はてなキーワード: 範馬勇次郎とは
自分のブログの宣伝みたいになって、恐縮なんだけど…どうしてもエロマンガの話がしたくなって、ブログに書いてしまった。
http://misawa-black.hatenablog.com/entry/2018/07/03/065948
問題になりそうな表現を伏せ字や婉曲表現を駆使し、公序良俗の問題から参考資料を貼ってないことから規約上の違反はないと思いますが…エロマンガの画風のお話です。
ただ、ブログに書いた結果、資料になる画像やツイッターアカウントが貼れないせいで(貼るとどんな規約違反で怒られるかわかったもんじゃないせいで)、逆に資料無しでエロマンガ家さんの名前だけで作風を理解しろ…というハイコンテクストすぎて誰も読めないような内容になってしまった。
増田に書き直している理由は、増田のほうがエロマンガ詳しい人多いのと、増田ならエロマンガ関連のリンク(マンガ家さんのTwitterとか、該当するエロマンガの商品リンク)貼ってもあんまり怒られなそうだから。(怒られない代わりに削除されるリスクはありそうだけど、削除されちゃったら…ごめんね)
資料ありバージョンを下に書いておくので、資料なしで分かる人はそのまんま、資料ありでないとわからない人はこっちの増田を読んでどうぞ。
同じ記事を二回読むのもだるいと思うので、駆け足で資料多めにかく。
ぼくは…大学生の頃、最初の相手がバカでかいおっぱいの持ち主だったから、そのせいでおっぱい星人になってた時期がある。
その時に買ったエロマンガが、toshさんの「めんくい!」というマンガ。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ013027.html
これを6年前ぐらいに買ってから家に大事に保存しておいて、今読み返したら…マンガとして全く楽しめなかった。
つい最近、あるイラストレーターのマンガで「絵が上手くて細部までこだわりや工夫を感じるのに、マンガとしての面白さに結びついてこない」という違和感を感じたため、自分のエロマンガの好みを再考するきっかけになった。
ただ、大学生当時、めんくい!が好きだった頃には、同時にバー・ぴぃちぴっとさんのエロマンガが好きだった時期があるので、自分がロリが好きなのか、巨乳好きなのか悩んでた時期があった。
そんで、絶対数として、手に取る作品がロリ系が多かったので…、「俺、ロリコンなのか?」と思ってた時期があるのですが…これには、違う理由がある。
ロリ系のエロマンガ家さんって込み入った世界観や設定をしてくる人が多くて、読み応えのある作品が多い。
例えば、先程例に挙げたバー・ぴぃちぴっとさんのチェイサーという作品…これは範馬勇次郎をエロマンガにぶち込んだような作品で、すごい読み応えがあるエロマンガ。
http://www.dmm.co.jp/mono/book/-/detail/=/cid=203comic2295/
エロがどうのこうのというよりもストーリー自体がわりかし面白いから、エッチしてないところも全然楽しめてしまう作品なんだよね。
当時手にとったものだと、緑のルーペさんなんかも、そういう方向性の作品が多い。…ロリともペドとも言えるラインではないけど、幼めのキャラクターを駆使するスタイルでかつ、こじれた人間関係…エロマンガでしか描けないモノを描いてくるスタイルの人だから…面白いです。わかりやすいのは「ガーデン」という作品かな。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ101137.html
ぼくが初めて衝撃を受けたエロマンガもやたらこじれた設定ロリ系で…春籠残さんのおともだちという作品に掲載されてる「秘湯乱れの湯」というマンガ。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ004199.html
これ、一般向けの作品だとありえない内容で…友達数人で温泉旅行に出かけると、自分以外の友達は全員乱交する予定で来ていて、自分だけはファーストラブを期待してた淡い夢が打ち砕かれるという抜けるんだけどめちゃくちゃほろ苦いという、エロマンガでしか味わえない風合いの作品。
