はてなキーワード: 一流企業とは
ネットでビデオや日用品などの注文を受けて,自転車で配達をするというベンチャー企業kozmo.com
http://d.hatena.ne.jp/yuuntim/touch/20060409/p1
『e-dreams』は、アメリカのインターネットベンチャー「Kozmo.com」のスタートアップから急激な成長、そして突然の終焉まで全てを、カメラが克明に捉えたドキュメンタリー作品である。
「1時間で配達業務をこなすオンラインショップ」というシンプルかつ野心的なアイディアを、2人の青年インベストメントバンカー、ジョセフ・パークとヤング・カンが思いつく。
20代半ばにして一流企業を辞職し、わずかな貯えと豊富なアイディアの全てを注いでインターネット企業「Kozmo.com」を創立。従業員10人でス タートしたKozmoはわずか1年間で3000人を雇用する大企業へと成長し、スターバックスと業務提携を結び、Amazon.comなどから計2億 5000万ドルもの投資を受け、IPOを目指してビジネスシーンに旋風を巻き起こした。が、その矢先の2000年4月、突然の株式マーケット崩壊。
栄華を極めたインターネットゴールドラッシュに終止符が打たれた時、Kozmoの未来にも暗雲が漂い始める…。
1999年12月 アマゾン他から1億2000万ドルの投資を獲得
[人物紹介]
『ラップトップコンピューター、インターネット接続、携帯電話があればどこからでも世界征服の準備は万全さ。』
ジョセフ・パークはニューヨーク大学卒業後、ゴールドマンサックスにインベストバンカーとして3年間勤務し、多くのインターネット企業の株式上場のコンサ ルティングを手掛けていた。しかし、ある時味わったAmazon.comのカスタマ-サービスでの不快な体験からヒントを得、1997年7月、ゴールドマ ンサックスを去り、ニューヨーク・イーストビレッジの倉庫を借りて『Kozmo.com』をスタートさせた。その2年半後には、『Kozmo.com』は 全米10都市、1億5千万ドルの融資をAmazon.comやスターバックスコーヒーから受ける巨大な会社へと成長し、パークはインターネットビジネスで の成功に酔いしれていた。まさか、わずかその半年後の2000年7月に、CEOの座を退く事となるとは知らずに…
『アナリストはKozmoのIPOは確実と分析するけど実際はわからないね。投資家は気まぐれだし、ある日突然「もうインターネットは終わりだ」と言うかもしれない。』
ジョセフ・パークとはニューヨーク大学時代のルームメート。卒業後、インベストメントバンクに3年間勤務する。パークから『Kozmo.com』のアイ ディアを打ち明けられ、数ヶ月に渡る準備とベンチャー企業としての可能性分析を行なった後、1997年に『Kozmo.com』をパークとともにスタート させた。そして、2000年7月に社長職を辞職においやられるまで、財政面での運営で手腕を発揮し、Amazon.com、コロンビア・トライスター・エ ンターテイメント、スターバックスなどとの業務提携の立て役者となる。パークが『Kozmo.com』のアイコンとして活躍し、カンは実際の運営
なんか今日渋谷区議選らしいんですよ。先月くらいから出勤するときにやたら政治家っぽい人があいさつしているなと思ってたら家のポストに投票用紙が入っていて、4/21に選挙があるんだと。
一応おいらはノンポリではあるけれど、毎回まじめに選挙に行ってきた。ところが今回は仕事の都合で3年前に引っ越ししてきた土地勘のない渋谷区という町。さあ投票だといったとき誰に入れるかすごく迷った。何せ候補は50人くらいいるのに、誰一人としてなじみがない。
多分似たシチュエーションに遭遇している人は結構いるだろうなと思うので、今回投票するのに考えたことを備忘録的に記しておく。あらかじめ書いておくが、おいらの属性はアラサー大卒ホワイトカラー独身男性。属性的なバイアスがあることを予めご了承いただきたい。
とりあえず初めにしたのは50人の候補者の中から投票先の検討に値しない人を消す作業だ。とてもじゃないが全員の公約を読み切る労力はかけられない。そこでスクリーニングをする。明らかにウケ狙いの泡沫キワモノ候補、特定の宗教団体がバックにいたり、消費税増税とかの国政マターを地方選挙で唱えている候補。60歳以上の民間なら定年になっている候補、このご時世にホームぺージを持たずITに疎い候補。こういった人たちは自分のこれまでの社会経験上あまりお付き合いしたくないという感覚があるので、半ば『偏見』ではあるが公約の詳細を読まずにざっくり消した。
