本気でお前が何を考えてるのか理解できん。
女の進学出世とかを問題視する人が多いから社会的な性差別が発生するわけで。にもかかわらず社会的に問題視されることが少ないから無効化なら、性差別を問題視する人が少ないなら性差別があってもよいってことになるだろうに。格差なんか問題ないという立場ならわかる論法だが。
お前が言うなそれを。それは俺の主張だ。何を考えてるのか知らんが、お前が引用したところは俺の主張の要約だ。お前が批判している乱暴な主張はお前の主張だよ。「社会的に問題視されることが少ないから」と書いたことについては、お前が挙げたスカートの例が乱暴なところがあると思ったからお前の論法を要約する際に弱い語を使った結果であって、お前の論法の瑕疵に起因するものだぞ。大食いの例ならまず生物学的要因で間違いなかろうが、スカートの一件はたとえばスコットランドの民族衣装では男もスカートを履くわけで、それが不公正であるかないかというところにはまだ議論の余地がないわけではない。
そちらの話になるべく近づけて言うと、男女の進学格差が社会的に形成されたものなら男の授業料を女の授業料より高くするのがよいと言いたいと言うことかな?
わけがわからん。不公正を解決するためにはもう一つ別の不公正を作ることが必須だというのか?確かにアファーマティブ・アクションという手法がないわけではないが、不公正を別の不公正で埋め合わせるというのがないに越したことがないのは当然だろう。どっちにしても俺の主張は「不公正があることを認めろ」というものであり、その解決方法までは論題に入っていない。何度言わせる気だ。
レッテルじゃなくて実際に乱暴な相対化をしているからな、お前は。
社会的か自然かに関係なく不公正な格差は是正と言うことだとすると、社会的要因か自然的要因かなんかどうでもいい枝葉末節じゃないかな?
違う。社会的要因の不公正は、社会の側にそれを修正する責任があるはず。一方で、自然的要因のものにたいして社会が配慮をするのは好意とか同胞愛とか呼ぶべきものだ。無論、必要な配慮を欠くことは同時に社会的格差を不作為によって助長していることにもなるわけだ。そもそも「不公正」という言葉には「社会的要因」の含意があるだろうに。
それから、お前はひたすら挙げ足を取り続けているわけだが、元々俺が「自然的要因」の言葉を使ったのは「本人の意志の向かう方向」の話であって、本人の意に反するであろう経済的困窮を持ち出すことは明らかに問題のすり替えだ。
まあ、アレは
しか返答してないね、よく考えればね。でも犯罪とお金は重要よ。ほんと重要よ。
もうちょっと追加すっと、「プロの客」がなんでうれしいかってーと、あの条件を満たしてれば、自分さえ頑張れば作ったものがちゃんと客を喜ばせることが可能だからうれしいんだよ。
喜ばれないものを作るぐらい虚しい事はない。
でもコレちょっとひっくり返すと「現場の人はあなたのプログラムでこんなに喜んでいます!」を伝える事が出来れば報酬が雀の涙でも結構喜んで働くって事ね。俺は。
俺はって書いたけど、前のも「俺は」にすぎねえんだよな。「プログラマは」ってくくりにはなんねえな。みんな動機違うもんよ。んで、
俺、叩いたり嘆いたりやってないからわかんねえんだよなあ。「さもありなん」とは思ったけど。
SIやってたとき、「あいつは若いけど凄い奴だ」って評価されてたからなあ。給料は初任給だったけど。「そんなに資格とってどうするの?」って言われたときは(ここが嫌だから転職するんだよ…)と思ったけど。
SIから飛び出してみて、評価されてるし、給料もそこそこもらっているし。客も味方もプロって、嬉しいよ。
プログラマであるアナタのどこに(顧客が金を払うだけの)価値があるとアナタ自身が感じているのか、教えてほしいと思った。
アナタを含めたプログラマに価値がないと言いたい訳ではなく、プログラマはどういう視点で仕事と自分を捉えてるのか知りたいの!よ!