これ、読んで「えー!エロマンガすげー!!」ってなって何年か経過して書い直すほど衝撃的だし、内容知ってても主人公に隠れながらエッチしようとする抜け駆け組の変な緊張感がくせになって、今でも抜ける作品。(※絵柄的には、かなり古くて、今の大学生以下の子が見ても古臭く見えるんだけど、内容的には、こんなにエロの背徳感と特別感を圧縮している作品はなかなか読めないすごい作品)
…長くなってきたので話を戻すけど…エロマンガとして熱中できる作品、飽きない作品はその時その時のフェチよりかは、込み入った設定や圧倒的な演出力の方が、大きなパイを持つ。
特に、ハーレム要素が強くて、なおかつ女の子の年齢やスタイルを描き分けられる
・師走の翁
あたりは別格に、汎用性が高いため…エロマンガ家たちの中でも、ずば抜けたフォロワー数を持ってたりする。
特に師走の翁はすごくて、エロマンガ家というフォロワー数の99%は男性であろうジャンルでフォロワー8万人という頭のおかしい数字を叩き出してる。
ハーレム要素もロリ要素も少なくて、純粋に演出や恋愛関係で読みやすい人というと…ぼくはスミヤさんをおすすめしたい。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ088986.html
ハーレム要素なくても十分面白い作品が描ける人だけど、リンク先のBitches planという作品の女の子が3人出てくるやつが…スミヤ作品の魅力が圧縮されててすごくいいです。
アブノーマルな男または女を出してきて、関係性や趣味趣向、エッチが盛り上がって高ぶった感情なんかをコマ割りや汗・汁として読ませる能力がすごく高い人。…男のキャラも蔑ろにせずに、魅力やかわいさ、えっちで調子づく感じが描かれているから…感情移入がしやすい作品。
この辺を6年7年かけてじゅんぐりじゅんぐり読んできたから…単純に巨乳が好きとかそんな理由で、大学生の頃に買ったエロマンガでは満足できなくなってる自分がいた。
イラストレーター寄りの作者さんは、立ち絵・全身絵がすごくうまい反面で、コマ割りやストーリーまで見たうえで、読み切ると「これ、そんなに面白いのか?」という風になってしまうため、久々によんだ「めんくい!」が驚くほどつまんないマンガに見えてしまった。1枚1枚の絵はすごいと思うけどね。
かといって、絵だけのマンガ家さん・イラストレーター寄りのエロマンガ家を否定したいという意図はなくて…ぼくは、そっち方面でも好きな人が一人だけいる。
それが、「信じろ」さんというニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨンの、デザイン原案を手がけた作者さん。
信じろさんは…単行本は出してないんだけど、たまたま近所で中古で100円で投げ売りされてた快楽天の中に載ってたマンガがすごくて、印象的だった人。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ048589.html
Twitterとか見てもらってもわかるんだけど、彼が得意とするのは巨乳のおっとり系のキャラクター。でも、それ以外の胸が小さいキャラを描いてもかわいいし、立ち絵のみならず、色んなアングルがすごい。
男が女の子をキュンキュンしながら見ている時の、ドキドキ感とかかわいいと思う部分をそっくりそのまんま表現できている人で、信じろさんが描いたものだと全部がいい(ストーリーやコマ割りだけならもっと突き抜けている人がいるぐらいにベタで王道なところを行ったとしても、画力が圧倒的すぎて、ぜんぶかわいい)というすごい人。
toshさんだって、ほとんど画力だけでジャンプへの連載を勝ち取ったようなすごい人だけど、エロマンガというフィールドに限って言えば、それ以上にうまくて魅力的な作品を出してくる人。
いちど、信じろさんのTwitterの、メディア(画像)のところはマジで見たほうがいい。1つの作風がうまいとかじゃなくて、引き出しが多すぎてビビるから。
https://twitter.com/shnjr2626/media
…てなことを、資料になるリンクや画像もなしで、作者名だけで一般向けのブログに書いたんだけど…どれだけの人がついてこれるもんなの?
