はてなキーワード: アメ車とは
トヨタ パブリカトラックは、1961年から1988年まで生産された小型貨物自動車です。幌なしと幌付きの2種類があり、荷台の長さは1270mm、幅は1145mm、最大積載量は400kgです。
トラックには幌なしと幌付きの2種があり、ともに長さ1270mm、幅1145mmの荷台を得て、最大積載量を400kgとしている。
パブリカは、1955年に発表された国民車構想に基づき、6年がかりで開発された小型大衆乗用車です。公募で選ばれた“パブリック・カー”を意味する造語で、1961年1月から1969年1月まで生産されました。
パブリカトラックのエンジン改造事例としては、エンジン周囲の部品を外してエンジンを下ろし、予備のエンジン部品を洗い出し発注するというものがあります。また、バッテリー台を修理してバッテリーを取り付け、ガソリンを入れて漏れ点検し、冷却水を入れてエンジンを始動するというものもあります。
パブリカトラックのアメ車風カスタムには、ホイールやフロントリップ・ハーフスポイラー、フロントグリル、マフラー、車高調キット、ヘッドランプなどのパーツが使用されます。また、タイヤやエアロ、サスペンション、ライト、LED、シート、ステアリング、シフトノブ、スピーカーなどもカスタムパーツとして使用されます。
仕事柄で老若男女さまざまな人と知り合うのだけど、
俺は童貞だしその手の話に耐性がないので口数が減ると
「女居ないとこでカッコつけんなよ笑」
「済まし顔してるけどムッツリだろ笑」
「実際のところ裏では楽しんでるくせにさ笑」
会話してると↑みたいな雰囲気をプンプン出してくる。
彼等からすると女っ気が無い男など死人も同然だ。
立場上絶対浮気できない人もAVや風俗等をこよなく愛している。
俺みたいな弱男からすると彼等にはなりたくてもなれないし、
ぶっちゃけなりたくもないよなというのが正直なところ。
どうやって他の男たちを出し抜いて女を獲得するかを常に考えて。
いや、心の底では憧れてるのかもしれない。知らんけど。
俺は弱男という最下層に甘んじてるんだなと自覚しつつある。
そら性欲はあるけどさ、たまにシコれば事足りてるもん。
なんていうか積んでるエンジンがまるで違う気がする。
俺等みたいな原付や軽自動車は逆立ちしても追い付けるはずがない。
筋トレすりゃいいのかな、よくわかんなくなってきた。
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。
農村から政令指定都市郊外に移ったけどそこそこの美術館、映画館に出入りしたり個人経営のカフェがスペースを貸して個展やったりするのは見るね
あと地方の広い道路じゃないと俺が好きな車やバイクといったカルチャーが発展しづらいのかその辺は東京より独自に進化してる感じがある
整備の手間がかからない高級車(ポルシェ、ランボルギーニ、フェラーリ、レクサス)が東京の大黒PAやら首都高をブンブン飛ばす一方で地方では古くてボロボロのアメ車を直しながら乗ったりちょっと古いセダンを身内でローダウンしたり扁平タイヤ履かせたりしてる。地方に関してはまあそれくらいしか趣味や金の使い道がないからそうなったんだろうが、東京の車趣味の人はみんな金持ちの印象だな。資産性があるから持ってるって人も多そう
上岡龍太郎の追悼VTRの中で、2007年に横山ノックのお別れ会で見せた“別れのあいさつ”
上岡龍太郎さん、横山ノックさんへの涙と笑いに包まれた“別れのあいさつ”『Nキャス』で放送【ほぼ全文】 | ORICON NEWS
上岡龍太郎が横山ノックの愛車遍歴をすらすら語る中で、「運転手付きのダッジ・ダート」が気になった。
ダッジ・ダートってアメリカ本国だと大衆ブランドのコンパクトな大衆車なんだけど。
けして運転手付きで乗るような車じゃない。日本車で例えると「運転手付きのカローラ」くらいの違和感。
初代ダートはフルサイズの大型車だけど、アルファ ロメオ・ジュリアスプリントベローチェ(1965年発売)から乗り換えたと上岡龍太郎は言ってるから、1963年式以降のコンパクトな小型車(米国基準では)になってからのダートだろう、多分。
売れっ子芸人になってからの横山ノックがわざわざ中古買うとは思えんし。
1960~70年代頃まではガイシャの高級車と言えばドイツ車よりアメ車だった、ってのは話としては知ってるがダッジ・ダートまで高級車扱いされてたの?
当時でもGMの高級ブランドのキャデラックやフォードの高級ブランドのリンカーンが正規輸入されてたのに、そっち選ばなかった理由がわからん。
当時は安全自動車株式会社がダッジの正規代理店で、同じクライスラーの高級ブランドのインペリアルも輸入してたのに、そっち選ばなかった理由がわからん。
当時、横山ノックは十分売れてたから「ダッジは手が届いたが、キャデラックやリンカーンやインペリアルは無理だった」てわけでもなさそうだし。