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2019-03-13

おじさん・おばさんがもう1人いたかもしれない

おばあちゃんの家の仏壇水子の位牌があるのに最近気づいた。見たとき水子意味が分からなかったので後から調べて分かった。もしかしたら、いとこの位牌かもしれない。今度帰ったらおばあちゃんに聞いてみようと思う。

2019-01-05

ガキのころ色んなもの貯めてた

まず鼻くそ。使わなくなった定規に半年くらいは貯めたと思う。乾燥すると剥がれるので慎重に拭ってた。最期は親に掃除された。

2つ目は歯垢歯医者歯石を取ってもらったとき歯垢歯石になると聞いて興味本意でフロスと爪楊枝で毎日朝夕の二回ずつ例の定規に塗っていた。歯垢はどれだけ集めても乾燥すると見えなくなってしまう。子供なりにマジックペンで印を付け、そこに塗るようにしていたが、中々思ったような歯石にならず実験自然消滅した。

3つ目はフケ。これはすぐに集まるので色々やった。こんもり溜まったフケに仏壇からとった線香で火をつけようとした。風で飛ぶし中々燃え祖母に見つかりそうになったので中断した覚えがある。あとは、金魚にあげた。鼻くそは吐き出したがフケは食べていた。

いま思い出せば頭おかしいと思うが、はてな村人間にも俺と同じことしてた奴は居ると思う。

2019-01-03

創価学会を辞めました

誰に話していいのかわからず、悶々としている間に10年も経ってしまったがようやく心の整理ができたので書き記しておこうと思います

表題通り私は、創価学会を辞めました。

ネットを調べると辞め方というのがあったんですけど、住所を記入して送ることや彼らと再び関わりを持ってしまうことが怖くて提出することができませんでした。

もう一切信じてはいないし、誰も自宅に尋ねては来なくなったので籍が残ってしまっているのは癪だけど辞めたということにします。

ちょっと前向きに描きたいので退職エントリ風に書きます(笑)

どんな人物なのか

私は創価学会員の二世でした。生まれた時から親が勝手に入会させており学会員です。(酷くありませんかw)

