はてなキーワード: 政府とは
ここのブクマ米。相変わらず入籍するだけなら金はかからないだの結婚した方がコスパがいいだのと的外れなコメントが多い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUD11D7P0R10C23A7000000/
だーーかーーーらーーー、常日頃金がないから結婚出来ないと言っている人達の言う
「金がないから結婚相手が見付からない」という意味なのであって
既に結婚相手がいる人が、結婚という特定の行為に『だけ』金が使えないという話は誰もしていないんだが!?
なんで勘違いするのかなあ。
政府や地方公共団体もそういう間抜けな勘違いをしているから、ブライダルに補助金だの新婚家庭に住居費用の支援だのといった的外れな方策を出してくるのか?
私にとっては足尾銅山といえば足尾鉱毒事件と田中正造であった。小中学校の国語と社会科でダブルで(ひょっとしたら道徳を含めてトリプルで)足尾鉱毒事件と田中正造について学んでいたので、足尾銅山の鉱山見学施設でも当然のことながら、そうした足尾銅山の明治近辺の負の歴史は重点的に扱われていると思っていた。ところが、鉱毒事件が無かったことになっていたというのは言い過ぎにしても、施設内部の展示でそこら辺のいきさつは非常にあっさりとした扱いであった。基本的に足尾銅山における銅採掘が江戸時代から明治大正昭和の日本の発展に対して如何に寄与してきたのかというポジティブな面を中心に打ち出していた。
私は恥ずかしながら知らなかったのだが、古河電工や富士通に代表される古河財閥グループの成り立ちが、財閥初代の古河某氏が渋沢栄一と組んで政府から足尾銅山の払い下げを受け、近代化に成功したことがきっかけだということである。想像するだに、いまでも古河グループの聖地ともいえるのが足尾銅山なのではないか。鉱山見学施設のすぐ近くでは、古河財閥の迎賓館が今でも有料で観覧できる。東京で言えば、鳩山会館や岩崎邸のようなセンスのいい明治風の洋館で、そこは今でも古河グループの研修に使われてたりするらしい。内部には古河グループのポスターが各種貼られていて非常に味わい深い。
足尾銅山が負の記憶の象徴であるというのが事実である一方で、ここが日本の近代化や一企業グループの発展において非常に重要な役割を担ったというのもまた事実であり、複雑な思いを抱えながら、自分も少しまた大人になったなあと感じた(実年齢はもうだいぶ中年だが)。
パブリックコメントは今まさに立法化されようとしている法案に一般人が口出しできる場だ
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000257983
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000256683
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000255495
コンドームの使用に関連する法律は、個人の選択とプライバシーの問題、そして公衆衛生に関連しています。以下、その理由をいくつか説明します。
性病は広範囲にわたって影響を及ぼすことがあるため、これを予防するための手段を提供することは公衆衛生の観点から重要です。薬による治療が存在するとはいえ、予防が最も効果的な対策です。
性に関連する行動は非常に個人的なものであり、人々が自分の生活にどう関与するかを決定する自由が重要とされています。コンドームの使用は、避妊や性病の予防など、個人の選択に基づいています。
少子化問題は非常に複雑であり、コンドームの使用を禁止することが必ずしも解決策になるわけではありません。少子化問題の背後には経済的な要因、社会的な要因、文化的な要因などが組み合わさっているため、それらの要素に対処する戦略が必要です。
また、コンドームの使用を法律で規制することは、政府が個人の生活に過剰に介入すると見なされる可能性があります。個人の自由や権利を尊重する視点から、このような規制は慎重に考慮されるべきです。
以上の理由から、コンドームの使用を禁止するような法的措置は、少子化対策の実効性や個人の権利、公衆衛生などの観点から問題があると考えられます。少子化対策には、経済的支援、教育、働き方の改革、子育て支援など、多岐にわたる対策が効果的であるとされています。
だから「AI学習利用は著作権違反!」というのも反対だし、「AI生成物にも(積極的に)著作権を認めよう!」というのも反対。
