はてなキーワード: 赤松健とは
これで何故、有権者から理解と支持を得られると思ったの?もしかして、共産党って馬鹿の集まりなの?
赤松健を担ぎ出したことで、絶対に自民党は「共産党は表現の自由の敵」というイメージ戦略を取ってくるよ。その時、共産党はどうするつもりなの?
Twitterでチマチマ罵詈雑言を吐いたりしてるだけで満足せずに、漫画家として漫画の表現規制を有権者に訴えて、正々堂々、正面から赤松健と一騎打ちして欲しい。共産党から出馬すれば、おそらく高遠るい当選は確実のはず。連載打ち切りになった『レッド・プリンセス』も赤旗で復活させよう。
頑張れ僕らの高遠るい!
こういうのとかさあ。もう白々しくてしょうがないんですよ。
あの人に関してはもうずっと、何か発言するや反政権の人らがワーッと群がって貶すという流れが常で、
「中立」「非党派的」どころか、思い切り非難・敵視・憎悪しちゃってましたよね?
無党派の人ならともかく、お前とか元増田とか、アンチ自民党を自称してるようなヤカラが、ここまでの経緯を知らないわけないでしょうが。
嘘つくなよと。
あんたらに比べりゃ、この記事のブクマのトップ※なんか、もうホントわかりやすいですよ。
やっぱりな…という感想しかないわ。ここ最近ずっと党派性の強い発言してたから、近々担がれるんじゃね? という予感はあった。こういう伏線しっかり回収してくるの、ある意味マンガ家らしいよ(褒めてない)。
これこそが正直な感想ってモンでしょう。
今更驚きや失望なんかなくて、ただ「答え合わせが済んだ」という程度の感覚でしかない。
まあ、山田太郎一人だけでもハラワタ煮えくり返るぐらいムカつくのに、似たようなのがまた出てきて2倍キレそうな、そういうお気持ちは本当によくわかるんですけどね。
だからって「超党派のロビイストを失った!」とか、すっとぼけるのもマジで大概にしません?
そもそも、左派の皆様にしてみりゃ「中立(んなこと全然思ってねえくせにな)」や「超党派のロビー活動」からして、全く面白くなかったに決まってるんです。
「表現の自由」みたいな自由や権利はてめえの縄張りや専売特許だと思っていて、ああやって自分らの頭越しにあれこれお願いされたら立場がないから。
それだけでも十分すぎるほどイラついてるのに、しまいにゃ「表現の自由」というネタ自体、よりにもよって自民にかっさらわれちゃった。
それが腹立つという感情は大いに理解できますし、怒るあまりにネタごと盛大に放り投げる共産党ムーブも大いに結構(選挙前に馬脚顕してくれたあたり、彼らはまだ誠実だと思います)。
でもそこで見え透いたウソつくのやめませんか?
てか最近「アンチ自民党のオタク」の皆さんって、本当に立場ヤバいですよね。あのヨとかいう人らなんか。
「表現規制をやってるのは自民党ダー!」とか壊れたレコードみたいに繰り返してないで、左派こそ「真の反規制候補」を出してくりゃいいだけでしょうに。
まあ、頼みの党はだいたいフェミとお友達で、そんなアピールしようものなら身内の活動家が黙っちゃいないでしょうからね。
いっそ共産党や党派性全振りのはてサ連中を見習って、右派に食われた「表現の自由」なんかもう潔く捨ててかかればいいだけなのに、
オタクという自意識だけはいっちょまえだからそれすらもできない。
いやあ無様。
https://togetter.com/li/1817350
山田太郎の非改選の選挙でも、「山田票」を獲得しようという分かりやすい作戦ですが、さすがにいろいろうんざりします。「表現の自由」という基本的人権が「クールジャパン」の利権へと、極度に矮小化されてしまうわけです。
まさにこれ、山田、おぎの、赤松を政界から永久追放しないと、真の表現の自由は失われ、政府にとって都合のいい表現だけが残るディストピアになる。なのにオタクはこの件に関しては非難しない。エロさえ担保されてればなんでもいい。立候補する方も支持する方もクソ。
