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はてなキーワード: 封建社会とは

2018-09-09

anond:20180909073549

封建社会では命令に背いたら命や家が終わるがあったしライバルが居なかったか

努力(苦痛でもやる)でどうにでもなっただろうけど豊かな社会じゃどうにもならんと思うよ

それ以前に人間は好きだからやる。勉強とかご大層な事言っているけど

こうした方が所得上がるよ、こうした方が人生の質(主に健康面)が上がるよ

そういうものが数限りなくあるけど好きじゃない事はどれも持続出来んでしょ

基地外じみた強烈な目的意識が無い限り

2018-08-26

ここ最近一夫多妻制を主張する動きあるけど、男にとっちゃ金さえあれば何人でも合法的子供を作れる制度だぞ。

俺がそんなこと出来るほど魅力的なら経営してる企業要職は全部自分血縁やらせるわ。

それが出来るほどの子供が居るんだからね。

一妻多夫を認めたところで、女性は仕組み上男ほど大量に子供は作れないからな。

結局、封建社会に逆戻りするだけで男女平等なんかにゃならねーぞ。

2018-07-06

anond:20180706003425

実際治安やばいわけだけど、かと言ってそこは本質じゃないのだ。

警察のほうがマフィアよりも治安を維持できるとは限らない」と於けば理解できると思う。

歴史を見ても国家だの政府だのってのとマフィアの違いはほとんどなくて、ようするに、暴力を維持したまま自制心を発揮して支配を維持できればそれは国家とか政府とか呼ばれるようになるだけのことなのだ。メキシコのアレも、中世封建社会的な国家成立減少って考えれば、さして珍しくも醜悪でもなんでもない。

もちろんこれは、マクロで遠視眼的な視点なので、現場で起きてる地獄はそりゃ阿鼻叫喚だろうとは思うが。

2018-05-20

男尊女卑とか 封建社会とか 現代社会制度とか LGBTを認めるとか

歴史的にも、法律的にも、民俗学的とか、いろいろなことがあって単純比較はできないことは重々承知だし

制度的なことの賛否はともかくとして

生物的に、

人口が減少してるということは事実なんだよなあ

人口現状維持がいいのか、減少がいいのか 増加がいいのか

わからんけど、激減だけは多分だめなんだろうなあ・・・

2018-04-24

人間進歩主義に浸りすぎている

中世並みの」「封建社会レベルの」とかが基本ネガティブ意味で使われるけど、

歴史が後退するのは間違ったことなのか?

しろ無理矢理進めようとする方が間違っているのではないか

部族社会保護されるべきなら日本村社会も守られる対象になりうるのでは?