「AI学習利用は原則として著作権違反にならない。AI生成物は原則として著作権が発生しない。ただしどちらも例外はある」くらいがバランスのとれた姿勢だと思うよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2200899
に関して
食品販売施設に必須だったので形だけつけてある。カウンター下手洗い場で手洗いするのは困難。
各都道府県の条例により設置義務が決まるが、平成19年通達により設置義務緩和のガイドラインが定められたので、以後開業のコンビニなどでは無い場合がある。
コンビニの客用手洗い場設置義務は緩和されたが、店内に客席がある場合は設置の義務がある。
逆に言うとカウンター下に客用手洗い場があるコンビニでは無工事でイートイン席を作る事が出来た。
コンビニカウンターの向こう、壁側にもカウンターがあり、肉まんホットケース、タバコ棚が並んでいるが、一部は天板取り外しが出来てその下には二槽式シンクがある。食品を売る店舗では複槽シンクが必須だったため(自治体による)。
先述のガイドライン策定により、洗うのが器具だけで食品を洗う必要がない場合は複槽である必要なしと規制緩和。
二人乗りをあまり考慮していないレーサーレプリカやスーパースポーツタイプのバイクの後ろシートの前の部分には目を凝らさないと判らないようなバンドが存在する。
例:NSR250R https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Honda_NSR250R_in_the_Honda_Collection_Hall..JPG
これはデザイン上の飾りではなく、後部乗員用が手で掴まる「シートベルト」で、道路運送車両の保安基準(道路運送車両法の政令)で定められた乗車装置である。撤去すると車両法違反となり車検がある車種では車検が通らない。
切符の発行、購入は目的地に輸送するという旅客運送事業の契約成立であるので、不通が生じた場合には振替輸送が供される。契約不履行としての代替手段である。
Suicaなどではこの契約が成立していないので振替輸送を受益する事が出来ない。
しかしそのSuicaで切符を買ってしまうと旅客運送契約が成立するので振替切符を交付してもらえる。
運輸業には旅客と貨物の免許がありそれぞれ別物である。故に旅客免許しか受けていない鉄道会社、バス会社は貨物輸送を受ける事が出来ない。フェリー航送は車の持ち主の乗船が必須。
だが客の手荷物を別料金、別列車で輸送するという建前で単独輸送する託送手荷物制度が存在する。
また、託送荷物には速達性が求められる新聞も加わり、その流れで映画館で放映するニュースフィルムも託送された。
ところでセルロイドは爆薬(硝化綿、無煙火薬)から作られるものであり、易燃性で暑い時に勝手に発火することもある。この為に担ぎ屋が持ち込んだタバコパイプ等が発火して火災になる車両事故などが多発して持込が禁止されていた。
だが昔の映写フィルムはこのセルロイド製であったので、夏にバス運転席前に置かれた託送手荷物の映写フィルムが突然激しく発火、バスの出口が前一か所だけなので満員の乗客が逃げられずに多数が焼死という事故が何件も起きている。
国鉄が廃止したのを皮切りに今は手荷物輸送は殆ど行われていないが、夕方などに客室の一部をロープで締め切って新聞を託送する電車はいまだ存在する。
売春は禁止されているが、ソープランドでの性行為は「自由恋愛が発生したので」黙認されている。
男性の売春であるウリ専は認められている。売春は異性間性交であるとの暗黙の了承による。
明治文明開化以降、大量の外来語が入ってきた為に、小文字カナの使用が始まる(捨てガナという)。
明治政府は、政府の公文書や法令での捨てガナの使用を禁止。これに新聞社や大企業なども倣ったため、お堅い業種や監督官庁がある分野では外来語表記に捨てガナが無い表記を工夫するようになった。
機械や自動車工学では整備士など国家試験があるので「ディー」と書けず、「ヂー」を使うようになった。
この捨てガナ規制は昭和63年に解除された(昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』)。
よく「キューピー社の正式名称は『キユーピーだ』というトリビアが開陳されることが多いが、以上の経緯からナンセンスなインチキトリビアである。「キューピー」や「QP」で登記できなかったからであって、古い外来語名企業は全て捨てガナ表記されていない。(ローマ字やアラビア数字で登記出来るようになったのは2002年11月1日:商業登記規則改正)
