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2023-10-25

anond:20231025232547

今は弱者男性運動で同情票貰おうとしている気がする

anond:20231025123205

未婚のシングルマザーの母の一人息子だけど、普通に生きている。

母は大学中退して俺を出産し、家族とも絶縁して建設会社事務員をやりながら俺を育ててくれた。後から聞いたが実父には産んだことすら教えていないらしく養育費は貰っていなかった。

小さい頃から何故か女の子モテて、運動もできて小中9年間リレーアンカーだったし、中学定期試験や実力テストでは常に3位以内だった。

県立高校卒業して県外の大学に進学した際に母から実父の存在を教えられ、向こうに話した上で会った。

財閥総合商社に勤務する男性。母の大学時代の先輩で、ラクロス部マネージャー選手という関係だったらしい。

向こうは既に結婚して子供(異母兄弟になる)もおり、迷惑をかけたくないので会うのはそれきりだった。

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

たとえ一つの人生パラメーターを上げても自信はつかない

頭の良さ、年収身長運動能力仕事友達、何かの上手さ、生活の安定

いろんなパラメーターがあるが

その偏差値が40くらいの場合、非常に劣等感を覚えるが、60にしたとしても優越感は大して得られない

(得られる人もいるみたいだけど)

 

偏差値30 ストレス100

偏差値40 ストレス60

偏差値50 ストレス20

偏差値60 ストレス0 優越10

偏差値70 ストレス0 優越20

 

こういうイメージ

コスパ悪いよね

弱者男性

弱者男性も1人一派になってるなぁ。

これを自称運動することによって何が得になるんだ?つらさの周知?つらそうだね〜大変だね〜頑張ってて偉いね可哀想だね〜って言ってもらえたら自称してる人達は満足なのかね。

hatenaの上位記事殆ど嫌味に見えるけど。

2023-10-24

anond:20231024150856

中身関係なくただただギャオキモいなって感覚日本人特有だよね

思考停止選挙棄権するのは別に迷惑じゃないしキモくはないのに、デモはうるさくて迷惑

賃上げ運動はうるさいし関わりたくないのに、お金の話は汚くてマウントがうざい

政権汚職傍観するのは別に問題ないけど、政権批判はうるさくてキモい

ある程度発展してるのにここまで知性や論理的思考力のない人種は珍しいのではないか

anond:20231024144645

それは誇張され過ぎだと思うが

小食のほうが女っぽくてモテるかいう発想は実際あるだろう。

正直どうかと思うよね。

太ってないことがモテるのであって。

モテたいという女子であるならば、まず食べても太らないぐらい運動するべき

anond:20231024144413

男であっても、仕事とかで毎日エグイほど運動して帰ってくるような奴らは、余裕でおっさんでもドンブリ飯みたいになる。ヒョロガリとは食欲が違う。

それの生まれつき版って訳よ。

さよなら僕のサンドロック……

2023-10-23

小3の息子、チー牛になりそう

ゲームばっかしてるし、下の兄弟にやさしくもない

太めで運動は苦手

コミュニケーションだけはどうにかなってるっぽいけど、

自分から友達を遊びに誘ったりはしない

巨乳美女になりたい

巨乳美女セックスしたい気持ちと同じくらい、巨乳美女自身になりたい。

巨乳美女になったらエロい衣装ヌード自撮りしまくりたい。おっさんどもを巨乳でかどわかす悪女になりたい。あのおっぱいチンコまれてえなあ……とか、ブルンブルンおっぱい揺れるのを見ながらピストン運動してえなあとか思われたい。

そしてセックスできると思わせてさせない悪女になってヘイト買いたい。セックスさせないのは悪いことだというおっさん構文の説教LINE受信したすぎ。おっさんだけじゃなくて誰ともセックスしたくない。あまりにもったいなすぎる。ナルシスト巨乳美女として自分身体を愛でて生きていきたい。

小学校宗教流行らせて遊んでた

間内祈り言葉を決める

テスト運動で結果がでたのを

教えのおかげと喜ぶ

あとは実家で売ってる石ころを

お守りとして売っておしまい

その辺の石が売れる売れる

石ころの売上はお小遣いにしていいいうから

頑張ったわ

ブクマカオッサンだがはてぶを降りることになった

SNSも対人ゲーム引退する

理由とある病気が原因で、感情コントロールする必要が出たためだ

なのでここもこの日記最後にする

情報仕入れるのは新聞テレビラジオに絞る

アマゾンレビューある意味危険らしいので、イオンマックスバリューなんかの実店舗に頼ることだろう

カウンセラーに言われたのは、SNSコメント欄などは浅い趣味嗜好で繋がっている割に無駄帰属意識コミュニティ形成を起こしやすく、知らず知らず第二の家にしてしまうんだとか

