しており、菅野完の日本会議追求のような形で、氏が世の中で認められるのではないかと思っていました。
そうしてる中で、暇空氏がColaboを追求。元々仁藤氏などのラディカルフェミニストを批判していた馬の眼氏は当然のようにColabo批判を追求。
一方で、私の方は暇空氏の風呂敷の広げ方、戦線の広げ方には疑問を感じており、まさに先日の東野先生への凸は「やっぱりか」と予想していた通りの結果ではあった。
そんな暇空氏を、ある種もう少し穏便な方面へ馬の眼氏が誘うことを期待していた自分もいた。
しかし蓋を開ければ、先ほどのエントリで言及した様に「馬の眼氏が暇空に引っ張られて陰謀論めいたことを言っている」という最悪の結末を迎えた。
馬の眼氏は昨日もキャスを行っていた。その中では「読まずに批判しているやつは訴えるから覚悟しろ」「Colabo側も訴えるなら訴えろ」と支持者向けにかなりオラついたことをおっしゃられていた。少し前の自分であれば素直に同調できたと思うが、理論にかなり問題がある本に対する批判であそこまで強気でいく姿勢に、なんだかもう戻ってこれない所にまで渡った感があって、お別れのつもりでこのエントリを書いている。(本人がこれを見たら、増田も日本財団人脈とか言ってきそうだけど)
目が覚めてというか、今回の件と絡む話でもあるが、以前さえぼうさんと呉座氏が揉めた際、馬の眼氏は別のできごとを交えながらさえぼう先生批判をずっと続けていた。
その批判に扇動されたアカウントNが、馬の眼氏の話を信じたり拡大解釈したりで、Twitter上でさえぼう先生への誹謗中傷を書く。
結果的にN氏は開示請求をくらい、Twitter上でさえぼう先生に謝罪文を公表した。持病のある、無職中年男性アカウント(本人が開示していた)だから、裁判しても慰謝料が取れないから示談になったのだと思う。N氏は、「馬の眼氏が色々と情報をくれた!信じていたのに開示請求がきたら切られた」と断末魔を投稿していた。
あの時、馬の眼氏(も私も)色々と気づいて、引き返せていたらまだどうにかなったかもしれない。
おそらく、馬の眼氏の書いた本やキャスがColabo側にバレると、本当にリーガルバトルが始まるかもしれない。
キャスを聞く限り、馬の眼氏は慎ましい暮らしをしているようなので、裁判になると持たないと思う。
そうすると暇空氏の様にカンパを集め、裁判を戦うことになると思う。
しかしこれは馬の眼氏自身が本でもキャスでも繰り返し語っている「資金源には逆らえない」というように、支持者向けにどんどん加速して本当に破滅するまで負のループが止まらないと思う。
めちゃくちゃRTされててめちゃくちゃ話題になっていて、誰かがお気持ちツイートでもしたのかな、くらいに思っていたのだが、考察系ツイートが発端と知ったのは、単に件のアカウントをミュートしていたからだろうと思う。
以前のイベントの時RTされてきた件のアカのツイートに対して、ほんの少し違和感と不快感を感じたためミュートしていたのだ。
今回の件とはおそらく不快感は違うのだろうけれど、大体原因は同じではないかと思う。
件のアカはよく長文で考察をつらつらと連ねているのだが、考察するのに前提としているものが妄想と願望によるものが大半のように私は感じた。
きっとその人にとっては、公式のストーリーを読んだ上で考え、こうではないかという結論に至ったのだろうと思うのだか、なぜそう思ったのかが私には伝わらなかった。
もしかしたらもっと前にそういう過程のツイートをしていたのかもしれないが見つけられないし、私としてはその結論は納得できるものではなかったので、その前提はその人のただの妄想か願望にすぎない。
しかしそれを前提として、ならこの状況ではこうであるはず、このキャラの言動の意味は、などと連ねられるために、納得できないことが次々と積み上がっていくのである。
私にとって最早それは考察ではなく、いきすぎた深読みにしか思えなかった。
大学の授業のレポートで、考察に感情を入れるなと言われるが、それに近い。
