はてなキーワード: 封建社会とは
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
日本は明治前は普通に混浴当たり前、衆道(男性同士の恋愛)なんかも割と普通だったけど
明治改革するときに日本の文化は遅れている!って難色を示されて当時の先進国の仲間入りをするために混浴をなくし衆道も禁止していった。
(江戸時代の衆道は男色もいけるだけでどっちも行けるってタイプが多かっただけだけど)
なんだけど、今現在においては性自認の自由化だ!って言ってLGBTQだのと言っているし
それを否定するご老人とかもいるけど世界がやっと江戸時代までの日本に追いついただけなのでさっさと認めよう。
明治前まで男も女も力仕事してるようなのは暑いからって胸なんて放り出して仕事してたのなんて当たり前だったけどこれも欧米化の流れでなんか隠すようになっただけ。
で、欧米は逆に男女同権運動の流れで男性が胸を露出して良いなら女性も露出して問題ないはずだって権利運動して女性がパブリックなエリアで胸を出している事は認められ始めている。
ここで必要なのは男が胸を性的な目で見ない、女性も胸は胸でしかなく性器でもなんでもないという認識を改めないと行けない。
なので、パブリックなエリアで女性が倒れてAEDを使った事で男性側にリスクを負わせる状況自体が誤りで
現状においては男性が嫌がって使わないのはそういった社会を醸成した結果なので女性にとっては自業自得、男性にとっては当たり前
欧米スタイルが正しいというか欧米が江戸時代の日本の感覚においついただけ
そこはそうでもないんじゃね? 歴史を遡ったらどっかの時点で人類が聖人になって個人の打算なんかもたない時代があったのかって言えば、ないでしょ(キリスト教的にはロト以前はそうだった設定だけど)。
すべての思想ってのは不満ある現場に対するカウンターとして現れるわけで、個人主義や自由主義が現れた背景には、個人や自由がなかったっていう現実があったんだよ。つまり、イケメンだろうが腹筋割れてようが、次男三男ってだけで労働や行動の自由もなく当然恋愛も嫁取りもできないみたいな不自由な封建社会っていうものがあって、そこからの脱却として個人主義や自由主義が出てきた。
いまはてなで「非モテ男性」だの「KKO」だのいう話が出てきても、そこには次男とか三男とか畑がもらえないとか、そういうボヤキはほぼほぼ出てこない。長男だろうが非モテは非モテだし、次男でも要領よくヤリチンになれる。そこが自由主義なわけだ。
封建制の時代には限られたリソースのオート割当として「長男に家財家業と女を優先割当する」「次男三男や定住財産を持たないものや家柄に劣るものは残飯食ってるか死ね」ってルールが当然としてあったんで、そのルールの中で長男’sに平穏と平等があっただけだ。
それに比べりゃ現在状況は相当マシなはずなんだけど、人間やっぱ豊かになると、その豊かになった周辺の中で相対的に貧しい(あるいは相対的に劣位の)自分っていうのに耐えられないんだよね。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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6272970(1974)
https://anond.hatelabo.jp/20080819183454
これ書いたの俺。
これまでの経歴を書く、少し補足を入れつつね。
飲食と営業のバイト > やや専門性のある派遣社員 > 専門性のある派遣社員 > 独立開業 > 取引先に就職(数年) > フリーランス (今ココ)
売上ベースでは900万を超えるようになった。経費を引くと所得で800弱ってとこかな。
生まれも育ちも貧乏だったので金の使い道があんまりない。でも貧乏になる恐怖がすごいので、しっかり稼ぐ。もちろんお金で幸福は買えないが、お金は不要な不幸をはじいてくれるお守りだ。しかも効果は抜群。中流以上の人はわかんないかもしれないけど。
なんで11年ぶりに続編を書こうかと思ったかって、少し前に、増田で都会育ちと金持ちと貧乏といろいろの世界観の話がホテントリしてたので、俺も書きたくなったことがあるから。
俺はこのパターンに当てはめると「都会生まれ、都会育ちの、貧乏人」ということになる。ニュータイプ。
都会には結構貧乏人が多い。昔から都会には貧乏人が生息してきたんだが、田舎の人は(お金だけでなくて)情報的・文化的な格差があってこういう事実をあまり知らないのかも。
貧乏と一口に言ってもいろいろ。俺の場合は月末になるとおかずがなくて米だけになる程度の貧乏。下には下がいるので貧乏系のマウンティングは勘弁な。
