はてなキーワード: パソコン通信とは
親にパソコンを買ってくれってねだって買ってくれたPC-98は、
今思うとドン引きしてしまうんだけど、トータル80万円ぐらいだったかな?
で、高校入ってパソコンは使うんだけど家では、ほぼゲームのみ。
その時は流行っていた、ぷよぷよとかファルコムとかアートディンクのゲームに夢中になった。
家でそうやって課題に使ったことも覚えてないぐらい、たぶん使ってない。
要は高校で必要なパソコンの用事は学校で学校のもので事足りたってことで、
わざわざ高価なPC-98なんて買わなくても良かったのでは?と今になって思う。
あと学校と家のパソコンでは互換性が無かったFM-TOWNS。
今でこそ分かるけど
今思うと本当にMSXでも良かったと思う。
もちろんインターネットはそんときなかったし、パソコン通信とかもするわけがなく、
今になって思うと、それ自分の実になって役にたったのかな?と思う、
あと覚えてるのはそのPC-98で
それ以外のまともなUXはなかったから、せいぜいそれらのUIに慣れて触れたぐらい。
あと本当に今思うとなんでそのソフト買ったんだろう?って思うんだけど、
NECの音声合成出力ソフトを2万5000円ぐらいで買ったのは今でも謎。
インストールしてサンプルをしゃべらせて飽きたような気がする。
とにかく今思ったら、
キーボードやマウスとかパソコンを物理的に使いこなせるようになったってスキルしか得られてない。
親もよく買ってくれたなと思うし、
あの時PC-98を買わなくてもMSXで良かったのではと今でも思う。
でもその時MSXを買っていたら今どんな道を歩んでいるのかは知る由もないけど。
とにかく今思うとあのPC-98は自分にとってもったいなかったなーと同時にそれで何をしたかったんだろうって思う。
ただそれだけ。
ボクや周囲の仲間たちが絵を描いたり、ゲーム作ったり、作曲したり、電子工作したり、フィギュア造形したり、写真動画撮ったり、踊ったり、本を書いたり、色々するのは、それが楽しいことだからだ。
何故それを始めたのかは個々によるけどボクたち30代のオタクは少なくとも先達の40代以上のオタクたちが世に送り出してくれた作品群を楽しみ笑って憧れたというのは1つの大きな理由になっていると思う。
パソコン通信からインターネットへの以降が進む過渡期、ボクたちはそんな時に少年時代を過ごした。
あめぞうスレッディングシステムという大発明はプロバイダのホームページスペースで行われてきた「楽しいを作る」人たちをまだまだ未熟なボクが発見するための手助けとなったんだ。
すごかったとしか言いようがない。
RPGツクールでここまで出来るのか!1フレーズのみを変化させていくだけの音楽ってアリなのか!パラパラマンガじゃないアニメ、モーショングラフィックス!フィギュアって意外と後付け多いんだな!リレースイッチじゃ大変なことをやるのがICなのか!オフ会でここまでやれるのかよ祭りじゃん!
はてなブックマークで40代以上の人たちのオタク蔑視がヒドイとか言われてたけど違う、ボクたちはアナタたちに憧れて、アナタたちのように「楽しいを作る」がやりたくて、そこにインターネットがあったからボクたちがアナタたちに憧れて作った楽しさを発信したんだ。
もちろん学校でもクラスメイトへ見せた。クラスメイトたちは素直に「スゲえ!ネットの○○みたいじゃん!」とボクのオマージュ先を一発で理解してくれた。
ボクだけじゃない、絵を描く子だって音楽をやるヤツだって「楽しいを作る」の発表先は学校かインターネットだ。インターネットはまだ普及しきっていないし多くの人々は学校しか発表先がなかったはず。
親や姉に言われた「そんなオタクっぽいの辞めなさい」と。
もちろんボクもテレビでオタクがイジられたり叩かれたりしているのを知っていた。オタクと呼ばれてしまうことは格好悪いことなんだと理解していた。
でもインターネットを覗いてみれば楽しいを作ってる人がいっぱい居るじゃないか!この人たちは定義上オタクなはずなのにメチャクチャ格好良いじゃないか!