その人の「こうであってほしい」という感情がものすごく伝わってくる。
しかもそれが共感を呼んでいるのか、ものすごい数のRT数といいね数がついている。信じられなかった。
私は天邪鬼なので、件のアカに限らず、こうであってほしい、こうだったらエモい、などと書かれているツイートを見ると、そうじゃない展開を願ってしまっていた。それは考察ではなく感想だし妄想だし願望だ。
……話が逸れたが、今回は、その人が前提とした“考察”を多くの人が不愉快だと感じたから話題となって荒れているのだろう。
別にそういう自分の考えを書くことは良いと思う。これは妄想だが、とか前置きしてる人には通りすがりだろうと、その妄想実現するといいね、くらいには思えるから。
でも、それらの感想や妄想や願望を考察として、伏せ字もつけず多くの人の目に留まるようなツイートを流すのはどうなんだろうな、と私も思っている。
まぁ、考察“系”のツイートをする人や、それらのツイートをRTやいいねする人とは価値観が違うのだろうから、この記事を読んでも理解されないのだろうけれど。
私は人生の中で、周りが女の人ばかりの社会でずっと生きてきている。
女兄弟しかいないし、部活は吹奏楽部だったし、仕事は女性向けの商品を扱う会社で働いている。
当然、友達は男より女の方が圧倒的に多い。
その周りにいる女友達を統計的に考えると、クズ男に引っ掛かっている女がめちゃくちゃいる。
「私、なんでクズ男ばかり付き合っちゃうんだろ」と自覚していながら前進するつもりもない悩みを抱えているバカ女が一定数いる。
だから「”なぜ”バカ女はクズ男ばかり付き合ってしまうのか」を個人的主観のみで色々と考えてみたので、備忘録用にここに書いておく。
まず、個人的な感覚としてバカ女は総じて「可哀想に見える」ことが特徴だと感じる。
どんな理由であれ、オーラや話し方で「この女は可哀想に見える」と思われてしまう女は、基本的にバカ女だと感じる。
これを前提として、バカ女に近寄ってくる3種類の男(全員がクズ男では無い)を挙げてみる。
これはもう完全にクズ男。
幸せの定義を「お互いが好き同士で、ある程度付き合って、結婚する」とするならば
ヤリ捨てポイするセフレ男、もしくは「ずっと好きだよ」と甘い言葉で誘ってくる既婚者の2パターンがほとんどだ。
これはクズ男ではない。
ただ、バカ女はこういう同じ種類の男とは仲良くなれない。仲良くしたくないのだ。
いわゆる弱者男性で、金もなけりゃ見た目も悪く、性格も捻くれている。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、バカ女は自分の境遇や見た目や考え方を棚に挙げて、同じ可哀想な男を”気持ち悪い”と判断をする。
これもクズ男ではない。
いわゆる理解のある彼くんで、一見「優しい男なら良いではないか」と思いがちだがこれはイケメンに限った話なのだ。
そうなると市場にいるのは優しい性格のブス男しか余っていないのだ。
こうなると「黙って妥協して優しい性格のブスでいいじゃん」と言いたくなるが、ここであの”ヤリチン男”が効いてくるのだ。
そうなると「なぜ、イケメンにもモテる私が、優しいだけしか取り柄がないブスと付き合わないといけないんだ」という思考になる。
ただ、そのイケメンヤリチン男は、可哀想な女とは付き合いたくないし、生涯を共にしたいとは微塵にも思っていない。
だって、どうせ付き合うならもっと可愛くてお金を持って安定している人がいいんだから。
これによって「可哀想な女」は他の種類の男には魅力を感じず、クズ男に振り回されながら1人で孤独に死んでいく”バカ女”になってしまうのだ。
==追記====
特優賃ぐぐってみた。全然知らんかった。ありがとう\(^o^)/
なるほどねーこういうのあったんですねぇ。知らないだけで色々あるんですねぇ、、、。
まぁ、今回の案は全ての賃貸物件が対象ということで考えたので、主旨は若干異なるかなーと。
既婚でファミリーで住む→ 大家さん:家賃(税金免除)/ 入居者:家賃補助(婚姻届の時に一緒に手続きとか?)