公営住宅に住んでいた。一人親ではなく、両親がいた。家族に障害者はいなかった。つまり、稼ぎがすこぶる悪かったってことになる。
自分の貧乏を強く意識したのは、友達がみんな自転車を持っているのに自分だけなかったときとか。小学校3年くらいの時に始めて「学習机」をもらったときのこととか。その学習机が実は、人が不要になって捨てた女性用の鏡台だったこととか。相対性剥奪ってやつか。「不足している」というのをひしひしと味わい尽くした。
友達も貧乏人が多かった。俺は別々の2グループに属していたが、全体を見て公営団地に住む奴らが7割。一人親も7割くらい。大学に行ったのが2割(東京的には少ない)。公営団地に住んでいて(高卒後の進路として)大学に行った友達はいない。俺は今、放送大学で1学期2単位ずつとる一応の大学生だけど。
自分が「持たざるもの」ということは小学校低学年くらいによく理解できた。なので自分の誕生日プレゼントに欲しいもののリクエストをしない子になってしまった。両親が何が欲しいのかと問い詰めてくれたので、たいして欲しくもない安そうなものをねだったことを覚えている。父親は時代に取り残された職人だった。需要がなく、仕事がなかった。その分野以外のスキルはゼロのまま、学歴もないまま、何もないまま、仕事を辞めて家族を養うために肉体労働を始めた。当時はそんな父親をかっこ悪く思ったが、今思うとすげーかっこいい。泣けてくる。転職先で、体力もおぼつかないまま、若造にこき使われて、ストレスをためて酒を飲み過ぎて、一発逆転を狙ってギャンブルにはまった模様。あんまり笑わないでやってほしい。人は追い詰められると一発逆転を狙うようになる。
年頃になって周囲がおしゃれに目覚め始めたときはつらかった。みんなで服を買いに行って、俺だけ買わないとか。集団でゲーセンに通うようになっても、おれだけ2~3回やるのが精一杯とか(しかも、1プレイ50円のところだぜ!)。人のプレイとデモ画面ばかり見てた。だから強くもならないし、ワンコインの持続力は短かった。資本の力を思い知らされた。
話は若干それるが、田舎の人が「都会=金持ち」の偏見を持っていて困ることがある。変なところで、嫌みを言われたり、奇妙な目の敵にされることがある。そんな奴らの方が、金銭的な意味では俺より豊かな育ち方をしているのにだぜ。これには本当にまいる。
俺は専門学校に行くために高校時代はバイトに明け暮れた。父親の借金(ギャンブルで!)が発覚したときに、俺の貯金で返済しようかと思ったけど、母親がそれを止めてくれた。貧乏だったので、逆選抜バリバリ思考で、とくにかく早く働きたかった。だけど高卒で働くよりも手に職を付けたかった。でも専門学校を出て飛び込んだ業界は旧態依然としたレッドオーシャンで封建社会だったので続かなかった。すぐに仕事を辞めてモラトリアムに走った。大学に行ってる友達が遊んでばかりで悔しかったから、俺も遊び倒すことにした。夜の繁華街でもよく働いた。いわゆる「外こもり」みたいなこともやった。いろんなとこで死にかけた。
で、そのモラトリアムの延長線上で、自分のとある才能に気がついてしまった。ほんとラッキーだった。その才能を生かして派遣の仕事を得ようとした。しかし学歴がないので前提条件に入れなかった。しかたないのでその方面の資格を取った。短期間で、一発で、そこそこのレベルの資格が取れた。ちょう頑張ったけど、今思えば才能に恵まれていた(ちなみに、当時の自分は努力体験と成功体験をセットで味わったので、「スーパー自己責任論者」になってしまった。必死だっんだろうな。時代もそうだったので勘弁して欲しい。今思えば、才能が9割というベースに努力2割を足しただけの結果だと思ってる)。
まずは大卒じゃなくても雇ってくれる職場から始めた。そこで勉強してから転職した。経験者だったので、同じ方面の専門性の高い職にありついた。自分がホワイトカラーという分類に入っている奇跡に驚いた。だから頑張ったし、面接は特にはりきった。張り切ってスキルを並べて、受かった瞬間に有休消化を使ってそのスキルを学んだ(つまり、面接時に話したスキルは若干ハッタリ)。新しい職場でも良く働いた。勢い余って結婚してその勢いで独立した。ちなみにでき婚ではない。
そのまま専門の分野で経験を積んで自分の商売を確立した。時給にはできないけど、無理やり時給にするなら5~6千円はいくはず。1日だいたい6時間強働いて、月に75~80万くらいの売上で、家事の分担をがっつりやって、下の子の保育園の送りも迎えも全部俺がやって回るようになった(あ、計算があわないから時給はもっと高いっぽい)。
今でも金にはがめつい。金にならない仕事はしない。大人の言葉遣いながら、お金のことはまっさきにはっきりと、しっかり伝えて商売をしている。
