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[B! 事件] ジャニーズ 元タレントら“子どもへの性犯罪 時効撤廃を” | NHK
このニュースには反対。性犯罪には時効があるべきだし、過去に行われた時効撤廃についても再考するべきだ。
理由は、「時間はあらゆる証拠を洗い流してしまうから」に尽きる。その証拠には、有罪の証拠だけではなく、無罪の証拠も含む。
あなたは昨日の夕食、誰と何を食べたか言えるかもしれない。行きつけのお店で友達とご飯を食べました。これがインスタに上げた写真です。店長も友人もそう証言してくれています。アリバイ成立。送検すらされない。よかったよかった。
だが、30年後にその店は残っているか? 店長や友人は生きているか? インスタの垢は削除していないか? そもそもインスタがサ終していないと誰が言えるのか? っていうか、その日に友達とレストランに行ったことを思い出せるのか? 増田は30年後に自分のアリバイを証言できる自信がない。
そうはいっても殺人であれば、たとえば凶器に残された指紋であるとか、第三者の目撃証言とか、そういったことが無罪の決め手になるかもしれない。
しかし性犯罪の多くは、証拠が残らないことが多い。親密な関係性で行われる性暴力というものは多くあり、その場合、証拠が残ることは極めて少ない。それはある一面では「訴追に足る証拠がないので、被害者が泣き寝入りを強いられたり無罪判決が出ることが多い」であるということだが、もう半面は「証拠が足りない状況でも訴追され得る」ということでもある。これは、無力な一市民にとってみれば、恐るべきことではなかろうか。
ジャニー喜多川による性暴力は、おそらく実際にあったのだろう。そこは疑わない。だが、性暴力について偽証する人というのは残念ながら存在するし(ウトロー事件、会津若松虚偽告訴事件、草津町長に対する冤罪事件)、被害者が間違った人を犯人として名指ししてしまうこともある(氷見事件)。被害者の家族が間違った人を警察に突き出したという事件もあった(貝塚ビニールハウス殺人事件)。そういった冤罪は、いつでも、どんな犯罪でも起こり得るのだ。自分が被害者になる可能性については多くの人が想像しているだろうが、自分が容疑者になる可能性についてはいったいどれだけの人が真剣に考えているんだろうか? あなたが何もやってなくても、警察が容疑をかけたら、あなたは容疑者になるのだ(容疑者というのは、「犯人」という意味ではなく「犯人ではないかと疑われている人物」のことである)。
増田は教職に就いていて、子どもたちと個別面談をしたことが何度もあるが、何年何月何日に教員室で身体を触られました、と言われたときにどう防御したらよいのかわからない。数ヶ月前のことだって記憶があやふやなのに、まして30年、50年も前のこととなったら。草津町長の冤罪事件では、「町議の訴える被害の状況と実際の町長室の家具の配置が違う」という点も町長側から反論として出されたが、何十年も経ったら教員室も模様替えしていて、「こんな犯行をできたはずがない」という弁護はできなくなっている可能性が高い。
もちろん、あまりに昔の事件の捜査・訴追については何らかの物的証拠(被害者を縛り上げたロープについた指紋とか、採取された精液とか、防犯カメラの映像とか)を必須にする、という運用がなされるなら、そこまで恐れる必要はないのかもしれない。しかし、残念ながら増田は日本の警察の良心をまったく信用していないので、時効によって、そもそもそんな昔の事件については捜査がなされないことを望む。
結局これって優越的地位の濫用の問題だよね?メディアはもっと報じるべきだったってのはそりゃその通りだけど、独占的地位にいる芸能事務所の悪事・不祥事は報じづらいってのは構造的問題で、良心に訴えかけててもどうしようもないのでは?
公取委トップは官僚だけど、それ任命してるのは首相で、与党選んでるのは国民なんで、政府仕事しろってのが広い意味での再発防止になるんじゃないか?
「増田くんお風呂入ってる~~~臭いからキレイにしてあげるね~~~(バケツの水バシャー」
みたいなのが小中学校の教室で繰り広げられることがあったじゃないですか?
