はてなキーワード: 三陸とは
国の基準なんて信用してないし、どんな検査されてるのかも知らないし、あらゆる場所で取れたわかめ類と比べてどうなのかってデータもないし。
国の基準って震災後に変わったとか、どっかのネットで見た。これはデマかもしれないが。
そもそも原発事故後三陸産のめかぶを30年間食べ続けた人なんて居ないのになんで安全って言えるん?
壮大な人体実験に協力させられてるんじゃないの?
いや違う、俺は三陸産のめかぶを食べる人を批判したいんじゃない、俺が「三陸産のめかぶは買わない」って選択をしていることを「風評被害w」とか「気にし過ぎw」とか言って批判してくる人間を批判したいだけや。
生まれてくる子供も含めて、家族みんなで仲良く福島産の野菜を食べ続けて60年後、何もないようだったら、もしくは福島産を避け続けた人間達と何も健康データが変わらないんだったら、その時は素直に謝る。そして俺も進んで食べよう。
当時、学長であった哲学者・鷲田清一教授は、一通りの -文字数として数えると
原発の問題の有無や、テレビで流れる「亡くなった方」の数字の桁こそ違えど、
そしてなにより、
近しい人を亡くされた痛切さが伝わってくるという点で、
今回の2018年7月豪雨、ぼくは、3.11と同質のものを感じています。
今回の豪雨、ぼくは降水量としては3番目に多かった神戸に住んでおり
確かにいままでにない雨の降りかたでした。
加えて、徒歩にして500mほどの場所で土砂崩れが発生していましたが、
それでも、「災害に巻きこまれつつある」という意識は希薄でした。
被害地域が広域であったこと、下手に現地取材を行えば自身も被害者になってしまうマスコミのリスクに加え、
もしかすると「雨の災害」だと、心のどこかでラベリングをしていた(し続けている)人も多くいたんじゃないかなあ。
現在は、豪雨災害のニュース一色、現地からの報道ばかり、といった感じですけれど
実際の雨が降っているときの映像は、ほとんどが京都の嵐山だったり
それらのニュースをみて感じたことがあったので、書いておきます。
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ご家族を亡くしたお父さんの後ろには、画面を通じて確認できただけで
お父さんの後を追うように、20人ぐらいの「マスコミの人」がいました。
よく「心ないマスコミが!」という意見は目にするけれど、ぼくは今回
「このお父さんは、ひとりでこの時間を過ごすことにならなくてよかったんじゃないか?」
ご家族を亡くされた苦しみ。
自宅が浸水し、心の支えを失ったなか、
いったいなにを支えに生活を取り戻していくんでしょう。
想像するだけで胸が引き裂かれそうになるよ。
「だれにも見向きもされず、ひとり」だったら、どうだったのだろう。
だから一部の人たちから「クソマスコミが!」と呼ばれるのでしょう。
けれど、人間みんなが「苦しみをひとりで耐え忍ぶ」ことをできるように
デザインされているとは思えないのです。
ぼくだったら、どうだろう。
そんなときに、それがたとえ気遣いからでの「ひとり」であったとしても
カメラをかつぎ、マイクを握ったマスコミのみなさんではあるけれど、
きっと、しぼりだすように、されているお父さん。
受け止めることができるか、それを試されているんじゃないかなあと思うよ。
ああ、痛い体験ですね。強くなろう。
3.11、多くの人がそうできたように、また今回も。
そう、3.11です。ぼくはニュースで水につかった西日本の街を見るたびに、三陸を思い出します。
ぼく以上に思い出すよなあ。
逃げているように思わないで。
あれだけの傷をうけてまだ7年です、
「みんなが生活してくれている」それは奇蹟だし、
みんなが絶望していないんだよ。それは、みなさんが、
すっごいワガママを言うと、
「ただ、いてくれること」そのことがどれだけぼくらを救うか。です。
いつもありがとう(^_^)
みなさんがそういてくれるんだもの。
きっと、ぼくらにできないはずはない。
もう、寝る暇もなく働いてるって。
そんな皆さんに敬意を持って過ごせたらいいよなあ。
そして、それが原因で心を痛めるかもしれないけれど、
「関心」が向けられていること、
さっきのお父さんの話のように、間違いなく支えになるから!
FIGHT BACK!
