はてなキーワード: 入院とは
ウィルスは忖度しないんだから無差別に人は死ぬかもしれないけど上級国民は優先して入院できる
それ以外の非上級国民は経済回転優先してマスクも外してバリケードも外せばいい検温もしなくていい緊急事態宣言も形骸化したからどの企業も自粛不要
科学頑張るぞい!やってる国で科学に政治を持ちこんだりデータにバイアスかけたりするのは日本と中国くらいだし
テスト意味ないとか言ったり金払っても上級国民優先で入院出来ないのも日本くらいだ
『病院は公共財』の意味が理解できないバカが許されているのはある意味で多様性のある国なのか?
封建的な不公平を改善できない足枷でしかない様な気がするが・・・
5年スパン見ればほぼ終息すると思うけどな
あと、気づいてるか分からんけど、
例えば糖尿病の薬で毎日注射(月30回)の人が月1や月4の注射で済むようになるって
結果的に糖尿病での通院や入院が減るし、使用する針の本数が30→1本になってコストも削減できるわけよ
針注射の回数減るってことは、雑菌入ったりする合併症リスクも減るわけだし
婆ちゃんが脳血管障害で倒れて認知症+寝たきりで入院することになってイヌ(チワワ)を仕方なく引き取ったけど母の方針で治療には一切金使わないって約束だったからお腹にデカい腫瘍が出来てもそのまま死んだな。享年12歳。
難病の愛猫が回復…飼い主に届いたのは、ピカピカになったスープラ
https://withnews.jp/article/f0210921005qq000000000000000W00b10401qq000023522A
年功序列で次のリーダー候補に仕事を教えてたけどまぁ、仕事が出来ない。
もう一人のリーダー候補はミスを絶対に認めない。ヒステリックで他後輩や上司に訳の解らない怒りのメールを送る事もザラ。
それでも、良い所もあるし、長く勤めてるから…と何とか育てようと頑張ってた。部下を育てる為に自分の仕事は残業して終わらせた。
上司や部下の間に立ち、不満を聞いては衝突しない様に立ち回った。
私が頑張れば仕事が周る。
私が我慢すれば解ってくれる。
入院中暇なのでYou Tubeを見てたら、ひろゆきの切り抜き動画を見つけた。
面白そうたので見てみたら、私と同じ境遇の人からのコメントにひろゆきが回答していた。
「無理です。諦めましょう」
驚いた。目から鱗が落ちまくった。頑張れば救われる教で、社畜世代の私には物凄い衝撃だった。
ひろゆきのある意味適当な回答は、努力教に汚染されていた私の固定観念をひっぺはがしていった。
言い訳ばかり言う人に無理に教えても覚える気がないし、自分が疲れる。それなら他の有能な人に時間を割いたほうが良い。人には得て不手がある。
当然の事なのに、どうして気が付かなかったんだろう。
恐るべき、努力教。
そろそろ退院の時期になる。
これを見ているデブ、死にたくなければ今すぐ痩せろ。
俺は医療機関で働いているが、20〜40代で重症化してるのはほぼほぼ皆BMIが高い。
BMI30からやばくて、40超えで入院してる患者はほぼ呼吸状態の悪化のためすぐ気管挿管されて人工呼吸器を付けられてる。
もちろん重症化患者のなかには基礎疾患に喘息や糖尿病があったりヘビースモーカーだったりすることもあるだろうが、
基礎疾患がないのに何故か重症化してる若いやつは間違いなく肥満だ。
運悪くコロナにかかったとしても、集中治療室に入れられて生と死の狭間を行き来するのは嫌だろ。
健康な若いやつが罹患してもただでさえ体験記などで地獄と表現されているのを嫌という程見てきただろ。
家族を養わないと行けないやつもいるだろう。
小さい子供がいるやつもいるだろう。
身動き取れなくなって崩壊するぞ。
こういう俺も実は肥満なので、勤務上罹患リスクが高いからめちゃくちゃ頑張って減量し始めた。
100kgから85kgまで落としたが、健康体重にはまだ程遠い。
今すぐ痩せろ。一緒に痩せようぜ。
体格は中肉中背なのになぜ無呼吸症を発症したんだろう、長く放射線研究の職にあったそうで上級国民だろうか、CPAP使用歴もある
大いびきをかくためか重度の難聴を起こしており、言葉ではうまく意思疎通ができない
白血球値は5日間で19000から5000個/μl台まで下がった、高い回復力があった
しかし無呼吸症のせいで血中酸素濃度SpO2は100〜65を行ったり来たり、その処置は酸素マスクのみ
しかし主治医はその使用も退院も許可せず、肺炎が治癒したことも家族に伝えようとしない
男の常用薬の投与すらすっかり忘れられていたのだ
そして主治医は意思疎通ができない人間に急性期治療はしないという
家族が命乞いと転院準備をする中
男は入院後25日で死んだ
怒り、泣きわめく家族
どう?この人体実験同様の結果は?