まあ、あの頃「コレ」をやられて傷ついた側だった僕たちは、今度はインターネットで「コレ」をやる側に回ってたりするわけですが。
鳥トマト先生の作風って究極的には「コレ」だと思うんですよね。
特定の何かを平気な顔して嘲笑い、自分たちの短絡的な笑いの種にして弄ぶ。
ただこれが純粋に悪意と嘲笑だけだと流石に自分の中の「良心回路」みたいのがピリピリ痛むわけで。
だからそこにちょっと正義感みたいのを加えることで大義名分の力でイジメ行為の臭みを取ろうとするわけです。
一時期やたら流行ったら韓国人への攻撃だったり、「フェミニストを名乗る人たち」がなんでも性加害扱いするのだったり。
鳥トマト先生はその路線を極めることで現代日本において一定数の太い読者を獲得するに至っています。
特定の「disっても許されそうななにか」を見定め、それを面白おかしく嘲笑することで楽しい時間を生み出す。
イジメっ子の時間の潰し方を漫画の中でやってみせるわけですね。
別にそれが悪いとは思いません。
だって僕らはさんざんインターネットでそれをやってきたし、そういうコンテンツはインターネットの外に置いても大好きです。
政治家をもしたキャラクターが悪し様に描かれる展開を見て楽しくキャッキャッして過ごしてきたわけですからね今日までもこれからも。
テコンダー朴みたいな露骨に特定の集団をコケにしているような漫画でやっぱり楽しくなっちゃうんですから。
でもね、そういう作品から逆流して「でも増田って本当に臭すぎるからさ、マジで不登校にしたほうが学校のためなんじゃないかな……」みたいなヒートアップの仕方をするのだけはやめてほしいんですよ。
イジメコンテンツのために振り上げた正義感を暴走させて、現実のものとして正義のもとにアレコレパンチするのを始めるのは危険すぎる。
鳥トマト先生の良くない所は、「これはあくまで漫画の中で作られたサンドバックですよ。現実の人たちを同じようにサンドバッグにしちゃダメ🙅」ってちゃんと言わない所。
それをやらずに毎回そのまま「今回のサンドバッグも気持ちよかったね~~~こういう奴ら皆嫌いでしょ~~~???イエーーーーーーイ!!!!」で終わらせちゃう所。
だから毎回コメント欄とかで「でもマジで田舎の因習、都会の軽薄さ、日本の悪しき風潮みたいのって滅びるべきだよね。ウンウン」みたいにマジメに語ろうとしちゃう人たちが出て変な流れになる。
そこまでする話じゃないでしょ。
「増田くんは臭いからキレイにしてあげようぜ~~~」は単なる『イジメとして楽しむための大義名分』であって、『真剣に取り組むべき僕らの課題』じゃないんだよ。
2022年、ロシアのウクライナ侵攻直前のオリンピック。ドーピング疑惑で世界の敵になったカミラ・ワリエワが私の推しだった。
多種の四回転ジャンプを難なくこなし、なおかつそれが難しいということすら理解のできないたおやかさで着氷する。それはあたかも高難易度のジャンプすらバレエの振り付けのひとつのようで、優雅でスムーズ、フリーレッグや手先まで極めて丁寧な演技をする推しは、誰にも勝てないと他の選手や他の選手のファンを震撼させるという意味で「絶望」と呼ばれていた。
彼女にはすげえ身体能力で軽々ジャンプを飛べる以前に、幼い頃から体に染み込んだバレエの素養がある。だから例えば彼女が20代後半まで頑張れたら、あるいは女性版羽生結弦のようになるのではないかとワクワクしていた。
そのとき私の推しはまだ15歳、リンクでは皆を容赦なく絶望させていても、エテリチームの妹みたいな可愛い少女だった。アジア系の少数民族の血を引く顔立ちは日本人好みのする愛らしさで、チームの先輩がおみやげに買ってきた日本アニメのぬいぐるみをずっと大事にしている、そんな子だった。
でも薄々は気づいていたような気がする。推しのリンクメイトがいいサプリを知ってから調子がいいのという発言をして周囲が血相を変えたりしたことはある。
