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2022-10-01

素麺の産地と風土記記述の話

素麺といえば、個人的には島原半島のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のもの品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。

最近では、女優満島ひかり南島原市公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。

島原半島素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内小豆島出身の人々がいたこから、彼らが島原半島素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。

史料の有無や民間伝承真実性は、専門家ではないか判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。

中央部にある雲仙普賢岳高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである

この島原半島南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市半島北部東部南部を結ぶ、左右反転のC字形半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である

現在市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかたかである

そうめんの町」という文字建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島南側地帯には、海の近くで小高丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。

別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もないさな神社である境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である確認した。技術革新、すごい。

よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。

配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。

神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺三輪山へ通ず」といったところか。

それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである

しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである肥前風土記』にある、次のような記述を思い出した。

景行天皇が、現在熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。

この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社島原半島分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しか最近自分記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである確認大事

残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。

もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社島原半島分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたか安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由妄想とは魅力的なものということである

さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。

件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前風土記』には記されている。日本古典文学大系注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山神体山信仰類似しているので、面白いである。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。

このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島地名南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島島原市雲仙市南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。

しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰のものは、これからも人々の精神地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。

【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603

2014-09-14

ノーベル賞受賞者の生まれ、育ち、血筋、親の出身、最終学歴データ

ノーベル賞出身関係

2011年までの日本ノーベル賞受賞者18人の出自

人物名 国内最終学歴 出身生育地

鈴木章 ─── 北海道大 ─ 北海道まれ北海道育ち

田中耕一 ── 東北大 ── 富山県まれ富山県育ち

南部陽一郎東京大 ── 東京都生まれ福井県育ち

小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県まれ神奈川県東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)

小林誠 ─── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

益川敏英 ── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

利根川進 ── 京都大 ── 愛知県まれ富山県東京都育ち(小学校富山/中学から東京

白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)

朝永振一郎京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都

湯川秀樹 ── 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち

下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)

福井謙一 ── 京都大 ── 奈良県まれ大阪府育ち

江崎玲於奈東京大 ── 大阪府まれ京都府育ち

川端康成 ── 東京大 ── 大阪府まれ大阪府育ち

野依良治 ── 京都大 ── 兵庫県まれ兵庫府育ち

佐藤栄作 ── 東京大 ── 山口県まれ山口県育ち

大江健三郎東京大 ── 愛媛県まれ愛媛県育ち

根岸英一 ── 東京大 ── 満州国まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川

国内最終学歴

東京大7

京都大5

名古屋大2

北大東北大・東工大長崎大1

■生まれ

東京都愛知県4

大阪府2

北海道富山県兵庫県奈良県愛媛県山口県満州国1

■育ち

京都府3

東京都神奈川県富山県愛知県大阪府2

北海道福井県岐阜県長崎県兵庫県愛媛県山口県1

http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正

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湯川秀樹(出生地東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった

朝永振一郎(出生地東京都)親は長崎県埼玉県

江崎玲於奈(出生地大阪府)親は大阪府三重県 ※助手アイデアパクリ

福井謙一(出生地奈良県

利根川進(出生地愛知県)親は広島鳥取青森

白川英樹(出生地東京都)両親は岐阜県

野依良治(出生地兵庫県)親は長野県福岡県

小柴昌俊(出生地愛知県)両親は千葉県

田中耕一(出生地富山県

南部陽一郎(出生地東京都)親は福井県福島県

小林誠(出生地愛知県

益川敏英(出生地愛知県

下村脩(出生地京都府)両親は長崎県

根岸英一(出生地満州)親は東京都

鈴木章(出生地北海道)両親は山形県

山中伸弥(出生地大阪府)親は福井県兵庫県

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湯川秀樹和歌山田辺藩紀州藩

朝永振一郎(父・長崎大村藩、母・埼玉川越藩)

江崎玲於奈大阪)親は大阪三重

福井謙一奈良

利根川進愛知県出身)親は広島鳥取青森

白川英樹東京都出身)両親は岐阜県

野依良治(父・長野、母・福岡)父の仕事関係兵庫県で育つ

小柴昌俊(両親とも千葉)父が豊橋連隊所属のため豊橋まれ

田中耕一富山

南部陽一郎(父・福井、母・福島関東大震災に遭い福井移住

小林誠愛知

益川敏英愛知

下村脩京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都まれ

根岸英一満州)親は東京都本籍日本橋目黒根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住

鈴木章(両親とも山形から北海道移住

山中伸弥大阪府出身)親は福井県兵庫県

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小柴昌俊

わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県豊橋で生まれた。軍人だった父の

小柴俊男がそのころ豊橋陸軍第18連隊所属していたからだ。

小柴昌俊物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社

母親は、はやといって、千葉木更津農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、

父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉館山

まれから誰か紹介する人でもいたのだろう。

父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋小僧代わりに働きながら

学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要陸軍学校へ進んだらしい。

小柴昌俊私の履歴書 科学求道者日経ビジネス人文庫

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野依良治

祖父の塩川三四郎は1873年生まれ政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部

卒業した。そして、渡辺千秋長野県出身)の次女・千夏と結婚した。

「野依」は母方の血筋で、福岡県東部築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ

庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。

野依良治私の履歴書 事実真実の敵なり』日本経済新聞社

祖父:塩川三四郎 長野

父:野依金城 上京

http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm

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下村脩

>父の生家は長崎県雲仙市瑞穂町にあり代々庄屋を勤めた名家

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9

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朝永振一郎の父三十郎は、東京真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。