2018-03-30

ホウレンソウ逸話ってようするに日本封建社会って事だよな

俺はジャップランド暮らしているのが恥ずかしい

2018-03-11

anond:20180311003723

昭和の回答といわれそうだが「自分の家庭を持つ」だよ。

子供にとって親は全能の神だし、全能の神として公平な善行を施しつづけたら自分が悪い人間のわけがないと思える。

それを一生けん命シミュレーションやってるのが小説家になろう!の異世界転移小説群なんだ。

90%は前世記憶をもった転生者で、前世代的封建社会を一気に進化させる高度な知識能力をあらかじめ持たされたとの設定。それを用いて他人つくし感謝されて万歳パターン

子供を持てれば(あるいは天職でもいい、「プロ」になれればなんでもいい)、そんな小説全部要らない。

この地球の日本という国での生活が高度なRPGなっちゃってて、楽しめるかどうかだけなんだけどね。

2017-12-05

やがて本当のスペシャリスト日本からは居なくなり



もう既に語り尽くされた件だけれど、ニュースなどを観て改めて感じる。

いわゆる文化系の、学生時代には学業よりも部活動などで主体性の謎アピールして

大企業採用されたような、ゼネラリスト。このような人たちが日本中央省庁

自治体大企業支配してしまったために、意思決定権限を持つ者には現場感覚

が皆無となり、実作業現場には本当のスペシャリストと、偽物のスペシャリスト

が同居するようになり、まるで封建社会のように、階層社会になってしまった。

やがて本当のスペシャリスト日本からは居なくなり、ゼネラリストが耳障りの良

言葉だけを生産する偽物のスペシャリスト支配し続け、国として沈んで逝くの

だろう。

2017-09-16

anond:20170916225116

日本会議が腐って見えるのは目が曇ってるか日本人じゃ無いかどっちかだ

日本人の魂の故郷江戸時代

西郷隆盛最後日本軍

封建社会無くして英雄なし

2017-06-25

お家大事

封建社会においては資産を守るのがすごく難しかった。と言うか、相続可能資産の形が非常に限られてたんで、生産設備たる農耕地を家で継承するくらいしかなくて、そのためには継承主体の家を存続する必要があり、そのためには結婚して世継ぎを作る必要があった。結婚大事結婚しないなんて考えられない。という社会だった。

近代になって財産お金の形に集約できて、銀行とか投資とか、比較的信用できる管理方法が定着した結果、そういった制約が緩和されていった。そこで不自由解決して、「結婚しないでも良い社会」を作ることが可能になった。

すごくざっくり言えば、これは、進歩問題であって、多かれ少なかれ先進国ではすべてこの種の少子化が見て取れる。

カネがないか結婚できない、子育てできない、というのはただの誤解やミスリードで、事実とは異なる。

そういう社会を望んで作り出したのに、今更少子化にがたがた言う方がおかしい。

2017-03-03

「第九」歓喜意味

ベトヴェンの「第九」日本人にやたらと人気があり欧米かぶれの一種信仰みたいになっています

何に歓喜しているかって、ようやく解放されたこと。つまり中世封建社会から解放という意味です。そういうと大概の人は思い違いをして、単に一般庶民農奴身分から解放されたことであるかのように思うでしょうね。

誰が何から解放されたのか? それは、賢い人が、既成社会体制に利用されるという「権力の犬」の身分から解放されたということ。

中世では、社会体制を疑う能力のあるような人は、普通に暮らしていてはならなかったわけです。社会体制を変える素養のある人が居てはならなかった。普通に定住して大手を振って暮らすことは許されなかった。

例えば、クラシック音楽というのは、教会音楽です。カトリック教会布教教化に用いられる技術で、つまり社会統治体制を保つための技術です。ですから、その技術のタネを知っている音楽家というのは、世間普通に暮らしていては困るわけですよ。

例えば建築家もそうです。教会カテドラルの建て方を知っているような技術者が、その辺に居てネタバラシをしたら困るわけです。

こういう技術者達は、旅芸人の一座みたいに各地を転々とし、当地権力者に利用されることで食っていたんです。これを「フリーメイソン」といいます

それが、社会体制が変わり誰もが政治に携わる社会になって、社会体制を疑うことがタブーではなく、むしろ疑い批判することが必要時代になりました。技術特定身分の人しかもってはならないものではなく、ネタバラシをすることもタブーではなくなりました。

賢い人は、世を忍んで一生を終えた時代から普通に暮らしていい時代になり、ようやく日を浴びて大手を振って歩ける時代になったわけです。

中世は、知恵のある人は権力構造に組み込まれなければ生きていることを許されなかった。迫害の世の中でした。ヘイトされまくり権力者は、都合の悪い人間を干して、地元庶民をそそのかして嫌悪させていました。未だに、ユダヤ人嫌悪されているのも、フリーメイソン理解されないのも、もとはそういう経緯です。

賢い人がうっかり権力に都合の悪いことをしてしまうと、世の中から消されます。生きていることすら許されず、人間として扱われなくなりました。例えばマルティン・ルターもそうやって社会から消されて、カトリック教会支配を嫌うとある領主にかくまってもらって何とか生き延びました。

ユダヤ人であれ、ピューリタンであれ、既成の社会体制に都合の悪い人々はヘイトされ、その中からアメリカ大陸に渡って生き延びようとした人も出てきたわけです。USAというのはもともとそういう国です。