それでもドーピングのことが報じられたときに耳を疑ったのは、どこかでエテリコーチは本当はいい先生であってほしいという願望があったからだと思う。
推しがグルーミングされているとき、ファンもまたグルーミングされているのだ。
実を言うとこの件のずっと前から、エテリコーチはスケートファンの嫌われ者だった。彼女に師事するロシア選手が好きな私たちも、エテリの指導方針のことは快く思ってなかった。ドーピングは陰謀論交じりの疑惑にすぎなかったが、児童虐待としか思えないウェイトコントロールが横行していることはみんな知っていた。選手本人がどれだけ私は頑張っているかの自慢として、ほとんど空気しか食ってないような食事内容を暴露しているので。
でも水で太る体質なので水さえも制限されているというインタビューにざわめいた後に、まともに食っているチームメイトがいて「揚げ物を制限されちゃった」とかいう比較的まともそうな制限の話をしているのを見ると「なんだー。それぞれの体質や性格に合わせて厳しい制限される子もいるだけで、自分でコントロールできる子はちゃんと食べてるんだね」と思っちゃったりする。
エテリはスケートのことしか考えてない使い捨てだという愚痴ツイートの後に、エテリコーチは選手に常々「私たちはスケートをしていない人生のほうが長いんだからよく人生設計と健康を考えて」と言い聞かせているほっこり話が流れてきて「なんだー」と思っちゃったりする。
頑張る推しを肯定すればするほど虐待に加担しているなんて、そんな事実に耐えられるほど、普通のメンタルは強くないのだ。コーチ陣と仲良しの写真や記事を見ればやっぱり「厳しいけど個々に合わせた指導をしてくれる名コーチ」「お母さんみたいな人」という言葉を信じてしまう自分がいる。そのソースを集めてきてしまう自分がいる。
1kg体重が増えればバランスが崩れて今までできていたことができなくなる競技だ。やりすぎだが必要ではある、という気持ちもあった。1kg増えるだけでできないとか、そもそも四回転ジャンプが飛べなければいけないということ自体が呪いだとは言えるだろうが、その「たかだかジャンプ」のために15年生きてきている人間を前になんでそんな残酷なことが言えるのかという感情もあった。
ちなみに私自身の立場としてはドーピングには強く反対していて、はっきりとドーピング反対とエテリチームへの批判を何度もツイートしているし、そういうツイートにたくさんいいねを押した。RTした。それはあたりまえ。
児童保護の観点とか、医学上の観点とか、まっとうな意見ばかり支持していたいけど、そればかりじゃない。もともとロシア女子のアンチだった人とか、なんとなく男子のトップ選手を超える身体能力を持つ女子選手が実在することが気に入らない人とか、とにかくロシアという国を馬鹿にして日本すごいということが言いたい人とかが、あることないこと言ってくる。そもそもロシアのスケートを推しているお前らには芸術やスケート鑑賞のセンスがないとまで言われる、オリンピックにしかフィギュアスケートを見ない人に。ジュニアから見てきた15歳の女の子に向かって、炎上している女になら何を言ってもいいと思っている人たちのセクハラまがいの発言や画像貼りが投げかけられるのもつらかった。ドーピング検査がシロだから何の問題もなく出場してるはずの他の選手まで、女子の筋肉じゃないから筋肉増強剤だとかいやいやむしろ実は女じゃないんじゃないのとかまで悪口を叩かれた。
果てはスケートの有識者ですロシアの有識者ですという人までが酷い陰謀論で記事を書き始め、それが良心で拡散していく。例えば「ロシアのスポーツ選手は貧しい少数民族から人身売買同様にモスクワに出されてきて家族は逆らえない」みたいなやつとか、当時の採点基準でなんにも問題がないスコアを出してきて「ロシアには採点の忖度があってやたら高得点な選手は真っ黒」とか言い出すやつとか。