たぶん幼稚園の年長か小一くらいの時のこと。
ある日の夕方、母が弟妹を連れてちょっと本家に行ってくると私に言ったのだが、私はテレビで『天才バカボン』を観るのに夢中になっていて、「わかった」と生返事をした。母はそんな態度の私に腹を立てていたようだ、というのは覚えている。
荒々しく玄関の引き戸を閉める音がして、家の中が急にしんとした。それでも私はバカボンを観続けていたのだけど、番組が終わるや、急に寂しくなった。私はそのとき、母が「本家に行く」と言ったことを忘れて、母を探したがおらず、弟妹も誰もいない。小さい頃ずっと私の面倒を見てくれた祖母は、長期入院中で家にいない。今思えばそんなに長い時間ではないのだが、家に一人ぼっちで置き去りにされたのは初めてで、私はパニックになった。
私は大声で泣きながら家の外へ走り出た。庭にも誰もいないのを見て、駐車場から敷地外へ抜け出して農道に出た。門扉を開ければ庭から直接公道に出られるのだけど、それはしなかった。「勝手に門を開けて道路に出ると車に轢かれておっ死ぬぞ」と、小さい頃から祖母に脅かされていたためだ。
畑にも誰もいないことを見てとると、私は泣きながら農道を歩いた。農道の、畑から公道までの間の距離は短い。たぶん20メートルもなかったと思う。私はその短い距離を行ったり来たりした。
母は本家に行くと言っていた。本家までは数百メートルくらいだっただろうか。私の家と本家までの間には、屠殺場と二つの工場があった。そのせいで、うちの目の前の道路は二台の車がすれ違う程度の幅しかないのに、日中は沢山の配送トラックが行き交うし、通勤の乗用車やバイクもよく通った。幼い子供が一人で通るには危険な道だったから、「一人で道路へ出ない」と厳しく言い付けられていた。だから、母はきっと本家にいる、と知っていても、砂利道の農道からアスファルトで舗装された公道に出る勇気が私にはなくて、ずっと農道の、家の垣根に沿った部分を私は往復し続けていたのだ。
時刻は午後6時を少し回ったところだったと思う。確か『天才バカボン』は6時ごろに終わったからだ。外は夕暮れどきで、東の空が薄いピンクと紫のグラデーションで、少し霞がかっていたと思う。近所の屠殺場も工場もとっくに終業していて、車通りの少ない時間帯だったはずだ。でも「一人で道路には出ない」という約束だったから、私は他にどうすることも出来ずに、大泣きしながら同じ所をぐるぐる歩き回っていた。
そんな時に、本家の伯母がやってきた。
「おっかさんがお喋りに夢中になってっから、ちょっと心配で見に来たのよ」
と言って、伯母は私をおんぶした。私は伯母の背中でわあわあ泣いていた。伯母は私を背負ったまま、公道と農道の接する所に立って、母が弟妹を連れて帰ってくるのを待った。伯母が来てくれてから、母が戻ってくるまでにはそんなに時間はかからなかったと思う。
泣いている所へ伯母がふらりと現れたことは、当時の私にとっても不思議なことだった。我が家には、よく祖父母と伯父が遊びに来たものだが、伯母が来ることはなかった。伯母はいつも本家の台所か、近くの畑にいた。寡黙で余計な口を利かず、そして何故か家族親戚から疎まれている人だった。家族からちょっといじめられていて、それに黙々と耐えている姿が近寄り難くて、私は本家の人達の中で伯母にだけはなついていなかった。伯母も私には数多くいる親戚の子の一人であるという認識しか持っていなかったのではないか。赤ちゃんの頃から知っているにしても。
なのに、そんな伯母が、
「あぁよかったよぉ」
と、真底安堵した様子で私をあやした。伯母が素の笑顔を見せること自体がとても珍しいことだったように思う。
だから、伯母に助けられたことが私の記憶には鮮明に残っているのだけど、そんなことがあったのを綺麗さっぱり忘れた母は、「まさかあの人がそんなことを?」という。
それから30年くらい経った時、父と話ていてひょんなことから伯母が何故本家であんなに疎まれていたのか、その理由を知った。
