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はてなキーワード: ポリティクスとは

2018-05-19

Alt rightって右翼というより左翼代替に見える

文化の盗用とかポリティカル・コレクトネスとかアイデンティティポリティクスってリベラル思想であるけど。

alt Rightの理屈ってそういうのと表裏一体に見えて、リベラル側の理屈を元に立脚した新しい論調であって既存右翼理屈文脈がぜんぜん違うように見える。


それだけ、世界中で「リベラル思考常識化した」ってことなのかもしれないが。

2018-05-09

リベラルの言う弱者保護って所詮アイデンティティポリティクス」や「かわいそうランキング」でしかないわけで

自分恩恵に与れないものを持ち上げたってしょうがないんだよ

2017-12-22

デュシャンはあちゅう

 おお、はあちゅう。君は僕のミューズ美術館に囚われし姫。白鯨の住む大海原を優雅に泳ぐ人魚姫。清らかな、泉のような流れに逆らい、君を辿ればあたりは異臭。水は目に見えて濁りゆく。あたりは糞尿まさに下水。たどり着く先は便所小屋。きっとそこは、君が見たアンモニア香る素晴らしい景色が広がっているんだね。

 おお、はあちゅう。君は知っているか桜の樹の下には屍体、枝の先には熟れに熟れた実がたくさんたくさん実っていることを。傍ら君は、満開のサクラ色めくサクラ通りを、電気仕掛けの華やぎで演出することに勤しんでいたね。知ってるよ。その下にも屍体が埋まっているんだ。君はその屍体を、屍体たちの透明な苦しみを、海の巫女として色めく言の葉にして拡声器に載せ、またたく間に大海原をその言の葉の色で埋め尽した。ほんとうに圧巻だった。

 おお、はあちゅう。君がその傍らで、手に取り玩んだのは、大海原に映った桜の実の影だろう。それが象徴する苦しみは限りなく透明に近いブルーチェリー記憶を持つものしか真っ赤に見えない。おお、はあちゅう。僕はその色のない影に、色を、限りなく目立つ彩色を試みたんだ。おお、はあちゅう。君はやっぱり気づかなかった。僕は、君の知らないところで大海原に流れ薄れ溶けて消えていくその悲しみをぼんやり眺めていたんだ。

 おお、はあちゅう。君は清らかな海の巫女。君を取り巻く警備員が、拡散された言の葉の色の濁りをたしなめたね。それは僕の、僕たちの悲しみの色だったんだ。おお、はあちゅう。君は眩しい。目を覆わんばかりさ。君と僕たちが生み出す摩擦は火花を放ち、みるみる海を漂う言の葉を真っ赤に染め上げた。

 おお、はあちゅう。君は炎の歌姫。君の鎮魂歌虹色原油。おめでとう。君は油田を掘り当てたんだ。いつ海の奥底で地盤が動いたのかはしらない。たまたまそこから溢れたのが糞尿まみれの原油で、本当にたまたま君の真下だったんだ。君は、限りなく透明に近いブルーだったチェリーの悲しみが誰の目にもわかる熟れた警戒色に変わったのは何時?と歌う。コウモリのように、君を断罪する理由が黒い灰になって宙に舞い、空を覆い、世界太陽の光を失いほの暗くなった。悲しみと怒りと煽りが雑じったショッキングピンクグラデーション超音波、高音波、波と波がうねりぶつかりくだけ、大荒れが君の歌声を掻き消す。灰色が充満する世界で炎に照らされた君。おお、はあちゅう。君は、もう、真っ黒。

 おお、はあちゅうクー・クラックス・クランナチス・ドイツ。君もすっかり差別主義者。信じられるかい。君たちは、かつて私を悪から守るヒーローだったんだよ。黒人ユダヤ人童貞。その他、たくさんの悪を教えてくれたね。私は彼らを人間と思わず、ムチで打ち、十把一絡げに大量虐殺したんだ。でもね。海の底地盤が動いたんだ。こくじんはにんげん、や、ゆだやじんのくるしみ、そして、どうていのかなしさ、は鮮やかに色づいたんだ。一方、クー・クラックス・クラン白衣は黒衣に。カッコいい正義軍団ナチス・ドイツは糞尿まみれになった。はあちゅうは真っ黒。海の底の亀裂から海上に、吹き出した糞尿臭い原油の黒さは、君たち差別主義者を見分ける目印さ。