推しがそんなデマで侮辱されているのが嫌で訂正しようとすると、ドーピング擁護派のほうにカウントされる。なんだこれ。ポジショントークで気持ちよくなってんじゃねーよオッエー。
ちょうどエテリチームの他の選手がドーピング検査をスルーしようとした話が聞こえてきたこともあり、ジャニーズ報道とそれにまつわる意見を見てたら、なんかあのドーピング事件のお気持ち長文を書いて吐き出したくなったのでした。
きっとジャニオタさんの中にはあのときの私みたいな気持ちになっている人もいるんでしょう。
反発するジャニオタさんにそんなに推しが見たいのか自分の欲望優先なのかという言葉が投げかけられているけど、私の身の回りのジャニーズ好きな人でジャニーや会社の対応に憤ってない人はいないです。
ただただ推しやファンにかけられたグルーミングに苦しんで、これ幸いと推しに投げかけられるデマやセクハラに苦しんでおられるんじゃないでしょうか。
でも駄目だ、ああいう児童虐待がシステムになってるところって解体しないと終わらないんだよ。ジャニーとかエテリとかだけ消えても。
あの次のシーズン、暗い怒りと挑発の表情でメディア批判のプログラムを滑ったカミラワリエワの目を忘れない。あれをまんまと国内プロパガンダに利用したロシアを許せない。あちら側に行ってしまった推しと画面越しに目が合って、その瞬間の焦げつくような怒りと絶望をどう言い表したらいいのだろう。
私の推しを搾取していたのは国だけど、ジャニーズは企業なんだからなんとかなるでしょ。解体されてほしい。
ただ、CM降板の企業はちゃんとこれはタレントに対してではなく「ジャニーズ事務所という組織」に対する抗議なんだと表明して不採用にしたほうがいいと思うな。
「インターネットキャバクラ」「弱者オタクの巣窟」などと散々な言われようなVTuber界隈。
自分も例外に漏れず、VTuberにあまりいいイメージを持っていなかったが、
とあるVTuberの、自分もやっているゲーム実況配信がたまたまオススメに出てきたのをきっかけに見るようになった。
気づけば歌枠や雑談配信を楽しみにしたり、絡みのある他のVTuberのチャンネル登録をしたりと
5~6年ぐらい前までは声優や歌手ユニットなどのイベントやライブに行ったりと追いかけてたけど、
仕事や身辺が忙しくなってパッタリ遠ざかっていたので、明確な推しができたのはかなり久しぶり。
「インターネットキャバクラ」とはいうものの、「認知されたい」等の欲求がなければ
ただ聞いているだけ、コメントを残すだけでスパチャを投げない自由がリスナーにある。
メンバーシップ配信でしか聴けない配信もあったりするが、概ね月500円ぐらいと良心的だと思う。
自分は買った事ないけどボイスやグッズ等、リターンがある形で推しを応援できるのもよい。
また、1時間単位の配信を見る時間がなかったら、有志の作った切り抜き動画で見どころだけ見てもいいし、
自分の資力や持ち時間に応じて楽しめるお手頃な趣味だなと思った。
破産するレベルで金を突っ込んでる人はヤバいと思うけど、ゆったり楽しむ分にはお金も出ていかない。
萌え化の問題点はさ、消費される側の体験、暴力性、一方的な眼差しにあるわけで
男が萌え化されてることなんてほぼないんだから男性側の視点しかない時点で例え同じ病気があったとしても議論の要点を欠いてるんだよな
半ば強引に折り合いつけてるとか倫理観の欠如とか被害者不在の倫理なんてクソどうでも良いわけ、消費する側の視点しか持ててない、つまり議論の内容を理解できてないのにお気持ち表明するの、議論に参加する資格すらないわけよ
放射能を全く知らない人が処理水の話題に参加してくるくらい意味不明で場違い、「でも水を捨てるなら海しかないので、処理してるだけ良心的なのでは?」みたいな意見を出される事自体が迷惑というか。まさにこんな感じなわけ
