はてなキーワード: 厨二病とは
ASDとADHD持ち、躁鬱の大学生。何度も留年を重ねています。夏休みが明けてからまともに登校しておらず、人生数度目の不登校なうです。中学、高校ではなく大学です。やばいよね。ずっと私に投資してきてた親からも流石に愛想を尽かされて、ごめん、私まともになれそうにないからもう死ぬね、って伝えたら死ぬなら樹海に行ってくれと言われました。というわけで行こうかと思うのですが気持ちの整理のため、というかスッキリするため?全部吐き出す投稿です。使い方合ってるのかなこれ
親のお金で買ったゲームや漫画などの別次元の空想話に逃避している時だけが幸せです。でも私は多分、2次元が好き、というわけではないんだと思います。現実を見ないで済むのならなんでも、睡眠でも、アルコールでも。どんなものであってもいいみたい。
人と関わるのが苦痛です。どうして目を見て話さないといけないのか、声をかけられたら応答しないといけないのか、興味がなくても楽しそうにしないといけないのか、分かりません。高校の現代文のテストはクラスで1番優秀だったのに、現実の人間がなにをどう感じるかを、私の頭はどうしてか結びつけてくれない。ずっと分からないままです。
忘れ物をします。無くし物をします。道が覚えられません。熱しやすく冷めやすいです。人からの連絡を返すのに1ヶ月かかります。よく吃るし、失敗するし、打たれ弱くて、あらゆる能力が低くて、初めてのバイト(単発)で初回にこっぴどく怒られて辞めてから1度も働いたことがありません。
大学に行けなくなったのは自分でもなんでだか分かりません。自分が何考えてるのかも分からん。私はそもそも大学に進みたかった訳じゃないのに親に学校も学科も勝手に決められたせいでやる気が…とはいえ、まともな神経してたら学校嫌でも行くと思うんですよね。ダブったら学費勿体ないし、就職もきつくなるし。だからなんだかんだ言って結局全面的に私が悪いんです。将来のこと考えられてない愚か者は私。
このままじゃやばい、変わらなきゃ、明日からは切り替えてちゃんと学校行こう、人としてちゃんとしようって思って毎晩寝ます。でも起きると、自分は何も切り替わってないし変わるために何したらいいのか分かってないんです。で、なんとなくゲーム始めて一日が終わって、うーん明日の私が頑張るはず!って考えて寝て、無限ループです。結局私の深層心理的には変わる気がないんだろうなと思います。
発達障害と、それを認識していながらも甘く見ていた青年期の自分のせいです。ずっといつかはなんとかなるはず、って思って処世術も人生設計も模索せずぼーっと生きてきました。結果、取り返しつかないほどの諸々低スペのゴミになっていました。
やらない言い訳ばかり探している人生が恥ずかしいです。変わるための努力が、自分を好きになるための努力がどうしてできないんだろう。 1日1日を大事にして、真面目に生きている人達に申し訳ないです。もう終わりにしたいです。欠陥だらけの自分は、人間として産まれてくるべきでなかったのだと思います。期待を抱いて何かを始めて、そうして失敗する度に自分の能力の低さを思い知らされます。いっそそれを自覚できないほど鈍感だったら良かったのに。人に迷惑をかけて、それでも気にせず図太く生きられたら良かったのに。糖質の人、重度の障害を持つ人を見る度に羨ましい、なんて最低なことを考えてしまいます。
健常者でないけれど異常者にもなりきれない、まともじゃないのにまともになろうと頑張ろうともしない、自分が本当に嫌い。世界で一番嫌い。