母は熱心な学会員でした。父は特に信じてはいませんでしたが、学会員になっていました。

下の兄弟創価学会二世でした。弟は生まれながらに知的障害者で途中から大学中退してしまいました。その頃からなぜか創価学会を盲信し始め、私はなぜか今も嫌われています

裕福な家庭ではないことは物心ついた瞬間から理解した。

生い立ち

物心ついた時から創価学会自分のすぐ近くにありました。

学会」「勤行会」「勝利」「池田先生」などの文字が並んだ新聞を読まされ、家には仏壇がありなぜか母親は毎朝毎晩何かをつぶやき祈っていました。

私はこれが普通のことだと思っていました。

新年には必ず新年勤行会という行事に行き初詣には中学まで行ったこともその文化があることも知りませんでした。

私は体が弱く、学校休みがちでした。しかし、勉強人一倍でき、小学校の頃から特に苦もなく高得点を取り続けました。

得点の高い友達はそれだけ御本尊様に祈りを捧げたんだと信じていました。

しかし、小学校の高学年になり創価学会信者である自分マイノリティーだと知りました。そして宗教のことを口にすることはよくないのだと思いました。

中学になると少し勉強自分でしないと上位に上がれなくなった。部活を始めたが、なかなか難しかった。

勉強しつつ部活をやりつつ祈りを捧げると成績は良くなるのだと信じていました。しかし、ある日気づいた。「この時間勉強部活をしたほうがいいな。」と

親になぜ祈りを捧げるのか聞いても意味全然からず、なぜ信じているのか不思議でした。

でもきっと理由があるのだと思っていました。これだけパワーを注いで時間を割いているもの意味を私は知りたかった。

任用試験という試験があるらしいことを知った。今はあまり覚えていないが、創価学会検定みたいなもんで上の位を受理されていると教えることができる資格っぽかった。

あっさり試験に受かってしまった。

でも全くわからなかった。

なぜ時間を割いて勉強したのかもわからなかった。それくらい当時の自分にとって理解不能で単純なテストだった。

私は可愛くない子供だった。

クラスメイトが信じている朝の占い大人たちが適当にそれっぽいことを書いているため信じなかった(今だに12星座がわからない)。

人造人間18号はなぜ後継機なのに16号に劣るのか理解不能だった。

でっち上げられた歴史教科書パチモンみたいなので勉強させられた。

要するに、創価学会を盲信し続ければ幸福になるということがあの手この手で書かれているらしかった(詳しく覚えていない)

私は「なぜ信じるのか」を知りたかっただけなのに誰も知らないらしいことに愕然としてしまった。

それから創価学会は親との付き合いのためだけに仕方なく行くことになった。

親をがっかりさせたくなかった。常に良い子でありたかった。

私を創価学会二世にした親は何の疑いもなく登録して何の疑いもなく、幸福になることを望んだのだから裏切ってはいけない。

創価二世はつらい「誰が生めと頼んだ! 誰が造ってくれと願った!」というミュウツーセリフが心に沁みた

なぜやめるのか

努力価値を知った
不信感が湧いた

努力価値の話

創価学会はだいたい謳い文句が決まっている。

要約すると「○○さん大勝利勝利の裏には1日○時間唱題をしていた!」ということがあの手この手で毎度出てくる。

ちょっと待って冷静に考えてほしい。

「その時間別のことやったらもっとすごい成果が得られるのではないか

目的に向かう努力をした方がいい。

唱題(御本尊に向かって題目を唱えること)の時間も半端じゃない!一日10時間

ちょっと待て!と普通なら思う

創価学会努力をあまりできない人が努力した気になるシステムがある。

題目という祈りだ。

時間が長ければ努力したとカウントされる。失敗しても責任自分にはないので楽なのだ

本気で努力する必要がない。

そこで得られる報酬や結果の理由は「題目をたくさんあげたから」となる。

私は中学の頃テスト100点をとった。親はこう褒めるのである「よく頑張ってお題目たくさんあげたね。次も頑張ろうね」

この100点は自分努力をした結果なので素直に褒めて欲しかった。

子供にとって親に自分努力が褒められないことほど悲しいことはないと思う。

そこから私は猛烈に努力した。自分努力証明たかった。

部活も、勉強も猛烈に頑張った。

高校は猛烈に勉強県内トップ3に入る高校に行った。

部活全国大会に行き大学国立大の行きたい学科合格した。

裕福な家庭ではなかったので学費バイトで稼いだ。

祈っている時間は1秒もなかった。祈りに屈する自分も悔しかった。

仕事もめちゃくちゃ頑張って同世代の平均年収を抜いた。

特にお金のことを心配しなくても一人で生きていけるようになっていた。

不信感の話
不信感1

創価学会員はなぜか引越し後の住所を知っている。

ある日見知らぬ人間が知り合いのような口ぶりで尋ねて来るのだ。

そこまで冷酷ではないので口ぶり合わせて軽くあしらっていた。

大学の頃アパートの1階に住んでいたんだけどなぜか窓から間取りややっていることを見られていた。

現場は見ていないけども、訪問時見られているとしか思えないような話をよくされた。

見知らぬ土地自分が知らない人が自分生活を見ているのだとしたら怖すぎる。

不信感2

選挙の前親から毎回電話が来る。

公明党をひたすら勧めて来る。

他党と比較して何がいいのか教えてくれない。なぜいいのかも説明してくれない。

とにかく勧めて来る。謎

勧め方が露骨すぎやしないだろうかと毎回笑ってしまった

「なぜ信じているのか説明できない信者」と「わかりやすい組織の利益」わかりやすくて大変よろしい

そんなこんなで努力して自分目標を見つけることが大事なんだなぁとか普通によくわからないという感想が出てきて自分には必要なくなっていった。

これから

でも創価学会を一概に悪だと言えないことも最近気づいてきた。

人間努力して努力してどうにもならないときどうするのかというと、祈ります(笑)