それに比べて、日本人は、革命を知りません。デモクラシーリベラリズムを知りません。

それどころかそもそも未だに、賢い人間社会体制に組み込まねばならず、「踏み絵」に応じないような人は叩き潰されます。利用価値のある人間でなければならないわけです。

例えば起業家であれ、既存社会体制に逆らってはならず、革命を起こしてはならないわけです。

芸能人なんか、社会体制に利用されることで食っていく職業です。うっかり真実を語ってしまってはならないわけです。山本太郎にしても、どこぞの資本家に拾ってもらって生き延びて、「民主主義」の時代からうまく国会議員にはなりましたが、だからって結局はおそらく日本社会を変えられずに終わるんじゃないかという気がします。

会社従業員にせよ、会社の存続と体制維持のためには、おかしなこともさせられますね。放送局権力にシッポを振り、人気を利用し流行捏造して売上を出し、生き延びるのに必死です。近年の安倍体制のもとでは、放送局も、そこの従業員も、平気でおかしなことをし、せねばなりません。そうして「美人女子アナ」でさえも平気でえげつないことを言ったりしますよね。

さて例えば、亀渕というニッポン放送社長にまでなった元アナウンサーがいますが、村上世彰と戦わされたとき社長です。株主総会でも社長として矢面に立ち、フジサンケイの日枝体制を維持するためにメチャクチャな総会運営をしてまで逃げ切っていました。そのときの彼の姿を私は忘れられません。かわいそうでしたね。会社従業員正社員管理職生え抜きによる支配体制を保つために、修羅にでもならなくちゃいけない。社長を退任してただの一介の批評家みたいな立場になってからは嬉々として活き活きしているようにみえます

そして、社会革命分子であったところの村上世彰にせよ堀江貴文にせよ、叩き潰されましたね。堀江貴文に関しては、ムショを出てからは、中途半端しか目立たないところに居て、社会体制に逆らわずしろ組み込まれるような感じで活動するようになってしまいましたね。

日本社会というのは未だにそういうところです。

愚かな人は自分の才能の無さを憂うのでしょう。けれど、実際に才能をもって賢く生まれたらもう、正しく生きていくことは不可能です。

悲惨な国です。そして、社会体制に組み込まれる人々と、ホイホイ釣られる愚民構成される日本人というものは、実に卑しいですね。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216131106

封建社会からの名残で、身分の高さ=人間価値っていう価値観社会的根付いてしまってるからね。

そうじゃないと支配階級人間には都合が悪かったから。

2016-04-16

まらない悩みの若者たち

やりたいことがあるんです。

そんな若者の悩みをよく聞く。

え?

なら、やればいいだけじゃないの?


会いたい人がいるんです。

そんな若者の悩みをよく聞く。

え?

なら、会いに行けばいいだけじゃないの?



今は封建社会でもなければ、

ここはひどい共産主義の国でもない。

ほとんどの自由が許されてる自由民主主義の国で、

秩序ある人たびばかりの社会で、

とんでもないことでもしないかぎり、

法を犯すことだってほとんどない。


なら、ただやるだけじゃん。

なら、ただ会いに行くだけじゃん。


僕らはもっともっと貪欲に人生を楽しめる。

悩んでる暇なんてないくらいに、

もっともっと動いていける。

寝たきりになるのは、

そんなに遠くない未来にやってくる。

命の終わりを迎えるのももうすぐそこ。

なら、今やっておくしかないだろ。

終わりの時間ちょっとずつ迫ってる。

だったら、今日を、今を、この瞬間の気持ちに素直に生きるしかない。

楽しんで生きるしかない。



そう、だから、ただやってみるだけだよ。

Just Do it.