大学行けなくなって。この程度のことでつまづくなんて、どう考えてもこの先生きのこれないだろうって思うようになりました。そんなふうにならないように、今までどうしておけばよかったのかも分からない。人間絶対向いてなかったと思うので来世があったら頼むからカニとかに生まれたいな。本当に、本当に私として生まれてきたくなかった。人生の中で楽しいと感じた瞬間が全く思い出せない。
高校入学前から精神科に通って、カウンセリングで話を聞いてもらって、薬を処方されて。高いお金を月に何度もかけてきましたが、効き目がありません。薬は、大分前から現状から目を逸らさせて問題を先延ばしにするよくない道具です。生きてればいいことあるって先生もカウンセラーさんも言ってくれた。もう聞き飽きたよ。なかったよ。てかいいことって何か、私結局ずっと分かんないままだったよ。
最近は動けなくて、水を取りに行く気力がなく薬を飲めていません。何をどうやったって私のポンコツぶりは治らないと思ってるから飲む気がないのもある。当然お風呂入れてなくてあちこちかゆいし臭い。何も生み出せない自分が生きていたら地球全体の損失なのではないか、資源の無駄遣いなのではないかと感じたから、そういう理由なら勇気出して死ねるかな…という言い訳を気を抜くと考えてしまう。結局自死の動機を他人のせいにして自分の背中を押そうとする自分。嫌い。
太宰治の『人間失格』を初めて読んで、私は1人じゃないんだって励まされた中学1年生のある瞬間(大分厨二病w)から、いつかまともになれるから、ちゃんとした大人になれるから、って信じて死ぬのを先延ばしにしていたけれど、私にはいつかなんて訪れないんだって最近気が付きました。どうしてか変わろうっていう努力ができない。1度決意しても、気持ちも行動も持続しない。全部私が悪いです。20数年生きて、親の金で色々なことにチャレンジさせてもらって、結局分かったのは私は何も向いていないということ。自分のやりたくて、好きなことがなんなのか分かりません。そして、好きじゃないことを頑張れる根性がありません。生き恥を晒していると思います。
何度も何度も死のうと決意して、その度に怖くて何も出来ずに先延ばしにしてきたけれど、そろそろ、いや、今がその時なのかな。
私の悩みも生き方も道端の石みたいにちっぽけだってことは分かっています。もっと苦しい人がいる。世界が私の把握できる範囲よりずっと広いことを知っているから、余計に絶望する。こんなくだらない悩みで死にたい、って思ってしまっているって、本当に生きる価値がない。
いやほんと生きるモチベないわ。そろそろ樹海行くか。死ぬ前日にどうしてもしたいことってなんだろうってずっと考えてたけど結局何も思いつかなかった。私が人生で1番大事に思ってたことってなんだったんだろうか。これだ!って思っても、1週間も続いたこと多分なかったな。本当にろくでもない人生だった。樹海に行く、って、もしかして人生初の前日の私が明日の私のためにしてあげるいい感じのことなんじゃないかって気がしている。
古いオタクなので昔は中世風、剣と魔法、なぜかギルドがある、スキルやステータスが見える等の異世界転生モノを見ると
何だこれ、オリジナリティのかけらもない二次創作みたいな作品だなぁと思ってたんです。食わず嫌いで。
でも、今更ながら食わず嫌いをやめてみたところ、なるほど、これは確かに二次創作風の楽しみ方であり、
つまり、学校でいきなりテロリストが攻めてきた時に自分一人で解決するという厨二病の妄想のリアリティ対決に似ていると思う。
異世界ハーレムもので例を出せば、そういう作品っていっぱいあるじゃないですか。
異世界に行ってその世界のかわいい子次から次へとみんなが主人公を好きになるような。
一人二人だといいんです。大きな問題が起きない。でも、5人、10人と増えていくと
女の子たちの機嫌をとりつつ、ハーレムをうまく運用していく必要性が出てくる。
