はてなキーワード: 自己目的化とは
人間は二種類いる。
バカと利口だ。
劣等と優等、と言い換えてもいい。
奴隷は全員バカで劣等だ。だが、優等の中には奴隷と支配者がいる。
優等の中にいて、バカを馬鹿と見分けられ、バカを操るすべを知っているのに、奴隷に落ちる、優等の中のバカもいる。
劣等と優等は、別の種、と言ってもいい。劣等な人間には見えないモノが、優等な人間には見えている。
逆に劣等な人間は、優等な人間の前では丸裸になっている。ケツの穴まで見られている。ただ、ケツの穴を見られても劣等な種は恥ずかしさを感じない。家畜が尻を晒しているように。人間はそもそも気づかないか、気づいたら目をそらす。劣等な種が晒しているケツから目を逸らすのは優等な種である。
これは能力であって、優等な種が劣等な種に対して迫害したとか、何らかの操作をした、というわけではない。
ライオンは最初から兎を足止めする眼力をもっている。これは遺伝子に刻み込まれた能力であって、「努力」によって勝ち取られたものではない。
(というより、「努力」という言葉自体に幻想を抱けるからこそ奴隷は奴隷である証拠だ。そして、奴隷が抱くその幻想が、経済を動かしている)
こういうことを言うと、ファシズムがどうとか、ナチがどうとか、ガチで言い始める奴がいる。
「劣等遺伝子を持った人間を虐殺するのか!」「オマエのような差別主義者は許せない」と。
結論から言えば、ナチスとは、優等な種をジェノサイドした、劣等な種の集まりだ。
劣等な種が集まり、優等な種のなかの一部にそそのかされ、他の穏やかな優等な種を虐殺するときの欺瞞として、「(ほんとうは劣等な種だが)オレ達は優等な種であり、(ほんとうは優等な種でかなわない相手なのだが)劣等な種は有害だから滅ぼす」という言葉を創りだした。
この言葉すら、たぶん優等な種のうちの一部が創りだした言葉だろう。劣等な種に言葉を紡ぐ能力など無いし、能力があればそれは優等な種だ。
そして、先ほどの「オマエは差別者だ」と言っていたような奴が、先頭を切って虐殺を行い、「わたしはこんなに苦しい思いをしながら、しかし大義に報じるため、しかたなく屠殺を行っている。おお神よ」と舌を出していたのだ。
優等な種は、家畜をむやみに殺さない。
劣等な種だけが、虐殺という経済行為(これは経済行為の一種だ)を行う。
優等な種が憂うのは、劣等な家畜たちの反乱である。その反乱は、優等な種を滅ぼしたあと、劣等な種を激しい自死に誘う。内ゲバ、粛清、リンチ、処刑。
ロンドンで暴動があった。家畜の暴動だ。その前にフランスで暴動があった。家畜の暴動だ。
ハリケーン・カトリーナがニューオリンズを襲った。優等な種も劣等な種も被害にあった。そして、つかの間、「ユートピア」が現れたが、教育を受けた劣等な種が、怯えから大虐殺を行った。
劣等な種は、怯える。不安を紛らわせるために、建設的で地道なこと以外のあらゆることを行おうとする。
劣等な種が怯えている。彼らは奴隷の一揆を起こそうとしている。彼らは「自分たちは報われるべき人間なのに、このように不安を抱えている状態は許せないしそれは支配者が悪い」を合言葉に打ち壊しを始め、やがてその打ち壊しが自己目的化する。
優等な種は憂いている。
わたしは穏やかな劣等種なので、このような駄文を書いて自滅を避けることを(それはできないが)呼びかけることしかできない。
というより響きが気持ち悪い。
どうしてこんな下品な言葉を乱用するようになってしまったのだろう。
とかで、いままで生きてきた中では前向きな使われ方を見てきたことがない。むしろ不吉なものを暗示する言葉の響きなのだ。
三つめに至っては「注意を拡散する」とかは、要は陽動であり、扇動であり、相手を出し抜くということだ。
だから、今回特に震災でツイートを「拡散希望」とかが大量に流れてくるのを目にして、これって用法違うんじゃないのとずっと違和感を感じていた。
とある。
つまり、それ自体が自律的な運動をともなっているということらしい。
