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はてなキーワード: 妖怪とは

2023-06-14

深夜に松戸の梨香台団地に現れる妖怪!!!

この前妹が目撃したみたい

https://archive.md/drN7x

2023-06-11

からまれたら桃太郎、では金太郎は金からまれたのか?

はい金太郎は、金でできた桃からまれたとされています

ではゲゲゲの鬼太郎は?

ゲゲゲの鬼太郎は、ゲゲゲの森からまれました。

Q太郎は?

Q太郎妖怪ランドで生まれました。

葉加瀬太郎は?

葉加瀬太郎音楽の都ハーモニアで生まれました。

2023-06-10

マッチングアプリにいる人間

20代前半

年収500万

彼女歴1人

23区内勤務済み

フツメン(と言われる)

身長171

エンジニア

の僕がマッチングアプリにいる人間解説する。

綺麗な女性

綺麗な女性理想が高いので、高身長イケメンしかマッチングしない。そういう男性は遊び目的なので遊ばれて別れる。そしてまたマッチングアプリに戻ってくる。どんどん理想釣り上がって妥協できなず結局彼氏ができない。本来自分のことを本当に大切に愛してくれる人の存在に気づかないんだよね。

不細工女性

不細工女性は、体目的いいねがたくさん来るので、理想だけ釣り上がって本来自分釣り合う男性を見逃す。そして30代後半になって「ドライブ連れていってくれる20代男性と付き合いたいです!」とか馬鹿みたいなこと言い出すケバい妖怪BBAになる。

イケメン

ヤリ放題、遊び放題

ブス男

お金取られまくる、女性嫌悪進む

マッチングアプリって恋愛弱者からお金搾り取るために天才的な発明だよね、なんで彼女できないんすか

怪談

ぶつかりおじさん、最近定着した言葉だが、たぶん昔から存在はしていたはずだ。でもフォーカスされていなかった不可視存在SNS時代になって多くの声や証拠動画らしきものがアップされるようになってはじめて、どうやらそこそこ多く実在するらしいことが可視化されてきた。それまではまるで都市伝説怪談

そんなやついる?いたらやべーな、いるかもしんないけど。いや、いないだろ。ぶつかられたほうが話を盛ってるだろ。いやいや、わたしはぶつからたことあるから。ほんとに?

そんな存在。実しやかに語られる妖怪

そしてその妖怪本人から情報は、いまだに発信されていない。されてないよね?おじさんのぶつかり日誌、みたいなブログとか。衝突〜わたしは『ぶつかりおじさん』と呼ばれた〜、みたいなノンフィクションとか。だから生態がよく分からない。

最近話題だった漫画の「アンチマン」は、その妖怪人間として描いた、人間性を肉付けしたところに意義があったのかもしれない。まずフィクションとして描くことで、妖怪ではなく人間なんだよ、あなたの隣に住んでいるかもよ。みたいな。もしかすると細々と小さく語られている彼らの声が、耳を澄ますと聴こえるかもしれないよ、と。

2023-06-06

ぶつかりおじさんの社会的意義は無視できなくない?

最初に断るが、ぶつかりおじさん自体エビル。

すべての暴力肯定されるべきではないということ。

そうした上で、ぶつかりおじさんという存在社会的意義は無視できないよねという話。

基本的に、女性は道を譲らなさすぎる。

譲るという感覚ごと欠落しているくらいに譲らない。

譲るという感覚が欠落しているからこういう話をしても通じなくて、とにかく一方的にぶつかってくる方が悪いという話にしかならない。

そもそも女性には道路上の優先順位という概念がない。

歩道を歩いている時も自分が逆走していたって必ず壁側を歩こうとするし、側道から出てくるときでも平気で人の前に割って出たりする。

なんで正しくルールを守っている側が車道側にでて危険な思いをしながらお前をよけなきゃならんのよ。

側道から出てくるときだってこちらに減速を強いっておいて割って出た割に歩くのが遅かったりする。

それで夜道なんかだとチラチラ後ろ振り返ってくるのとか、頭イカれてるんじゃないかと思うよ。

もちろんそうじゃない女性もいるし、男性でもこういう人間はいる。

でも、明らかに絶対数が違う。体感で言えば5倍以上は軽い。

極端な話をすると、男性同士でこれをやるともう喧嘩を売っているようなものと一緒。

相手が悪ければ因縁をつけられてボコボコにされても文句は言えない。(もちろん暴力犯罪だが、反面で自業自得という側面もあるということ。)