内部では色んな意見があるとはいえ、過去に与党がオタクの表現規制に関する法案を出してきたときに野党がそれを阻止する為に動いてきたのは事実ではある。
そんな中で、オタクが野党側に何をしてきたのか、恩をどうやって返してきたのかといえば、何もしてこなかった。やってきたことといえば、"俺たちの麻生"と与党の表現規制派の議員を持ち上げたくらい。
おそらく野党側の議員たちはオタクの表現の自由を守る活動しても応援してくれるのはこれくらいなのかなと思ったことだろう。私もオタクは本質的に政治に興味がないから動かないんだろうなぁとか思ってた。
それが表現の自由以外の政策も多くのオタクと一致する山田太郎議員が出てきたら一変。表現の自由を守る議員の代表のように扱い、それまでのオタク側の政治に興味がない雰囲気も一変。山田太郎議員の為に活動するオタクたち。
思えば、与党が法案を出したときには与党にも野党にも表現規制賛成派はいるといいつつ、左派やリベラルの誰かが表現規制っぽいことを呟いたらこれだから左翼はとひとまとめにして語られるのは以前から続いてたこと。
野党側がどれだけオタクの表現の自由の為に頑張っても恩を仇で返され、与党側は一歩間違えたら規制に繋がる法案を出しても与党にも野党にも表現規制賛成派はいると言われて何も責められることはない。んでもって、これまで野党側がしてきたことは無視され、保守的な思想を持つ表現の自由を表明する議員が今までに見たことがないほどに持ち上げられている。
野党の議員さんだって馬鹿じゃないから気付いてしまったんだろう。オタクは表現の自由だけが大事な訳ではなく、保守的な思想が前提の上で表現の自由を守ると言ってる人しか応援しないと。
野党だって票を稼がないといけないから、それだったらどれだけ表現の自由を訴えても票を入れてくれないオタクの為に活動するより、票を入れてくれるかもしれないオタクの表現を規制した方がいいんじゃないか、問題もあるんじゃないかと考えてくれる人の為に動いた方が票につながる。どうせオタクの為に活動したって、票には繋がらないんだから。
奇しくも赤松健さんが昔にオタクが票に繋がることを示さないといけないみたいなことを言ってた記憶があるけど、そこにどれだけ大票田があったとしても、自分たちに入れないと思ったら逆を向くのは当然の話。
それでもリベラルはオタクの表現の自由を守るべきというのであれば、オタクはリベラルに甘えすぎだと思う。議員なのだから票を入れてくれそうな人の方に向くのは当たり前。最近の変化は野党にオタクはどう転んでも野党に票をいれないとバレちゃっただけの話。
逆にいえば、これまでオタクの表現を規制すべきと考える人の方向いてたのに、票田になるとわかれば一気に逆転させる自民党の手腕が鮮やかともいえる。
まとめると、野党側が反オタクになったのは、表現の自由の為に頑張った野党にオタクが恩を仇で返すことしかせず、表現の自由以前に保守側の議員にしか票を入れないとバレちゃったからだと思う。
こう書くとオタクの中にもリベラルや左派はいると返されそうだけど、それは少数派の一部だよね。他の大多数のオタクたちはどれだけ野党が表現の自由の為に頑張っても、野党に投票しよう応援しようとは動かないよね。与党側はちょっとオタクに甘い動きを見せれば(むしろ見せなくても)流石と言われるのに。ここで書いてるのはそういうことです。
赤松健は「非党派的にマンガ表現規制に反対する人」としては最も政治的な力を持っていた。その力の源泉は何よりも「党派争いから中立である民間人」であるところに負っていたと思う。
いっぽう山田太郎は「表現規制反対を国会で訴える議員」であることに存在価値があった。議員でなければ彼はさほど著名とはいえない実業家であり、彼の力の源泉は議員であることそのものにある。
したがって、山田が自民党に入ったのは、まあわかる。彼は票田とするオタク界においては「余所者」だからだ。彼は赤松や竹宮惠子のように有名作品の著者であるわけでもなければ、本人が熱心なオタクであるようにも見えない。彼は「村の声を聞き、代弁してくれる国会議員」ではあっても「村の名士」ではない。彼がオタク村において有力者として扱われるためには国会議員であり続ける必要があり、そのために最も手っ取り早い手段が自民党への入党なのだろう。
