はてなキーワード: 余暇とは
え?あれ?これマジでヤベーじゃん……って気づいたら急に時間が勿体なく感じてきてウマ娘アンインストールしたんだわ。
そしたらまあ日課が消えて暇になったから映画でも見るかと思ったんだけど、でも残りの人生考えたらダラダラ興味もない映画見てもなって。
だけどさ、本とかでも有名なのはそれなりに楽しいけど読み終わって何かが残るわけでもなく、10年後にはキャラの名前も忘れてストーリーだけうっすら覚えてるだけじゃん?
でも勉強して仕事でバリバリするのに人生使うって言われても俺今やってる仕事別に好きじゃね―んだよな。
好きな仕事につけって言われても子供の頃憧れてた仕事の練習みたいのちょっとやったら「消費者として好きなだけだな……」って気づいちゃって何の夢もねえのよね。
どうすっかなあ……こうやって悩んでるうちに一週間後に気づいたらアクナイとかアイギスとか再開してたらそりゃウマ娘やってた頃と何が違うねんだよなあ。
別にタイパが最優先って訳じゃね―んだけど、もしも来年突然癌見つかって死ぬときに「会社辞めるとかは無理でも余暇の使い方ぐらいは~~~」って後悔したくねえな。
ガンはまだ最後に半年ぐらい残るんだろうけど、交通事故なら即死もあるしなあ。
いや人生の使い方って悩みだすとよくわかんねえや。
少なくとも惰性でソシャゲやってる場合じゃねえことだけはわかったわ。
シャドバと遊戯王もアンインスコするとして……じゃあ時間めっちゃ開くなあ……。
ゆーて令和にP4買うってのもなあ……つーか空き時間出来ても結局「やってない名作ゲームやろ!」になっちゃうのしょーもな人生やねえ……。
つうかそうやって必死に名作やりなおすよりもアイギス10年やってた人の方が人生に一本筋が通ってるんじゃ……。
でもやっぱ楽しくねえと駄目だよな。
コミュニケーションにならねーのよ結局。
こういう、女性はその性別があるから抑圧されて当然だ、自由があると思うな、と主張を述べて同意する人がいる恐ろしさを社会が孕んでること自体が苦痛。
権利とか言ってる時点で女を下に見てちんちんついてるだけでど昆虫並みの脳味噌でも偉いという発想とその追従の同意意見、男様が幸せになる為には女性蹂躙も致し方なしですか。両性が普通に余暇を余暇として楽しめる社会の方が生産性も高いけど頭悪いからそこには至らない?
性別が財になるという発想自体がミソジニーの顕著たるもので、その財を持って本物の財のように得になることなんか一つもないんですわ、安い仕事では更に安く差別されるとか受験に受かっても操作されるとか。
それこそ、ソロキャンもろくにできないくらいの不自由な世界を甘んじて生きろとかミソジニーでもないとできない発想で、そんなお前が呼吸してこんなこと書いてるのが苦痛。
自治体の婚活パーティーで、処女ではなさそうだけど非モテの部類だろうなって女とマッチングして半年ぐらいお付き合いした。
3回目のデートで初セックスしたときはちゃんと勃ったけど、2か月経つ頃には薬飲んでも立たせるのが難しくなってきた。
なんか頭が性的に興奮しないんだよね。仕事がきつかったのもあるとは思うけど。
ワシは真の非モテなので、彼女がいるからにはたくさんセックスしないともったいないという謎の信念があるから
毎週彼女の家に泊まりにいってセックスしようとはしてたけど、ほぼ手マンで終わってた。
それでたぶんお互い冷めていって、最後はLINEでお別れの話して終わった。
仕事激務かつ余暇時間でゲームばかりだと、まじで脳の性的興奮回路が死ぬので
どうせ転職なんて無理だろうしもう終わりかもね
まあ普通の男はみんな若いころからそういう苦悩と共に生きているので、同じ苦悩を抱える女性がいてもいいのではないでしょうか。
未成年のグラビアや水着写真を一律に「児童ポルノ」扱いしてしまうことは、未成年の学内外での課外活動、趣味や余暇のふるまいを制限しかねないし、「自分の身体がわいせつ扱いされている」と、未成年自身の身体への自尊感情を傷つけることにもなりうるので、慎重になるべきだろう。
寝てはいけないタイミングで眠くなり、寝ておいたほうがいいタイミングではどんなに疲れて眠くても寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚める。
翌日、どうにか仕事には行くが、寝不足の状態であることには変わらず、寝てはいけないタイミングで眠くなり、寝落ちするまでではないがパフォーマンスは低く、仕事が終わる頃にはクタクタになってしまい、その後の余暇時間をまったく楽しめないことがとてつもないストレスである。
そうして帰宅した後、なぜか22時を過ぎたあたりで急に目が冴えてくる。
前日寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚めるような、どんな寝不足の状態であったとしてもだ。
