はてなキーワード: ウトウトとは
当時俺は彼女と同棲していて、彼女は猫が大好きで毎日猫の動画を観ていた。
休憩時間のお昼休み。今日がエイプリルフールだってことを思い出すと彼女に冗談でメッセージを送った。
彼女はすぐに返事をよこし、えらく興奮した様子だった。
写真も要求されたのでネットで拾った適当な写真を送り、彼女はかわいい!とすぐに返事をしてきた。
そして、その子のことどうするの?と矢継ぎ早に聞いてきた。
「うちで飼うのはどうかな?」そう返すと彼女は歓喜し、本当に喜んでいるみたいだった。
なんだか嘘だと打ち明けにくくなってきていて、少しすると猫のご飯やらお皿やら猫のトイレやら色々な写真が送られてきた。
一通り買ってきたから準備は出来てるよ!と彼女から連絡が来た時にはいよいよ肝を冷やし、どうしたものかと内心非常に焦った。
これはもう後には引けないな、それなら…決心すると仕事帰りペットショップに寄り、送った写真に一番似ている猫を引き取った。
段ボールは軽くて子猫は大人しく、可愛かった。既に疲れているのかウトウトしていて気付けば眠りに落ちていた。起こさないよう、慎重に家まで運んだ。
家に着くと彼女が満面の笑みで出迎え、子猫を見ると声を上げそうになっていたけど寝ている姿を見て我慢した。
俺たちはスヤスヤ眠る子猫を見守り、この子の誕生日は引き取った日にすることにした。
だから今日。4月1日はあいつの誕生日だ。きっと妻がご馳走を用意している。
もしエイプリルフールがなければ俺の人生は変わっていただろう。
そう考えると、俺は嘘に感謝したいと思った。
似たようなことを言っている人を見かけ当時を思い出したので書き散らし。
10年くらい前だが独身の無能でヒステリーな上司とSNSで評された事がある。
そう言われてることを知ったのは、その人が私に対しての愚痴をSNSで吐き、ちょっとバズって他の社員がその人の他の投稿の私物やネイルやらで、誰が誰のことを言っているのか特定して、報告してくれたからだ。
実際はというと独身ではなく既婚で当時3歳の子供もいた。苗字は旦那ではなく私側にしており、時短勤務などもせず残業も普通にしていた。また家庭の話もしないし指輪もつけていないので、既婚だとは確かに思われなかっただろうと思う。
その人がSNSにそのような投稿をし始めたのは子供を産んでからだった。もちろん子育てしながらの仕事は大変だし、時短勤務であろうと退職せずに働いてくれるだけありがたいと思っていた。もちろん仕事の量も減らし、減らした分は私が対応していた。
私が無能かどうかであるが、実際はわからない。同僚や上の役職の人からは私の働きぶりを評価してもらう事は多かったが、部下からしたら実際は無能な可能性もあるので、否定はできない。マネジメントの講習開かないか?と声をかけられることもあったが、実際は人の管理をする事はずっと苦手だと思っているし、人の管理については自分も無能だなと思っている。
ヒステリーについては自分ではヒステリーだとはあまり思ってはない。
仕事ができない、失敗したとかでは怒ることは無い。
そのSNSに投稿した人については、就業時間中に寝る、席を外す時間が長い、他部署の同期を捕まえて長話をする(他部署からクレーム有)、などの行動が見受けられ出産をする前からちょくちょく注意していた。
出産後は就業時間中に寝る、長話をするが顕著になり多少厳しく言うこともあった。
仕事と育児の両立で眠くなってしまうのもわかるが、ウトウトするなどではなく堂々と席で突っ伏して寝たりとさすがに目に余ることも多かった。
増田さんは独身だし子供いないから大変さが分からないと言われたこともあったが大変さがわかる分からないに独身既婚/子なし子ありは関係ないので、そういう言い方はダメだと言ったこともある。
SNSくらいでは言いたいこと言いたいだろうし、社名や名前がバレて不利益を被る訳では無いのなら放置のでいいと思ったので。
ただ、仕事量は減らした。もともと時短で減らした後の仕事量も仕事できる新入社員並の量であったが、それも完了することが殆どなかったので、本人と面談を重ねた結果仕事量では育児との両立は難しいと判断したためだ。その結果その会社ではキャリアを詰むことが出来ず退職した。