=========
結婚したら、平米数 x 同居人数分補助。結婚しないうちはルームシェアなどでも不可。
(同性愛用のpacsみたいなのもあったらいいかもね。その場合、「婚約届」みたいな形でいいのではないかと思う。)
→学生も補助あってもいいと思う
→住宅ローンも同時にあったらいいと思うけど、ここでは触れません。
例:
平米数あたり月500円とする。25㎡ 7万円の物件で、毎月12,500値上げで82500円の物件となる
結婚して45㎡ 月11万円の物件に引っ越し→ 45000円の補助金 → 家賃65000円
更に子どもが生まれる → 追加で22500円の補助 → 家賃 42500円
追加で子どもが生まれて、60㎡ 15万の物件に引っ越し → 120000円の補助 → 3万円で住める
全体的に強力すぎる気がする。けどまぁ、考え方の整理のためだからOK。
なんでこう考えるのか
どんな変化が起きそうか
なんでこう考えるのか その2
欠損者への考察が足りないのでやり直し
この記事(タイトル:「戦後の知性主義が日本を破壊した」自宅にメモ 宮台真司さん襲撃事件 死亡の41歳男書類送検https://www.tokyo-np.co.jp/article/235628)に対して、
反知性主義者のインテリ憎しは安倍やトランプが支持され陰謀論者が跋扈する土壌になった。戦後日本が破壊されたとする妄想がまた安倍っぽい。やはり今こそ安倍を徹底的に清算しないと、日本は悪くなる一方だろう
というコメントがついているのだが、なぜそのような考察になるのかまるでわからない。
しかも、スターがたくさんついてトップブコメにもでてきている。
ますますもって意味がわからない。大喜利としても意味不明である。
誰か教えてくれな烏賊。
5年間ほど専門分野の知識を活かした発言をTwitterで続け、blogにまとまった考察記事を書いていた。ある日マニア系の書籍に強い出版社から本を出さないかというお誘いをいただいた。2年ほどかかったが、blogに書き溜めた記事の加筆修正分+新規ネタを詰め込んだ最終稿の納品が先週末に終わった。知り合いのデザイナーに依頼していた表紙が出来て、販売価格や出版日も決まった。
お世話になった編集さんとSNSでの宣伝の話になった。初めての商業出版で右も左もわからない中、親身なフォローをしてくださった方だけに、話にも熱が入る。
「出版告知が出た直後の予約数で初版の部数が決まるんで頑張っていきましょう!」
ふむふむ。とりあえず自分のSNSで告知して、リアル知人にも声をかけて、布教用に20部くらいAmazonで買うか。
「注意事項ですが、ネット通販の予約でなく、実書店の店頭で予約お願いします。」
は?