みんなの状況が少しでも良くなっていきますように。
あのさ、
要は外出先で見たいのよね。
消化も捗るじゃない。
なんかそういうレコーダーもあるらしいけど、
よく分からないわ種類が多すぎて。
うーん機械もそろそろ買い替え時かなと思いつつ、
しばらくは当分買い替え我慢ね。
これももちろん消化しなくちゃ行けないんだけどって言うまた問題が発生しまくるんだけど。
デバイスが何であろうと聴ける訳なのよ。
ラジオに関しては楽チンだわ。
倍速で聴けたりもするし。
そうなるとやっぱりテレビ録画の消化の捗らないさ加減は異常だわ。
だから、
NHKはそれ行けそうよ。
民放はどうなのかしら?
そこがネックね
テレビ録画の取り回しは面倒くさいわ、
というか出来ないわ。
便利になるのは良いんだけど、
それに反して不自由さが同時につきまとってきて
なんともしがたいモヤモヤな感じね。
なかなか消化が捗らないわ。
困った困った。
うふふ。
海の香りがして良いわね。
意外と湯冷ましなストレートホッツウォーラーでも案外いけちゃうわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私の通った道なりに咲き誇ってて
壮大!
まあ使い込んでるから仕方ないんだけど。
もう何年も前に買った物だから、
買ったお店に行ってもおいてなくて売ってないのよね。
お気に入りだっただけにね。
そういう時は
でもこの際、
背に腹はかえられないわね。
同じ形だし。
食わぬタヌキの高楊枝とも言うじゃない。
こないだ届いてルンルンだわ。
でも鞄の入れ替え面倒くさくてやってないと言う始末よ。
うふふ。
混ぜご飯美味しいわよね。
なしウォーラー。
秋の果物も美味しくなってきたわ。
柿、ってなるといきなりお婆ちゃん臭くなっちゃうわよね。
好きな果物なに?って
柿!って答えると、
なんか変な空気になるわ。
覚えてね!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
統計を眺めるときに並び方が分かっていた方が便利なので覚えた。他の人の役に立つか分からないが整理を兼ねてメモ。
北海道→東北→関東→中部→近畿→中国→四国→九州・沖縄 という地方の流れと北から南・東から西という原則を抑えつつ各地方を細分化して覚える。
北海道 | 北海道 | 北海道(1) |
東北 | 三陸 | 青森(2) 岩手(3) 宮城(4) |
東北 | 奥羽本線 | 秋田(5) 山形(6) 福島(7) |
関東 | 北関東 | 茨城(8) 栃木(9) 群馬(10) |
関東 | 埼玉 | 埼玉(11) |
関東 | 東京湾 | 千葉(12) 東京(13) 神奈川(14) |
中部 | 新潟+北陸 | 新潟(15) 富山(16) 石川(17) 福井(18) |
中部 | 海なし | 山梨(19) 長野(20) 岐阜(21) |
中部/近畿 | 東海 | 静岡(22) 愛知(23) 三重(24) |
近畿 | 新快速 | 滋賀(25) 京都(26) 大阪(27) 兵庫(28) |
近畿 | 紀伊半島 | 奈良(29) 和歌山(30) |
中国 | 山陰 | 鳥取(31) 島根(32) |
中国 | 山陽 | 岡山(33) 広島(34) 山口(35) |
四国 | 橋 | 徳島(36) 香川(37) 愛媛(38) |
四国 | 高知 | 高知(39) |
九州 | 上の方 | 福岡(40) 佐賀(41) 長崎(42) |
九州 | 熊本 | 熊本(43) |
九州 | 日豊本線 | 大分(44) 宮崎(45) 鹿児島(46) |
沖縄 | 沖縄 | 沖縄(47) |
青森に始まり福島に終わることを抑えた上で間の4県は太平洋岸→日本海岸の順。
埼玉の位置が微妙なので独立グループとし、3+1+3で覚える。
正直うまい覚え方が浮かばなかった。全体としてS字を描くイメージでいいかもしれない。
連番だが地理的に離れている箇所
私は日本大好きですがこれはどうかと思う。(BBC流あいさつ)
神戸と違って、いつまでも被災地なんだろうなぁ。70年たっても戦後とか言ってるのと同じように
the48the48のコメント 2017/03/06 15:35
http://b.hatena.ne.jp/entry/325623993/comment/the48
