はてなキーワード: Icuとは
あることがきっかけでこいつが大学時代の知人であることがわかった。
上手く隠してやってるつもりなのだろうけど、綻びが出たのだろう。
やたらと上から目線のツイートが目立つので、こいつが今何やってるのか共通の知り合いに聞いてみた。
驚いたことに、卒業後オーストラリアに留学、帰国後は就職もせず、医学部を目指して受験勉強をしているというのだ。
ICUを卒業して、30半ばにもなろうというのに一度も就職もせず親のスネをかじり続けて医学部受験。
本人がうるさいので知り合いも表面上は応援していることにしているみたい。
リアルの自分に向きあうのがつらいのか、ツイッターでは無職やアニオタを馬鹿にしたり、
英語教育や医学について語り、ブラック企業や日本社会を偉そうに批判する。
なんか哀れでしょうがない。
https://twitter.com/riverwood23/status/435451990584221696
ツイッターやってる暇があるなら働けばいいのに。英語力だけはあるみたいなんだから。
同窓生として恥ずかしいよ。
http://www.jilg.jp/research-note/2013/07/01/245
病気にもなれない
非正規労働者にはほとんどの場合病気休暇はありません。病気になり有給休暇を使い果たすと欠勤になってしまいます。たとえば臨時職員(22条適用)がちょっと大病して休まなければならないとなると、6ヶ月で任期満了なので、病気であろうがなんであろうがそこで首を切られてしまいます。明日から働けない、仕事もない、身体もしっかり治ってない、そういう状況で放り出されてしまう人もいます。
私の地元の静岡でも清掃の臨時職員だったAさんは、自宅で脳幹出血で倒れてしまう。病院に運ばれてICUに入った。その後、かなり元気になられたけど言語障害があって職場復帰ができない。どんなに労働組合で運動して要求書を出しても、「臨時ですから…」ということで半年目に雇い止めになる。その後、その方は一時生活保護を受けたりしていましたが、いまはマヒが少しよくなり仕事を見つけられましたが月収が10万にも満たない。いま自治体の中で仕事をしている臨時職員はそういう状況の下で仕事をしているのです。
悲しみにも差
賃金も劣悪で、正規職員に比べると3分の1、ひどいところでは4分の1ぐらいの実態です。昔から村八分という言葉がありますが、火事とかお葬式のときは村八分にはしないといいますが、私たちは両親が亡くなったときとか、親族の悲しみにさえ差別があって、正規の方は配偶者が亡くなれば忌引休暇があると思うのですが、非正規職員に正規職員と同じように忌引休暇が付与されている自治体は稀です。悲しみにも差があってお葬式にさえ満足に休みが保障されていない。親が亡くなっても1日しか休みがない。あとは有給休暇を使うか、有給休暇さえもない労働基準法違反の自治体も少なくありませんが、有給休暇を使い果たすと欠勤になります。欠勤になると収入が減る。そのいたちごっこのような状況の下で自治体の業務を支えているというのが、いまの私たち自治体非正規労働者の実態です。
早慶理工学部 2007年度の「合格者・入学者・辞退者」偏差値 - 能ない鳶は能ある鷹をうめるか
早稲田大学の入学者偏差値≒合格者偏差値の約91.4%、慶応義塾大学の入学者偏差値≒合格者偏差値の約91.2%
早慶理工学部 2007年度の「合格者・入学者・辞退者」偏差値
合格 辞退 辞退率
東京大学 3107 17 0.5%
京都大学 2928 16 0.5%
一橋大学 947 4 0.4%
慶應義塾 9995 5899 59.0%
早稲田大 18300 12640 69.1%
中央大学 15089 11403 75.6%
2014年度 早稲田大学・慶應義塾大学 入学者における一般入試比率
慶應義塾大学理工学部、早稲田大学基幹理工学部の辞退率が50%を超えていると聞いたのですが本当ですか。
統計学で完璧に証明「私立は定員が多いので学閥の勢力を伸ばした」 大学は偏差値ではなく学閥で選ぶべきである
学閥一覧表 主要企業管理職者の出身大学ランキング|偏差値図書館
早慶の正規合格者の入学辞退率が50%超えてる現状って、一体何人が知ってるんだろうねえ(´・ω・)?
知恵袋で、早稲田大学や慶応義塾大学は、合格者の辞退率が60%などという投稿を見たことがあるのですが、これは本当でしょうか?
早稲田や慶応のような日本のトップ大学の入学辞退率が異常に高いのは何故ですか?
地方の国立か早稲田、慶応はどちらがレベルが上ですか? - Yahoo!知恵袋
旧帝と早慶どっちのほうがすごいですか?下記に異論はありますか? - Yahoo!知恵袋
超大手企業は「圧倒的に旧帝大、次いで早慶上智」をターゲット 一般入試の比率が高い大学を選ぶ動きも
NEWSポストセブン|早慶が関東ローカル大学に!? 地方出身者減で学生レベル低下
付属高校からエスカレーター式に大学に入った学生は、就職活動で不利になる。そういううわさがあるそうだ。本紙電子版の連載企画 :日本経済新聞
受験なしの有名一貫校卒業者「使い物にならない」 マツコ発言に「これは本当」「8割はダメ」同意する声多いが...