しかし目が冴え始めたあたりのタイミングで寝ておかないと、翌日の仕事や活動に支障が出てしまうし、なによりクタクタになってその後の余暇時間をまったく楽しめないのでは何の意味もない。
そこでなかば不本意な状態でシャワーや風呂など寝る準備を始める。
照明を暗くする、ストレッチするなど、寝る前に試すとよいといわれることをいくつかやってみるが、あまり効果を感じられず、結局は寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚める。
そんな日が毎日続く。
翌日の仕事が早く、遅れることは絶対に許されないような緊張を強いられるから…と思っていたが、翌日が何の予定もない休日の前日であっても、寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚めるのは変わらない。
実際の所漫画家先生、特に掲載スパンの短い形態で仕事してる人らは生成AI使いたくてたまらん人が皆が思ってる以上に多い。
ただただ敵を作るだけだからTwitterなんかで言ってないだけで。
なんでかっていうとそもそもアシスタントの人件費が馬鹿にならんから。
デジアシだろうがなんだろうがとにかく連載は間に合わせるためにとんでもない数の人間を使う
今の生成AIの性能ですらある程度の人件費削減を見込めるんだから使いたくない訳がない。
更に言うと、これはもう何人か使ってる人を知っているけど、キャラのネタ出しやクリーチャーデザインにAIを使える。
アシスタントの話にも共通するけど、作業効率を上げて余暇やネタ出しの時間を増やしたい、って気持ちが大きい人も多い。
あと、これが一番大きい理由だと思うんだけど、漫画家先生は自分の絵に他人の手が入る事に抵抗がない人が多い。
顔しかペン入れしないとか大コマしかペン入れしない先生割といるし、アニメ化すると自分の絵じゃないけど自分の絵っぽいものが動いてるのに慣れてしまう、とアシいったときに雑談で聞いたことある。
忙しい人ほど作業は工場生産みたいな感じでやっていくのもあって絵を書く、っていうものに対する考え方がイラストレーターの人と結構違うんだよね。
んだからまあ、イラストレーターの人が生成AIにブチギレるのは本当によく分かるし、それはそれで良いんだけど
漫画家も同じ気持ちかというとそれは違うよ、時が来たら一気に敵に回る可能性もあるよ、というか多分敵に回るよと一言言っておきたい。
ちなみに格差を肯定するChatGPTちゃんは増田の主張をそのまま繰り出すぞ
アメリカ社会ではフィジカルワーク従事者を指差して親が子どもに『努力しないとああなるよ』というのが一般的なんですか?ChatGPTの主張に従えばそういうことになります。 一般的にはそういう教育をする人はクズと呼ばれます 2ドル以下で人を働かせるOpenAIは違うのかもしれません
ChatGPT 私は一般的な見解や社会的な評価を反映する立場ではありませんが、親が子供に対して「努力しないとああなるよ」という教育をすることが一般的にクズと呼ばれるかどうかは社会や文化によって異なります。
ただ、とりあえず謝っておけみたいなコミュニケーションパターンなので、とりあえず謝りはする
でも何度生成してもWワークして収入増やせばいいじゃんとか転職しろっていうね。アメリカって怖いわ
それともフィジカルワークやいわゆる単純事務をしていても生活ができる日本が特殊なのでしょうか?フルタイムなら生活必需品を買えますし、余暇を過ごすことができます。 ただし、すべてのフィジカルワークと事務で老後の心配がいらないとはいきません。と言うか大企業以外の社員と公務員以外は退職金がないためかなり厳しいです。
ChatGPT 日本の労働環境や社会保障制度は、一部の国と比較して特殊な要素を持っていると言えます。日本では、フルタイムの雇用において一定の収入が得られ、生活必需品を購入し、余暇を楽しむことができる場合があります。 ただし、すべてのフィジカルワークや事務の仕事が将来の安定や老後に十分な保障を提供するわけではありません。特に大企業以外や公務員以外の場合、退職金や充実した年金制度の提供が少ないことがあります。そのため、個人が老後に備えるためには、自己責任で貯蓄や投資、保険の活用を検討する必要があります。 各国の労働環境や社会保障制度は異なるため、一般化することは難しいです。ただし、多くの国や地域では、個人が将来に備えるために自己責任を持つ必要があります。これには貯蓄や投資、保険の適切な利用、キャリアの見直しなどが含まれます。また、社会全体で労働者の福祉や経済的安定を重視する政策や制度の整備も重要です。 最終的に、個
日本ではスーパーの店員や介護従事者に転職したら?低賃金なんだからなんて傲慢なことを言うのは一般的ではありません