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150813151101

芸術って自分たちが住んでる時代社会がどういう価値観を持っているか。を、

上手いこと絵とか写真とか、様式とかで表現する芸だと思う。

から現代の絵とラスコーの洞窟壁画とか、昔の絵画とか比べてもあんまり意味ないと思う。

確かにどれだけ写実的に描けるかという技術の優劣はあって、

それができないよりはできる方が有利なのは確かだけど、別に必須ってわけでもない。

サッカーやるなら足が速い方が有利ぐらいのものだと思うんだよね。

ウォーホルの価値って、いち早く現代の大量消費社会世界の均質化を表現して見せたことだと思うし、

ベラスケス理解するのに、封建社会キリスト教関係理解せずには語れないだろうし、

印象派近代的な市民社会、個人の自由とか人権という概念抜きにはありえなかっただろう。

芸術家時代を越えた、万人が感動できる究極の美を目指してるというのは幻想だと思うんだよ。

日本だと芸術は個々人が心の赴くままに見て、素直に感動を受け止めればいいとか、

目の前の作品と鑑賞者との間だけで感動を成立させるのが芸術作品だ、とか思われてるけど、

実際はその作品が成立した時代とか文脈とかも込みでないと価値がない。そういうもんだと思う。

2015-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20150807162650

からつのよも政治腐敗が起きて戦争が起きた。

それと、どうでもいいけど手厚い社会保障問題なかろ

手厚い社会保障をした上で年功序列派閥政治をセットにしたことが問題だった。

この3つをセットしにしてしまうと、政治腐敗しやすい。

 

競争社会であれば派閥政治が起きても実力主義派閥が作られる。その上で社会保障があるなら弱者安心だろう。

社会保障が弱ければ、弱者は死に絶えるから年功序列でも問題なかった。

派閥がなくて社会保障が強くても、問題ごとに組織を作り直すから事実上年功序列が20年30年続かない、数年ごとにリセットされる社会から大丈夫だった。

 

ただこの3つがセットに成ったことで、いわゆる封建社会みたいな市場ができてしまって成長しなくなった事は事実として認識しないといけない。

勤続40年で年功序列派閥政治をして社会保障が強いと、社会が硬直化してしまった。40年間会社組織の組み換えなしは長すぎた。

もちろんそれが、民間ではなく官僚組織であるとかなら話は別だし、簡略化して話しているから、必ずしも年功序列が悪いとかそういう話もしていないことには注意

2014-08-06

働きたくないでござる

封建社会のような主従関係莫迦みたいに傲慢顧客ストレスという名の爆弾を次から次へとバトンタッチしていき、爆発させたらその人だけを責める陰湿な風潮、どいつもこいつもクソ食らえでござる。

2014-07-22

幕間:脳筋祭り

神社界の神職養成機関というと、いかにも文系人間ばかり居そうな印象を受けるものだが。

実際には、どこでも。年功序列、上位下達、施される“教育”がすべて封建社会的な為に、輩出されるのは体育会系人間ばかりとなる。

文系人間はおろか私のように文章を書く人間すら少ないのが現状である

なので、ゆとり世代の後輩あたりと話すと大体こうなる。(実際の会話をほぼ四分の一にまとめたもの



「先輩なんで本読むの好きなんですか」

「うーん…まあそうだね。本を読むと、よく眠れるしね」

「あぁーあぁー。わかります。アレですよね、難しい本の方がよく眠れるんですよね?」

「そうだね、適度に頭を使った方がよく眠れるしね」

ちょっと小難しい本とかだと、2〜3ページパラパラってめくればもうそれ以上読まなくても充分ですよね」

「2〜3ページ!? たったそれだけしか読まないの!?

 いや、流石にそれだけ読めば私は気が済むって訳じゃないから、ちゃんと最後まで読むけれど」

最後まで読むんすか!? どんだけ我慢強いんですか!」

「えっ? 我慢?

 いや、我慢とかそういう事じゃなくて、楽しんでするもんだと思うけれど」

「楽しむ!? 逆に、楽しむんすか!? それ上級者過ぎません!?

「上級者とか言われてもなぁ。普通の読み方だと思うけれど…」

「そうっすか? で、アレですよね。

 ホンットーに難しい本とかだと、目次見ただけで充分で、本を閉じちゃいますよね」

「目次しか読まないの!? もったいなくない!?

「いやいや、長い目次をずっと目で追いかけてると、もういいやお腹一杯、って感じになっちゃって」

「目次見ただけで全部内容わかっちゃう!? 凄くない!? ひょっとして天才!?

「いやぁそんな、のび太くんみたいな褒め方されても」

のび太くん!? なんでここでのび太が出てくるの!?

「なんでって当然じゃないすか?