(『素粒子世界を拓く』京都大学学術出版会

朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県まれで、

おやじ長崎まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では

東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎みすず書房

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南部陽一郎

私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。

母は福島県出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。

(『ほがらかな探究 南部陽一郎福井新聞社

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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが

同じ貧乏侍の利根川という叔父子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。

家内の父方は弘前藩士青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー

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鈴木章

北大理学部受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。

恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ

山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男鈴木さんは16歳だった。

(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身

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2009-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20091129035741

元増田。なんかブクマカーにスルーされたと思ってたらいつのまにかブクマがたくさん。トラバとまとめてお返事。

 

トラバより

本来加害者負担になるべきだけど問題の射撃場保険に入ってなかったから支払い能力がない、ってのが抜けてない?

似たようなブコメもあったけど、それハナ病院の問題と直接関係ないからがっつり割愛した。

これだけだと誤解を産みそうなので補足すると、射撃場はまぎれもなく加害者だと思ってるよ。元記事書いたときはまだ火災原因が不明だったけど、それにしても防災体制に重大な過失があったことは確かだし、火災原因が発表された現在となっては、全面的に射撃場が悪いと思う。ただ、加害者にケツをもっていくのは病院仕事じゃないし、韓国という共通キーワードだけで射撃場の咎まで病院に押しつけるような意見は、絶対にフェアじゃないと思う。

ちなみに加害者へのケツ回しは別途、保険会社島鉄観光雲仙市でがっつりやってもらえばいいと思う。なお、射撃場に支払い能力ないってなら、管理責任だのなんだの言って韓国政府に押し込め。そんときは日本政府手伝ってやれよな。

 

トラバと、関連する痛ニュのブコメより

noroneko7 id:mo81 あのねボク。死にそうな人が目の前にいて治療するのは人として医療関係者として当然の行いなの。わかるかな?参考:ジュネーブ宣言(http://bit.ly/5HUQpf)、ヒポクラテスの誓い(http://bit.ly/m0ect) 2009/11/29

口調が失礼であったのは謝罪します。

しかし、わたしが言いたかったのは「いくら金がかかっても病院治療するのが当然だ」ではなく、ジュネーブ宣言やヒポクラテスの誓いをあげるまでもなく死にそうになっている人が目の前にいたら誰でも助けるでしょう?(ことさらに病院がすばらしいと持ち上げるのは不自然だ)というのが趣旨です。

そもそも、韓国病院側が治療費のかたに遺体引き渡さないなどと言わずに「これだけかかりました。なんとか支払ってください」と話しを日本側に持ちかけてくればここまでこじれなかったと思います。

ほんとに失礼だよ!その元ブコメ俺なんだよ!いや冗談、もう怒ってないですよ。謝罪ありがとうございます。ちなみに今回ハナ病院が取れた対応は:

 

(1) 存命患者治療を停止する、と脅して治療費保証させる。

(2) 遺体の引き渡しの条件として、治療費保証させる。

(3) 島鉄観光を信じて数千万の債権を握り続ける。

 

の3点だったと思う。なお「これだけかかりました。なんとか支払ってください」と話しを日本側に持ちかけてくれば、というが、それはもう既に釜山市と日本領事館に依頼して、事実上断られてる。(断られたのは治療費じゃなくて債務保証だけど、ケツ持ちしないという意思表示だから同じだよね。)

この中で最も非人道的なのは(1)だと思うけど、アメリカ病院なんかでは実際に患者の放り出しやって問題になってるよね?(アメリカでどのくらい一般的な例かは知らんけど。)それでジュネーブ宣言があるから(3)の対応があたり前、感謝する必要なし、とはちょっと違うんじゃないかと。

(3)についてだって、持ち出しの金額や、債務者である島鉄観光が今回大きな経営ダメージを受けたであろうことを考えれば、そんな軽々要求できるような話ではない。

(2)の対応は単体で切り出せばもちろんひどい対応なんだけど、これらの事情を勘案せずに「この土人が」みたいなブコメつける人を見て、それは一方的すぎねえかと思ったのよ。

 

ブクマより

p_wiz 韓国, 火災, 医療, 国際, 海外, 旅行 韓国人遺族が請求されたのは200万円という話もあったり ⇒ http://www.chunichi.co.jp/article/world/worldtown/CK2009112502000233.html 受けた治療内容や保険が違う可能性もあるけど、実際はどうなんだろうね?