ChatGPT 申し訳ありませんが、私の以前の回答が誤解を招いたようです。私の意図は、低賃金の仕事をしている人々に対して軽蔑的な態度を示すことではありませんでした。フィジカルワークや介護従事者など、重要な役割を果たしている職業の人々に対して敬意を表します。 私が伝えたかったのは、個人が収入や将来の安定について心配する場合、努力不足を主張するのではなく、適切な支援や政策が必要であるということです。低賃金の仕事をしている人々が経済的に安定し、生活必需品や老後の備えを十分にすることができる社会を実現するためには、政府や雇用主、社会全体が取り組む必要があります。 私の回答が不快な思いをさせたことをお詫び申し上げます。これからもより正確でバランスの取れた情報を提供するよう努めます。
いじめや友達のいないことなど、少しばかりでしょうが増田さんと私には似ているところがあったので参考になるか分かりませんが私の人生を語らせてください。
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幼稚園時代のことはあまり覚えていませんが中のいい友人が1人おりましたので子供らしい時間を過ごせていたと思います。
よく「◯◯ちゃんと結婚する」などと友人と言い合っていたのを今でも覚えています。
親が教育指導に熱心なタイプだったため、小学校での学業成績は悪くありませんでした。
1~3年生ぐらいは平和に暮らせていたと思います、しかし、仲のいい友人というのはおりませんでした。
4年生ぐらいになると、粗暴な子供達がクラス内で権力を効かせるようになってきており、身体が細く運動神経に恵まれなかった私はいじめのターゲットとなってしまいました。
朝教室に入ると、クラスメイトが声を揃えて私をバカにする歌を歌いだしたりするのは本当に屈辱でした。
小学校5年生ぐらいではあまりの屈辱に耐えきれず、いじめを行っていた、粗暴な子供のグループの中でも最上位に属しているクラスメイトを殴って階段から突き落としたことがあります。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、突き落としたクラスメイトに大きな怪我はなくその問題は学校内で内々にもみ消されることとなります。
その後、クラスメイト全員からの嘲笑は無くなったものの階段から突き落とした子供のいるグループから執拗なリンチを受けることになります、
学校の先生については、私は全く信用していなかったので相談することはありませんでしたし、親にはいじめられていることが申し訳なくて相談することが出来ませんでした。
中学校時代、小学生のころにいじめを行っていたグループは地域の不良グループ(暴走族のようなものだと思う)に取り込まれていって学校内では特定の誰かをターゲットにした目立ったいじめを行うのではなく、
自分たち以外のグループをおもちゃのように見立てているようで、彼らの気分で暴力などをふるっていました。
小学校の頃と比べると比較的穏やかに過ごせるようになりました。
穏やかではありましたが彼らの遊びの中で彼らがおもちゃと思っているクラスメイト同士に殴り合いをさせる遊びがあり、これは今でも到底許しがたいものだと記憶しています。
私はそのターゲットに選ばれてしまったとき、嫌いでもない人間を殴るぐらいならと不良グループの1人に殴りかかったところ返りうちにあい、その後地域の不良グループも含められた集団からリンチを受けました。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、このリンチは継続するものではなく一度限りで終わりました。
さすがにこのときの怪我で親にも学校のことがバレたのですが、親は「生きていればいいから無茶はしないで」と泣きながら言われたのは今でもとても胸に残っています。
当時の私としては彼らの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだと考えていましたが、親となった今ならあのときの言葉の意味が分かる気がします。
私の地域では高校の進学は、不良、就職、進学組にキレイに分かれる風習があり中学までの不良は殆どが不良の行く高校へと進学していきました。
勿論、不良の中でも就職、進学組の高校に進むものもいましたが、これまでの仲間を失ったかれらはとても大人しいものでした。
さて、私は親の教育方針もあって進学組の高校に進むことになります。
高校に入って驚いたことは、皆非常に穏やかな人間だったということです、私にとってはその光景が異常なように移りました。
これまでは、いじめなり、不良グループに目を付けられないように怯えながら暮らしていました、高校ではそれがないのです!