エロマンガって、実際に買った人、中古を買って知ってる人、合法にダウンロードしてる人、違法にダウンロードしてる人…といるから、どの程度の人に話しが通じるかがさっぱり分からない。
今度からこういうの書きたい時、どこに出すべきなんだろう?
最近増えてるフリーランス最高!!!とか、起業最高!!!とか言ってる人種が嫌いだ。差別化!!!独自性!!!自分だけの強み!!!と叫びながら、一部のインフルエンサーの言うことをクソ真面目に聞いて、俺も新しい時代の生き方をするんだと意気込んだ無が無を呟くのが気持ち悪くて仕方ない。これからは評価経済の時代でプロ奢ラレヤーは新しい生き方を体現しているんだと大真面目に信じ込んでる大脳皮質がないバカどもを見ていて気分が悪くなる。否定から入るコミュニケーションはよくないってつぶやきをリツイートしながら、自分たちは既存の文化と社会体制を否定することで連帯しようとしているのもクソ寒い。共通の敵を作って仲間内でぬるま湯に浸かるのが楽しいのか。そうかそうか。まぁそういうもんだよな。
俺たちは異常なんだ〜と対して異常でもない奴らが自分の凡庸さと無から目を背けてヘラヘラ笑ってるのも気持ち悪い。オタクが狭いコミュニティの中で自分の性癖がいかに歪んでいるかをアピールして、マウントとってポジショニングするのと構図が同じなんだよ。何も持っていない人間がせめて肩書きだけでもと自分の”個性”を演出しようとしているのもダセェ。自分に専門性がないヤツでも0から始められるアクションの代表が起業とかフリーライターだ。無が肩書きを持って有っぽく振る舞おうとしてる。その人自体に何か新しい価値が付随してるわけではない。もはや個性的な人材でも新しい生き方でもなんでもない。
プロ奢ラレヤーを過剰評価してる人類もうんざりだ。あれを新しい生き方だと褒め称えてる奴、頭おかしいよ。なんでtwitterで見ただけの人をそこまで尊敬できるのさ。だってどう考えても社会不適合者じゃん。会ったらわかると思うんですけど、ただの多動ですよ。新しい生き方なんじゃなくて、プロ奢ラレヤーの生き方。手放しで崇拝するなよ。他人は他人、お前はお前の人生を生きろよ。そりゃあプロ奢氏の無を惹きつける能力は素晴らしい。真似しようと思ってできることではない。すごいんだけど、盲目的に「俺もプロ奢になるんだ!!」ってうおーしようとしてるワナビは、虚無へまっしぐらだなぁと思って受け付けないです。twitterであそこらへんの界隈?に絡んでる奴のプロフィール見てたらあ〜〜〜なるほどね〜〜〜つまんないな〜〜〜って気持ちになった。フリーランス×ブロガーやりたいんだったらつまんないのはダメだよ。他人の言葉をコピーしても熱量はコピーされないんだからお前にしか言えないことを言って欲しい。
成功した人のやり方を真似ても、成功した人以上の存在にはなれないでしょう?その人はその人独自の居場所を確立したから成功しているのであって、成功法則はその人が作った評価時空なんじゃん?そういう人もいるんだなぁと思う以上にのめり込んでどっぷり浸かるのは思考停止で先に待ち構えてるのは穏やかな死か搾取される未来でしょ。成功者に会った人に対する普通の人の反応は、驚愕・尊敬・相対化の3ステージをたどると僕は考えている。これまでの自分の世界観とは異質な世界観に触れて驚く。これはかなりショックの大きいイベントで、受け入れられる人と拒絶する人にわかれる。ふるいにかけられて生き残った人、つまりすごい!!!と心の底から感動した人だけが次の尊敬のステージに移行する。プロ無職すげぇ!!だとか、イケダハヤトはすげぇ!!だとか、そういう精神状態だ。そして「まぁ、あの人はこういう考えだけど、自分は違うんだな」「私のスタンスとあの人のスタンスはここが違う。でもいいところは取り入れよう」と分析して相対化に至る。で、いわゆる信者というのは、尊敬のステージから盲信のステージに入り込んじゃった人のことで、相対化に行けなかった人なのだ。特定の思想が絶対的だと信じて疑わない人。信奉することは何も悪くないと思う。だが、わざと教えにカルト的要素を仕込んでいる教祖はずるいというか、悪徳だなぁと思う。