その辺の男子が寝る前の妄想でハーレムくらいは考えると思うんだけど、女の子に囲まれてやりたい放題!みたいなレベルの妄想力しかない。
それに対して、どうやって女子間の均衡関係を保ちつつ、楽しむか。そのエピソードをみんな楽しんでるんだと思う。
同じく復讐ものも、嫌いな奴に復讐するのにすぐにぶち殺してしまったら話が終わっちゃうしカタルシスがないので、
どうやってそのカタルシスを生み出しつつ、復讐するかの妄想力を楽しんでいるんだと思う。
そう考えると、学校にテロリストが攻めてきたらどうする?っていう妄想話を
単に異世界に転生させられてハーレム作るとしたらどうする?っていう大喜利をみんなでやってるんだ、
と考えると、似たような話がいっぱいあるのもわかってきたし、その差分を楽しんでるんだなってこともわかってきた。
リコリスはキャラデザと声優の演技、いかにもSF好きにウケそうなディストピア的世界観はほぼ満点だった。ただ脚本が軽すぎたので10話以降見るのがキツかった。
千束とたきなのDAでのアクションや友情パートとかは見ていてアツくなれたけど、、真島とヨシさんのストーリーラインはみんな動機が軽すぎるしギミックの説得力も正直うすい。
ヨシさんは千束に人殺しになれ!と言い続けるだけの壊れたロボットないし長引いた厨二病患者にしか見えない。千束が不殺を貫くのはいいが、そのために電波塔からあっけなく落ちるのはそれでいいのだろうか。楠木司令は深い考えがありそうに見せかけるだけで行き当たりばったりの無能、ロボ太は国の中枢にハッキングできるけどちょっとしくったらすぐに逮捕されるというパワーバランス。先に逮捕しとけよ。真島も愉快犯なのか偽善を暴く志士なのか、どちらにしてもただのチンピラ感が抜けずラスボスとして凄みに欠ける、というかあまり怖くない。千束を殺せるのに殺さない、というシーンが多すぎた。
高校で麻薬取引するとか日本ならまずそういうのは高校に入れない事が多いし
日本で「あばずれ」とか「死ね」って相当怒ってないと言わないしふざけてないと言わないけどアメリカは普通に自分をかっこよく見せる為にわざと酷い言葉平気で言うし大人でも厨二病だし
VRChatでアメリカの大人の男が妊婦のアバターにして遊んだりクソガキは黒人のアバターで黒人差別してたり
差別について色々考えさせられる
だからアメリカ人はアメリカにいる事が1番の不幸だと思ってるし同時に幸福だとも思ってる奴いるけど少ない
日本の周辺国が酷すぎて日本がまだキラキラして見えるから白人とか黒人系の外国人の移民多い、1番多いのは中国韓国だけどそれを省いて
特にアメリカの黒人さんは差別から逃げる為に日本に逃げてくるらしい
アメリカから逃げてきた黒人は日本のお婆さんに「こんにちは」って声かけられて自分が泥棒みたいに疑われないことに驚いてた
普通の日本人が抱いてるアメリカのイメージをグシャグシャになった紙の玉みたいにして広げてもっと酷いことしてまた丸めて踏み潰したくらいアメリカは悲惨な状況
この増田は、孤独で気が狂いそうだ(https://anond.hatelabo.jp/20220116164742)の続編である。あの時心配してくれた皆さんにご報告をしたいと思って書いた。
私は32歳の女で、生まれつき発達障害があり、父との共依存関係に悩んでいる。
結論から言うと、父とは家を別にすることになった。別居先は、空き家になっている築45年の父方祖母の家で父の持ち物だし、経済的に自立できるまでの間、生活費の一部は父に出してもらうし、1日に1回は父から電話がかかってくる。とても自立とは言えない。それでも、別居だ。別居なのだ。自由だ。