神社に行ったり、神棚に祈ったり、そのとき信じるもの祈ります

宗教ってこのためにあるんだなって思ったりしました。

今私は世界中を飛び回り、いろんな国の人と話して物を作る仕事をしています

いろんな価値観の人がいます

宗教もいろんな人がいて、そういう人の境遇や想いを理解してあげるのは大切なんだと思いました。

人生何があるのかわからないので、今後私も宗教に入ることがあるのかもしれません。

でも大切なのは事実自分で見極めて、自分で納得することだと思います

悩み続けた信者生活でしたが、常に自分がどうあるべきかを考えさせられ勉強になりました。

これからどうするのか何も決めていません。結婚もどうしていいのやら

でも正しいことは自分で見極めてしかるべき努力を重ねていきたいと思います

幸せってなんだろうって思うことも多々あります

親は創価を盲信するあまり認知症の初期症状っぽいの幻覚ならぬ幻臭を感じているようです。

それを聖教新聞で抑えられるみたいなことを言い始めていますが私は元気です

みなさん幸せですか?私は初期ステータスの割にはそこそこ幸せです。

2018-12-06

anond:20181206105755

スピリチュアル好きの増田だけども仏壇に手を合わせて先祖成仏と運が上がりますようにと毎日真面目に祈ってると3年くらいすると好転してくるよ。

仏壇が無いなら水と米用意して適当お盆の上でやってもいい。

スピリチュアルみたいな非科学的なことは一切大嫌いだってことなスルーしてくれ。

2018-12-01

死んだあとのシステム

死んだあとには成仏というものがあって

生きている人から成仏を願って拝んでもらわないと成仏できない。

成仏できないとあの世ランクから圏外の最底辺の死人になる。

死んでも拝んでくれる人間がいない者は死んでも救われないのだ。

逆に成仏したあとは、拝まれることが強くなるほどランクが上がっていく。

実はこの拝みシステムは生きている人間にも死んでいる人間にもメリットがあり

死んでいる人間成仏してあの世ランクが上に行くほど拝んでる生きている人間の運が上がっていくシステムになっている。

自分が運が悪いと思うなら、特に金もからないので先祖の墓や仏壇を拝んでみるといい。ただしよっぽどの場合でない限り即効性(即日等)は無いので、持続が大事である

あと、神社のように金が欲しい等拝んでも意味がない。「安らかに成仏してください、そうしたら私も幸せになれます」等なら良い。

2018-09-16

志村菓生堂の豆乳の入ったカシューナッツマコロン

素朴だけどすごくおいしい…こんな食いものが世の中にあったのか

仏壇お供えババア菓子一種だと思ってて今まで食べてなかったことが悔やまれ

20袋くらい買いだめしておきたい

2018-09-15

anond:20180915013731

お前仏壇に拝むとか事前の避妊体操とかやってないだろ

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-08-31

anond:20180831003501

自分が親より先に死んだ場合を除き、自分遺体の後処理をお願いできる親戚などがいないため、自分自分の後始末を準備しておかねばならない。基本的日本現在行政は「誰も引き取り手がいない孤独死」を前提とした体制になっていないため、持ち家やクルマ財産先祖の墓、仏壇、その他私物処分について、あの手この手で事前に準備しておかないと、いろいろあとの人に迷惑がかかる。まあかかったところでわからないんだけれども。

そうなると、死ぬだけでも大変だ。そのためにいろいろ準備して準備万端で、よしこれで安心して死ねる!って感じで死にたいおかしな話だがそのためには親を送ったあとも、健康やらいろいろ気を使って、身辺整理をする体力、時間金銭的余裕が必要になる。

