はてなキーワード: 原子力発電とは
この文章の目的は「右と左のギャップを埋める」こと。考え方と、コミュニケーションのとり方と、支持率も少し。
僕は「とりあえず自民党を支持している」成人。
ロシアや中国からのちょっかいをうけてスクランブル発進しまくりという身内の情報から、身近な平和のために「軍を保持すべき」で「憲法改正も第9条第2項含めて支持」と考える。北朝鮮などの国家への抑止力として「核武装すべき」。でも日本は地震多くて核施設の保有そのものがリスクだから、もっと環境に影響の小さい抑止力があったらそっちがいいとも思ってる。同じ理由で原子力発電も別手段に代替していくのが日本にとっては理想だと思う。
現時点で上記の僕のスタンスに一番近くて政治経験がありそうなのが自民党だから支持している。もっといい支持先があったら教えて。
野党、主に民進党を支持しないのは上記スタンスの前に、民主党時代の強烈な韓国押しに恐怖を感じたから。産経新聞以外のほとんどのマスコミが反日の民主党を褒めちぎりながら韓国をプッシュしているように見えた。
その不信感から当時は民主党と韓国そのものが心底嫌いだったけど、冷静に考えたら韓国のことは僕自身韓国人との接点が無いのでよくわからん。いま韓国という国に日本と争う余裕と必要がなさそうだし、若者はまだ思考も柔軟なんじゃないか。なのでもはや「韓国が特別嫌いなわけではない」。好きでもないけどね。
一方民主党時代の不安の記憶はいまだに消えない。「日本にいながら反日だったり韓国・中国に媚びる勢は嫌い」。舛添は豪遊なんてどうでもよかったけど降ろされて嬉しかった。民進党も、ただ与党と反目するだけじゃなく日本のために政治してるっていうイメージに変わらない限り投票先にならないと思う。今一番気持ち悪いのは沖縄翁長知事周辺。
どんなに権力を牛耳って自分の都合の良いほうに進めようとしても、なんだかんだ一応日本という国のために政治しているように見えるから。経済的な政策も成功してるかはわからんけどやることやってるように見えるから。
僕は特別熱心に愛国心を抱いている人ではない。ただフツーにそこそこ住みよい日本という長年住んだ土地に愛着がある程度。それでも、なんかよその国が日本をいいように操ろうとしていると想像すると怖い。ちょっと前の執拗な韓流押しが怖かったし、今はやっぱり中国、じつはアメリカもちょっと怖い。もっと自立して、どこに対しても対等な関係を築けたらいい。
その意味で日本以外を優先するイメージのある政党は怖いし、軍は必要だと思う。戦争をはじめとする命のやり取りは少ないほどいい。そのために日本にも軍隊が必要だと思ってる。
でも教育勅語とか大日本帝国に回帰する必要はぜんぜんないし、むしろ違和感しかない。与党にはそこを一緒くたにしないでほしい。
政治議論したことはリアルでもネットでもないけど、たぶんそう。
だって論破されてることはわかっても気持ちとイメージは納得しないから。これは何でもそうだよね。
自分の意見を主張するのはどんな場合もある程度の勇気が要る。その勇気出した先で小難しい言葉と過去の事例を持ち出して論破されても一切納得する気にはならないだろうし、むしろ反感が募るだけ。
だから自民党のマズさや与党支持者の意見の破綻を理論立てて指摘するより、自民党にはマネ出来ないような理想を示してくれたほうが断然読む気になる。どうすれば実現できるかも含めてね。
そこに「具体性とわかりやすさと身内感」があるほど僕は揺らぐ。ぜひ参考にしていただきたい。
この言葉は曖昧なのに侮蔑的な文脈で使われているから、見かけると「ネット好きでわりと日本好きな自分」も含めてバカにされている気がしてくる。そんな意見を見かけるほど「野党と隔たり」を感じる。
便利な言葉なのかもしれないけど、それは意味がフワッとしていて相手を一方的に見下せるからじゃないの?そうやって人にレッテルを貼って区別することがあなたの理想なの?
