はてなキーワード: 選択肢とは
☆追記あり
これ見て諸外国ではどうしてるのか気になったので調べてみた。
法務省のHPをみたら“夫婦のいずれかの氏を選択しなければならないとする制度を採用している国は、日本だけです。”
と書いてあり、そこまでだったのは意外。
Q12 外国における夫婦の「氏」に関する制度は、どうなっているのですか。
⑴ 夫婦同氏と夫婦別氏の選択を認めている国として、アメリカ合衆国(ニューヨーク州の例)、イギリス、ドイツ、ロシア、
⑵ 夫婦別氏を原則とする国として、カナダ(ケベック州の例)、韓国、中華人民共和国、フランス、
⑶ 結婚の際に夫の氏は変わらず、妻が結合氏となる国として、イタリア
があります。
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html
(ページ一番下から2番目)
また別で調べたところアメリカ、イギリス、ドイツ、中国、トルコは苗字が2つになる複合氏(姓)というものも選べるらしい。
著者名が変わってしまうと不利だから、論文発表するたびに離婚して終わったら再婚してるという例があるのは知っているが。
諸外国が軒並み別姓選択可能となると、他の仕事でも外国と関わる仕事は困る例は色々あるのだと思う。
子供の氏について
アメリカ…憲法上は子の氏に規定はなく、ケンタッキー州ではどのような氏を子につけてもよい。ジョージア州では子の氏は父母いずれか、またはその複合氏に限られる。ルイジアナ州、テネシー州では、子の氏は原則として父の氏とするが、両親の合意の上変更可能である。アリゾナ州、ワシントン州、マサチューセッツ州では、氏の長さの規定がある。テキサス州ではアクセントやウムラウトなどに制限がある。ニュージャージー州では公序良俗に反する氏は禁止されている。
中国…選択制だが伝統的に父親の氏が用いられる。最近では苗字に父親の氏、名前に母親の氏をつける例も増えている。
フランス…父母のどちらかか、両者の氏をハイフンでつないだ複合氏を選択可能にしている。夫婦が子の氏について一致できなかった際は父母の氏のアルファベット順の結合氏となる。2022年に、いかなる者も一生に一度、自身と氏の異なる親の氏に変更、あるいは自身の氏のその氏を追加することができるようになった。
ドイツ…子の氏に関しては、親権が父母それぞれにある場合には、どちらの氏とすることも可能であるが、子一人ごとに氏を変えることはできない。複合氏はできない。離婚しても子供の姓を変更出来ない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%88%A5%E5%A7%93
なんだか思ったより色々選択肢があって興味深く読んでしまった。
☆追記
読んでくれてありがとう。
複合氏(姓)自体ピンとこない人もいそうなので、調べた範囲内で説明すると
鈴木-田中というようにハイフンで繋いだり、ハイフンなしで繋いだりするもので、国によって種類があるそう。
名前の部分も国によって前に来たり後ろにきたりらしい。
トラバに両親とも複合氏(姓)だった場合、子供の氏が長くなりすぎるのでは?という疑問があって、これも少し調べてまとめたので興味があれば。
https://anond.hatelabo.jp/20240623161906
同氏、別氏、複合氏についてもっと様々な国による違いを知りたい人のために(いるか分からないけど)読みやすいまとめがあったので載せておきます。
Wikipediaが情報源だけど直接読むよりこちらの方が読みやすいので。
「うるせーバーカ」と思わず反論、アラフォーがロックTシャツは清潔感がないから部屋着にもせず捨てろと言い張る記事に一喝
https://togetter.com/li/2385379
昨日の夕方のニュースでもこれについて触れてて、思いのほか大きな話題になってて驚いた。
あれは着たらダサい、これは着たらダサい、みたいな話が出てくる度にその服が好きな人が怒るのは理解できるよ。
でも、あなた達に対して言っているわけじゃないんだから別にいいじゃん。
結局こういうのって、自分の意志で服を選べるほどファッションが好きじゃない人に向けたものでしょ?
ファッションが好きな人は人から何言われようが関係ないんだよ。
でも、その好きな服がない人にとってはそうもいかないじゃん?