相談支援専門員さんの件はどうしたかというと、父から離れたら、一生生活保護で、治安の悪い地域のボロアパートだねと言われて、ビビって逃げられなかった。ごめんなさい。
中学受験をして入った私立の中高一貫校は、生徒みんなが旧帝大の医学部を目指すバリバリの進学校だった。毎日、大量の宿題が出た。
両親は、
・時間を作らないお前が悪い
と言っていたのだが、それはゲームやインターネットの実質的な禁止だった。
私は鈍臭く、しばしば他の生徒から文房具を投げ付けられたりしていて、何だか勉強に身が入らず、成績が学年最下位付近をさ迷っていた。
ある日、私はどうしても我慢ができず、宿題が終わっていないのに、こっそり母の部屋からゲームを持ち出してやってしまった。すぐにバレた。父はいつも通り「誰がお前みたいなゴミを養ってやってると思ってるんだ。親の言うことが聞けないなら、今すぐ売春婦にでもなっちまえ」と怒鳴った。私を叱る時の決まり文句だ。父が私を押さえ付けて、母が私の頭を何発も殴った。
折檻が終わって、私は自分の部屋で一人になった。むしゃくしゃして、何か壊してやろうと思いながら部屋を見回した。家具やぬいぐるみを壊すのは可哀想でできなかった。代わりに、自分の腕や脚をカッターナイフで切り付けた。今思うと、カッターナイフでやってよかったと思う。カッターナイフで血が出る程度に切ったところで、跡は残らないからだ。
翌朝、傷を見せるでもなく隠すでもなく、朝ご飯のパンを食べていると、両親が傷に気付いた。「見ろよ、あの厨二病。自分が可哀想だとでも思ってんのかね、受ける」と両親は私を指さして笑った。
両親が心配するような期待はしていなかったけれど、喜ばれるとは思っていなかった。アホらしくなって気持ちが冷めて、その後自傷行為はしなかった。
ちなみに、この話を中3の時の担任にしたら「リスカを止めてくれるなんてなんて素晴らしいご両親なんでしょう!感謝しなきゃね!」と一人勝手に感動してうっとりしていた。
その時の、両親に怒鳴られ、殴られ、笑われる夢を見た。カッターナイフの刃が腕に入っていく感触も蘇った。
朝起きて、もう父と暮らすのは無理だ、と強く思った。父と一緒にいると、父がどんなに優しく親切にしてくれても、すごく苦しくてモヤモヤする。その正体を見たような気がした。
その日、私は父を拝み倒した。しばらく、おばあちゃんの家に住ませてください。どうかお願いします。お父さん、ごめんなさい。嫌な夢を見て、死にたくなりました。と言った。父はめちゃくちゃ動揺していたが、死にたいと言った私の勢いに押されて、別居する上に経済的援助をするという、無茶苦茶な条件を飲んでしまった。父のための家事を放り出すのに、お金を請求するのは自分でも無理筋だと思ったが、通ってしまった。あと、父は身内が生活保護になるのは困るみたいだ。
こないだジュンク堂で立ち読みしたギャンブル依存症の本が役に立った。ギャンブル依存症の夫を持つ妻は、治療のお金を夫の親に出してもらいましょう。1ぺこり300万円です。頭を下げてお金をもらいましょう。私はこれを読んで、生き残るためにプライドや気まずさを捨てよということだと思った。
とりあえず、半年分の生活費を私の口座に振り込んでもらった。汚い生き方だ。でも、死ななきゃいいんだ。
今はB型作業所だけど、父と離れたら健康になってもっと働けるかもしれない。そうしたら、いつか自分のお金で全て賄える日が来るかもしれない。そう思っている。
有川ひろの作品に出てきたヤクザ者を見て心が締め付けられる気分になった。小学生の頃の僕の作文にそのヤクザ者から想起する一節があったのを思い出したからだ。
『レンズ越しの世界はいつも他人事だ。テレビに映る世界と目の前で起きてる出来事なんて変わらない』