裁判では判決は言い渡しし、口頭弁論などは陳述する事になっている。
その為に準備書面を予め提出し、廷内で「書面の通り陳述します」と言うと書面の中身を法廷で話した事になる。
一般的なインターネットとはWWWの事で、ハイパーテキストによる出版であるから出版が準用されて、ネットを通じた選挙活動というのは禁止されていた。が、ガバガバな状態であった。
だが公職選挙で出版が制限されるのは出版や印刷には金がかかり資金の差が獲得票数の差になる事を避けるための規制であるから大して金が掛からないWWWでの運動を規制するのは立法趣旨に反する。
という事でWWWでの文書図画の公表、頒布は限ってはOKという事にした。
但し電子メールアドレス表示必須である(守られてない)。電子メールでの活動は候補者以外は禁止のままだ。
数々の車両火災によりバスの後部、出口と反対側には脱出用のドアの設置が義務付けられている。
だが外国製バスには無いものが多い。普通は改造しないと型式取得が認められないが、連接車など特別な用途のモノの場合、ガラスカチ割り用のハンマーを後部席に設置してあるから特例的にKという形になっている。
計量法は日本の旧尺貫法での表記がされた計量器具の製造販売を禁じている。
だが建築内装などでは旧尺貫法に準じた長さが未だ標準となっている。
そこで、差金の裏に尺に準じた目盛りをメートル表記したものが売られている(尺相当目盛り付き長さ計)。国会で審議されてこれは合法というお墨付きが出た。
海外で製造された三輪トラックなどを日本に輸入する場合、普通自動車としての型式は取れないので、ドアを撤去してサイドカーとして登録する。ドアを撤去するのは、サイドカーの条件として「ドアが無いこと」となっているから。
冬は寒いが幌は禁じられていないのでビニルレザーでドア型幌を作って付けても大丈夫かと思われる。
なお、50ccの場合はミニカーで登録できるのでピアッジオ・アペ等はドア付きでOkである。
A重油は殆ど軽油で軽油9割、重油1割から成る。軽油には32円/Lの軽油税が掛かるが、道路を走行する車両に搭載されないエンジンで使用する場合その税金は払う必要が無い。その為の油種。トラックが使用したら直ぐに判るように蛍光剤が混ぜられている。
エタノールには酒税が掛かるがイソプロピルアルコールを少量混ぜて不可飲処置させてあるので酒税が掛からずに安い。
酒に塩や酢を混ぜて不可飲処置されているので酒税を回避。つまり不味い。
以上、三つだけ選んでお届けした。
まさにそうで、主権者の主張として声を上げるべきなのに「上から降ってくる予算が不可抗力っぽく流れるようちゃんと屁理屈をこじつけろ」とか言ってるから燃えてんだわ
発言主に骨の髄まで役人根性が染み付いてることと、官僚が普段から「上有政策下有対策」よろしく好き勝手やって政府の意思決定を曲げて国を回してる事がわかる
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウイスキー戦争
ウイスキー戦争(ウイスキーせんそう、英語: Whisky War, フランス語: Guerre du whisky)は、ネアズ海峡に位置するハンス島の領有権を巡り、
カナダとデンマークによって争われた領土紛争の俗称である[注 1][注 2]。
この領土紛争は、1973年12月17日に両国間の海洋境界線が画定してから、2022年6月14日にハンス島を分割領有することで合意するまで続いた[2]。
1984年、カナダ軍がハンス島に上陸し、カナダ国旗を掲げるとともにカナディアン・ウイスキーのボトルを置いて挑発したため[3][4]、
デンマーク政府はシュナップスのボトルを残してこれに応戦した[5][6][注 3]。
これ以降、両国の軍や政治家が入れ替わりに上陸しては、相手国への置き土産として酒類を残していくことが慣例となったため[2][7]、
この領土紛争はユーモアをこめて「ウイスキー戦争」「蒸留酒戦争」[注 4]と表現されるようになった[8]。
「最も消極的で積極的な領土紛争」[注 5]「最も友好的な戦争」[注 6]と表現されることもある[9]。
2022年6月11日、両国政府、ヌナブト準州政府、グリーンランド自治政府はハンス島を岩場に自然発生している裂け目に沿って分割領有することで合意した[33][34]。
6月14日にオタワで合意文書の調印式が行われ、カナダのメラニー・ジョリー外相とデンマークのイェッペ・コフォズ外相はカナディアン・ウイスキーとシュナップスのボトルを交換し、
「世界で最も平和的な争いだった」とこの領土紛争を振り返った[33]。