これに限らず過激で曖昧なレッテルって簡単に争いを生む危険がある。言葉は大事に使っていきたいね。
頭悪いなって思ったかもしれないけど、これが僕から見えてるイメージ。俺はイメージで投票先を決めている。
でもここで大事なのは、よくわかんないからイメージで投票先を決めたり大多数に従う、という人も結構いるんじゃないかということ。
月面基地はその大部分が地下に埋まっており、また、外気圧との関係で完全、密封されている。
気温変化に乏しいことと低重力も関係して、空気は滞留を起こす。
これが実はかなりの問題で、湿気なども一箇所にとどまり続けてカビや細菌なんかの増殖を招いたりして健康に悪い。
と言うわけで月面基地には大気循環システムという物が設置されている。
簡単にいえばA地点で空気を回収し、紫外線消毒などを行った後にB地点で再度放出する。
トイレや家畜飼育場などの近くで負圧を掛け、それ以外の生活エリアから風が流れ込む。
設計段階ではこれで空気の流れは十分と言う判断だったのであるが、実験に伴う密室の建設や、病室の設置、プライベートエリアを仕切るカーテンなどによって風は弱まり、空気の滞留が問題になってしまった。
まあ、トイレなどの吸入口に近い箇所においては必要な負圧が発生しているのであるが、それでも密閉空間での病気の発生は最も忌避するところではある。
問題に際して基地の首脳部が知恵を出し合ったが、拡張性に限界がある地底基地でどうにか場当たり的な回答としてひねり出されたのが扇風機である。
各部屋は規模に応じるが、最低2箇所。廊下においては実に4メートルに一箇所という高密度で配置されたそれは、ぶんぶんプロペラをうならせながら今日も風を送り続けている。
実は、扇風機が設置された背景には衛生だけではなく、過剰電力の問題も控えていた。
にもかかわらず、発電源は短期的な電力量調整が困難な原子力発電であるのだ。
精錬などの電力を大量に使用する場合、それに加えて基地の運営電力を確保しなければならないが、裏を返せば精錬を行わない場合はその分の電力が過剰になってしまう。
当初は、過剰電力で湯を沸かしたり、氷を作ったり、電灯を明るくしたりしていたのだけど、どうにも追いつかず、あわや火災寸前までいったこともあった。
それが大量の扇風機の設置で無駄な電力の消費をコントロールできる様になったのだ。
重大な問題が一つ。
この扇風機群が設置されて以降、精神的不調を訴える者が急増した。
原因は、おそらくプロペラの音。
あるいはその造形。
最長で1㎞に近い直線の廊下に無数の扇風機が並んでいる様は精神的にこたえる。
ただでさえ、不調者の多い月面基地において、今や精神医の存在は貴重であるが、その精神医まで過労で消耗しつつある。
(月面基地医務局の医務担当者が記した私日記より。彼の働きかけにより、月面には簡易体育館が設営され、過剰電力は体育館の空調に消費されるようになった)
本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品・事件との比較から本作のテーマを考える。
http://anond.hatelabo.jp/20160731121447
『シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日』から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である。
しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚・政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚・政治家が一丸となって事態に対処するという姿勢は見られず、最終的な解決は天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。
他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家・官僚が現れたりはするものの、官僚・政治家・科学者(+ドイツ・中国・米軍)が”一丸となって”ゴジラの問題に対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブなメッセージがある。
『シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァ/ヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァ/ヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国が一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。
『エヴァ/ヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命であると自覚していくのだ。
しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。
そこで描かれるのは「みんなで協力して事態に対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティックな結論である。