伯母はまだ若い頃は身体が弱くて、たびたび実家に帰っていた。そのことを元から「言い訳だ」と家族には思われていたようであるのだが、長男を出産した後に決定的な事故を起こしてしまう。伯母は不注意から自分の長男を死なせてしまったのだ。
当時、伯母の長男はまだ一歳半だった。全く分別がないのに活発過ぎるほど活発なお年頃だ。伯母は出産後の里帰りから本家に帰らず、長男息子と一緒に実家にいて、その日はどうやら床に伏せっていたようだ。それで長男は母親が寝ている隙に家から出てしまい、用水路に転落して溺死した。そのために、祖母をはじめとする身内から責められ疎まれたのだ。
私の母が幼い私を一人きりで家に残して来たのを知った時、伯母は「ちょっと心配」どころか、かなりの危機感を持って私を探しに駆けつけたのかもしれない。私の両親は「あの人にそんなことが出来るわけがない、いつもボーッとしてるんだから」と言うけれど。
もう21年だよ。21年介護してるの。福祉に助けを求めて介護施設に入ったらワガママ言いまくって追い出されてそれを繰り返されて、どこにも入れないの。
うちはこいつのせいで金が無くて、俺もバイトできる前から金を搾取され続けてきて、まともにお年玉なんかもらえなかったし親戚からもらっても貯金という名前で使われたし、
毎月の小遣いももらえなくて、自分でバイトできるようになるまでほとんど無し。
友達と遊びに行くこともできなくて、そのせいで友達が減るし卒業後の同窓会なんか声もかけてもらえない。
バイトできるようになったら、今度はこいつが「育ててやったんだから稼いでこい」って言って稼いだものはほとんど取られ、
社会人になって、ようやく家を出たんだけどその直前に作ったクレカを勝手に使われて借金返済に追われる日々。
その途中でこいつが酒の飲みすぎで倒れて入院費はかかるわ、要介護になるわで一人暮らしなんかしてられなくなるわで地獄。
そんなこんなで21年経ってた。
福祉って助けてくれるような事をいうけど、結局こんな手間のかかる老害は相手にしたくないって言って何もしてくれないんだ。
書類集めしてやることやっても、なんだかんだ理由が付いてダメダメの連続。
その間に自分は介護のせいでろくな仕事も出来ず、どんどん歳を取るだけ。気がつけば結婚すらもうできない中年ですよハハハ。
ちょっと前に子供部屋おじさんなんてワードが流行ったけど、絶賛継続中だよ子供部屋おじさん。
出ていくことも許されないとか笑っちゃう。
何度か死のうと思ったけど、死ぬって負けた感じが凄くてムカつくんだよね。
死ぬくらいなら、老害が消えた後に遊べる日々を夢みたいって感じ。
まあその頃は大事な時間は戻ってこないで、今度は自分が死のカウントダウンを聞くんだろうけど。
面白いよな、介護に追われて今度は自分が死ぬまでのカウントダウンを聞く羽目になるんだよ。
テレビやネットだと、金配りのおいちゃんとかYouTuberとかが金稼ぎまくって楽しんでるのに
自分の人生の足引っ張られて毎日コロナやクソみたいな政治家の暗いニュース聞きながら生きてるの。
ほんとお笑いだよ。
ムショでも入れば楽になるのかなって思うこともあるけど、他人様を迷惑かけてムショとか考えらんない。
それでさえ、介護のおかげで迷惑って感じてるし迷惑を感じてる分、他人に迷惑かけるとこんなに相手は辛いってわかってるし。
無理。
人は他人に迷惑をかけずに生きてはいけないけど、自然に起こる迷惑と故意に起こる迷惑は全然違うから無理。
じゃあ介護は自然に起こるものじゃない?って感じなんだけど、自然に起こるものかもしれないけど過度の飲酒で起こる介護は故意の迷惑だよ。
ガキから金を搾取し、やりたい放題やった結果で介護が必要って馬鹿でしょ。迷惑以外の何物でもないよ。
もう疲れた。
本当に疲れた。
私は22歳で声変わりしました。ほとんど全部の二次性徴もこのときに出ています。投薬のおかげです。今では40歳も過ぎ、結婚して2人の子供もいて、幸せな毎日を送っています。同じように悩んでいる人が検索してヒットし、ヒントになればうれしいと思い、これまでの私の記録を残しておきます。