48年の長きにわたって続いたこの領土紛争が突然終結に至った背景には、ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、
領土紛争は平和的に解決できるというメッセージを世界に向けて発信する狙いがあった[2]。
合意文書の調印式でジョリー外相は「国境線を書き直すのに銃は必要ない」「ロシアは法を守らなければならない」と述べ[2][33][39]、
一部の人に副反応が発生し、重篤な後遺症や死亡のリスクがあります。
多数の人には有益なため、社会全体では有益さの方が優って、結果ワクチンは有益であると見做されています。
しかしリスクが受け入れられない人は接種しないことが選択できます。
一部の人は交通事故に巻き込まれ、重篤な後遺症や死亡のリスクがあります。
交通事故に遭遇しなかった多数の人は便益を享受し、社会全体では便益の方が優って、結果自動車は有益であると言えます。
リスクを低減するためには自ら運転することを避ければよいですが、完全に回避するためには人里離れた生活をするしかありません。
都市部の生活に比べて相当の不便を受け入れることになりますが、現実的に実現可能です。
リスクが受け入れられない人は、ゼロリスクの生活を送ることが可能です。
一部の人はトラブルに巻き込まれ、個人情報が漏洩したり無駄な手続きで時間を浪費させられたり金銭的な不利益を被ったり、まだ発生していない未知の損害を被ります。
リスクを低減しようとマイナンバーカードを返納しても、マイナンバー自体は消滅しないためリスク量はあまり変わりません。
リスクを回避するには、政府に堅牢で信頼性の高いシステムを構築させることでトラブル発生をゼロにすることが可能です。
ただし、トラブルがゼロであることを保証するためには様々なレイヤでの品質保証に長期間かつ大量の人員を投じることになりますが
日本ではそういった大規模プロジェクトが成功する確率は低く、現実的ではありません。
リスクを回避するには制度自体を廃止することが現実的な解決策です。
ワクチンや自動車では無辜の人が亡くなるというこれ以上ないほどの損失が発生し続けており、これが受け入れられない場合は個人の判断でリスクを回避することができます。
対して、マイナンバー・マイナンバーカードについては個人の行動ではリスクを回避することができません。
リスクが受け入れられない人は、DX化に反対し政府を翻意させなければなりません。そのためにはリスクの顕在化による損失が便益を上回ることを示す必要があります。
DX化による便益と顕在化すると最も深刻な損失が発生するリスクとの天秤により判断するのが妥当と思われますが、その深刻な損失は何が考えられるでしょうか。
某博物館のクラファンへのこの手の反応を見ていると、なんだかなぁと思うものの、
少なくとも霞が関ではこういう雑な議論は通らないし(そういう人がいないとは言わないが)、学術界から出て来て欲しい反応もこういう議論じゃないよね、と思ってしまいますねぇ。(>_<")
これに人文系の研究者が大挙批判して炎上しているけど、はっきり言ってひどいの一言だと思う。
予算の獲得や維持のために日々脂汗を流している人たちを罵倒し続けた結果、現在のような状況になっていることを、いいかげん学んだほうがいい。大学の研究者はエリートのくせに、いつも被害者面で官僚や企業を批判し、公共財のための負担を「自分たちを含めた国民が」どう分かち合うか、という議論を異様なほど嫌う。まるで政府の財布が無限であるかのような、あるいは巨大な無駄遣いが潜んでいるかのような、馬鹿馬鹿しい前提をいつまでたっても崩そうとしない。
そもそもこの手の人文系の研究者は民主党政権時の「事業仕分け」に好意的だったよね?自分は忘れていないよ。少しは当事者意識を持って欲しい。
そりゃもちろん戦争なんかない方がいい。
戦争といっても色々ある。ちょっと大雑把に分ければ、一つは相手が自分より弱そうと判断したら「テメエちょっと金貸せ(返す気はない)」「俺の子分になれ」といって植民地支配する侵略戦争である。
かつての大日本帝国はこれを行い、南京では大虐殺を行い、朝鮮半島では男性を徴用工として強制労働させ、女性は慰安婦という名の性奴隷として凌辱した。東南アジアなど南方でも日本軍による非人道的な支配や虐殺は行われた。このような侵略戦争に反対なのは当然だ。
一方、理不尽な侵略に抵抗するための戦いもある。現在ロシアの侵略に対して対抗しているウクライナの例だ。
ウクライナの抗戦も「戦争」といえば「戦争」である。では「戦争」だから悪なのか?