どうなんだろうね。その記事によると日本人のほうが手厚い医療体制のようだったから、その韓国の方はICUにすら入れてもらえずほんとに死亡確認程度だったのかもだし、(←ごめんこんなことその記事に書いてないな。丁重云々は韓国政府の話か)なんとも言えん。

一般論としてならICUを13日間、しかも重度熱傷だから複数回の手術あり、であれば1500万円は高くはないかなーと感覚的には思う。(アメリカだとICUだけで1日100万円とかするわけだし。)ただし海外だと交渉次第で医療費が値切れたり、という話もあるから、完全に適切な値段かどうかはどうだろ?

いずれにせよ、雲仙市保証したのは1000万円なり1500万円の支払いではなくて「島鉄観光治療費を支払うこと」だそうだから、「適切な治療費って何よ」については必要があれば保険会社島鉄観光が詰めていけばいいんじゃないかな。

 

ブクマより

ka-wara etcソースは貼るのめんどいから自分で』、増田さんは面倒臭くなくて良いが、裏を取ろうとするコッチが面倒だw(面倒なので後回しだw)。

ごめんなさい。色々調べてタブ開いたり閉じたりしてるうちにソースが散逸したの>< 次は気をつけます。

 

ブクマより

ragey 医療 それ(カネ払ってくれねーだろうけど全力で治療する)が日本病院でも当たり前であることを一言書いてほしかった.拙稿を参照:b:id:entry:03955351/b:id:entry:06139880

日本医療関係者にはほんと頭下がるよねー。ただ病院がババ引くような体制は直して欲しいよね。元記事については、痛ニュの記事についたブコメがあまりに一方的だったのであえて逆の側面を強調したので、こういうエントリを紹介してもらえるとバランス上も助かります。

 

大事な追記!

なんか「任意の保険に入っていなかった」を無保険解釈して叩いてる人がいるけど、(契約の詳細はわからないけど)結果的には島鉄観光経由で2,500万円まで保証保険には入っているようなので勘違いなきよう。(ただ病院側に直接支払われる契約でなかったので、今回のもめ事の理由の一端となった。)

普通に旅行保険に入っていれば」というすごく語弊のある書き方した自分が悪いんで申し訳ないんだけど、任意の旅行保険でもこの事例をカバーできないような格安保険があるので、単に任意保険に入ればいいわけでなく、リスクを把握したうえで保障限度額をちゃんとチェックしてね。

2009-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20091129051011

>>・ハナ病院「公的保証なしで何千万も持ち出しとかないわwww雲仙市頼むww保証ないと遺体返さんwww」

>>持ち出し額を考えると仕方ない面もあるし、保証もないままここまで治療してくれたことは基本的にGJと思う。

 

馬鹿かお前。

>この対応が問題なんだろ。

>どこの土人国家だっつーの。

 

その対応「は」問題があると思ってるしそう書いてるよ。

でもそこ「しか」見てない人が多いから、それ以外の事情もたくさんあるってことを書いてるんだけど見えないのかな?

http://anond.hatelabo.jp/20091129035741

>・ハナ病院「公的保証なしで何千万も持ち出しとかないわwww雲仙市頼むww保証ないと遺体返さんwww」

>持ち出し額を考えると仕方ない面もあるし、保証もないままここまで治療してくれたことは基本的にGJと思う。

 

馬鹿かお前。

この対応が問題なんだろ。

どこの土人国家だっつーの。

韓国病院遺体返す代わりに1500万円支払え」の件まとめ

てか痛いニュースタイトルひどすぎだよねー。

 

遺体返す代わりに1500万円支払え」 韓国病院雲仙市にまた要求…射撃場火災

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1343668.html

 

この件については読売が比較的いろいろ情報出てるので、ググった結果を読売中心にまとめ。ソースは貼るのめんどいから自分で「韓国射撃場 火災」とか「海外旅行 治療費」とかでググれ。

ごめんなさいソース集め直したよ><

http://anond.hatelabo.jp/20091130235610

 

以下まとめ。

・全身火傷の重傷患者がハナ病院に運ばれる。

・高額の治療が必要だったが、ハナ病院は人命優先でとりあえず支払い保証デポジットもなしで治療

・ハナ病院保険会社治療費を請求しようとしたら、被害者たちは任意の旅行保険に入っておらず

島鉄観光自分の加入した保険でまかなうことを約束。ただし島鉄観光保険は、病院側から直接請求できない契約。(直接の支払者は島鉄観光になるっぽ)