 おお、はあちゅう。君は知っているかライトポリティクスナイト存在することを。誰かの祈りの言の葉呼応して、どこからともなく現れて、海の底伝説の棒でぶっ叩くのさ。おお、はあちゅう。君が悪いのさ。まさか糞尿くさい原油溢れる亀裂の真上に君がいるなんて思いもしないじゃないか。君もびっくりだろう。でも警告はした。そしてそれは君に届かなかった。おお、はあちゅう。でも安心して君をひとりにしないよ。今、君を嘲笑して、バカにして、消えろって言っている私たちの内の誰かも、人間人間と思わず無知でムチを打ち、大量虐殺を楽しんでいるんだ。でもね。またいつか海の底地盤が動くんだ。きっとまた正義騎士が軽い感じに(ライトナイトライトに)伝説の棒で海の底をぶっ叩いて、吹き出した原油と糞尿がそれまで高らかに正義を掲げていた誰かの頭に直撃するんだと思う。

 ねぇ、はあちゅう。この現代アートバカみたいで笑えるだろ。もし君がこの額縁の中に真っ黒、糞尿まみれで存在しないならば。でも、だからこそ笑えよ。君を人とも思わない未来差別主義である私をも。

2017-10-13

anond:20171013013346

俺はそもそも一票の価値なんて自分らが思っているより遥かに軽いんだから棄権しようが入れようが大した問題じゃないよ、という立場

(もちろん棄権というポリティクス否定すべきでないというのもあるが)

投票行動に過大な「責任」を求めるのは投票効能の小ささから否定される。特に都市部有権者は顕著だ。

そもそも憲法15条4項は公的私的わず投票に対して責任は発生しないことを規定しているという。

から投票しなかったもの政治文句言うなとか、○○党に入れた奴は責任取れ、というのは憲法違反

2017-08-07

「俺(私)は恵まれてないから依怙贔屓しろ」をオシャレに包装するロジックキーワードがあったら教えて

とりあえず俺が知ってるのは「アファーマティブアクション」「権力勾配」「アイデンティティポリティクス」あたりかなあ

賢いはてなーのみなさん他にもあったらおしえてください!

2017-07-11

オタクフェミニストは誰と戦っているのか。

 このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクフェミニストラグナロク永遠につづくかのようにおもえる。


 これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである


 わたしたちは第一次世界大戦を生きている。

 毎日がソンムの戦いだ。



 オタクフェミニストそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?

 フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタク宮崎勤池田小のやつとエドゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。

 オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニスト権力によって表現の自由を、人間尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。


 彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。

 彼らがそれぞれ想像する「敵」とは誰なのだろうか。


 オタクにはトラウマがある。

 悪書追放運動である

 1950年代PTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。

 暴力的表現子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。

 これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派ファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。


 なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。

 悪書追放やり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨迫害を忘れなかった。

 彼らはそのとき体験エッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガネタに織り込んだ。

 そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和マンガ享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガ表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。

 悪書追放運動記憶継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。

 そういうわけで、マンガ守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。


 さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。

 だがオタクたちはずっと敵は「既存道徳にしばりつけられた保守的道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーである叫び続けている。



 フェミニストたちを一言でくくるのは難しい。

 「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性男性社会のもの憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態様相を呈していて、

 そうなったときクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。


 しかオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。

 「こどもたちを傷つける」表現をこそ問題だと言っている。

 教育ではなく、トラウマの話だ。


 フェミニストたちにもトラウマがある。

 日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアサブカルチャーにおける性的エロという意味限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。

 ふた昔前はテレビ女性おっぱいエロティック晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、

 そこまで過激ものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。

 それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。

 そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。


 男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性メンヘラでは?


 少女たちはテレビマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?


 一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?

 刃のついた表現現実存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。

 問題とはむしろそこだ。

 何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?

 私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。


 傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。

 こうしてアイデンティティポリティクス生まれる。

 彼女たちの目的は次の世代トラウマを残さないこと。

 そういう意味では、オタク表現規制運動歴史を語りつぐことと少し似ている。


 そして、オタク同様、「敵」を認識しそこねている。


 フェミニスト場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義統一がはかれていないことだ。

 これは攻める側の弱さでもある。

 守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。

 だが、フェミニスト側は具体的に個別問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。



 そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。



 彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。

 オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」

 フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力肯定しつづけるレイピストクソ野郎


 オタクはただ表現進歩性を守りたかっただけなのに。

 フェミニストはただ表現進歩を与えたかっただけなのに。


 ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。

 もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。

 自分以外のすべてを虐殺しつづける戦場

 それがインターネットであり、インターネット表現規制論争だ。

2016-12-09

マーベル副社長発言日本コンテンツ海外進出について

https://oriver.style/cinema/tcc2016-cb/

日東コミコンが開催され、その中でマーベル副社長であるC.B.セブルスキーさんのトークショーがあったようだ。

該当の記事には多くのブックマークコメントもついており、皆様々な意見を言い合っている。


しかし、この記事で一つ大きな誤解が生まれており、いくつかのコメントはその誤解のために少し的外れな内容になってしまっているように思える。

というより少々作為的意図すら感じてしまう。

記事ではその点についての私見と他国日本コンテンツをどう広めるていくかについて書こうと思う。


マーベル副社長は「日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」などと言っていない。


まず、大きな誤解を招きかねない原因はこの記事タイトルに原因がある。

マーベル副社長日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」

と、でかでかと記事タイトルを掲げているが、記事の内容を見るとセブルスキーさんはそんなことを言っていないのがわかる。


日本コンテンツをどうグローバルなものにしていくか?