日々の生活においてお金に困らないというのは本当にありがたい。でも下の子がねだるガチャガチャだけは絶対にやらない。自分で稼いで自分でやれといつも言ってる。くそくだらない(ように見える)ファミレスの入り口とかにあるあのガチャガチャ類を見ると、ゲーセンで惨めな思いをしていた昔の自分が思い出される。やらせてやりたいという気持ちと、なんだかわからない複雑な気持ちがせめぎあって、「大きくなって自分のお金でやるんだぞ」と言ってぎゅっとだっこして強制退場。
と、一気に書いてみて読み返してみたが、母親のことを書けてなかったな。人が生きる上でお金と愛情は不可欠。どっちか一個だけ欠けるとしたらお金。愛情は欠かせない。だけど普通に言って、両方必要。絶対必要。ない人がいるなら、それを補う世の中的な仕組みが必要。こないだ結婚記念日だった両親は今も健在。ありがたい。
韓国が反日ストーカーだとか、国際法も守れないだとか、言われているのだけど
そっちから見ればそうだろう
しかしな、韓国の現政権が正当な良いものだと担保するには反日しかないんだよ
今の韓国のありとあらゆるものが日本が作ったものの土台の上で出来てる。実は言葉もほとんどが日本語からできたもの
市民が日本統治時代の方がよかった。今の政権(支配層)はどうしようもない
なんて言い出したら国の為に多くの人は税金払って働いているから成り立たんのよ
日本統治がひどいもので、人権の蹂躙を行って、婦女子に悪いことをしたということにしとかないと
国が成り立たないのよ
封建社会では前王朝の支配に対してあることないこと全否定するのが伝統
問いたいのは
フェミニズムが社会運動なのか学問なのかって部分で、フェミニストは随分甘えがあるように思うんだよね。
社会運動家としての一貫性を追求されると、これは学問であり個人の思想や要求ではないと逃げるし、学問としての透明性や検証の担保をもとめられると社会運動家としての被害者論に逃げ込む感じ。
おそらく今現在の多くのフェミニストは、フェミニズムがなんで学問を経由しなきゃならなかったのか、そこが本当にわかってない。
フェミニズムが、暴力の次元で既存社会と戦うと負けるからなんだよ。この場合暴力っていうのは、いわゆる肉体的だったり経済的だったり権力的だったりするようなぱっと想像できる暴力だけではなく、民主主義的な、多数決の暴力によってもフェミニズムは負けちゃうんだ。なにせ、以前の社会では「女性の権利が男性より劣るのは当たり前」だったから(女性参政権、この文脈では多数決に参加できる権利ですら日本ではまだ100年たってない)。聖書にすら男性の劣化品として描かれちゃうように、古代から封建社会経由で、女性は社会的弱者だったから「それが当たり前の社会」で多数決やっても、フェミニズムは負けるし負けてきたんだよ。
そういう状況をなんとか改善するためには、(民主主義的多数決を含めた)暴力を退ける必要性があって、そのためのテコとして、社会正義や公正を味方につけた、いわばフェミニズムの理論的背景構築が必要だった。「そのための」アカデミズムだった。だから過去、多くのフェミニズム論者たちは、必死で理論化を進めてきたんだよ。「私たちの求めているのは、ただの自分たちの私利私欲で行う権利拡張要求ではなく、社会正義の実現なのです。だから私たちの言うことを暴力で押しつぶさずに、どうか耳を傾けてください」というために、理論が必要だった。
「暴力ではない力」として、自分たちの主張の公正さや社会正義をきちんとアピールして、権利のゼロサムゲームという次元では利益相反である男性サイドにさえ「公正な社会の合理的な発展のためなら」ってことで譲歩する機運を作り出すのに、長い長い時間を掛けた。
にもかかわらず、現在Webで散見されるツイフェミのみなさんは、なんだかすごく後退しているようにみえる。お気持ちドリブンで暴力上等、殴り合いよっしゃこい、多数決で社会に圧力を掛けて、キモい連中を排除しようって、それ、暴力ですやん。「そういうレイヤーの勝ち負け」にしちゃって本当に良いんすかね? それやったらフェミ負けちゃうと思うよ? ってのが最大の疑問なんだよね。キミらその勝負の分が悪いから、100年近くかけて「お互い暴力はやめて、まずは理屈で話し合いましょうよ」ってがんばってきたんじゃねえの? っていう。
アカデミズムの使い方間違いすぎでしょ。フェミにとってアカデミズムは自分たちを律することによって相手の(既存社会の)暴力を自制してもらう装置だったのに、都合のいい棍棒として利用し始めちゃったら、相手も同じ棍棒持ち出してきて袋叩きにされるよそりゃ。