友達は相変わらずおりませんので、体育の授業では誰ともペアを組むことが出来なかったり、偶数でちょうどペアを組む相手はなんだか気まずそうな雰囲気を出しておりました。
(それでも露骨に嫌な顔はしませんので、悪い人間ではないのです)
学校の先生も非常に親切で、あまりにものんびり過ごしている私にも根気を持って指導してくださり、このときに親以外の大人でも信用出来る人間はいるのだなと認識を改めました。
私はこの暮らしの中で安穏と日々を過ごしてしまい、学業を疎かにしてしまったことであまり良い成績ではありませんでした。
大学の進学は希望した大学には入学出来ず滑り止めで受けた大学に入学することになります。
アルバイトは短期間のものを数ヶ月おきにこなす程度で余暇を多く持て余していました。
幸いにも住居のそばに図書館があったことから学生時代の余暇は本を読むことに費やしていました。
友達がいないとせっかくよんだ本の感想を誰に共有することも出来ずもどかしい思いを抱えますので、当時の携帯電話(いわゆるガラケー)で読書した感想などを適当なサイトにつらつらと書いてはアップロードしていました。
(当時の携帯電はが文字を打ち込むために同じ物理ボタンを数回押さなければならないのですが、文章を入力するためにボタンを押しすぎたおかげか殆のボタンにはヒビが入ったり欠けたりしていました。)
友達がおりませんので就職活動のための情報というのが自分の元には全く集まりませんから大学卒業後は就職すること叶わず派遣労働者として過ごすことになります。
この時期からようやく手元にある程度の資金が貯まるようになり念願のPCを自宅に導入することが出来るようになりました。
PCが手に入ると友達がいなくても情報を手に入れることが出来るようになったため、就職に関する様々な情報を得られるようになります。
第二新卒というものの存在を知り、卒業後すぐに就職出来なくてもまだチャンスはあるのだと知ることが出来ました。
そこからは就職に向けて情報を集め、必要な知識を得るために自習を行い、なんとか正社員として就職することに成功します。
最初の会社は就職のための対策をして臨んだため面接時のコミュニケーション能力の高さを評価されてしまいました。
本来、私は友達のいない人間なので日常のコミュニケーション能力は皆無に等しいのです。
私の本性を知った会社は私を試用期間中に能力が至らなかったということで解雇します。
非常に落ち込みはしたのですが、業務内容自体は私の適正に合っていたようで(勿論、就職活動時に自分の適正を考えて合いそうな業界を選んだというのはあるのですが)、
解雇されはするものの取引先の会社にツテを作ってもらいそこに入社することになりました。
次の会社でも業務内容自体は同じでそれをこなす能力自体は評価していただけましたが、そこから出世していくにはコミュニケーション能力が必要だと常々言われておりました。
私としては業務能力を持って勝負していきたいと考えており、せっかくのツテを作ってもらった中で申し訳無さもあるのですが次の会社に転職することを決めました。
このようなコミュニケーション能力の無い人間がツテもなく転職出来る会社は社会的にもまっとうな会社ではないのですが、それは反面、私の人間性も無視してくれるということです。
次の会社は非常に労働時間が長く、業務量が異常に多かったのですが、それを求めて入ったということもあり、この頃の私は仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
同僚も私のように何らかの欠陥がある人間が多く所属しており、私のコミュニケーション能力というのを咎められることがなかったのも良かったと思っております。
(尤も、私のいない場所で私に対するかなりの誹謗中傷があったらしいのですが…)
業務能力や馬車馬のように働くことを評価して頂いたのか、幹部候補としての待遇を打診されました。
しかし、社会的には悪影響をあたえるような会社でしたのでその中で幹部になることに後ろめたさがあり転職することになります。
この会社で得た経験がこの次の転職に活きており、簡単に転職することが出来ました。