他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブな結論になっている。
『シン・ゴジラ』においては初代ゴジラをリスペクトすることが明言され、ゴジラのデザインやストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。
『ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器の思想である。ゴジラは水爆実験の影響で出現し、東京でゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。
他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題がテーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。
しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。
まず、①原子力で動くゴジラの破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラのエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全でクリーンなエネルギーを調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類に福音をもたらすもの」とも言われる。
しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。
ここには、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。
以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。
◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎の写真に岡本喜八監督の写真を採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。
これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算やオールドファンの批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。
◇ラスト、血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発にコンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。
◇ラスト、ゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。
(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。
(2) 危機に対応するのが現実主義的な集団(ゴジラ討滅のために核の使用も辞さない人類・エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレ)である。
すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点を孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団(日本政府)に置くか、の違い。
妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。
国民の生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本に報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。
その結果、①多数の東京都民が疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。
現在、月面基地は原子力発電で使用電力を賄っているわけだが、実のところこれがものすごく効率が悪い。
毎日毎日、何便も行き来する往復機の貴重な貨物エリアの一部を、この原子力発電に必要な資材が占めていることを考えれば、いかにももったいない。
月面基地の建設開始前は太陽光発電が考えられていたものの、いざ建築が始まれば大量の物資、人材、生活必需品を運び込む過程で往復機が頻繁に離着陸を繰り返したため、巻き上げられた大量の塵が太陽光を遮ってしまったのだ。
残念なことに、大きく舞い上げられた塵は静まる前に次の往復機を迎え、なかなか地面に戻れず、徐々に空中土量は増大していった。
と、まあ日光の遮光だけでもやっかいなこの塵なのだが、更にやっかいなのは太陽光パネルの上に堆積する事だ。
月面に風はなく、雨も降らない。火山灰の様に土砂が堆積した太陽光パネルは清掃するまで機能を果たさないが、この土砂除去をやるのは人力なのだ。
水は貴重なので洗い流す訳にはいかず、これも貴重だが、空気で吹き飛ばせばまた舞い上がって落ちてくる。