僕はいわゆる眼鏡小僧で、生まれつきの遠視から度の強い眼鏡をかけ続けることをずっと強いられていた。あだ名がのび太だったことすらある。馬鹿だとかアホだとか見下されることが嫌いだった僕はそのあだ名がすごく嫌いだった。
思えば、その作文は厨二病の一種だったのだろう。自分が特別であるように言動するなんてありふれた話。王家の血を引いてるとか、邪眼を移植しているとか、そういうレベルの痛々しい妄想でしかない。
でも、他方では思うのだ。心を締め付けられたのはその感覚を今でも肌で感じているからなのだと。
僕は小さい頃から自分が好きではない何かを始めるが苦手だった。レゴブロックを片付けないで叱られる。漢字の宿題をやっていなくて怒られる。水泳の習い事をサボって泣き喚く。とんだクソガキだった。
今も部屋のどこかで何かが腐ったような匂いが漂っていて、部屋の中を小さい無数の羽虫たちが我が物顔で飛んでいる。
きっと部屋の汚さは君たち常人が考える三倍どころじゃない。手元にある便利な箱で別のタブでも開いて「孤独死 老人 部屋」とでも調べるとすごく近い光景が広がっているから興味があれば調べてみてほしい。
ともかく僕の部屋は常識を絶するほど汚い。そして、僕はそんな部屋にへばりつく虫であることを許容してしまっていた。
腐臭に既に鼻は慣れ、物が置かれ過ぎて食事を作るに適さないキッチンではもう半年は食べ物を触っていない。
だから部屋に一番多いのは食べ物に関わるゴミだ。弁当の食べた空き箱や出前の使い捨て容器、パンの袋、カップ麺の器やかやくの袋。あとは酒の空き缶空瓶。目についたものを並べただけでこんな感じ。
よくもまあ、こんなに汚せるものだと自分でも感心してしまうほどだ。
閑話休題。
話は逸れたけれどつまり何が言いたいかというと、そういう汚い自分でありながら、僕は日常生活が送れているように装っている。
駅弁大学に所属する僕は三度目の三年生をむかえた。成績極めて不出来。春先からこの夏の終わりまで学校に行けてすらいないというのに、東京に住む遠距離恋愛の彼女には学校にはきちんと通えているとなんでもない顔で言っていた。滑稽な話である。
僕は嘘つきだ。嘘をつくことで生活している。嘘をついてしかまともであるように見せることができない。
何もうまくいっていない。辛い、苦しい、何もかもやめてしまいたい。死にたい。もう構わないでほしい。まともになりたい。
そんなこと言えるわけがない。
言ってしまえば自分がおかしいことが露見するし、きっと一人であることすら許されなくなる。要するに病院送りか、実家への軟禁だ。
盆も過ぎた。また新しい学期が始まる。
親にはまだ「まだ僕が三年生をやっている」のだという真実は伝わっていない。先延ばしにする方法があったから先延ばしにしてしまった。
帰省した時は嘘をついて急場を凌いだ。
こんなに嘘をついても僕には罪悪感がなかった。嘘をつくことに欠片も良心は痛まない。かろうじて嘘が露見して起きるアレコレが怖いという気持ちが生まれるくらいだ。
彼女とのデートで久々に眼鏡を、ただの伊達メガネだったけれど、かけた時に思い出した。僕にはずっと現実感がなかった。眼鏡をかけたレンズ越しの世界とスクリーン越しの世界に区別をつけられなかった。だから、眼鏡をかけることを嫌って、高校2年の冬に僕は眼鏡をかけることをやめた。目が見えなくなることなんてどうでもよかったのだ。ただ、現実感がない自分が嫌だった。現実感がないから、自分のことを自分のことのように思えないからきっと嘘を簡単につけてしまえるのだろうと思ったのだ。そんなことを思い出した。
でも、現実を見た。
僕は変わらず嘘つきで、今も親を騙し金を毟って生きる寄生虫。いわゆる社会のゴミだ。