とりあえず、今はそれが目標

あーでも、そのうち孤独死前提の法律体制が整備されたら、自堕落してもいいと思っている。今はまだわからないので、まじめに頑張る。

2018-08-29

羨ましい

祖父母なんて、父方も母方も。私が生まれる前に亡くなってるもんなぁ。

まり私の存在なんて、知らないんだよね。

仏壇にはちゃんお供えもしてるし手も合わせてるし

お参りに行ったらお掃除もお経もあげてたけど。

2018-08-20

冷やし担々麺

自分が昔住んでいた街に、安くて速くて量が多い、店内は暗い感じのこじんまりとした中華料理屋があった。

自分最初訪問した時は流行ってるとはいい難い。主人が一人で捌ける量の常連がいるような店だ。

 

店主はメニュー開発が好きなのかいろんなメニューを季節限定提供していた。

その一つが冷やし担々麺だった。

その店は、細麺のちぢれ面に、濃厚なゴマダレと、ラー油。そして、麺の上にこんもりもられたキャベツの千切りと肉味噌といった感じの冷やし担々麺だった。

一人暮らしで、肉より野菜のほうがコスパが悪いことを知り、野菜ほとんど食べない自分にとって、まるでその冷やし担々麺は夏を健康的に乗り切るオアシスのようなものだった。

 

この店との出会いは、入社したての自分ランチに誘ってくれた社長が連れてきてくれた。社長もこのお店の常連だった。

ちょうど引っ越しをした場所から徒歩で2分、会社からは徒歩で10分というアクセスの良さで自分はよくこの店に通った。

顔も覚えられて、着席すると水を持ちながら「いつもので?」と聞いてくる。いつものというのは担々麺+ライスのセットだ。ここの担々麺は酢が聞いて一度食べたらやみつきだ。

 

冷やし担々麺は、自分が店主にポロっと言った話だった。

店主は、カウンター越しよく話しかけてくれた。自分ポロッと「最近名古屋の方では冷やし担々麺っていうのが人気らしいっすよ。一度食べてみたいっすわ~」と言ったことがきっかけで店主なりにいろいろなレシピをみたりして作ってくれたのだった。

店主はメニューに出す前に「つくってみたんだけど、どう?」と無料で一回食べさせてくれた。初めて食べたから他のと比べられないけどとても美味しかった。

特に野菜がたくさん乗ってヘルシーだった。これでライスとセットで600円なんだから信じられない。自分毎日のように冷やし担々麺を食べた。

 

その冷やし担々麺が夏の定番になって2年目だったか

メディア取材がきて、店は大繁盛、担々麺が美味しいお店と話題になった。自分も大繁盛して嬉しかったが、流石に平日に待機列に混ざるわけにもいかず、土日の人が収まってきた時にまだ昼を食べてなかったら行くぐらいになっていた。

それからどんどんと自分はその店に行かなくなった。店の雰囲気落ち着けなくなったからだ。

 

それから転職をし、社長に報告したら「最後に一回いっておくか!」とそのお店で送別会を開いてもらって、引っ越しをした。

今年の8月入った頃に店主が倒れた。そしてそのままお亡くなりになった。

社長からその報告を受けたとき、お世話になっていたか葬式ぐらいは…と思ったがやはり距離的に厳しいこと、お盆前の仕事の仕上げがあり行くのは難しかった。身内でもないか有給も取得しにくいし。

そして、このお盆実家に帰った帰りに、香典を渡して、仏壇を拝ませたもらった。

前の会社社長に連絡を取り、じゃぁ家まで車で送っていくよと送ってもらった。

店主の家に行くと奥さんがいて、香典を渡し、お店の方は、段々と人が増えていたので従業員を増やすために息子に戻ってきてもらい引き継いでいた、今はバイトを何人かいれていて営業はできるという事で営業はしていた。

お店の方に行くと前よりは落ち着いたものの、待機が2組ほどいるようだった。社長待機列はいった。

 