自信過剰すぎて意味わからないし時期尚早すぎるとしか言いようがない
そこの分別はつくようになったほういいと思う
そもそもの話として、小児性愛者であろうとも真っ当に育っていれば良心や良識は存在する。その上で自分の性愛が社会的に受け入れられない、実行してはならない、何よりも相手の尊厳を台無しにする行為にしかならない、と言うのは百も分かってる話。だからこそ良心や良識が機能している小児性愛者は自身の性愛に葛藤し苦悩する。なぜなら自身の性愛が児童の人生を踏みにじる代物でしかないから。真っ当に生きてきて真っ当に生活してるなら、そう言う考えにいずれたどり着く。
そして、そう言う前提があった上で「小児性愛者は見つけ次第処せ!」みたいな扱いを受けている、と言うのが小児性愛者への差別。図式としてはトランス女性への差別と同根で「(その人間の)存在自体が社会への脅威!だから見つけ次第追放しろ!始末しろ!」と有無を言わさず排除する対象としてしか見なされていない。そして「小児性愛」が持つ「児童への重大な加害性」と言う構造から、「小児性愛者」と「みなされた」だけで追放し迫害するのが当然の存在として扱われている。一部の人はこの構図に気がついて排除的な言動は諫めているけど、大多数はこの構図を当たり前として支持し、それを維持することを是としている。これが「小児性愛者」への差別の正体。
無論、小児性愛者の中にも性犯罪に手を染めるやつはいる。実際に児童性虐待記録物が存在する以上、そう言う行為が行なわれている事実は当然ある(とは言えこれは実親や義親、親族などの身内からの物もあると聞く)。ただし、そう言った行為が性犯罪であり、特に児童への重大な脅威となる、と言う事は「小児性愛者」であっても真っ当な環境に居れば共有できている。でなければ、COMIC LOの「YES!ロリータNO!タッチ」みたいなフレーズは生まれるはずがないし、生れようもない。またこれを是とする考えは「小児性愛」が子供を持つ親・社会から脅威として見られている事を理解している証左でもある。
ではこう言う前提があった上で「小児性愛者」への警戒を止めるのが「差別」を止めることか?と問われると、恐らくそれは違う。親であれば子を守ろうとするのは本能だろうし、社会として児童への性加害と言う危機に対策を打つのは当然のこと。これは「小児性愛者」が存在しようとしまいと別に変わらないし、変える必要もない。子供を守り育てる、と言う事は、親が子供を守る、と言う事も意味するし、逆に(虐待などで)児童への脅威となってしまった親から子供たちを守る、と言う面も当然ある。
では何を以ってすれば「小児性愛者」への差別とならないか、と言えば「小児性愛者だから危険だ」と言う考え方を捨てること。児童にとって脅威なのは子供たちへ加害しようとするすべての存在であり、「小児性愛者」だけが「子供達への脅威」ではない、と理解すること。それが「小児性愛者」に対する差別へ荷担しない唯一の方法だと私は考えています。
ラブリーサマーちゃんが「ライブハウスの酒クソマズいのに600円って良心痛まないの?」ってポストして、同意されたり叩かれたりしてるけど、叩いてるサイドの言い分って「飲食店だからワンドリンクはなきゃダメ」とか「ライブ見るための対価だから味は関係ない」とかなのね。
いや、素直に興行場法に沿った興行場の経営権を取得させろよバカタレがよ。
許可が下りやすいって理由だけで飲食店にしといて、飲食店でライブするにはタテマエというか無許可興行じゃないですよって言い訳のためだけにゴミみたいなワンドリンクに金払わされてることに怒っていいだろ。飲食店だからって言うんだったら600円にふさわしいドリンク出せばいいだけの話だろバカがよ。
そもそも何がライブ見るための対価じゃボケェ!チケット代も取られとるやんけ!犬か?ライブハウスの犬なのか?