これは、それを発した「者」の意図や意志に依存することなく、好き勝手に一人歩きすることを示してもいる。
コンピューターウィスルが自身のコピーを増やしていくことのみを目的とし、相手を選ばず様々な宿主を媒介にするように。
相手を選ばないという意味においてはデマもウィルスと相似している。
「拡散」という響きはその発した本人の意図に関わらず、言葉そのものが自己増殖していく運命を伴っている。
そこには発せられたソースの真偽の確度や意図された目的や意図の紐付けは後回しにされる、ということだ。
拡散自体がコピーは新たなコピーを量産するという自己目的化が強く作用するため、簡単に収束する術をもたない。
これね、例えば自分が信頼しているフォローした人が、「拡散希望」なんてリツイートしていて、もし自分にリテラシーが無かったら何も考えずにリツイートしちゃうかもしれない。内容なんて全く興味なくても。だってコピーしてくれって信頼している人から言われたら誰も断らんでしょ。思考停止の世界へようこそ、ですよ。
シェアはもう半分日本語と言っても差し支えないほど浸透してきているけれど、この言葉がもつ響きは拡散のそれとは真逆かもしれない。
拡散がまき散らして放置しているに対し、シェアは単に「分け合う」という意味だけでなく、「分かち合う」という意味も含んでいる。
つまりそこには発せられた者の強い肯定的な感情や意志、意図が働いている。決して発した言葉を放置しない。
そしてこれは常に同様の工程を相手に架してもいる。
つまり発したソースに紐付けされている意志を「分け合った」相手にも「分かち合う」作業を意図的に行わせる、ということだ。単なるリライトではなく、自分のフィルターを通すという所作を意図しているため、情報の確度が無意識に求められる。拡げて放置することのみを目的とせず、一人ひとりの情報精査が前提としてあるということだ。
信頼ある人から来たリツイートでも、その前にシェアするべきか否か自分のフィルターを通すという判断や作業が無意識に働くから、「拡散」のように無闇なリツイートというのは減るだろう。なぜなら「シェア」としてリツイートした情報というのは、自分という名のタグ付けがされた情報だからだ。逆に言えばタグ付けしたくない情報は「シェア」をしない。言葉の使い方ひとつで、不用意な拡散の抑止になるはずだ。
「拡散」という言葉を使っていながら「デマ」に注意しろという人は、車で練炭焚きながら一酸化炭素中毒には注意しろといっているようなもんで、なんかマッチポンプだ。拡散という言葉もにちゃんねらーから来たのをそのまま流用してしまってそのまま放置されているんだろうけれど、界隈の人も自己補正はちゃんとしてほしいよね。特に、言葉を使うプロ達が何も考えず「拡散希望」のリツイートを連発しているのは見ていてちょっと恥ずかしい。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20081207/1228655595
私は若い人に、なんとかこの状態にコミットしてほしいと思っています。ネット上で歴史認識を正したり、国家を批判することよりも、こっちでやることがたくさんあります。私自身、現場は苦手で、いつも帰りたくなるし、役立たずです。「自分探し」と言われても反論の余地もありません。それでも、「自分探しボランティア」でいいから、コミットする方向に行くしかないと思っています。そこらへんにあふれている、口だけ立派な学生運動上がりのおじさんたちのように論理武装に拘泥するくらいなら、素朴な実感を追ったほうが、まだマシだと思っています。
その上、ネットの最大の欠点は、麻薬のように、相手を攻撃する快楽に酔えることです。知識をたくさん持って、「おまえは本当のことを知っているのか」と相手を問い詰めることで「おれは知っている」という優越感に浸れます。もともと、左翼には、こういう悪い癖があります(私も持っています)が、それがネットでは最大限に悪い方向に出てくると思っています。ここには当事者はだれもいません。歴史家もおらず、南京大虐殺の記憶を持っている人や、元慰安婦もいません。