首都圏・私立大学人気ランキング2013…受験者数・合格倍率・辞退率
合格 辞退 辞退率
東京大学 3107 17 0.5%
京都大学 2928 16 0.5%
一橋大学 947 4 0.4%
合格 辞退 辞退率
慶應義塾 9995 5899 59.0%
早稲田大 18300 12640 69.1%
東京 13 3,293 0.4
大阪 53 2,724 1.9
京都 64 2,794 2.1
一橋 24 1,059 2.3
北海道 98 2,440 4.0
東北 98 2,395 4.1
名古屋 104 2,335 4.5
九州 123 2,595 4.7
W合格対決75大学特集 慶応医とその他医学部の併願対決(2007)
慶応医0-24理三
45 1 1
47 2 2
49 1 1
51 2 2
53 2 2
55 14 11
57 27 21
59 45 22
61 78 37
63 108 2
65 131 3
67 131 3
69 83 2
71 41 1
73 4 0
75 3 0
76 1 0
44 1 1
47 1 1
49 1 1
51 3 3
53 2 2
55 16 16
57 31 17
59 44 21
61 88 32
63 101 4
65 112 2
67 123 2
69 75 1
71 32 0
73 3 0
75 3 0
76 1 0
1992年
64.4 早稲田・法
63.4 上智大・法
61.6 早稲田・商
61.4 明治大・法
60.5 慶應義塾・商 ☆☆☆
60.4 立教大・法
60.1 青山学院・法
57.0 法政大・法
ICU 620人 350人(56.5%) 270人(43.5%) 1校
上智 2160人 1322人(61.2%) 838人(38.8%) 0校
慶応 6145人 3920人(63.8%) 2225人(36.2%) 5校
早稲田 8880人 5880人(66.2%) 2000人(33.8%) 5校
法政 5850人 3965人(67.2%) 1920人(32.8%) 3校
中央 5410人 3694人(68.3%) 1716人(31.7%) 3校
立教 3685人 2575人(69.5%) 1110人(30.5%) 2校
明治 6205人 4421人(71.2%) 1784人(28.8%) 3校
青学 3132人 2285人(73.0%) 847人(27.0%) 1校
[学閥][閨閥][派閥][藩閥][同調圧力][空気の研究][先輩][保身][企業][就職]
一般社団法人学士会(がくしかい)は、旧帝国大学系大学である北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州の各大学(前身を含む)、京城帝国大学及び台北帝国大学の学部卒業者、大学院修了者、前記大学の現役の学長、教授、准教授(助教授)またそれらの職にあったものによる、大学の枠を超えた一種の同窓会組織。
元文部科学省所管。
http://anond.hatelabo.jp/20120111092149
俺も仕事上、大学生と関わることが多いんだけど、大学名と、社会人としての出来はやはり比例関係にあると感じる。
話していて、面白い意見がばんばん出てくるのは、国公立で言えば、宮廷に筑波横国首都らへんを足したレベルくらいまで。私立だと早慶上智ICUくらいまで。
いわゆるマーチレベルだと、最低限の社会的常識はあるし、回答としての体裁は整っているのだが、どこかで教わってきた模範解答みたいな薄っぺらい意見でお茶を濁してしまう奴が多い。
ニッコマレベルだと、一見真面目そうで好感度は高い奴が多いのだが、ちょっと突っ込んだ難しい質問をすると、平凡な意見でお茶を濁すことすら出来ず、すぐに口ごもってしまう。
簡単な下請け仕事なら依頼してもいいと思えるのはここまでかな。
これより下だと、質問をしても、そもそも自分が何の質問をされたのか分かっていない。質問されたら答えるものだ、ということも分かっていない。こっちの質問に対して、「はあ、そうですか」とか「そういえば、僕この前○○に行ったんですけど……(質問内容と全然関係ない)」みたいな返答しか返ってこない。そういうレベルだ。話にならない。
もちろん、社会常識がゼロでも他に飛びぬけた才能があって面白い奴もいないことはないが、残念ながら非常に少ない。
たいしたこと書いてないのに書くのに苦労した。文章力なさ杉。。
冗長ですみません。お暇な方だけどうぞ。
一浪後、前期・後期の大学に落ち、受かっていた滑り止めの私立に進学決定。
その時母親が体調を崩し、入寮する前日にicuに見舞いに行く。
母親に別れ際に手を握られ「がんばれよ」と言われたので泣きそうになる。
課題がキツイ大学だとは聞いていたが、予想以上で泣きそうになる。
他の寮の部屋の奴らは合わない奴との関係に苦しんでいるところもあったけど、
自分のとこではそういうことが無くてまだ救われた。
GWもほとんどレポートを書いていた。他の奴らは実家に帰省していたが自分は面倒なのでしなかった。
このとき寮にいる先輩に「もっと遊べよ」と言われるが自分はしっかり受け止めなかった。
大学には興味を持った変なサークルがあり、そのサークルに入ろうと思い「活動場所」として新入生向けの