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人口数万人の地方都市に生まれました。高校までは公立で、徒歩と自転車で通えるところにいきました。成長が遅いと気づいたのは中学2年生くらいの頃だったと思います。小学校に入った頃にはクラスの中でも身長が高い方でしたが、中学校卒業の頃には自分より小さな男子は1人か2人でした。それでも学級委員長をしたり、生徒会に入ったりするような子供でした。運動はできなくても勉強はできたので、からかわれる場面は少なかったと思います。
病院に行ったのは、大学に進学した直後です。高校卒業までは病院に行くことは思いつきませんでしたが、進学した大学があるところは生活圏にいくつかも総合病院があるような大きな都市だったので、ふと思い立って病院にいくことにしました。どの診療科を受診していいかもわからなかったので、窓口でどきどきしながら聞いたことを覚えています。結局、内科に回されて、さらに診療してくれた先生は別の先生を紹介してくれ、その先生からさらに大学病院の先生の紹介を受けました。大学入学の4~5月に長い時間がかかりましたが、結局はその後10年に渡ってお世話になることになり、非常に幸運だったと思います。
大学の病院でも診断のための検査は、血液検査から始まって、脳のMRIを撮ったり、さらに入院して負荷試験を行ったりと、結局は8月まで掛かりました。もう20年も前の話ですし、今は血中の性ホルモンの量も血液検査でわかるようになったはずですので、検査にこんなには掛からないかもしれません。
治療は間欠持続注射というものでした。スマホよりやや小さく、でも分厚くしたようなサイズの装置に乾電池と注射液が入っていて、おなかにずっと刺しっぱなしの細い注射針から90分~2時間に1回、注射薬が打たれるというものです。注射薬で入るのは、脳の視床下部から普通は分泌されるホルモンに似たもので、私の視床下部には出すことができないものです。これを足すことで、精巣を刺激して男性ホルモンが出ます。男性ホルモンを出す機能は、私は失ってないようです。診断病名は「視床下部性性腺機能低下症」で、治療薬は「ヒポクライン注射薬」です。あとで書きますが、最近はもっと楽な方法もありそうです。日本全体でも患者数はそれほど多くなく、大学病院でも理解のある先生は多くないかもしれません。診療科としては内科、特に内分泌を扱う内科ということになります。糖尿病や成人病の方もこの診療科に来ますので、病院での待ち時間は長くなりがちです。
ただ、大学では運動部に入っていたので、注射針をずっと刺しっぱなしにすることができませんでした。運動前に抜いて、帰宅後にまた刺すんですが、運動部でつかれてそのまま眠ってしまうと、朝にまた刺し直すことになります。実はこれがよくなく、ずっと刺すことで薬が効いて声変わりが始まったのは、4年生で研究室に配属になった後の5~6月頃でした。22歳でしたが、身長も10cmほど伸びました。
声変わりがなかったり、精通がなかったり、性器周りの気が生えなかったりで困ったことは、数限りなくあります。恋愛に不自由したり、アルバイト先の接客で客に笑われたり、運動部の合宿でお風呂に入るのが恥ずかしかったりというのが、すぐに思いつきます。
逆に治療中には、治療費が問題になります。一番払ったときには、月に20万円を超える額を払って、高額医療費制度を利用して5万円超くらいまでに抑えました。それでも学生には非常に高価な買い物だったので、成果の出ない時期にはやめてしまおうかとも思ったことがあります。ここ数年で公費申請が可能になったため、申請が認められれば月1~2万円程度に抑えられるはずです。いずれの金額も、家庭の収入に依ります。詳しいことはキーワードで検索して調べてみてください。公費申請時には、薬が入る前後のデータが必要になったりするので、治療が始まるできるだけ早い段階でお医者さんに相談することをお勧めします。長期海外留学などで薬が切れてしまうことも問題にはなりましたが、お医者さんに嫌がられながらも4か月分くらいならなんとか薬をたくさん受け取ることはできました。