退職する時もSNSにキャリアを詰ませてくれなかったなどと書いていた。
ただ、子供を産んだ女の人がしっかりキャリアを詰むのは大変だとおもう。
私がキャリアを詰めたのは、実家や旦那にかなり育児を任せたし、保育園なども運良く入れた。たまたま実家や旦那が協力的で、人よりちょっと仕事が得意だったのと、体力と精神的体力があったので時短勤務等せずに働けたからだ。
車を持っている友人からたまに「どこか出かけよう」とドライブの誘いがある。そして日帰りで海や山に行く。それなりに楽しかった。
居眠り運転だ。
多くの場合は帰り道、単調な景色が続くと集中力が途切れるらしくハンドルがブレだす。平地だろうが脇が崖の山道だろうがお構いなしだ。
そうなるとこちらも気が気でなくなるので「ちょっとコンビニ寄ろう。運転代わるから。」などと言って運転を代わるのだがドライブの度に必ずそうなった。(通算5~6回。)向こうから運転代わって、とは絶対言わないがこっちで運転を代わった後は家に着くまで爆睡。どんだけ。
これはいつか死ぬな、と思った。そして最近またいつものように連絡が来たので誘いを断った。正直に「運転が怖い。たまにウトウトしててハンドルがブレてる。」と伝え、近場での飲みなら行けると伝えた。
すると「わかったー」と返事がきた。
何か他に言うことない?「ごめん」とか「え、うそ、運転そんなやばかった?」とかさ...、と思ったがその辺りで自分と友人はそもそも住んでる世界が違ったのかもなあと思うに至った。
寂しいような変な気持ち。
以上。読んでくれてありがとう。
年明けにね、犬が死んでしまった。近々別れが来ることは分かってた。この三年はずっと闘病してたから。本当によく頑張ってくれたと思う。
亡くなる直前まで普段と同じように甘えてきてた。私の膝の上で丸くなってウトウトしてたのが、すビクッと痙攣して、その数秒後には全身の力が抜けて、どう説明したら良いのか分からないんだけど、その時に「ああ、お別れなんだな」と感じた。呼吸が完全に止まるまで、できるだけ普段と同じように頭を撫で続けた。頑張ったね。お疲れ様だったね。治してあげられなくてごめんね。一緒にいてくれてありがとうね。少しでも聞こえているならと思って、そんな言葉をかけ続けた。
その後仕事だなんだでバタバタしているのだけど、ふと落ち着いた瞬間に犬とすごした楽しい思い出ばかり思い浮かべてしまう。夜更かししてると「眠いからそろそろベッドにおいでよ」と呼びにきてくれたし、落ち込んでる時にはひたすら隣にいてくれたし、散歩の時は絶対にリードを引っ張らず私の横を私のペースに合わせて歩いてくれた。そういう時々の仕草や表情や匂いを思い出して、その度に涙がボロボロ出てくる。
私はあの子からとんでもない量の喜びと幸せをもらった。私はあの子の生涯を幸せにできたのだろうか。ベッドに横になっても顔の隣にあの子はいなくて、あの子の匂いもしなくて、寝息も聞こえない。だからこんな時間にスマホを触ってる。
できることは全部やったと思う。動物病院の先生もとても良くしてくれた。闘病生活は初めから治ることのない病気でいかに軟着陸に持っていくかというアレだったから、恐らく理想的な経過といって差し支えなかろう。彼は少なくとも、長く苦しむことなく死ねたと思う。それでもすごく悲しいし、寂しい。
そのうち彼の生活の痕跡を少しずつ片付けていかなくてはならない。いつまでもそのままにしておくわけにはいかないから。でも今はまだ手をつけることが出来ない。こんなに悲しいのか。こんなに寂しいのか。動物と生活することを選んだことに後悔はないけれど、それでも悲しさと寂しさに押しつぶされてしまいそうだ。
my new gear 、ではない。購入は数年前。
若い頃は「布団入ればそのうち温かくなるし」で何とかなってた。
年を重ねるにつれ、足先が冷えるように。
数年前の冬の夜、布団でウトウトしてたら足先に冷たい物が触れて目を覚ます。
足先に触れた冷たいモノ、もう片方の自分の足だった。