店内は息子さんと、女性店員一人が切り盛りしているようだった。

女性店員が注文を聞きに来る。社長はいつも担々麺ライスだ。

自分メニューをひと眺めして冷やし担々麺ライスを注文する。

5分も待たない内に運ばれてくる。提供スピードは相変わらずだ。その冷やし担々麺をみてびっくりした。

 

キャベツがのっていないのである

 

あれ?おかしいなって顔をしていると、社長は思い出したようにいった。

増田くん、よく店長野菜が高い高いって話してたよね。店長ね、増田くんが注文するとき、なんでも野菜多めにしてくれてたんだよ。俺も冷やし担々麺何回か食べたこと有るけどキャベツ盛りは増田くんの特別オプションだったんだ。」

 

その話を聞いた瞬間、涙がボロボロとでてきた。

遺影を見たとき、いっつも笑ってる店主の顔が見えたとき、その写真が動き出して「いつもので?」といってきそうだなと思ったが涙をこらえた。なんというか、実はどこかにいて、店主と社長がドッキリでもしかけてるんじゃないかって思ったぐらいだ。

社長のその話と、キャベツが盛られていない冷やし担々麺を見たとき、「あぁ、店主は本当に居なくなったんだな」って実感をした。

それをみた社長も泣いて、笑っていた。

キャベツの乗っていない冷やし担々麺の味は、全然からなかった。わからなかったけど、代わり映えしないようにおもえて安心する味だった。

 

無理言ってでも葬式に出ておけばよかった。

そんな後悔しても遅いんだけどね。

あぁ、せめて、店主に冷やし担々麺レシピ教えてもらえばよかったなぁ。エビチリ麻婆豆腐青菜炒め、いろんな中華料理レシピを教えてもらったんだけど、なんで冷やし担々麺ゴマダレは聞かなかったんだろうな。

2018-08-06

anond:20180806071735

増田と似たようなことを長年言っていた友達が昨年の春、10年以上同棲していた彼女と突然入籍しました。

「なんでまた今更?」ってみんなが首を傾げる中「いや~なんとなくね~」としか答えてくれなかったんですが、先日飲みに言った時にぽろっと教えてくれました。

友人の両親は揉めに揉めた挙句離婚をしており、それを見ていた友人と、友人のお姉さんも結婚には懐疑的でした。なのでお姉さんも彼氏と長年同棲していました。もう殆ど夫婦みたいな感じだったそうです。

ところが、お姉さんの彼氏帰省先で急性心不全になってしまって、そのまま逝去。お姉さんが彼の死を知ったのはお通夜が終わった後のことでした。

同棲相手の死に目に会えず、お通夜にも出れず、お葬式にも「ただの友人の1人」としてしか参列できない。お骨も拾えない。

更に、お葬式ときに彼の両親からあなた同棲していたせいで、私達は孫に会うことも叶わなかった」と責められたらしく、家に上がらせて貰えず。お仏壇に手を合わせることも未だできていないそうです。

そんなお姉さんの様子を見て、即、結婚を決意したと友人は話していました。

心身ともに健康で、金銭時間に余裕があるとき、人は他人生き方に寛容になれるし何か起きてもどうとでもなります

しか時間金銭的に余裕のない状態で、万が一のことが起きた時、人は他人の心まで思いやることはできなくなるし、トラブルを防ぐために杓子定規対応しかできなくなってしまうと思います

法律というのは「最悪の中の最悪」を回避するためのセーフティネットであり、杓子定規の最たるものです。

増田が、それが無くてもなんの問題もなく、心を壊すことなく生きていけると確信できるか、ちょっと考えてみてもいいかもしれません。

ちなみに法律婚をしても心が壊れることは沢山あります。でも時間が味方してくれことが多いし、基本的に「配偶者」として、第三者から意思表示を認めて貰えます

これってとても大きいことですよ。

2018-08-05

anond:20180805005542

田舎可能ならあるんじゃ無いの?