ネットで論争している人が、本気なのはわかるし、ネット右翼は確かに厄介だと思っています。ただ、これだけネット上に「実際にレイプすること」を肯定する言説がある中、反性暴力の立場をとる私から見ると、「ネットで暴れてる人はほっとくしかないよ」と思うし、そんな人たちをつるしあげても性暴力の問題はなくならないのは自明のように思えます。ネット上で、情報を発信していくことに対しては私は肯定的ですが、ネットで論争することには否定的です。それ自体に自己目的化して自己満足に陥るだけで、問題解決の役に立つとは思えません。そう言う意味では、私は東さんと同じ立場です。専門家でないのに、専門家以上にネット上で淡々と情報を発信する人たちはいるし、そういう仕事には頭が下がります。
だけど、いま現在進行形でtoledさんと私がやっているこの論争(っていうほどでもないけどさ)には、国家を動かすには、ほとんど何の意味もなさない無駄な作業だということは認識しないといけないと思っています。
男だが,高校のときに拒食症に陥った。体脂肪率が5%以内でないと自分が許せなかったな。その後一転して過食に陥って,2ヶ月で20kgも肥満した。その節は家族や友人に多大な迷惑や心配をかけた。今は心からすまなかったと思う。
患者の自己申告が常に正しいわけじゃない。美容というのは表層的な理由にすぎない。俺の場合もデブは醜いから痩せたいという意識はあったし,周囲にもそう言っていたが,それが全てではない。宗教的修行やアスリートについても言えることだろうが,欲望をコントロールするって独特の快感があるんだよ。食欲みたいな生存の核になってる欲望を自分で制御しているという実感があるとたまらなく気持ちいい。カフカの『断食芸人』に描かれてるとおり。とっかかりは美容にあったとしても,いったんそのサイクルが始まると食欲の統制が自己目的化する。でも生物である以上,統制には限界がある。体脂肪率の低下が続くと飢餓状態になって食べ物に手が伸びる。寝起きとか,意識が朦朧としているときに貪るように食べてしまう。その後に自分のしでかしたことに気づいて罪悪感に駆られ,それをなかったことにするために吐き出そうとする。これが癖になると,「たとえ食べたとしても吐けばいいんだ」みたいな考えに陥って,吐くために食べるようになる。こうした異常摂食を繰り返してるうちに,脳のどこかが傷ついて,正常な食欲が失われてしまう。
「痩せすぎは美しくない」とか「吐くのはもったいない」とかいった「正論」は,この際捨ててもらいたい。娘さんもそのことは熟知しているからだ。言われたから止められるようなものじゃない。治療には専門家の手助けが必要だ。娘さんが自分で好きなものを好きなときに食べる/食べないことができる環境をまず破壊しないとならない。入院措置も含めて対応している精神科医がいるので,まずはそちらに連絡を。娘さんは抵抗するだろうが(俺ともう一人の例から見て,拒食の人は拒食しない周囲の人間を軽蔑している可能性がある),強制的になってもやむをえない。
ぶっちゃけあまり腐業界に詳しくないので、ツッコミどころ多いと思う。
B2+同性愛嫌悪(「キモイ同性愛」妄想してる私達腐ってる!やめられない禁断の蜜!)
→「腐女子とは叩かれるもの」「一般人は腐をキモイと思うのが当然」「不快にさせないようこちらが気遣うのがマナー」→内面化完成
→外部からの「腐女子」というレッテルに対する「連帯責任」意識
やおい・BLを嗜好するという共通点しかなく内部はバラバラだが、外から見れば同じ。
助け合うことができず、責任のなすり付け合い(あのジャンルは厨ばっかり、今はあの界隈が目立ってていい迷惑、みたいなやつ)や「お前ら、分かってんだろーな」という牽制が強まる
(おそらく非腐である女オタクが腐女子を嫌っている?のは同じような流れか)
→更に深く潜る層と、オープンな層に分かれていく?