橋下徹などは一時期「ウクライナはさっさと降伏した方が良い」とか言っていた。
抗戦せず降伏していれば、確かに戦死者の数は減るかもしれない。そのかわりウクライナ語は完全に禁止され、街でウクライナ語を話そうものなら警官に警棒でブチのめされたり、ロシア兵の気分を害するとブチャのような虐殺が起こるかもしれない。
そんな状況になるよりは抗戦しよう、と考えるのは十分に理解できる。
「戦争反対」と言っている人達は、ウクライナの抗戦にも反対なのだろうか?
「戦争反対」と言っている人達によくある理論として、「戦争は政府が勝手に起こすものだから、市民はそれに従わなければ良い」とかいうものがある。では、ロシアではいまだに「特別軍事作戦」を支持する意見が7割近くあるということをどう説明するのだろうか?
戦前の日本でも大本営発表の戦勝報告に日本人の大半が大喜びしていた。国民が戦争を支持したのに、戦争を起こすのは政府が悪いのであって国民は被害者、みたいなご都合主義には違和感がある。
話を戻すと、一口に「戦争」と言っても侵略戦争もあれば防衛のための戦争もある。現実にはその中間にどちらとも言えないような戦争がグラデーションのように存在するのも事実だ。
しかし理解できないのは侵略戦争も防衛戦争の全部一括りにして「戦争」だから「反対」で「戦争反対!」といっているような人達である。
暴漢がやってきて「テメエ金よこせ」とか「テメエの顔が気に入らないから殴らせろ」という場合に、その暴漢に「暴力反対」というのはわかる。だが、たまたま付近ににいた柔道家がその暴漢を投げて寝技で制圧したのに、その柔道家に「暴力反対」というのは迷妄である。
今日本で「戦争反対!」と唱えている人達は、「戦争反対!」という呪文を唱えれば戦争は起きないという妄信にはまっているのではないだろうか?
たとえば政府が「2万円ずつ増税して2万円分の地域振興券を配ります!」とか言っても誰もそんなの支持しないだろ?
ヘリコプターマネーぶっかましてるだけで市民側にメリットゼロ。んでもって、どこに配るか決める権利を奪い合いさせて、その中で上手い具合に中抜きするつもりなのがミエミエなんだから。
金持ちが労働者からピンハネしまくって溜め込んだマネーを自分の好き嫌いで寄付先決めるシステムも同じなんだよ。
寄付してくれた連中からは「ありがとう御座います金持ちサマー」となって優遇されるけどそれはソイツとたまたま選ばれた寄付先の人間しか幸せにならない。
その足元では繰り返されたピンハネによって「ウチに金があれば手術費用が!」って形の死があったり、「サンタさんありがとう!」って言われる機会を逃した家庭がいくつもあるわけだよ。
そういったチャンスが金持ちとそのお友達だけが「いやー良かった良かった」なんて狭い世界で幸せになるために全部奪われてきた背景がある。
散々ピンハネしておいて「使い切れないから適当にばら撒くわ!どこにばら撒こっかな~~~靴舐めるのが上手い人のところがいいかな~~~俺の趣味で決めちゃおっかな~~~」ってしてるわけですよ。
いやマジでクソやな。
公共施設の寄付にしたって、そもそもは上級国民の連中が繰り返したピンハネの結果としてガタガタになったものを、今になって慌てて補填しようとしているだけじゃんっていう。