それに比べて、赤松は人気漫画家としての知名度と人望を持ち、長年政界へのロビイングをやってきた「村の名士」だ。国会議員でなくともその声には重みがあるし、あくまで「村の利害」の代弁に徹し、党派的でないからこそどちらの陣営とも話をすることができた。オリジナル笑顔で駆け抜けられた。言うまでもなく、「党派的に中立であること」は山田が持ち得ない政治的資源である。国会議員である以上はいずれかの党派に所属することになってしまうのだから。
しかし、今回赤松は自民党の議員候補になることを選んだ。それは「党派的ではないこと」という彼の政治的資源を自ら捨て去ろうとする行為だ。政治に目覚めたばかりのトキメキ弾けそうなのかもしれないが、安直にすぎる行動だと思う。アンチ自民党のオタクは大勢いる。彼らは『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』の作者の話には耳を傾けるかもしれないが、自民党の国会議員の言葉に耳を傾けることはないだろう。つまり、表現規制反対派は「どちらの陣営とも話ができる村の名士」を1人失ったことになる。かくいう増田もアンチ自民党オタクなので、残念ながら赤松には投票できない。
だが一方で、近年、フェミニズムに基づく表現規制を訴える人びとが急激に共産党や立憲民主党に根を張り、ついには先日の衆院選で共産党が「社会的合意」に基づく表現規制を示唆するに至った。言うまでもなく、到底受け入れられる政策ではない。これらの勢力の伸長が赤松に旗幟を鮮明にすることを選ばせたのだとしたら、支持できないにせよ非難もできないかなぁとは思う。ひょっとすると涙隠した笑顔に気づいてほしいのかもしれない。
それにしても、吉良よし子に1票を投じたオタクとして、彼女があんな主張をするのは本当に残念でならなかった。池内さおりの落選はシャーデンフロイデな朗報だったが、彼女に代表される路線は今後とも共産党の中枢に残り続けるのだろう。彼女たちのような勢力が実権を持っている限り、共産党への投票は選択肢に入らない。一票ごとドキドキ色づくこの選挙が未来地図になるのだから。
立憲民主党については、共産党のような上意下達型の政党ではなく、また本来の意味でのリベラリストもそれなりに多いので、選挙区では是々非々で対応することになると思う。自分の選挙区に立った立民の候補が表現規制にもオタク蔑視にも与していないならその候補に票を投じるくらいの信頼は置いている。積極的にオタク向けアピールをしろとは思わない(もちろん、してくれるに越したことはないけれど)。表現規制に賛成せず、オタクを侮蔑するようなことを選挙民に見えるところで言わないでいてくれればそれでいい。出会い系サイトを使って辞任したどこぞの元知事も、温泉むすめ関係での雑な発言などオタクを侮蔑するようなことさえ言わないのなら支持してもいいのだが、世間ではああいうことを言うと支持者が倍増したりするのだろうか。
しかしそうなると、仮に自分の選挙区が与野党一騎打ちの構図になり、自民の候補が赤松のようなオタクに親和的な表現規制反対派で、立民(or共産)の候補が池内のような限界フェミだったとしたら、投票先に迷うだろうと思う。公文書の隠滅、統計の改竄、五輪の誘致、災害対策における無能っぷり、人権条項を削ったやべー改憲案、いつまでも選択的夫婦別姓や同性婚に反対し続ける固陋さ、そういった諸点を鑑みるとどう考えても自民党への投票なんてできないのだが、しかし他方で表現規制推進派の限界フェミにも投票できるわけがないので、仮にそうなったら白票でも入れる以外に道はなさそうだ。幸いにして、増田の選挙区の立民候補はまともな人のようなので、安心して投票しているが。政策の先へJumpしたら受け止めてくれるかな?