ニコ動のアニメ系動画に、本編の1シーンを加工して男性キャラの「頬を染めた」ものがあった。
そこに「キモいサムネイル見せんな!検索にかからないようにするか無難なサムネイルにするくらいの配慮をしろ!」という批判(というか…もう少し乱暴な感じだったが)を多数見かけたことがある。
内容は特別萌え動画でもないネタ動画だったようだけど、BLでもないものにそこまでの反応をするっていうのは「男性に向けられる欲望そのものが気持ち悪い」のかと思ったんだが、よくわからない。
あるテレビ番組で、スーパーの店長だった人が一念発起して、ひきこもりがちな人にデート相手を派遣して外に引き出すボランティアを始めたというドキュメンタリーをやっていました。番組で、ボランティアの人とひきこもりの人が一緒に集まって話していて、話の内容自体はどうってことない雑談なんです。
ただ、その場の雰囲気が、どうも精神的に不健康というか、異常というか、なんとなく薄気味悪いものを感じた。こりゃ健康じゃないぜ、と思ったんですよ。
その元店長さん自身、引き出すことはいいことだと信じきっている様子で、怖い。ひきこもる人には様々な理由があるんだろうけれど、僕は外に出たくない人はひきこもらせてやったっていいじゃないかと思うし、本当におかしくなっちゃったら、それは専門の医者の領分でしょう。素人さんの価値観で引き出すのが正義だと、そんな簡単なことなんだろうか。
僕みたいな物書きは一日中ひきこもってますよ。精神状態はどうかって言われたら、自分でも何となくおかしいような気がする。でも、そのギリギリのところを歩く職業だと思って僕はやっているわけですからね。
役者さんとか女子アナウンサーとか、人目につくところに出る仕事の人がいる一方で、藍染め、友禅染めの熟達した職人さんのように、目立たないところで一日中口もきかずに同じことを繰り返している人もいる。僕に言わせれば、そういう人が職業としては一番まっとうで、すごいと思う。立派な職業人、専門家というのはそういうものです。
人間を外に引き出したほうがいい、社交的なほうがいい、こういう考え方は、メディアの発達とともに力を持ってくるんでしょう。インターネット、携帯電話と、コミュニケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、これに逆行することはできないんですが、コミュニケーション自体が自己目的化したらそれはちょっと病気です。
そういえば、これもテレビでやってたんですが、自殺願望の人ばかりインターネットを使って五千人くらい集めたグループがあるそうです。勧進元の若い男の子が出てきて話をしていたんだけど、やっぱりいいことをしてると思ってるわけです。自殺したがっている人どうしが相互に励ましあったりして何とすばらしいのかと、これまた何の疑いもなく信じ込んでいる。
僕はこれを「引き出し」症候群と呼んでるんだけど、ひきこもりの人にデート相手を紹介してまで外に引き出そうと思うこと、自殺願望の人を五千人集めようと思うことの異常さに気づいてほしい。客観的に見て、あんたのほうがちょっと病気じゃないかと言いたくなるんです。
何だかひとりぼっちでいることが軽視される風潮があるんじゃないか。友達がたくさんいないと駄目なような雰囲気があるんじゃないか。
これもテレビで観たんですが、「ランチメイト」症候群っていうのがあるそうですね。学生さんやOLが、弁当を一人で食うのが嫌だっていうんで、前の日の夜から電話で約束するらしい。「明日わたしと一緒にお昼ごはんを食べてよ」なんて具合にね。
僕らの子供時代なんて、親から「食べるときは黙って食べろ」と言われたもんです。