思春期だからこその反発もあっただろう。でもボクは、ボクの友人たちも皆その当時から言っていた。
「オタクで何が悪い!」と。
深夜アニメブームが来た!ゲ製スレが大いに盛り上がった!ねとらじが!ニコニコが!
あのとき憧れたFlash職人、心の師匠たちがボクたちへ魅せてくれたように、1980年以降生まれの世代が「楽しいを作る」ための場が次々と登場した!
ボクたちは今でも憧れてんだよ!アナタたちに今でも魅せられてるんだよ!
40代以上の皆さまがその当時に作った楽しさこそボクたちの原点なんだよ!
ボクたちはオタクを当たり前にした世代だって言われる。言われるけれども違うんだ・・・!!
それをさせたのは、それをやりたくて、やりたくて、たまらなくしたのは、アナタたちなんだよ!
師匠!アナタたちが居たからこそ!アナタたちが魅せてくれたからこそ!オタクを当たり前に出来たんですよ!アナタたちがボクたちの推進力なんですよ!!!
見渡して下さいよ世の中を!アナタたちの弟子が作ったもので楽しむ若い世代が居る。
その若者たちは今やTwitterでYoutubeで次々と楽しいを作ってるんです。
今の若いオタクは、アナタたちが育てた弟子に憧れた子たちなんですよ。アナタたちの孫弟子が今の若いオタクなんですよ。
あの当時アナタたちが作った楽しさはオタクが当たり前になった今の世の中の礎になったんです。
いつになったら40代以上の方々は理解するんですか、今のオタクはあの時アナタの作品で楽しんだ少年少女です。
私は情報技術者だ。今風に言えばデータサイエンティストやらセキュリティエンジニアなどと名乗ったほうが良いのかも知れないが、ながらく情報技術者という肩書で活動してきたため情報技術者と名乗ったほうが私の肌感覚的に合っていると考えている。
山田太郎議員が赤松健氏らと共に表現の自由の擁護を掲げ、政界では小さいながらも一定の存在感を示しているのは皆さんご存知だろう。
これまで地域のための政治家や特定の例えば自動車業界のための政治家や、更には女性のための政治家、共働き家庭のための政治家など様々な政治家が登場したが、サブカルの擁護、その中でもマンガアニメゲームを中心とした表現の自由の擁護のための政治家は非常に新しいと言わざる得ない。
これは本邦で「女が政治なんて」と怪訝な目を向けられても女性が参政権を獲得し、そして時間をかけて女性政治家の登場を果たしたときのような変化だ。
今の時代はまだ「マンガオタクが政治なんて」という怪訝な目がまだまだ多いように思われるが、無理解が理解に変わってくる節目なんだろうと思う。
さて、私は前述したように情報技術者である。何なら私の両親も情報技術者という言葉が生まれる前から情報技術者であり、私が生まれ育った家庭は情報技術という点においては非常に先進的であったと評価できる。
はじめて私の専用機として両親あたえられたのがPC9801であり、パソコン通信の後期あたりから私自身の意志でネットワークへアクセスしていたという経歴がある。
学生時代は高校教育に情報技術という科目がなく電気科目の一分野であったため工業高校へ進学し、そこから東京大学へ進んで計算機科学、情報技術関連を中心に履修した。根っからのIT畑であると言って良い。
そんな私が最近ふと思うのはまだまだ政治の分野は情報技術に疎いということだ。
このように感じた一番の切っ掛けはやはりマイナンバー制度と銀行口座の紐付けによる税務処理の簡略容易化が、個人情報保護という御旗によって実現に至らなかったことだろう。
ITへ専攻を持たない方々には理解が難しいと当時の一般市民や政治家たちによる意見交換を観ていて実感しているが、たとえ銀行口座の金額の増減がマイナンバーによって国から監視されていても、個人情報ひいてはプライバシーの保護は可能なのだが、プライバシーを気にする層は商取引の詳細、つまり自分が何を買ったり何処へ訪れたのかを国に監視されるわけにはかないという意見が支持されてしまったのだ。