仏壇さえそのままにしてくれていたら、家賃はいらないしどんな改造をしてもいいという条件で沖縄県の島に住んでいる人とかいた気がする。

立地が悪すぎてまともな値段で取引できないけれど、放置しても維持費がかかるから困るという人がただでもいいから家をもらってくれというのもあるし。

2018-08-04

家族について愚痴らせてください。

はてな民なら、極端なハックを寄せてくれるのではないかと期待しています

または、はてな民おもしろ罵詈雑言を浴びて、気分をリフレッシュさせたいです。

特定はやめてください。

登場人物

経過

(0)

彼に関する最古の感情は以下。私が年長さんか、小学校低学年の頃だと思います

「3才年下の彼の行為は、3年前の私がやったらこっぴどく怒られた行為。何故彼はえこひいきされているのか?」

「3年前の私が出来た事を、今の彼は何故出来ない」

「彼と同い年の従兄弟が出来ることを、彼は何故出来ない」

(1)

彼が小学生の頃、彼の夏休みの宿題を、家族全員で手伝うイベント

複数年に亘って発生した記憶があります

から要請ではありません。

宿題ほとんど未完の状態を母が検知し、母が「全員でかかれ」を発令。

私にインセンティブはありませんでした。

から感謝言葉もありませんでした。

という記憶があります

(2)

彼が11歳ぐらいで不自然に金を持っていたことがあります

仏壇から金を盗んで。

父母の財布から金を盗んで。

病院代をごまかして。

(3)

工業高校卒業した彼は、母の薦めで、母のコネで、塗料関係企業就職しました。

3ヶ月程度で首になり、地元に戻ってきました。

  • 指示に対する返事がおろそか。
  • 指示された作業がろくすっぽ出来ない。
  • 社会性がない。
  • 以上から、期待できる人間ではない。
  • つまるところ、上司同僚からの評判がすこぶる悪い。
(4)

実家に戻った彼は、母の薦めで、情報処理専門学校に通いました。

Windows95がまだ出ていない頃。

彼は、卒業はしたようですが、コンピューターを嫌いになったようです。

(5)

彼は半導体製造工場に勤務しては雇い止めに遭う、を繰り返します。

そのうち、田舎では働く場所がなくなって、東京のハズレの方に勤務します。

上記は珍しく、彼の意志での赴任でした。2005年ぐらいだったように記憶しています

2008年リーマンショック派遣切りあい企業の寮を追い出され、その後数年間無職になります

寮を出てアパートを借りる金、無職の間の生活費を母が送金していたことを、父と私が知るのは2015年暮頃。

(6)

母→彼への送金がバレるきっかけは、母がボケて金遣いが荒くなったためです。

金は父が管理することになり、彼への送金は停止しました。

(7)

彼を地元に呼び戻そうと、父母は考えました。

東京無職をするより、実家無職のほうが経済効率は良いためです。

しかし彼は応じません。

提案に応じないのではなく、電話に出ない、手紙の返事もよこさない。

東京に住む叔母が訪問して、一度は会ったようですが、以後居留守を使っているらしいとのこと。

「返事すらしないのは家族ではない」父と私で見解統一しました。

(8)

父が病死します。

からSMSで知らせましたが返事はありません。

からも連絡が行ってるはずですが返事はないようです。

遺産分割するため{レターパック、書留、裁判所から通達}を送りましたが全て無視されています

(9)

彼は警察保護されて、東京に住む叔母が身元引受人になって警察に赴いたとのこと。

と言う連絡が、私に、東京に住む叔母の息子(つまり私の従兄弟からありました。

これが数日前です。

(10)

前段受けて、母から私に要請がありました。

「彼を地元に連れ帰ってくれ」

私は断りました。

から要請ならば応じても良いですが、

母の要請で彼の世話をしたくありません。

今後

 43歳で、工場をクビになって、ホームレスになって、食うや食わずで行き倒れる人間は、この先どうすればまともに生活できますかね?

 闇金マスゴミからの知らせではなくてホッとしました。

 しかし次回は、ヤクザ病院の母を訪ねるかも知れません。

 あるいはマスゴミ

「ここが彼の生家です!!!!」

殺到するかも知れません。

 上記を予防する手段はありますかね?