結局、刷毛で大まかな土砂を除去した後、掃除用の粘着ローラーで一枚ずつ掃除して行かなくてはいけないのだが、パネルの数は数万枚単位で、更に電力不足からまだまだ増設の必要があった。
これだけで貴重な人手を使い切る訳にもいかないので、太陽光発電はあえなく放棄されたわけだ。
ただし、急遽設置された(とはいえ、検証の上、数年がかりではあるが)原子力発電もかなり効率が悪く、かなりの資源を発電施設に投入せざるをえない状況である。
原子力発電を回すために往復機は更に増便せざるをえず、舞い上げられる塵は一層増大する。
しかし、実のところ、この塵も決して不利益ばかりをもたらすわけではない。
確かに、太陽光発電は妨げられる。その上、通信も妨害するし、往復機も傷だらけにして著しく寿命を縮めるが、それでも、人間が月面で常時活動可能になるメリットは大きい。
高熱に対してよりも極寒に対する準備の方がしやすい。
今までは直射日光が地面にあたる数日間はモグラのように基地に籠もっていることを強いられたが、現在では、かなり活動可能な期間が増えた。
今後の検討課題としては、現在の日陰を享受し続けるか、やはり日光を奪い返すかで協議が必要であろうが、我が研究室としては、課題の一環として月面の大部分に粘性のあるスライムを敷き詰める技術の開発に着手する予定である。
現時点では社名を伏せるが、太陽光パネル製作の大手と、有名オモチャ会社より研究支援の確約をえており、新技術は今後の宇宙開発において革新的な手法となると考えられることから、宇宙開拓史に名前を刻む勢いで頑張って欲しい。
(月面基地に駐在する研究者から、地上の助手達に宛てたメールより。なお、彼は日本の古いポップソングを愛好し、いつも口ずさんでいた)
最近のカルピスには人工甘味料、主にアスパルテームとスクラロース、アセスルファムカリウムを含んだ物が多い。
そして、つい最近にはカルピスソーダにまでブドウ糖果糖の他に人工甘味料が添加されてしまった。
昔は脱脂粉乳のカルピスウォーターと対になるソーダとして重宝したものだったが、
安く簡単に手に入る人工甘味料に手を出すという事は、これまで愛されてきたカルピスの味を捨てるも同じ事である。
また、近年には天然甘味料ステビアの様な健康に良い事が判明したキシリトール系の甘味料も発見されてきたのに対し
株式会社カルピスは未だ発がん性物質を大量に含み、糖尿病を促進し、(汚い話だが)精液分泌量を多分に減らす人工甘味料を
第一線級として添加している事は、まこと愚の骨頂としかいいようがない。
早々に辞めるべきである。
あと、現在レアシュガーこと希少糖が安価かつ簡単に入手し易くなった事が先月ほど話題になったが、カルピス社は何故これを使わないのだろうか。
人工甘味料を使い続けるという事は、これまで安全神話が囁かれ安価で簡単に発電が可能と嘯いたものの
後にそれが全て虚構だと判明して信用が地に落ちた原子力発電を再稼働する事と何ら変わらない。
人工甘味料もまた、安易に手に入るという事から重宝しているのだろうが、健康ブームに乗りかかったものの次々と明らかになる人工甘味料の不都合な真実に、
内燃機関は、歴史とともに用途が変化してきたのはよく知られるところである。
言い換えれば、ある用途に使われる内燃機関は、歴史とともに変化してきたとも言える。
最も顕著な例は飛行機だろうか。
ガソリンレシプロエンジンからガスタービンエンジン(ジェットエンジン)に変わったというのは、とんでもなく革命的なことだった。
一方、個人的に最も解せない変化は、大型船舶用エンジンの主流が蒸気タービンからディーゼルに変わったことである。
正直メリットが全く感じられないというか、むしろデメリットしかなくね?という感じなのだ。
だって原子力発電でもない限り、蒸気タービンはディーゼルほどの工作精度は要求されないので信頼性は全然上だろうし、導入コストもディーゼルより安価だろうし、燃料も蒸気タービンのほうがより安価なものが使えて低コスト、ディーゼルのような不快な振動は蒸気タービンにないし、馬力だって戦艦大和のデカくて重い船体をあれだけ高速に動かした史実からして申し分ない(一方、ディーゼルを導入した艦は全て機関トラブルを起こしたわけだし)。
ジェットがガソリンのレシプロより「絶対的に高速を出せる上に、出力あたりの換算ではより軽量コンパクトに作れる」という圧倒的アドバンテージに比べると、全然インパクトが感じられない。
炎が出ないのにお湯が沸く?
おねえさんどうしたの?
この水車に水を流すと…
うわぁ。電球が明るくなったぁ!
これが水力発電よね。水の落ちる力を水車と発電機で電気に変える。
そうだね。沸騰しているやかんの口のから出る湯気に水車を近づけても電球がつくよ。
ちょっとやってみるわね。
うわぁ。点いた点いた。
これが火力発電の原理なんだ。石炭や石油やガスを燃やして、お湯を沸かして水車を回す。
水でも火でもないものから電気ができるなんて、おねえさん、よくわからないわ。
いいわよ!
じゃいくよ!
ここは?
紀元前2000年ころのインダス文明の古代都市モヘンジョダロだよ。
どーん。
キャー、すごい光と爆発だ。
どうしたの?
これは、ラーマーヤナという古代インドの書物に書かれていた大気圏内核爆発の瞬間だよ。
ラーマーヤナの雷(いかずち)ともいわれているよ。
今、近づくのは危険だから4000年後のモヘンジョダロにいってみよう。
たいへんだ。たいへんだ。
あの人はだれ?
石がガラスに?!