 でもアレですよね。そういう意味で一番効果のある本って言えば、やはりアレしかないですよね」

「何?」

「そりゃーもちろん教科書ですよ」

「えっ…。

 …まあ、頭を使うという意味では、確かにそうかも知れないね

 とは言っても、あまり教科書とか好んで読む人もいないと思うけど」

「あ、辞書とかも捨てがたいですよねー」

辞書!? 辞書って読むものなの!?

「それ以外にどうやって使うんですか」

「君すごいな!? もう活字中毒ってレベルだよ! どっちが上級者だよって話だよ!」

「読むにも向いてますけど、辞書って分厚いじゃないすか? こう、頭を置くのに丁度いい高さなんですよねー」

「頭を置く!? 一体どんな読み方してんだよ!?

「で、よくやりませんでした?

 こう、まだ真新しい辞書のページを全部、ぐちゃぐちゃぐちゃーって皺くちゃにするの」

「えっ? ああ…そう言えば、中一の時に、英語辞書でやったような記憶があるなあ」

「そうするとページがふわふわになって、頭を置いた時すごく気持ちいいんですよねー」

「気持ちいい!? わざわざそんな変な読み方する為にページぐちゃぐちゃにしたのかよ!?

「え? 違うんですか?

 じゃあ何で先輩は何で英語辞書ぐちゃぐちゃにしたんですか?」

「何でってそりゃ、クラスのみんながやってたからだよ」

クラスのみんながそれやってんですか!? 学級崩壊ですか!? 一体どうしてそんな事になっちゃったんですか!?

「どうしてってそりゃ、英語の授業で、先生がみんなに“やれ”って言ったからだよ」

「教師がやれって言ったんですか!?

「うん。“その方が辞書が使いやすくなるから”って」

クラス全員にそんな事勧めてたんですか!? 随分とまあやる気のない教師ですね!?

「? 別にそんな事なかったけどなあ…」

「でも高校の頃の俺の友達とか、よくこう言ってたもんですよ。

 “教科書は枕”って」

「枕!? ちょっと待って、さっきから一体何の話をしてんの!?

「何って、”本を読むとよく眠れるね”、って話ですよね?」

「うん、合ってるわ…」

「ええ」

「?」

「?」



これはあくまでも極端な例だが、本当にこういう、アンジャッシュがよく発生する。

無論、鉄の掟の理解実践現場に出る上でどうしても必要ではあるのだが。

神社界は一刻も早く、人材教育方針復古して、伝統文化を愛する文系人間神職の育成を目指すべきであると思う。

…俺はわたべおにいさんじゃねえんだよ、キュータくん。

2014-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20140703034419

慎ましく生きていれば後はお上ナントカしてくれるの性根が全然抜けないんだよ

日本はまだまだ封建社会

2014-04-22

飲み会のお酌問題は、実は文化的な衝突

あとで詳しく言うけどな、「お酌問題」って発想の順序が逆。

異文化交流は、自分文化じゃない相手との交流

握手を拒むのが失礼だってのは、漠然と判るだろ?

でもこれが、カワイイねーと左手子供の頭を撫でるのだったらどうだ?

チームの仲間からホームパーティーに招待されないと不安になるアメリカ人は多い。

国が違えば、文化に差があることはわかるから理解できることでも、同じ日本人ってだけで気が付かないことは多い。

身内に不幸があった家が年賀状を出さないのは一般的でも、1年鳥居をくぐらないって地域日本にはある。

海外って言葉一般的に通用してしまうように、ついつい一国の中に多様な文化存在することを忘れがちになる。

文化」を定義すると本が一冊くらい書けるんだろうが、まあ「ある振る舞いの総体」ってとこだろうな。

その文化を身につけることが、その文化圏に属する事になる。

お酌の文化

で、「お酌問題」ってのも、文化的な衝突なんだよ。

しかも、年代地域によって大きく異る文化から、まさに異文化交流と言っていい。

んでな、これ話としては順序が逆なんだよ。

  1. 神事としての頃から連綿と続く、「仲良くなるには、メシを一緒に食う」という文化がある。
  2. 礼講(無礼講の逆な)として、席次や杯の順番が決まってる。(決めとかないと、仲悪いやつ並べるときにヤヤコしすぎる)
  3. そんな中で、手酌は「宴会で、参加者と仲良くなるつもりがない」というサインになる。
  4. から宴会では「手酌が出来ない≒誰かに酌をしてもらう」事になってる。

