はてなキーワード: 優等生とは
アイドルどころか芸能人を好きになるのが生まれて初めてだったので、まさか自分がジャニオタになるだなんて思ってもみなかったんだけど、ツイッターのトレンドで知ってるジャニタレさんの名前を見て、そこからなんとなくいろいろなグループの結成秘話やら楽曲やらメンバーの性格やらを調べていたら最終的に関ジャニ∞に転げ落ちていました。
ひとまず昨年の限定版ライブDVDを買って、CDを少しずつ集めて、今夏コンサートがあるというのでこれまた生まれて初めてFCに入り、生まれて初めてツアー申し込みをしたところ、再抽選分も含め全て落選。
落選に関してはまあ仕方がない。
行ける日も限られていたし、ファンだってたくさんいるし、座席には数に限りがあるし。
でもツイッターにはチケット譲ります譲ってくださいのツイートがたくさん流れてくるわけです。
なんでファンの人たちは誰と行くとも決まっていないチケットを2枚も3枚も4枚も全日程で申し込むんだろう。
少しでも当選確率を上げたくて、できれば連日参加したいのもわかるけど、でも友達と同じ日程で同じ枚数申し込んでいたら、重複当選分はどうしたって入れないのに。
あと取れたはいいけどやっぱり遠いから行かないとか。なんで申し込んだの、と思ってしまう。いや、他が落選だったら多少無理してでも行くんだろうな、たまたま運良く近い会場が取れただけで。
長らくチケットがどうたらという世界に縁がなかったので、規約違反なのにどうして?と思ってしまうんだけど、ジャニーズに限らずごく普通にチケットのやりとりをしているファンの方からすれば、私の方こそ優等生ぶってるように見えるのかもしれない。わからないけど。定価での譲渡は別に違法ではないしなぁとか考え出すと私の頭が異様に固い気がしてくる。
ツイッターは身内用鍵垢しか持ってないし、チケット譲渡のドタキャンツイートとかも流れてきて不安だし、制作開放席に最後の望みを託していたらそのままツアーが終わってしまい、次回こそはもう少し範囲を広げて申し込もうと前向きに思っていたらば昨日のあれでして。
FCから大切なお知らせとかいう恐ろしいタイトルのメールが届いて、16時にお知らせを読み、17時にメッセージ動画を見て、もう6人の関ジャニさんは見られないんだなあと思ったら、ただただタイトルのような感情になってしまいました。
全員が規約を守っていればチケットが回ってきたのかと言われたらそれはわからないし、やっぱり入れなかったかもしれない。
公式がチケット譲渡の窓口を設けてくれたらいろいろスムーズになるんだろうけど、ないのが悪いしょうがないみんなやってるしって開き直られるとなんだかなーって思ってしまう。
郷に入っては郷に従えという感じなのかな。
今更何言っても遅いんだけど。
人口動態にあわせて子供造りをすれば、少子高齢化問題は解決できる。
住民一体となって、全体で子育てするのだから、「他人の子供だから…」と怖気づく必要はない。
すべての子供は国民の税金で育てられるのだから、すべての国民の子供。
そうすれば公平な負担となる。
出産は簡単安全じゃない。母親の命がかかってる大事だが危険なこと。現状、どうあがいてもジェンダーロールにならざるを得ない。
何らかの基準を元にした、優等生同士の子供を作るだけでは、遺伝的に問題がおこるかもしれない。
この解決には、いくらか自然寄りな子供造りを用意する必要がある。
今の所考えついているのは、脳にチップでもなんでもいれて、異性を見てムラっとしたら性マッチングをすることだ。
そりゃまず小学校の学習っていうのが(もちろん有名私立とかは知らないけど……)基本下に合わせて、低いラインを全員がクリアするのが目的でしょ
高い能力を持っていても100点以上は評価の対象にならないし、それよりも授業態度とかの方が重要になる
「バカなりに一生懸命頑張ってます」という奴の方が、少なくとも通知表の上では優等生になってしまうわけだ
そういうのが評価されるのはどっちかというと塾のテストの方だし、だいたい公立の先生なんか塾敵視しまくってたしさ
学校の四教科で本当に死力を尽くして頭をフル回転させた経験って、それこそ50マスとか100マスの計算ぐらいのもんじゃないか?