本当にこの件は誠に無念と言わざるを得ず、私たち情報技術者の説明不足と力不足を痛感させられてしまった。
一応、この件に関連する技術情報としてフランス国立情報学自動制御研究所が公開した「GNU Taler」を紹介しておこう。
GNU Talerは プライバシーの保護が可能な決済システム。顧客は匿名のままでいられますが、事業者はGNU Talerでの決済を通じて収入を隠すことはできません。これは脱税やマネーロンダリングを避けることが可能です。(抄訳)
銀行口座がマイナンバーに紐付けられ、日本円に裏付けされた匿名決算システムが本邦へ導入されていれば、事業者や個人事業主、確定申告を自ら行う者、政治家たちは事務コストの大幅な削減と、我々全国民は所得税や法人税に関して現行税制のままであってもより平等に恩恵を得られたはずだ(ここでは現行税制が平等であるかは判定しない。所得隠しが難しくなることで現行税制の平等化が進むという意味)。
GNU Talerは例として挙げただけであり、これだけでどうにかなるというものではないが、一部の情報技術者、特に分散ネットワークへ興味を示している情報技術者の中では比較的好意的に捉えられている概念方式の決済システム。
我々情報技術者はこういった一般層が興味示しにくい、示すことができない技術情報を多く持っているが、技術者全般の悪い癖で自分たちだけで理解・納得・満足をしてしまう傾向がある。
これまでマンガアニメゲームのクリエイターが作り発表するだけで満足してしまっていたのと同様の問題を我々技術者も抱えており、このままでは良くないと危機感を覚えている。
ならば我々情報技術者の中から政治家を選出するべきなのではないかと思うのだが、我々は情報技術者が好きなだけであって政治は別に興味もないので、この好き嫌い、感情部分を乗り越えた赤松健氏には頭が下がる思いだ。
はてなユーザの興味が向いている情報技術関連といえば新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」の諸問題が挙げられるであろう。FLOSSで開発が始まったというのは評価に値するが国へ引き継がれた途端にAndroid版でのバグや、そもそも利用が広がらないなど運用に窮してしまった。
これに対する責任の声も少なからず聞くが、利用を促進するには国が強権を発揮するくらいの無茶が必要なので多少の同情は禁じ得ない。
WindowsではPowerToysが便利なので導入を国の制度で強制導入を決めるくらいの無茶だろう(※PowerToys : Microsoft謹製のWindows機能拡張ユーティリティ。様々な要因でWindows標準機能へ含まれなかったユーティリティ群とされる)。
ただ、強権を発動しないまでもゲーミフィケーション的に楽しく使うことや、割引クーポンを発行するみたいな市民の利用を促進するインセンティブが必要だったのでは?とは感じる。
本邦ではまだまだ情報技術者からすると不可解な情報技術運用が多くある。
例えば文科省のGIGAスクール構想までは良いが学校や請け負ったベンダーが端末パスワードを共通化してしまうことや、総務省がジャストシステム一太郎花子の事実上排除を決定してMicrosft Officeへ一本化してしまうというものだ。
GIGAスクール構想ではGoogle Chrome OSが支持を集めたのだからClassroomサービスによりパスワードを共通化する必要はそこまで無いと情報技術者は知っているし、Microsft Officeへ一本化するくらいであるならば保存形式をOpenDocument Format(ODF)にすることでMicrosft Officeと一太郎花子を共存させ無駄な予算の抑制、更に今後新たなオフィススイートが導入されても移行に手間は最小限に抑えられると知っている。
もっと言ってしまえば多くの行政機関や自治体、政党や政治家のWebサイトは極端なまでJavascriptへ汚染されアクセシビリティが地に落ちているのも視覚障害者にとって非常に問題である。