エホバの証人の教えには、「悪霊たちからいやがらせをされる場合は,み名を口にしてエホバを呼ぶとよいでしょう。そうすればエホバはあなたを守ってくださいます。(箴言 18:10)しかし神の保護を受けるには,心霊術や悪霊崇拝とかかわりのあるものからすべて完全に離れなければなりません。古代エフェソスにいた神の崇拝者たちはそれを実行しました。魔術の本を全部集めて燃やしたのです。(使徒 19:19,20)現代の神の僕たちも同じようにしなければなりません。あなたのお札や魔よけ,“お守り”のひも,呪物,魔術の本など,心霊術とかかわりのあるものすべてから離れてください」
というように書いてある。要は、「エホバの証人以外の人は悪魔サタンに支配されているから関わりを断て」ということだ。#起業しろの人とかはまさにそうで、自分の仲間を増やしたいがために、若者に後戻りさせないよう引き返せないよう迅速な決断を迫っているのである(ここら辺の決断を熟慮せず悩むことなくできるのが、ADHDで多動入ってる系なんだろうなという雑感想)。えいやっと割り切ることでしか手に入らないものもあるし見えてこない世界もあるのはわかるから、起業推進系VCとかエンジェル投資家を否定しようというわけではないのはわかってほしいな。
落合陽一周りをうろうろしてるNewspick張り付き意識高い系おじさんも嫌いだ。手を動かせっつってんだろ。落合陽一の文章のうまいところは、カタカナマシマシ学術用語マシマシで翻訳したら簡単なことしか言ってないというところだ。彼がAIを偏微分装置だなんだ生物は計算機だどうのこうの未来は自然(ネイチャー)に計算機が溶け込んでいくのだなどと冗長に表現するのを、専門外の意識高い理系が頑張って解釈して、「俺はわかってる側なんだ」と優越感・選民意識を持つ。さすがだ。これはまさに与沢翼が信者に買わせているメルマガで使っている手法だ。脳に負担を掛けさせるだけのガチガチに硬い文章を読ませて、単純な内容を苦労して理解させる。こうして得られた情報は、信者にとっては神託として作用し、自分は周りと違って「リテラシー」のある人材なのだと錯覚するのだ。うまい、うますぎる。
互いに褒めるのが一時期流行ってたけど、あれも最高にキモい。なんだよ構ってちゃんかよ。そんなに褒めてもらわないと死んでしまう病気にかかってんのか?一般社会に適合できなかった人が自分のいいところを見つけてもらって承認されようとしている光景が嫌だ。別に承認を求めるのは悪くない。だってみんな承認されないと生きていけないから。でもその承認の過程を、さも新しい運動だと喧伝して新しい活動だとアピールするのは、欲望を綺麗にパッケージングしているにすぎない。自分の居場所を、アイデンティティの固定を求めているのだと意識していないのを嫌悪している。
これがワールドスタンダードだから、とかアメリカでは〜だからと言って日本の文化風土が遅れていると批判している奴に、ここは世界じゃない日本だと言いたい。海外には海外の文化風土と国民性と歴史があって、これらに合致した制度が作られてるの。日本には日本の文脈があるの。そりゃあ日本の制度は非効率的でグダグダで今にも沈みゆく船かもしれないけど、そこにしがみついて生きるしかない人々もいるわけ。変えるなら場所を変えろ。ここにいるな。一人で逃げるのが寂しいからって他の人を巻き込んで行くんじゃない。まずはお前が一人で出て行け。そんで出ていった先で幸せそうにしておけ。本当にそこがよかったら自然に人は流出して行くから。いいか、一人でやれ。