https://twitter.com/r_tkt/status/1471447806137466884
r_tkt@r_tkt
https://twitter.com/r_tkt/status/1471483315152916482
r_tkt@r_tkt
いや別に誰が描いてもいいんですよ。上のtweetはあくまでもケツアカマンへの当てこすりだけのために思ってもいないことを書くという怒りの表現なので
https://twitter.com/r_tkt/status/1471442157265616896
高遠るい先生の描いていたCYNTHIA_THE_MISSIONとミカるんXとはぐれアイドル地獄変は
結構楽しんで読んでいたが、あの先生が赤松健にこんな当て擦りしか出来ない漫画家になってる現状が純粋に悲しい
まぁ結構楽しんで読んでたのは赤松健のAI止まやネギまも同じだ…
売上で誇ろうにもVシネの単館上映になった漫画が1つある程度じゃ数千万部売ってる漫画が2つある人には完敗だ
漫画界全体への貢献で見たらマンガ図書館Zで他の漫画家達に還元してる人にただの漫画家じゃ勝てんし
社会的地位も相手は日本漫画家協会の常務理事でどうしようもならん
だから最後に残った己の東大卒という学歴を使ってtwitterで遠吠えするしか無かったんだろうか…それが辛い
別に漫画家がそういうものを競ってもどうにもならないって意見は正論だけど
そういうのは普段からずっと読者に面白いものを提供したいって言ってるだけの漫画家が言える事
高遠先生みたいに政治的な意見をバリバリ言って社会的な影響も意識してる人はそんな意見で収まれない
だからといって学歴で当て擦るだけしか出来ないこの現状は見ててとても悲しい
漫画の中で権力をしょうもなく描く風刺を加える芸風は、それだけじゃ自分は評価出来ない訳だが
高遠先生はそんな展開を描く時は権力を打ち破るキャラクターの肉体を格闘描写をしながらきちんと描いている所が良かった
オタクは世の中に出ることを選び、乙女系とか腐女子は引き続き世間から隠れる道を選んだ。
その結果、オタクは社会に進出したが、腐女子はずっと隠れ続けて社会からは認められていない。
実際には相当乙女系腐女子系、いわゆる女性向けも認められているのだが、学級会が邪魔で世間に出ようとすると逆風が内部から吹く。
この戦略差が、「なんでオタクだけ世の中に出て、そっちは全然なんだ」という結果になってる。
というのは間違いで、オタクは世の中に出る道を選んだんだよな。(なし崩し的にそうなったので、別に選んだわけではないのかもしれないが)
だから、女性向けの規制派も、「オタクだけ世の中に出ていって許せない。自分たちのように隠れているべきだ」
とか言ってないで、オタクのように世の中に出るべきだと思ってる。
女性向けには赤松健先生も山田太郎議員もいないと思ってるかもしれないが、実際には、自分たちが隠れることを選んだだけなんだよな。
でも、隠れることって、社会から見えないから、オタクのように社会に出ることができなくなってしまう。
安易なフェミニズムによるオタクバッシングなんかやらないで、社会に出るべきだと思う。
もう、そういうのいいんじゃないかと思う。
ガ〜〜〜!表現規制反対反対反対反対反対!!!!エッチでおっぱいで何が悪い科学的根拠数値的統計犯罪率〜〜〜〜反対反対反対反対反対〜〜〜!広告だろうがなんだろうが知らないぞ反対反対反対!!!
ってなっちゃうのか
まじで会話する気まじでないんだなってのは分かるけどフェミニズムの「フェ」が出ただけでアナフィラキシーショックみたいになるのもう無理じゃん。
数学の話するときは数学の勉強してる人が話したり分からなければ学ぼうとするけど、学ぶ気もなければエクストリーム擁護してでもけちょんけちょんにするって考えしかないのももうなんか見ててしんどい。
オタクだし過度な表現規制は嫌だけどこんなのやってたらもうあかんやろこいつら…となるやろ、と赤松健とか蝶ネクタイの山田なんとか見てて思う。なんかこういうオタクの味方みたいなこと言えばオタクが考えなしにとにかくヨイショしてくれるとある種の権威を感じちゃって当初から方向性がずれてるように思う。
https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1442848717707661325
赤松健のこのツィートが叩かれてる。
”女性キャラを描くときは「人格を持った多様な姿で描くように」など。いや無理だから!”