この段階で15人程度に絞られたのでそこから初めて公約を読む作業に入る。…ぶっちゃけどの候補も公約は似たり寄ったり。子育て支援とか、起業を応援とか。なので、プロフィールの『印象』で判断することにした。この人が仕事の同僚だったらどうかという『印象』だ。ここで判断基準にしたのは自己顕示欲の強さ。一流大学を出て一流企業に入って、商工会議所で世話役をして的な『俺、ビッグだろ?』というような自己顕示欲の強そうな人は職場にいたら嫌な奴だなと思って、その候補のホームページの画面はそっと閉じた。
最終的に投票先に選んだのは、常識的な感じのする現職の男性候補。決め手は候補者がblogにしている活動日誌だった。たいていの候補者が立会演説の予定や、イベントのお知らせ、要人との会合を主なネタにしているところを、この候補者は議会の議事や予算の解説、政策説明等がメインにしていたのが好感触だった。この人ならまじめに区議の仕事をしてくれるだろうと考えて投票したのだった。
…とここまで結論を出すのに所要時間約1時間。まじめに選んだか適当に選んだかは何とも言い難いところだが、結局のところ『職場の上司がこの人だったらどうか?』という視点を自分が最重視していたのがわかって面白かった。
いま大手と言われるIT企業で仕事をしている。IT業界ではもちろん有名だし、なんならその辺のITに関係ない人も割と知っていると思われる超一流企業だ。
最近縁があってエンジニアとして入ることができたのだが、周りがとんでもなく頭良くてハゲそうになっている。
エンジニアなら誰もが夢見るであろう、もし適性があって、努力も継続して、新しいもの好きだったら、きっとすごくなれるのにな…というような厨二の妄想を体現したような人たちが、その辺にゴロゴロといる。。
そんなすばらしい人たちと仕事できるのは運が良くてめちゃくちゃ恵まれてると思う。でも、同時に自分がここに居て大丈夫なのかと不安で仕方がない。。
これはもう、あれだ。毛根死滅不可避
“田舎者と貧乏人を初めて見た話”を読んだ感想を、そっと書き残す。
それも日本で5本の指に入るほどの田舎で生まれ、高校卒業までそこから出たことはなかった。
小学校は地元の公立に通い、そのあと中学受験をして、家の近くの中高一貫校を卒業した。
中高時代は近くの学校まで自転車で通学し、部活と勉強が生活のほとんどだった。
現役で慶應に進んだ。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、「この店、もってる株主優待券使えるじゃん」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
田舎では子供はもちろん、大人だってそんなものは持っていなかった。
他にも非常に面食らうことが多かった。
23区内で実家の近くに、マンションを借りて下宿させてもらっているひと
就職解禁日に東京ガスの内定が決まった報告を親から知らされるひと
などなど挙げだしたらキリがない
世の中は生まれた瞬間から不平等だということを腹の底から理解したね。
田舎ではそこそこ裕福な側だったから、余計に東京の富裕層をみておどろいたね。
都内御三家卒トリーバーチさんが言う通り、たしかに生活文化もぜんぜん違った。
ただ、今までの自分と異なった生活文化の良いところにたくさん気づけたし、良いとおもったところは自分に取り入れていったから、そこは都内御三家卒トリーバーチさんと異なる点かな。
まあ、東京という街が、大部分日本全国の地方からの上京者で構成されるので、地方出身者がその文化に馴染みやすいのは、構成からみてそうだろうというのはあるけどさ。
ただ、この文章は都内御三家卒トリーバーチさんへのアンチテーゼだから、敢えて悪いところも書くけど
都内御三家卒トリーバーチさんみたいに、いわゆる東京の消費文化にどっぷり浸かっているひとを見たときに、「なんだか人として薄っぺらいなあ」と感じたね。
それは、そういった人達が、自らの意識じゃなくて、営利企業の広告・周りの人々の目線・マウントといった外部の刺激に翻弄され踊らされ、自己を見つめる機会が少なく、モノを消費させられているかんじがするからだとおもう。
なんだか操り人形というか、外部の刺激にただ反応している動物のようにも見えるんだよ。
最近そういう消費させられているかんじをダサいと感じる精神性が、世界的に若い人の間で増えてきているように感じる。
あと少し話は変わるんだけどさ、都内御三家卒トリーバーチさんの文章を読んで
やっぱり日本で最も根深い差別は“出身地差別”だとあらためて確認することになったね。
例えばこんなかんじ
「大阪出身なんだ、なんかおもろいこと言ってよ笑」
「埼玉出身なんだ、ひっ捕らえろ」
それも無自覚で問題視もされてないから、LGBT差別なんかよりも根深い。