zozotownの平社員だかなんだかの、炎上商法で人の感情を煽り立てては「はい今お前俺の言ったことに反応した〜〜〜wwwww俺の勝ち〜〜〜〜〜wwwww」という姿勢がめちゃくちゃ嫌いだ。メッセージを伝える、少なくとも見てもらうための方法なのは理解できるけれど、他人を不快にさせてもいいという態度はさっさと死んでしまえと思う。伝えたいことは、相手が受け取りやすい形で伝えるべきだ。キンコンの西野もだぞ。あとこいつらのやり方をみて、フォロワーを獲得するのに繋がるから俺はいいと思うけどな〜ってしたり顔で語る意識高い系を装ったクソも嫌いだ。他人に迷惑をかけるのは仕方ない。誰もが迷惑をかけてかけられて生きていくしかないのだから。でも意識的に他人を不快にしてもいいわけじゃないだろ。さっさと熱狂的なファンに刺されてしまえ。腹が立つ。善意を利用して金をとる、愛につけ込んで時間を奪う、畜生だな。おい、秋元康、聞いてんのか?おまえもだ。ソシャゲのガチャを考案した奴もだからな。天国に行けると思うなよ。
フォロワー◯◯人集める方法教えます!!とかスポンサーつけて●●円稼ぐ方法noteで売ります!!っていうのに嫌悪感がある。あれじゃん、与沢翼とか情報商材と同じじゃん。「お金稼ぐ方法売ります」が「フォロワー稼ぐ方法売ります」に変わっただけじゃん。ごく少数のインフルエンサーが大多数の無から金を吸い上げるだけ。確かに、金よりはフォロワー稼ぐ方が実現のためのハードルは低いから、まだ優良なのかもしれないが、本質的に価値を生み出すような行動で金を稼いでいないのは気持ち悪いと思う。実労働が伴っていないのだ。あぁ、もし僕にお金があれば、インフルエンサーが売っている無の情報を買い集めて無料で公開できるのに。情報は広がっていく性質を持っている。その流れをせき止めて、価値があるように見せかけて利ざやを稼ぐ行為を私は好まない。価値を生み出せ価値を。お前にしかできないことかそれは?実質を伴っているのか?他人の劣化コピーに成り下がった人間は死ぬほどつまらないぞ。
あと何かにつけて海外に行こうとするのなんなの?トビタテなんとかプロジェクトをいろんな大学が推進してたけど、大学に教育する気力もリソースもないから外注するってバカなの?いつから大学は知の養成機関から二流旅行代理店になったわけ?海外留学がレールを外れることみたいな風潮あるけど、それめっちゃ他人にレール敷かれてるじゃん。ありきたりすぎる。海外にいくのが異常で独自性で新しくて自分らしさだとかマジで信じ込んでるの?短絡的すぎて脳みそショートするわ。わざわざ国の税金を浪費しなくても、日本にも新しい価値観に触れられる場所はいくらでもあるぞ。なんなら日本の国土の三分の二は森だからな、近くの山に行って森で一ヶ月暮らした方が圧倒的にブルーオーシャンでしょ。西成に行って日雇い労働してみた方が誰もやってないからレアでしょ。なんとなくみんなが行ってるから海外に行くっていうのはレッドオーシャンじゃない?あとたかが海外に行った程度で価値観変わった〜〜って思うくらいの経験しかしてないのってめちゃくちゃダサくない?wowwow