2年余り苦楽を共にしてきて信頼を寄せていた編集さんだが、思わず声が出てしまった。俺の本の想定読者はSNS経由で自分を知った人が大半だと思うし、本の購入ルートもほぼほぼAmazonじゃないのかと。自分もライターの端くれなんで、書籍流通の仕組みは知っている。出版社と書店との間には流通を仕切っている取次業者がいて、書店への割り当ては取次の気分次第だとか、Amazonは中抜きを嫌って出版社と直接取引しているとか。
自分の頭の中では、こんな図式が成り立っていた。
出版社が本の実売数を予測するとして、間に取次を挟む実書店の予約数より、直接取引しているAmazonの予約数の方が精度の高いデータになるはず。そして俺自身SNS上の業界有名人として認知されているので、この傾向はより強まるはずだと。
そう信じて疑ってこなかったからこそ、信頼を置いていた編集さんの言葉に対して失礼な一言が漏れてしまったのだと思う。その後の打ち合わせは自分の中でテンションが下がってしまったのもあって話半分だった。少し前まで出版日が決まるのを楽しみにしていたのに、出版社のマーケティングに旧態依然としたダサいものを感じて、増田に愚痴を書くまでに冷めてしまった。
まあ、SNSから自分を見出してくれたあの出版社ならマーケティングも洗練されているだろうと勝手に期待してただけというオチではあるのだが。想像だけど、編集者のセンスが現代的でも出版社本体が古い体質だからダサいマーケティングになってしまうのだろう。
なんだかんだ言ったが、初版部数増える方が嬉しいのは間違い無いので、仕事帰りに寄り道して職場から30分かかるターミナル駅の大型書店に向かう電車の中でこの文を書いている。少しでも俺の本がたくさん売れますように。
ちなみに私は行政や会計に関しては疎いのでコラボ騒動そのものについてはよく分かっていません。
まず彼を理解するには①闘争好き②知能信仰の2点の要素を押さえる必要があります。
まず、彼は自身の半生を「シン・ネトゲ戦記(https://note.com/hima_kuuhaku/n/n7347f92ad4ce)」でまとめています。これは非常に長いので簡単に彼の半生を下記にまとめましたが、これを読む限り彼は中学以降ほぼ全ての時期において何かしらと戦っています。唯一の例外はゲーム作りに携わっていた時期でしょう(もっとも特定の人と戦ってないだけでゲーム産業は常に熾烈な競走に晒されていますね)。
中学受験→ネトゲ廃人→ゲーム作り→6億裁判→VSシュナムル→コラボ騒動
大事なのはここで挙げたもののほとんどが暇空氏が起こしたものである点です。そうでないのは6億裁判くらいでしょう(訴えたのは暇空氏ですが、相手方が先に暇空氏の権利を侵害しています)。
このように彼は常に戦い続けており、また戦いを自ら引き起こしています。彼の体は闘争を求めており、今回狙われたのがコラボだったというのがコラボ騒動の根本的な原因でしょう。実際はそれに加え、オタクコンテンツを攻撃したというのもあるのですが、これは自身に発破をかけ攻撃の正当性を担保するためであり本質的な理由は闘争を求めてるというのが実情です。巷では女叩きのためにやってるという推測もありますが、これは青識氏や手嶋氏への執拗な言及やシュナムル氏を攻撃した原因を説明できません。
彼はTwitterで敵と見なした人物に対して度々知能の低さを指摘しています(調べてみたら毎日最低1回は言っててさすがに驚きました)。
ちなみに彼はTwitterだけでなくnoteでも「知能」について度々言及しており、彼の提唱する認知プロファイリングについて説明した記事でも使いこなせるかどうかの基準に知能を採用しています。https://note.com/hima_kuuhaku/n/nd3da614085b3
また彼は知能を非常に重要な要素と設定したうえで自身の知能の高さを絶対的な自信があります。彼がどんどん突き進んでいるのは社会で非常に重要な要素である知能を自分は人一倍持っているという認知によって自分の正しさに対する自信が並々ならないものになっているからでしょう。
私は彼の知能は高いと思っています。今回のコラボ騒動も仮に彼の言い分が正しければその知能は疑いようもないですし、一方で言い分が間違っていても誤った言い分で多くの人を扇動できるならそれは優秀な証拠としては十分でしょう。
一方で彼が批判されるのもまた知能が原因でしょう。彼は知能に対する信仰が強すぎるあまり知識の価値を軽視しています。そのため元々詳しいゲームのような分野では結果を残せますが、ひとたび彼が疎い分野の話になると途端にめちゃくちゃになります。いくら頭がいい人でも全く知らないものについては考察できません。