電気行火の導入を決意。
昔々に使ってた平形(ハードタイプ)の電気あんか、上向いて寝る時は踵しか温まらず、横向いて寝ると足の側面しか温まらずであまり具合良くなく。結局は使わなくなってた。
ソフトタイプの電気あんか、ペラい座布団程度の硬さである程度自在に曲げられ、寝る姿勢の足に追従させられる。
温度調節できる電気あんか、温度調節ダイヤルが本体に付いてる製品が殆ど。
微妙な温度調節を足でダイヤル操作できれば良いが、そうじゃなければ温度調節の度に足元のダイヤルに手を伸ばす必要が。面倒。
上記のパナの商品ならコード途中に電源ON/OFF兼温度調節ダイヤルが付いてて手元で操作できる。便利。
電気あんかの類で手元操作できる製品、パナのこれくらいしかなかった。
昨夜ふつうに彼女に腕枕しながら電気を消して眠りについたんだが。
無防備な寝顔の彼女を見ているとなんだか更にムラムラしてきた。
ダメ元で?というかなんというか
そしたら彼女は起きたのか寝ぼけてるのかわからないが、うなりながら揉んでくれた。
そうなるとあっという間にフルボッキしてしまった。
「いれたいよ〜!!」
そういうと妻は、
「しかたないなあ」と言って、寝返りを打ってパンツを脱いでおしりを差し出してくれた。
濡れていなかったけど、彼女の名器は俺のイチモツをグッポリと受け入れてくれた。
「あっイキそう」と思ったときにはもうイッてた。
妻はそのまま眠った。
優しすぎるだろう。と思った。
最近喧嘩ばかりだったけど、彼女はなんだかんだ俺を心のそこからは拒絶しない。否定もしない。
口が達者な妻なので言い負かされてばかりだし、正論ばかりでロジハラしてくるし、喧嘩すると俺ばかりダメージを負う。
ような気がしていたが、彼女は俺を傷つけようという意図があることは言わない。暴論も言わない。むしろ俺のほうが幼稚な悪態で彼女を傷つけている。
彼女からセックスやキスやスキンシップを拒まれたことは、一度もない。
クソ前妻とは大違いだ。
それについては "股間隠さなきゃってなるような制御不能の勃起なんて朝勃ちみたいなウトウト状態から覚醒したときに起きるやつくらいなもんで" と書いた通りすごくよく分かる
勃起に対する解像度が低いというか、ちょっと違うなって思ってる。
山田が中に水着着てるとこ見て即「ムクムクムクッ!やべっ(コカンカクシー」とはならんやろ。
なんならホテル行って山田が素っ裸になったとしても見ただけで即座には勃たんよ。
「透け水着の状態で横に座って密着された」とか、「山田の裸を想像する」とかでムクムクするのはまだわかるけどな。作中に出てくる勃起股間隠しシーンはどうにも違和感がある。
股間隠さなきゃってなるような制御不能の勃起なんて朝勃ちみたいなウトウト状態から覚醒したときに起きるやつくらいなもんで、裸で女とイチャイチャしてたって股間に直接刺激を与えてなきゃギンギンにはならんよ普通。
今までは徹夜をすることで簡単に1日を伸ばすことが出来ると思ってた。
でもそれは違った。
授業中に寝たり、仕事中にボーっとしてたり、そういうことで少しずつツケを払っていただけなんだ。
ポケモンスリープをやってから、俺は1日として与えられた24時間に沢山の「税率」のようなものがかけられていることをようやく理解した。
8時間寝て、トイレやお風呂に1時間使って、食事に1時間半使って、移動、着替え、アレコレやってるうちに残り12時間程度になってしまう。
この中から仕事に使う時間と遊びに使う時間とメールチェックとを振り分けていかなきゃいけない。
残業して家に帰ってきて、筋トレしてニュースを見てトレンドを追って、そしてもう遊ぶ時間なんて無くなってる。
ポケモンスリープをやるまで、睡眠時間を削ることで遊ぶ時間を作っていた。
そのことを今やっと強く自覚したよ。
寝るまでのウトウトしながらベットの上で反省会をするだけの時間が完全に無駄で、それを少しでも短くするために気絶するように眠れるまで遊んでから4時間か5時間だけ寝ていた。
それじゃ駄目なんだろうなと薄々気づいていたけど、それを本気で理解しようとは思わなかった。