インフルエンサーはわりとまともなことを言っていたり、真理情報を握っているのだが、その周りでうろちょろしてる人間が大嫌いだ。ホリエモンが言った言葉を文字起こしする、図解する、本にする、ゴーストライトするなどの仕事をもらって日々口に糊する糧にするのは大いに結構だが、インフルエンサーが提示する価値観に染まりきって他の文化体系を取り込もうとしない態度は気持ち悪い。それ、ただの新興宗教やぞ。カルトやぞ。ロールモデルは大事だ。正しさなんて誰も保証してくれない世の中で、生きる指針・データセットとして有用だ。だが、特定の人、特定の集団に共鳴して絶対的だと信奉するのはあまりにも気持ち悪い。そこにお前という個人は存在しなくて、ただの情報の結節点に成り下がっている。いいのか、それで。つまらなくないか?みんながみんな、「ひととの繋がりってやっぱ大切だよね〜」と同じ表情で同調して笑う世界がそんなに面白いか?僕はそう思わない。ヘラヘラ馴れ合うな。お前は個性的なんじゃないぞ。ただの社会不適合者だとを手帳にでもMacBookのデスクトップにでも書いておけ。
どいつもこいつも多様性が大事だ大事だと言いつつも、多様性が死ぬコミュニティに飛び込んでいる。矛盾だ。クズも利口もエリートも筋肉もメンヘラもオタクも意識高い系も引きこもりニートも普通の会社員もおじいちゃんも赤ちゃんもヤクザもアルコール依存症も発達障害も健康優良児も腕がない人もある人もゲイもレズもポリアモリーもノンセクシャルもノーマルも自営業も高学歴も中卒も野蛮人も文明人も右翼も左翼もリベラルも宗教家もメンサ会員もいるのが多様性だろ。
「普通の社会」に生きづらさを感じて逃げてきたのは素晴らしいことだと僕は思う。だって辛いことをしてたらしんどいもの。しんどいことを続けてたら死んでしまうもの。死んでしまうと僕は悲しい。人はすぐに忘れる生き物だというこじらせメンヘラもいるかもしれないが、それは誤りだ。僕は死んだ父のことを一生忘れることはないだろう。虐待で死んだ女の子のことも、自殺したご当地アイドルも、メンヘラ.jpのライターの首をつった妹も、もしかしたらこの後自殺する予定のお前のことも、僕は一生死ぬまで抱えて生きていくからなバーカバーカ。忘れるんじゃなくて、心の中から血反吐をドバドバ垂れ流しながらとてつもない喪失感に慣れるんだからな、そこんとこ履き違えるなよ。死にたいと思うならいくらでも死にたいと言え。希死念慮なら僕も持ってる。いつもそばにいてさっさと消えちまえよと囁いてくる。俺も消えたいよ。この世には苦しみしかない。生きる意味なんてどこにもない。意味があると盲信して生きている人しかいない。だから僕より先に死んで勝手に救われようとしてんじゃねえよ。
取り乱した。申し訳ない。
つい数日前に、名刺を全部捨ててる発言のたかーぎとかいう奴がなかなかホットだったが、僕もあれは嫌いだ。嫌悪。上の世代の価値観を否定することで自分の立ち位置を確立し、賛同者を集めるという行為は、フォロワー集めと信頼稼ぎの手法として効率が最高に良いし実際にやろうとしてやれる人はいない。素晴らしいと思う。天才だ。だけど、この世界のほとんどは従来のパラダイムに乗っかっている人で動かされているわけで、彼のパフォーマンスは彼らに対するリスペクトを捨てているからこそ得られる効用なのだと認識しなくてはならない。新しいパラダイムを作り出す集団は、旧来の価値観の否定なしには動くことができない。これもまた事実だ。僕が言いたいのは、手放しに全てを賞賛するのは間違いだということだ。アリストテレスも孔子も中庸こそが目指すべき立ち位置だと言っている。
歴史的コンテクストと共感不可能な他者への尊重を失ったムーヴメントを、私は拒否する。