だから、失敗を避けるために選択肢を狭めてあげるアドバイスはあった方がいいと思うんだよね。
自分達の好きな服が否定されたような気がして怒るのは分かるけど、だからと言ってファッションが理解できないせいで困っている人を助ける手段を否定していいわけじゃないよ。
女性のキャリア問題(仕事と出産・育児を両立させるにはどうしたらいいか?みたいな問い)が職場で話題になったり、Twitterでそれを見かけたりするたびになんか不愉快な気持ちになっていた。
で、その理由がわかった。
子供を育てるためには誰かと番わなくてはいけないが、その相手がいない。
キャリア問題について語る女性らを見ていると、贅沢者め、と思う。
少なくとも、俺より選択肢は多い。
仕事に打ち込むという道を選んでもいいし、自分の子を産み育てる尊い行いをしてもよい。
自分が恵まれた立場にいながら、欲をかいて両方どりしようとするその姿勢に、俺は腹が立っていたのだ。
彼女たちの目には、おそらく上手いこと二兎を得た同性や、あるいは出産でキャリアを途絶されない異性のことしか見えていないんだろう。
わかるよ。羨ましいよな。
でも、その目が見てないところには俺がいるんだよ。
俺も同じ羨望のまなざしを向けているよ。
俺が不愉快な気持ちになるのは、たぶん自分が眼中にないっていう状況もあるんだと思う。
女性のキャリア問題の話になると「社会や職場が悪い」みたいな構造の話になるけど、俺に彼女がいなくて結婚する見込みがないのも社会のせいにしていいか?
…おそらくそれは許されないだろう。
そういう、救われなさというか、見捨てられたような気持ちを抱きながら、職場やTwitterでは善人を演じている。
「女性は考えることが多くて大変ですよね」
夏は気軽に半袖Tシャツ着勝ちだけど
今、娘にポロシャツを着せるのにはまってて
スポーツを習っているのでそのときにかわいいポロシャツを着せたり、
娘が通う園が白いポロシャツ指定なので、丸襟で、パフスリーブで、襟にかわいい刺繍が入ってて、ボタンはお花の形をしているポロシャツを探して着せたりしてる
ポロシャツの女の子向けって探してみたら奥が深くて、花柄のものや、レースがついてるものや、ボタンが飾りボタンのものや色々あって、「ほとんどブラウスじゃん!?」という印象のポロシャツを買うのが楽しい
ポロシャツを着てスポーツをしている娘を見ると、やっぱり上品な感じがして良き~と思う。
ポロシャツというのは、胸がある女性には着こなしが難しくて、女性が着ても清掃員、ヘルパー、スーパーの店員かな?という印象になる。女性がポロシャツを着ていると、「ん? なんかお仕事中ですか?」という感じになっちゃう。
ポロシャツを着ている女性が輝いておしゃれに見えるのは、やはりゴルフ、テニス等のスポーツをしているときである
MBさんがラルフローレンの黒と白のボーダーのポロシャツを着ていて、「おしゃれ!私もほしい!」と思ったが、私がこのボーダーのポロシャツを着てもおしゃれな印象には全然ならないだろうなと考えた。
ポロシャツはおじさんっぽいとよく言われるが、半袖Tシャツを着たおじさんよりもポロシャツを着たおじさんのほうがおしゃれだと思う
私自身は1枚も自分のポロシャツを持っていないのにこんなにポロシャツについて考えているかというと、ポロシャツそのものの世界にはまっているからである
ポロシャツの世界が奥が深いからだ。そして、女性には着こなしが難しいアイテムだからこそ考えさせられてしまう
かつてゴルフではポロシャツが活躍していたのに、今ではポロシャツを着たくない若者に向けて、モックネック、ヘンリーネックなるものが売られている
こういう情報を見ちゃうとやっぱりポロシャツは嫌われているのか、日常生活でおしゃれに着こなすポロシャツというものはオワコンなのか~と思っちゃう
幼稚園では白いポロシャツを指定する文化がまだまだ続くだろうから(保育園は私服が多い印象)園児がポロシャツを着る文化はこれからも続いていくのだろう
先ほども書いた通りポロシャツは胸のある女性には着こなしが難しいアイテムであるが、幼児体型の女児はポロシャツをおしゃれに着こなす。幼稚園がポロシャツを指定してくるのは、機能面でもファッション面でも理にかなっている
今の若い人は日常で、おしゃれしたいと思ったらポロシャツよりも、襟やボタンがついたオープンカラーシャツとか柄シャツとかに手が伸びるよなー
選択的夫婦別姓がないせいで事実婚を選んだ男。まもなく子どもが生まれる、という状況の私から回答するね。
おっしゃってる気持ちはわかる。わかるんだけど、そう思うなら同氏婚を選べばいいのよ。
先に「子どもはどうなるの?」について回答すると、あなたの両親が選ばなかった姓に、あなたがどれくらいこだわるか、考えてみたらいいんじゃないかな?
