はてなキーワード: お笑い芸人とは
キングコングはお笑い芸人としてはものすごいエリートで、芸歴2年でM1グランプリ2001(初回大会)に決勝進出している。
同じく2001年にはねるのトびらでメインを任されたりと業界からの期待も厚く、同期の芸人たち(NONSTYLE、平成ノブシコブシ、南海キャンディーズなど)と比べてもぶっちぎりの出世頭だった。
また、ネタに関して言うととにかくボケ数を詰め込むタイプのハイテンポ漫才師であった。
M1においては短い時間で会場を爆笑までもっていかなくてはならないので時間をかけてテクニカルなことをやるよりはとにかく数を打てというのが(特に2010までの)定説で、
これが定説としてささやかれるはるか以前からハイテンポ型でやっていたのは、意識してやっていたかはともかく先見の明があったといえるだろう。
一方、M1で優勝できていない、勝ち切っていないお笑い芸人であることは確かで、
特に先んじていたはずのボケの高速化の部分に時代が追いつきここを徹底したNONSTYLEに2008年に完敗したのは決定的だったように思う。
結局その後MCを任されるゴールデン帯の番組もなくなりバラエティタレントとしてもそこそこにとどまる活躍となった。
(ただはねとび終了の2年後には絵本作家西野さんへの道を進み始めるので業界に見限られたのか西野から断ったのかは定かでない)
結論付けると、お笑い芸人西野の実績はビジネスマン西野の実績とほぼ同じである。
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。
VTuberにスパチャしたけど読まれなかったとか最近反応してくれなくなったとか、その手のお気持ちで吹き上がっている輩を最近目にするけど、それはお前のコメントのタイミングがズレていて面白くないからだよ。
面白くないだけならまだマシだけど、配信者の活動の妨げになってることすらあるよ。配信者のファンだとか配信好きだとか名乗るなら、お前が熱を上げている対象が提供している「配信」という芸について理解しろよ。
配信者ってのは文字通り配信を生業として人生かけてやってる芸人(近年のお笑い芸人に限定した意味ではなく、広く芸事を職業とする人)であって、配信者の芸とは「面白い配信をすること」なんだよ。
配信者のトークが好調に回っている最中とか、ゲーム実況でボスに挑戦してるとか、そういうタイミングで投げられた無関係な内容のスパチャに反応なんか出来るわけないんだよ。「面白い芸の流れ」が切れるんだよ。
ミュージシャンでもお笑い芸人でも舞台役者でも何でも良いけど、なにか別の芸事に置き換えて考えてみろよ。
今まさに大勢の観客が盛り上がっている最中、流れに乗っている芸を、額面がどうであれ一人の客からの投げ銭が飛んできた程度で止める芸人なんか居るわけがないんだよ。
どんな場面でも「面白い芸」を見せる事ができるから芸人は芸人として生きていけるのだし、それをわかっているファンなら芸の邪魔をしないように観客席での振る舞いに気を配るもんだろう。
お前が配信をよく見ている人種なら、配信の内容に反応した通常のコメントが、場合によってはスパチャよりも優先して拾われている場面を見たことがあるだろ。
あれは内容に対して適切なタイミングで面白いレスポンスを返していて、「読んだら配信が面白くなる」コメントだから読まれてんだよ。
あの手のコメントの投稿者は「面白さ」とは何かってのをちゃんと理解してる人間で、配信内容を受けて当意即妙に面白い内容を考えて投稿しているし、配信者もその面白さが理解できるから反応するんだよ。
いわば即興大喜利のお題、ラジオの投稿コーナー、歌舞伎の大向うの掛け声みたいなもんで、熟練した観客が壇上の芸を受けて自らも芸を披露する、その相互関係が面白さを生み出しているんだよ。
その点、額の割に大した反応が貰えていないスパチャってのは、どれもこれも配信の内容とクソほど無関係な内容を意味不明なタイミングで投げていて、配信の面白さに寄与しないようなやつばっかなんだよ。
ただ一方的に愛をぶつけているだけだったり、個人的な事情を盛り込んだ私信的な内容だったり、配信内容とは全然無関係に〇〇と言って欲しい、〇〇やってほしい、みたいなやつだったり。
別にスパチャで配信者から反応してもらおうって考え自体は否定しない。元々そのための機能として用意されているものだし、自分の好きな配信者から直接反応がもらえたらそりゃ嬉しいだろうよ。その気持ちはわかる。
ただ、配信の盛り上がりどころでこの手の内容を投げ込むのは、「今のあなたの配信の内容には全く興味はありません」と言ってるようなもんで、完全に配信者の活動を蔑ろにした態度なんだよ。