人種もLGBTも本人の自由意志による選択ではないから、そのことで差別するのはいけないことなんだよな。その理屈は全くもって正しいとおもう。
そして出身地も本人の意志で選んだものじゃないよな。それなら“出身地差別”も前の2つの差別と同じようにやめようとなるはずだとおもうんだけど、実際はそうはなってない。
「田舎者の無粋さと、田舎のつまらなさには心底辟易だわ。関わりたくないわ。早く都へ帰りたいわ。」って言ってるけどさ
それは白人が「黒人の無粋さと、つまらなさには心底辟易だわ。関わりたくないわ。白人だけのコミュニティですごしたいわ。」というのと、構造的に全く同じだと自覚したほうがいいよ。
ただね、そんなバカにされている地方出身者にも、都内御三家卒トリーバーチさんよりも明確に恵まれている点がある。
それはスタート地点が低く恵まれていない地方出身者の方が、それから先の人生の伸びしろが大きいということだ。
もうね楽しくて仕方ないよ、ワクワクするね。
どんどん生活の質が上がっていく。これは本当に希望に満ちあふれているよ。
人間って生活の質が向上したときに幸福感を感じるというのが持論で、それは進化生物学的にも則しているとおもう。
(※もちろんそれだけでなく、他にも幸福感を感じるときはある)
そう考えたら、これからの人生ずっと昇り調子の地方出身者は幸せだとおもう。
生まれた瞬間から上限近くだと、それ以降の人生良くて現状維持で悪ければ転落だよね。
それは不幸だとおもう。
実際、都内御三家卒トリーバーチさんは都落ちして、生活の質の低下に苦しんでいるよね。
あとこの仕組みには、都内御三家卒トリーバーチさんへの救いも内包されているよ。
だって、都落ちした都内御三家卒トリーバーチさんは、その出来事によって、今までの都内での暮らしの素晴らしさに気づけたわけだし、何より一度下がったらこれから上がる楽しみを得られるわけだからね。
キモ・オタクの女性蔑視について、侃々諤々の議論が交わされている昨今ですが、キモ・オタクな僕はご多分に漏れずミソジニー的な気質があります。
僕は中学受験をして東大にいっぱい入る中高一貫男子校に入学しました。そこで中高時代を楽しく過ごし、浪人することなく東大に合格。大学では体育会系、いわゆる運動会の部活に入りました。就職活動では首尾よく第一志望の企業に通り、学部卒で就職。今は一流企業でサラリーマンをやっております。現在は社会人にも関わらず、童貞として日々粛々と生きております。振り返ると中高時代には全く女性蔑視などしていた記憶はありません。しかし、今は完全に一定の女性を蔑視していると思います。
僕は中高時代、塾でプリントを回す時以外女性との関係がありませんでした。というか、そもそも塾でプリントを回すことは果たして女性と関係する事なのでしょうかね。要するに、僕は大学入学直後に小学6年生女子以来の女性との衝撃的再会を果たすのです。それが女子大の女です。新歓のために東大の中には大量の女子大の女があふれていました。想像できますか。小学六年生女子と東大に入るためにゴリゴリ勉強している制服姿の女性しか知らなかった人間の目の前にめちゃくちゃマブい女子大の女がいるんですよ。しかもマブい女子大の女たちは嬌声をあげてイケてない東大生と楽しそうにしている。僕はもちろんそんなイケてない東大生よりイケてない新入生だったわけでありますけども、本当に、グロテスクで気持ち悪いなと感じました。小学6年生の頃は「友達」だった女性という存在が、「女子大の女」になっていた感覚分かりますかね。
突然ですけどインカレサークルっておかしくないですか。いやもちろん色々な大学から同じ志を持つ人が集まってきているインカレサークルもあるんだという主張はあると思いますが、ここで僕が言いたいのは男余りの高偏差値大学と女しかいない女子大との間で作られる、本質的にはセックスサークルでしかないインカレサークルの話です。おかしいですよね。大学生活で入るサークルがセックスサークルって気持ち悪いですよね。しかも女子大の女は慶應とのインカレじゃなくて東大とのインカレを選んでるんですよね。慶應生はイケてて自分とは釣り合わないけど、東大生くらいのキモ・オタクだったらちょうどいいかなって選んでるんですよね。しかも日大とかのインカレサークルじゃなくて将来的にそこそこ稼ぐであろう東大生とのインカレサークルを選んでるんですよね。テニスサークルとかフットサルって分かりやすいというか、陽にセックスサークルでもうそれはいいんですけど、インカレボランティアサークルみたいなの。マジで、なんで東大と女子大でインカレしてボランティアするの?東大のボランティアサークルに入ってそうな男ならイケるかなみたいな。いや本当に俺の頭がぶち壊れてるのは十分承知だけどもそう感じてしまったものはもう無理。18歳の女の子が若い女性性の持つ魅力をフルに活用して将来にわたる安定を得ようとしているのって、世間からは純粋異性交遊と目される建前の整った、実質風俗じゃないですか。いや本当にそうじゃないことは理性的には分かってます。そこには男女ではなく人間的な交感があった上でのやり取りがあり、東大生ならだれでもOKみたいな事ではない難しい男女関係があり、その上で交際が成立して素晴らしい愛が育まれていることなんかわかってるんですけど。