ちゃんと8時間寝るようになって、人生ってこんなに短いんだなってようやく分かってきた。
学びがあった。
学びの果てに別れがあった。
守破離だ。
美しいゲームだったと思うよ。
国の極秘プロジェクトの最先端原子力技術研究所みたいな施設に招かれた。
施設の中の黒塗りの自動扉の向こうには、サッカーのフィールドくらいあるどでかい重力制御装置があり、そこで実験を行うのだとボスから説明を受ける。
自分はその時とんでもなく眠くて、説明中もずっとウトウトしていた。
普段は茶目っ気のある小太りのボスに「大丈夫か?気分が悪いなら休め」と言われた。厳重な顔で、怒りと呆れが入り混じったような声色だった。やる気がないなら帰れ、役立たず、とでも言われた気分になった。自分は「いえ大丈夫です」と答えた。
我々は宇宙服のような衣服に着替え始めた。これは一人で着脱可能なモデルだった。
しかしここでも眠気には抗えなかった。留め具を全てしっかり固定するように、と言われたが、その手順を半分以上聞いておらず、全然できなかった。自分の留め具はまだ半分以上残っていた。他の3人はすでに準備完了といった感じで、ボスと雑談をしていた。
このまま行ったら流石に怒られるよな…と思ってやめた。もう間に合わないだろうと思った。
そして気がつけば周りに人がいなくなっていた。すでに実験はスタートしたようだ。ああどうしよう、と思った。
仕方なく、実験中の扉の前でウロウロしていた。ここは長さ100m幅4m程の広々とした廊下で、扉の向かいは全面ガラス張りになっており、緑の木々たちを眺めることができた。
すると突然揺れが起こった。世界の終わりのような巨大な揺れだった。警報がけたたましく鳴り出した。
「実験が失敗したんだ!」自分は嬉しいような悲しいような気持ちになった。同時に死を覚悟した。
きっとこの実験扉の向こうでは崩壊が始まっているのだろう。もはや逃れることはできない。
揺れが徐々に激しくなった。
天井が崩落して押しつぶされるのだろうか、扉の向こうの熱線に焼かれて消えるのだろうか、そんなことを考えていたら、全身が首からどろっと溶けるような感覚に襲われ、目の前が真っ暗になった。(起床)
俺「えっと輸液を…あ、採血も…そのあとCTで…歩いても痛くはないそうなのですが…えっと…」
看護師「だ!か!ら!どうして欲しいのかちゃんと教えてください!」
俺「すいません!採血と輸液を投与してからCTとエコーをお願いします!」
俺「僕です!」
指導医「ふざけたカメラワークしやがって!当直明けだからって手抜くんじゃねえぞ!」
俺「すいません!」
俺「始めます…!」
先輩「どうした?声門に何かあるか?」
俺「……(これか)」
先輩「ばか!声門に突っ込むな!殺す気か!戻せ!戻せ!」
俺「はい!今日はここまでです!リスニングは今から少しづつでも良いので慣れておきましょう!何か質問ある人〜」
俺「あはは〜」
俺「あはは〜」
朝のんびり起きて温かい白湯いれて窓から空見ながらチビチビ飲みつつ図書館で借りてきた本読んで、昼間は散歩がてら地元のクソ安スーパーいって最低限度の食料を買ってマイバッグに詰め込んで、家帰って軽く軽食取って、昼寝して、起きたらストレッチして、借りてきた本の続き読んで、日が暮れたら晩飯の用意して、筋トレして、シャワーあびて、用意した晩飯食って、温かい白湯飲んで、布団に入って、本の続きを読んで、ウトウトしながら眠りにつく。そんな日々を繰り返す妄想に一歩でも近づきたくて、食事は1日2色にして、食費も月1万で抑えられるようになった。なんか生命エネルギーが日に日に衰えていく感覚があるが、そんな生活を迎えられるという妄想をするだけで心の安寧が保たれる。
タイトル通り。
加えて私ら親はオッサンとオバハン。
唯一の救いは、お互いに安定した収入がある事。
だが、その額は決して高くは無い…。
残るのは微々たる物しか無い。
給料日当日、払うものを分けて薄っぺらくなった自分の給与封筒を持った夫が言った。
「…俺は支払いの為に働いているのかもしれない…」
それでも、楽しみながら節約レシピを参考にしては、新しい物に挑戦してみたりする。
