阪神・淡路大震災から20年ということで、新長田の再開発がうまいこといってなくて苦悩する市民、みたいな特集をやっていた。
新長田の再開発が「大失敗」だってのは有名な話なので、まぁ大変だよなーどうすんだろねとか思ってみてたのだが、カチンと来たのはナレーションで、
『再開発の巨大なビルから一歩入ると、昔ながらの長田の下町の風情が残る町並みに…』とかなんとか言っていた。
繁華街から遠くて焼け残った、地元住民が懐かしむ町並みは、裏を返せば、もし次にまた大災害が起きたら真っ先に燃えるか倒れるかする弱い町でもある。
間抜けな知事が「大規模再開発で町をもっと強く生まれ変わらせるいい機会だった」とか口を滑らせてしまったように、『災害に強いまちに』というスローガンの生け贄になってしまったのが新長田。
話は変わるが、地方都市のシャッター街やら東京の下町の木密地区なんかも、地震を考えるととても怖いのだが彼らは建て替えようとか町を出ようとかは考えない。問題は「起きるまで」発見されない。
話を戻す。
新長田が生け贄になってしまった理由は、やっぱりお金の問題で、お金がないと復興ができないからだ。
道路を切り直し区画を大きくしてでっかい建物建てれば、被災者が使う分以外の余った分を不動産業者に売って復興資金が捻出できるから。
新長田が失敗したのは、行政の見通しがただひたすら甘かったのが原因だが、なぜそんなに甘かったかと言えば、
まだバブルがはじけた直後で、日本全体が「将来的にここまで日本が収縮するとは思ってなかった」からだろう。神戸は都会だし住民も多い。投資する価値があると踏んだんだろう。
まぁ今思えば甘いけど、当時だったらと考えると、バーカバーカ甘いんだよと簡単に切り捨てるのもどうかという微妙なラインだったりもする。
既に不動産バブルは崩壊してたので、一部では当時から「あれは微妙だろう」という声はあったらしい(当時学生だったので詳しくは知らない)。
だが、阪神大震災が起きたのは、バブルははじけたとはいえまだ山一証券や拓銀や長銀や債銀やらも破たんする前の話だ。市場変化に疎いことでおなじみの役人が気付かないのも、まぁありうる。
しかし長銀とか債銀とか今となっては完全に死語だな…。若い増田たちは存在も知らないだろうな。それはともかく。
ナレーションきっかけでカチンと来つつ報道ステーションを見ていたわけだが、
ありえない仮定ではあるが、阪神・淡路大震災が起きたのが2011年だったとしても新長田の再開発は失敗しただろうか、と考えると、もうちょっと上手くやれるだろうと思うんだ。
「ちょうど良いサイズ」の再開発をやったと思う。神戸は何だかんだで都会だから、初期投資の規模を間違えなければ行けると思う。
「もともと過疎化が進んでいた場所をどうやって復興するか」という、ものすごく重くて大きくて難しい問題を抱えている。
三陸のある町では、甚大な津浪被害にあった町を、高台に移転するか元の海沿いの土地を土盛りかさ上げして復興するかで揉めている、なんてニュースもあった。
報道ステーションで古館は、見知った人たちと離れたくないという老人のインタビューの後に、地元住民の感情を無視した復興にならないでほしいですね、的なしたりコメントをしていたのだ。
住民感情を置いておいて、まだまだ余震を含め大地震が起きてもおかしくないと言われている時期に、ちょっと土盛りしたぐらいで「次は安全」な町なんて、とてもじゃないが保証は出来ない。
土盛りかさ上げ工事をして区画整理したある町では、結局元の住民の3割しか戻ってこないといって困っているらしい。
オーバースペックの復興事業で20年前に痛い目に合っているのに、また同じことを繰り返している人たちがいる。
新長田の"復興災害"を糾弾する口と同じクチで、オーバースペックな「地元住民目線だけど完全にマーケットアウト」な復興を焚きつけるかのようなコメントを吐く輩がTVに出ている。