ちょっと解説しよう。石や岩はとても高い温度になるとガラスのように溶け出すんだ。
でも、石が溶けるには、1000度から1500度の高温になる必要があるんだ。
現代でもこの温度を作り出すには、たくさんの燃料を燃やさなくてはならないのに古代にそんな大きなエネルギーを発生させる技術があったとは考えにくいことなんだ。
そうそう。その疑問を解決する答えは、核です。
モヘンジョダロは核で攻撃を受けたのです。核を使えば、一瞬にして高温を発生させることができる。
石をも融かしてしまうことができるのです。
へー。核の持つエネルギーってすごいのね。
そうなんだ。原子が分裂するときに発生するエネルギーは、とても大きく普通に火が燃えるときと比べて莫大なエネルギーを発生させることができるんだ。モヘンジョダロが核攻撃を受けたことは仮説のひとつなんだけどね。
へー、原子の持つ力ってすごいのね。でも、原子ってどーんと爆発したりして怖いわ。
黒い鉱石の中から新しい元素を見つけたぞ!最近見つかった新しい惑星の天王星(Uranus)にちなんでウランと名づけよう!
そうなんだ。このころは新しい元素を見つけるのが流行っていたんだ。
次行ってみよう。
ここは?
1896年のフランスだよ。あの人は、物理学者のベクレルさんだよ。
これはすごいウランには他からエネルギーを与えられなくても放射線を発生する能力(放射能)があるぞ!大発見だ!
あの女の人はだれ?
ウラン鉱石を手作業で砕いて、不純物を取り除いているところなんだ。
ウランを手で触ったりして危なくないの?
このころは、放射能についてよくわからなかったから、最先端の研究者といえど何の防備もなしに放射性物質を扱っていたんだ。今では考えられないことだね。
1903年にベクレルさんとキュリー夫妻は、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞したんだ。
この世紀の大発見により、光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質として一気に研究が進んでいくだ。
ベクレルさんもキュリー婦人も、そのあとによくわからない原因の病気で亡くなってしまっているんだ。
扱い方を誤ると放射性物質は怖いのね。
ここはどこ?
ここはスウェーデン。あの人は、物理学者のシーベルトさんだよ。
放射線は人体に危険なのです。核エネルギーを人類の平和のために使うには放射線の危険性をきちんと理解しないといけません。
シーベルトさんは、放射線が人体に与える影響についての研究で有名なんだ。
研究が進んでいくと役に立つところと危ないところが徐々にわかってきたのね。
どーん。
キャー。また爆弾?
放射性物質は核分裂を起こすと莫大なエネルギーを生み出す。この力を戦争に使おうとする研究がさかんになっていったんだ。
やっぱり、原子力って怖いじゃない。
そうなんだ。太平洋戦争のときに使われたのは、この技術を応用した核爆弾だったんだ。アメリカは、核の力で日本の長崎と広島を一瞬にして消し去ってしまったんだ。
ここは?
あの人はだれ?
あっちの人は、だれ?
あの人は、アインシュタインさんだよ。
えー、あのアインシュタインさん!
でも、ぼくはとんでもないことをしてしまった。
こんな僕だけど、許してください。
ぜんぜん、役に立つ原子力じゃないじゃない。アインシュタインさんでさえ後悔しているわ。
それじゃあ、原子力発電の元になる原子炉をはじめて作った人のところにいってみよう。
一気に爆発せずに核分裂反応を一定にすることに成功したぞ!やったーやったー!
フェルミさんたちは、黒鉛のブロックを積み上げた中にウランを入れ、核分裂連鎖反応を起こすことに成功したんだ。カドミウムから作られた制御棒を使って、出力が一定になるように調整できるようにしたんだ。熱をコントロールできるだけで、電気はできなかったんだ。
でも、すごいじゃない!フェルミさん。
そして、ここは、1953年12月8日、ニューヨークの国連本部だよ。
あの人はだれ?