手酌が失礼にあたるとか言われても、若い人にゃピンとこないだろ。

合コン来といてずっとスマホ弄ってるみたいなの想像してくれ。

オマエソレ楽しそうにLINEしてるけど、なんで合コン来たの?みたいな。(それでも古いイメージかも知れんが)

宴会においては、美味い酒を飲む・美味いメシを食うってのは二の次で、基本は「メシ食って仲良くなろうぜ」が目的なワケだ。

するってえと、当然のことながら、

という構図になるわけだ。

するとだ、先にお酌するのは当然部下で、場に女性が居ればその女性が酌して回る、

逆に言えばだ、「その場に居る一番若手からの酌を待てないのは、大人として常識はずれ」とされてたわけだ。

部長が手酌で飲んでるってのは、ご機嫌ナナメ宴会を楽しんでねぇって幹事責任問題になってたんだよ。

まあ、山の手言葉標準語ってことになったのと同じで、東京は一部の企業での狭い内輪の文化しか無いこういった話が、

マスメディアの発達とともに、適度に変容して地方にも伝わったり色々して、今に至るわけだ。

至る、現在

まあ「お酌」にまつわる昭和文化ってのは、平等がどうの性差がどうのってこっちゃない。

共通認識共通認識をつくり上げるというか、常識が拡大再生産されるというか、まあそういうモンだ。

当時のソレが良かったとは思わん。非効率だし、性差別だし、滅私奉公なんざ封建社会もいいとこだ。

そう思う人達が多かったから、今はそういうの減ってきてるんだろう。

宴会で上座下座なんてのも、もうあんまり聞かねぇしな。

喜ぶべきことだと思う。

ただ、だ。

コンプライアンスだ男女同権だ平等だ、封建社会じゃなく先進国だと言ったところで、

じゃあ、未開の住人の迷信は、笑い飛ばしてナイガシロにするのが、「文明人」のヤルことなのか?って問題は残る。

そりゃ、「あけましておめでとうございます」って言ったところで、死んだ旦那は帰ってこねぇ。

でも、旦那が死んだの知ってりゃ、正月だってこんにちは」って挨拶するモンだ。

これは、断じてマナーじゃない。思いやりってヤツだ。

どうすんのがイイんだよ?って言われると

正解は無い。

ただ、少なくともお酌は強要するもんじゃねぇし、今となっちゃマナーでもしなきゃならんことでも無い。

マナーとかプロトコルってのは、メンドクセエから決めとく「考えなくて良いように共通化しといた作法」なワケだ。

いまは、昭和マナーとされて決まってたことが、良く考えたら良くねぇな、と解体されてる。

から、郷に入っては郷に従えとは言わん。

ヤなことは嫌でいいと思うし、判らんことは判らんと言って良い。

年長者が年少者に対して思いやれないのであれば、そりゃ単なるオシツケだ。

宴会断って評価が下がるだの昇進できねえだのってのも減っては来てるだろ。

でも、自分理解できん文化を軽視するのは、異なる文化を持つ人に対峙する態度として正しいだろうか?

(相手が正しくない態度だからといって、自分までそうするこたないと、俺は思う)

まあ、部署宴会するから断りきれなくて、と参加しちまった時は、ホンの少しだけで良いんだ。

思い出して欲しい。

目の前に居るのは、自分とは違う赤の他人で、全く違う時代を生きてきて、全く違う文化を持ってる人間だってことを。

たぶんガキの頃の遊び方も、家庭の考え方も、ハレの日の食い物も、何が良しとされるかも違ってきた。

同じ日本人に見えるかもしれないが、そこに居るのは大抵の場合異文化人だ。

文明未踏の未開の地で、(嫌々ながらかも知れんが)部族の一員になって、その部族の祝宴に招待された。

そうしたときにどう振る舞うのが良いのかは、各々の信念に基づくだろうが、ちっと思いやってもバチは当たらねぇよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140422000651

http://anond.hatelabo.jp/20140422115535

2014-01-31

http://www.j-cast.com/2014/01/30195564.html

格差社会封建社会は違うだろ。

一部の人けが富を握るのは封建社会だ。そして、日本はすでに封建社会だ。

格差がある事自体は当たり前のことだ。

青色LED発明するクラスド級天才と、俺ら凡人に格差があるのは当然のこと。

 