少なくとも私は「へーそんな名字に、なる可能性もあったのかぁ」くらいじゃないかな。
別姓婚を選んだカップルの子どもは、その気持ちがちょっとだけ強いくらいじゃないかね?
少なくとも私達は子どもに「こういう状況で自分たちはこういう選択をした」と説明するけど、それ以上のことは子どもにはコントロール出来ないよね。だから、別に問題がないと思ってるよ。
自分にコントロール出来ない子どもの感情や気持ちのために、親の我々が何か妥協するなんてことは、基本的には考えられないね。
自分の子どもが別姓の親をもって「かわいそう」と思う気持ちがあるなら、同姓婚して家族の名字を統一すればいい。
選択的夫婦別姓はそう思わない人にも法律的な婚姻を認めることだから、そういう人は別姓婚をすればいい。
問題になっているのは、そういう選択肢がなくて我々のように事実婚を強いられている今の状況。
法律婚できないせいで妻を扶養にいれられず税金が増えて、相続ができないから公正証書を何十万もかけて作成して、夫は子どもを「認知」しなきゃならなくて(は?って気持ちだ。)、さらに子どもに対する親権もない(離婚後の共同親権はあるのに?)。
法律婚ができないせいで、こんなにも負担を強いられるのって不条理じゃない?「幸せ」ってマジョリティだけが手に入れられるの?違うよね?
核廃棄物の最終処分場っすか、それをどうにかしないと核エネルギーの利用なんて話にならないっすね。地球上に処分場を作るなら、地質的に安定している場所を選ばないといけないっすね。例えば、地下深くに埋める方法とかが検討されてるけど、反対意見も多いのが現実っす。それに未来世代に対する影響も考慮しないといけないっす。
少なくとも、今のところ明確な解決策は見つかってないけど、議論だけは進めていかないと、あとで手遅れになりかねないっす。もっとも、わたし個人としては、現実的な選択肢を早く提示して議論を終わらせ、実行に移すべきだと思ってるっすね。問題を先送りにしても何も解決しないっすよ。
東京都知事選が混迷を極めている。
保守のアイドル「小池百合子」と左派のアイドル「蓮舫」の戦いだ。
共産党の闇の力を手にした蓮舫が、絶対王者「小池百合子」に挑む。
民主主義の手によって。
これが今の日本だと、そう思う。
失われた20年が30年になり、40年に迫ろうとしている。
氷河期に陥り、その長い不況の中で自民党や、それに追従する資本家は、
日本を立て直した人々は、もういない。
あの頃は違ったのだろう。
日本には未来があった、ゼロから、マイナスから、立ち上がる未来があった。
確かに自由恋愛や、男女平等も無く、労働者の権利は今以上に弱かった。
黒部ダムの建築の如く、多くの人が見えない所で亡くなった現実も、あるだろう。
それでも、あの頃を生きた人には、
あの頃を生きた人は羨ましく、輝いていたように思う。
何も学ばない、愚息であったのか。
生き残った意味は、なんだったのか。
腐敗と堕落、慢心と楽観の中、
ただ漫然と過ごしたのならば、しらずのうちに選択肢が搾られるのは、
個人がそうであるように企業もまた、自治体も、国も、同様であろう。
もうすでに、この国に選択肢は残されていないのだと、そう思う。
今一度、立ち上がり40年に迫る遅れを取り戻す胆力も、不遇逆境の中、あらゆる汚名と損害を被ってでも尚、手にしたい未来も、
既に無い。
資本家に無いのも、政治家や、その周辺に佇む非民主主義的に滞在する者共も、同じであらう。
都民かあるいは市民の、名も無き人々に残された最後の選択肢なのかもしれない。
今、これを読む人々が、どれほど真に政策による社会変革を信じているだろうか。
それよりも望むのは腐敗した政治家と、その家族の破滅ではないか。
彼の上級国民の如く、衆愚の視線が求めるのは、傲慢と堕落に満ちた醜態を晒し、正義の名の下に捌かれる光景ではないか。
小池都政を私は評価できない身の上だから、彼女の功績の是非については語らない。
蓮舫が勝ち、そうして自民党政権が再び「お灸をすえられる」のだ。
しかし今、国民はあの時ほど、旧民主党系政党や左派連合に夢や希望を抱いている訳ではないだろう。
あの時ほど、夢と現に惚けるほど、愚かではない。
再び混迷の時代に突入して尚も、保守政党の破滅を望んでいるのである。
自民無き後、残された者たちに、国政を担う力は無い。