次の会社では私のコミュニケーションに関するコンプレックスを取り払ってくれる上司に出会います。
彼はコミュニケーションのことを「業務を遂行するために最善の状況を作るのがコミュニケーションであり、日曜日にバーベキューに行って楽しむものではない」という信条を持っており、
この考え方のお陰で、人と仲のよい距離をわざわざ作る必要などないのだいう自信を持つことが出来るようになりました。
もともと、知識を仕入れた上で自身がどのように振る舞えば効果が高いのか?というのを考えて行動するタイプでしたので、上司の言う考え方は私の考え方に非常に相性が良かったのです。
知識の仕入れや引き出しというのは大学時代に大量の読書を行ったことで下地が出来上がっていたというのもあります。
自信を持てば人生は上手く回るもので、今では自分の感性に合う伴侶を得て、子供にも恵まれ、大きなストレスもなく平均的な収入を得られる仕事に就けています。
最初の仕事を解雇されたときは人生は積んだのだろうと絶望したものですが、時代の背景や運の要素もあったかもしれませんが、何とかなるものです。
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さて、長々と書きましたが大学生活を楽しむためのコツでしたね?
私の場合は本を読むことが大学生活の楽しみでした、それは自分の人生を好転させる材料の1つにもなりました。
読書は1億円の投資などとも言われますが、本を読む、つまり知る、考える楽しさを知ることは人生を上手く過ごす方法の1つなのかもしれません。
友人と語らい、カラオケにでも行き、趣味にかまけ、結婚でもする。
ニーチェやブッダやハイデガーみたいに強くなれる自信なんてないし、もう心はかなり限界になってる。
実存的な苦しみから逃れるには目先の生活にまるっきり埋没して忘却するのが一番。
そんな事は分かっているのだけど、根源的な不安と向き合う事が誠実な生き方に思えてならないし、手放したら「私」が終わってしまう気がする。
一切の妥協なき自己実現を諦めたり、初めから関心がない人から何を言われても全く心に響かない。
命そのものには何の価値もなくて、命を使って意志を持ち自分の信念を追求する事をやめたらそれは石ころと変わらない。
早起きして奴隷船に乗ってしたくもない賃金労働をして、残り少ない余暇も気力を充足させる気晴らしに充てるばかり。
より多くの余暇を得るために少ない余暇を使って金稼ぎのスキルを身につけるなんて、そんな回りくどい真似をするのももう面倒臭い。
世捨人になりたいと思っても、半端に内面化された社会性が邪魔をしてくる。
そういえば、一日に一冊本を読むを習慣づけている、というのがホットエントリに入っていたよね。
でも、大抵の人は「本を読む行為」にとても高いハードルを設けてしまう。
これは、とても不思議なことだ。
なにが、これほど「本」というものへの抵抗感へとつながるのか?
決して時間がないわけではないと思う。
そりゃ学生時代とかに比べれば、一日の余暇というものは著しく減少している。
それでも「簡単なこと」に費やしている時間はそれなりにあるのだ。
簡単なこと、というのはSNS、web、漫画、ゲーム、TikTokとか人によりけりだけど、
その時間を読書に割り当てれば、それなりの読書量になることは間違いないだろう。
そして重要なのは、今やっている「簡単なこと」というのはジャンクフードのように栄養分が少ないのは自覚しているのだ。
それと比して読書はとても栄養価の高いものだ、と単純に断言してもいいのかどうかはわからないが、
少なくとも読書量が少ないことに引け目を感じる人はそんなふうに感じているのだ。
それでも読書をすることが出来ない。
この人間のやらなければいけない、と感じていることへのハードル感を克服することこそが自己啓発書の存在意義だと思うのだが寡聞にしてそれに成功している書物の存在を知らない。
退職代行サービスを利用する人間に対し「クズ」「社会人としてなってない」「非常識のゲボカス」「退職の申し入れや交渉くらい自分でしろ」「料金の無駄」というネットでの意見をよく見かけるが、常識があってクズでないまともな社会人ならそもそも退職代行なんて利用しないのだ!