たぶんいい加減なサークルだったんだろうと思う。大学の規模が小さいから他に興味のあるサークルも無かった。
GWで4月の疲れをうまく中和できたなぁと思ったがここから7月の試験までノンストップ。
まぁそれは他の大学でも同じ。問題は休日が課題でかなり費やされるということ。まぁ自分が無能だからなんだけど。
実験の予習×2
レポート×2
ぐらい。
書いてみるとあっけなくて悔しい。
これで潰れる程度の人間だった、っていうのが。
この月は土日のいずれかが何かのイベントで圧迫された。
専攻してる分野の研究室訪問(オープンラボってやつ)、レクリエーション大会、大学周辺の地域清掃()、
もともと要領が良くない奴にはなかなか辛かった(大多数の奴は乗り越えてたけど)
揺れていた豆腐メンタルがぐしゃぐしゃになってきた。
元々入った大学は自分の行きたい分野ではなかったが、入ったからにはやらんとな、ということでやってきたけど。
やっぱ元々行きたい所を志望する奴らと毛色が違うというか。。
だからといって成績が悪い理由にはならない。
あるとき実験で予習をしてきたのに、同時に実験する他のメンバーよりも実験が遅れ
土日にその続きをすることになった。
本来の実験の日より間が空いてしまい、実験時に教授にメモを取れと言われた内容が抜けていてあばばば(ryみたいになった。
とこっぴどく叱られた後に手伝って頂いてなんとか実験を続けた。
その時に何かの書類を見た教授に言われた
「君はあんまりいい高校に行かなかった?」
「はい(え、なんの話・・・)」
「やっぱね、君はそこで天狗になってたんじゃないの?」
「はい」
「それだと、人間の成長止まるって分かるよね?」
「はい」
「まずはさ、周りの人間に追いつく。な?」
「はい」
「この学校卒業すればねぇ、受験で入れなかったような大学の院に余裕で受かるし、うちの院に行って就職
すればいい未来が待ってるよ」
一つ上の学年には現役で受かった同じ高校の奴らがいた。たぶん、あいつらはこんなこと言われてない。
教授は何の悪気も無い。フォローもしてくれた。だけど、「天狗」って言われたのが辛くてね。
むしろ逆だったような気がその時は思った。
無能だから「天狗」になったのが、悔しくて、実験終わって寮に帰った後ずっとぼーっとしてた。
そんなに優秀じゃない人間が背伸びして入った大学で、ひいひいいってる。
気付かないふりをしていた、ただ当たり前の事実を突きつけられて苦しんだって事は多少は「天狗」だったのかもしれない。
並以下の人間が並になったって、良くて「並」としか評価されないし、何も言われないのが当たり前だった。
他の寮のメンバーはなんだかんだ大学エンジョイしてた。自分は・・・
ある程度の大学に入ったら自分と周りの能力の差にショックを受ける。ありそうな話だ。
でも自分は、コンプレックスだった高校のレベルのことを無能が故に指摘されたことが精神的にきた。
でも自分はいままでそういう事にあまり熱中しないで高校時代を過ごしてしまった。
周りは恋愛もなんだかんだやってる。やってなくても笑って萌えアニメ見てる。
いろんな「楽しい事」を自分は経験しなかった。成績を上げるためっていう目的が強すぎた。
もっといろんなことをやればよかったのに、しなかった。
しなかった結果は並以下で。
自分にはそいつらよりも勉強したっていうクッソかわいいプライド(笑)しかなかった
それも潰れた。
教授が言った「いい未来」は多分来ない。ずっと人生はおんなじようなことの繰り返しなのかもしれない。
おんなじようなことを前に言われた気がする。
その未来は、今まで笑って過ごせた奴が笑って過ごす未来だし、俺がまたかわいいプライドだけを守る未来なんだろう。
大学の学生課に「辞めたい」と言ったら必死で説得されたが、その時に「仮に、留年したとしても大きい会社に入る確率は高いでしょ?」と言われたけど笑止千万だよね。
仮に就職が上手くいってもさ、
大きい会社に入ってやったぞ、っていう小さなプライドだけまた守りはじめるだけなんだから。
ゲームとか、アニメやればよかったかもしれん。彼女が居れば、そんな日々にも彩があったのかもしれん。
多分、自分は楽しい事とか異性に熱中するような心を持ってない空っぽの人間だったんだって思う。
だから耐えられなかった。
真面目(悪い文脈で)すぎっつーか、底が浅いっつーか。人間性深みがないのかな。
どうすりゃいいんだって思う。
他の元々行きたい分野に行くって言って大学を辞めて友達にも応援してもらったけど、
なんだかんだ逃げ出したみたいな面が強い。引きずった。
いや、割とマジで。
予備校がやってるみたいに、オンラインなり衛星放送なりで同じ講義を全員が受講出来ることは技術的に可能でしょ。
教養課程の英語とか数学とかなんて、大学ごとに授業してテストするなんて経費の無駄でしょ。
よい講義は数多くの学生に聴かせることが、学生の基礎能力アップにつながるし、同じ試験受けさせて同じ合格ラインで単位認定することで、質を担保できるっていう具合だ。
企業が募集だしたりするときにさ、どういう人材を探してるかを言えば、
「どこどこ大学の○○研究室がその分野で強いですね。就職希望の学生がいたら連絡しますよ。」
って具合に出来ればお互いWinWinじゃん。
なんか、協力できない理由でもあるの?