辛うじて生き残っていた多くの企業が、力を削がれるだろう。
残された世代も、力は無い。
あの戦後のように連帯し、明日へ向かって共生する事など不可能だろう。
辛うじて生き残った企業もまた、人を雇う力が無い。
頼みの綱であった外国人労働者も、
「人を育てる」ノウハウは失われ、同時に次の世代に何かを残す力も残されていない。
もし、それが決定的となる出来事があるとすれば、
2030年~2040年の震災か、2040年~2050年の戦争だと思う。
いずれにしても遅かれ早かれ、この二つは確実に起こる。
期待は出来ない。
そもそも自ら生き残り、私腹を肥やす事をしてきた世代の、その二世・三世だ。
日本というものに発展が見込めないのであれば、それを捨てない理由はない。
辛うじて維持されていた理性の部分が、瓦解する。
その事が否応なしに叩きつけられる。
いずれにしても、
だが、その時の日本に、
馬鹿だったなと、笑いたい。
Twitterじゃつぶやきたくないしもうあんまなんも考えたくないから視聴者なんていなさそうな増田に失礼します。知ってる人しか分からないように固有名詞はだしません。
悔しい。悔しいよ。彼女の選択は肯定したいし、素直に応援したいけど出来ない自分が悔しい。まだまだ未練たらたらでオーデ終わってから大学受験があって浪人したけどその間もずっとスマホの壁紙には彼女が微笑んでた。いつだって。悔しいときとか苦しいときとか、彼女のおかげで乗り越えられた。浪人決めたときだってそう。オーデでファイナルまで頑張ってた彼女を見て、自分もやろう。成し遂げよう。って思った。
水商売が悪いとかじゃなくて、自分が望んだ未来を押し付けて、ファンダムとして彼女を神聖視していた自分が気持ち悪かった。そしてそういう選択肢とるに至った今までの炎上やら彼女の最大の魅力でもあった不安定さを鑑みて、すごく悲しかった。申し訳なかった。2日くらいずっと何もできなくて、予備校いる間もクヨクヨしてずっとTwitter見てた。大好きだから、置かれた場所で、というか彼女がいる場所では、常にずっと彼女が一番輝いていてほしい。少しずつ彼女について言及するツイートが検索で引っかからなくなって、大手垢も少しずつ正規グルと派生グルの格差の麿をとりあげるだけに戻り始めて、現実をみられない私達ファンダムだけがまだ彼女の話をして、見えるはずのないバックボーンを想像して、ギリギリ精神を保っている。家庭環境なんてわかんないよ。多分みんなが言うような毒親じゃなくて、思ってるより普通で、少し厳格な家なんだろうと思う。もう下品な考察とかはやめよう。
とりあえず彼女が傷つかなければ、嫌な思いをしなければ良い。ただとりあえず、なんでもいい、いつになっても良いから、どうか潰れないで夢を掴んでほしい。あなたは私の希望だから。他の練習生がどれだけいい未来を勝ち取ったって、これからどんどん新しい練習生がでてきたって、私が感動したのは、泣くほど応援したのは、熱狂したのはあなただけです。もう花道だけを歩こうなんて私には言えないし、多分お店までは会いに行かないけど、応援してる気持ちは変わらないつもりです。自分勝手でごめんね。
コロンブスがアメリカを「発見」した当時のスペインの植民地政策を「エンコミエンダ制」という。
「エンコミエンダ制」は、対イスラム戦争であるレコンキスタにおいて生まれた。
指揮官は占領した土地のムスリムを働かせ、そこから利益を得ることができるが、かわりにムスリムを守り、きちんと教育しなければならない、というものだった。
前線で戦う指揮官が、現地の異教徒を皆殺しにするとか、略奪だけして放置するとか、そういうことをすると困る。
責任を持って異教徒たちを統治して、秩序を保つようにしろよ、という話なのである。
「教育」というのは、スペイン語やキリスト教の教育のことで、キリスト教の布教活動であり、一種の同化政策でもあった。
この「エンコミエンダ制」下における異教徒は、過酷な労働を強いられたが、扱いとしては「奴隷」ではなかった。
「奴隷」なら、遠い土地から連れてこられ、売り飛ばされて、個人の所有になったりするものである。
戦争の結果として捕虜になった異教徒が「奴隷」として売られるのと、戦争によって支配された土地の「先住民」を働かせるのは、異なることだったのである。