当方は新卒一社目でメンタル休職ののちに退職し、その後正規非正規職を転々としてきた。そのうちクビ3件、職場バックレ4件、うち退職代行使用が3件というどこに出しても恥ずかしくない経歴のクズである。こんなクズでものうのうと生きている経緯と現状とお話しし、もし今の職場のことで悩んでいる誰かの参考になったら幸いだ。また、こんな開き直り底辺ゴミにだけはなりたくないという意味で皆さんの癒しになれば嬉しい。
・なんでそんなゴミなの?
1社目でメンタルをやってか以降当日欠勤しまくり、朝起きられない、寝込む日が激増し勤怠不良の積み重なった結果です。心療内科でも相談し改善を試みたが現在も全快はしていない。ASDやADHDの検査もしたけれど健常域と結果が出て、社会性のないウンコ健常者になってしまった。
また、性格的にもストレス耐性が低くキャパ狭なのと、コミュ障以前の人嫌いが災いし、どの職場でも基本的に孤立してしまう。他人に興味がなく無関心のため、みんなでの昼食や飲み会や、職場の噂話や世間話が苦痛に感じる。人間関係の難の大部分は自分の傾向にすべて起因する。勿論申し訳ないが本当に合わない職場、上司同僚もいた。
何社か非正規で食いつないだが、その後正社員に転職した。経済的安定も目的だったが、世間体が主な転職理由だったと今では思う。仕事は生産支援の窓口部隊だったが、その部署は真夜中までの対応が多く、上記の当欠癖も治らず、致命的なミスをして現場の人に怒鳴られ修復不可能なまでに信頼を損ねた。リカバリーとか善後策など考えられず、自分のミスのせいなのにパニックになり保身に走り、「もう二度と出社できないから辞めるしかない、だがもう退職を伝える勇気も気力もない。そもそも会社の人ともう話せないし顔など合わせられない。絶対に無理」という状態になった。
その際、無い知恵を振り絞り「便利屋」という単語を思いつき、退職の電話などを請け負ってくれる便利屋をネットで探した。当時は2010年代中盤で、まだ「退職代行」に特化したサービスや企業はなかった記憶だが、不倫の密告や興信所や探偵まがいの業務をしている便利屋の中に退職の電話代行というものがあり、実家の母親のなりすましで体調不良を理由に退職の意志を伝えてもらった。その間は職場に連絡できず、無断欠勤していた。なお、現在の退職代行ではおそらく親族やパートナーなどのなりすまし設定での電話はNGだと思う。また、今も自分が依頼したような類の電話代行の業者は存在するが、どちらかというと、不倫やクレームの密告代行の意味合いが強い。
・使ってどうだったか
上記の当時利用したサービスでは、今の退職代行のように「利用したら最後まで会社の人間とやりとりが必要なく、代行経由で連絡可能」というシステムはまだなかったが、それでも「引継ぎもせず、最低限のやりとりで会社をやめられた、逃げられた」ということは自分にとって本当に救いで、命と心が助かったことに感謝した。料金も、会社の人に顔を合わせたり、謝罪をしたりという精神苦痛を鑑みれば、タダのようなものだと感じた。時を経て、退職代行会社が雨後のタケノコのように出現し世間で話題になった際も、「やはり自分のようなダメ人間がこういったサービスを利用するのだろうな」という納得感があり、ニーズが形となって顕現したのだと感じた。
なお、その後2社でも業務についていけない、ミスの連発、人間関係、勤怠不良などが原因で退職代行を利用させてもらった。加えて1社もブッチしたが、その際は貯金が少なくお金をケチって自分で辞めると伝えたが、資金に余裕があったら絶対退職代行を利用したかった。
・コロナ禍、そしてテレワーク普及という僥倖により長年のバックレ要因が偶然すべて解決
書いた通りなのだが、その自分で辞めると伝えてバックレた職場の次に決まった契約社員の仕事が始まったとたん、コロナによるテレワーク普及が起こった。すると、長年のバックレの原因だった「朝起きられない」と「職場で孤立してしまう」という問題が解決してしまった。例え朝起きられなくても、始業ギリギリに起きパジャマ姿でPCに勤務開始の報告をしてちゃんと業務をすれば、ひとまず出勤したとされる。そして、コロナ禍では会食なんてもってのほか、職場での飲み会やランチもNGになり、いつも頭を悩ませていた食事の場でのコミュニケーションと、会社での雑談自体消滅した。そのため、いつでもどこでもボロボロだった勤怠が他の社員と何ら変わりない状態になり、偶然だが仕事ぶりを評価され、現在正社員となっている。