他人交流がなくともイツメン同士が集まれ環境は俺の病気に良くないらしい

現実ではとにかく運動して人とたくさん接するよう言われている

休職しているうちに友達100人作れってさ

無断学習イラスト生成AIに反対している人が無断学習翻訳AIを平気で使う

これがラッダイト運動成功しない原因なんだろうね

自分たち権利を守れ、安く買い叩こうとするな、などと言うけど

自分関係のない分野については平気で踏みにじろうとする

機械恩恵自分は便利な暮らしを送りたいけど、自分の分野でやられるのは嫌

結局のところ反AIの人ですらAI恩恵を捨てることができないんだから

絵描き権利を守れとか言われても協力なんてできるわけないわな

ほんとは関わりたくないんだけど、どういうわけかろくでもない界隈が好きな女ってそこそこいるから仕方なく嗜んでるんだけど限界だわ

酒・タバコDV・弱い者いじめモラハラ・噂・ライブギャンブルディズニーカフェジャニーズ…色々あるし、少しくらいなら楽しいとは思えるんだけど正直アホの喜ぶコンテンツだなとしか

タバコみたいなイキりよりジャニネズミはずっとマシだし韓流ナチュラルに好きなんだけど

そんなんより本読んでキャンプして海行って運動して勉強してた方が100倍楽しくない?と思う

業務としての仕事をこなすだけでいいんじゃないか。整理することができた。

今の会社にもう7年勤務している。

転職などは考えていない。

年収に満足しているし、仕事の内容もそこまで悪くない。

自分の最良で仕事コントロールできるのでほぼほぼ定時で業務を終えている。

週に1〜2回ほど出社することもあるが、通勤は軽い運動だと思っている。

ただ、長くいることもあり、後輩教育組織のあり方や会社風土文化なんかの課題をどうするかみたいな会話をすることが多くなった。

これについて大体1年ぐらい、変えることでいい方向にいくのならと取り組んでみたがこの1年を振り返ると何も進捗がない結果となった。

なぜ、結果がそうなったのか自分なりに考えてみた。

一つは、そもそも組織のあり方、風土文化を変えるというミッションが単なるボランティア活動だった。

そもそも、そこに本当に課題があったのか、改善する必要があるほど問題だったのか。というところが曖昧であった。

また、私や周りにこれを変えるための権限指揮権がなかった。ゆえに私達の活動啓蒙程度にとどまり浸透も発展もなかったのだ。

私の性格からすると普段こんなことはしないが、しないだけになんかやってみるのもいいかなと新鮮な体験をしたく行動してみた。

行動した結果としては期待値とは違う結果になってしまったがこの経験は私にとってはい経験だったかなと思う。

こういう経験を得て、私はまた自分が関わる業務「事」だけに集中し、社内政治とか社風や文化みたいな話についてはそういう環境なんだと理解し変えられないものを受け入れていこうかなと悟った。

時期がきたらもしかしたら権限指揮権なんかがもらえたら、今日までの経験が次に活かせるかも知れないしね。

会社を変えようと息巻いている人がいたら巻き込まれないように今後は注意していこう。

ダイエットおもんない

結局やることわかってるから、それをただこなすだけで全然面白くない

 

4月8月にかけて75kgまで絞ったけど

その後ダラダラ生活してたら85kgまで来たのでまた絞る

 

すでに週5のジムはやってるので

やることって

1.食事制限

だけだから、正直おもんない

 

週5でジム行っててもそれ以上に食ってたら普通に太るぞ

運動を過信するな

運動で消費できるカロリーなんか微々たるもんだ

 

食事制限も俺は毎日毎食同じメニューでも全然苦にならないか

1.今毎日バカスカ食ってるお菓子をやめる

2.出来合いの食品をやめて、ササミと白米の生活に戻す

これやってれば月平均2.5kgは落ちていくのはもう分り切ってるので

心底つまら

 

増田では定期的にダイエット話題が盛り上がるけど

ダイエットなんか本当に「ただやるだけ」で大なり小なり結果出るのに

何をそんなにダイエット始める前にあーだこーだ考える必要があるのかまったくわからん

労組で変な反戦活動やらされる問題さあ

賃金を上げデモに参加すると『天皇制反対』のプラカードも持たされる ⇨右派でも同じような問題

https://togetter.com/li/2244741

 

 

名前忘れたし個人名はどうでもいいけど、はてなにもそういう人いたよね。

もう言ってること滅茶苦茶なんだけど当人全然譲らなかった。

 

俺「労組では労働条件のことだけを目的としたい」

 「反戦活動ダメだとは思ってないが

  それはそれで『反戦活動のためめに集まろう』と声掛けして集まった人でやるべき」

 「労働条件闘争の為に集まった人を勝手に流用しようとすべきではない」

   

彼「戦争が始まったら労働者生活破壊されるんだぞ!」

 「労組活動反戦活動が入るのは当たり前!」 

  

   

マジでこういうやりとりだったからね

そしてこの滅茶苦茶な主張がまあまあ支持されてた

唖然としちゃったよ

そんなイカレた論理を通すならもう森羅万象のことを労組で扱わないといけなくなるし

あらゆる組織会合反戦活動リソース割かないといけなくなるじゃん?