「イベリア半島をムスリムから取り返したのと同じやり方で世界中をキリスト教国にしていこうね」という流れである。
コロンブスもそういうノリで、西インド諸島に植民地を築き、先住民たちを働かせながら、キリスト教を広めていこうとしていた。
ちなみに、コロンブスの宗教的情熱は、建前ではなくかなりマジだったらしい。
つまり、少なくとも「原住民たちの信仰を尊重しつつ仲良く住み分けていきましょう」なんてことは最初から想定されていなかったわけだ。
このとき、スペインは「先住民はスペイン国民として扱う」「スペイン国民なので奴隷にしてはいけない」と言っていた。
一方で、コロンブスは「反乱を起こした先住民なら奴隷にしていいだろう」と思っていた。
コロンブスはもともと商人だったので奴隷貿易にも携わっていただろうし、「異教徒の捕虜を奴隷として売る」というのが当たり前の選択肢としてあったのだろう。
コロンブスが、先住民の捕虜を奴隷としてスペイン本国に送り、イザベル女王を怒らせた、というのはそういう話だった。
そうした出来事があり、またスペイン人植民者たちの不満が届いたことで、スペインはコロンブスのもとへ査察官を派遣した。
査察官のボバディージャは、スペイン人植民者たちの証言を集めた。
「トウモロコシを盗んだ男が耳鼻を削ぎ落とされて奴隷として売られた」「コロンブスの悪口を言った女が舌を切られて裸で引き回された」といった暴政が報告された。
コロンブスが残酷な統治をしていたかどうかは、この査察官ボバディージャの報告を信じるかどうかが大きい。
ボバディージャは、コロンブスの後釜として植民地の総督になっているので、コロンブスの悪事を誇張する動機はあった。
スペイン人植民者たちがコロンブスに不利な証言をする動機もあっただろう。
エンコミエンダ制のもとで先住民の労働を管理していたのはコロンブスだけだった。
スペイン人植民者たちは「私たちにも先住民労働者を渡せ」と要求して反乱を起こしていた。
ボバディージャはスペイン人植民者たちに味方したので、スペイン人植民者たちは彼の統治を歓迎した。
現在、コロンブス批判派は「ボバディージャの報告こそコロンブスの残虐さの動かぬ証拠だ」と主張し、コロンブス擁護派は「ボバディージャが捏造したのだ」と主張している。
ちなみに、スペイン植民地政策の批判者として有名なラス・カサスは、コロンブスの息子と親しかったので、コロンブスに対しても非常に同情的だった。
自由を体感で判断してる側からすれば無制限の事だろうけど、供給したり管理とか制限してる側からすれば「100円あれば100円分自由に買い物できるけど」って話なんだよね
50円で100円分の買い物はできないし、そもそも売らないって言われたら買えない
そのルールがあって初めて100円は買い物ができる通過として選択肢100円分を持つ「自由」なんだけどそれを持ってるからって棚を倒したり店員を恫喝したり払うつもりはあったと言って持って帰っていいわけでもない
表現の自由ってのはその名の通り「表現すること」は自由なんだよね
赤は二十歳の色!赤色Tシャツを来て自由派を気取ろう! と言うのも自由だし
「熱膨張って知ってるか?」 と言うのも自由なわけ
どう伝わるかは「発信者の自由に則るべき」とかいう不自由やルールを強いるものではないよ
100円もっていて払う気でいるから、買い物客の気持ち次第では店内の商品好き勝手して店員を奴隷扱いしてもいい、ってわけじゃない
自由なのは「100円と交換する商品は、合計で100円以内なら”なんでも”いい」というだけで「客が100円さえあれば”なんでも”していい」わけじゃない
よく間違えるよね 「放題」とか「自由」とか
もちろん表現したものが時代で変わったり不要になったりしたくなくなったということで撤回したり変更してもいい
出演していたAVを新しく販売しないようにしてほしいとか
過去の発言は間違っていたとか 方向転換しましたとかもありだし
販売を中止したり終了したり回収したりしてもいい
そんな行動を「なんのためであるか」とか「こういう光のあてかたもある」と手段を表現に使う事もできる
ただ「あのとき〇〇って言ったじゃねーか」とか「最初〇〇だったんだよねー」と間違いや訂正とか時代で変更されたものを「前のものを知ってるマウント」でまるで所有者のように振るまう人もいるよね