問題なのは、生まれや身分など、本人とは関係のないところで格差が付く封建主義的な社会が問題なんだろ。

 

格差が付く理由が重要なんであって、格差のもの資本主義なんだからあって当然。

2014-01-24

シンプルに考えよう

いまの日本社会がうまくいっていない、経済がまわっていないという現状認識を前提にする。

企業資産家などの収益収入所得)が増えれば社会全体が底上げされる」という論理が成り立つためには、その収益が末端にまで循環しなければならない。つまり企業資産家が篤志家で、給料社会保障が充実していないと、末端までゆきわたらない。

バブルまでは給料右肩上がりだった。年金支給も高額で、いまほどは寿命が長くもなかったし子どもが儲けてきてくれたから、比較的、末端にまでゆきわたっていた。

いまは、末端にゆきわたっていない。その構造的な破綻が、日本社会の失敗の原因だろう。少子高齢化も進んでいるし、俗に言う「ブラック企業」というのがある。

この構造的失敗を直さないかぎり、いくら上の収益を増やしても、問題は解決しないと思われる。

ブラック企業」だとか職場いじめパワハラセクハラ等も含む)も、企業収益を維持し増やそうと異常に必死であることが主因だと思う。やってもやっても収益が上がらなかったり、倫理的コンプライアンス的にアレなことをしないと収益が出なかったりするなかで、それで従業員のケツを叩くことで売上を出そうとしているわけだから待遇もよくなければ、職場人間精神的におかしくなってイジメ常態化する。

日本社会のいわば「封建構造」は、上が儲けているだけではなくて、下にたくさん与えないと、機能しないはずだ。

ところが、日本人の痛々しい気質なのか、自分の上ばっか気にするところがある。だから例えば、企業機関投資家外国人投資家の御機嫌をうかがい、また、いまの政府外国人投資家の御機嫌をうかがっている。

それで、上ばっかにシッポ振っているから、下に与えない。

国民必死こいて働け、カネ稼がない奴はダメだと、いわば国民兵士だと思っているような発想はまた、靖国神社にみられるような国家のために国民が命懸けるのを肯定する発想と共通している。こうした発想も、日本がいまだに封建社会であることのあらわれで、民主主義社会だったらこういう発想は出てきづらいものだと思う。民主主義社会だったら、つまり国民ひとりひとりが主権者で、ひとりひとりが国だと思っていたら、国民をまるでコマ鉄砲玉か歯車かなんかみたいに扱う発想は出てこない。

いずれにせよ、成果出して儲けた奴が勝者だとか、負けた奴が悪いだとかいう、自由競争社会論理と、封建社会論理とは、本質的共存しえないのではないか。その共存しえない矛盾した二枚舌・ダブルスタンダード放置している、むしろ開き直っているのがいるくらいだから、いまの日本は救われないのだと思う。

保守」の意味

保守」っていうけど、それは、既成構造擁護革新をしないという意味なんだろう。決して、日本古来の文化伝統歴史を知っているわけではない。

例えば靖国神社というのも、国家のために国民戦争死ぬことを肯定するプロパガンダで、明治時代につくられて昭和時代に強調された思想にすぎない。これは決して、日本古来の文化思想ではない。日本史最近である明治時代以降のプロパガンダ

例えば自民党というのも、既成の社会構造を死守する政党

保守政党」というのは、明治時代以降の資本家中心の社会構造を維持しようとする政党

それと、日本農業は、敗戦までは大地主中心の農業で、旗本みたいな武士地主だし、民間地主というのもつまり資産家。戦後農地改革小作農原則としてなくしたから、戦後には農家地主だと思っていい。それで、この農家という地主も既成構造恩恵を受けてきたわけで、だから自民党の支持層。