僕は一人で新聞を読んだり雑誌を読んだりしながら弁当を食べるのが普通だと思ってたんだけど、いつの間にか「それは異常だ、友達のいない奴だと思われる」という価値観になってしまっている。誰も自分自身でものを考えることができなくなっちゃったんじゃないか、こりゃあ大変なことだぜ、と思ったんですね。
ただ、よくよく考えてみれば、戦争中はリベラルなことを言うと「けしからん」と村八分にされたし、戦後も市民運動なんて馬鹿なことをずっとやっていますから、日本という国は元来あんまり自分でものを考えない国柄なのかもしれません。環境ホルモンが危険だとか、原子力発電所反対だとか大声でやってるでしょ。連中は数を頼みにして感覚だけを根拠にいろいろ言う。僕は市民運動が嫌いです。彼らは自分で作りだした恐怖感に酔って、気分でものを言っているだけだからです。
選挙のときもそうだけど、みんな民主主義を勘違いして、数が多ければそれが真実だと思いこんでいるから、自分の頭で考えることもせずに、員数集めばかりしている。
他人の目を気にして弁当仲間を集めるOLも、ひきこもりを外に出そうとする人たちも、根っこは一緒なんですね。誰かが「カラスは白い」っていえば、感染症のように「白い」「白い」って言い出す。雰囲気がすべてで、それしかない。開かれているようで、実は思考が閉鎖しているんです。
未来のある人には冷静な自己反省というか、自己相対化というか、内省する時間を持ってほしい。ひきこもるくらいでちょうどいいんです。
何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。僕はいつもひとりで考え、ひとりでものを書いてきました。まあ、僕も戦争中は軍国少年だったから、お前だって同じじゃないかと言われるとちょっと恥ずかしいんですけどね。
俺は合コンという制度が嫌いだ。
なぜ嫌いかといえば、非モテ論壇で言われるような「恋人を作ることを自己目的化している」という理由ではない。
単に合コンという場では俺が求めるような女性と出会えないからだ。
したがって、オタク系やニコニコ動画など非リア充的な趣味を共有できるような異性にめぐり合うことは期待できない。
女は「かわいい」「美人」に代表される容姿至上主義で、男は基本的に顔と経済力が求められる。
しかし、俺は共働きを前提として仕事の苦労を分かち合えるような女性に出会いたい。
なんかすごい行き違いがあるんだよね。
Apeman氏らのほうは、HALTAN氏の立ち位置をまったく読み違えているから、中立を装っているとか神の目とかいう言葉まで出てくる。あまりにもな言いようじゃないか。
HALTAN氏はもともとそういう左側の運動に熱心だった人なはずで、だけど途中で見限ってしまったらしい。そういう人らしいことは、全体を通読してみれば分かる。だから、シンパシーを感じるのは今でも基本は左側なはずだ。だからこそ、左側に余計に厳しくて、左側には変な連中がたくさんいるといつも書いている。ましてや右側はかすかすだし。これは、中立性を保とうとしているのではない。
そういう人が、Apeman氏らのような議論をみて「お勉強されているのはよく分かりました」が現実はどうなんだ、ただの誇大妄想でしょ飛躍があるんじゃないのという世間知頼りの床屋政談になるのは当たり前だ。
他方、HALTAN氏が完全に間違えたのはこういう見当だったはずだ。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080526/p2
id:Apeman氏はこの程度のこと(そんなに簡単にサヨクが説くような階級闘争史観の通りに世間は動かせねえよ!)(当の弱者や貧乏人も「俺だけはクレクレ弱者じゃない」と思いたいから、税制の逆進性の緩和や累進課税の強化などには必ずしも賛成しない)(「今は違う!」と言うかもしれないが、風向きはまた反対側に簡単に変わり得る)は分かっている人だと思っていたのだけれどなあ・・・。