今回の東野氏の騒動はそれが露呈したものでしょう。暇空氏が詳しくない社会情勢についてにわか知識で語ってしまった結果、めちゃくちゃな話になり中国との戦争の際に国連軍が出動できると考えてしまうわけです。これは彼が馬鹿なのではなく、単純な知識不足に由来するものです。拒否権を持つ中国が安保決議でそれを行使しないわけがないということは国連の制度さえ知っていれば彼の言う「低知能」な人でも理解できるし思いつく話でしょう。
彼のやらかしの理由はだいたいこの知能信仰に基づく知識軽視なんですが、そもそも闘争本能を抑えればやらかしにたどり着くこともないので暇空氏は人とむやみやたらと戦わない(スルースキルを身につける)か、知能を活かすには知識が必要不可欠だということを自覚した方がいいと思います。
とあるアプリゲームに嵌っている。更新日が毎回楽しみだし、新しい情報が公式からお出しされる度に歓喜し、感想をツイッターで呟いたりしている。
けれどプレイし始めてすぐ、更新後数分しか経っていないのにストーリーの内容についてのネタバレを伏せ字なしで呟いたり、ネタバレスクショを載せる人がいたり、それをRTする人がかなり多いことに気がついた。
私はこれまでにも色んなアプリゲーをやってきていたが、どのアプリのユーザーも更新後しばらくはネタバレの内容はふせったーを使って感想を言う、という人が多いように感じていたので驚いた。スクショも、ほとんどガチャ結果やバグ画像くらいしか見たことがない。
もちろん、これまでとユーザー数も桁違いのようだったので、比例してそういう人が私の目に入りやすくなったのだろうとも思うが。
だが、この場でネタバレの是非を議論する気はない。ネタバレに対する考え方は人それぞれで、配慮の仕方も、いつまで配慮するかも個々人に委ねられる。感想や考察が飛び交うことは公式としても嬉しいことだろうから、嫌ならツイッターを見るな、という意見も正しいと思う。
実際私は、配信分のストーリーを読み終えるまではツイッターを開かないようにしている。
それに、私がネタバレを過剰に避けるのは、自分がリアルタイムで公式の更新を追っている時だけだ。更新から日数が経っていて、ほとんどのユーザーが更新内容を把握しているという状態であれば、いつどこでネタバレを踏んでも仕方がないと思っている。
さすがに、「今からこの話読む!」と言った私に「○○な展開があるよ」「このキャラが○○なことがわかるよ」とか具体的なネタバレを言ってくる人がいたらキレるかもしれないが。
じゃあ何でこの記事を書こうと思ったかというと、こんな奴がいるんだな、めんどくさいオタクだなぁ、と知ってくれたら良いと思ったからである。
そして、同じような考えの人がいたら、是非とも握手したい。
ちなみに、何のアプリゲーかは記事を読んでいくと察せられる人がいると思うが、一応作品名は伏せて書くことにする。
そもそも、私がネタバレを嫌がる理由は、公式からお出しされる情報を得て直に感情を揺さぶられたいから、ということに尽きる。
あるキャラの過去とか家族構成とか、世界観に関する情報とかの設定だったり、新しく配信されたストーリーの時間軸や展開だったりを、既にプレイした誰かの話からではなく、“自分で”そのアプリをプレイして知りたいのだ。その新たな情報を得て、喜んだり悲しんだり、驚いたり笑ったりしたいのだ。
以前このアプリで、初めて、とあるキャラクターの故郷に遊びに行くというイベントが配信された。私は狂気乱舞した。
故郷がどういう所か知れるというのはもちろん、そのキャラがどういう環境で育って、どういう人間関係を築いてきたか、幼少時の具体的なエピソードと共に語られるのが苦しくもあり嬉しくもあり、情報過多なイベントとなっていた。
そして、ストーリーの更新を待っている間に、期待した。そのキャラの家族が出てくるのではないかと。
いつも話にちらっと出てくるだけで、家族はどういう人なのか、名前も年齢も、話し口調も、具体的には分からない。
おそらく、ユーザー全員が期待していただろう。家族が登場しないかな、と。それに、今ここで家族が出てきたら今後も故郷イベントが配信された時に他のキャラの家族も出てきてくれる可能性が高くなる、と。
きっと出てくる。皆そう思っていたに違いない。私もそう思っていた。
そして迎えた更新日。私はドキドキワクワクソワソワとしながら仕事をしていた。
このアプリはいつも夕方に更新される。私が仕事をしている最中だ。すぐには見られない。しかも私は、ストーリーは家でゆっくりと読みたい派だ。非常に、非常に気にはなるが、家に帰ってご飯を食べて、お風呂に入ってからゆっくりと堪能するつもりで仕事に勤しんだ。