確認してみたいのならばJavascriptを切って各Webサイトへアクセスしてみたら良い。Javascriptが機能しなければコンテンツへテキスト1文字すら表示されないWebサイトの存在や、おそろしく醜い(見にくいではなく)トップページがレンダリングされることを知ることができるだろう。
視覚障害者のためのいわゆる「音声ブラウザ」はモダンで高度なレンダリングを解釈できるとは限らない。あまつさえ「今は高度な読み上げ機能を持つiOSやAndroidが主体だから良いじゃん」という視覚障害者がタッチスクリーンディスプレイを操作することへの無理解な声すら聞こえてくる始末だ。
これらの不可解さを解消するには「情報技術で国内外問題を解決する」というワン・イシュー綱領を持った情報技術へ深い見識のある政治家が登場しなければならないのではないかと思うのだ。
そして私はその一歩を踏み出すべきなのかどうなのか最近毎日悩んでいるのだ。
私は情報技術が好きだからこそ、情報技術は国内外の問題を解決できると信じているからこそ政治家にならなければいけないのかも知れない。
まあわかる。25年くらい前、もともとパソコン通信とかインターネットは金持ちのサロンだった。
やりたいことを自由にやって未来のことを語っていた。あめぞうでもふたばでも2chでもあやしいでも
裏に変なスポンサーなかったし、フラッシュとか芸達者な職人が当座は商売抜きでいろいろ実験してた。
fjあたりでは変な手斧が飛び交っていたが・・・まあそれも当時は経験値かなと思えた
いまは、無料ニュースは実は広告だし、サーチエンジンもはてブのホッテントリも広告屋さんにつくられた糞みたいなのばっかりだし
ネットイナゴみたいな人は何も考えていないし、政治家もマスコミもその場しのぎだし、
声の大きいクレーマーは暴れるし、時々リアルで刃傷沙汰になるし、
なんかディストピア感あふれるよな。
一体どこに置き忘れてしまったんだろうね?というくらいにネットが普及してから思うようになった。
インターネット以前からパソコン通信などもやってきたのだけど、あの頃は何も言わないでもモラルやマナーを守る人が多かった。
というのも、ホスト側でルールを提示していたので守らなければ即追放という事も珍しくなかった。
古臭いシステムと狭い世界だっただけに、ルールが効力を発揮していただけに逸脱するような行為の人は少なかった。
ネットが普及し始めた1995年には、ネチケットが出来上がっていてパソコン通信から移行した人は守っている人が少なくなかったので
他人のHPを覗いては、みんなでワイワイやっている時代だったしルール違反がいれば簡単に追放できたのも大きい。
そもそもモラルやマナーの意識が欠如している人というのは、基本的にはアングラ系サイトの掲示板にたむろっていたので
表立って出てくることも少なかったので、いわゆる昔のオタクのような行動だったので問題もそこまで起こるわけでもなかった。
しかし、現代は誰も彼もが主役になれるようなネット社会なので、モラルやマナーを無視して行動すれば注目されるという悪い考えを持つ人が増えてしまった。
ダークヒーローのような存在を支持するような信じられない人も増えた。
また芸能人や政治家もモラル欠如をしている人が存在してしまうという時代に。本当に残念に感じる。
悪いことをして目立つという行為に罪悪感を持たず、躊躇わないような人がどんどん増えているというのは時代の流れのせいなのか、インターネットという便利な存在ができてしまったせいなのか
それを利用する人たちに問題があるのか、どれが理由なのかわからないし、全てが理由なのかもしれないけれども…あまりにも増えすぎていると感じる。
悪いことをしている人がいれば、それを楽しむように囃し立てる人も居る。そしてその悪いことをした人が捕まれば、囃し立てた自分たちは知らん顔する。
目立ちたいというだけで選挙に立候補して、それを面白そうだからという理由で支持する人。