ICUみたいに独特なカリキュラムだと、他校と協調しにくいとかあるだろうけどさ、国公立にそんなものないでしょ。
建前上はポリシーとか建学の理念とかあってもさ、実際のところは放任主義か超放任主義か超超放任主義かくらいの違いしかないでしょ。
でも、「近くで見てたらもっと面白いのかなあ」は違う気がした。
あたしが一番かわいいアピールの自撮りに使われるのもなんだかなあって思うし、しょっちゅう自殺未遂とか疲れそう。
ブログにはうまいこと書いてあるけど、よくよく読んで考えたら「入学早々未成年飲酒の自殺未遂でICUに搬送されて」るんだから、大学からマークされたって仕方ないよね。
それを「偏見の目と闘う」とは…ものは書きようというか、徹底して自分を演出しているというか。
リスカ痕びっしりの腕をブログで晒しながらも、半袖の制服の接客業でバイトするその人が気になって気になって仕方がない。
それを「面白い」と評するのは侮蔑的に思えるかもしれないけれど、そういう思考をできるんだと思って純粋に興味本位で見てしまう。
何も隠さない自撮りとか載せて、でも自殺未遂で搬送されたとか電車でリスカしたとか、時々出てくる診察券の写真とか、身バレ怖くないのかな。
特徴的な学部名だから大学も分かっちゃうし、サークルのこともばっちり書いてあるし、未成年だけどお酒とかの写真しょっちゅう載ってるし、なんかもうリスクとかでかすぎ。
ブログ作っては放棄して廃墟にして、その度HNも変えてるけど絶対ランキングは辞めないし顔の写真もあるから見つけてしまう。
ちやほやされる為にはそんなに手間が必要で、しかも顔や個人情報まで晒して、それでもブログ使い捨てしなきゃいけないんだろうか。
リアルの人間関係本当はどうなってるんだろう。リアルでもそうやって使い捨てしてるんだろうか。大学でできた友達はその人をそろそろおかしいと思い始めてるんじゃないだろうか。
そういうところも含めて、よく分からないけれど捕らえて離さないというか、続きが気になって見てしまうというか。
近くにいたらたまったもんじゃないんだろうなーということは容易に想像がつく。
きっとこれからも自殺未遂繰り返したり他人を巻き込んで壊したり使い捨てしていくんだろうけど、もし自殺未遂成功して死んじゃったらちょっと、いや割とつまんなくなるだろうな。
不謹慎だけど。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
何年も前に引退・卒業した身なので現在の実行委員会の実情とは食い違った部分もあるかと。
実行委員会までも推進派の一味のような見方をされていることに対しては
顔も知らない後輩たちではあるけれども引退した先輩達に迷惑かけられてかわいそうだなーとは思っています。
彼らの立場では弁解もできないだろうので老婆心で勝手に弁解させて頂きます。
経緯は以下を参照
https://sites.google.com/site/missconhantai/
まず前提として、ICU祭実行委員会は一枚岩では無いということ。
70人からなる組織ですのでもちろん様々な意見を持った委員がいて、数々の会議の中で意見の衝突が起こっています。
おそらく今回も委員会内の会議で多くの時間を割いているのではないでしょうか。
これは反対する会の賛同者にOGBの名前がちらほら見られる事からも分かります。
https://sites.google.com/site/missconhantai/signerlist
発起人であるICUーCP9が引退後にアクションを起こしたのもおそらく
委員会の本部企画として実行するには委員会での承認や学生サービス部など障害が多すぎることにあるのではないかと。
この記事はその辺りの内情が比較的はっきりと書かれていると思います。
http://web.icu.ac.jp/cgs/2009/05/icuicucgs.html
代表者が委員会OBらしいので両者を同一視した意見を見かけますが
ほぼ間違い無く関係無いと言い切れます。もちろん内部に賛同者はいるでしょうが。
そもそもOBGの出す一般参加企画(以下、一企)というのは面倒なんです。内情を熟知しているだけに。
今回も他の問題を起こしそうな一企と同様に、大半の委員が「めんどくせーなぁ」と思っているのではないかと。
ってゆーか、もし内部で企画が持ち上がっていれば猛烈に反対する委員が出てくるだろうし
その過程で反対派も納得させられるもっとましなモノになってるはずだから!
そりゃあ出来ること出来ないこと全部わかってる人が一企を出すんだから
めんどくさい要求に対して言葉を濁すことで取り下げさせることは不可能。
結果的にOGBの一企ができることの幅が広くなる。これが贔屓と言われればそうなります。
ただし「OBだから今回の企画が通った」という認識は間違いです。
その中で食品の取り扱いや客寄せの方法、思想・宗教上問題があれば指導をしていくという形をとっています。
ですので、6月の段階で委員会の権限で一企を潰すという事は前例もなければ実行することも難しいのではないかと。
学生サービス部をはじめ学校側からクレームが付けば話は別ですが。
「じゃあ委員会は見てみぬふりをするの?」
委員会としてなんらかの意見を表明することはできるかもしれませんが
現状で何かアクションを起こすのは難しいのではないのでしょうか。
私個人としては「ろくなことにならないから、あんな一企潰してしまえ!」と思ってますが。
というのもICU−CP9の対応やさらに上の代の後輩から聞いたメンバーの性格・能力を考えると、こいつらにやらせても絶対成功しないという印象を持ったからなんですが。
しかも学外のフェミニズム活動やってる様な人たちも出張ってきてるみたいだし。
企画を潰すのは難しいけど、放置しても批判される。
そんな状況に置かれた現役の子たちはかわいそうだなぁと、それだけです。
早いとこ学生サービス部あたりが潰しにかかってくれればいいと思うし
とか、どこかに書いてあった。
そうだな。小学校高学年の頃にそういう発想があったらな、、と思った。
両親揃ってる子が羨ましかった。
元気に走り回る子が羨ましかった。
取り柄といえば、少しだけ成績が良かった。せいぜい上位10%内だが。