声変わりして、身長が伸びた後も、果たして自分に子供ができるのかは自信が持てませんでした。付き合い始める直前の彼女には説明をしましたが、彼女はそれでもいいと言ってくれました。結局、彼女は奥さんになって、子供も2人できることになります。お医者さんにも薬にも感謝しています。私が生まれてくるのが20年早ければ、きっと治しようもなかったでしょうから、私は幸運だったと思います。
もう子供も2人で十分ですので、治療薬は「テストステロンエナント酸エステル」に変えました。2週間に1回、病院で筋肉注射を受けます。男性ホルモンを直接的に補充することになりますので、人間としてやや不自然になります。子供が欲しいのであれば、お勧めできない(どう影響するかわからない)方法だと、お医者さんには聞いています。ただし、治療費負担は1回で1,000円以下と非常に安価になります。ずっとつけてないといけない注射針から解放されることもありがたいです。一方で「ヒポクライン注射薬」の間欠持続注射の機器を使っている患者も、もう日本で数名しかなく、もし壊れたら機器の予備はないとも聞きました。最近は何か別の治療方法が出てるんでしょうか?
働いていても、妙に声の高い男性の方を見かけることがあります。同じ病気じゃないだろうか、治療すれば治るんじゃないだろうか、と思ってしまいます。私が悩んでいた20年前には、インターネットにこの手の情報も載ってませんでしたが、今調べると多くの病院関係者の方が情報提供してくれているようです。もし悩んでいるようでしたら、専門にされているお医者さんか、大学病院のような大きなところで、お話を聞いてみてもらいたいと思います。
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
RRDさん がスターを付けました。
deztecjpさん がスターを付けました。
sisyaさん がスターを付けました。
【独自】池袋暴走・飯塚被告控訴しない意向固める 禁錮5年確定へ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/72eb48f1cf92bc4ca99a2b3340f20fc7d0469b89
ふーむ。
飯塚幸三氏といえばいわゆる「上級国民」として大いに世間を騒がせた(ている)お人である。Wikipediaを見るに書き写すのも苦労するほどの数々の役職を歴任しているまさにエリートと言って差し支えはないだろう。氏の経歴を見て「金銭的に困窮している」と感じる人はどれほどいるだろうか。私は非常に裕福な人物だろうというイメージを得た。もちろん表に出ていない金銭的に大きな失敗がなければ、という前提をもって。
さて、そのような人物につく『型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?』この表現について考える。「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」これは何を指すのだろうか?
1.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民より非常に低く貧困層だ
2.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民的なものだ
3.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は一般市民より多く富裕層だ
4.型落ちプリウス自分で運転する程度の人物の資金力は非常に多くいわゆる億万長者や特権階級だ
下から上まで書いてみたが、どれかは当たっているだろうか?見落としがあるだろうか?