から男性は、相手が男女関係なく自分から道を譲るという文化が染み付いているし、自分が悪ければ一言お詫びを言うのが当たり前になっている。

そういう意味では、女性はぶつかられるだけで済んでいると言っても良い。

ある意味男女平等が実現されつつあって大変素晴らしいと思う。

お詫びを言われたことがない人はよっぽど自己中心的な歩き方をしていると思って自らを省みたほうがいいと思います

正直、ぶつかりおじさんというのは現代に生まれ妖怪なのではと思う。

女性があまりにも道を譲らないから、それに気が付かないと痛い目に遭うよと身をもって教えてくれる妖怪

水の増えた川に近づくとさらっていくカッパと一緒。

その結果、道を譲ろうとしない女性けがぶつかりおじさんの被害にあって、自らもぶつかりおじさん絶対にゆさな妖怪へと成り果てていく。

まさに現代妖怪寓話

それでも自身を省みないでぶつかりおじさんに切れ散らかす女だけが被害に遭い続けるとか、爽快以外の何物でもないよねというのが自分結論です。

そもそもこれを「わきまえろ論」だと勘違いしてしまうところが問題で、突き詰めて考えれば誰が悪いとかは関係がない。

被害にあえば損をするのは自分

妖怪ぶつかりおじさんを退治したければ、みんなで譲り合える世界を作る以外にないんじゃないかってことに一日でも早く気がついてほしい。

2023-06-04

anond:20230604084748

男は幽霊とか妖怪にしなくても、物理男が物理で殴ってくるのが一番怖い。

2023-06-03

ベムもベラもベロも妖怪キッズとか妖怪おばさんとか妖怪おじさんじゃなく妖怪人間だったのだから

ぶつかりおじさんもぶつかりおばさんも、ぶつかり人間でいいだろ

2023-05-29

惡の華、プンプン、オナマス青春ジュブナイルが大好き。

青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。

凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…

みたいな。

中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマ理解してなかった。

なんか変態的でショッキング作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。

まあ青春当事者青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。

若さ大事しろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。

何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。

でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。

読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。

この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。

もちろんその結論大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。

それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。

スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期自意識というテーマからちょっとズレる。

普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?

美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間自己弁護だが?

でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にいから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?

つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。

そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。

ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。

そもそもまれなさそう。

まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。

ただ、中年危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。

ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?

今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。

フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイヨナラと決別できるものではないっぽい。

押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。

これは邪推だけど、思春期延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。

何かしらの納得という重しもなく雰囲気ふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。

まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。

例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。

これはジュブナイル作品主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生リアリティがありましたと。

あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。

私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズ愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。

このまま40,50になったらもう妖怪になってしまうな。

そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。

それが社会性ってもんなので。

なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。

ラストシーン映画部の底辺オタク神木隆之介イケてるグループ東出昌大の会話がとても良かった。

8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有早口で嬉しそうに説明する神木

カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木

予算撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画

きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。

フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。

「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。

素敵な作品だなと思いました。

言ったら自己満足趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。

それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。

思春期自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。

あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。

でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。

だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。

古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。

でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。

もっと真摯カルチャーを愛したい。

ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいねクソムシでなく。

まあホントは今でも全然草野マサムネ志村正彦みたいに思春期イノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~