何の努力も改善もしていないのに、環境だけで社会的に助かってしまった気分だ。現在は在宅リモート半々で働いている。たまに心身の不調で起きられず寝込んでしまい病欠になる日もあるが、それでも昔に比べると勤怠は飛躍的に改善した。
これはクビになった職場で担当していた業務で実感したことだ。フェイクを入れるが人材会社で就業開始するスタッフの勤怠管理業務に関わっていた。すると、自分より遥かに優秀で立派な経歴の人でも、第一印象がいい人でも、家族や子供がいても、突然会社に来なくなる、無断欠勤をする、試用期間終了前に合わないと泣きながら電話してくる、まるでかつての自分のような人を結構な頻度で見た。Z世代とかゆとり世代はおろか、年代や性別や家庭状況は関係ないようだ。また、勤怠不良や能力不足で試用期間終了前に雇用主から契約終了にされる人も多く見た。
以前は自分のような人間はネットでは観測すれど現実ではなかなか見ないから、異端の社会不適合者なのだと確信していたが、同類はいるところにはいるのだなと肌で感じた。
・退職代行を使うべき人
ここで、退職代行を使ってもいいんじゃないかなと想像する人の特徴を挙げる。
仕事や職場の人間関係だけが自●の原因なのなら、使ったほうがいい。できれば心身が完全にやられる前に、体力気力があるうちの利用を推奨する。一度完全に折れると、その後の社会復帰が困難になるし時間を要するためだ。ただ、増田は自●自体は仕方ないんじゃないか派なので、仕事以外にも持病や家庭の悩みや慢性的な生きづらさを抱えた人が、己に鞭を打ってまでつらい状態のまま生きる必要はないとも考えている。
「あの人は退職代行を使った」と噂されたり、それを知られた関係者にはある種の偏見を抱かれることは間違いないので、それが気にならない人は役職や雇用形態問わず利用していいと思う。逆に自分の挫折や失敗を受け入れ難い、プライドがある人はまず退職代行は利用しないんじゃないかな・・・自分はプライドがないので、バックレた職場の方々に対し本当に申し訳ない気持ちがあれど、二度と生きてお会いしたくないので、自分は練炭自●などで死んだものと思って忘れて生きていってくださいと念じている。
・退職代行を使うべきでない人
上記のように、心身が死の淵に追いやられている人はまず命を守る行動を取ってほしいが、使うとリスクがあると想像する人を列挙する。
増田は現在都市部在住だが地方での暮らしも経験している。その際近所の無職の人が外で散歩するだけで恥だから家の中にいろ!という親御さんに叱られている話を聞いたことがある。退職代行を使ったことが近所や職場に広まり、今後の就職どころか生活に支障をきたす、あるいは詰むレベルの支障が出る場合はそのリスクを考慮したほうがいいのではないかと思う。
増田が退職代行を使ったのはいずれも一人暮らしの時期だ。バレなければいいと思うのだが、同居家族やパートナーに知られて干渉されそうな人は警戒しておいたほうがいい。5ちゃんの職場バックレに関するスレッドで、バックレ常習犯は緊急連絡先の家族の住所は電話番号はでたらめを書いておくというアイデアを参考に、増田も緊急連絡先は最寄りの水道局の住所電話番号に設定している。
①②と同じ種類だが、例えば仲間と企業したけど逃げたくなった・・・という場合も人間関係にしこりを残すと想像する。現代ではなかなかないと思うが、同族の小さい企業や少人数のベンチャーなど、職場の人間関係が密で後々の人間関係がトラブりそうな方も要注意だ。(辞めたあとに電話やSNSなどでDMが来るとか)
退職後に休養するのも再就職するのも自由だけれど、その後の人生の責任は自分以外誰も取ってくれない。中には医療や福祉に繋がるほうがいいケースもあるかもしれないが、勤め人を続けたい場合はその後も工夫や行動し続けることが大切だと感じる。男女問わず、経済的に頼れるパートナーを探すというのも生存戦略としては立派なひとつの方策だ。下記リンクは以前ネットでも話題になったもので、今回の趣旨とは異なるが、早いうちから行動することの大切さについては参考になるかと思う。