お前は確かに少なからざる金額を配信者に支払った上客かもしれない。それでもあくまで大勢いる客の中のひとりでしかなくて、配信者はお前一人のために配信してるわけじゃないんだよ。
お前の「配信者への愛」とか「配信者にやってほしいこと」はお前一人の願望だけど、他の視聴者は全員「その配信者がやっていること」を見るために配信に来ているし、配信者はそんな視聴者全体の方を向いて配信をやっている。
配信者が「大多数の視聴者はこのスパチャの内容には興味がないだろうな」と判断したら、それでも他の視聴者が楽しんでいる流れを切って反応してやるか、それともスパチャ自体をスルーするか、どっちを選んでも損な二択を強いられているんだよ。
お前のスパチャを見た配信者自身が内心では「ちゃんと反応してあげたい内容だ」と思っていたとしても、タイミング次第では雑に対応せざるを得ないんだよ。それはスパチャを送ったお前にとっても、雑な対応をせざるを得なかった配信者にとってもすごく不幸なことだ。
配信者のファンだ、愛しているんだと主張するなら、愛の証明としてファン歴とか配信への張り付き度合いとか使った金額とかを誇るより前に、お前が愛する対象とその活動について理解すべきこと、想像して思いやるべきことがあるだろうよ。
愛する人の活動内容をしっかり理解して、最大限楽しい配信を出来るように気を使ってやれよ。反応を求めるスパチャを送るにしても、配信の流れを汲み取って然るべきタイミングにしろよ。そういう配慮があってこその愛だろ。
配信者が人生かけてやってる芸の性質も面白みも分かってねえ、今やっている内容さえどうでもいいと思ってる、そんな人間が一方的に好きだ何だと言い寄ったところで、配信者が良い反応を返してくれる可能性はゼロだよ。
つまり成果物だけで勝負しているのではなく、成果物を制作しているロジックや課程をエンタメにしているわけだ。
昔、つんくがモーニング娘。のデビュー時にテレビ番組でエンタメ化したが、つんくは当時「アイドルをプロデュースする」という企画に乗っただけ。
※業界人でないため推測で書いている。違うなら突っ込んでほしい。
つんく自身が賢かったため、結果的に音楽ビジネスに目覚めていく。
プロデューサーになる前から著名なミュージシャンであるが、「音楽ビジネス論」を語ることで自身のファンを増やしたり、 「自分の成長過程」を意図的にビジネス化しているわけではない。
もしかしたら専門誌などで語っているかもしれないが、一般人が目にする場所で語ることはない。
オーディションをエンタメ化する手法は取っていないが、総選挙というアイドルの成長(?)過程をエンタメ化する発明をした。
裏方なのに表に出ているとはいえ、「音楽ビジネス論」を語ることで自身のファンを増やしたり、 「自分の成長過程」を意図的にビジネス化しているわけではない。
もしかしたら専門誌などで語っているかもしれないが、一般人が目にする場所で語ることはない。
NiziUのオーディションとアイドルの成長過程をエンタメ化して日本で有名になった韓国人プロデューサー。
ヒットアイドルを多数リリースしていることから、意図的に自らチームを作って音楽ビジネスをしていることが分かる。
元々はシンガーソングライター。
裏方なのに表に出ているとはいえ、「音楽ビジネス論」を語ることで自身のファンを増やしたり、 「自分の成長過程」を意図的にビジネス化しているわけではない。
もしかしたら専門誌などで語っているかもしれないが、一般人が目にする場所で語ることはない。
チーム制といっても少人数で描かれている。
作中や著書の文章などではアホっぽいキャラを演じているが、読み手が混乱しない表現を明らかに意図的に組み込んでおり、確実に賢い。
ビジネスとしては編集の力が大きく、本人はビジネスマンには見えない。
「まんがビジネス論」を語ることで自身のファンを増やしたり、 「自分の成長過程」を意図的にビジネス化しているわけではない。
経営者として表に出てくることがあるが、「まんがビジネス論」を語ることが作風に直結しているので違和感がない珍しいポジション。
ただ、 「自分の成長過程」を意図的にビジネス化しているわけではなく、あくまで成果物での勝負がメインである。
話を西野亮廣に戻すと、彼は
「成果物のファン」より「本人のファン」を増やそうとしているわけだ。
ヒットメーカーというのは、ある程度はあざとく狙いに行ける技術を持っているし、あからさまにやっていることも多い。
しかしそんなことを語るとファンが興ざめするから、語らないだけである。
淡々とクラウドファンディングで絵本を作り、
内容を無料公開し、
映画化まで行ったなら
もちろん、あえてアンチを作って話題にしてもらうという手法もあると思う。
だが、そうでなかったほうがもっと多くの人から尊敬されるクリエイター/プロデューサーというポジションに行ける才能を持っていたかもしれないのに・・・