という部分は「世界を目指せ!日本映画産業は小さくまとまりすぎている」という段落の中でまとめられている。


日本映画産業は小さくまとまりすぎであるというところ。日本ファン日本の観客のことしか見ていなくて、海外の観客のことを全然考えていない。日本監督映画プロデューサー映画会社もっとグローバルにやっていくべきなんですよ。だって日本にはとても優れたストーリー・テリング伝統があり、日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから物事もっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」


ここでセブルスキーさんが言っていることをよく見るとわかるが

日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから物事もっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」

まり日本映画アニメ文化的ものが受けないとは決して言っていない。

これはセブルスキーさんも言っているが、過去の実績からも明らかだ。

マジンガーZやグレンタイザがヨーロッパの一部で受けたり、セイントセイヤがラテンアメリカで受けたり、マッハGOGOGOアメリカマニアに受けたのは明らかだが、これらの作品果たして海外を強く意識した作品だっただろうか。

巨大ロボットに乗りながらも、強く苦悩したデュークフリードヨーロッパでの受けを狙ったとはとても思えない。


また、アニメに限らず実写映画でも同じだ。

海外で高名な黒澤明や小津の作品アメリカ風ヨーロッパ風、あるいは中国風の映画だっただろうか。

事実はその全く逆だ。

黒澤が作った作品で恐らく最も有名な作品である七人の侍」は時代劇ではないか

侍が出てきて日本刀百姓と一緒に戦う映画のどこに西洋らしさがあるのか。

小津の映画は全編が静謐としており日本人らしさに満ち満ちている。


明らかに日本人らしさに溢れているにもかかわらずこれらの映画はそのどれもが海外で受けた。

モチーフ西洋のものを使っていたとしてもその作品の根幹は日本人らしさで溢れている。


セブルスキーさんは現状存在する日本映画ストーリー・テリング伝統をそのまま貫けば良いといっているだけだ。

ここで注目すべきなのはしろ、前半の部分で海外の観客を見ろと言っている部分だ。

まりもっと単純に考えればいい。

海外の観客にコンテンツを届けたり、今現在既に存在する海外の観客が何を思っているのか良く考えろと言っているのだ。


それは、コンテンツの内容をアメリカ向けに変えろとかそういう話ではないはずだ。

例えばクランチロールアメリカカナダヨーロッパで受けている作品は何かの一覧を発表していた。

アメリカの多くで受けていたのは「ドリフターズ」だった。

なるほど、バイオレンスが好きなアメリカ人らしいと思うが、であればアメリカで物を売りたいのであれば今後そのような作品積極的に送り出せばいい。

しかし、そこでアメリカ人におもねって、不自然アメリカ要素を入れたりするべきではない。

我々日本人の考えるバイオレンスさと、ドリフターズで受けいれられた要素を真剣に考えるべきだ。


アメリカのような作品を作りたいと、アメリカコンテンツ適当にナメタような態度で作ってもアメリカ人の作った作品に敵うわけがない。

まれときからアメリカで育ち、アメリカのものの考え方をしている人のようなことを日本で育ち、日本生活をしているだけの人ができるわけがないのだ。

骨をうずめる覚悟で何年も生活すればまた別かもしれないが、そんな人がなぜ日本映画アニメ産業で物を作らねばならないのか。最早意味不明だ。


日本人日本人しかありえず、それ以上でもそれ以下でもない。

ましてや西洋人中国人では決してない。

それはつまり我々の作る作品日本人的でしかありえずその枠から出ることは決して出来ない。

かならずどこかに日本人的な部分が混じる。


アメリカ世界的なコンテンツを作ることが出来るのはある社会的な前提条件が存在するからだ。

それは文化的多様性をそもそも内包した社会からだ。

インディアン/ネイティブアメリカン生活していた文化ヨーロッパからやってきた文化

南アメリカ黒人文化日系人華僑などのアジア系文化

そのどれもが並立して存在しており、また映画製作現場でも多数の民族文化が交じり合う。

なぜならスタッフもまた多民族構成されるからだ。

このような状況を無理やり日本に作り上げたいなら東宝松竹社長アメリカ人にして、フランス映画監督でも引っ張ってくるしかない。そしてスタッフには多数の外国人スタッフを入れるべきだ。

しかし、残念ながら日本社会でそのような会社を作り上げるのは難しいだろう。

少なくとも主流にはなりえない。

であるなら、我々は逆に日本人であることを貫き続けるしかないのだ。


これは日本人文化SUGEEEEEEEEEEEEEとか日本最高!であるとかそういうことでは決してない。

日本で生まれ日本で育った日本人が「自分ストーリーを語る」とは一体なんなのか?