そして待ちに待った、終業時間。
友人からのラインが来ていた。何だろう、と思ってメッセージを開くと、そこにはこう書かれていた。
「○○の妹が出てきた!」
スマホぶん投げそうになった(できなかった)。
なんで、なんでそれ言うの!?私まだ読んでないんだけど!?めちゃくちゃ叫びそうになったけれど、「ネタバレ!!」とだけ返すだけに留めた。
私がネタバレを嫌がることを、友人は知らなかったのだ。当然だった。以前その友人にとあるアニメを勧められた時に「○○な展開があるんだけど〜あ、ごめんネタバレだね」「ううん大丈夫」とかいう会話をしたことがあるからだ。あの時とは状況が違うのだが、友人からしてみれば、知らんがな、となるのも無理はない。
せっかくツイッター見ないようにしていたのに。まさかラインでネタバレ喰らうとは。いやでも、友人だって同じアプリプレイしてたのは知ってたんだから、ラインも自衛するべきだっただろう。
私はネタバレされたショックを必死に誤魔化しながら帰路についた。
友人からのネタバレはそのメッセージだけだった。登場した妹の名前も、容姿も、キャラとの会話の雰囲気も、何も分からない。
私はアプリをプレイして初めてそれらの情報を知って噛み締めたし、キャラが妹と話している様子を堪能した。
だが、やはり気分は完全には晴れなかった。
妹が出てくるだろうと、勝手な期待だったけれど確かに予想はしていた。こんな子だったら良いなぁと思っていた予想をそのまま体現していた部分もあるし、それを超えてきて驚いた部分もある。妹が登場したことでキャラの解像度も上がって、すごく楽しいイベントだと思っているのに。
“本当に”妹が登場することを知らない状態でプレイできていたら、もっとこのイベントを楽しめたのではないかと思ってしまうのだ。
“妹が登場する”と知ってプレイするのと、“妹が登場しないかなぁ”と期待してプレイするのでは、私にとっては天と地ほどの差があった。
本当に残念だった。何も知らずにプレイしていたら、妹が登場した瞬間、私は絶対心の中で叫んでたと思う。めちゃくちゃテンション上がってスクショ撮って、次に進めず、出てきた妹をしばらく眺めて感動していたと思う。
実際、妹が出てきて感動はしていた。でもそれは、プレイする前に出てくると教えられた上で、“どういう子か知れるという感動”だ。“妹が出てきた感動”ではない。それを味わえなかったことで、私はこのイベントを最大限に楽しめなかったと感じてしまった。
アプリをプレイすることで得られる情報を一つ一つ拾い集めて整理し、色んな感情に振り回されながら堪能することが、私の最大限の楽しみ方だ。
ネタバレを踏むことは、その楽しみを多少なりとも奪われることになる。
時々、直に情報を浴びるのが怖くて先にどんな感じなのかネタバレを見てからアプリをプレイしている、という人を見かける。
私にはその感覚が分からなかったし、きっと向こうもそうなのだろうと思う。
楽しみ方は人それぞれだ。ネタバレツイートをワンクッションなしであげる人達の中には衝撃のままにツイートしている人もいるのだろうし、それに共感した人の手でRTされているのだろうと思う。
ネタバレにはならないレベル、と言ってスクショを貼る人も見かけるが、私にしてみれば初めて見る情報が映っていれば立派なネタバレとなる。その辺りの感覚も、人それぞれなのだろう。
だから私は、今後もツイッターに浮上するのは配信分を読み終えた後にするべきなのだと強く思う。
浮上した頃にはほとんどのフォロワーがあらかた感想を吐き出して、余韻を噛み締めたり受け止めきれずに呆然としていたり、それはそれとしてと別の話題のツイートをしていたりして、温度差を若干感じたとしても、ネタバレを踏んでモヤモヤした気分でストーリーを追うことになるよりは、ずっとマシなのだから。
みたいな考察をしてる人をちょくちょく見るけど、そもそもそんなことを思うほど存在感のあるキャラじゃないような。
婚姻とは何であろうか。民法を見ても、婚姻の制度については事細かに書いてあるが、婚姻の実態については何も説明されていない。
婚姻関係を結んだ人々には、制度面で種々の優遇が与えられる。加えて、世間様からの信用も付与される。
いつぞやお隣のご婦人が、「薬指に指環あるだけで安心できるわよね」と話していた。明け透けさに苦笑するとともに、なるほど世の中そういうことなのかと腑に落ちた。
しかし、婚姻制度と、憲法が謳うところの平等主義とは、両立しうるのだろうか?平等主義を留保する程度に、婚姻には「公共の福祉」に資するところがあるということなのか?