書いておいてなんだが、1は流石に除外したい。生活必需品になりうる一部地方は別として東京で車を持てる時点で貧困層よりかは上だろう。
つぎに「型落ちプリウス」が「安い車」ということだとしてひとつ言葉を変えて遊んでみる。
これはすごいことだ。バカな私でもわかる。私生活で人を雇うという時点で裕福という形容では収まらないほどの資金力を感じる。中小企業の社長といえど車は自分で運転しないよなんて人は肌感覚でめったにいない。いや私の知る人にはいない。すると少なくともこの反対、それ以下の表現では4はないだろう。そこまで考えなくても「特別扱い」に疑問を投げかけているということは「特別ではない」証拠に「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」を挙げているわけだし。
では3の裕福だと指摘しているのか?
「胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度に裕福なだけの人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?」
さてどうだろうか。前二つが「サゲ」ているものに「裕福」というアゲの表現はしっくりこない気がする。「金で道理を捻じ曲げられるほどではない」という意なら「サゲ」ではあるのだがそういった意図だろうか。
これに限らず真偽は深堀しないが(車に詳しくないのだ)飯塚幸三氏が乗っていたのは「2代目プリウス」だという情報がある。さまざまな箇所で取り上げられているのでおそらくは正しいだろう。
販売台数は119万台。価格.comでは「新車価格: 189~325 万円」。悪名ではあるが「今日のプリウス」や「プリカス」という言葉が広まる程度には「庶民的」だ。
https://global.toyota/jp/prius20th/evolution/
2003-2009
2代目プリウス
事件が起きた年が2019年。新車と仮定して乗っていた期間は16年から10年。間をとって13年。これらが長いか短いか。
一般財団法人 自動車検査登録情報協会の資料を見てみよう。
https://www.airia.or.jp/publish/file/r5c6pv000000m20m-att/r5c6pv000000m211.pdf
平均で13年乗って普通だそうだ。16年だと少し長持ちしている感覚だろうか。間をとって13年はまさに平均である。
つまり「平均的な車を平均的に乗り回していた」そんな人物の「資金力」を考えるべきだろうか。(軽自動車でもないプリウスが平均的かは少し置く。)
平均的な乗り方をしているので平均的な資金力である。というのは簡略的にすぎる。「金持ちは車をバンバン乗り換える」そんなイメージが少なくとも私にはある。では10年以上車を買い替えない人物は裕福ではない?対偶を意識せずとも必ずしもそうではないと言えるだろう。飯塚幸三氏は車に興味が薄い人物だったかもしれない。
また、氏の年齢にも注目しておきたい。事故当時の氏の年齢は87歳。最長16年前に購入したとして当時の年齢が71歳。私は氏ほどの年齢でもなく資金力もないのでまったくの空想となるが、いくら車をバンバン気軽に買い替えることができる資金力を持っていたとしても70歳を過ぎた高齢者が数年ごとに車を買い替えるかと問われればノーではなかろうか。まさに腰が重くなるお年頃、よっぽど車好きでなければできることではないと思われる。いわんや資金力は不明としてプリウスを選ぶ人物をや。
「70代で購入した2代目プリウス最長16年自分で運転する87歳程度の資金力」
b:id:demakirai 氏からすればこれは資金力を明確に現す表現のようだが、私はこの情報だけでは飯塚幸三氏の資金力が一般的か裕福かの判断材料にはならない、と判断した。
これについては明確にわかるはずもない。傍証を挙げていくしかないだろう。来歴を見れば資金力は高いだろうと予測するしかない。また当時の年収などの話もちらほら出てくる。
https://bunshun.jp/articles/-/48642?page=2
院長時代の給与は、年収2000万円弱。当時の退職金は3000~4000万円程度だったという。元工業技術院総務部長、大野隆夫氏が証言する。
同記事では新居の話も出ている
71歳になった飯塚氏は02年3月、板橋区の新築分譲マンションへと引っ越し。価格は約4500万円だったが、通産省やクボタ時代の退職金などを元にキャッシュで購入したと見られる。この地で飯塚氏は同い年で誕生日も9日違いの妻と2人、“セカンドライフ”をスタートさせた。
71歳という年、02年という年は2代目プリウス販売前年だ。もしかしたら引越しを契機に買い替えたのかもしれない。
真偽は不確かとしつつネットで晒されている氏のマンションと思われる場所の価格を参考においておこう。
https://www.ieshil.com/buildings/675654/
ほかには事件当時、飯塚幸三氏は妻と予約したレストランへ向かう道中だったという。レストランは小さな馴染みの店だという情報もあるが、店の大きさと価格は比例しないことはままあるだろう。ハレの日だったという声も聞こえない中、ランチをレストランで予約してとる人物の資金力はいかほどか。
経歴: 富裕層以上
型落ちプリウス自分で運転する: 並みから富裕層以上(年齢も考慮)
であり、私の結論は「お金持ちさん」である。ただし乗っている車は資金力の判断に大きく寄与しない。
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力の人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
文字数の関係で氏の経歴には触れてないものの、婉曲をひもとくと
demakirai 2021/09/15 12:24 id:shufuo 毎回この手の意見見る度に思うんだけどさ、(経歴がすごくて官職に就いたこともあって)胸部骨折して入院して、当時90近いヨボヨボジジイで、資金力のある人間を逮捕しないことがどうして「特別扱い」になるんだ?