結局僕は部活に入ったのでその後女子大の女との本質的な交流があったわけではないです。女子大の女どころか東大に在学している女性さんともほとんど交流はなかったです。ただ上記の女子大の女に対する嫌悪感だけがブクブクと膨らんでいき、女性全般にかけて低く見るようになりました。
社会に出て世間の女の子は尊敬に値すべきで皆さん人間として優れていらっしゃるという事をはっきりと感じるようになりました。もちろんそうでない女性もいますが、それは男性とて同じことです。
しかし女子大の女に対する気持ち悪さだけは消えることがなく、先日女性を紹介されて、その子が女子大出身だと知ったときに吐きそうになってしまった自分の壊れた頭は今後どうなるのか不安になったので駄文を書き連ねました。案外書いて見ると気持ち悪くない気もしてきました。人間は素晴らしいですね。
ピアノを習える程度に収入があって、そろばんや塾と違って将来に何の足しにもならない習い事を許容できる程度に教養のある、そしておそらく両親のどちらか/両方が幼少期にピアノを習っていた上流階級の家庭に生まれた幸運な人だよね。
そりゃそれだけお金と時間があれば中学受験にもお金掛けられるし、結果的に優秀な学校に進める。
私の通っていた高校(非エスカレーター式)では冗談抜きに3人に1人以上の割合でピアノが弾けて、生徒会長の経験者の割合も3割程度あって、15歳なくせに留学経験ある生徒もクラスに1人以上居た。何なの?馬鹿なの?死ぬの?音楽の時間に代わる代わる英雄ポロネーズ弾かないでよ。
そうしてみんなお金あるからいくつも私立大学受験して、早慶の適当な学部に進学してる。一流企業に入ってバリバリ働く人もいれば、一般職で入ってしっかり稼ぐ人とくっついて寿退社する人もいる。いいなあお金持ち。私もお金持ちの家庭に生まれて人生イージーモードしたかったな。お金持ちの連鎖はきっとこれからずっと続くんだろうね。
男は自分の彼女・妻でマウンティングを取ることはまずない。どれだけ彼女が美人であろうが、自慢することはあろうがマウンティングすることはない。「うちの彼女美人でしょ。で、お前の彼女は?ブッサwww」みたいなことは基本的にはしない。女を使ってマウンティングするとしても誰々とセックスしたとか何人をやり捨てたとか、そういう自慢の仕合いでしかない。
ところが、女は自分の彼氏・夫をマウンティング材料に使う。私の夫は商社マンなのよ!私の夫は外務官よ!私の彼氏すごくイケメンなのよ!自分は何もしてないのに彼氏・夫を使って自分の価値を定義してしまう。そしてその自分の価値のコミュニティ内での高低を競う。本当にバカらしい。あなたが愛していて愛されていて幸せを感じるのであればそれで良いのではないだろうか。中身の無い女たちのマウンティング劇は有名人と知り合いであることを誇っているだけのTehu君と何ら変わらない。一流企業に採用されたことを自慢しているだけのボンクラと何ら変わらない。目を覚ませ世の女性達よ。
結婚予定の彼がいます。彼の年収は約800万円で、私のイメージでは別に多くはありませんが、最低限の生活は出来る平均レベルかな?と思っていました。
結婚する事をランチをよくするある友人グループ(女性です)に報告すると、
彼の年収を聞かれたので答えると、「えっ 、彼氏トラック運転手?(笑)大丈夫?(笑)」と笑われました。
彼は33歳です。彼女達の旦那様は一流企業にお勤めで年収は1000万円を軽く超えています。「1000万円以下なんて 負け組じゃん」と言われ、
更に共働きが必要だろうとして、「じゃあもう一緒にランチ出来ないね」とも言われました。私は何も言い返せず、ただ悔しかったです。情けない彼にも腹が立ちました。
私は今まで実家暮らしで自分のお給料は全て自分の事に使っていたのでいくら年収があれば普通に生活出来るのかがわかりません。
母に聞くと父の年収は約2000万円だそうです。それを考えると確かに800万円では生活は苦しいかもしれません。
ただ彼は優しいし頼りがいもあります。そんな彼を全否定されたみたいで悔しいです。でも生活する上でお金は一番大事ですし。私は専業主婦希望で今の生活レベルを正直落としたくはありません。
友人の言う通り年収800万円の彼と結婚する私は負け組でしょうか?負け組と言われると悔しいです。こんな彼とは別れるべきでしょうか