はてなキーワード: 嫌悪表現とは
https://anond.hatelabo.jp/20191019021148
を書きました.たくさんのコメントありがとうございます.もう食傷気味かもしれませんが,追記します.
ただ,この追記は基本的にコメントに対するものではなく,前増田が長文になりすぎたために書けなかった部分についてです.論点はここ数日で既出のもの(リンク)に近いかもしれないです.
https://anond.hatelabo.jp/20191018230535
結論は,「フェミニズムが性的な表現を非難する時には,非モテ男性に与える不平等感について自覚・配慮し,主張をするべきである」というものです.いわば,私が前増田で書いた主張と対になる主張をします.
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前増田では,「『公的な場で,女性を男性目線で性的に描くことには,女性の規範に悪影響を与えるリスクがある』という認識が共有されるべき」と主張した.これは,当然,絵のみでなく,コンパニオンや女子アナ,芸能等の実在人物にも平等に主張されるべきだ.一方で,「では,なぜ絵には、とりわけフェミニズム的非難が集中するのか」を疑問視する立場がある.この論点は重要だ.
まず,前増田で説明したフェミニズム的非難の内容を再確認する.公的な場で,男性目線で性的に女性を描くことは「女性は,男性から見て性的な存在であるべき」という社会的な規範を強化する.この規範の例は,
だ.男性目線で性的な存在として女性を繰り返し描くことで,それが『通常』と認識され,規範となる.規範は,そこから逸脱する女性の自由を制約する(例:「女性は皆,お酌をしている.自分もお酌をしなければ,普通じゃない,生意気な女だと思われそうだから,お酌をする」).
規範が特に問題となるのは,相手の男性に性的魅力がない場合である.例えば,「女性は,通常,『好意がある男性には』お酌をする」という規範と,「女性は,通常,『好意がない男性にも』お酌をする」という規範では,後者の方が,女性の意思に反するだろう.このような規範を強化するのは,「性的に魅力のない男性(非モテ男性)目線で,性的に描かれる女性像」である.件の献血の絵の問題点は,前増田で述べた通り,公的な場における性的表現であるため,「女性の存在は(一般に)男性目線で魅力的であることが『通常だ』」という規範を強化することである.しかし,それだけではなく,オタク絵であるために,「女性は,非モテ男性にすら性的に振る舞い,消費されるのが『通常だ』」という規範を強化しうることも問題なのだ.このように,非モテ男性向けの性的表現が,一般向けの性的表現よりも忌避されるのは、感覚として自然である.(これは、「単に非モテ男性や作品自体を嫌っている」のとは似て非なることには注意が必要である)
このため,ある性的な絵がフェミニズム的に非難されるとき,「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけではなく,「画風,タイトル,セリフ,知名度などを総合して,一般人にとって,『非モテ男性向け』なイメージがある絵かどうか」によって非難の程度が変化する.しかも,判断基準は客観的事実(実際に非モテ男性がそれを性的に消費するか)ではなく,主観的事実(一般人にとって,非モテ男性がそれを性的に消費しているイメージが湧くか)である.なぜなら,その社会の誰かが,非モテ男性が女性性を消費するイメージを持った段階で,その人の主観においてその規範が繰り返され,強化されると想定されているからである.峰不二子,セーラームーンや芸能人の有害性よりも,オタク絵の有害性が強調されるのは,一定数の人は,知名度の低いオタク絵に対し「非モテ男性向けの性的表現」というイメージを持つからである.
ここで最も重要なのは,上記のフェミニズム的文脈におかれた,非モテ男性の立場を配慮することである.上記を雑に換言すれば,「モテ男性の好みの女性像は,多少性的に表現されても問題になりにくい」「非モテ男性の好みの女性像は,少しでも性的に表現されれば問題になりやすい」ということだ.しかも,それは,しばしば,事実と異なるイメージにより一方的に判断される(例:「実際にはエロの要素が少ないマンガでも,作品を知らない人から一方的に,絵柄からオタクが性的に消費する姿が想起されるために公的な場には不適切だと判断される」).つまり,男性の間には,女性にモテる/モテないの格差に上乗せして,好みの女性像が持つ市民権にさえ格差がある.非モテ男性の立場からすれば,これは控えめに言って不平等であり,もっと言えば差別的である.社会から女性差別的な規範を排除する試みは,自然に,非モテ男性差別的な側面を持つことを認識するべきである.
フェミニズムがこの差別的側面を無視するのは得策ではない.無視するための手段としてよく見られるのは,性的な表現を非難する際,もっぱら「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけを議論し,「表現の対象(非モテ男性向けか,一般向けか)」の影響は無視するというものだ.一見,これは,非モテ男性だけを問題視しない,公平な態度である.しかし,表現の対象に依らず,同程度に性的な表現の全てを非難するのは現実的でない.なぜなら,主張する本人すら必要性を実感していない様々な対象を非難する必要があるからだ(例:オタク絵への非難を正当化するために,峰不二子も非難する.しかし,本人も実際には,峰不二子には不適切さを感じていない).すると,フェミニズム的非難は無関心層・中間層には実感として理解されにくく,建前や自己目的化、更には単なる嫌悪表現と誤解される.当然,社会から性差別的規範を排除するためには,この無関心層・中間層からの理解が必要である.フェミニズムは,非モテ男性向けの表現を特に問題視するということを認めなければ,社会から女性差別的な規範を排除することは難しい.
以上から,フェミニズムが性的な表現を非難するときには,まず,「非モテ男性向けの性的表現を特に問題視する」という立場を認めるべきである.その上で,非モテ男性に与える不平等感について自覚・配慮し,主張をするべきである.どちらの立場にとっても,一面的な正義を主張することは,火に油を注ぐだけである.
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「表現の自由」は他の人権を侵害するような場合、制限されるという、
「社会形成のために、権利には優先順位がある」という法の論理をあなたはわかっていないことが原因で、
と主張するのは「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」によって
世界的に合意された((間違い指摘ありがとうございます)追記:考えに反するので)、あなたのLGBTに対する主張はおかしい。