これについてバッシングされている。
無理だよね。
人格を描写できるのは、発言と行動であり、外見ではないからだ。
もしも外見やポスターに写った姿だけで、人格を判断するとなったら、それこそステレオタイプによって他者の人格を判断するという差別を犯すことになるので、この件については本末転倒である。
と言ってるわけで、まあそりゃ「不可能です」と言わざるを得ない。
そもそもが、画像として切り取られると、そこに人格まで投影させることは無理なのだ。
見かけと人格を乖離させるというのは、よくある手法である。キャラは行動とセリフで描写するのだ。
ごつい外見が、実は内気で、とか、そういうテンプレの例を引くまでもなく。
マンガのキャラも、「外見だけでキャラの人格は描けない」のだ。
で、ポスターの話に戻るわけだが、ポスターに人格まで描写はできない。
なぜなら「映らないから」だ。
人格をポスターに描写しろと言われても「無理です」と答えるのは当然だ。
外見で人格が描写できないということは創作してる人間ならわかると思う。
表情で描けるのは感情までで、邪悪な顔をしてるから人格まで邪悪だというわけにはいかないだろう。
竈門炭治郎を例にあげよう。
例えば、竈門炭治郎がババーンと防犯広告に使われたとしましょう。
でも人格までは描けない。当然だ。
竈門炭治郎が優しさや勇敢さは外見に由来していない。
でも、それだと竈門炭治郎がニッコリ笑って、手を降ってる画像は大阪府のガイドラインに引っかかってしまうのだ(男性も含めてと書かれているので)。
どうしても書くとしたら、「この竈門炭治郎さんは、とっても明るい性格で、社交性があって、弱い人を見ると助けずにはいられないが、悪に対して怒る正義の心を持っている、しかし微妙に場の空気の読めない頑張り屋さんです」と一枚絵のポスターに書き込むしかない。
そんなポスター観たくない。
芸能人にしてもそうだ。映るのは外面まで。
人格までは映らないのだ。
なのに一枚絵のポスターに対して「人格を持った多様な姿で描くように」とか、「無理に決まってんだろ」としか言えない。
アホか。
逆に言うと、萌キャラを出してきて、「人格を持った多様な姿で描くように」というのは、「普通のキャラには人格が外見で描写されているが、萌キャラには人格がない、そもそも描写されていない」という前提があるのかもしれない。
まあ、こんなアホなガイドラインよくぞ作ったと思う。
【備忘録】
https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1442848717707661325
アニメや漫画において、「キャラクター」と「キャラ」を分けて考えるとスッキリするのは
多くの編集者、批評家、物語論研修者、マンガ家、アニメ作家が言うとおり。
ここでいう「キャラクター」とは、さまざまな側面をもった and/or いくつもの層がある
ことを暗示する=「人格」として認識される物語内の《アクター》のこと。
それにたいして「キャラ」とは、「陰キャ」「ボケ/ツッコミ」「ドジっ子」のように、
複雑なキャラクターの中から1つの側面、1つの役割をとりだして(多くの場合)
単純化、誇張をほどこした物語内の《エレメント》として機能を持つもの。
なので、1 つのキャラクターの中に(お互いに矛盾する)キャラが混在する場合、
「キャラ」として破綻してる、「キャラ」として弱いと捉えられるか、
複雑で「深い」キャラクター造形として理解されるかは、作品次第だったり
作家のポジション次第(宮崎駿だったら 1 面的な「キャラ」を描いても見る側が
したがって、大阪府の「表現ガイドライン」は、「キャラ」に「キャラクター」的なものを求めているか、
そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが「キャラ」に寄りがちなバイアスが掛かってる
ことを理解してないんじゃないか、という違和感を感じないでもない。
「ナラティブ・メディア」の中のキャラ/キャラクターの話である。
ポスターのような、物語という文脈から切り取られた「キャラ」は、
ナラティブ空間内とは別の文脈を生きていて、そのように認知・消費される。
たとえ元ネタ・原作があっても、ポスターに切り出された瞬間に「キャラ」だから。
考えてみれば、単一のメッセージをクリアに、わかりやすく、パンチのある表現で
ガツンと伝えることを求められるポスターは、「キャラ」は成り立ちがよく似ている。
そのような「要件」を求められるポスターや「キャラ」において、
女と言えばオッパイである、と言わんばかりのデフォルメ表現とか、
女性という「キャラクター=人格」から好ましい要素を抽出して「キャラ」化したら
ミニスカと太股しか残りませんでした、みたいな「キャラ」化の方向性を公的機関が
オフィシャルに肯定した(と受け止められる)場合にどういう意味を持つのか?