これは簡単だな。
これに反するものは全て嫌いだ。
ネットの有象無象から本当に有意義な意見を集めるというのは至難の業だと思う。
掲示板やらブログやらに自分の意見を書いてる連中は、マスコミに流されていないつもりでいるだろうけど本当はものすごい流されてる。公務員叩きや女叩きがいい例。反中嫌韓だってマスコミがあそこまで中国韓国大好きじゃなかったらここまで激しくなかったと思う。そういうところも流されまくり。あとチベット問題や光市母子殺害事件のように、パッと盛り上がってパッと消えてしまうことが多すぎる。
結局、ネット上でちゃんとした意見を流されずに表に出せる人間はわずかだし、そういう人間はネットに頼らずとも表に出て行ってるのではないかと思うが、どうか。
ここで主張されているのは明らかに、「格差」というものを「スカートをはきたい人の数」あるいは「大食いしたい人の数」など、社会的に問題視されることの少ない例で相対化し、それをもって「格差があるので是正すべき」という論法自体を無効化しようとしているものだ。そこで俺が「社会的不公正に起因する格差ならば是正すべき」と注釈した、というのがここまでの流れだ。これは理解しろよ。
格差とか差別を問題視してるのにいくらなんでもそれはないだろ。差別と言うのは基本的に社会的に問題視されることが多いから起こるんだぞ。女の進学出世とかを問題視する人が多いから社会的な性差別が発生するわけで。にもかかわらず社会的に問題視されることが少ないから無効化なら、性差別を問題視する人が少ないなら性差別があってもよいってことになるだろうに。格差なんか問題ないという立場ならわかる論法だが。
だからミクロの話ではなくマクロの話をしているのだと何度言えばわかるのだ。喫煙者を減らしたければ、喫煙者を洗脳せずともたばこ税を増税すればよいという話を何のためにしたと思っている?タバコが値上げになれば、個々の喫煙者の「自主的な選択」によって喫煙者を減らすことができるだろうよ。
そちらの話になるべく近づけて言うと、男女の進学格差が社会的に形成されたものなら男の授業料を女の授業料より高くするのがよいと言いたいと言うことかな?
同様に、国立大の学費を値上げすれば、進学を「自主的に」断念する人が増えるだろうよ。だがそれがよいことなのか、と俺は聞いているのだが。
個人的にはよいことと思うよ。社会人で働いて学ぶこともある。税金が下がれば手取りも増えてそれを使って会社も個人も何かやりたいことができるようになる。一部は教育にも回るだろう。高卒は分数少数もできないFランク大より学んでない人とも思えないし。
議論の過程で挙げられた例と、話の本筋は明らかに同等ではない。それは価値観の問題ではなく論理の問題だ。例を省いても論旨は変わらないが、本筋を省くと論旨がわからなくなる。なんでもかんでも相対化すればよいというものではないのだ。
売り言葉に買い言葉みたいですまないが、なんでも「相対化してる!」とレッテルを貼れば良いってモノじゃないよ。
どうして「AとBは同一視すべきではない、BならばXすべきだ」という主張が「AならばXしなくてもよい」という主張に置き換わるのか君の頭の中を覗いてみたいよ。「人災の被害者には見舞金を出すべき」という話が「天災の被害者には見舞金を出さなくてもよい」という話になるわけがないだろう。
こっちの勘違いと言うことだね。社会的か自然かに関係なく不公正な格差は是正と言うことだとすると、社会的要因か自然的要因かなんかどうでもいい枝葉末節じゃないかな?
だめだこりゃ。この人は話の流れというものが読めないらしい。
それって価値観のおしつけでは?スカートをはきたい人の数に差があるのも大食いしたい人の数に差があるのも格差なんだろうか?格差だとすればその差をなくすために政府が何かしないとだめなんだろうか?