それを突き詰めると結局日本生活した人間目線から見た作品しかありえないのだ。

そういう意味多様性を語るのであれば

例えば、近年東京で増えてきた外国人日本人交流・衝突を描いた映画であるなら語れるだろう。

あるいは「シン・ゴジラ」のような日本ポリティクスを突き詰めた作品もっと作ってもいい。

最初はなかなか理解されない可能性も強い。

細部については理解やすいようにローカライズするのも構わないだろう。

しかし、将来を見据えるならそういったカルチャーの積み重ねによって理解してくれる人を増やすしかない。

海外では日本被れをweeeabooooといって揶揄する言葉存在する。

では、ハリウッド映画を毎年のようにバンバン見ている私たち日本人はなんなのだ

それこそまるで日本版weeeabooooではないか

日本スターウォーズが年間興行収入2位になる国なのだ

そこらじゅうweeeabooooだらけではないか

もし本当に日本コンテンツ海外に広めたいのであれば、文化的衝突を恐れてはならない。

日本進出したハリウッドがそうであったように。


海外の人が日本的ものを作って欲しいという要望を出しているのにもかかわらず

なぜか海外的なものをつくらなければならないと勘違いしてしまう事が日本では多発する。

この記事でもセブルスキーさんの言っている

日本にはとても優れたストーリー・テリング伝統があり、日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから

という発言を聞いておきながら

日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」

というタイトルをつけるのは雑すぎるだろう。

もっと日本人の観客の言っていること、海外の観客の言っていることを良く聞くという地道な

コミュニケーションを取る方法以外に解決策はないのだ。

そのキャッチボールを行うためにもっと流通網を整備し、海外意見を拝聴できる体制を整えるべきなのだと俺はそう思う。

つーか進撃の巨人実写版日本の客のことも考えてないだろ。

2016-09-23

「おっ、障害者いじめテーマ漫画か、それではこの私が直々にポリティクスにコレクトかどうかを判定してやろう」

という気持ち作品に接すると、たいがい粗(のように感じられる要素)ばかりが見えてきます

こういう人が想定している「正しさ」はめちゃくちゃ範囲が狭いから、というのもありますが、

そもそも人類偏見先入観にめちゃくちゃ影響される生き物だからです。

作品を読むときは、障害者に接するときのように、なるべく偏見を排して臨みましょう。

その上でもし作品描写に不満があったとしても、

差別的である」と「公正に書くことに失敗している」をきちんと区別したほうが良いと思います

2015-07-12

地方からみたコスプレ界隈

あくまで個人の観測範囲からでの雑感

コスプレ写真ネット関係

コスプレネットの相性はよく、アクセス数を稼ぐためには、ビジュアル的に栄える写真必要なのはよく知られていることで、

コスプレ写真はパッと見で目を引くものが多く相性は良さそうに見える。

原作キャラクター作成段階で、ビジュアル的に、このパーツがあればこのキャラクターという認識広まっているので、

原作を知っている人にとっては全くの無知というわけではないことも、受け入れやすいというのもあると思う。

ただ普段コスプレ界隈にアクセスしていないオタク界隈にまで広がるかというと、そういうわけでもないように見える。

話題になる写真は以下のようなもの

  1. コミケ、もしくはそれに準ずる大きなイベント話題になった写真
  2. 外国人によるコスプレ写真過去話題になったもの
  3. 美人露出の多い衣装を着ている写真
  4. ネタ写真

ネットで話題にする人にとって、コスプレ写真コミュニケーションを取るための道具。

コミケでの写真役割としては、コミケが年に2回しか開催されないため、

期間が開きすぎて忘れられないように定期的に思い出す必要があり、それを行うための外部記録装置

外国人コス写真は、過去話題になったものであり、あったあったと、昔を懐かしむための記録媒体

露出が多い写真流通するのは、ネットエロによって出来てる。

ここで何を言いたいかというと、レイヤーカメラマン重要視している

  1. 原作を再現している(衣装であったり、ポージングであったり、シーンであったり)
  2. 写真もしくはカメラ技術的に凄い

というのは優先順位が低いということ。

なのでアートとしての地位日本国内じゃ上がらないように思う。

お金になるのであれば、もっと早くWeb屋さんが、写真集を販売するサイトなどを立ち上げていると思う。

コスプレ界隈に外から求められているのは週刊誌的なもの

最近だとレイヤーは夜の仕事をしている人が多いとか、アフターに参加するかとか、そういうのが話題になっており、

から求められているのは、コスプレ界隈の闇だとか、ここがおかしいとかそういうこと。

コスプレ界隈ってなんかおかしいこと沢山あるんでしょ?と思っている人達一定数いて、

おかしいと何処かに書いてくれるのを待っている。(自分取材しておかしいというのを暴露するわけではない。)