・ハナ病院「えっ、地方観光会社最後の砦かよwwwないわwww何千万持ち出しで治療してると思ってんだwww」

・ハナ病院が、釜山市と韓国日本領事館に支払い保証を要求。

釜山市「日本観光会社の支払いを釜山市が保証とかないわwww」

日本領事「検討はしますwww検討はwww」(日本語で「検討しない」の意)

・ハナ病院「公的保証なしで何千万も持ち出しとかないわwww雲仙市頼むww保証ないと遺体返さんwww」

雲仙市「背に腹は変えられん。もし島鉄観光がトんだら雲仙市が支払いする。でも邦人保護って本当は政府仕事だよね?」

日本政府「そんなんいちいち保証してられるかwww個人の契約の話だろwww」

雲仙市「(個人の契約じゃなくて島鉄観光債務の話なんだけど・・・)」

 

まぁ個人的には、釜山市と日本政府はもうちょい考えろと。特に釜山市、立場はわかるが観光イメージ最悪だろうに。雲仙市GJかな。ハナ病院遺体を返さないという手法はかなりどうかと思うが、持ち出し額を考えると仕方ない面もあるし、保証もないままここまで治療してくれたことは基本的にGJと思う。

あと海外旅行の際は必ず旅行保険に入るように。海外ICUなんて入ろうもんなら、最低でも数100万円。夢の2000万円突破なんて話だってググればいくらでも出てくる。この件についても、普通に旅行保険にさえ入っていれば、ハナ病院保険会社の話し合いだけで済んだことだった模様。

ちなみに、まだ入院中の方については治療費保険限度額の2500万円を超える可能性があるため、韓国観光協会韓国募金を企画中とのこと。さてどうなるか。

 

大事な追記!

なんか「任意の保険に入っていなかった」を無保険解釈して叩いてる人がいるけど、(契約の詳細はわからないけど)結果的には島鉄観光経由で2,500万円まで保証保険には入っているようなので勘違いなきよう。(ただ病院側に直接支払われる契約でなかったので、今回のもめ事の理由の一端となった。)

普通に旅行保険に入っていれば」というすごく語弊のある書き方した自分が悪いんで申し訳ないんだけど、任意の旅行保険でもこの事例をカバーできないような格安保険があるので、単に任意保険に入ればいいわけでなく、リスクを把握したうえで保障限度額をちゃんとチェックしてね。

2009-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20091128000407

日頃のご愛顧に感謝を込めて、よりリーズナブル価格に!

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20091128/01.shtml

釜山火災治療費、日韓政府動き鈍く 雲仙市が再度保証

 韓国釜山市の射撃場火災で、同市のハナ病院入院していた原田洋平さん(37)=雲仙市吾妻町=が27日に死亡したのに伴い、病院遺体家族に引き渡す条件として、先に死亡した中尾和信さんのケースと同様に雲仙市に対し、約1500万円の治療費保証を要求した。市は日韓両政府が対応するよう求めたが、政府は「病院と遺族の間の問題」とし、積極的に解決に動かなかった。市は最終的に保証に応じた。

 雲仙市によると、保証せずとも遺体を引き渡すよう日韓両政府を通じて求めたが、病院は拒否。さらに市は「治療費には原因者負担の原則があり、出火元の射撃場が支払うべきだ」として、現地の釜山市や韓国政府保証するよう要求。しかし、韓国側は「日本ツアー会社が加入する日本保険から死亡補償金2500万円が支払われ、それが治療費に充てられる」として拒否したという。

 保証に応じた奥村慎太郎雲仙市長は「嘆き悲しんでいる家族がすぐそばにいるのに、『市は保証する義務はありません』と突っぱねられない」と話した。

 一方で市長は「海外病院から邦人の治療費の公的保証を求められたら、すべて市町村が対応しなければならないのか。在外邦人保護の義務は一義的には政府にあるのではないか」と困惑を隠さない。外務省担当者は「海外には事故入院している邦人がほかにもいる。国が個人の債務保証するようなことはできない」と言う。さらに「韓国政府に協力をお願いしているが、ハナ病院は民間なので、最終的には病院の判断に委ねるしかないのではないか」と話す。

 雲仙市幹部は「今はまだ治療費保険金の額を下回っているので、すぐに保証できる。だが治療費保険金を上回れば、市の財政負担が現実味を帯びてくる。そうなれば保証議会議決が必要になり、退院の日に即対応するのは困難」と話した。ハナ病院には現在雲仙市の笠原勝さん(37)が入院している。

難しい問題やね。

まあどちらの主張が正しいにせよ、あちらさんの印象が悪くなった事だけは確かだろうが。

射撃場火災韓国病院遺体引き取りに1000万円の保証要求 雲仙市が応じる

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091127-00000026-maiall-soci

意味が分からない。

韓国で死ぬと、遺体を引き取るのに1000万必要ってこと?

誰か教えて

 
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