その点、副教科は本気を出しても空気の読めない奴扱いされない
昨日の参院選比例区で私は「山本太郎」と大書して投票した。数年前まで彼を声だけデカい無知で無責任な芸人崩れだと思っていた人間とは思えない投票行動だった、と自分でも思っている。
山本太郎が福島の食品を「ベクれてる」と言った時は、被災地を侮辱するな、と大いに憤った。園遊会で天皇陛下(現、上皇陛下)に直訴の手紙を渡すという不敬な暴挙に出た時は、田中正造にでもなったつもりか、と不気味さを禁じ得なかった。小沢一郎と組んだ時は、オワコン同士仲良くやってろ、と嘲笑した。
そんな彼が「れいわ新選組」を立ち上げると発表した。最初はああ、そういえばコイツまだ国会に議席があったんだっけ、程度の認識だった。だが、早い段階で反緊縮に目を付けていたのは慧眼だった(当時は山本太郎が本気で反緊縮を標榜しているとは思っていなかった)。奨学金徳政令や消費税廃止は実現性は至難であるものの、既存の与野党揃って緊縮寄りである経済政策のアンチテーゼとしては、これくらい大きく出てもいいだろう。素人意見なのは承知だが、立憲民主党や国民民主党は優等生的な聞こえのいいことは言っているものの、腰砕けで本気で自民党に挑む姿勢がなく、煮え切らなさを感じていた。
私にとって山本太郎は本邦の国会の景色を変えるための武器だ。山本太郎を利用して自民党に脅威をもたらし、一強の体制を揺るがせたい。同時に地位に安住している腰砕けの野党にも危機感を持たせたい。山本太郎はそのための手段なのだ。本音を言えば、もし今後他の党が本気で反緊縮や消費税減税・廃止を訴えるなら、それが自民党だろうが共産党だろうが応援はするつもりである。政策の切磋琢磨は望むところだ。
卒業式や運動会の組体操や合唱大会や老人ホームに訪問してお年寄りのために見せる演劇のような学校行事で、生徒が先生の言うことを聞かずに真面目に練習しないまま本番を迎えるような状況が怖くて仕方なかった。
ほとんどの場合は、先生が生徒の尻を叩いたりなだめすかしたり、途中で演目の難易度を下げたりして、なんとか本番までに仕上げて切り抜けてたけど、行事の練習と本番は毎回憂鬱で仕方なかった。
一度だけ、本当に本番で生徒がてんでバラバラになって行事を放棄して中止になったことがあった。自分にとってまさに恐れていた悪夢の実現。
当然、外部の指導者の人は激怒したし、担任の先生は「毎年この行事をしていますが、こんなクラスは初めてです!」と怒りながら泣き出すし、その日の夜は生まれて初めて悩んで眠れないという経験をした。
先生は自分たちの担任をもうしないのではないか、行事を失敗させた自分たちはずっと家族や他の先生や地域の人たちから叱られ続けられるんじゃないかと思って。
もちろん、実際にそんなことは起こらず、担任はやや無気力になってクラスは崩壊気味のまま1年が終わってクラス替えになり、次のクラスではそういうトラブルも無く小学校を卒業した。
別に複雑な背景や心理があったわけじゃなくて、自分が優等生だったので(勝手に想像した)先生の辛い立場に感情移入し過ぎてたってだけだと思う。
急に当時の嫌な気分を思い出したので、書いた。
長くなったから簡単に結論を先に書くと「元カノのSNS見たら脱力してしまってつらい」
以下本文。
彼女と別れたんだけど、別れてもなお、うらみつらみを募らせて時々メールしてくるのが怖い。
【辛いこと1】交際時に苦しかった気持ち、辛かった気持ちが思い起こされる。
【辛いこと2】結局別れても相手は理解しようというスタンスがない。
【辛いこと3】別れた後も私の悪口をSNSに書き込み続けているのを見てしまった。
【辛いこと4】別れ話をしている最中にもう次の子を見つけていた。
【辛いこと5】4の子がいるのだからそっちに集中すればいいのにまだ攻撃してくる。
もともと、以下のことが苦手な人だというのは、付き合う前から分かっていた。
②異なる意見を認めること
④自分と他人の境界線を引くこと(仲がいい=同一意見、という考え)
⑤考えの変更(一度目についた事柄への考えに対し、認識を改められない)
今まさに私の気持ちが落ち着かないのも、この②~⑤がごった煮になってぶつけられていると分かったから。