戦前戦後も、日本の政治の特色として、こうした企業地主のような資産家を中心にした政策とその意思決定が進められてきたことがある。

いま、「ネトウヨ」だのといって、そのなかには自民党を支持するデマゴーグ連呼しているのもいる。けれど、かりにいま貧困なのだったら、それは既成の社会構造によって虐げられているのだから自民党を支持するのは論理的破綻している(損だ)。騙されている、釣られているのか。それとも、ただ気分的にスカッとして面白おかしければいいのか。たぶん後者

いまの政党政治団体には、おそらく、日本古来の文化伝統歴史を真にわかっているのは、ほぼ皆無だと思う。

理解するためには、いま流布されている「日本とはこういうもの」というステレオタイプ(=プロパガンダデマゴーグ)を捨てないといけない。全国各地で互いにとんでもなく相違している文化習俗言語や食や生活習慣や行事などなど)も知っているべきだし、神道日本仏教儒教という日本の三大宗教文化慣習にも造詣が深くなければならない。三大宗教文化慣習については、それが絶妙な形で社会統治構造封建社会)を実現してきたことも知らないといけない。言語や食など、明治時代以降に没個性化されたものであって、江戸時代以前には日本国の各地域物理的・文化的にかなり隔絶されていて、おそらく言葉も通じないことが多かっただろうし、料理もかなりの相違があって互いにびっくらこくレベルだったはずだ。

ところが、いまの政治家や、あるいは一般国民にしても、そうした本当の姿を知らないし、学校でも教えてくれないし、教科書にも載っていないと思う。

自分自身の(自国の)本当の姿を知らないままで、いまの自分自身を制御できるのかも疑わしいし、ましてや将来へ進むことができるのだろうか。昭和時代まではおそらく、欧米を(戦後特に米国を)追っかけるだけでよかったから、つまり真似するだけで済んだから自分自身を知らないままでもやってこられたのだろう。

2013-09-23

この国は恐ろしい国だ 連休の間に考えるべき国の姿

スペインは恐ろしい国である」と日本総研理事長で、評論家寺島実郎さんが「世界10月号で書いていた。

どこが恐ろしいのか? 寺島氏は15世紀の異端審問を例に引く。フェルナンド2世の時代になって、モスリコ(改宗イスラム教徒)の公開火刑など、その弾圧凄惨を極め、それに震撼した民衆も隠れ異教徒告発へと変わっていった。

〈この大量殺戮集団狂気スペイン人としてどう受け止めるべきか。宗教上の権威付けと「民衆」の無知が一体となって異端排除に向かうと異様な集団狂気が爆発する傾向をスペイン歴史は何回か繰り返している。教義には融通無碍だが時代の空気には付和雷同するという意味スペインは恐ろしい国である

寺島氏はこう書いていたのだが、こうしたスペイン人の特性は今でもそこかしこに見られる。つまりお上権威付けによって、時代の空気が醸成されると、何も考えずに付和雷同してしま国民性だ。それに賛同していないものは「排除」しようという「狂気」も、だ。

くしくも、そうした国民性を改めて浮き彫りにしているのが五輪招致熱狂ではないか。猫も杓子も五輪で騒ぎ、ちょっとシラケた目で見ていると、「異端児扱い」されかねないイヤ〜なムードだ。

しかし、この五輪招致スペインの多額の債務ごまかし、「経済は順調です」と強調、不況に苦しむ国民を切り捨てた招致である

狙いはお上権威付けと商売で、マトモな人間であればマユをひそめたくなるのだが、多くの国民権力におもねり、無邪気に付和雷同し、ハッと気づくと、「こうした招致はいかがなものか」という正論異端になってしまっている。テレビを筆頭に大メディアが五輪の感動を押し付け、それに感動しないものは居場所がなくなるような窮屈さ。最先端都市を気取りながら、まさしく封建社会がいまなお、根付いているかのようだ。

http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9879.html

確かにこういうことを書いて許されるとは思えない。

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