それも「表現の自由」にできないことはないけど、その選択をするということは「あなたが表現者になる」という事なんだよね
「あのとき最初に出した〇〇という解釈を自分はいまでも信じている」という表現者になるってことなんだよね
皆からアップデートしなよと言われる対象になること、それが表現者になるってことなんだけどそういう人に限って「オレが言ったんじゃない、あいつが昔そうだったんだ」とか言うよね
他人の事を使って自分が表現者になってるんだから「当事者が全部わるい、自分は借りただけ」なんて通じるわけがないんだよ
現在は違う過去のものを持ってきてその差異で「今との差について説明やその他付加価値の発生を求める」ってことは本人は望んでしてるわけでないのならただの「業務妨害」だったり「いやがらせ」だったりするんだよね
「それも表現だ」って言うのもありだけど、それが相互に「良いもの・楽しいもの・理解しあえるもの」でない場合は仲裁が必要で、ときに法にのっとって係争を解決する必要がでてくるわけだけど「そういうコストを支払ってでも得たい価値」がそこにあるなら「あなたに選びえる自由」だと思うよ
とにかく自由とか放題とかに、あとのりする側が自分たちの権利を主張してくるのってちょいちょい見るけど
先のMVの話で言えば「逐一全部表現してる映像の1ピクセルごとに説明を求められたら、できるのか、できないのか」って選択肢のうち「できないから、しなくてすむ方法を選んだ」ってだけなんだよね
それだけ燃焼性の高い話題性を含んだものだったから、自分たちがそこで使うのには危険だとして下げただけなんだよね
つまり財産とか追加表現とか対応窓口の大きさとか全部が、そこに残してきた人類の財産と比較して等価じゃないから必要な分を取り下げようとしたら全部だったってだけのはなし
これ
あと2つは?
一体型PCは、液晶モニターが故障した際に保証が切れていれば、修理代が高すぎて買い換えざるを得なくなる可能性が高くなります。
対してセパレート構成のPCであれば液晶モニターくらいは2万円くらいから選択肢があるので最悪、即日で代わりを買ってきて作業に戻れたりします。
色の違いが深刻な職種や趣味では悩みどころですが事務系や音楽系の用途であれば、問題は少なくすみます。
ですからiMacよりもMac miniのほうが買い換えずにすみやすいんですがそれではAppleの売上が低迷してしまいますから意図的に、AppleはMac miniを低価格製品として差別してて高性能志向でセパレート構成を求めるなら割高感の高いMac Proを選ぶことを要求しています。
たとえば、intelプロセッサーのMac miniではGPUがCPU内蔵GPUで、高度な3DCGなどに不利でしたしM1のMac miniでは、大量のメモリーを搭載するオプションがありません。
ですから、性能の面から長く使い続けられなくなることも無いとは言い切れません。
DTMなんかもソフトウェア音源をいろいろ使っていくとメモリー消費がすごいことになることで知られていますし安易にM1 Mac miniを選べないわけです。
そういう問題があって、多くのクリエイターはMacをあえて選ばず、ショップブランドPCのミニタワー型を選んでいたりします。
必要に応じて、後からメモリーを増設できることはこれからパソコンの活用を始めていく人にとって安心感がありますし「足りることを知る」という玄人の判断力を持たない人はAppleの望み通りに、短期間に買い替えに追い込まれることも仕方がないのがApple製品です。
「自分で誤読しといてそれに自分でツッコミとか、最高にクールですね!愛社精神バッチリ!」って
リリースに書いてある事を素直に読まずにCPUヲッチャー(笑)が独自解釈して妙な事を言ってるから突っ込まれてるんであって
なるほどわからんのなら、なるほどわからんて書いたら良かったんだよ
CPUヲッチャー(笑)としては突っ込まれて悔しかったんだろうが、それに合わせてググって繕ってどんどんドツボにハマってんじゃん
こう言うの見てて思うんだけど、大した罪にもならない代わりに社会に何一つ影響を与えられないパフォーマンス重視の環境活動より、
たった1人を殺すことで、国政与党とカルト宗教の癒着の暴露と公論化、裏金脱税の発覚、
それを受けての派閥解消から、政治資金規正法の改正、地方保守王国の瓦解から、都知事選での小池劣勢、