①を辛いと感じたのは、付き合っている当初がピークだった。
付き合う前から休日の過ごし方だとか、興味を持つ分野について齟齬があった。そして興味を持ったことへのハマり方も違った。なるべく相手に合わせようとしていたけれど私が好きなもの、興味を持ったものに対して辛辣な言葉を並べられると、その度に傷ついた。そして相手の好きなもの、興味を持ったものに対してこちらが興味を示さないと、あからさまに嫌な顔をされていた。自分の持っているコミュニティの中では全く触れることのないジャンルに彼女が興味を持っていたので、面白そうということもあって、一から学んだ。そのうち、その事柄の中の一部については彼女より私の方が詳しくはなった。そうすると次は、そのことが面白くなかったらしく、いろいろ文句を言われた。「教えてあげたのになんでそんなに偉そうなの?」と。
こんな感じなので喧嘩も多かった。きっかけは様々だったけれど、結局のところ、自分の意見に私が賛同しないこと(従わないこと)が許せなくて、私の意見とその背景について説明したところで、聞く耳を持たない。会話にならない。事実と認識を切り分けて考えられない上に自分に都合の良い考えにどんどん偏って認識していくから、タチが悪い。
仕方ないので箇条書きにしてみたり、事実と各人の意見、認識の齟齬がどこにあって、何故今喧嘩に発展したのか、何について話し合うべきなのかを送ってみたりもした。結果「生意気」「可愛くない」「高飛車」「優等生」などと罵られた。
ちなみに、これらのことを並べて話すと、返事が来るのは「感想」であって、認識に相違があるか否かだとか、自分の意見ではない事も、私の心を折る一つの要因だった。
そんな感じだったので、まあ上手くいくはずもなく。泥沼化はしたものの別れた。
嫌な予感がして数か月ぶりにSNSを見たら、まあ、書かれてる書かれてる、悪口のオンパレード。
別れた相手のことよくここまで書けるな、って関心してしまうくらい。そしてその書かれている内容が事実とは異なっていたり、相手の思い込みだったりで。嘘をついていたこともSNSを見て気づいてしまった。全部都合の良いように書かれているから、私に言っていたことと、周りに言っていたことが違う。そりゃこんな書き方をされていたら、彼女の周りが私に対して当たりが厳しかったのも頷ける。パンドラの箱を開けてしまった気分。
でも今更、事実確認をしたり情報整理をしたりなんてしたいわけでもなく、「ああそう、あなたはそう考えているのね」という何とも言えない脱力感に襲われている。
この歳になると周囲もワイを路傍の石程度にしか認識しないから、隣に座ったヤング共が人権意識に敏感なはてなの皆さんと正反対の会話をし出して戦慄することしばしば。
嘘松扱いのアイコンとされているマックの女子高生2人連れが「仲間内(同じ女子高生?)で自己紹介をした時みんな経験人数を2〜3人と答えてたんだけど1人だけ20人って答えた奴がいた。あいつマジやばい。頭おかしい」から始まってその人物の容姿を含む悪口雑言を次々と語り盛り上がるのを隣で聞いたこともある。
観光地で並んでいたら、行列にいた若者数人連れが、すぐそばに幼児がいるのも気にせずに「この土地の風俗の女はレベルが低い。〇〇(そいつらの出身地)はXX点ってとこ」みたいな会話を朝っぱらからイキリ散らしはじめたのを真後ろで聞いたこともある。
オバサンのワイが生きてきた昭和期ならば珍しくもない光景だろうが、どちらも平成生まれの若者だ。はてなに毒されて「生まれついた人の見た目を罵倒していいのは小学生までだよねーキモーイキャハハハハ(年寄りなのでネタが古い)」くらい思っていたネット優等生のワイもリアルの破壊力に打ちのめされ、やっぱつれぇわという気持ちでいっぱいになる。
ワイも地味ブスで子供の頃から少なからず外見で嫌な思いをしてきたからこそ、人に同じことはすまいと思って生きてきた。セクハラ等の概念が浸透し、世間の雰囲気も少しずつではあるが、自分の思うところと同じ理想に向かって進んでいるように見えた。
それでも、お笑い芸人のおじさんがタピオカ屋の店員だったら店の雰囲気ぶち壊しだから嫌だという回答が半数を占める世の中だ。