ここで主張されているのは明らかに、「格差」というものを「スカートをはきたい人の数」あるいは「大食いしたい人の数」など、社会的に問題視されることの少ない例で相対化し、それをもって「格差があるので是正すべき」という論法自体を無効化しようとしているものだ。そこで俺が「社会的不公正に起因する格差ならば是正すべき」と注釈した、というのがここまでの流れだ。これは理解しろよ。
男女関係なく本人がやりたくないことをさせようとするのは押し付けですよね?その価値観がどういう要因で形成されてるかに関係なく。
だからミクロの話ではなくマクロの話をしているのだと何度言えばわかるのだ。喫煙者を減らしたければ、喫煙者を洗脳せずともたばこ税を増税すればよいという話を何のためにしたと思っている?タバコが値上げになれば、個々の喫煙者の「自主的な選択」によって喫煙者を減らすことができるだろうよ。同様に、国立大の学費を値上げすれば、進学を「自主的に」断念する人が増えるだろうよ。だがそれがよいことなのか、と俺は聞いているのだが。
議論の過程で挙げられた例と、話の本筋は明らかに同等ではない。それは価値観の問題ではなく論理の問題だ。例を省いても論旨は変わらないが、本筋を省くと論旨がわからなくなる。なんでもかんでも相対化すればよいというものではないのだ。
障害者とかは自然的要因で能力が低く生活が苦しくなりやすいわけだか、自然的要因だから不公正でもなく経済格差の是正は不要なんだろうか?
どうして「AとBは同一視すべきではない、BならばXすべきだ」という主張が「AならばXしなくてもよい」という主張に置き換わるのか君の頭の中を覗いてみたいよ。「人災の被害者には見舞金を出すべき」という話が「天災の被害者には見舞金を出さなくてもよい」という話になるわけがないだろう。
さすがワールドビジネスサテライト。秋葉原のアの字も出てこない。
非モテ論壇の人はかよわき非モテの代弁者ではない。彼らが守りたいのはあくまで「非モテである自分」。だから今回の件について非モテとしてコメントする事は特にないと思うし、その必要もないと思うよ。
アニメやゲームじゃあるまいし「だから彼女の一人もいない男はダメなんだ。非モテは規制しろ!」なんて流れになるわけがないし。もしそういう流れになったら何かしらのコメントがあるかもね。
君は反論をぶつける先を間違ってないかね?
??間違ってるのは君じゃね??
もう一度流れを見ておくと
A「高等教育を受けたいと思う人間の数に格差がある事自体が「機会選択の格差」なのでは。」
B「それって価値観のおしつけでは?スカートをはきたい人の数に差があるのも大食いしたい人の数に差があるのも格差なんだろうか?格差だとすればその差をなくすために政府が何かしないとだめなんだろうか?」
A「そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?」
「押し付けでは?」「スカート率の差は格差?」という疑問が正しいと「性差以外の条件が同等であれば、女性が知的職業を指向する傾向が男性に比べて弱い」ということを指す。」なんてことになるのかわからん。男女関係なく本人がやりたくないことをさせようとするのは押し付けですよね?その価値観がどういう要因で形成されてるかに関係なく。
知らん。そんな枝葉末節の比喩に関わり合う必要もないだろう。ひとこというと、生物学的要因と社会的要因を分離するのは非常に難しい微妙な問題だぞ。だから俺はそこについては断定的にものを言うことを避けている。むしろ、「その微妙な領域で何らかの断言を行うのだな」と念を押しているのが俺の立場だ。
いや枝葉末節じゃないと思うよ。各分野にどの程度重きを置くか自体が価値観なわけで。
学歴に重きを置く人が服装に重きを置く人の価値観を軽視するのは問題ないという価値観なのかもしれないけど、こっちは「そりゃねーよ」とつこんでるのよ。こっちの価値観からすれば生物的か社会的を区別することのほうが枝葉末節。どういう要因だろうとなるべく本人の意思を尊重したいという価値観だから。お前の好き嫌いのうちで自然な要因で形成されたものは認めるが社会的な要因で形成されたものは認めないなんてのはいやだから。
それに、あんたの挙げてる要因、ミソもクソも一緒くたにしすぎだ。性別とか年齢とかのような自然的要因ならともかく、地域とか家庭環境に要因があり、しかもその要因が不公正なものと判断できるならば社会的にその不公正を是正しようという考えが出てくるのは当然だろう。
何がみそかくそかの判断基準を明らかにせず切り捨てるのは屁理屈につながらないか??