   

  

こっちとしては

別に平和大事じゃないって言ってるんじゃなくて

 反戦活動は「反戦活動をするぞ!」で集まった頭数でやるべき

・別の目的で集まった人たちを流用しようとする横着や我田引水はやめるべき

・それをやられることで労組自体敬遠されて労働争議出来る場が失われていって迷惑になるでしょう

っていうことだけを言ったけど最後まで通じなかった

  

  

今日はてブ見て隔世の感だよ

右翼はどうなんだ!」とかwhatoaboutismかましてる人はいても(右も同じだって元のまとめに書いてあるじゃんね、何読んでんの…)

「おまとめセットは正義!」「労組反戦活動は不可分!」っていう人は見えなくなった

 

論理的非合理的な主張が廃せられてるのを見るだけでも

少しは世の中良くなっていってるのかなと言う希望が持てる

(この話をするだけで「こいつは戦争肯定している!」とか言われたんだぜ?マジで会話にならない)

  

  

ヤベー奴きた

el-condor 抑も反戦活動への忌避感が強いという自分の考えに偏りがある可能性を真剣検討した方がいいよ。

戦争に巻き込まれ庶民にいいことなんかないし、巻き込まれずに儲けることを良しとするなら倫理的問題があるし。

hoge pseudo neutral

2023/10/24

> 抑も反戦活動への忌避感が強いという自分の考えに偏りがある可能性を真剣検討した方がいいよ。

え?俺反戦活動が良くないなんてどっかに書いた???

しろ

反戦活動ダメだとは思ってないが」

別に平和大事じゃないって言ってるんじゃなくて」

ってわざわざ断ったよね???

   

どんな尊い活動でもちゃんとその名目で集めた人達で行うべきで

別の運動活動組合で集まった人を勝手に流用したりするのはよくない

っていうそれだけ書いたよね?

 

どうよこれ。

 

  

戦争に巻き込まれ庶民にいいことなんかないし、

え、おれ戦争肯定するとか一ミリも書いてないよね……?

婉曲にすらそういうことはひとかけらも書いてなくね……?

 

 

>巻き込まれずに儲けることを良しとするなら倫理的問題があるし。  

  

もう何を言ってるのもかわからないけど

巻き込まれないのはいことなんじゃないの?

たぶん左翼の人だと思うから好みそうな言い方すると

アメリカ戦争に巻き込まれない方が良くない?

   

 

おれはあ、

戦争肯定するとか平和が貴くないとか言ってるんじゃなくてえ、

別々の問題を混ぜるなとか

別の問題の為に集まった人を流用しようとするズル・迷惑行為をやめろとか

それだけを言ってるんだどお、

あなたは一体なんなわけ?

 

書いてある日本語純粋に読めなくて書いてないことを読み取ってるってコト?

それとも労働組合を乗っ取って別のことに使うことを咎められたのが不快だけど言い返せなくて

相手の書いてることを迂回しながら言い返そうとした結果こういうヤバい感じになってるってコト?

  

  

  

まあもうこれ以上は他人からはうかがい知れないけど

あなたこそ読解か認知メンタルヘルスかそういうのの受診真剣検討したほうがいいと思う

これ匿名同士のやりとりだったら百パー俺の自演だと思われるやつだからな?

「言ってた通りの異常者登場!」

「こんな都合よくこんなベッタベタな異常者が現れるわけねーだろ自演乙!」 

って。

  

俺もうなんか怖いわあなた

 

 

 

segawashin

かに労組活動反戦平和を乗っけると途端に「政治的だ!」になってしまうの、ネットに毒されてる感が強いよなあ。これが例えば「ウクライナ支援募金を」だったらわりと素直に乗っかるでしょ?

2023/10/24

やベーやつ2号来た

関係ないことはやめるべきじゃないか

あなたのやりたいことはその目的をきちんと謳って呼応してくれた人を集めてやればいいじゃないか

それには少しも反対してないぞ?

これだけのことがどうしてそんなにわかんねえの?