16.7メートルの津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声 - ねとらぼ
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1703/06/news092.html
この記事への衝撃のファーストブクッマでいきなり被災地ガーと言われて、ガツンと頭を殴られた思いがあります。
これじゃあ150万円おごりおごられでいじめではなく電気消したのに光らないとバカにされるのも世間では本音なんだろうな、と。
「もはや戦後ではない」(1956年)、終戦から11年。NYが9.11を克服したと言われた[要出展]『クローバーフィールド』(2008年)は7年。
短いようで長かった6年、楽しかった運動会。小学生も卒業しますわ。
被災地増田からちょうど広告で取り上げられている大船渡市の現在を報告しますと。
2011年の4月に小学校に入学した子が卒業間際の今年度(2016年)はじめて校庭を使うことができた(校庭に仮設住宅があり使用できなかった)。
災害公営住宅が全戸完成し、市内の仮設住宅が今年度末で全て撤去になる。
仮設商店街が借地期限を迎え取り壊しになる中、土地整備が終わった地区に本設の商店街施設を鋭意建設中。
JR大船渡線は鉄路での復旧は諦めてバス専用路線のBRTになり数年経過。
こういった状況です。
当初から10年単位での復興計画でしたが、広域の災害のため建築土木の資材とマンパワーが足りず、時間がかかるようです。
コンクリから人への流れで建設会社の廃業が進み人手が減っていたタイミングだったのもあります。
瓦礫で埋まった道路を最初に掘り出してくれたのはショベルカー持ってた地元の土建屋さんなので、
年度末で道路掘り返してんじゃねーぞ、とイライラする事も最近は少なくなりました。
義援金、支援物資、ボランティアはもちろん、直接的な支援をされていなくても、公共工事や被災者支援などには税金が使われており
それはすなわち国民の血税でありますから、国民の皆さんに足を向けては寝られません。太平洋に足を向けています。
海外からの支援も多く、市役所の車両とか三陸鉄道の車両とか、○○国の支援と表示されています。
復興工事の方や、公務員の応援職員も全国から継続的に来ていただいています。
神戸の「希望の灯り」は分灯されて隣市、奇跡の一本松の陸前高田市にともされています。
直接、間接のご支援本当にありがとうございます。
衰退地域である三陸沿岸への税金投入のコスパについては自分でも疑問に思う面はあるのですが、それはそれとして。
「かもめの玉子」さいとう製菓の専務がビデオカメラ回して発災時の事務所内から高台に逃げて街が飲まれるまでを撮った映像。
https://www.youtube.com/watch?v=jbvBsgoEAe0
チリ地震津波もあったので大丈夫です、再建しましょう。の旅館経営おじいさん。
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/
http://www.nhk.or.jp/morioka/archives/anohiArchives.html
NHK仙台局の津田アナは自身も被災して「被災地からの声」(東北地域で放送)のキャスターを努めています。
岩手局に一時居て今は東京あたりに行った魚住アナは浅野温子の息子。支援物資で貰ったレンズ豆は火が通りやすく美味しいけど、
レンズの形だからレンズ豆じゃなくて、レンズ豆が先にありレンズ豆型だからガラスレンズがレンズという名になったんですって。(豆知識)
(br)
結論としては、避難場所とそこまでの経路を確認しましょう。防災用品を確認しましょう。
http://portal.nifty.com/kiji/160614196764_1.htm
2008年11月24日 : オホーツク海 - Mj 6.5、深さ492km、Mw 7.3、深さ491km
2010年11月30日 : 日本 小笠原諸島西方沖 - Mj 7.1、深さ494km
↓
2011年3月11日: 日本 三陸沖 - Mj 8.4、深さ24km
2013年5月24日 :オホーツク海 - Mj 8.3、深さ598km
2015年5月30日:日本 小笠原諸島西方沖 - Mj 8.1、深さ682km
↓
2015.9.11 ?