婚姻制度が多くの社会で採用されていることからすると、おそらく社会制度の維持に寄与するところが多いとされているのだろう。
現行の婚姻制度は、情愛関係で結ばれ、その関係を維持することを公示した男女にお墨付きを与えている。
(形式的ではあっても)情愛関係及び一対の異性であることを条件とする理由は、いったい何であろうか。
生活の相互扶助がメリットであるならば、情愛関係で結ばれた同性カップル、あるいは性別を問わず友情で結ばれたマブダチが、婚姻制度から排除されるのは、なぜだろうか?
「情愛関係で結ばれ、その関係を維持することを公示した男女」にしかできないことは何かと考えると、一つの解にしかたどり着けない。
すなわち、「生殖」だ。確かに、人口が生産されないことには、社会は維持できない。
暫定的に、異性夫婦の優位性を生殖可能性に認めると仮定した場合、ここでも疑問が生じる。
世の中には、身体的に生殖が不可能だったり、生殖の意思を全く有しない夫婦もゴマンといる。
婚姻の優位性を生殖に求めるのであれば、そのような夫婦にも優遇を与えることの理由が見つからないことになる。
ゆえに、身体的あるいは心情的に生殖の見込みがない夫婦は、婚姻関係から排除すべきということにならないか?
加えて、生殖可能性がほぼ0%である同性婚を認めるなど、もっての外という結論が導かれる。
ここまでは、「生殖可能性によって現行の異性婚が担保される」という、かなり乱暴な仮定を前提としてきた。
それでは、婚姻のメリットとして挙げられる「生活の相互扶助」という観点から考察したい。
この目的を達するためであれば、先に挙げた情愛関係と生殖可能性は、婚姻制度維持の必要条件とは成り得ないだろう。
それであれば、同性婚はもちろんのこと、友情などのライトな関係を基礎として生活扶助を扶助する者同士も、婚姻の枠組みに包括すべきではないだろうか。
さらに言うと、関係者を2人に限定することの意義も瓦解するかもしれない。
結論としては、生殖に重きを置くなら現行の異性婚制度を維持し、生殖不可能な男女は除外するのが、婚姻制度の本旨に沿うことになる。
一方、もう一つのメリットである生活の相互扶助を第一義とするなら、同性婚はもちろんのこと、情愛関係に基づかない2人以上の関係性にも、婚姻関係を認めるべきである。
もちろんこれは机上の空論に過ぎず、運用は現実的に不可能だろう。とりわけ、生活を相互扶助するという意思の真偽を公的に確認する術がない。
しかし、同性婚の導入がこれほど喧伝されてる割に、婚姻の実態に関する議論はあまりにお粗末ではなかろうか。
日本でも同性婚が認められるのは時間の問題という気がしている。
晴れて同性婚が認められたら、次は「ポリアモリーの権利を守れ!」という主張が徐々に市民権を得始めるのだろう。
いまLGBTの権利擁護の意識を持っている人でも、ポリアモリーの運動には顔を顰める。そんな未来予想図が、容易に想像できる。
かように不可解な婚姻という制度に嬉々として乗っかって、また乗っかることを切望する人々で溢れかえるこの世界は、本当に不可解で不気味だ。
※これ以外にも婚姻の社会的利点があれば教えてください。当事者間の安寧とかいうのより、社会とか国家とかマクロスケールでのメリットを知りたいです。