それにその書き方だと自然的要因による格差は不公正じゃないと言ってるかのように見えるが(かんちがいならすまん)、障害者とかは自然的要因で能力が低く生活が苦しくなりやすいわけだか、自然的要因だから不公正でもなく経済格差の是正は不要なんだろうか?
「彼女がいない、この一点で人生崩壊」と感じることと通り魔をやることに関連性を見出せる君の思考回路はよっぽど加藤君に似ているんだろうね。
もう寝るね。
君は反論をぶつける先を間違ってないかね?
引用部後者は意味不明なので前者について述べる。そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?
ここでの「自然」の意味は「性差以外の条件が同等であれば、女性が知的職業を指向する傾向が男性に比べて弱い」ということを指す。
知らん。そんな枝葉末節の比喩に関わり合う必要もないだろう。ひとこというと、生物学的要因と社会的要因を分離するのは非常に難しい微妙な問題だぞ。だから俺はそこについては断定的にものを言うことを避けている。むしろ、「その微妙な領域で何らかの断言を行うのだな」と念を押しているのが俺の立場だ。
好き嫌いもまた遺伝や生育環境等の影響を受けて偏りが出てくるのもよくあること、そしてそういうのが原因で特定の行動をしない人の比率が性別や年齢や地域や家庭環境によって偏りが出てくることがあるのは理解できるはず。これって政府とか他人が思想改造しなきゃだめかな?
はあ?誰が思想改造しろなんて言ったんだ?
それに、あんたの挙げてる要因、ミソもクソも一緒くたにしすぎだ。性別とか年齢とかのような自然的要因ならともかく、地域とか家庭環境に要因があり、しかもその要因が不公正なものと判断できるならば社会的にその不公正を是正しようという考えが出てくるのは当然だろう。
そしてそれは「思想改造」ということにはならない。例えば、タバコが一箱300円ならば喫煙していた人間が、たばこ税の増税によって一箱1000円になったら禁煙したとして、これは「思想改造」なのか?違うだろう。内心に不満が燻っていたのかもしれないし、これを機会に禁煙したのかもしれないしそのあたりは一概には言えないが、どっちにしても思想改造でないことは明らかだろう。当人の価値観が変わらなくても外的条件が変われば行動は変わるものだ。
特に何かを感じなければいけないということはない。
自分もなにも感じない。
1、自分は傷ついていない
2、自分の知り合いも傷ついていない
3、何千人に一人くらいは他人を殺して自分も死ぬという人が確実に存在する(ことを事前に知っている)
違う。
Bさんはそうとは限らない。ほかの可能性もある、といった。
Aさんはそれに対し、格差の原因が社会以外にあると立証しろ、
そうでなければ機会の格差は社会的要因に起因すると推定してよい、といった。
「立証しろ」とは言っていない。「候補を一つでも挙げてみろ」と言ったのだ。候補者が複数出ない選挙なら、候補者が又吉イエスだの羽柴秀吉だのでない限り無投票当選させても文句はないだろ、文句があるというのなら対立候補を出してくれ、投票しろというのはそれからだ、ということだ。
オタクが叩かれ、サバイバルナイフが規制され、レンタカーを借りる手順を複雑にしたところでいったい何が解決できるのか、何も言及していないし解決してないのは目に見えてる
銃刀法は犯罪減らす効果がないとでも?したり顔で解決につながらない空論振りかざしてるのはあなたじゃないかな?
マスコミが隠している真実をネット見てるわれわれが知ってるというのは+民みたいだな。ネットイナゴになるのが関の山なきもする。
一応突っ込んどくけど国会とか審議会の議事録も通常は公開されてるから可視だよ。
会議室や密室で、特定少数が自分たちの利権のために行う意思決定ではなく、本当に多くの人たちが意見を表明し、否定意見、少数意見も吟味したうえで、統一的な意見をきちっと実社会に表明するシステムにする
ネットでやったって一億人も議論に参加できるわけもないし、結局特定少数の意見では?国会審議の視聴率低いこと見てもわかるようにネットで公開しても見る人は一部じゃないかな。