そしてそれをコスプレをしている本人達認識しており、情報に対して過敏になっている構図がある。

この辺りの構図がコスプレ界隈でポリティクス形成されている原因であるのだが、窮屈さの原因ともなっている。

Twitterでのコスプレ関係RTが伸びるのは、こんな人が居たのでダメだとか、これがおかしいとか、そういうことの方がRTが伸びる。

CureコスプレアーカイブといったSNSで閉じられた世界であれば、気にせずにいられたことにまで気を回さねばならず、

コスプレを辞めていく人の原因の一つになっているように思う。

これからコスプレ界隈の予想

社会学者鈴木謙介が消費行動モデルとして「IPPS消費」というのを言ってる。詳しくはココ(http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/201506/201506toku3.html)を

見て欲しい。

乱暴に言えば、イベントに参加する前に誰かを招待して、準備するために買い物をするところが楽しいので、そこがお金になるという話。

コスプレは既にこのIPPS消費をしている。

  1. 誰かと一緒にコスプレをいつするかを相談(Invite)
  2. 布などを購入。服の色を合わせるために一緒の布を使ったりする(Plan)
  3. 当日コスプレをし写真を取る(Participate)
  4. LINETwitterなどで写真を共有(Share・Spread)

問題になっているのはInviteとPlanのところで、同じコスプレ趣味としていても、こだわる箇所が違うので、あまり上手くいっていないように思える。

5人などで一緒にコスプレをする併せと呼ばれるものがあるのだが、スタンスなどが違うのであまり上手くいっていない。

衣装クオリティにこだわる人もいれば、写真クオリティをこだわる人、衣装をきて作品について話せればいい人など、

スタンスが違うため、なかなか続かない。

予定を合わせるのも大変なので、本当に仲の良い二人組でするか、一人でするかというのが気楽で続くように思う。

Spreadによって承認欲求が満たされるのが、次の原動力となるのだろうが、

気を使うことが多すぎて面倒くさいという方が勝つので、ドンドン辞めていく人が増えていくのではないだろうか。

経済的には、弱虫ペダルロードバイクを買う、刀剣乱舞で模様の入った高い布を買うなど、

コスプレをするのにかかるお金が高くなっているので、地方収入の少ないところから

徐々にコスプレ人口は減っていくように思う。

衣装お金のかからない人気作品が出てくれば、コスプレが盛り上がるのはこれからも何度かあるように思うが、

グッズ以外にコスプレまでするというのはキツくなるのではないだろうか。

2011-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20111219165354

意味不明もいいところなんだが。貧困層のガキは富裕で将来良い大学に進学して成功することが決まっている優等生への恨みを緩和するためにメディア貧困層容姿で人を馬鹿にする恩恵を与えている(そして優等生はそれを我慢している)みたいな生理的に受け付けない気持ち悪いポリティクスが感じられたら、俺が政府なら叩き潰すけど(んでみんな優等生尊敬する方向へ)。メディアにこういう意図があるから仕方ないみたいに受忍しているお前らもまじきもい。

2011-07-13

九州電力が業務命令でやらせメール

メールにしても、匿名掲示板メッセージにしても、量が問題になるならば、それを偽装する方法はいくらでもある。バルクメーラーで2億通くらい送りつければ、日本人口を超えているけど確実に多数意見を作れるわけであるし、自動書き込みツールもある。これらはツールモンキーレベルの児戯であるし、そういった現実を知らずに、それらの裏付けの無い発言を世論であるカウントするのは、間抜けな事である

ネット世論操作の道具として使いたければ、まず、ネット上に論壇を形成する事から始めなければならない。論壇があって、そこで行われている議論の趨勢が、結果的に世論となる。メディアが独占されていた時代には、論壇は出版社新聞社が商売の為に作っていたが、メディアの独占がなくなり、それらの商業主義論壇がやっていた事が、単なる銭儲けの為でしかなく、世のため人の為になっていない事が暴露されてしまい、商業論壇は存在しなくなった。

論壇がない状態で世論は、情報公開、反マスゴミ、ワンフレーズポリティクスという方向に進んできた。情報公開によって有権者が判断するというのは、情報公開によって、霞が関文学の詳細な実例や利権構造といった、既得権益層の存在とそれを温存する仕組みを明らかにした。それは、過去の諸制度に対する批判を掘り起こす結果につながり、反マスゴミ、ワンフレーズポリティクスへと進んでいき、ついに、無能政治家は支持しないという風潮から政権交代という結果になったが、政権交代の結果は、それ以前よりもさらに無能恥知らずな愚物がのさばるという、どうしようもない結果となってしまった。