どうもツイフェミのみんなは、暴力の認識が甘い気がする。「みんなが嫌だと思ってるんだから、それを拒否するのは暴力じゃない」「多数決主義は暴力じゃない」「みんなでキモい奴らを吊るし上げるのは暴力じゃない」とか思っている節がある。もっとはっきりいうと「男性が女性に不当な要求をするのは暴力だけど、私たち女性(実は女性の中のごくごく一部なんだが)がオタクを排除しようとするのは暴力じゃない」とでもいうような。いやいやそれ暴力ですから。「多数派によって少数派の意見が封殺され、隷属的立場に置かれる」って、女性が不利益を被ってきた、悲しい歴史そのものでしょ。どうしてそこ忘れちゃうんだか。
そういうセリフを言っちゃった瞬間、フェミニズムが築き上げてきた「社会正義の実現としての男女同権」ってのは吹き飛んで、今まで色々言ってきたのはただの権力闘争でした〜☆、男性殴って女性の地位を向上させたいだけでした〜☆、になっちゃうんだよ。まあ、それが真実で正しいのかもしれんけれど、それを言っちゃったら今後暴力の応酬になるし、その応酬で勝てる目算たってるかっていえば、たってないでしょうに。
何が悪いって、一連のこういう動きは、その個別の案件で勝ったり負けたりする以上に、フェミニズムが築き上げてきた信頼を損なうって話なんだよ。たかが100年で得た権利でしかないのに、どう暴れても喪われないって慢心しすぎだと思うよ。「ああ、フェミってのはただの権力闘争で、公正さも透明性も正義もないんだな」ってなったら、過去に得た女性の権利でさえ後退する可能性はあるんだよ。せっかく積み上げてきた実績なのに、目の前の感情的発散のためになげすてるのはもったいないでしょうに。平塚らいてうが泣くわ。
教育勅語は、過去の歴史的においては、日本の近代化に一定の役割があったと考えられるが、時代を経るについて、その位置づけが変わっており、どの視点に立つかによって評価が変わってシマウマ。
江戸時代以前、幕藩体制下においては、人々は藩(クニ)というコミュニティへの帰属意識はあったが、日本という統一された国家への帰属意識は存在しなかった。しかし、欧米列強のアジア進出に直面し、明治国家は統一された近代的な「国民」を創出する必要性に駆られた。そこで、井上毅が中心になって起草されたのが教育勅語である。
江戸以前の封建社会では、お殿様がいて、家来衆がいて、そのまた家来がいて、農民・商人・工人がいて・・・と、多層的な社会構成となっていた。欧米を直接視察した当時の指導者たちは、このまま身分により分裂した社会では、我が国が近代化を成し遂げて欧米に伍してゆくことは難しいと考えた。そこで、表向きは日本人に馴染みのある儒教的な用語を使いつつも、勤勉であれというプロテスタンティズムの精神を注入したものが教育勅語である。(米英独における近代資本主義の形成にプロテスタンティズムが果たした役割についてはマックス・ウェーバーの説に譲る)
教育勅語の登場により、日本人の中にプロテスタンティズム的な精神が形成され、曲がりなりにも、なんとか我が国は近代国民国家を創りだすことに成功した。また、一番問題になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の文言についても、歴史的には欧米の「国民軍」形成の流れと相似をなすものであると位置づけられる。(というのも、それ以前は武士階級のみが軍事に専念して、一般市民にとっては軍事は全くの埒外であった。このままの意識が続いていたとしたら、本邦は他のアジア国家と同様に、欧米の植民地となっていたであろう)
ただし、時代を経て昭和の激動期に入ると、明治憲法と同じく、長所よりも欠点が目立ち始める。
欠点の第一要因は、明治憲法や教育勅語が、現人神である天皇から臣民に下されたもの(実際は、明治の元勲が起草したものだが)という形式を取ったことであろう。明治憲法も、首相の権限が明記されておらず、その基盤が弱小である等の問題をはらみつつも、「不磨の大典」化してしまったため、政治家が軍事官僚を縛ることすらできなくなってしまった。教育勅語も時代に即して改定を行う動きもあったものの、やはり天皇から下された「聖典」という位置づけから改定ができなくなり、戦時下においては国民を総動員する装置となってしまった。
以上を踏まえると、教育勅語は日本の近代化を推し進めた功績があり、現代資本主義社会においても引き継がれる価値観を含有するという点では一定の「普遍性」を持つ一方で、戦時下においては国民を動員する装置となったという点で「負の側面」も多く有するという、なんとも白黒つけがたい存在であると評価できる。
なお、現代では教育勅語は、その歴史的役割をすっかり終えており、今さら道徳のために引っ張り出してくる必要性は無いという私見を最後に付け加えておく。