と思ったので、書きなぐってみた。
プログラミングを学ぶと稼ぐに困りにくくなるらしい。
毎月家賃と光熱費と奨学金が口座から引かれるところを見るたびに、GAMEOVERが近づいてきてるような感覚に襲われる、クソ雑魚フリーターからするとすごく羨ましい。
おすすめ本みたいなものから色々探してみて『12歳からはじめるゼロからのPython』というのを手にとって見た。もう2倍以上上回ってるけど、知能と心は12歳みたいなものだから問題ないでしょう、多分。
ちなみにゲームプログラミング系の本だったんだけど、これはゲームが作りたいとかがあったわけじゃなくて、なんとなく面白そうだったから。
今までの人生を振り返って、例えば数学の教科書なんかそうだけど、2次関数がどうのこうのと公式を並べられて、一時的に覚えることはあっても『で、これはなんの役に立つの?』という思いが先行してやる気がでないことが多かった。だからゲーム作りっていう、学んだらこれができるってのがわかりきったものを手に取ってみました。
それで1ヶ月ぐらいやってみて、内容はわかったし、教科書どおりのことをやるぐらいの実力はついたけどここで思ったんですよ。
『で、こっからどうやって稼ぐの?』
考えてみるとゲームの作り方学んだからって、これを活かす方法がわかんないんですよね。
第一、ゲーム作りだったらUnityとかのほうがいいんでしょ?知らないけど。Pythonが良いって話を優先しすぎて足元見えてなかったなぁ。
そこから『Unityの教科書』っていう、なんか猫が書いてある本を買って、猫がひたすらジャンプして上を目指していくゲームみたいなの作れるようになったんですよ。WebGL?っていうのにして、Unityroomってところに上げて、一人で遊んでニヤニヤしてたんですけど、ふと『あれ、一銭も稼げて無くね』っていう。
そもそもUnity使えるようになったからってどうやって稼げば良いんですかね?
そこで立ち返って、そうそうPythonがおすすめだったんだよ。勝手にUnity使い始めてしまった。だから『Pythonによるスクレイピングと機械学習』みたいな本買ったんですよ。
で、読み進めて、なるほどサイトから情報抜き出せるのか~って、やれることわかったんですけどやっぱ『で、どうやって稼ぐの?』ってなるんですよね。
何が言いたいかっていうと、ザコが思うにプログラミングにおいて一番大事なことって発想力とか創造力とか、プログラミング以外の部分なんじゃないかっていう。
スクレイピングと機械学習が使えるようになっても、それを活かして何をやればいいのかわからない。
ゲーム作れるようになっても、イラストもかけないし、どんな物作ったら面白いのかわからない。
テレビで活躍してるお笑い芸人と同じ言語を僕は喋れますけど、だからといって彼らのようにはなれないじゃないですか。同じようにプログラミング言語を使えるようになっても、それを使って何をするかが思いつかなかったり、そこの技術力がなかったり。
そういう人にとってプログラミングって稼ぐ道具として不釣り合いだったりするんですかね?
タイトル通りザコの思うプログラミングの話なんで、はてな見るような上澄みの人からすると見える世界はぜんぜん違うんでしょうけど、ちょっと触った人間からするとプログラミング言語って活かし方が良くわからない代物でした。
全然、強要とかしないんですけど、よかったらプログラミングで副収入得るとしたらどうすればいいのか教えてもらえたら嬉しいです。
と、DeepL翻訳を駆使して書いてみた。
その辺りはご愛嬌って事で。
なお、元増田は観に行ってません。
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これから書く文章はキングコング西野の絵本を劇場アニメ化した「えんとつ町のプペル」の感想である。
なお、私はこの映画を見てないし例え賄賂を貰っても観に行く事はないだろう。
つまり、これは私の想像に基づく感想文です。正確かもしれないし、正確でないかもしれない。
しかし、私は気にしない。これは語り継がれるべき物語だ。そして、それは全体として語られるに値する。では、始めましょう!
大前提として、キングコング西野がお笑い芸人を気取った炎上インフルエンサーであることに注目する必要がある。これは彼の作品に共通するテーマのようです。
これについては、「なぜ?これは、意志の弱い者のための松葉杖としての皮肉な現代の風潮に対する、ある種の皮肉なコメントなのだろうか?彼は本当にこのように気取っていたのだろうか?彼はそんなに面白かったのだろうか?(No.) 彼は刑期を終えて釈放されたヤンコ・ウルラの次の笑い中心のコメディアンになろうとしていたのだろうか? いやいや...