   

ウクライナ支援募金をなら通るはず!」と思ったらしいのも意味わかんねえ

労働条件となんか関係あるのかよやめてくれよ

ウクライナ支援ウクライナ支援声かけて人を募ってやってくれ!関係ない集まりを乗っ取ろうとすんな!

これそんなに難しいか

俺がロシアの回し者に見えてきちゃうわけか?

 

 

ならこの例えならわかる?

労働も外敵をはね除ける強い国防があればこそ!

 労組自衛隊合法化デモします!

 今度の日曜日全員参加で!」

これどう?まずいと思うだろ?絶対許せんだろ?

労組私物化するズルだと思うだろ?

   

ならお前に都合が良い方向であってもズルはや・め・ろ!

つってんだよ

それだけだよ

 

なんで自分のためのズルだけは残そうと頑張るわけ?

それが不当だとか迷惑になるとか説諭されてもなお諦められないのはなんでなの?

これっぱかしの話が飲み込めなくて

不当なことされてるような気持ちで一杯になっちゃう人さあ

心のどこかに赤ちゃんがいるんだと思うけど

それを他人迷惑かけない程度には飼い慣らしてくれよ

おまえらなんかおかしーって

政治どうこうじゃないとおもうよこれ

  

 

てか「これならいける」と考えた例え話でナチュラル迷惑行為(この場合労組ウクライナ募金呼掛け)が許される通ると思ってるその感じ、日頃からそうならあんた周囲に迷惑かけてないか心配になるよ

 

職場政治的なことの賛同とか呼び掛けたりすんなよ?

職場仕事するために集まってる場所で、あんたの政治目的のための集いじゃねーわけだから、「人集まってるからちょうどいい」なんて考えで何かすると迷惑からな?

 

同僚や後輩や部下としてあなた意向をむげに出来ない人に仕事関係えことへの参加を強いたり勧誘したりするのはすげー迷惑だしスジも通らんぞ

 

誰だかしらんしやってるとは言わんけどあんたのその言動みてると心配にはなるわ

2023-10-22

おじさんおばさん若返り計画

これからの世の中、おじさんやおばさんを若返らせることを真剣に考えたほうがいい

見た目や運動能力の話じゃなくて思想能力の話

これからどんどん若者が減って、老化した人間割合が増えるのはもう避けられない

そうなってきたとき思想文化まで古いと、ただ他の国に出遅れ貧乏な国になっていくしかない

かといって爺さん婆さんを減らすわけにもいかない

なら、今いる人たちになんとかして思想スキルをなるべく更新し続けてもらって、なんとかおっさんおばさんが若者でいる時間延命するしかないんじゃないか

定年後再雇用のお年寄りがここ数年で一気に増えて、何をするにも「もうそのまんまで良くない?」「あとは俺たち退職まで逃げ切れればいいしww」しか言われない、JTC勤めの若手?のワイより

ジョギングクソゲー制作以外したくない

運動場がある廃高校を所有したい

ストレス

ストレスに気をつけろとは言うが

社会人ストレス無く生活する事って可能なのか?

趣味運動、酒でストレス発散するのではなく

そもそもストレスを感じないようにするにはどうすれば良いだろうか。

理想生活

理想だけ言えば、

食事の準備と片付け(各1時間×3食)で3時間

運動ストレッチに1時間

・入浴やヘアケアスキンケアに1時間

掃除や片付け、洗濯に1時間

趣味時間に2時間

睡眠睡眠導入に8時間

労働に8時間

平日これで回せたら最高なのになあ。そしたら土日は休養と遊びに費やせる。

実際は、平日にだらだらテレビスマホを見る時間3時間とかで消費しちゃって

週末に洗濯!!!掃除!!!遊びー!!!になって。

週明けたら平日残業だわ家汚すぎるわ自分メンテがクソになってるわで精神的に死ぬ。ってなるんだよな。

自分を律するのむずすぎ。

anond:20231021210138

女装したいだけの男=若くてかわいい女になりたい願望のあらわれなんだからそらそうなるよっていう感じ

年相応のおばさんと同じファッションして違和感なく溶け込みたいわけじゃない

性転換したいわけじゃないんだから

若くてちやほやされてる女の子恰好をして、自分もちやほやされたいという考え

普通に想像できるけど?

意外でもなんでもない

男のママだとほめられない、注目されないとあきらめて筋トレとか運動をする努力放棄し、

女装で外見だけとりつくろえばすぐほめてもらえる承認欲求簡単な満たし方

そんな程度だよ

なんて古い日本古来の森を取り戻そう的な運動はないんだろう?

林業に気を遣ってるのか興味すらないのか

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