はてなキーワード: ポリティクスとは
コスプレとネットの相性はよく、アクセス数を稼ぐためには、ビジュアル的に栄える写真が必要なのはよく知られていることで、
コスプレ写真はパッと見で目を引くものが多く相性は良さそうに見える。
原作のキャラクター作成段階で、ビジュアル的に、このパーツがあればこのキャラクターという認識広まっているので、
原作を知っている人にとっては全くの無知というわけではないことも、受け入れやすいというのもあると思う。
ただ普段コスプレ界隈にアクセスしていないオタク界隈にまで広がるかというと、そういうわけでもないように見える。
ネットで話題にする人にとって、コスプレ写真はコミュニケーションを取るための道具。
コミケでの写真の役割としては、コミケが年に2回しか開催されないため、
期間が開きすぎて忘れられないように定期的に思い出す必要があり、それを行うための外部記録装置。
外国人コスの写真は、過去に話題になったものであり、あったあったと、昔を懐かしむための記録媒体。
露出が多い写真が流通するのは、ネットはエロによって出来てる。
ここで何を言いたいかというと、レイヤーやカメラマンが重要視している
というのは優先順位が低いということ。
なのでアートとしての地位は日本国内じゃ上がらないように思う。
お金になるのであれば、もっと早くWeb屋さんが、写真集を販売するサイトなどを立ち上げていると思う。
最近だとレイヤーは夜の仕事をしている人が多いとか、アフターに参加するかとか、そういうのが話題になっており、
外から求められているのは、コスプレ界隈の闇だとか、ここがおかしいとかそういうこと。
コスプレ界隈ってなんかおかしいこと沢山あるんでしょ?と思っている人達が一定数いて、
おかしいと何処かに書いてくれるのを待っている。(自分で取材しておかしいというのを暴露するわけではない。)
そしてそれをコスプレをしている本人達が認識しており、情報に対して過敏になっている構図がある。
この辺りの構図がコスプレ界隈でポリティクスが形成されている原因であるのだが、窮屈さの原因ともなっている。
Twitterでのコスプレ関係でRTが伸びるのは、こんな人が居たのでダメだとか、これがおかしいとか、そういうことの方がRTが伸びる。
CureやコスプレアーカイブといったSNSで閉じられた世界であれば、気にせずにいられたことにまで気を回さねばならず、
コスプレを辞めていく人の原因の一つになっているように思う。
社会学者の鈴木謙介が消費行動モデルとして「IPPS消費」というのを言ってる。詳しくはココ(http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/201506/201506toku3.html)を
見て欲しい。
乱暴に言えば、イベントに参加する前に誰かを招待して、準備するために買い物をするところが楽しいので、そこがお金になるという話。
コスプレは既にこのIPPS消費をしている。
問題になっているのはInviteとPlanのところで、同じコスプレを趣味としていても、こだわる箇所が違うので、あまり上手くいっていないように思える。
5人などで一緒にコスプレをする併せと呼ばれるものがあるのだが、スタンスなどが違うのであまり上手くいっていない。
衣装のクオリティにこだわる人もいれば、写真のクオリティをこだわる人、衣装をきて作品について話せればいい人など、
スタンスが違うため、なかなか続かない。
予定を合わせるのも大変なので、本当に仲の良い二人組でするか、一人でするかというのが気楽で続くように思う。
Spreadによって承認欲求が満たされるのが、次の原動力となるのだろうが、
気を使うことが多すぎて面倒くさいという方が勝つので、ドンドン辞めていく人が増えていくのではないだろうか。
経済的には、弱虫ペダルでロードバイクを買う、刀剣乱舞で模様の入った高い布を買うなど、
コスプレをするのにかかるお金が高くなっているので、地方の収入の少ないところから、
衣装にお金のかからない人気作品が出てくれば、コスプレが盛り上がるのはこれからも何度かあるように思うが、
グッズ以外にコスプレまでするというのはキツくなるのではないだろうか。