悪意の言葉を他人に投げつけ、他人を傷つけることを気にしない人。
それ以外にも、モラルやマナーが欠如しているような人は多くいるけど、昔より罪悪感を感じず躊躇わないで悪い事が出来る人が増えてしまった。
昔はネット環境自体が整ってなかったし利用している人が少なかったという理由もある。
だけど、パソコン通信時代と比べてしまうと、やはり利用者のモラルやマナーの欠如した人の増加はおかしいくらいの速度で増えていると思う。
普通だったら別に喧嘩をしようとしているわけじゃなかったり、意見の食い違いがあるから訂正して話を続けたいって人なら
言葉の使い方を誤った時点で「言い方きつかったかな。酷いことをしてしまった」なんて思って罪悪感を感じるものなのに、それが今は無い。
まず、謝ろうとすることが出来ない問題がある。
間違ったなと思ったら『謝る』のではなく『誤りのまま引かずに喧嘩を続ける』人が増えた。
負けを認めろではく、間違いを認めて謝ろうという精神が無くなったと感じる。
実際に増田を見ていると、間違っていても認めないで論点を変えて喧嘩を続行する人がいるし、罪悪感自体を持たないで人を傷つけることに躊躇わない人が他人の日記に人でなしレベルのコメントを入れているのを見かける。
他にも最初から誹謗中傷をしてくる人がいる。これは昔から居るわけだけども、あの頃は管理人が削除していたしアクセス禁止もある程度行ってきたけど、
まるでモラルとマナーというものを親のお腹の中に忘れてきてしまったような人がいる。
私は老害と言われてもおかしくない年齢なのだけど、その老害から見ても現代は悪意で生きている人が増えていると感じる。
馴れ合いがキライという人も今は増えたけど、馴れ合いがなくなったせいか心の余裕がどこにも感じられない。
仲良く人と話すことが出来ない人が増えすぎている。
共通の趣味があったとしても、相手の欠点から語り始める人、すぐに優劣で話を進めようとする人、そういうコミュニケーションしか出来ない人が多い。
どちらかというと海外の方が今もフランクに仲良くやりとりが出来る。
時にはぶつかり合うのだけど、議論が終われば仲良く会話が出来るし、皮肉の言い合いをしても笑い話で済む。
日本はぶつかったらぶつかりっぱなしだし、諍いが終わったとしても、もうその人物とはわかりあおうとはしないし、皮肉の言い合いをしたら誹謗中傷の言い合いを始める。
どうしても争う事を選んでしまう人がいる。
別に日本がキライなわけじゃないし、パソコン通信時代もネット黎明期も楽しく過ごし今もネットは楽しく利用している。
しかし、ニュースを見ればSNSで信じられない行為をする人の話題があったり、ネットで皮肉を他人に投げつけて煽りあうというやり合いをする人が居たりと
昔からネットを利用している人としては、なんとも窮屈に感じるのだ。
ネットというのは、そんなに他人と争いをしなければ利用できない環境だったかなと。
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。
10年以上使ってたが同じスポーツをやる仲間を中心にした狭いリアルの繋がりでしか使ってなくて、特に沢山の友達と繋がるでもなく仲間内でゆるく近況報告をするくらいの使い方しかしてなかった。
最近になって、いろんなフォーラムやグループに参加して使うということがわかり、トレーニングのメソッドを紹介し合うとか、同じローカル地区のグループとか、クレイグスリストみたいに不用品を交換したりとか、同じゲームをやっているグループに参加したりだとか、そういう使い方をするもんなんだなあということがわかった。当たり前だけどこれインターネットのグループだったんだな。
redditとかよりも雑多じゃないし、基本的にポジティブなリアクションしかないし、(意地悪なやつはグループマスターからBANされる)世界中で繋がってる感あるし、なんかすごい90年代のパソコン通信の黎明期みたいな治安の良さがあっていい感じだ。