公務員はそこらへんをよく考えて仕事しましょう、という啓発なんだろうと理解した。
あと、ツッコミ処の「キャラ」に「人格」を求めるという部分にだけ注目するコメントにも
アンコンシャス・バイアスが表現されちゃってるのかな?と思った。
【追記】
「そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが『キャラ』に寄りがちなバイアスが掛かってる」
と書いたあたりで、「キャラ」を描くのって恐いなと思った。
【追記2】
私は情報技術者だ。今風に言えばデータサイエンティストやらセキュリティエンジニアなどと名乗ったほうが良いのかも知れないが、ながらく情報技術者という肩書で活動してきたため情報技術者と名乗ったほうが私の肌感覚的に合っていると考えている。
山田太郎議員が赤松健氏らと共に表現の自由の擁護を掲げ、政界では小さいながらも一定の存在感を示しているのは皆さんご存知だろう。
これまで地域のための政治家や特定の例えば自動車業界のための政治家や、更には女性のための政治家、共働き家庭のための政治家など様々な政治家が登場したが、サブカルの擁護、その中でもマンガアニメゲームを中心とした表現の自由の擁護のための政治家は非常に新しいと言わざる得ない。
これは本邦で「女が政治なんて」と怪訝な目を向けられても女性が参政権を獲得し、そして時間をかけて女性政治家の登場を果たしたときのような変化だ。
今の時代はまだ「マンガオタクが政治なんて」という怪訝な目がまだまだ多いように思われるが、無理解が理解に変わってくる節目なんだろうと思う。
さて、私は前述したように情報技術者である。何なら私の両親も情報技術者という言葉が生まれる前から情報技術者であり、私が生まれ育った家庭は情報技術という点においては非常に先進的であったと評価できる。
はじめて私の専用機として両親あたえられたのがPC9801であり、パソコン通信の後期あたりから私自身の意志でネットワークへアクセスしていたという経歴がある。
学生時代は高校教育に情報技術という科目がなく電気科目の一分野であったため工業高校へ進学し、そこから東京大学へ進んで計算機科学、情報技術関連を中心に履修した。根っからのIT畑であると言って良い。
そんな私が最近ふと思うのはまだまだ政治の分野は情報技術に疎いということだ。
このように感じた一番の切っ掛けはやはりマイナンバー制度と銀行口座の紐付けによる税務処理の簡略容易化が、個人情報保護という御旗によって実現に至らなかったことだろう。
ITへ専攻を持たない方々には理解が難しいと当時の一般市民や政治家たちによる意見交換を観ていて実感しているが、たとえ銀行口座の金額の増減がマイナンバーによって国から監視されていても、個人情報ひいてはプライバシーの保護は可能なのだが、プライバシーを気にする層は商取引の詳細、つまり自分が何を買ったり何処へ訪れたのかを国に監視されるわけにはかないという意見が支持されてしまったのだ。
本当にこの件は誠に無念と言わざるを得ず、私たち情報技術者の説明不足と力不足を痛感させられてしまった。
一応、この件に関連する技術情報としてフランス国立情報学自動制御研究所が公開した「GNU Taler」を紹介しておこう。
GNU Talerは プライバシーの保護が可能な決済システム。顧客は匿名のままでいられますが、事業者はGNU Talerでの決済を通じて収入を隠すことはできません。これは脱税やマネーロンダリングを避けることが可能です。(抄訳)
銀行口座がマイナンバーに紐付けられ、日本円に裏付けされた匿名決算システムが本邦へ導入されていれば、事業者や個人事業主、確定申告を自ら行う者、政治家たちは事務コストの大幅な削減と、我々全国民は所得税や法人税に関して現行税制のままであってもより平等に恩恵を得られたはずだ(ここでは現行税制が平等であるかは判定しない。所得隠しが難しくなることで現行税制の平等化が進むという意味)。