メールにしても、匿名掲示板のメッセージにしても、量が問題になるならば、それを偽装する方法はいくらでもある。バルクメーラーで2億通くらい送りつければ、日本の人口を超えているけど確実に多数意見を作れるわけであるし、自動書き込みツールもある。これらはツールモンキーレベルの児戯であるし、そういった現実を知らずに、それらの裏付けの無い発言を世論であるとカウントするのは、間抜けな事である。
ネットを世論操作の道具として使いたければ、まず、ネット上に論壇を形成する事から始めなければならない。論壇があって、そこで行われている議論の趨勢が、結果的に世論となる。メディアが独占されていた時代には、論壇は出版社や新聞社が商売の為に作っていたが、メディアの独占がなくなり、それらの商業主義論壇がやっていた事が、単なる銭儲けの為でしかなく、世のため人の為になっていない事が暴露されてしまい、商業論壇は存在しなくなった。
論壇がない状態で世論は、情報公開、反マスゴミ、ワンフレーズポリティクスという方向に進んできた。情報公開によって有権者が判断するというのは、情報公開によって、霞が関文学の詳細な実例や利権構造といった、既得権益層の存在とそれを温存する仕組みを明らかにした。それは、過去の諸制度に対する批判を掘り起こす結果につながり、反マスゴミ、ワンフレーズポリティクスへと進んでいき、ついに、無能な政治家は支持しないという風潮から、政権交代という結果になったが、政権交代の結果は、それ以前よりもさらに無能で恥知らずな愚物がのさばるという、どうしようもない結果となってしまった。
政治家を育てるには、育てるに値する信用が無ければならない。政治家の側が、育てて貰えるだけの価値を証明しなければならない。日頃の政治活動の可視化という、一番具体的な方法があるのに、それをやらず、また、地域密着の結果として、地域の利権代表であって国家の代表にはなりえないという宿痾を解決する多選規制という手法もあるのに、それをやれていない。
衆参が捻れている状態では、首相の任期は一年で、予算を通す度にコロコロ変わるのは当然となるし、選挙民に信用されない限り、一期限りで落選させるという事になる。利権代表でしかないのであれば、多選されたければ、利権をばら撒く地域を広げていくしかなく、その為の財源として赤字国債や増税といった手法をとるのであれば、税として取られる分や将来の負担を補えるだけのばら撒きが無ければ支持は集められないし、ばら撒きの量に差があれば、不平等だからという事で、自分達により多くばら撒いてくれる人を担ぎ上げるという話になる。それだけの手厚いばら撒きをやれる財源など、どこにもないので、結果的に、一期限りで落選させるという代議士の使い方にならざるを得ないのである。
電力会社の幹部にしても、政治家にしても、質の劣化は酷いものである。
質が劣化しているのは、質を向上させる仕組みがない為であるし、向上する必然性が無い為でもある。電力会社も政治家も、世界的視野から見れば、地域独占事業となる。独占に甘んじ、競争を怠ると、人材の質はどこまでも劣化していく。この体質を改める事こそが改革なのだが、人材の質を高める仕組みを作ると、オールドパージに繋がりかねないということで、反対する者が出てくる。
公共の利益よりも私益を優先する時点で、地域独占である政治や独占が認められている企業の従業員としては落第である。個人の利益を優先するならば、私企業で活動するべきなのだが、それすらも判断できないほどに質が低下しているのである。
個人の質の低下は単なる質の低下であり、低劣な人材を排除していけば済む事だが、質の低下を是正できないのは、社会の質の低下である。まさしく国難なのだが、それに気がついていないか、気がついていても、自分自身がそのものなので、気がつかないふりをしているというのが、多数派になっているのであった。
無能な多数派よりは、捏造メールの多数派の方が、害は少ない。無能な多数派は、原発をメルトダウンさせてしまったり、歳入よりも多額の赤字国債を発行する法案を通そうとしたりする。これは実害である。
マスコミが「政権」選択の夏と報じる状況で、民主が「政権」交代を訴え、自民が「政策」実行力を訴えた。