2023-05-27

苛ついたら虚空を殴ればいい っぽい

中学ぐらいまでは苛ついたら叫んでたんだよね。

家で叫ぶと怒られるから海とかで叫んでた。

でもこの奇行が噂になって親に泣かれたから辞めた。

社会人になっていきなりど田舎勤務に飛ばされたときにこの癖が再発した。

上司左遷されたダメ人間オールスターみたいな状態で本当に辛かったのもあると思う。

田舎で人の居ない場所は選び放題だったから周囲に人がいないのを確認して定期的に叫んでた。

でもある日、山の中で叫んでいるのを「最近あの辺って山犬?鹿?熊?の声が聞こえるよね」って噂になった。

それ多分、私です。

山の上で叫んだら麓に結構届くんだね。

流石にこれで自分が原因だって分かったら現代妖怪としてウォッチされてしまうと思って我慢するようになった。

代わりに枕を殴ることが増えた。

ネネちゃんママみたいな感じで毎日布団を殴ってた。

でもこれやると2ヶ月ぐらいで枕が壊れるんだよね。

ボコボコに粉砕した枕を社宅のゴミ捨て場に2ヶ月おきに捨ててたら、それが噂になった。

どうせ捨てるんだしと最後ビリビリに破いてたんだけど、それが「ナイフで滅多刺しにしてる。多分誰かの子供がストレスで不良になったんだ」って話になってた。

これは不味いな。

団地のフォークロアとして独身のままBランク怪人人妻みたいな扱いになっちゃうな。

仕方ないかカラオケを始めた。

でもね、出てくる時に職場の人に合っちゃったの。

田舎カラオケ屋だから壁が薄いし、アニソン歌ってたの聞かれてんなって。

自分趣味職場に知られたくなかったのでもう二度と行かないことにした。

せっかく言ったのに流行りのJ-POPで縛るとか辛いだけだし。

接待練習みたいになっちゃったらストレスしかないし。

ムカつく連中の悪事を書いた閻魔帳を用意するというのは結構しかった。

いつかコイツらまとめて告発してやるぜ―と盛り上がった。

でも纏めてくとしょーもない奴らしかいないなって気づいた。

お局もセクハラデブもただ性格が悪いだけの範疇を出てない。

何百万もふんだくれるようなハラスメントをしてるのも見たことないし。

たとえばこれをライバル会社に送っても相手にされないだろうな。

警察弁護士もそうだ。

自宅に送り付けた所で子供スルーだと思う。

つうかあいつら家だともっと性格悪そうだしなあ……。

そんなこんなでたどり着いたのがシャドーボクシング

ただし回避はせず一方的に殴り続けるだけ。

相手椅子に縛り付けている状態イメージして顔面をひたすら殴る。

デブは柔らかそうな腹を殴る。

ただただ殴る殴る殴るたまに蹴る。

殴りまくってると肩がドンドン痛くなるんだよね。

人間って人間を殴るのに向いてないんじゃねっていざ殴りまくって初めてわかった。

スポーツショップ自由に殴れるサンドバッグを数発ベシベシしたことはあったけど、何十発もワンツーしたわけじゃないから知らなかった。

漫画じゃ皆ボコスカ殴ってるけどこれは訓練が必要ですね。

ボクシングK-1って30分ぐらい殴り合うんだっけ?

あいつら体力スゲーなって今わかった。

ダンス真似してみてアイドルの体力おかしいだろって気づいた時以上にヤバさを感じる。

虚空殴りは本当にいいね

枕殴りのときは流石に床に響かないぐらいを意識するけど、虚空殴りは足運びに気を遣えば床もきしまない。

カーテンちゃんと閉めてるの確認したらあとはひたすら全力で拳を振り回す。

非力な拳だろうけど流石に50発も打ち込めば歯の一本ぐらいはへし折れんだろとひたすらに叩き込む。

ボコボコに腫れ上がった相手顔面想像するとスッキリする。

ほとんど開かなくなった目の奥から許しを請うような光が覗き込んでいるのを思うと、人間なんざ最後暴力ボコれば終わる程度の奴らだってよく分かるね。

よく言う「筋肉を鍛えまくれば、いざとなったら殴れば良いと自信がつく」って話はこういうことなんだろう。

別に筋肉は要らないよ。

ただひたすらに架空相手ボコボコにするだけでいい。

殴り合って勝とうとシミュレートする必要なんてない。

しびれ薬でも盛った想定でただただ殴り続けてやればいいだけなんだ。

終わった後は心臓バクバクで全身から変な汗が出る。

から足首まで全身が筋肉痛でバキバキする。

凄い疲労感。

スポーツしてない身体はい運動になると思う。

たっぷり体を動かして風呂入ってすぐ眠る

健全理想的生活が送れてる。

運動にもなるしストレスは解消できるしよく眠れる。

これが正解だったんだなあ。

でも実家にいた頃に虚空をボコボコ殴ってるの親に見つかったらキマづさがヤバかっただろうな。

一人暮らしサイキョー

2023-05-26

一度は会ってみたい妖怪三選

妖怪チクビナメリンガー

妖怪アナルログチャレロレロ

妖怪タマス

2023-05-25

anond:20230525212601

れい自己紹介???

出た〜www

妖怪性別年齢透視ババアw

朝鮮人みたいな醜悪なツラしてるんだろうなw

妖怪性別年齢透視ババア」は一般用語なんでしょうか?