ブサイク芸で売っている芸人と女優さんが結婚した時に「自分だったらこの男性の子供は顔が心配で産みたくない」なんてコメントが平気でテレビの電波に乗る世の中だ。
元増田もそんな世の中に生きてきて、今でもそんな世の中に生きている。
あと10年ちょっともすれば、道を歩く女性の顔に点数をつけてバカ笑いする令和生まれや、クラスメイトをキモイと指差して傷つける令和生まれが育ってくるのだ。
どんなに社会が自らをよりよくしようとあがいたところで世の中とはそういうものだ。
「女全員がそんなひどい連中ってわけじゃない、いい女もたくさんいる」なんて言葉は慰めにもならないのを自分はよく知ってる。
「だからって女全員を憎んで罪もない女を攻撃したら同じ穴のムジナだぞ」なんておためごかしは人から言われるまでもなくわかってることもよく知ってる。
そんなお説教が頭に入る段階ではないこともよく知ってる。
「自分は辛かった、理不尽に傷つけられて辛かった、すごく苦しくて怒っているし恨んでいる」というところしか読んでない。
前述の理由で、これからの社会がその増田の傷を癒してくれることはおそらくないだろう。
それでもワイは、自分が辛かった感情を表にさらけ出し、それに共感してくれる人の言葉にはずいぶん慰められたことを覚えている。
俺は卵が好きだ。
そして、生でもそのまま食べられる日本の卵が好きだ。
が、世の中の動物愛護主義者、アニマルライツな人に言わせれば、日本の卵は「安すぎる」らしい。
「日本では、ケージ飼いでニワトリを虐待してる、だから卵が安いのであって、日本の卵の安さはニワトリ虐待のせい」というのがアニマルライツ主義者の主張
「ヨーロッパみたいに、ニワトリのケージ飼いを法律で禁止すべき、それで多少卵が高くなるのは必要経費」とアニマルライツ主義者は主張する。
知らんがな。
お前らは勝手にケージ飼いではない、放し飼いのニワトリの卵を食べればよろし。
お前らの食習慣には口を出すヒマはない。
お前らの食習慣には口を出さないから、うちら貧乏人の食習慣に口を出さないで欲しい。
ニワトリのアニマルライツは、貧乏人の動物性蛋白質摂取権より優先されるのか?
未確認情報だが、日本で卵が生食できるのは、ケージ飼いで産卵日を管理してるからで、「放し飼いだと産卵日管理できないから、生食出来なくなる」とも聞いてる。
日本の貴重な食文化、「卵かけご飯」も、つまらんアニマルライツのせいで破壊されるのか?
俺はアニマルライツ主義者、そしてヴィーガン主義者と徹底的に戦うぞ。
卵かけご飯のために。
1パック100円のドンキの卵の為に。
ミックスしたり、外したりするのがオシャレ。
だから、色んなコーデを楽しみたい私にはとても
ありがたい時代。
数少ない服でも、組み合わせしだいでいくらでもコーデは
今日は数少ない服でどうやって色んなスタイルを生み出すかについて
書いてみたい。
1、自分に似合う服を知っている
これはもう言うまでもなく、大前提でしょ。
特に色と形は大事で、どのテイストの服を買う時も、この二つだけは
死守してる。
2、どんな服にでも合う定番を揃える
どんな奇抜なものを合わせても受け止めるだけの度量がある
気分転換や好みの服はその後に付け加える
どんなコーデにも合う靴やバックなんて、どのコーデも
台無しにする気がする。。
例えば、黒いトートバックを私も長年愛用していたけど、
ある日ふと垢抜けないのはこのバックでは?と思って、やめた。
試しに白や明るい色味のバックを持つと、抜け感が出るし
季節に合わせてPVCバックや冬に敢えてファーのついたカゴバックも
オシャレだと最近気がついた。
靴も同様。
これ一足あれば、なんてものはない。
最低でも、
・サンダル
は必要!
5、コーデを決めるときはその日の予定に合わせて
スムーズ。
合わせるようにしている。
その割合は人によって違うけど、覚えておくと困らない。
掛け合わせるのは服だったり、小物だったりするけど、
そんな感じで日々調整しながらやっとります。
見たまんまの女じゃねえぜ、というアンチテーゼも込めて。
ずっと見た目で「真面目」「優等生」と言われ続けて