私はどこにいたんだろう?
どうやら「ペプル」なる少年を主軸としたジュブナイルファンタジーらしいのだが、私は原作を読んでないのでその様に類推した。が、もしかすると蒸気機関の様な何かが出て来るので、スチームパンク…もしくはそれに類する何かが出てくるのだろう。
重要なのは子供向けに作られたものだということだから、それはどうでもいいことだと思う。
私は子供向けの映画に文句を言う人ではありませんが(というか、誰がそうなのか!)、これは退屈しました。登場人物はすべて一次元的で、予測可能で、それらのどれもが歌うことができませんでした。
曰く「キングコング西野の影がチラついて鑑賞の妨げになる」と。
これは当然だと思います。
前述の通りキングコング西野は「炎上インフルエンサー」です。自身を執拗にアピールすることなぞ当たり前にやってのけます。それが彼の特技だからです。
「炎上インフルエンサー」は全員悪目立ちしないとお金が稼げない成年被後見人以下のクソ野郎なので、そこは笑って忖度してあげましょう。
しかし、この場合はキングコングが正解かもしれない。そう、この映画はひどい。でも、人が見に行かなければ世界が良くなるとは思えない。
最後に。
極端に聞こえるかもしれませんが この世の「炎上インフルエンサー」が 一人残らず絶滅することを心から願っています 数が多すぎるからね。
それは一般的に世界のために、これらの人々が死ぬべきであり、私は彼らが死ぬべきであると私たちの種族のために、特にそれがより良いと思います。
なぜですか?
もちろん、職業選択の自由はあるので一概には言えませんが、過激な言葉で注目を集める人が突然死しても何ら問題はないと断言します(YouTubeでも似たような行動をしています)。
彼らが絶滅してくれれば世の中が良くなると思う。彼らの才能で稼げなくなっても、いずれは消滅するだろうし、それはそれで良いことだと思います。
終わり。
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(おまけ。英語版)
What I am about to write is my impressions of "Pupel of Entotsumachi," an animated film based on King Kong Nishino's picture book.
I haven't seen this movie, and I wouldn't go see it even if I were bribed to do so.
In other words, this is an opinion piece based on my imagination. It may or may not be accurate.
But I don't care. This is a story that needs telling. And it deserves to be told in its entirety. So let's get started!
As a basic premise, it is necessary to note that King Kong Nishino is a flaming influencer pretending to be a comedian. This appears to be a common theme among his work.
I have no real questions about this except why? Is this some sort of ironic commentary on the modern tendency towards irony as a crutch for the weak-willed? Was he really this pretentious? Was he even that funny? (No.) Was he trying to be the next laugh centered comedian Yanko Urla released after his prison term? (No.)
Where was I?
Now, let's talk about the important part of the story.
It seems to be a juvenile fantasy about a boy named "Pepuru", but since I haven't read the original, I guessed it that way. I haven't read the original, so I'm guessing that's what it's about, but maybe it's steampunk or something similar, since there's something like a steam engine in it. I suppose it doesn't really matter, since the point is, this thing was made for children.
Now, I'm not one to grumble at a child's movie (I mean, who is?!) but this one just bored me. The characters were all one-dimensional, the predictable, and none of them COULD sing.
In fact, I knew the reputation of this movie beforehand.
I was told that "the shadow of King Kong Nishino flickers in the background and interferes with the viewing.
As I mentioned above, King Kong Nishino is a "flame influencer". It's no surprise that he appeals himself relentlessly. That's because it's his specialty.
All "flame influencers" are wards of the law or worse who need to stand out to make money, so let's just laugh at them and let them be disciplined.
In this case, however, King Kong might be in the right. Yes, this movie is terrible. But I'm not convinced the world would be a better place if people didn't go to see it.
Finally.
I know this may sound extreme, but I sincerely hope that every single "flaming influencer" in this world will die out. There are too many of them.
It is better for the world in general, that these people should die out, and I think it is better for our kind specifically, that they should die out.
Why?
Of course, there is freedom of choice, so it is difficult to say for sure, but I assure you that there is nothing wrong with the sudden death of those who attract attention with their radical words (or similar actions on YouTube).
I think the world would be a better place if they were to just go extinct. If they are unable to make money with their talents, they will eventually disappear, and that's good for all of us.
「人を笑わせる」ことにかけて、アイドルはお笑い芸人に及ばないはずである。
にもかかわらず、アイドルのバラエティ番組は、ときに芸人の番組よりも面白く感じる。
それは何故なのだろうか?