結局は、その違いが決め手になったと思う。
前回の衆議院選で、小泉が「郵政」で、反小泉はそれ以外の争点に持っていこうとしていたけど、
やはりマスコミが「郵政」選挙と呼び習わしたことが影響したようなものだろう。
対立軸にどういう名前をつけるかという、比較的不偏さを保てると思われがちな部分が、実は大きな影響を与えてしまうわけで。
ま、「郵政」よりは「政権」のほうが、問う価値のある問題だろう。
選挙のありようとしては前よりはマシだと思う。
別にB層という言葉をつくって、カテゴリー化しているのはサヨクじゃなくて自民党だってことになってると思うんだけどな。
少なくとも私は誰かのことを「こいつらがB層だ」なんて思いませんし、先のエントリーでそんなことも言っていない。
ただ、ちゃんと字も読めるのにワンフレーズ・ポリティクスに乗っかって騒ぐだけの人が目の前にいたら、「こいつは自分を甘やかしている」とは思うけどね。
あと、「在日」という、それなりに歴史を背負って、帰属意識を持った人々がいる言葉を怪文書にたまたま出てくる意味もはっきりしない言葉と「同じだろ」と言ってしまう感覚も理解できない(ので、そういう人とどうコミュニケーションしていいかも正直解らない)。
民族概念なんてもともと定義が曖昧なのは当たり前で、それはその概念の重要性の否定にはならないからね。
ブコメの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうブックマークコメント欄を自粛しますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。
……引っ張りすぎですか、そうですか。
えぇまぁ、はてなのサービスが、その存在が目障りで仕方ない輩により、閲覧の制限のリスクにさらされてる問題についてですよ。
件のエントリが、のっけから女子高生が受けた「死ね」と、"彼"がつけられた「死ねばいいのに」がまるで同列だよという調子ではじまってるが、この欺瞞は許しがたい。女子高生の自殺は、死ねという言葉を書かれるような周囲の悪意を受け流す、能力の育成が間に合わなかった事にあって、「机に花びんを置くいじめ」状態に置かれた事を察知しなかったか放置した、周囲の大人の対応の不備という問題ですよ。"彼"のやってる事は、それとは全く違って、その事件で出てきた「死ね」というシニフィアン(意味ではなく文字そのものってことね)が同じという点だけを援用し、つまり単に自殺した女子高生をダシに使って、自分への批判言説を「死ね」という言葉の暴力と同一化した印象操作に他ならない。
普通に考えれば「とうふの角に頭ぶつけて死んでしまえ」や「いっぺん死んで来い」という言葉を使ったところで「死ね」等という意味に解釈する方があたまがおかしいのは分かるでしょ。「死ねばいいのに」という言葉は、「バカは死ななきゃ直らない」と同じく、無知蒙昧な寝言を言ったマヌケにあきれ果てる時に使う言葉であって、それを「殺人を示唆する」等と解釈するのは牽強付会もいいところなわけですよ。まぁ隕石にぶつかって死ぬぐらいには願ってるかもしれないけどw。エントリで名指しされた相手への捏造でも明らかなように、死ねと殺意に結び付いているかの如き虚構は"彼"の印象操作の産物でしかない事は確認しておきたい。
しかし、そうであっても、はてブ利用者としてそれで突っぱねていいのかという問題は別に考えましょうよといいたいのですよ。はてブを使っている目的を第一に考えるのなら、最重要事項は、さまざまな自由な意見表明そのものだし、その意見の内容は「死ねばいいのに」という言葉を使わないと表現出来ないものじゃないよね?という点を考えましょうよ。
日常より侮蔑的表現を他人に使い、中傷するのはもちろんの事、放送分野以外の経済・科学・社会分野で多々繰り広げる常識的見解からかけ離れた珍説の引用で、一部のリテラシーの低い層に本当の真実(笑)欲求に対するマッサージを提供し、自殺した女子高生までも平気で自身の情報操作の道具にするという、常識に基づいた知性や良識に対し異様なまでの憎悪を抱く人物に、本意でない藁人形を押し付けられて、その弁明を強いられてまで、この「死ねばいいのに」タグを守る価値はないでしょう?