となる。まさにいわゆる「上級国民」と揶揄されるような条件を書いておいて「特別扱い」になることに疑問を投げかける理由がわからない。(ここでは実際に逮捕しなかった理由などではなく周囲が「上級国民」や「特別扱いしてる!」と騒いでいることに対してのみ話している)
混乱の坩堝に陥る。
1. なぜ「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」というわかりにくい表現をつかったのか
2. 「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」は資金力が高いのか並なのか
3. 「資金力がある」という意味の表現であれば、私のセンスとは異なる導出であり、ブコメ全体の意味もよくわからない
4. 「資金力がないないしは並」という意味の表現であればブコメ全体の意味はわかるが、やはり私のセンスとは異なる導出であり、なぜさまざまな情報から乗っていた車だけを抜き出し資金力の指標にしたのかわからない
賛同の意かスターがたくさんついているが、私とはかなり見えているものが違うと思われる。
氏のID名を思えばつまりは私がデマに踊らされ目が曇っているのだろう。事実、いろいろ調べようとしたもののデマブログの多さに辟易としたものだ。正しい情報を探すことは難しい。であればこそ、誰かに「型落ちプリウス自分で運転する程度の資金力」が何を言いたいのかを解説していただきたいものである。40人近く理解者がいるのだから親切な御仁はいらっしゃらないか。
その三日後に高熱を発して、その後4週間経ったが体温が38度以下にならない。
症状は発熱のほかに、関節痛、軽い咳、嗅覚と味覚の鈍麻、嘔吐、発汗、手足の震え、ほてり、脈拍以上(安静時120回/分を超える)、血中酸素濃度は正常。
発熱から一週間後に入院し、解熱剤を注射されたり点滴をしていたら暫くは落ち着いたらしいけど、二週間経って退院当日からまた高熱がぶり返し、それが一週間ほど続いている。
幸いなことに退院後は嘔吐と震え症状のみおさまったらしいが、そもそも解熱剤を3週間近く使い続けているので耐力消耗が激しいらしい。
かわいそうだが特に特効薬と呼べるものもないそうなので、古典的に氷嚢をつかったりしているが、いつまで経っても熱が下がらなくて本人も不安を覚えている。
https://anond.hatelabo.jp/20210914162216
御同輩。自分も新卒時には地元のブラック企業に就職してえらい目にあった。
紆余曲折を経て、お給料はやや安いがホワイトな会社にいる。会社はホワイトだが所属はややブラックだw
昨年の9月に子宮癌一歩手前の診断受けた。放置しておくと無事子宮頸癌になる。
御同輩のように健康診断で異常が発見されたけど、その3ヶ月前の検査の時は影も形もなかった。
主治医には「なんで?」って言われた。こっちこそ聞きたいよw
本格的な癌一歩手前で診断受けたが、治療方法は患部の切除だけなので、全身麻酔で局部から機器突っ込まれて切除されたw
うまくいったけど、出血量多かったらしくて手術2倍かかったよwwww
今はコロナだから、1人で入院して1人で退院した。付き添い頼めなかったから、「なんかあっても責任問いません」っていう書類も書かされたwww
今のところ経過は良好だが、再発することもあるらしいので油断はできない。
再発したら子宮丸ごと摘出だ。
今のところ、前がん状態でも服薬で治すことはできなくて、免疫力で自然治癒か切除になる。