でも、大学行く金ないから意味ないと思った。今思えば、奨学金とかあったんだよね。
でも、喘息はよくならない。
そして、就職。
喘息は相変わらずだが、なんとかやっていけるか、と思ったが、入院。4回した。
でも最後の入院(2週間ICUで眠った)の後、発作が出なくなった。
たった1本の薬、吸入ステロイドの使い方だけで。
あれ?この薬こういうふうに使うんだ、、その薬は小学生の頃から出されていた。
発作がなくなると、不思議な感じだった。
でもこれが普通の人の毎日なんだな、これで普通に生きれるかも、と思った。
だから先に家を建てて、それから結婚して、子ども、の順番になった。
今思うと、結局、何も考えてない。
ただそうなっただけ。
結局、手持ちのカードで勝負するしかない、って書いてあったけど、
そんな事考えなくとも、みんなそうするしかないんだ。
意外とブクマされちゃったので、追記:
そう、自分でも気づいたけど、「手持ちのカードで勝負するしかない」って書いて、で自分の境遇書いただけです
その時の自分に言ってあげたいことは、
あんまり人を羨むな、
自分の境遇を嘆くな、
お前の人生そう悪くもないぞ
「今思うと、結局、何も考えてない」ってのは、手持ちのカードという意味で。
こんな境遇だから、必死で考えたよ。カードは切らないといけないんだから。
結果は、、半分空回りな感じ。
あのとき大学とか院に行ったら、どんどん求職状況悪くなる一方だった
他のカードでは、底辺私立の特待生ってのがあったなあ。どんな人生が待っていたのかな、、
実際は喘息悪化、成績低下w
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110106とhttp://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080203を読んで思った。
自分とこのブログに書くと容易に身元バレするんでこっちに書く。
僕はろくでもない中学校にいた。県下で有名な、警察もうちの中学の名前を出すとしかめ面するような学校。
そして、僕はそこの現実をとても興味深いと思い、世の中をわたるすべも覚えた。
定期試験の最中に後ろの席のヤンキーに答えを見せるのくらいは当たり前。
放課後の教室でセクースしていたヤンキーアベックを学級委員として見過ごさせていただくとか。
ヤンキー男に絡まれてたかられたらその男と肉体関係のあるヤンキー女子に頼み込んで許してもらうとか。
そういうのをたくさん覚えた。ついでにそのヤンキー女子に筆おろしをしてもらったのは秘密だ。
美形でおっぱいの形もよかった。
でも僕はそういうのが嫌で、ちょっと離れた私立男子校に入学した。
入学したはいいものの、中学校で勉強しない癖、馴れ合う癖を覚えていた僕には、
受験少年院と言われていたその男子校の生活になじむのに1年くらいかかって、
もちろんその間の成績は最底辺だった。
今思えば東大に10人も入れないごくごく中堅レベルの進学校だったんだけどね。
最終的にはその高校を首席で卒業して、たぶんちきりんさんの通った大学に後輩として入学した。
そこからが大きな違いだと思うんだけど、僕はその大学での生活をとても楽しんだ。
“選ばれた人達だけで構成される集団の嘘くささ”はひしひしと感じたものの、
その嘘くささそのものを、僕はずっと追っかけて勉強してきたんだと素直に思えた。
その嘘くささが楽しかった。
中学や高校では得られない知的な刺激が多い友人たちとの会話に、自分がこれまで知らなかった世界を見た気がした。
アルバイトもたくさんした。もちろん時給3000円の家庭教師もした。
お父さんもお母さんも僕に頭を下げたけど、当たり前だと思った。何しろ僕は頭がいいんだ。
だからKDDのオペレーターやセブンイレブンや居酒屋で働こうなんて思わなかった。
効率よく家庭教師をやり、ついでに家庭教師の派遣業みたいな会社の立ち上げに関与し、
儲けたお金はぜーんぶ青短のFカップと立教のCカップ(処女)と上智のAカップ(処女)と昭和女子のビッチと東京海上の一般職OLとJALのスチュワーデスに使っちゃったけどね。
就職活動は、法学部だったから、当然のように国家公務員試験を受けた。
だって、うちの大学にきて、国家公務員試験でないと意味ないでしょ。
民間の就職活動もしたよ。都銀が人気だったから都銀の内定ももらった。
就職活動を本格的に始める前にはBCGからもお手紙もらったよ。
僕はそれが何か知っていたので遊び半分で試験を受けに行って、準備万端のICUの女子と上智の小賢しそうな男に負けて面接で落選した。
そしてそれから10年くらい経って、今はたんなる平凡な・・・だ。特筆すべきことは僕の人生に何もなかった。
みんなが好きで、みんなが目指す道を歩いてきたのに。
やはり人生は、迷った時にはマイノリティに身を委ねるべきだ。もちろん、それにふさわしい能力を身につけていることが前提だけど。
知ってることだけ。
そのへんは、ICU 国際基督教大学(こくさいきりすときょうだいがく/ツッコミありがとう。訂正しました)っていう、キリシタンの大学と同じだと思いますよ。
創価学会の人じゃなきゃ興味を示さないだろうし、学会員じゃないから教授にしないってこともないです。
公に認められた私立大学です。
そういや知らないな…
上辺じゃないでしょうけど。
キャンパス内で勧誘とかあるの?
たぶんあるでしょうね。
学会員じゃなくても入れますので。
そういうのじゃなくてサークルの勧誘だったなら、どこの大学でもあるでしょうけど。
創価学会ってなんでそんなに人気があるの?
え、人気有るの?
ネタとしてなら大人気だと思えますけど。
何を信じてるの?
仏教における南無っていうのは、命を捧げて信仰するよっていう意味の言葉に対する当て字です。
だから、創価学会においては、妙法蓮華経が信仰の対象になります。
具体的には、ご本尊ですよね。
会長や名誉会長は尊敬の対象であっても、信仰の対象じゃないです。
ざこばさんが「(公明党の人が)落選したってことは、信仰心が足らんかったからですか?」ギャグったの、
皮肉が効いてておもしろいと思ったなぁー。
あれ?