それが、ブコメから死ねばいいのにタグを外しましょうという主張の意味するところです。(こう言うと、往々にして手段が目的化しがちな筋の方々にとっては、「死ねばいいのに」は我々のひょーげんのじゆーの砦だー!ここで戦わないお前は葛藤が足りないとかいう人がポップする悪寒もあるけどなww←おっと、○ねばいいのにと突っ込んでしまうところであったwwww)
"彼"にとって今回、「死ねばいいのに」タグを道具に言論の外側のルールを使ってはてなをけん制しようとしたという事は、結局は自分の主張に論理的な正当性に自信が無いことの裏返しな訳なのですよ。普段の自分の行為を平然と棚に上げて、今回のように外部の権力を使って圧力をかけようと目論む、このような言論テロリズムに対しては、いずれまた粛々と”対策”を行っていけばよろしい。理性的に、言論のルールに基づいて、上に示したような論理を示す事で立ち向かったところで、このような罵倒や恫喝的な方法にイナゴのように飛びつくような品質の何万ビジターとやらを背後につけた虚像、もとい巨象の「殺人を示唆するタグ」というワンフレーズポリティクスと正面から対峙するなど、愚の骨頂ですよ、退いた方が合理的ですよ、とだけ言っておきたいのです。
また、単に"彼"相手の問題というだけでなく、検閲団体というこれまた言論の自由に対して理解力があるのかあやふやな団体により、実際に制限をかけられる可能性がある程度残っている限り、利用者としてはインフラ自体に対する被害を与える可能性を漸減させる可能性が(0.002%ぐらい?)あるならば、対応するのが道義というものだと思うのですよ。
PV非対称性の上に更に、言論のレイヤで解決すべきの話を、言論を担保する装置の話にに持ち込んで、コトの賭け金を引き上げた、言論に対するテロ行為は記憶しましょう。そして"彼"の行っている、数々の反社会的言説に対してはおいおい、本人が自ら言ったとおり、正統に、評判を落とし、市場からたたき出すために、教育の腑での地位や、言論の自由に深くかかわる組織の代表としての社会的責任を考えていただかざる得なくなるように、メッセージを出してさし上げましょう、お望みどおりに。
簡単に言うと、刃物を振り回しているキチガイからは逃げましょう。でもそのキチガイは後でちゃんと取り押さえましょうという話です。ということで、「もうブコメから死ねばいいのにタグを自粛しますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ」というくらいだなということは、変わりません。私は決めました。はてブには価値がある。でもその価値を維持するには不便もある。
こうですか><
いちいちアニメの世界に入り込んで説明してくれないでもいいよ。
お前がウザイと思うかどうかなんて心の底からどうでもいい。
単に理屈の上でおかしいだろって言ってるだけ。
あと俺別にはしごたんを擁護してるわけじゃないんだが。
あんたの主張してるような「オレたちは相互に『自分の正義をぶつけ合』っているに過ぎないんだぜ」的な相対主義世界観は、ヤマトからガンダムくらいまででもう終わりにしてくんねえ?もう充分ですから。あと偽悪趣味とか。そんな発想で「梯子擁護のオレ。超クールじゃねwwww」とか思ってる阿呆が多くてうざいんです。
「一人が集団のanyoneに殴りかかったから集団から数倍にボコられる」…いまそこにあるのはただそれだけのパワーゲーム・ポリティクス。公を殴れば公にボコられる。そんな世界に妙な「相対的正義感」をふりかざし、みんなに説教しようとしてるのはアンタの方だろ。