実際、Apeman氏のブログを仔細に読めば、こういう見当付けはできないはずだ。彼の文章は、天皇の権力に対する嫌悪を前提にしていないと読めないものが多い。つまり、従来の日本の左翼の枠から一歩もでてない。したがって、金持ちから分どりゃいいとかも平気で書ける。ご高説が過ぎて現実性が完全に欠如する部分がでてくる。とはいえ「お勉強がお好きですね」というところで、こういう文章群もあっていいし、読んでるほうも勉強になる。そういうもんだと思って読めば済む。(むしろ、現実を変えるためにもっとがんばれと言いたいくらいなんだが)
だから、Apeman氏らからすれば「俺の文章をちゃんと読め」とか「頭を使え」とかそういう反論にならざるをえないのだが、しかしHALTAN氏はそもそもそういうところから出発してものを言っているのではないので「接点がない」とぼやくしかない。当たり前だ。
個人的にはHALTAN氏に共感するけどね。
日本の左翼が諸外国と比べて独特なのは、ただ反権力なのではなくて、天皇の権力に対する憎悪(とそれに伴う誇大妄想)があるからだ。だから必ずしも人民を守るためというわけではなくて、反「天皇の権力」が自己目的化している部分が大いにある(国旗・国歌問題なんかはそうだ)。たぶん、HALTAN氏が見限ったのは、こういうところなんじゃないか。にもかかわらず、屁理屈つけて憎悪感情を糊塗してもっともらしく見せるから。言い過ぎかもしれないけれど、でもHALTAN氏が感じているのはそういうことだと思うよ。で、ご高説が的を得るときもあれば、外すときもある。誇大妄想が根本にあるからね。それだけの話でしょ。HALTANさんは、手を引いて床屋政談やっとくほうがいい。絡む場所と人を間違えた。
「出会い」そのものを目的とした、いわゆる「合コン」にいそいそと出かけるような奴らは、
(男女ともに)卑しい心根の持ち主だ。ようするに彼氏彼女がどうしても欲しい、その延長線上
には「やりたい」という欲望しかない、さかりのついたイヌみたいな下衆ども。
だいたい「出会い」なんて、なんらかの活動があった上で副次的に生じるものではないか。
例えば囲碁でも将棋でも、バイクとかアウトドアとか、はたまた職場や学校で、共通の興味を
持つ集団のなかに男女が居て、そこで「出会い」が生まれる。そうした段階をとっぱらって、
「出会い」そのものを自己目的化した「合コン」なんて、たしかに合理的かもしれないけど、
あまりにも欲望に忠実すぎる。恥ってもんを知れよ。
「合コン」に関しては、そんなことをずーっと思ってて、嫌悪感しか感じてなかった。のだが、
その人が言うには、
「みんな、寂しいのだ。表面上はどうあれ、誰かと出会いたいという飢餓感があるのだ。」
なるほど。しかし、何かのサークルに入るとか、そういう段階を経た方が楽しさも増すのでは?
「誰もがみな、趣味を持てるわけではないし、その中で相手を見つけられるワケでもない。
あなたは、自分が出会いに恵まれていたから、そういう人たちの気持ちが分からないのだ。」
そういうものなのか。確かに翻って考えてみると、私じしんは海系の趣味と山系の趣味、バイク系
の趣味もあったので、「アクティブじゃない人」というのが想像できなかった。その自分を規準と
して、「合コンに参加するような犬畜生はダメ人間」などと考えていたのだ。
切実な寂しさを体験したことのない人間が、切実な寂しさから合コンに参加するような人を断罪する。
なんという無知さ、無礼さなんだろう。たいへん恥ずかしい。
というわけで後学のためにも合コンに参加したいのだが、私もう結婚してるしなあ。
「大丈夫、既婚者同士の割り切った合コンもあるから!」
えー!そんな。さっき言ってた寂しさとかそういうのはどうなるの?
「既婚者も寂しいんだよ!」
ううむ。寂しければなにもかも許されるのか…。やっぱ合コンは恐そうだ。