政治家を育てるには、育てるに値する信用が無ければならない。政治家の側が、育てて貰えるだけの価値証明しなければならない。日頃の政治活動の可視化という、一番具体的な方法があるのに、それをやらず、また、地域密着の結果として、地域利権代表であって国家の代表にはなりえないという宿痾を解決する多選規制という手法もあるのに、それをやれていない。

衆参が捻れている状態では、首相任期一年で、予算を通す度にコロコロ変わるのは当然となるし、選挙民に信用されない限り、一期限りで落選させるという事になる。利権代表でしかないのであれば、多選されたければ、利権をばら撒く地域を広げていくしかなく、その為の財源として赤字国債増税といった手法をとるのであれば、税として取られる分や将来の負担を補えるだけのばら撒きが無ければ支持は集められないし、ばら撒きの量に差があれば、不平等からという事で、自分達により多くばら撒いてくれる人を担ぎ上げるという話になる。それだけの手厚いばら撒きをやれる財源など、どこにもないので、結果的に、一期限りで落選させるという代議士の使い方にならざるを得ないのである

電力会社の幹部にしても、政治家にしても、質の劣化は酷いものである

質が劣化しているのは、質を向上させる仕組みがない為であるし、向上する必然性が無い為でもある。電力会社政治家も、世界視野から見れば、地域独占事業となる。独占に甘んじ、競争を怠ると、人材の質はどこまでも劣化していく。この体質を改める事こそが改革なのだが、人材の質を高める仕組みを作ると、オールドパージに繋がりかねないということで、反対する者が出てくる。

公共の利益よりも私益を優先する時点で、地域独占である政治や独占が認められている企業の従業員としては落第である。個人の利益を優先するならば、私企業で活動するべきなのだが、それすらも判断できないほどに質が低下しているのである

個人の質の低下は単なる質の低下であり、低劣な人材を排除していけば済む事だが、質の低下を是正できないのは、社会の質の低下である。まさしく国難なのだが、それに気がついていないか、気がついていても、自分自身がそのものなので、気がつかないふりをしているというのが、多数派になっているのであった。

無能な多数派よりは、捏造メールの多数派の方が、害は少ない。無能な多数派は、原発メルトダウンさせてしまったり、歳入よりも多額の赤字国債を発行する法案を通そうとしたりする。これは実害である

2011-04-02

切れば血が出るリアルポリティクス

hidetomitanaka 田中秀臣2011年4月2日ツイート


政策センスでは趣味の悪い人材を世に広める上では最大の影の貢献者ではないかといつも思うのが、稲葉さん。また今回もかあ、という溜息を禁じえない。


なんという素晴らしい正論。そうして世に広められた人材の代表こそわれらが韓リフ先生ですな。


「今インフレになったら被災者の生活は大打撃ではないか」というもっともな懸念を取り除くような説明を誰ひとりとしてまともにできていないリフレ派の政策センスの趣味の良さは異常

2010-08-24

切れば血がでるリアルポリティクス(笑)

併合条約「有効」の政府見解維持 日韓で福山

http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082201000259.html

 福山哲郎官房副長官は(中略)1910年の日韓併合条約について締結当時は国際法上有効だったと認めてきた政府見解は変わらないとの見解を重ねて示した。

 同時に「個人補償や求償権の問題は首相談話の中で認めるつもりは一切ない」と表明。

円、84円台前半に一段高 野田財務相の発言受け

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381949EE0E6E2EAE28DE0E6E2EAE0E2E3E2E2E2E2E2E2E2

野田佳彦財務相が24日の記者会見で、円高について「一方向に偏った動き」や為替介入について「コメントしない」と発言した。日本通貨当局による円高対策への具体性が乏しいとの見方から円買いが加速した。

はてサリフレ派も、ネットの片隅で小競り合いしてるだけで、実際の政治には何の影響力もないんだな。

2010-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20100823093536

えーと、リフレ派の稲葉先生もおっしゃっているように、ことはもう経済学の範疇ではなくて切れば血が出るリアルポリティクスに移っているらしいですので

2010-05-08

twitter報道に生かす毎日新聞つぶやきは正当な言論と言えぬと警鐘


twitter報道に生かすと発表した毎日新聞が、つぶやきは正当な言論と言えないと警鐘を鳴らしています。

近聞遠見:「つぶやき政治」の危うさ

 とはいえ、つぶやきは正統な言論と言えるのか。ワンフレーズポリティクス亜流ではないか。政治の質を落とすリスクはないか。

http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20100508ddm002070040000c.html