これが僕の基本的な生きる姿勢だ。好き・嫌いと関わりたい・関わりたくないは別方向のベクトルだと僕は考えている。正直起業家ワナビもプロなんたらもほにゃらら2.0を進めていくんだと意気込む虚無も、大嫌いだ。だとしても、嫌いなものから目を背けてしまっては学びがない。可能性を捨てている。共感不可能な他者と共感可能な自己を理解&比較して初めて知を獲得できる。範馬勇次郎はこう言っている。
「防腐剤...着色料...保存料...様々な化学物質、身体によかろうハズもない」
「しかしだからとて健康にいいものだけを採る、これも健全とは言い難い」
「毒も喰らう、栄養も喰らう」
「両方を共に美味いと感じ、血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
ニュースに集まる反応見てるとムカついてムカついても~しょうがない。公共の福祉ってもんを勘違いしてるヤツが多すぎる。
「世界のみんながニコニコ笑顔で幸せになればいいナ」みたいな慈愛に満ちた理想主義者の発想だと思ってるやつがたくさんいる。
れで「現実主義的」な連中は訳知り顔で「社会ってもんは理想通りにはいかないんだからさ」とか「そういう甘えが許されるほど世の中は優しくないんだよ」とか言う。「自分の権利の主張のために他人に迷惑をかけちゃああかんでしょ」とか、一瞬納得しそうになる言葉も巧みにあやつる。
そんなわけねえだろ。福祉はもっとドライで厳しくて冷徹な仕組みなんだよ。自分の権利を主張したら無関係な他人が迷惑なのは当たり前なんだよ。昔のアメリカのバス利用者だっていきなり黒人の活動家がぞろぞろ乗ってきて大騒ぎになったときはさぞ迷惑だっただろうよ。
それを「受け入れなければならない」のが公共の福祉の精神ってやつで、福祉を成り立たせるために自分がワリを食うのは当然なんだ。
車椅子で好きなときにどこにでも行けるようにしろって主張に「甘えるな、その金と手間を社会の誰が払うと思ってるんだ。なんでも当たり前にできると思うな」と思うやつは、その金と手間を支払いたくないから社会に甘えている。福祉の冷徹さってそういうことだよ。
無関係で弱くて怠け者な他人のために自分が損しないといけないのが福祉社会なんだよ。
なんでも当たり前にできると思うなよ。
そして「人権」が発明された以上、そういうルールを設定するほかないからだ。誰もが障害者や貧乏人に「なりうる」という前提のもとで「誰もが不自由なく暮らせる社会」を実現するには、そうするしかない。
範馬勇次郎みたいに独力で生きられるなら必要のないルールだろうけどな。
これを否定するなら、カースト制度でも復活させればいい。そのとき自分が奴隷になったとしても文句は言えないが。
いざ自分が損する段階になってグチグチ言うのは選民意識と貧乏根性が混じり合って非常に醜い。
「車椅子の人間を乗せる手間がかかる以上、割増料金にするべき」みたいなコメントも見たな。たしかに手間には相応の金がかかるからな。だがその料金を「車椅子の客だけが」払わなくちゃならない根拠はなんだ?利用者全員で払うんだよ。公共の福祉ってそういうことだよ。
レストランで喫煙する客にだけ「灰皿使用代」を上乗せして請求せず、客全員に費用を負担させていることのほうがよっぽど納得いかないけどな俺は。
で、こういう話をしてると「態度が」「言い方が」「やり方が」とかいう話題にしたがるやつも沢山いる。
いまはシステムの不備の話をしてるんだ。個別の事例と感情論で議論してたら結局好き嫌いの問題でしかなくなっちまうし不利な立場の少数派が多数派に異議を訴える行為が穏当にいくわけがない。
「誰がどこにでも行ける社会」と「一部の人が事前に連絡を入れれば大抵の場所に行ける社会」は全然違うってことに、普通は気付けない。現実は誰かが迷惑をかけなければ動かん。