ついでにいえば単なる誹謗中傷なんですが、どんな面をしているんでしょう。

ニートなんでしょうから、幼そうな面なんでしょうなあ

2023-05-22

マリオ映画感想

はじめに

 マリオ映画を観た。

 まず私のプロフィールを明かしておく。

 大学院生社会学文学あいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。

 映画学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません

 匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SM実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。

 

 「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミック評論の場で散見される。

 これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用特に必要でない限りはしない。

 「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオ映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。

 メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。

試行する」快楽

 ゲームアニメとしたら、キャラクター解像度物語の運び方だけでなく、どのようにゲーム快感が写し取られているか重要ポイントに思う。

 マリオゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。

 「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアタスク消化に似た快感

 「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感

 マリオシリーズだけでなくゲーム快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか

 私はといえば、ゲームが苦手だった。

 クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。

 我ながらヘタクソなプレイであるしかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム快感がある。

 翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。

 アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。

 文学研究者藤田直哉上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662

 ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。

 周回前提のゲーム「ドキド文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。

 また、勉強不足と笑われそうだが、3D映像2Dフィールド表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。

父と息子の物語としてのマリオ映画

 「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。

 しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さら男性性との関わりについて分析する。

 https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq

 こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113

 クッパ名誉と所有、暴力原理においたキャラクターであり、婚姻幸せを直結させる家父長制を背負った男である

 ピーチ姫に対し無茶な論理婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人婚姻犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。

 この「有害男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。

 それは物語ラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫マリオとの恋愛成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。

 

 マリオゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。

 葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。

 しかマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。

 イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。

 そしてマリオ映画の終わりに藤田のいうところの「有害男性性」の発露であるクッパを倒し、父親から承認を得ることとなる。

 婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力ねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。

感想、あるいは魔王へのラブレター

 倒されたクッパは小さく、管理されるものとして扱われる。

 その是非について何か言いたいわけではない。

 現実では家父長制や異性愛規範同性愛差別トランス差別人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである

 その是非についても何か言いたいわけではない。

 ここまでが建前。

 私はフィクションにおいてこういう権威的な男性が大好きだ。

 「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。

 本気で惹かれると言っていい。

 だが彼の愛は決してピーチ姫には届かない。正しくないから。

 そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。

 異形はある意味孤独である

 槇原敬之の「軒下のモンスターから「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。

 三島由紀夫の「仮面の告白から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。

 

 ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。

 「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソング哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。

 私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。

 今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダークィア批評規範可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ

 本当は、弱者クッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまり感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。

 でも愛してる、魔王クッパ

 お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。

2023-05-21

anond:20230521211413

ろくろ首妖怪力は低いと思っている

首伸びたからってなんなのさって感じ

2023-05-20

足が閉じられないほどデブというわけでもないくせに大股開けて座っている男のことを妖怪金玉冷やしと呼んでいる

2023-05-15

歳をとって生きやすくなった

10代、20代前半のころはお店や道端で合う人に舐めた態度をとられることが多かった。

失礼な美容師(男)とか、失礼な携帯ショップ店員(男)とか。スーパーイヤミを言ってきた他の客(女)とか。曲がり角で待っていると通りすがりバーカ!と声をかけてきたタクシー運転手(男)とか。妖怪

コロナ禍のおかげかそういう不愉快人間と関わることがなくなった。

というか、歳をとったおかげか一定の敬意をもって接して貰える機会が増えた。

背が低く黒髪メガネをかけていかにもおとなしい風貌だったのが、最近明るい髪色になって整形をしてからもっと生きやすくなった。

最近入ってきた新卒をみて、赤ちゃんみたいな顔してんな〜!と思った。20代前半、自分ではそれなりに大人のつもりだったのに、会社の先輩がそれは大人解決します!と言ってたの今ならわかるわ。

2023-05-11

食べるフェチ系の作品教えてくれ!!!

なんか今日おすすめゲームとか漫画教えてもらう増田が多くてずるいずるい!!私もやる!!

どうやら食事シーン萌えらしく、何かを食べている描写がある作品大好物なんです。

条件

特に良かったもの

ストライクまでは行かないがかなり好き(普通食べ物からだろうか?)

食べ物関係ないが雰囲気かなり近い

意外とイマイチだった(方向性は合っているが何かが惜しい)

この辺ってどう?面白い

リストアップしてて気づいたんだけど静かに「美味しいねぇ…」って吟味するようなのが好きなのかもしれない。

最近では「八日さんが舐める」という漫画の連載初期がもう上品さと下品さのバランスハチャメチャに良くて、熱いメールを送りつけたりもしてたんだけどどんどんよだれがグチャグチャ垂れたりヘソの垢を舐めとろうとしたり臭そうな女が出てきたりしてダメなっちゃった。悲しすぎる。

以上!とりあえずなんでも試してみたいので教えてくれ!!

2023-05-09

anond:20230509145741

すでに日本人男性の3割は妖怪に置き換わっていると言われている

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