Twitterなどによる読者の声をいかしていく

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/05/07/057/?rt=na

2009-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20090909230025

マスコミが「政権」選択の夏と報じる状況で、民主が「政権」交代を訴え、自民が「政策」実行力を訴えた。

結局は、その違いが決め手になったと思う。

前回の衆議院選で、小泉が「郵政」で、反小泉はそれ以外の争点に持っていこうとしていたけど、

やはりマスコミが「郵政」選挙と呼び習わしたことが影響したようなものだろう。

これをしてワンフレーズポリティクスと言われたわけだけど。

対立軸にどういう名前をつけるかという、比較的不偏さを保てると思われがちな部分が、実は大きな影響を与えてしまうわけで。

ま、「郵政」よりは「政権」のほうが、問う価値のある問題だろう。

選挙のありようとしては前よりはマシだと思う。

2009-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20090705135759

toledやRomanceは、この言葉制度解体するなんて言ってたのに、わずか数日で、外国人差別解体どころかすっかりネタになっている件www

これが「ワンフレーズポリティクス」の馴れの果てか。いしけり先生が「はてな」に見切りをつけたのは正解だった。

2009-01-06

[][]クィンティリアヌスくらい読めよ

それは違う。

それらは社会的に構築された“創られた伝統”であって

ジェンダーポリティクスの批判対象になるべきものだろ

簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティがエポケー

された、「異化作用」の階層的な二項対立の形而上学こそが

ジェンダーベリフィケーションなのよ。“サバルタン

語ることができない”とはこういう意味なの。

このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点

拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換されるわけだろ。

つまりゲオルグカントール予言してゲーデル不完全性定理

見事に証明されたってワケ。

あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的な

ナラトロジーでもいいんだけどさ。

あなたのディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な

部分がエクリチュールの過程で無残にも前景化されたわけで。

そういったことが私のディコンストラクション脱構築)の

射程に入るのよ。ポストコロニアルな“政治”のレトリックだね。

クィンティリアヌスくらい読めよ。

2008-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20080810043258

 別にB層という言葉をつくって、カテゴリー化しているのはサヨクじゃなくて自民党だってことになってると思うんだけどな。

 少なくとも私は誰かのことを「こいつらがB層だ」なんて思いませんし、先のエントリーでそんなことも言っていない。

 ただ、ちゃんと字も読めるのにワンフレーズポリティクスに乗っかって騒ぐだけの人が目の前にいたら、「こいつは自分を甘やかしている」とは思うけどね。

 あと、「在日」という、それなりに歴史を背負って、帰属意識を持った人々がいる言葉怪文書にたまたま出てくる意味もはっきりしない言葉と「同じだろ」と言ってしまう感覚も理解できない(ので、そういう人とどうコミュニケーションしていいかも正直解らない)。

 民族概念なんてもともと定義曖昧なのは当たり前で、それはその概念重要性の否定にはならないからね。

 

2008-06-09

もうブコメから死ねばいいのにを外しますよ。みなさんもそうした(ry

ブコメの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうブックマークコメント欄を自粛しますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。

……引っ張りすぎですか、そうですか。

えぇまぁ、はてなサービスが、その存在が目障りで仕方ない輩により、閲覧の制限のリスクにさらされてる問題についてですよ。

件のエントリが、のっけから女子高生が受けた「死ね」と、"彼"がつけられた「死ねばいいのに」がまるで同列だよという調子ではじまってるが、この欺瞞は許しがたい。女子高生自殺は、死ねという言葉を書かれるような周囲の悪意を受け流す、能力の育成が間に合わなかった事にあって、「机に花びんを置くいじめ」状態に置かれた事を察知しなかったか放置した、周囲の大人の対応の不備という問題ですよ。"彼"のやってる事は、それとは全く違って、その事件で出てきた「死ね」というシニフィアン意味ではなく文字そのものってことね)が同じという点だけを援用し、つまり単に自殺した女子高生をダシに使って、自分への批判言説を「死ね」という言葉暴力と同一化した印象操作に他ならない。

普通に考えれば「とうふの角に頭ぶつけて死んでしまえ」や「いっぺん死んで来い」という言葉を使ったところで「死ね」等という意味に解釈する方があたまがおかしいのは分かるでしょ。「死ねばいいのに」という言葉は、「バカは死ななきゃ直らない」と同じく、無知蒙昧な寝言を言ったマヌケにあきれ果てる時に使う言葉であって、それを「殺人を示唆する」等と解釈するのは牽強付会もいいところなわけですよ。まぁ隕石にぶつかって死ぬぐらいには願ってるかもしれないけどw。エントリで名指しされた相手への捏造でも明らかなように、死ねと殺意に結び付いているかの如き虚構は"彼"の印象操作の産物でしかない事は確認しておきたい。