ちなみにうるう年を考慮に入れたマヤの予言の日は2015年9月3日
その地域の事はさっぱり分からないから的外れかもしれないけど、
新しく出来た住宅地の場合、限られた年代の人ばかりが引っ越してくるから
子供の数が突然急増してその後急減するって事はよくあるよね。
今足りてなくてもすぐに急減するのが予測出来るなら、敢えて小学校を新設するのは予算の無駄遣いである、ってのは十分理解出来るんだけど。
そうですね。
その辺へ懸念事案ではあるようで、単純に今の推移で考えれば、少子化を考慮にいれれば
ただ、それを回避するために養育モデル地区としてアピールすることで
推移を増加に上げていきたいという意図はあったようです。
土地は確かに少ないですね。
ですが現状では、県営の集合住宅などは空きが多いように見受けられます。
それに、現在空き地が多数あり、それらを住宅用地として整備を行っている真っ最中ですね。
どうしても、三陸沖地震の影響により、津波があった場合に、海の近くなのでということで
販売が伸び悩んでいる現状だそうです。
判断としては難しい所ですね。
阪神・淡路大震災から20年ということで、新長田の再開発がうまいこといってなくて苦悩する市民、みたいな特集をやっていた。
新長田の再開発が「大失敗」だってのは有名な話なので、まぁ大変だよなーどうすんだろねとか思ってみてたのだが、カチンと来たのはナレーションで、
『再開発の巨大なビルから一歩入ると、昔ながらの長田の下町の風情が残る町並みに…』とかなんとか言っていた。
繁華街から遠くて焼け残った、地元住民が懐かしむ町並みは、裏を返せば、もし次にまた大災害が起きたら真っ先に燃えるか倒れるかする弱い町でもある。
間抜けな知事が「大規模再開発で町をもっと強く生まれ変わらせるいい機会だった」とか口を滑らせてしまったように、『災害に強いまちに』というスローガンの生け贄になってしまったのが新長田。
話は変わるが、地方都市のシャッター街やら東京の下町の木密地区なんかも、地震を考えるととても怖いのだが彼らは建て替えようとか町を出ようとかは考えない。問題は「起きるまで」発見されない。
話を戻す。
新長田が生け贄になってしまった理由は、やっぱりお金の問題で、お金がないと復興ができないからだ。
道路を切り直し区画を大きくしてでっかい建物建てれば、被災者が使う分以外の余った分を不動産業者に売って復興資金が捻出できるから。
新長田が失敗したのは、行政の見通しがただひたすら甘かったのが原因だが、なぜそんなに甘かったかと言えば、
まだバブルがはじけた直後で、日本全体が「将来的にここまで日本が収縮するとは思ってなかった」からだろう。神戸は都会だし住民も多い。投資する価値があると踏んだんだろう。
まぁ今思えば甘いけど、当時だったらと考えると、バーカバーカ甘いんだよと簡単に切り捨てるのもどうかという微妙なラインだったりもする。
既に不動産バブルは崩壊してたので、一部では当時から「あれは微妙だろう」という声はあったらしい(当時学生だったので詳しくは知らない)。
だが、阪神大震災が起きたのは、バブルははじけたとはいえまだ山一証券や拓銀や長銀や債銀やらも破たんする前の話だ。市場変化に疎いことでおなじみの役人が気付かないのも、まぁありうる。
しかし長銀とか債銀とか今となっては完全に死語だな…。若い増田たちは存在も知らないだろうな。それはともかく。
ナレーションきっかけでカチンと来つつ報道ステーションを見ていたわけだが、
ありえない仮定ではあるが、阪神・淡路大震災が起きたのが2011年だったとしても新長田の再開発は失敗しただろうか、と考えると、もうちょっと上手くやれるだろうと思うんだ。
「ちょうど良いサイズ」の再開発をやったと思う。神戸は何だかんだで都会だから、初期投資の規模を間違えなければ行けると思う。
「もともと過疎化が進んでいた場所をどうやって復興するか」という、ものすごく重くて大きくて難しい問題を抱えている。
三陸のある町では、甚大な津浪被害にあった町を、高台に移転するか元の海沿いの土地を土盛りかさ上げして復興するかで揉めている、なんてニュースもあった。
報道ステーションで古館は、見知った人たちと離れたくないという老人のインタビューの後に、地元住民の感情を無視した復興にならないでほしいですね、的なしたりコメントをしていたのだ。
住民感情を置いておいて、まだまだ余震を含め大地震が起きてもおかしくないと言われている時期に、ちょっと土盛りしたぐらいで「次は安全」な町なんて、とてもじゃないが保証は出来ない。
土盛りかさ上げ工事をして区画整理したある町では、結局元の住民の3割しか戻ってこないといって困っているらしい。
オーバースペックの復興事業で20年前に痛い目に合っているのに、また同じことを繰り返している人たちがいる。
新長田の"復興災害"を糾弾する口と同じクチで、オーバースペックな「地元住民目線だけど完全にマーケットアウト」な復興を焚きつけるかのようなコメントを吐く輩がTVに出ている。