GNU Talerは例として挙げただけであり、これだけでどうにかなるというものではないが、一部の情報技術者、特に分散ネットワークへ興味を示している情報技術者の中では比較的好意的に捉えられている概念方式の決済システム。
我々情報技術者はこういった一般層が興味示しにくい、示すことができない技術情報を多く持っているが、技術者全般の悪い癖で自分たちだけで理解・納得・満足をしてしまう傾向がある。
これまでマンガアニメゲームのクリエイターが作り発表するだけで満足してしまっていたのと同様の問題を我々技術者も抱えており、このままでは良くないと危機感を覚えている。
ならば我々情報技術者の中から政治家を選出するべきなのではないかと思うのだが、我々は情報技術者が好きなだけであって政治は別に興味もないので、この好き嫌い、感情部分を乗り越えた赤松健氏には頭が下がる思いだ。
はてなユーザの興味が向いている情報技術関連といえば新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」の諸問題が挙げられるであろう。FLOSSで開発が始まったというのは評価に値するが国へ引き継がれた途端にAndroid版でのバグや、そもそも利用が広がらないなど運用に窮してしまった。
これに対する責任の声も少なからず聞くが、利用を促進するには国が強権を発揮するくらいの無茶が必要なので多少の同情は禁じ得ない。
WindowsではPowerToysが便利なので導入を国の制度で強制導入を決めるくらいの無茶だろう(※PowerToys : Microsoft謹製のWindows機能拡張ユーティリティ。様々な要因でWindows標準機能へ含まれなかったユーティリティ群とされる)。
ただ、強権を発動しないまでもゲーミフィケーション的に楽しく使うことや、割引クーポンを発行するみたいな市民の利用を促進するインセンティブが必要だったのでは?とは感じる。
本邦ではまだまだ情報技術者からすると不可解な情報技術運用が多くある。
例えば文科省のGIGAスクール構想までは良いが学校や請け負ったベンダーが端末パスワードを共通化してしまうことや、総務省がジャストシステム一太郎花子の事実上排除を決定してMicrosft Officeへ一本化してしまうというものだ。
GIGAスクール構想ではGoogle Chrome OSが支持を集めたのだからClassroomサービスによりパスワードを共通化する必要はそこまで無いと情報技術者は知っているし、Microsft Officeへ一本化するくらいであるならば保存形式をOpenDocument Format(ODF)にすることでMicrosft Officeと一太郎花子を共存させ無駄な予算の抑制、更に今後新たなオフィススイートが導入されても移行に手間は最小限に抑えられると知っている。
もっと言ってしまえば多くの行政機関や自治体、政党や政治家のWebサイトは極端なまでJavascriptへ汚染されアクセシビリティが地に落ちているのも視覚障害者にとって非常に問題である。
確認してみたいのならばJavascriptを切って各Webサイトへアクセスしてみたら良い。Javascriptが機能しなければコンテンツへテキスト1文字すら表示されないWebサイトの存在や、おそろしく醜い(見にくいではなく)トップページがレンダリングされることを知ることができるだろう。
視覚障害者のためのいわゆる「音声ブラウザ」はモダンで高度なレンダリングを解釈できるとは限らない。あまつさえ「今は高度な読み上げ機能を持つiOSやAndroidが主体だから良いじゃん」という視覚障害者がタッチスクリーンディスプレイを操作することへの無理解な声すら聞こえてくる始末だ。
これらの不可解さを解消するには「情報技術で国内外問題を解決する」というワン・イシュー綱領を持った情報技術へ深い見識のある政治家が登場しなければならないのではないかと思うのだ。
そして私はその一歩を踏み出すべきなのかどうなのか最近毎日悩んでいるのだ。
私は情報技術が好きだからこそ、情報技術は国内外の問題を解決できると信じているからこそ政治家にならなければいけないのかも知れない。