生きている価値なんて冷静に考えて本当にあるのだろうか? 誰かに好かれるだけの何かを持っているのだろうか? 甚だ疑問で一杯だ。
親から騙し取った金で少し前に有川ひろの『キャロリング』を電子書籍で買った。この本は有川ひろが書いた作品の中で僕の読んだことのない数少ない作品だった。今見たら読み進めた場所は85%のところまで、結末までは読まずに本を閉じたことが明白だ。
残りを流し読みで適当に読み進めていくとヤクザ者は仲間と共に警察に連れて行かれていた。
救いのない話だった。物語の中では自分が一番共感した人物が幸せになるとは限らない。
僕もきっとこのヤクザ者のようにいつかどこにも行けなくなる日が来るのだろうと思った。そして、そんな日が来たときにまた僕は嘘をついて取り返しのつかないことになるのだろうと思う。
つらつらとどうでもいいことばかりを書いてきたけれど、結論なんてものはない。適当なところで適当な気分で読むのをやめてほしい。
感想も書きたくなったら書く、書きたくなかったら別に何も言わなければいい。偉そうに自分が勝手に目を通したくせにクレームをつけるタイプの人がここには沢山いるらしいことは知っている。なんであんなに傲慢に暮らせるのか、なんで傲慢に気付かないのか。正直、彼らってなんであんなに薄っぺらに生きれるんだろうね。
この文章だって氷菓子を齧りながら適当な気持ちで書いた嘘っぱちだ。今だって目線は沢山の小説が雑然と置かれた本棚を見て目を彷徨わせている。
自分の興味ある話しか乗らず、興味ない話は内容も聞かず頷くだけとかあっそとかふーんとかで済ませてたら周りから人がいなくなってた。そのくせ周りには自分の話に乗ってほしくて、乗ってこないと機嫌悪くしてた。
自分の興味あることしか話聞かないから、兄弟や友達が何か相談してきた時もはいはいって感じで頷くだけだった、聞いてんのかよ笑って言われてもあーはいはいって感じで頷くだけだった。
しかも20過ぎで厨二病が抜けずわざと白けるようなことばっかり言ってしまう。不必要なところでわざと拍手するとか、みんなが嫌がるようなところであえて喜ぶとか、そんなことばっかりしてきた。
戦争の話とか、こんな功績のある人でも当時はこういった苦労がありましたみたいな話の時にも、わざと良い話だな!うんうん!とか言ったり。別に本当にそう思ってるわけじゃなくて、わざとそういうこと言ってしまう。いわゆる空気読めないってやつだな。
高校の卒業旅行でみんなで某千葉の国に行った時、しらゆきひめの乗り物で最後岩落とされて終わるの知ってる?まあ忙しい人のためのしらゆきひめ笑なのは有名だよね。それはいいとして。
みんながこれどういう話なの?笑とか魔女しかいないじゃん笑って盛り上がってるところ、いやー傑作!最高のエンディングでした!ブラボー!って拍手したら白けた。別にまじで傑作とか思ってるわけじゃない。
そしたらメンバーの1人が、だから誘うのやめようって言ったじゃんって言った。周りのやつは気まずそうにしてた、俺は優しい奴に気を遣われて誘われただけで別にお呼びじゃなかったらしい。
そいつらとはその日以降連絡が取れない。
まあ大学でも同じようなもので、社会人になった今もそんな感じで周りに誰もいない。
会社でも先輩とか同期とか後輩とか、みんな俺が白けたこと言った後から話しかけてこなくなる。
この数年は家族すら危うい、昔は多分まだ子どもだからとか思春期だからとかで許されてたのにもう20過ぎでこんな性格だからか、兄弟は一切連絡してこなくなった。親は親だから連絡くるけど、〜なの?って聞かれてうんとか別にとかしか返さないからか、明らか兄弟と俺とで対応が違ってきた。
こういう性格どうやったら治るの?教えてくれて。
困ってんだよ、助けてくれよ、俺この先もずっとひとりなのかよ?