ざこばさんでしたっけ?
でも、あれは風刺がきいてて楽しめましたねw
とか言いつつ、身近に結構学会員の人がいたりするから、安易に色々言えないんだよね。 これがまた。
創価学会というか、法華経の考え方的に「誹謗されて当たり前。なぜなら正しいから」っていうのがあります。
いろいろ言うのは、むしろ喜ばれると思いますよ。
ただ、だからといって「そういう人材の早期活用」ができるメリットが「専門知識人材の不足」のデメリットを埋められるか?というと違うだろ。ばりばりの専門学校作れば、解決できるかもしらんので、長期的にはありだが、現状では専門学校や高校にそういう方向での専門教育機能ないんだから、現行の大学を活用した方がいいだろ。専門知識を企業でトレーニングとか、もっと効率悪いしな。法経関連を中心にした民間での専門知識需要を過小にみてるんじゃないか?民間企業は「アイビーのどっか行ってMBA取ってこい」と言われてついて行けるレベルを中核人材としてたくさん必要としてるんだよ。
「上智より、ICU」は別にいいよ。「上智もICUも」だと思うけどな。判ってるんだったら、規模小さいとこ挙げてないだけ、っくらいは察しろよw
人材に関して言えば、大学生で足りない日本人の分は専門学校、高専、高卒から取らなきゃいけない。
で、早慶上智に入れる人材がその高卒のなかに埋もれてしまうかというとそうはならない。
出身高校歴が評価されるだけでなく、リア充度も高校生の方が高いので、もしかしたら競争倍率が上がるかもしれないが、
それを抜きにしても結局今まで大学でやってたことがそのまま高卒に前倒しになるだけになり、優れた人材は結局優良企業に入ることになる。
早慶上智に落ちてくる人は結局社会人から数年で大学に入り直す人もいるかもしれないので、別に早慶上智を残しておくという理由は大してないと思われる。
そしてさらに意見が合わないことに、上智を残すならICUを残したほうがいい。しかも今後の展開次第ではICUよりも秋田の国際教養大学を残したほうがいいかもしれんよ。
って国際教養大学は公立だったな。
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
需要があるのか分からないけど書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
①寮に気を付けろ
まず、寮に入ろうと思ってる方々、ICUの寮は、大変特殊です。「安い下宿」ぐらいに考えていると酷い目に遭います。
イニシエーションと称してコスプレして授業に出ることを強いられたり、普段の家事分担の他にも一年を通して行われる様々な寮行事に強制参加させられたり、プライベートな時間がほぼ消失します。勉強や趣味に打ち込みたい人は半月で発狂するでしょう。
ただし、一生忘れられない濃厚な思い出と人間関係を得られるのは間違いありません。大学でやりたいことが決まっていない人には良いかもしれません。
②一人暮らしするなら近所に
ICUは、駅から遠いです。電車で通う場合、最寄り駅の武蔵境で降りてから更にバスか自転車に乗り継ぐ必要があり、寒かったり眠かったりすると心が折れそうになります。一人暮らしなら大学から自転車10分圏内に!が鉄則です。
大学周辺に住んでいる人が多いため、たまり場機能はいい具合に分散されます。積極的にたまり場にしようという意志がなければ、そこまで酷い状態にはならないはずです。
物件は、適当な不動産屋をめぐっても良いですが、学生課でも紹介してくれます。学生課で紹介してくれる物件には、「ICU生限定」のアパートもあり、安くてしかもICU生の知り合いも増えるので、何かと便利です。
家賃は、駅の近くだったら8万円くらい~駅から離れれば3万円くらいでも普通に住める部屋を借りられます。ただし、あまり駅から離れたところに住んでしまうと、4年間家と大学だけを往復する生活となり、世間から完全に隔絶されるので注意。天文台の近くに住んでいた友人は、「電車の切符の買い方を忘れた」と言ってました。
そうそう、自転車は買ったほうが良いです。大学内も自転車で移動したほうが便利だし、飲み会をする時も、店までは自転車で行くことが多いです。駅に行くときも買い物する時も、大抵自転車が必要です。三鷹市は田舎なんだぜ。
③ELPに気を付けろ
既にバイリンガルな人を除けば、入学して1年半、ELP(いんぐりしゅらーにんぐぷろぐらむ)という英語教育をひたすら受けさせられます。入学してすぐにクラス分けテストがあるのですが、このテストはがんばり過ぎないほうが良いでしょう。うっかりレベルの高いクラスに入ってしまうと、単位を取るのが大変になります。
④セクメとはそれなりに仲良くしておけ
ELPのクラスメイトをセクメ(セクションメイト)と言います。濃密な期間を一緒に過ごす仲間なので、仲良くなっておくに越したことはないです。教授や授業に関する情報源にもなります。
⑤サークルには入っておけ
横の繋がりはセクメがあるとして、縦の繋がりは、やはりサークルに入っておいたほうが良いです。先輩の情報は貴重ですし、部室があれば空き時間を潰したり、荷物を置いておいたりできて便利です。別に毎日行かなきゃいけないサークルばかりじゃありません。週1回くらい顔を出せるような場所を作っておくことは大事です。