作ったげようか?!もやしは安いし!」
そんな私に長女は穏やかに
「いいね、美味しそうだね」と答えてくれる。
そこに縦にも横にも急成長している男子が返答する。
「んじゃ、オレは肉」
だが、確かにもやしだけでは栄養がと考えさせられ、仕方なく肉を自分以外の家族全員分を買いにスーパーへ走るのである。
そんな毎日に、金を貯めるなんて余裕は本当に無かった。
この十数年の間に受験やら入学、卒業、そんなイベントの度に幾ばくかの貯金も底をつくことを繰り返して来た。
だから、タイトルにある家を買うなんて事は、夢のまた夢であり、憧れでしか無かったのだ。
それに、オンボロ貸家で暮らすこの日々は、不便もあったがそんなに悪く無かった。
近所の人に恵まれた事や、小さいながらも庭がある事。
薄すぎる壁のおかげで外の音もよく聞こえる。
夫の車の音もしっかりと聞こえたし、子供達の登校時の笑い声や、帰宅途中の元気な足音、すずめの鳴き声、行き交う人々の何気ない雑談。
私の住む地域は降雪量がそれなりにある場所で、冬はどうしたって厳しい。
何よりもしんどいのは夜、眠りにつこうとする時だ。
家族全員が眠りについてから、家事を終えた私は下の子の布団に入る。
この時点で寒過ぎる。
ストーブはついているのに、冷気がものすごい勢いで入ってくる。
そっと下の子の頬に手を当てると、もう冷え冷えになっている。
生きてるよね?!のレベルで、腹の動きを見て呼吸を確かめてしまうほどだ。
今でこんなに冷たくなっていては、夜中はどうなるのか。低体温になってしまうのでは無いかと不安になり、居ても立っても居られず冷気の入る場所を探り出す。
ここだ!と思ったのは、やはりドアの隙間。
一応クッション性のあるテープは貼られているものの、年数が経って冷風が吹き出しているでは無いか。
パッと部屋を見渡したら、使ってなかったマフラーが落ちていた。
我が家の2歳になる女児は、物色職人として日々働いている為、色々な所に色々な物が引っ張り出されている。
いつもであればヒステリックグラマーと化して片付けておくのだが、何度閉まっても出てくるマフラーを諦めていたのが幸いだった。
挟めてやった。
ものすごい発明だ、冷気には長い布だと自己満足し、さて寝るか…と思ったのも束の間、布団に入ろうとした私を吹き付ける更なる冷気を感じる。
確認。
ああ、もうダメだ。
ドアの四方全てから冷気が出てやがるとがっかりした。が、そんな事で諦める私では無かった。
外気温とほぼ変わらなくなった居間に行き、工具箱からマスキングテープを取り出す。
そしてドアの隙間という隙間にマステを貼りまくり、冷気・シャットアウト!!
何この達成感。
diyってこういう事なんだ、癖になりそう(後に違う事を確認)
自信を持って布団に入る。
後は安眠するだけでは無いか、冬に圧勝したと思ったその時だった。
………鼻が寒い…
下の子もやはり温まって来ない。
なぜ…?
せっかく入った布団から上半身を出し、ティッシュの切れ端を片手に冷気を探る。
「ヒュ〜〜………」
微かに冷気の音がする。
どこだ…どこなんだ…まさか…
そう、ドア横にあるコンセントの穴から、冷気どころか寒風が流れ出ている!!!
けれど、コンセント自体劣化していて、そこにテープを直張りする勇気など無かった私は、おもちゃ箱や授乳クッションを積み重ね、言うなればブルーメン音楽隊工法で冷気を横に逃す事にしたのだ。
寒い事は変わらないが、直接当たるより良いだろう…。
眠さも寒さも限界だった…。
もう布団に入るのは何度目だろうか、
二度と朝まで布団から出るまい。
「テーレーレーレーレーーレレーーー♪」
手は届かないだろうと確信していたが、今、上下逆になって足で延長を押すのはきっと無理だよなと色々悩んだ末、布団から出て行った。
ただの厄日だったかもしれない。
だが、私は決意した。
家買うと。
手を加えるにしても、また小金が掛かる。
潮時だ…。
きっかけはそんなこんなで、家を買いました。
今月とうとう引越しです。
嬉しいのと、寂しいのと、冷気への苛立ちと…
この気持ちを残しておこうと思い立って、書いてみた次第です。