自分くらいの年齢だったら、子供が欲しいということもないので子宮丸ごと摘出でも諦めはつく。
今回みたいに患部切除で済んだとしても、流産する可能性が高くなるんだよね。
最初にこの診断を受けて驚いたのは親の方で、自分はどちらでもいいかなって思ったよ(癌で亡くなっている親族が多いもんで)。
積極的に死にたいと思ってるわけじゃないけど、手放したくないものを持っていないので、死んじゃってもしかたないなって。
自分もリストラされたこともあるし、パワハラが横行する会社にいたこともある。
若い頃は世の中の景気が悪くて散々虐げられ、年を重ねれば、若者を大切にしろと言われる。
どんなに頑張っても報われない世代だなってたまに思う。
自分がその年の頃よりずーっと貰ってるんだもの。それでいて「給与が安い」って文句言うんだから、なんだかなーって思う。
おまけに最近45歳定年説みたいのも出てきてさ。そんなことになったら、即退職なんですけどwwww
まあ、そう思いつつ。
虐げられたままだと悔しいと思う。
世の中がなんと言おうと、自分たちには価値がある。虐げていい存在じゃない。
頑張ろうとするから折れる。無理に頑張らなくてもいいんだよ。
やることやって、それでダメだったら仕方ないなって思う。それまでは足掻いてみなよ。
自分が病気になる前年は、父親と母親がそれぞれ病気・入院・手術があって本当に忙しかった。
遠方だったので体力かなり削がれたし、自然治癒が無理だった遠因もコレ。
本当に不運は続くもんだわw
初期の就職氷河期世代って、自分も親も病気で共倒れしてもおかしくない年齢なんだよねw
御同輩。
今は休む時なんだよ。
自分は嫌なこと悪いことの後は、いいことがあると思うようにしている。
命がなければなにもなくなる。苦労して頑張ったことも全部だ。
「命あってのものだね」「いきてるだけで丸儲け」って本当にそうだと思うよ。
生きてこそ、楽しかったり、美しいと感じるわけで、死んじゃったらわからんもんな。
親や自分が病気になってわかったのは、知らなかっただけで医療補助はいろいろあるなあって言うこと。
特に親の時はだいぶ助けられたし、皆保険のありがたみを再確認したよ。
御同輩も、使えるものは全部使った方がいいよ。今は他人に頼る時期なんだからさ。
御同輩は頑張った。たとえ頑張ることができない時があっても、価値ある人間だよ。
生きていたいと思えないなって思ったら、いっそ風任せにすればいいんだよ。
とりあえず、目の前のことやってみなよ。本当に必要なものは、必要な時にしか現れてくれないから。
就職氷河期世代が荒ぶるのは「よくがんばったね。つらかったね」って、いたわりの言葉一つかけられたことがなかったからだと自分は思っている。
就職氷河期世代間でも分断が酷くて、自分の周りでは「がんばらなかったから底辺から抜け出せないんだ」って言う人もいる。
それもそうなんだけど、正直頑張りだけでは抜け出せなかったと思う。運要素が極めて高かったから。
後悔するかも?って心配するのはよしなよ。
生きていなきゃ、後悔さえもできないんだよ。
以前「お金を使うのが怖い」っていうタイトルで投稿した者です。
アドバイスいただき、NISAと米国株、国内株は少しに投資しました。
さらに増えました。
死んだら私のうん千万ーーーー!と頭がいっぱいでした。
なぜ今まで使わずに貯めておいたお金をこんなことに使うのか悔しくてたまりませんでした。
毎月7万円使った方が満足感が得られますよね。。。?
7万円あったらしたいこといっぱいあったのになぁ