考えるに、芸人は必ずしも「自分を魅力的に見せる」ことを目的としない。
また、芸人は漫才やコントで「キャラを演じる」ことに慣れており、
バラエティ番組でも突飛なキャラを演じて「素」を出さない傾向にある。
そのため視聴者は、その瞬間瞬間の発言には興味を持っても、芸人自身に興味を持つことが少なくなる。
一方、アイドルは自分たちが魅力的に見えるように振る舞っている。
芸人のように「本人の好感度が下がっても笑いが取れればいい」という考えはない。
少なくとも「これは本音ではありません」という態度を表立って取ることはない。
強烈なぶりっ子キャラを演じるアイドルなどは、むしろ芸人のような扱いに近づいていく。
ファンはその魅力的な人間のことをもっと知りたいと思うようになる。
どんな経歴か。好きなものは何か。誰と仲が良いのか。どんな趣味があるのか。
そうしてのめりこんでいくことこそが「アイドル」的なものの本質だと言ってもいい。
プライベートまで興味を持たれるような芸人は、逆に「アイドル的な人気がある」と言われるだろう。
あまり知らない人間の話よりも、よく知っている人間の話のほうが面白く感じるのが道理。
こうした特性を最大限に生かしているのが現在のVtuberであると思う。
Vtuberは、普段の雑談配信やゲーム配信で、自身の人間性や日常生活をアピールしている。
ファンたちにとっては本物のアイドルよりも身近に感じるのではないだろうか。
一方で、ゴールデンタイムに配信されるコラボ企画は、実にバラエティ番組的である。
割と有名なyoutuerや芸能人がやってるyoutubeチャンネルもそうなんだが、結構杜撰な撮影環境の人多いんだがあれって大丈夫なのかな?
勿論ちゃんとやってる人や企業チャンネルもいっぱいあるんだが、youtubeなんて世界に向けて映像晒してるわけだから、万が一その中から感染者でたら「あの動画が問題だったんでは?」みたいな憶測や批判を受け、ダメージ大きそうなのになんでしないんだろうか?あと、動画にコメントしてる視聴者もほぼ批判も指摘もしないのがなんか怖いなって思うわ。
例えば、声優事務所の響が運営してるチャンネルが幾つかあるんだが、どのチャンネルも対策全然されてないように見えるんだよな(見逃した回や、見逃した箇所でされてたら申し訳ない)。響が運営するチャンネルの一つに声優三姉妹【チームY】ってのがあるんだが、いつも肩がつくくらい密着して声優がわいわいおしゃべりしてるし、あと結構な頻度で食べ物企画とかやってて飛沫とびまくりなんだが、誰か陽性者が一人でもいたらヤバいなって感じの動画ばかり。
出てる人が少ないから良いって考えなのかもしれないし、アクリル板とかマスクで感染対策バッチリとか言いたいわけじゃないが、全くしないって怖くないのかな?
少人数なら家庭でいるのと同じだからいいだろ?って思う人いるかもしれないけど、家族でもあんなにくっついて喋ったり飲食しないよ。
奇妙なのはスタジオでの撮影中は基本的にノーガードなんだが、外でボルダリングやってる回とかは何故か皆、マスクしてんだよな。
これって、外での感染のリスク軽減のためだけでなく、ようは外でマスクなしは人の目があるからマズイって認識してるからだよね。だけど、全世界に公開してるyoutube動画では対策をせず家にいる感覚で視聴者とその空間を共有してるのを考えると本末転倒だなって思う。
こういうyoutubeチャンネルってここだけじゃなくて、元々素人で有名になった人、お笑い芸人、モデル、俳優、スポーツ選手等色んなジャンルでこんな感じの人が少なくない。
youtube動画っぽいからかもしれないが、特に大食いや早食い、食べ比べなど飲食関係の企画も多くて今わざわざ集まって動画でやるなよって思う。
極めつけは、ゼロイチゲーム部っていうゼロイチファミリアっていうグラビアやモデル系の事務所が運営するゲームチャンネルがあるんだが、夏や数か月前はマスクとかしてたんだが、最近の動画では一切マスクすらしてないんだよ。eXeFIELD AKIBA(NTT系)の提供でeXeFIELD AKIBAに遊びに行ってる企画でも、説明しているeXeFIELD AKIBA側の副社長はマスクしてるのに、動画の出演者の子たちはノーマスクなんだよな。4人で密集して食レポもしっかりやってて、ほんと感染しそう。
建前での対策もしないし、夏はマスクしてたのに今しないって明らかに緩んでる感じがでてそういう感覚が当たり前になってきてるのが怖いわ。