海外留学プランが豊富にあるのがICUの特徴です。交換留学まではちょっと、という人のためには1年次の夏休みに6週間の短期留学制度が用意されているので、これくらいは参加しておいたほうが良いでしょう。ICUを出ておいて海外経験がないのはかっこつかないし、6週間でもけっこう日常会話はペラペラになるので、自信に繋がります。
ちなみに、シープロの行き先は北半球がおすすめです。時期が夏休みなので、オーストラリアやニュージーランドは真冬です。イギリスやカナダあたりにしておくと、ちょうど過ごしやすい気候になります。
小さな大学なので、サークル数も限定されており、変なのが紛れ込む余地はないです。人目につくところで勧誘しているサークルはまず大丈夫です。
武蔵境には、「油そば」という独特の汁なしラーメン文化があります。話のタネに食っておくと良いでしょう。「珍珍亭」「宝華」が有名です。
⑨眞子様のご学友になれるかも
ICUは、学生同士はファーストネームを呼び捨てにする慣習があります。もしも眞子様とセクメになったら、「グッモーニン、マコ!」と毎朝呼び捨てで挨拶する日が来るでしょう。
⑩なんだかんだ言ってぼっちにも優しい
ICUの学生は、個人主義の人が多いです。他人は他人、私は私なので、友情を口実に束縛されることはまずないです。オスマー図書館は広くて綺麗だし、新D館のコーヒーは美味しいし、バカ山で寝転がって空を眺めていると気持ちいいし、1人で本を読む場所には事欠きません。たまに1人になりたくなった時のために、自分の「お気に入りの場所」を見つけておくと良いでしょう。
俺も詳しくないですが。
まず、保険点数は世界基準でかなり安いです。日本でも自由診療なら、同内容の治療だからといって点数換算と同じ値段になるとは限りません。
海外なら、そもそもベースの医療費がまったく違います。例えばICUは日本だと点数換算で1日10万円以内。アメリカだとICUは1日50万円~150万円。韓国の場合が見つからなかったので、他力本願で申し訳ないがもし気になるなら調べてみて下さい。
元増田。なんかブクマカーにスルーされたと思ってたらいつのまにかブクマがたくさん。トラバとまとめてお返事。
トラバより
似たようなブコメもあったけど、それハナ病院の問題と直接関係ないからがっつり割愛した。
これだけだと誤解を産みそうなので補足すると、射撃場はまぎれもなく加害者だと思ってるよ。元記事書いたときはまだ火災原因が不明だったけど、それにしても防災体制に重大な過失があったことは確かだし、火災原因が発表された現在となっては、全面的に射撃場が悪いと思う。ただ、加害者にケツをもっていくのは病院の仕事じゃないし、韓国という共通キーワードだけで射撃場の咎まで病院に押しつけるような意見は、絶対にフェアじゃないと思う。
ちなみに加害者へのケツ回しは別途、保険会社と島鉄観光と雲仙市でがっつりやってもらえばいいと思う。なお、射撃場に支払い能力ないってなら、管理責任だのなんだの言って韓国政府に押し込め。そんときは日本政府手伝ってやれよな。
noroneko7 id:mo81 あのねボク。死にそうな人が目の前にいて治療するのは人として医療関係者として当然の行いなの。わかるかな?参考:ジュネーブ宣言(http://bit.ly/5HUQpf)、ヒポクラテスの誓い(http://bit.ly/m0ect) 2009/11/29
口調が失礼であったのは謝罪します。
しかし、わたしが言いたかったのは「いくら金がかかっても病院は治療するのが当然だ」ではなく、ジュネーブ宣言やヒポクラテスの誓いをあげるまでもなく死にそうになっている人が目の前にいたら誰でも助けるでしょう?(ことさらに病院がすばらしいと持ち上げるのは不自然だ)というのが趣旨です。
そもそも、韓国の病院側が治療費のかたに遺体引き渡さないなどと言わずに「これだけかかりました。なんとか支払ってください」と話しを日本側に持ちかけてくればここまでこじれなかったと思います。
ほんとに失礼だよ!その元ブコメ俺なんだよ!いや冗談、もう怒ってないですよ。謝罪ありがとうございます。ちなみに今回ハナ病院が取れた対応は:
(1) 存命患者の治療を停止する、と脅して治療費を保証させる。
の3点だったと思う。なお「これだけかかりました。なんとか支払ってください」と話しを日本側に持ちかけてくれば、というが、それはもう既に釜山市と日本領事館に依頼して、事実上断られてる。(断られたのは治療費じゃなくて債務保証だけど、ケツ持ちしないという意思表示だから同じだよね。)
この中で最も非人道的なのは(1)だと思うけど、アメリカの病院なんかでは実際に患者の放り出しやって問題になってるよね?(アメリカでどのくらい一般的な例かは知らんけど。)それでジュネーブ宣言があるから(3)の対応があたり前、感謝する必要なし、とはちょっと違うんじゃないかと。
(3)についてだって、持ち出しの金額や、債務者である島鉄観光が今回大きな経営ダメージを受けたであろうことを考えれば、そんな軽々要求できるような話ではない。
(2)の対応は単体で切り出せばもちろんひどい対応なんだけど、これらの事情を勘案せずに「この土人が」みたいなブコメつける人を見て、それは一方的すぎねえかと思ったのよ。
ブクマより
p_wiz 韓国, 火災, 医療, 国際, 海外, 旅行 韓国人遺族が請求されたのは200万円という話もあったり ⇒ http://www.chunichi.co.jp/article/world/worldtown/CK2009112502000233.html 受けた治療内容や保険が違う可能性もあるけど、実際はどうなんだろうね?