ワンドリンク代の分、チケットの金額は押さえてるんです。だからワンドリンクはゴミみたいな酒しか出せないんです~ってだったらチケット代あげてまともなワンドリンク出せやボケ。こっちからしたら、600円のドリンクは600円のドリンクなんだよ。
600円払ってうっすいうっすい酒飲まされたら普通に腹立つだろ。え?腹立たないの?美味しい方がいいなぁって思わないの?だったら価値観違いすぎるわ。ごめん。
80年代の週刊誌でのオタクバッシング(宮崎事件以前から存在)や、ゲイへの偏見込みのAIDS/HIV患者への差別的記述とか、みてみるといいかもしれない
記事に出て来る自称専門家からして無知による煽動を行ってたりする
あと、今度のジャニーズの件で、90年代末の文春の過去の裁判がアゲられてたりするけども、あれもあきらかにゲイフォビアを背景にしての報道だったので(タイトルが「ホモ・セクハラ」)
人と比べて良いって思う
いやまぁ人と比べることじゃないんだけどさ
とある場面で、多くの人がどう行動したり、どう考えてるかってのを見て
それと比べて自分はどう行動するか、どう考えるかって思ったりすると
自然と他人に対する思いやりに溢れてたり、自分の利益は全然二の次だったりするんで
あーやっぱ俺っていい奴だなぁって思う
本当に良い人は自分のこと良い人なんて言わないって言われるけどそれはわかる
でもしゃーない
人と比べても俺ってやっぱ良い奴だ
俺のこと良心に溢れた人間に育ててくれた環境にありがとうと言うのと
そんな俺を良いと言ってくれる人たちに「あなたのセンスは間違ってない」と証明するために
俺は俺を肯定し続ける
人間の流動性が加速していく昨今で過度に周りの人間に固執する必要はないし、取り返しのつかない大失態を犯しても環境を一新させることも比較的容易にできてしまう
そんな中で利他性を保って生きていくことが生存につながったような昔に造られた人間本能に準拠する既成道徳や因習に過度に凝り固められ縛られているから生きづらいのではないか
現代社会において利他的行動は我々に幸福感と生の喜びをもたらしてくれるポエム的なものに過ぎなく、利他的行動により生存が圧倒的に優位となれる可能性が高いわけではない
利他的行動は相手の良心に身をゆだねるため相手が利己的ならば奪われる
野生に生きる動物たちはむき出しの本能で日々血なまぐさく争っているが、人間は理性を用いて自分の身体性の限界を拡張する炎や武器などの圧倒的な暴力を生み出し、暴力に支配された自然の理を理性で制限し人間の利己性を押さえつけることに成功した。そして各々の利己性は利他性に奉仕させられそれを美徳とすることで人間は地球の覇者となった。
つまりは人間性の起点は利他性にこそ存在している。しかし人間はいつまでも本質的な原始本能である利己性をなくすまでには至ることができないでいる。
それは人間がやはりどこまで行っても獣であり、自分の体に縛り付けられた理性しか持ちえないからだろう。
だから我々人類は共生の歴史が根深く完全な利己的行動に走るには良心の呵責が伴いこれは簡単に捨てることができない。
完全に利己的行動へ堕するには獣にならなければいけない
獣になってでも生き延びることが美徳か?人間らしい利他性のために殉ずることが美徳か?
それを決めるのは個人の自由で良い、この世の縦横無尽に広がる無限の地平線の深遠さに比べれば本当にとるに足らないことなのだから、、、
今までさんざんリスクを目の当たりにしといて、危機管理なく脳天気にやってきた方が問題だと思うのよね。
代わりに我こそはって大衆やリア充が言い出せるうちにリスク分散させてほしい。
常識ある大衆人と話し合える人たちで消費したりまともな相手に支えてもらったらいい。
それよりこれを機にこの悪いリアルをいいことにしゃしゃり出る悪い転売系やオタクを誘惑するヤンキーな連中も静かになれば大助かりだ。
燃料代高すぎてオタクやヤンキーが喜んで車バイク乗り回している問題にしても原油高にした連中の責任はともかくリスクが表面化しただけでシフトをしなかった連中の自業自得だよねとも思う。今後のためにもそういう悪い意味での依存関係も変える方が良いと思う。反社まがいのバイトもどきやオタ活できる富裕層と無縁の10代がつつがなく車乗り回せる社会になればそれこそ日本に住んでいる人々はみんな大喜びだ。
若者がいいバイクいい車に乗りたければ良心を捨てて悪人に落ちろという風潮のせいで若い堅気者がいい車やいいバイクに乗れない!
こんな悲しいリアルもさっさと変わってほしい!!