嫌いなやつのこと書いてるっての、そうだったらいいよな、俺は今ひとりじゃなくなる、困ってるのにどうしてそんなことが言えるんだって思うけど、俺に対してみんなそう思ってたのか。なんかネットの他人だからこう思えんのかな、リアルにいると白けること言っちゃうんだよ。
やっぱり病院とか行った方がいいのか、演技性〜とか初めて聞いた。病気じゃないと思ってる、いや、た、か。
この癖はいつついたかはわかんねえ、ただ中学生の頃は既にこれだった気がするし小学校の時はそうじゃなかった気がする。家庭でも、同時に喋るはない、どっちかといえば外野で聞いてると言うか、厨二病的な感じで。なんていうか、自分の興味あることは小馬鹿にしないけど、例えば俺は知らないけど兄は知ってる趣味(まあ言ってしまえばサッカー)とかは小馬鹿にしてしまう。そんで白ける。兄がこの前の試合さーとか家族でいる時に話しててさ、母とかはそうなんだねーとか、知らなかったらそれはこうなの?とか言うじゃん、俺はあっそとかあえて口に出して言ったり、興味ないから無視とか、なんかずっと家でも食事中でも家族で集まっててもずっとYouTubeとかニコニコとかイヤホンで聞いてる。さすがに仕事中はしないけど。
色々声かけてくれたみんなありがとう。個別で返信できなかった人もありがとう、読んでます。
俺も俺の心の動きがわかんないんだよ、ただそういう場面になったらムズムズするというか当たり前みたいにパーンって、スーッて嫌な言葉も白けさせる言葉も態度も出てくる。
でも俺心配されたり励まされたり、本当にされるべきじゃないんだ。これまでみんなの気分悪くさせてきて、わかっててやってきたからな。
具体的なことを箇条書きにして、改行もするなと。
もう昔の話だし、増田だったら、書いても良いよね?
また、大した話じゃないし。フィクションだと思って、読んで貰えば。
誰とは言わないが、彼から聞いた話を書くわ。
ガサ入れきてもよゆーっすw
・とりあえず、令状見せてもらえます?
・ニンテイ(任意提出)は一切応じません
・事情聴取は完黙
危ない奴、↑ 印刷して部屋に貼っとけよ。
苦汁を飲んだんだよ。
奴は論破に長けているだけじゃないんだよ。
Twitter?警察が、あんなでかい企業を相手にできるわけがない。
そこそこ天下り受け入れて、投稿者の情報を開示したり、適度に有害情報をバンしてくれれば、刺さないから。
仲良くやろうや。ああいうところには、下民にはわからない会話が成り立つんだよ。
一度もTwitter Japanが警察沙汰になってないだろ?
Twitterなんか、出会い系や無修正画像サイトに成り下がってるじゃねえか。マジで見やすいしお世話になってるわ。
世の中を常に疑え。
邪魔したな。あばよ。
ネットでは安楽死希望って何故か厨二病とか若気の至りみたいに言われてるけど
実際には年を取ってからの方が安楽死の需要って高まるよなあって思う
自分も何だかんだで30代までは自虐しながらもそれなりに健康だったけれど40過ぎてからはマジで辛い
35過ぎたらとか言ってた頃はまだ全然甘かったわ
見た目の話じゃなくて普通に生きてるだけで地獄なレベルで身体的にきつい
この年齢でこれなら50、60とどんどん年を重ねていったらどうなるんだろうと思うと本気で怖くて絶望しかない
映画の『PLAN75』では主人公の高齢女性が随分と身体的には元気そうだったけれど
あれって裕福で健康にお金を十分使える女優さんの体力を浅はかにも反映してしまったのであって一般的な日本の高齢者像からは掛け離れているのでは…?と思った
つまり年を取れば取る程身体的に辛くて今すぐにでも死にたいって人が増えると思うんだよね…
勿論体力の衰え具合は人にもよるだろうし、努力して健康を取り戻したって人もいるだろうけれど
でも概ね年を取れば取るほど辛くなる傾向があるのは事実だと思う
ネットの痛いやつが好きだ。
例で挙げるなら、
○短足顔浮腫みまくりオタク女「裏社会の人みたいっていわれるけど怖くないよ笑」
→スーツに眼鏡(チェーン付き)で赤ヒール、タバコアピール強め
