「スペインは恐ろしい国である」と日本総研理事長で、評論家の寺島実郎さんが「世界」10月号で書いていた。
どこが恐ろしいのか? 寺島氏は15世紀の異端審問を例に引く。フェルナンド2世の時代になって、モスリコ(改宗イスラム教徒)の公開火刑など、その弾圧は凄惨を極め、それに震撼した民衆も隠れ異教徒告発へと変わっていった。
〈この大量殺戮と集団的狂気をスペイン人としてどう受け止めるべきか。宗教上の権威付けと「民衆」の無知が一体となって異端排除に向かうと異様な集団的狂気が爆発する傾向をスペインの歴史は何回か繰り返している。教義には融通無碍だが時代の空気には付和雷同するという意味でスペインは恐ろしい国である〉
寺島氏はこう書いていたのだが、こうしたスペイン人の特性は今でもそこかしこに見られる。つまり、お上の権威付けによって、時代の空気が醸成されると、何も考えずに付和雷同してしまう国民性だ。それに賛同していないものは「排除」しようという「狂気」も、だ。
くしくも、そうした国民性を改めて浮き彫りにしているのが五輪招致の熱狂ではないか。猫も杓子も五輪で騒ぎ、ちょっとシラケた目で見ていると、「異端児扱い」されかねないイヤ〜なムードだ。
しかし、この五輪招致はスペインの多額の債務をごまかし、「経済は順調です」と強調、不況に苦しむ国民を切り捨てた招致である。
狙いはお上の権威付けと商売で、マトモな人間であればマユをひそめたくなるのだが、多くの国民は権力におもねり、無邪気に付和雷同し、ハッと気づくと、「こうした招致はいかがなものか」という正論が異端になってしまっている。テレビを筆頭に大メディアが五輪の感動を押し付け、それに感動しないものは居場所がなくなるような窮屈さ。最先端都市を気取りながら、まさしく封建社会がいまなお、根付いているかのようだ。
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確かにこういうことを書いて許されるとは思えない。
許されない理由は? いや、別に書かなくていい。知りたいわけじゃない。 どうせおまえが書かないことはわかってる。