2018-07-21

なぜか全力でアニメグッズを普段使いするオカン

トップをねらえ2! のノノのマグカップを持っていたが、容量が少ないのであまり使わないでいたら、オカンにはちょうどいいのかそれで飲み物飲んだり、餃子を作るときに河を湿らせるための水入れにと普段使いしてた。

しまいには仏壇に供えてた。

故人の好きなものを命日に供えたりするんだけど、祖父コーヒーを入れたノノマグカップマグロ刺身が並び、父の時はコーラ入りのノノマグカップハンバーガーが供えられていた。

まあ、ハルヒがでかでかとプリントされたTシャツを「ほとんど着てないんだから甥にあげるよ」みたいな事を言ったりするので、あまり絵やイラストは気にしてないんだろうね。

2018-07-13

anond:20180713223741

仏壇アプリになりそうだな。

起動する度に課金されそう

anond:20180713222512

本当かは分からんが、しかし実際創価の人の家には

仏壇人間革命の本が大量にあるしな。買うのが義務化されてんだろね。

死刑執行前のおかしってなにがでてくんの?

なんか仏壇前に供えられてるのはブルボンとかのイメージなんだけど。

2018-07-08

わかった最後まで付き合ってやるよ

生きてて楽しい事もない。いつ自分スペック要求スペックに追いつけなくなるかヒヤヒヤしながら、楽しくもないタスク

友人はいるけど、別に命這って助けられるような自信があるわけでも、死ぬときの心残りになる訳でもない。

軽い糖尿持ちで、食事後は必須タスクがない時は動くのも億劫

ただ辛い毎日別に今この瞬間に事故でも天災でも、殺人でも巻き込まれしまってもいいのかな…って思ってる。

もし、その時になったら瞬間的な死の恐怖とかでチビちゃうかも知んないけど。でも、長期的に見て構わないかな。

仏壇ご飯が腐ってても、米を炊いてないって蝿にたからせてる政治だと思ってたけど、色々見てても持論が否定されたり、分からなかったりで、最近自分が間違ってるんじゃないかって思えてきた。端的に言えば疲れた

から別に変えようって気張らない事にする。今のままで、どういう結末に皆行きつくのかボーッと見てるわ。

それまでにぽっくり死ぬかも知んないけど。

2018-06-18

anond:20180618031914

でっかい仏壇買えば良かったんじゃないの?ほら有名美人女優さんも入ってるし、入信すれば治るんじゃない?

うちの近所も結構いるみたい、猫の餌やりしているお祖母ちゃんとか。

2018-06-12

妻が神具仏具屋に勤め始めた

神具仏具屋は斜陽産業らしいよ」

「だろうな」

「それで会社ではどうやって将来の収益を上げるかみんなで考えていきましょうって話になってる」

「いやたぶん斜陽化しちゃってる時点でダメなんじゃねえか?」

「それ言っちゃうと元もこうもないから何か良い案ないの?」

法人取引先ってどれくらいあるの?」

「数百社はあるらしいけど」

「知らず知らずの内に自分の嫁が仏具大手に勤めておったわw」

「私も入社してから知ったw」

「数百社もあるなら在庫系や勘定系のシステムインフラ作って無料取引先にバラ撒いて依存させたら良いんじゃない?時代インフラ支配だよ?」

「物凄く悪い笑顔で嬉しそうに言うのやめてw」

「いやまぁホントなら楽天市場仏壇売られる前にIT参入すべきだったけど、統合的な神具仏具オンラインマーケット勘定系のシステムが無いならやる価値はあると思うけど」

「でもお金かかるんでしょ?人員も」

「その辺は経営者が考えることだわ。会社のみんなで考えて欲しいのは仕組みだろうしね。具体的な仕組みでなく糸口になるレベルで良いと思うけど」

「なるほど〜言ってみるわ」

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