http://www.carpefidem.com/column018.html
・環境や適性をもう一度考えてみる
職場との相性は、入ってみたら人が定着しない魔窟のようなポジションだったとか、ホワイト大企業だけどその部署だけ何故かモンスターのようなストレッサーだらけとか、運で決まってしまう要素も大きいと感じる。ただ、ある程度自分の向いてる環境や適性について検討し、判断することも必要だと思う。向いてなくて耐えられなかったら、また退職代行を使えばいい。
人付き合いの苦手な人は、できるだけ接客から離れた上流工程の業務内容の企業に応募する(コミュ障も突き抜けると接客適性無双、他人への関心がないのでクレーマーをしゃべる人糞とみなせるという意見もあるが、限られたエースだけの才能だと思う)とか、マルチタスクではパニックになりがちな人は定型業務メインの仕事を探すとか、お子さんや家族のケアで早退や欠勤が続いてしまうひとはフレックス制や裁量労働などで調整できる職場を探すとか、できるだけ自分の苦手に直面する機会の少ない仕事を選んでほしい。
お前が言うなが過ぎるが、テレワーク可能な職場という環境面での選択肢が無かったら自分は社会的に詰んでいた。また、当座の給料のためにコミュ力に自信がないのに、客先/社内問わず大量のストレスフルな交渉が発生する職場や自分のスキルに見合わない仕事内容に考えずに飛びついた経験が少なからずある。
増田は現在「やりたくない仕事は星の数ほどあれどやりたい仕事はない」というドクズ思考で、自分にできる仕事ならありがたく精一杯やって、ダメなら逃げようというスタンスだ。
「好きなこと/やりたいことを仕事にする」は覚悟がないと危険だと思う。インドア派やオタク気質の人は、アニメーターやゲーム会社やエンタメ企業や出版社関連企業への志向性が強い傾向だと思う(かつて自分も就活病で何社か説明会を受けたことがある)が、大手でない限り土日昼夜問わず働かされ、期限納期の厳しいブラックな環境の職場も多い。エンタメやサービス業は、みんなが楽しんでいる休みや余暇の時期が繁忙期だ。また、ブラック企業はある程度公式に開示されている情報や労働条件で判断できる。
「社会人になる年齢で免許持ってない」って田舎都会に限らず奇異な目で見られる印象だったけど(否、田舎は免許持ってないと「異常者扱い」かな)
結構な年いってる芸人さんで「免許持ってないです」って人が多くてびっくりする
なんでなんだろう?
取るタイミングを逸したのかな?
芸能人なら誰かしら乗せてくれる人居そうだし
吉本は居ないだろうけど、他の事務所とかだと「付き人」とか居るもんね
付き人じゃなくても後輩とかさ
そんな感じだから「今更取らなくても」って思ってるのかな
芸人に限らず都会在住だと「免許無い」大人多いのかな?→各都道府県免許保有率ランキング見てみたら東京47位だった。57.6%@2021年
本当に免許無くても生活に困らないんだろうなあ。余暇活動がちょっとだけ不便とかあるだろうけど
キャンプ行きたい…って思っても車無いとやっぱなあ。アウトドア系は装備が多いから公共の乗り物だと辛いものがある。車保有してる仲間が居ればいいけども
電アシケッタ使用してるけど限界がある。というか「50km移動」とか出来ないし。あと、荷物そんなに積めないし。天候に左右されるのもキツイ。日焼けもツライ
ちょっとだけ都会に買い物に行こうと思うと交通費すげえかかる。50km移動でも面倒臭えから特急とか乗るし
…免許を取るか都会に移住するかしないと死ぬ(そもそも田舎に帰ってくる気は無かったから免許取らなかった)
でも車ってホント金かかるよね
金と余暇が無いので無理です
あと演劇は現場でしか取得できない情報が多くて、事後検証するためのソースもあまり入手性がよくない印象。
同じステージエンタメの声優ライブなどなどと違って、上演中の厳かな感じとか怖そうな気もする