どうなんだろうね。その記事によると日本人のほうが手厚い医療体制のようだったから、その韓国の方はICUにすら入れてもらえずほんとに死亡確認程度だったのかもだし、(←ごめんこんなことその記事に書いてないな。丁重云々は韓国政府の話か)なんとも言えん。
一般論としてならICUを13日間、しかも重度熱傷だから複数回の手術あり、であれば1500万円は高くはないかなーと感覚的には思う。(アメリカだとICUだけで1日100万円とかするわけだし。)ただし海外だと交渉次第で医療費が値切れたり、という話もあるから、完全に適切な値段かどうかはどうだろ?
いずれにせよ、雲仙市が保証したのは1000万円なり1500万円の支払いではなくて「島鉄観光が治療費を支払うこと」だそうだから、「適切な治療費って何よ」については必要があれば保険会社と島鉄観光が詰めていけばいいんじゃないかな。
ブクマより
ka-wara etc 『ソースは貼るのめんどいから自分で』、増田さんは面倒臭くなくて良いが、裏を取ろうとするコッチが面倒だw(面倒なので後回しだw)。
ごめんなさい。色々調べてタブ開いたり閉じたりしてるうちにソースが散逸したの>< 次は気をつけます。
ブクマより
ragey 医療 それ(カネ払ってくれねーだろうけど全力で治療する)が日本の病院でも当たり前であることを一言書いてほしかった.拙稿を参照:b:id:entry:03955351/b:id:entry:06139880
日本の医療関係者にはほんと頭下がるよねー。ただ病院がババ引くような体制は直して欲しいよね。元記事については、痛ニュの記事についたブコメがあまりに一方的だったのであえて逆の側面を強調したので、こういうエントリを紹介してもらえるとバランス上も助かります。
大事な追記!
なんか「任意の保険に入っていなかった」を無保険と解釈して叩いてる人がいるけど、(契約の詳細はわからないけど)結果的には島鉄観光経由で2,500万円まで保証の保険には入っているようなので勘違いなきよう。(ただ病院側に直接支払われる契約でなかったので、今回のもめ事の理由の一端となった。)
「普通に旅行保険に入っていれば」というすごく語弊のある書き方した自分が悪いんで申し訳ないんだけど、任意の旅行保険でもこの事例をカバーできないような格安保険があるので、単に任意保険に入ればいいわけでなく、リスクを把握したうえで保障限度額をちゃんとチェックしてね。
「遺体返す代わりに1500万円支払え」 韓国の病院が雲仙市にまた要求…射撃場火災
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1343668.html
この件については読売が比較的いろいろ情報出てるので、ググった結果を読売中心にまとめ。ソースは貼るのめんどいから自分で「韓国射撃場 火災」とか「海外旅行 治療費」とかでググれ。
http://anond.hatelabo.jp/20091130235610
以下まとめ。
↓
・高額の治療が必要だったが、ハナ病院は人命優先でとりあえず支払い保証もデポジットもなしで治療
↓
・ハナ病院が保険会社に治療費を請求しようとしたら、被害者たちは任意の旅行保険に入っておらず
↓
・島鉄観光が自分の加入した保険でまかなうことを約束。ただし島鉄観光の保険は、病院側から直接請求できない契約。(直接の支払者は島鉄観光になるっぽ)
↓
・ハナ病院「えっ、地方の観光会社が最後の砦かよwwwないわwww何千万持ち出しで治療してると思ってんだwww」
↓
↓
・釜山市「日本の観光会社の支払いを釜山市が保証とかないわwww」
・日本領事「検討はしますwww検討はwww」(日本語で「検討しない」の意)
↓
・ハナ病院「公的保証なしで何千万も持ち出しとかないわwww雲仙市頼むww保証ないと遺体返さんwww」
↓
・雲仙市「背に腹は変えられん。もし島鉄観光がトんだら雲仙市が支払いする。でも邦人保護って本当は政府の仕事だよね?」
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・日本政府「そんなんいちいち保証してられるかwww個人の契約の話だろwww」
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・雲仙市「(個人の契約じゃなくて島鉄観光の債務の話なんだけど・・・)」
まぁ個人的には、釜山市と日本政府はもうちょい考えろと。特に釜山市、立場はわかるが観光イメージ最悪だろうに。雲仙市はGJかな。ハナ病院も遺体を返さないという手法はかなりどうかと思うが、持ち出し額を考えると仕方ない面もあるし、保証もないままここまで治療してくれたことは基本的にGJと思う。
あと海外旅行の際は必ず旅行保険に入るように。海外でICUなんて入ろうもんなら、最低でも数100万円。夢の2000万円突破なんて話だってググればいくらでも出てくる。この件についても、普通に旅行保険にさえ入っていれば、ハナ病院と保険会社の話し合いだけで済んだことだった模様。
ちなみに、まだ入院中の方については治療費が保険限度額の2500万円を超える可能性があるため、韓国観光協会が韓国で募金を企画中とのこと。さてどうなるか。
大事な追記!
なんか「任意の保険に入っていなかった」を無保険と解釈して叩いてる人がいるけど、(契約の詳細はわからないけど)結果的には島鉄観光経由で2,500万円まで保証の保険には入っているようなので勘違いなきよう。(ただ病院側に直接支払われる契約でなかったので、今回のもめ事の理由の一端となった。)
「普通に旅行保険に入っていれば」というすごく語弊のある書き方した自分が悪いんで申し訳ないんだけど、任意の旅行保険でもこの事例をカバーできないような格安保険があるので、単に任意保険に入ればいいわけでなく、リスクを把握したうえで保障限度額をちゃんとチェックしてね。