しかし、そうであっても、はてブ利用者としてそれで突っぱねていいのかという問題は別に考えましょうよといいたいのですよ。はてブを使っている目的を第一に考えるのなら、最重要事項は、さまざまな自由な意見表明そのものだし、その意見の内容は「死ねばいいのに」という言葉を使わないと表現出来ないものじゃないよね?という点を考えましょうよ。

日常より侮蔑的表現を他人に使い、中傷するのはもちろんの事、放送分野以外の経済科学社会分野で多々繰り広げる常識見解からかけ離れた珍説の引用で、一部のリテラシーの低い層に本当の真実(笑)欲求に対するマッサージを提供し、自殺した女子高生までも平気で自身の情報操作の道具にするという、常識に基づいた知性や良識に対し異様なまでの憎悪を抱く人物に、本意でない藁人形押し付けられて、その弁明を強いられてまで、この「死ねばいいのにタグを守る価値はないでしょう?

それが、ブコメから死ねばいいのにタグを外しましょうという主張の意味するところです。(こう言うと、往々にして手段が目的化しがちな筋の方々にとっては、「死ねばいいのに」は我々のひょーげんのじゆーの砦だー!ここで戦わないお前は葛藤が足りないとかいう人がポップする悪寒もあるけどなww←おっと、○ねばいいのにと突っ込んでしまうところであったwwww)

"彼"にとって今回、「死ねばいいのにタグを道具に言論の外側のルールを使ってはてなをけん制しようとしたという事は、結局は自分の主張に論理的な正当性に自信が無いことの裏返しな訳なのですよ。普段の自分の行為を平然と棚に上げて、今回のように外部の権力を使って圧力をかけようと目論む、このような言論テロリズムに対しては、いずれまた粛々と”対策”を行っていけばよろしい。理性的に、言論のルールに基づいて、上に示したような論理を示す事で立ち向かったところで、このような罵倒恫喝的な方法にイナゴのように飛びつくような品質の何万ビジターとやらを背後につけた虚像、もとい巨象の「殺人を示唆するタグ」というワンフレーズポリティクスと正面から対峙するなど、愚の骨頂ですよ、退いた方が合理的ですよ、とだけ言っておきたいのです。

また、単に"彼"相手の問題というだけでなく、検閲団体というこれまた言論の自由に対して理解力があるのかあやふやな団体により、実際に制限をかけられる可能性がある程度残っている限り、利用者としてはインフラ自体に対する被害を与える可能性を漸減させる可能性が(0.002%ぐらい?)あるならば、対応するのが道義というものだと思うのですよ。

PV非対称性の上に更に、言論のレイヤで解決すべきの話を、言論を担保する装置の話にに持ち込んで、コトの賭け金を引き上げた、言論に対するテロ行為は記憶しましょう。そして"彼"の行っている、数々の反社会的言説に対してはおいおい、本人が自ら言ったとおり、正統に、評判を落とし、市場からたたき出すために、教育の腑での地位や、言論の自由に深くかかわる組織の代表としての社会的責任を考えていただかざる得なくなるように、メッセージを出してさし上げましょう、お望みどおりに。

簡単に言うと、刃物を振り回しているキチガイからは逃げましょう。でもそのキチガイは後でちゃんと取り押さえましょうという話です。ということで、「もうブコメから死ねばいいのにタグを自粛しますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ」というくらいだなということは、変わりません。私は決めました。はてブには価値がある。でもその価値を維持するには不便もある。

こうですか><

2008-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20080127191055

いちいちアニメ世界に入り込んで説明してくれないでもいいよ。

お前がウザイと思うかどうかなんて心の底からどうでもいい。

単に理屈の上でおかしいだろって言ってるだけ。

あと俺別にはしごたんを擁護してるわけじゃないんだが。

いまそこにあるのはただそれだけのパワーゲームポリティクス

この文章センスはナイスラノベ作家になろうぜw

引き続き梯子論議は切り捨ての方向で。「パワーゲーム

あんたの主張してるような「オレたちは相互に『自分の正義をぶつけ合』っているに過ぎないんだぜ」的な相対主義世界観は、ヤマトからガンダムくらいまででもう終わりにしてくんねえ?もう充分ですから。あと偽悪趣味とか。そんな発想で「梯子擁護のオレ。超クールじゃねwwww」とか思ってる阿呆が多くてうざいんです。

「一人が集団のanyoneに殴りかかったから集団から数倍にボコられる」…いまそこにあるのはただそれだけのパワーゲームポリティクス。公を殴れば公にボコられる。そんな世界に妙な「相対的正義感」をふりかざし、みんなに説教しようとしてるのはアンタの方だろ。

http://anond.hatelabo.jp/20080127181916

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