歴史の何ページかには、確かに『偉大な破壊者』の顔が時おり記録されてはいる。ただし、歴史書全体を見れば、そこには人類の果てしない平和の希求と、人類が神から与えられた創造の能力が示されている。
アメリカは、冷戦下、ソ連との軍拡競争の中で、核ミサイルを中心とした軍事向けの原子力と生活に役立つ発電に使う平和利用の原子力の2本立ての核開発を行っていったんだ。
その方針の下、同盟国の暮らしを豊かにするために原子力の技術を使った発電を広めていったんだ。
そのあと、1956年にイギリスで、1958年にはアメリカで実用化されたんだ。
日本では、1966年に茨城県の東海村で日本初の原子力発電所がスタートしたんだ。
戦争で原爆を落とされた日本国内では、原子力に対して強いアレルギーがあったんだ。
反対運動もすごかった。
原子力は、石油・石炭、電気に続く「第3の火」として平和で豊かな生活に役立つものとして宣伝されたんだ。
新聞では「ついに太陽をとらえた」という原子力の平和利用をアピールする記事も掲載され徐々に原子力への期待が高まっていったんだ。
それが今の日本の発展につながっているんだね。
ちょっと待って、原子力が電気に変わる秘密を教えてもらっていないわ。
おねえさん、ごめんごめん。
原子力発電所では、ウランの核分裂で発生した熱を利用して、お湯を沸かしてタービンと呼ばれる水車のおばけを回しているんだ。
あれれー。やっぱり水車が回って、発電機を回してエネルギーを電気に変えるのね。
でも、原子力のすごいところは、1グラムのウランから、石炭3t、石油2000リットル分の熱を取り出すことができるんだ。
これはとてもすごいことなんだけど、実際は取り出したエネルギーの3割が電気に変わって、残りの7割は廃熱として海に捨てているんだ。ちょっともったいないね。
ただいまっと!
なーんだ。核融合とかプラズマとかすごいことしているのかと思ったら、原子力もお湯を沸かして発電していたのね。ちょっとがっかりしちゃったなぁ。
この夜景は原子力の賜物なのね。やっぱり原子力ってすごいのね。おねえさん、ロマンチックな夜景を見て、原子力を見直しちゃった。
洋上風力発電について問題点を指摘したら、何か脱原発原理主義者が現れてIDコールされて上で「お前の言ってることは非論理的!たった一回の事故で日本中の全発電所が何年も停止してしまう原発の不安定さに比べたら、自然エネルギーの方が遥かに安定的!こんな無茶苦茶な停電は起こり得ない!」と怒られてしまったんだが、冷静に考えてみるといくつか疑問点が出てくる。
1.そもそも原子力発電の話をしていないし、原子力発電に問題がないとも言ってない。
2.原子力発電に問題があるのはいいとして、日本における洋上風力発電に問題があることに変わりはなく、何を根拠に「遥かに安定的」としてるのかわからない。
3.福島以外の原子力発電所が止まってる理由は、事故による物理的な問題ではない。その証拠に現在大飯原発は稼働している。
あと「こんな無茶苦茶な停電は起こり得ない」ってのもよく理解できない。再生エネルギーだけでベース電源を構成したら停電が一切起きないとでも思ってるんだろうか。自然環境に左右されやすい風力発電が様々な問題を抱えていることはちょっと調べればわかるだろう。で、原子力発電に問題があるのはわかるし同意するが、だからと言って自然エネルギーの問題を直視せず、「遥かに安定的」だとか「停電は起こりえない」とか言う方がよほど非論理的だと思うんだが。
http://agora-web.jp/archives/1585051.html
そもそも放射性廃棄物を○○万年安全に保管できた人などいないのです。
したがって、"死者の期待値は"計算不能、と言うのが正しいはずで、
"年間0.2人"などと断定はできないはずです。
そもそも原子力発電を考えてた時代(戦後まもなく)は、放射性廃棄物の放射能を
安全にゼロにする技術がそのうち見つかるだろう、ということで、原子力発電を始めたんだけど、
その後いろいろ研究してみてもその方法は見つからず、結局地層処分とかいう
穴掘って埋める(あるいは”くさいものにふたをする”)ことになってしまった訳で。
"ブックマークの一覧は非表示に設定されて"いるから、ムカッときて
ここに書いてみた。