○指毛生やした和服女「ちょwwすれ違った小学生に極道の女っていわれたんだがww」
→ネットによくいる個性的着こなしなんちゃって和服と和傘。大体アイラインがっつり赤リップ
みたいな自己肯定感が謎に高く、芋さが抜けきれてないくせに褒められると言葉の通り、いやそれ以上に誇大して受け取り、イキリ散らかしている痛い奴らが大好きだ。
大体ブランドもってるアピール、おしゃれ自慢、美人・俺つえー自慢があり、性に奔放アピールもあるとクソ面白い。
私はそれをみて「よくもそんなことを汚い鏡で撮った自撮りを載せてつぶやけるな」と思いニヤニヤしている性格が終わった女である。
そんな性格の終わっている私だが、長年の付き合いである美人の友達がいる。
おそらくその友達との付き合いのせいで歪んでしまった可能性があると最近気付いた。
美人は10年以上の付き合いで、彼女がオタクになり腐女子になり厨二病を発症するまえからの友達である。
駅で待ち合わせしているとボンゴレリングを首から下げてくるなど独特のファッションセンスをしていた。
肌は白く、髪はサラサラでぱっちり二重の美人だが、オタク文化に触れたばっかりに、言動にイタイタしいものが見え始めた。
目を合わせて喋ることができないのに早口、謎の決めポーズ、相手が知らないアニメネタなどのほか、教室で騒ぐヤンキーにたいしてカッターをカチカチして見せてニヤニヤする奇行もあった。
おそらくだが、「自分の考えるおもしろいアニメのような会話のながれ」のようなものがあり、いまいちそれが人と合致していなかったように思う。
そして高校からの彼女の痛々しさは方向性を変え、アピールする彼女のイメージは「ヤンキーチンピラ裏社会ヤクザみたいだけどほんとは真面目のイイ子」になった。(例:座ろうとするとヤンキー座りにクセでなるんだよねwみんなにガラが悪いって怒られちゃったw)
中高までの間、10歳からアイプチしていた私は二重整形をしてメイクの腕がメキメキと上がり、おしゃれを勉強した。美人はメイクをしなくても美人だったし、メイクやおしゃれにも興味が持てないようだった。大学に上がるまで、美人は親がジャスコで買っていた服を適当に着ていた。
美人にメイクやおしゃれに興味を持つべきかと何度もしつこく聞かれたが、私は嘘をつかず答えた。
「私はブスな自分が嫌だから変えたくてやっている。大人になればある程度気を遣わないといけないことだろうけれど、まだ気が向かないなら無理してやる必要はないんじゃない?美人なんだしもったいないとは思うけどね」
美人は大学にあがったころメイクをして服にも少し気を使うようになった。
彼女は通学中お年寄りに親切にしただけで上場企業の日系アメリカ人にナンパされホテルのディナーに招待され、大学の図書館で昼寝すれば「ずっとみてました!すきです!」と知らない男子に声を変えられ、オープンキャンパスにでると連絡先を交換してくれと10人ほどに囲まれたそうだ。
美人は今までもあった自分を見た目で判断されることに対しての嫌悪感がより一層強くなり、私に相談するようになった。
私はブスなのと家庭環境の複雑さで10年以上男にも女にもいじめられてきた。美人はイタイタしいけれども長年の友であるし、彼女の優しさや真面目さはよく知っている。
正直相談されたときは嫉妬もあったし苦しかったが確かに可哀想だと思い、彼女に寄り添った。彼女の話を真剣に聞いた。
「ブスだからって虐められてノーグローブノー防具でピッチングの的になるより、美人の方が得じゃん」とは言わなかった。
けれど彼女がわざとらしく「足開いて座っちゃうんだよね」だとか
「職場で舌打ちしたらみんな驚いてたwそんなことする子じゃないって思ってたらしいw」とか
「イライラするとすぐタバコ吸っちゃうわ〜」と紅茶味のタバコを吸い出すと
彼女の内面イメージにはまだイタい所があるのだとわかると何故か安心してしまう。
でも私は昔から彼女に「そういうことしないほうがいいよ」と言ってきたのに、最近はもう言わなくなっている。
ネットの香ばしい人たちを見ると彼女をみたときのような気持ちになる。
彼女よりも容姿が劣り、彼女よりも容姿に自信があり、彼女並みに自意識が高い。